十年以上、病に苦しんだ父が、半年前ついに死んだ。
働きながら介護をする母を労うでもなく我が儘放題な態度が腹に据えかねて、私の中の父はとうに死んでいた。喪失感はなかった。
晩年はずっと病院暮らしで、テレビにも音楽にも興味を失い、言うことを聞かない身体をたまにもぞもぞと動かしながら、四六時中白い天井を眺めているだけだった。
屍のようだ、と頭の片隅に思いながら、正月だけ義務的に見舞い続けた。
見栄っ張りな祖父が購入したお墓は車で行きづらいところにあったが、自家用車は父が寝たきりになった時点で手放した。最寄り駅で集合し、タクシーで向かうことになっていた。
父がまだ通院で済んでいた頃、しばしば付き添いで行った病院だった。ちょうど大学に通うのを辞め、働き始めた頃だった。
「大学は行かないのか」と聞く父に、大学に通えなくなった幼稚な言い訳と、仕事のやりがいを語って聞かせた。
「好きにしな」と父は短く返して、パスタを啜った。
私が志し、そして諦めた学科は父と同じだった。働く父は好きだった。
あの病院での会話が、「生きた父」との最後のやり取りだったなと回想して、少し涙ぐんだ。
清掃して、お供えをして、お線香を上げて、手を合わせても、「生きた父」には二度と届かない。病院で寝ていた屍と同じようなものだ。
弱い人間を個として認めず 自分の弱いところは隠す 噓吐きの人生って哀れだじゃ