2019-08-20

十年以上、病に苦しんだ父が、半年前ついに死んだ。

働きながら介護をする母を労うでもなく我が儘放題な態度が腹に据えかねて、私の中の父はとうに死んでいた。喪失感はなかった。

晩年はずっと病院暮らしで、テレビにも音楽にも興味を失い、言うことを聞かない身体をたまにもぞもぞと動かしながら、四六時中白い天井を眺めているだけだった。

屍のようだ、と頭の片隅に思いながら、正月だけ義務的に見舞い続けた。

初盆で、祖父母と父が眠る墓参りへ行くことになった。

見栄っ張りな祖父が購入したお墓は車で行きづらいところにあったが、自家用車は父が寝たきりになった時点で手放した。最寄り駅で集合し、タクシーで向かうことになっていた。

途中、電車の窓から病院が見えた。

父がまだ通院で済んでいた頃、しばしば付き添いで行った病院だった。ちょうど大学に通うのを辞め、働き始めた頃だった。

診察後に併設の喫茶店で二人で食事したことを思い返す。

大学は行かないのか」と聞く父に、大学に通えなくなった幼稚な言い訳と、仕事やりがいを語って聞かせた。

「好きにしな」と父は短く返して、パスタを啜った。

私が志し、そして諦めた学科は父と同じだった。働く父は好きだった。

あの病院での会話が、「生きた父」との最後のやり取りだったなと回想して、少し涙ぐんだ。

信仰心がない私にとって、お墓は単なる骨の安置場所だ。

清掃して、お供えをして、お線香を上げて、手を合わせても、「生きた父」には二度と届かない。病院で寝ていた屍と同じようなものだ。

お盆墓参りは、正月のお見舞いと同じように、ただ義務的に続けることになるのだろうな。なんだか嫌だな。

  • 弱い人間を個として認めず 自分の弱いところは隠す 噓吐きの人生って哀れだじゃ

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