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http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/119/119tx.html
前文
第三章 国会
第四章 政府
第五章 国家財政
第六章 地方制度
第七章 司法
第八章 公務員
第九章 憲法改正
前文
天皇制支配体制によつてもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであつた。この天皇制は欽定憲法によつて法制化されてゐた様に、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によつて武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として、勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見と迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたへてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもつて威嚇され弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であつた。
われらは苦難の現実を通じて、このやうな汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制のもとにひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。
ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。日本人民の圧倒的多数を占める勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるだらう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓ふものである。
第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則つて行使される。
第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志にもとづいて選出される議会を基礎として運営される。
第四条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業ならびに金融機関の人民共和政府による民主主義的規制にもとづき、人民生活の安定と向上とを目的として運営される。
第五条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。
第六条 日本人民共和国のすべての人民は法律の前に平等であり、すべての基本的権利を享有する。
第七条 この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であつて、これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。
政府が憲法によつて保障された基本的人権を侵害する行為をなし、またかやうな命令を発した場合は人民はこれに服従する義務を負はない。
第八条 人民は日本人民共和国の法律と自己の良心以外にはどんな権威またはどんな特定の個人にたいしても服従または尊敬を強要されることはない。人種、民族、性別、信教、身分または門地による政治的経済的または社会的特権はすべて廃止され今後設置されえない。皇族、華族の制度はこれを廃止する。称号、勲章その他の栄典はどんな特権をも伴はない。かやうな栄典の授与はあたへられた者にたいしてのみ効力をもつ。
第九条 人民は民主主義的な一切の言論、出版、集合、結社の自由をもち、労働争議および示威行進の完全な自由を認められる。
この権利を保障するために民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし印刷所、用紙、公共建築物、通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供する。
第十条 人民に信仰と良心の自由を保障するため宗教と国家、宗教と学校は分離され、宗教的礼拝、布教の自由とともに反宗教的宣伝の自由もまた保障される。
第十一条 人民は居住、移転、国外への移住、国籍の離脱ならびに職業選択の自由をもつ。
第十二条 人民の住宅の不可侵と通信の秘密は法律によつて保護される。
第十三条 人民は身体の不可侵を保障され、何人も裁判所の決定または検事の同意なしには逮捕拘禁されることはない。
第十四条 何人も裁判所で裁判を受ける権利を奪はれず、裁判は迅速公平でなければならない。
第十五条 人民を抑留、拘禁した場合、当該機関は例外なく即時家族もしくは本人の指名する個人に通知しなければならない。また本人の要求があれば拘束の理由は直ちに本人および弁護人の出席する公開の法廷で明示されなくてはならない。
第十六条 何人も自己に不利益な供述をすることを強要されない。強制、拷問または脅迫のもとでの自白もしくは不当に長期にわたる抑留または拘禁の後の自白は、これを証拠とすることはできない。何人も自己に不利益な自白だけによつては有罪とされず、または刑罰を科せられない。
第十七条 被告人はどんな場合にも弁護の権利を保障され、事件の資料について精通する権利と法廷において自国語で陳述する権利とを保障される。
第十八条 どんな行為もあらかじめ法律によつてこれにたいする罰則を定めたものでなければ刑罰を科せられない。刑罰は犯罪の重要さに応じて科せられる。何人も同一の行為のために二度処罰されることはない。
第二十条 国家は裁判の結果無罪の宣告をうけた被告人にたいしては精神上、物質上の損害を賠償しなければならない。
第二十一条 受刑者の取扱ひは人道的でなければならない。受刑者の労賃と労働時間は一般企業の労働条件を基準として決定される。
女子の被拘禁者にたいしては特にその生理的特性にもとづく給養を保障し、妊娠、分娩の際には衛生的処置を保障しなければならない。
第二十二条 刑罰は受刑者の共和国市民としての社会的再教育を目的とする。受刑者にたいして合法的に科された刑罰を更に加重するやうな取扱を行つた公務員はその責任を問はれる。
第二十三条 受刑者を含む被拘禁者にたいして進歩的民主主義的出版物の看読を禁止することはできない。
第二十四条 勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によつて保障され、その財産は相続を認められる。社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によつて制限される。
第二十五条 人民は性別を問はずすべての国家機関の公務員に選任される権利をもつ。
第二十六条 人民は個人または団体の利害に関しすべての公共機関に口頭または文書で請願または要求を提出する権利をもつ。何人もこの請願または要求をしたためにどんな差別待遇もうけることはない。
第二十七条 女子は法律的・経済的・社会的および文化的諸分野で男子と完全に平等の権利をもつ。
第二十八条 婚姻は両性の合意によつてのみ成立しかつ男女が平等の権利をもつ完全な一夫一婦を基本とし純潔な家族生活の建設を目的とする。社会生活において家長および男子の専横を可能とする非民主的な戸主制ならびに家督相続制はこれを廃止する。夫婦ならびに親族生活において女子にたいする圧迫と無権利とをもたらす法律はすべて廃止される。
第二十九条 寡婦およびすべての生児の生活と権利は国家および公共団体によつて十分に保護される。
第三十条 人民は労働の権利をもつ。すなはち労働の質と量にふさはしい支払をうける仕事につく権利をもつ。この権利は民主主義的経済政策にもとづく失業の防止、奴隷的雇傭関係および労働条件の排除、同一労働に対する同一賃銀の原則、生活費を基準とする最低賃銀制の設定によつて現実に確保され、労働法規によつて保障される。
第三十一条 勤労者の団結権、団体交渉・団体協約その他団体行動をする権利は保障される。被傭者は企業の経営に参加する権利をもつ。
第三十二条 労働の期間および条件は労働者の健康、人格的威厳または家庭生活を破壊するものであつてはならない。十八歳以下の未成年者はその身心の発達を阻害する労働にたいして保護され、十六歳以下の幼少年労働は禁止される。
第三十三条 人民は休息の権利をもつ。この権利は一週四十時間労働制、一週一日・一年二週間以上の有給休暇制、休養のための諸施設ならびに労働諸法規によつて保障される。
第三十四条 勤労婦人は国家および雇主からその生理的特性にたいする配慮をうけ、産前産後の有給休暇、母子健康相談所、産院、保育所等の設備によつてその労働と休息の権利を保障される。
第三十五条 人民は老年、疾病、労働災害その他労働能力の喪失および失業の場合に物質的保障をうける権利をもつ。この権利は国家または雇主の負担による労働災害予防設備、社会保険制度の発展、無料施療をはじめとする広汎な療養施設によつて保障される。
第三十六条 家のない人民は国家から住宅を保障される権利をもつ。この権利は国家による新住宅の大量建設、遊休大建築物、大邸宅の開放、借家人の保護によつて保障される。
第三十七条 すべての人民は教育をうけ技能を獲得する機会を保障される。初等および中等学校の教育は義務制とし、費用は全額国庫負担とする。上級学校での就学には一定条件の国庫負担制を実施する。
企業家はその経営の便宜のために被傭者の就学を妨げることはできない。
第三十八条 日本人民共和国は人民の科学的研究、芸術的創造の自由を保障し、人民のあらゆる才能と創意の発展を期し、研究所、実験所、専門的教育機関、文化芸術諸施設を広汎に設置する。
第三十九条 日本人民共和国は民主主義的活動、民族解放運動、学術的活動のゆゑに追究される外国人にたいして国内避難権を与へる。
第四十条 日本人民共和国に居住する外国人の必要な権利は法律によつて保障される。
第四十一条 人民は日本人民共和国の憲法を遵守し、法律を履行し、社会的義務を励行し、共同生活の諸規則に準拠する義務をもつ。
第三章 国会
一 内外国政に関する基本方策の決定
二 憲法の実行の監視
三 憲法の変更または修正
四 法律の制定
五 予算案の審議と確認
七 国会常任幹事会の選挙、国会休会中において常任幹事会の発布した諸法規の確認
十 会計検査院長の任命
十一 各種専門委員会の設置
第四十五条 国会は法律の定める定員数からなる代議員によつて構成される一院制議会である。
第四十六条 日本人民共和国の立法権は国会だけがこれを行使する。
第四十七条 代議員として選挙され、かつ代議員を選挙する資格は、政治上の権利を有する十八歳以上のすべての男女に与へられる。選挙権、被選挙権は定住、資産、信教、性別、民族、教育その他の社会的条件によるどんな差別、制限をも加へられない。
第四十八条 代議員の選挙は比例代表制にもとづき平等、直接、秘密、普通選挙によつて行はれる。
第四十九条 代議員はその選挙区の選挙民にたいして報告の義務を負ふ。選挙民は法律の規定に従つて代議員を召還することができる。
第五十一条 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。国会は資格審査委員会の提議により個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。
第五十二条 国会は必要と認めた場合にはすべての問題に関して査問委員会および検査委員会を任命する。すべての機関および公務員はこれらの委員会の要求に応じて必要な資料と書類を提供する義務を持つ。
第五十三条 国会の会期は年二回を原則とする。臨時国会は国会常任幹事会の決定および代議員三分の二以上の要求によつて召集される。
第五十四条 国会は代議員数の三分の二以上の出席によつて成立する。
第五十五条 法律は国会において代議員の単純多数決によつて成立し、国会常任幹事会議長および書記の署名をもつて公布される。
第五十七条 国会は議長一名、副議長二名を選挙し、議事の進行、国会内の秩序の維持にあたらせる。
第五十八条 代議員は国会の同意がなくては逮捕されない。国会の休会中は国会常任幹事会の承認を必要とし次期国会の同意を要する。
第五十九条 国会には代議員の三分の二以上の決議にもとづき解散を告示する権限がある。
第六十条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、四十日以内に総選挙が施行される。
第六十一条 総選挙施行後三十日以内に前国会常任幹事会は新国会を召集する。
第六十三条 国会常任幹事会は議長および副議長各一名を選挙し、議長は日本人民共和国を代表する。
二 国会休会中政府首席による政府員の任免の確認 ただしこれについては国会の事後確認を必要とする
四 政府の決定および命令のうち法律に合致しないものの廃止
五 赦免権の行使
六 国際条約の批准
第六十五条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、国会常任幹事会は新たに選挙された国会によつて、新国会常任幹事会が選出されるまでこの権限を保持する。
第四章 政府
第六十六条 政府は日本人民共和国の最高の行政機関である。政府首席は国会によつて任命され、首席の指名にもとづき国会の承認をえた政府員とともに政府を構成する。
第六十七条 政府は国会にたいして責任を負ひ、国会の休会中は国会常任幹事会にたいして責任を負ふ。各政府員は政府の一般政策について全体的に、個人的行動については個人的に責任を問はれる。
第六十八条 国会が政府にたいする不信任案を採択した場合には政府は総辞職する。
第六十九条 政府は次の事項を管掌する。
一 一般的中央行政事務の遂行のために現行諸法規にもとづいて決定又は命令を発布し、かつその執行を検査すること
古典文学はもちろん、歴史書や科学書、聖書にいたるまで挿絵はついていたし、中世になって印刷革命が起こるとその傾向はさらに加速した。
日本においても、王朝文学や軍記物には絵巻があったし、江戸時代の読本にも浮世絵師がイラストを添えていた。明治以降の読本も同じく。
現代では、新聞や雑誌の連載小説にはたいてい挿絵が付いているし、また言うまでもなくライトノベルが勢力を拡大してきている。
こうしてみると挿絵をまったく入れないほうが例外的に感じるほどで、「なぜライトノベルには挿絵が入るのか」よりも「なぜ(純)文学には挿絵が入らないのか」を考えたほうが良いのではないかと思えてくる。
なんで?
はてブ等で「FAXなんて過去の遺物、とっとと無くならないかな」という意見を耳にするけど、時と場合によると思う。
自分は他社との受発注業務を担当しているんだけど、FAXがあると、印刷、押印というアナログの工程を省けるから非常に便利だと思っている。
[FAX無し] メールに添付された書類を印刷→押印→スキャン→ファイル名変更→メール添付→メール送信
[FAX有り] FAXで印刷された書類に押印(→場合によっては電話1本)→FAX送信
※電話をする場合は「これからすぐFAXしますが、送り状なしで良いですか?」と聞くとたいていOKしてくれる。
社内稟議を上げる場合も見積書を印刷する手間が省けるから、楽なことこの上ない。
まぁそりゃEDIや電子印鑑使ってるような先端な職場だったらFAXはいらないかもしれませんが。
とある低年齢層向け(いわゆる女児アニメ)のアイドルアニメが好きになった。
それまで子供向けアニメというのは子供だった当時も含めて殆ど見たことが無かったが、
その濃い内容に釘付けになった。
丁度仕事もキツくて精神的にも肉体的にも限界だった時に出会ったそのアニメは、
出会うちょっと前から始めた絵を描くという趣味に彩を与えてくれた。
楽しくて楽しくてしょうがなかった。
何せ、描けば描くほど同好の方々が集まり、各々の絵を見せ合って楽しんでいるのだ。
それまでグレーだった人生が一気に色づいた。
評価されることの無い人生に、数字という形で少しずつ自分を上げてくれた。
とはいっても多くてツイッターのfavが10。絵描きとしては下の下。それでも楽しかった。
知り合いも増えて、同人誌も出した。自宅製本から印刷所へ持ち込む位まで努力した。
それとは反比例するように、あることが起きた。
孤立。
あるときを境に、それまで仲良くしてくれていた友達からの反応が一切無くなった。
理由は分かっている。
疲れるとネガティブなツイートをしてしまったり、自分の考えをポンポン言ったりしていたからだ。
きっとミュートされたんだなと、すぐに分かった。
1人2人と反応が無くなる人が増え、最終的には今そのジャンルで活動している絵描きさんからの反応が、
ほぼ一切無くなった。
一時期は頑張ってfav20くらいまで行けるようになったが、今では多くて5。
イベントでお品書き告知をしても、RTが一桁。favはギリギリ二桁。
反応の無くなった友達からは、他の人たちのお品書き告知が40,50とRTされていく。
今年の春あたりから、徐々に辛い辛いという気持ちが大きな部分を占め始めた。
絵を描くのは好きだし、そのアニメも好き。それは今だって変わらない。
今だって描き続けている。描くのが好きだ。技術を磨いて、今まで描けなかった事が描ける様になる。
楽しい。嬉しい。
そして自信作が仕上がってアップロードする。
最高に可愛く描けた!
同じくらいのクオリティでかつてfav30は行った絵も、同じジャンルの人からは総スルー。
1人で壁に向かってはしゃいでいたという事実と、
(呼ばれてないなぁ。)
そう思いながら、スっと笑顔を消して、イベントに出すための本の編集を続ける。
そういうアドバイスを受けた。もうとっくにやっている。
「数字なんて気にしなくて良い」
そういうアドバイスを飛ばす人は、絵を上げればラフであろうとポンと100fav行くような連中ばかり。
「もう絵を辞めてしまえば?」
何度も言う。絵を描くのが好きだし、作品も好きなんだ。
そして自分が嫌いになった。
どうしようも無くなって、好きに描いて、アップロードしては沈む毎日を過ごして。
絶対可愛く描けている。だから見て欲しい。見て共感してもらいたいから描いている。
誰も見てくれない。
一体どうすればいいんだろうか。
聞いたってムダだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/989697
このネタ、定期的にやってくるね。見るたびにほんとクソだなって思う、こういうこと平気で言うアーティストって。
結局、世の中の事象を表面的にしか捉えられない極めて残念な頭脳の持ち主だってのが露見するからこういうのはできるだけ見たくない。
CCCDやレーベルゲートCD(以下CCCDに統一)は、別に必要が無いのに突然作られたわけじゃない。ビジネスとしてそれが必要だと判断されたから作られた。それが成功か失敗かに関わらず、産業を護るための1つの手法として作られた。
当時、音楽の世界を猛烈な勢いで襲ってきたのは、「印刷技術の陳腐化」と、「それに伴う経済圏の破壊」だ。
音楽が、中世のパトロンに音楽家が養われていた時代から先に進めたのは「印刷」の技術のおかげだ。楽譜を印刷し、アナログレコードを印刷し、そしてCDを印刷することで音楽をお金に変えることに成功した。1つのマスターを大量に印刷し複製すること、その「印刷」が特別な技術であったからこそ、そこに金銭的な価値が生まれ、音楽を金に変えることに成功した。
マネタイズが上手くいった場合の恩恵などいまさら語ることではないと思うが、その金がさらなる設備投資を生み、最高峰の音楽スタジオを作っただけでなく、作品の多様性、文化としての多様性をも生んだ。1作品の売上で1度失敗したらすべてが終わる世界ではなく、大衆に広く伝わる音楽から、極めてマニアックでありながらしかし深く深く誰かの胸に突き刺さるような、採算を考えたら許されるはずのない作品さえも許容できる余裕が生まれた。80年代、90年代の音楽を見ればそれは一目瞭然であり、多様性こそが文化としての豊かさだというのは誰の目にも明らかだ。それもこれも、マネタイズが上手くいっていたから可能になったことだ。
この辺の「ありがたみ」を、元記事の音楽家などはきっと理解していないんだろうと思う。もっとも恵まれた時代に活動し、勝手に思うがままにできていた世代特有の傲慢さ。プラットフォームを築き上げることがどれだけ大変で、それを維持することがどれだけ重要なことか、まったく理解していないんだろう。いい歳こいてるくせに。
それらの恵まれた状況をもっとも大きく変えたのは、「家庭用パソコンにCD-ROMドライブが搭載されるようになった」ことに他ならない。その時点で「印刷」の専売特許が失われ、「印刷」が家庭レベルに落ちた。誰でも印刷ができるようになってしまった。ここでいう印刷とは、CD-Rに焼く行為のみならず、HDDにデータを取り込む、そのデータをコピーする、これらすべてがつまるところ「印刷」だ。誰でも自由に印刷ができるようになった時点で、そこに金銭的な価値を維持できるような専売性は無くなった。
それをいち早く察知したのは、アップルとグーグルだ。彼らはしきりに「おまえの持っているCDをパソコンに取り込め」とけしかけた。とにかく入れろ入れろとしきりに促した。同時に「その取り込んだデータをどうするかはおまえ次第だから知らないけどな」と、極めて狡猾な態度をとり続けた。スティーブジョブズが本当に音楽家を救いたかったのだとしたら、やるべきことは人々にCDをパソコンに入れさせコピーさせることでは無いことは彼も気付いていたはずだ。気付いていながら彼は巧みにポジショントークを繰り返し、自社製品を売り、むしろ自社製品が音楽を救うとまで言ってのけた。そして、それに音楽家たちはまんまと騙された。
音楽をパソコンにさえ入れさせれば、後はユーザーが勝手にコピーするなり、ネットにアップするなり、金も法も関係なく勝手にやり始めることを彼らは知っていて、それを積極的に促した。
なぜ彼らはそれができたかといったら、それは「彼らは音楽に投資をしていなかったから」に他ならない。制作費やスタジオ設備に一銭も出していないからだ。音楽CDプラットフォームを作ると同時に音楽制作も始めたソニーには、ビジネスを通じて音楽文化を育てる気概があった。対してアップルは音楽制作には一切触れようとしない。彼らは単に、はちゃめちゃコピーマシンと、投資はせずに回収だけするプラットフォームを作り上げただけだ。
そうやって彼らが「パソコンにじゃんじゃんCDを入れちゃって~」とやり始めた時、当然、それに抗わなくてはならなかったことを想像もできないようなら、もう一度中学生からやり直した方がいい。
コピーコントロールCDという名前が表すように、コピーをコントロール、つまり「印刷」をコントロールする必要があった。そうしないと、音楽を育むための全ての経済圏が破壊されてしまうからだ。指を咥えて待っているわけにはいかない。対策を講じなければならない。
明らかに不利な立場だった。何もしないと責め立てられ、やろうとすると「考えが古い」と叱責される。アップルやグーグルが上手かったのは、いかにも「先進的で素晴らしいパラダイスを目指している」ようなイメージをアーティストたちへも擦りこむことに成功していたことだ。その先に実際には何もなくても、イメージさせてしまえば勝ちだ。あの頃のみんなに「10年後、音楽はアイドルと大人数ホストサーカス団しか残ってないよ」と教えたらどんな顔をするだろうか。
実際にはCCCDの技術はあまり褒められるようなものではなかったし、それは作った側も認めている。技術とアイデアが足りなかったのだとは思う。しかし同時に、何もしないわけにはいかなかったこともちょっとは理解してやったらどうだ。いい大人なんだから。
当時、全てのレーベルがCCCDを出していたわけではない。人を「犬」呼ばわりするほどCCCDが嫌なのだったら、違うレーベルからリリースすればよかったではないか。契約などのせいでリリースせざるを得なかったのだったら、裁判でもやって争えばよかったではないか。制作費をしこたま出して貰って、ワガママもできるだけ聞いてもらいながら制作をしていた人間が、気分でボロクソに言うのって本当に程度が低いと思う。
CCCDは正式にはコンパクトディスクでは無い。redbookのCD-DA規格に準拠していないからだ。つまり厳密なことを言えば、CCCDに対応していないCDプレーヤーにCCCDをぶち込むのは、CDドライブにフロップーディスクをぶち込むのと大して変わらない。
ここで「だからプレーヤーが壊れたのは自己責任」などとは言いたくないし、その辺りは確かにソニーやエイベックスのやり方や啓蒙の仕方、技術には問題があった。 だが、何かしらの対策をしないといけないのは明白で、それに対して失敗したからといって上から目線でボロクソに言うのはまったく関心しない。
実際、あれからCCCDは多くの非難を浴びた。ほぼ同時期に、アップルはiTunesにまったくもってクソみたいに使いにくいDRMを自ら導入し「ほら、使い辛いでしょ?」とお決まりのポジションで言ってのける演出をし、そして業界全体が「コピー禁止やDRMはやってはいけない」という風潮になり、まんまとIT屋の餌食になった。 すぐ近所でゲームや映画DVDは「私的複製を許可するけど、鍵は外したら怒るよ」というクレバーなやり方を開発し、一定の効果を上げコントロールできているというのに、音楽だけは「複製は許さなくてはならない」という空気に飲み込まれた。そんな馬鹿な話はない。それもこれもアップルとグーグルの熱心な啓蒙のおかげだ。
そしてレーベルやアーティストは制作費が出せなくなった。 自宅で制作したような貧乏臭い音のショボイ作品しか作れず、過去の遺産にしがみつくしかなくなった。若いアーティストたちはどんなに才能があろうと、お金を掛けた制作をさせてもらえずバイトをやめることができなくなった。毎晩、叙々苑弁当を食わせてもらってた上の世代がこぞって「音楽をタダで聞かせればファンが増えてもっとカネになる!」とかいうアホみたいなIT屋の理論を鵜呑みにし業界をその方向へ誘ったがために、明らかに業界は縮小し、文化は萎縮し、これから先の若い才能は音楽などやらなくなってしまった。
おまえが良識のある音楽家たちを「犬」呼ばわりするなら、おまえはあいつらのポジショントーク、セールストークを無邪気に信じこんでお花畑を目指してたITの「犬」だろうが。 mn3
この記事を読んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160619185731
元COBOLエンジニア、現Rubyエンジニアとして増田の記事がどうしても許せなかったので反応してみる。
この記事もこんなタイトルだけど、これもやっぱり主語が大きいと思う。
汎用系の現場でもRubyの現場でも優秀な人はたくさんいたし。
今では信じられないほどの経験を当時(といっても2年前)はしていた。
改めて今、RubyというかRailsを始めてよかったなーと思う。
いやー、これが一番ひどかったな。
まず静的デバッグ(机上デバッグ)といってコンペアファイル、ソースコード、コンパイルログをそれぞれ紙出しして提出用(クライアント)、リーダー、上司用の3部印刷する。
全てマーカーを塗った後に赤入れする為にそれぞれ分けるんだ。
そしてインデントもレビュー指摘項目なんだけど、紙出しされたもののインデントが正しいかチェックするんだよ。
定規で計るんだよ。半角スペースが5ミリだったっけな。
それで5ミリずれてたら指摘するんだよ。目がつかれたよね。
っていうか品質に対する意識は今のほうがよっぽど高いし効率的だよ。
これもびっくりだよね。
専属の社員がいた。SIerなんて人を突っ込んだもの勝ちだから、上手いこと言って検証要員とかいって突っ込んだんだろうね。
ダンプがだいたい1時間くらいかけて出てくるから、それを裁断してホッチキス留めしてマーカー。
ネットは使えない。現場に入る時も持ち物チェックとかあるしな。
常に貸し出し台帳は予約で埋まっていたな。やっと借りれたのは現場離れる1週間前だったなんてこともあった。
まだまだあるんだけど、これだけでもひどい現場だったなーって思う。
そもそも設計→開発→レビュー→手戻り→設計→開発...のループだったから前に進めてないし。
Gemとか外部のコードを信じきるとか、もちろん質の低いRubyエンジニアというか現場はあると思う。
この先もっともっとブラックボックスなフレームワークを使うようになるかもしれないし、環境も何もかも全部おまかせでPaaSが主流になるかもしれない。
※本当は何をやっているかは知らない
経験年数が長いだけで水準に達してないような人がレビュアーをやっていて、コードの水準を低い方にそろえる役割しかないわ。
ブログで技術系のアウトプットをしてるような意識高い人の企業は、レベル高い人材が揃ってるだろうけど、日本の現場の9割以上はレビューできる人材なんていないでしょ。
以前増田に「今回のプロジェクトは変なコーディングルールとかなくて自分で好き勝手にやれるから、美しコードが書けてるわ」みたいなことを書いたら「嫌な予感」「コードレビューしてもらえ」みたいなコメントが付いてた。
「自分で自由にかけるから美しいコードが書けてる」って話なのに、それに対して「人にレビューしてもらえ」って、とにかくレビューさえしてれば良いコードになるって思い込みだよな。
初心者だと自分のうけてるレビューが良いレビューかどうか判断できないだろうから、見分けるポイントを書いておくと、コードを人数分印刷して、レビュアーとコーダーがテーブルを囲んで、紙を見ながらコーダーにコードを説明させてペンでチェックしながら指導するみたいにレビューをやってるところは100%ダメ。
紙なんかでなくて自分の端末で、エディターやツールを駆使してコードを調べてレビューしてるところは、ヘボでない可能性がある。
(響け!ユーフォニアムの滝先生の声で)『なんですか、これ。』
8万円。そんな金払ってなんであんなイライラしなきゃいかんの。1日目の夕方時点でイライラ通り越して惨めな気分になった。
兎に角、人を入れすぎ。会場は地下2階、それでいて会場の端から端までの導線が1本しかない。何か起きたらどうすんの。あの人数を適切な時間で混乱も無しに建物の外まで避難するとか無理ゲーだろ。60分のセッションが終わって、ちょっとトイレに寄ってから次のセッションに向かうと、もう行列できてんの。それも最前列を陣取りたい一部の人達がいるって感じじゃなくて、20人、30人ってドアの前に並んでて。人気のあるセッションだけってわけじゃなくて毎度毎度そんな感じ。A、B、Cと隣り合ってる部屋すべてに行列ができてるから通路全体が行列で占拠。しかもその通路に巨大受付カウンターが陣取ってる。朝のピーク超えたら縮小していいはずなのに、なんで?今から並んでも入れない可能性がありま~す。おいおい、可能性ってなんだよ。そうじゃないだろ。会場に何人入れるか事前に確認して入場者数カウントすれば済む話じゃん。並んで待ってやっぱ入れません。何言ってんの。1日目も2日目も始終こんな調子だからセッションが終わりに近づくと、またあの人混みの中を移動して並ぶのかって頭をもたげるんだよ。いったい何のための事前アンケートだったんだろう?
EXPO会場の入口が実質導線の片側1か所しかないから、興味あるなし以前に行くこと自体が面倒。休憩時間に覗いてみるかと思っても、なんであの距離を、それも人混みの中を歩かされるんだ?出展社から金取れさえすれば後は知らんって態度なの?余計なお世話だが出展社からすれば金ドブもいいとこじゃね?
ドリンクとドーナツ配布するのはいいけどさ、飲食スペースが無いんだよ。確か前回まではあったんだけどなんで無くしたの?ドーナツ一気に3個も渡されて、それどこで食えっていうの?片手で持って立ち食いしろって数じゃないよね。電子機器たくさん並んでる展示コーナーを食べ歩きしてよかった?サーフェス並んでるところで何かやりながら食べるの想定してた?2日目なんてセッション会場で食ってるやつ何人もいたぞ。食べカスが椅子とか床に落ちてみっともないから俺はやらなかったけどさ。EXPOから出たところにあった台の上で食べてる人がいたけど、そこも混んでるしさ。(そもそも、飲食スペースじゃないよね。)
そしてアンケート方法。なんで紙?しかも1日目と2日目が別の用紙で、2日目はその紙を受け取るためだけに朝から行列に並ぶことを強いられたんだけど。2日目も受付してくださ~いって入口でスタッフが叫んでるから並んでみたら、紙渡されてバッジに穴あけられただけ。意味がわからない。それこそクラウド使ってアンケートシステムを展開すればいいのに。そっちのほうが安い早いでしょ、アンケート用紙を印刷、配布、回収、データ化までの全体コスト考えたら。イベントは一回きりじゃないから使いまわしもできるしさ。そのくらいならちょっとやってみるかというエンジニア、関係者のなかにひとりもいなかったんだな。
そうそう、行列をカメラで撮影してたけどさ。まさか、まさかとは思うが「こんなに多くの方がいらっしゃいました。大盛況でした。」なんてキャプション付けて社内レポート、ましてや一般に公開するなんてこと無いよな? 参加者からしたら仕方なく並んでるだけだから。円滑な運営ができてないから並んでるわけだから。それこそFace APIで参加者の表情分析すると面白いかもね?
蛇足だが、ツイッター見てたら自腹で参加してるっぽい人がちらほらいたが、あの惨状からどう感じたんだろうな。セッションの内容が良かったから満足って言い聞かせるんかな。セッションの内容自体は個人的には概ね満足だった。ただ、それだけなら動画を見れば十分と思っていて、実際に会場に足を運ぶ以上、申し込みしてから会場を出るまでの体験で評価すべきと考えてる。
イベント運営会社が見ることはないだろうが、アンケート用紙のクソ小さい欄に全部書ききれないから、ここに書き殴っておく。そして次のイベントのときに見返すことにする。
朝無事に目が覚めてよかった。
パンを分解して、栄養素を取り出せる機構が備わった肉体のおかげで、栄養が取れて、動けてよかった。
うんこが液状で、血塗れでよかった。
水が飲めてよかった。
食器を洗うスポンジが、よく洗剤を吸い込んで、汚れがよく落ちてよかった。
資格の勉強をすることで、資格の本を印刷した人と書いた人と編集した人と資格の運営をしている人と表紙の絵を書いている人とそのほかの人がお金をもらえてよかった。
壁のしみを修正液で塗りつぶしたら、目立たなくなってよかった。
机に座っているとまとわり付いてくる小虫を潰すことで、動体視力と反射神経が上がってよかった。
太陽があって、そのおかげで物が見えてよかった。
地球が自転してくれたおかげで、夜が暗くなって、涼しくなって、よかった。
カラースターがなくなって、通知のメールがgmailに届いてよかった。
エンピツをナイフで削ることで、エンピツをナイフで削る能力が上がってよかった。
筋トレをやる気力がわかなくて、余計なエネルギーを使わずにすんでよかった。
燃料を燃やして、蒸気が作れるおかげで、電気がうちにきて、パソコンができてよかった。
誰とも話さなかったので、発声エネルギーを使わなくてすんで、摂取するご飯が少なくすんでよかった。
※ただし女性向けに限る
同人イベントや、その後での本の感想いらない人だけど、すごく表明しづらいよね
「感想いらない」って言った瞬間に、togetterでもコメント欄に「何のために同人してるの?」「金儲けなの?」って言われてて、うっせーんじゃボケてなる
描きたいからマンガ描いて、本って形態が好きだから印刷して、欲しいと思ってくれた人に行き渡ってるのを見るのが楽しい
立ち読みや表紙買いの反応を見て、「あの本は表紙キャッチーに作れたな」とか「あの本はコンセプトが甘かったから手にとってもらいづらいのかな」とか考えてる
本になった瞬間にもう原稿描いてる時の事は過去になって、どういう本が読んでもらいやすいのか、ひっかかってもらえるのか、次の新刊は何描こうか考えてたりする
感想いらない派の人でも、表向きは感想もらったら人並みの応対してる人が多いんじゃないかと思ってる
自分はそうで、感想いらないって言った瞬間に、こう言う風に元ツイの人のいるジャンルから対象が察せてしまうかも知れないネガティブツイをされたり、内輪で「あの人ちょっと冷たくない?」ってある程度の規模がある女性向けジャンルなら、言われるだろう事が予想が付くし
ツイッターで本当に何度も描き手には感想を送ろう!って提唱するツイが定期的に回ってくるけど、感想いらない人間からすると「そういう人もいるよね。でも、いらない人もいるんだよ!!!」って叫びたくなっている
不意にこみ上げた萌えをらくがきにしてツイッターに上げたら「すごい萌えました!」「かわいいですね!」というリプへ、どんな語彙で毎日毎日毎日感謝を込めて返せばいいのかってなっています
これは確かに傲慢かも知れないけど、例えば1日1枚、そこまで力を入れてないらくがきをアップして、10人からリプが届く生活が毎日続くのを想像して欲しい
リプを送ってくれた人が誰なのかを思い出して、以前どんな内容に反応してくれたのか、前にした会話はなんだったっけ…、そういう事を全部思い出してリプを全員に返すのを毎日毎日毎日繰り返すのしんどい
それと、認知して欲しいタイプの感想を送る方は、裏切られたと思ったときの豹変がこわいのも知っているので、扱いがこわい
萌えで癒やされたくて自給してるはずなのになぜコミュ障は家に帰ってまで苦しむのか。嘘がつけないし、その場のノリで気の利いた事は言えないし、そして何よりもめんどくさい
既にやり取りがある人からの差し入れならお歳暮みたいな物と思えるけど、名乗らない人の差し入れは本当に困る
名乗らない人からの差し入れが本当に多い。甘い物好きじゃないのもあるけど、差し入れ頂いて「(差し入れを買いに行く手間掛けて、喜んでくれるだろうと思っているだろうし)ありがとうございます。すみません、お名前聞いてもいいですか?」「いえいえ、名乗るほどの者じゃないです…!」っていうお決まりの会話をされると、照れは分かるけども、受け取る側は、誰とも知らない人に渡されたお菓子を段ボール箱に詰めて、場合によっては差し入れだけで段ボール1箱分の嵩になって、スペース離れて新しく段ボール買ってきて詰めて、クロネコかゆうパックの長蛇の列に並んでまで宅配搬出して自宅へ着払いで送付しないといけないの?なんで?と言う気持ちになる