はてなキーワード: 冬休みとは
俺には1つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から仲が悪かったし、もう15年くらい顔を合わせていない
兄は陽キャだが自分は陰キャだったためか、まるで好みや性格が合わなかった
喧嘩も絶えなかった、といっても以下のように一方的なものだけど…
小学生のとき、父親から買い与えられてた月間漫画2種のうち面白い方を、兄が突然俺のだと主張し、読むなと言い張ってきた
それでもこっそり読んでいたのだが、うっかり見つかるとブチギレられて、俺は一目散に鍵のかかる部屋に逃げ込む
すんでのところで間に合ってドアに鍵をかけると、兄は罵詈雑言を浴びせながらドアを壊す勢いでこじ開けようとする、すると祖母がやってきて30分くらいかけてなだめる
というのを100回くらいやった気がする
また中高生の頃、兄の買った漫画をこっそり読んだり、(兄にゲーム機本体を占有されていたので)自分のゲームソフトで遊ぶために兄の部屋に忍び込んでたところを見つかってキレられ、逃げ出す、というパターンもあった
(俺には自分の部屋を与えられなかったし、漫画を持ってなかった、だが欲しいとも思わなかった)
兄は大学卒業後正社員になって、結婚して子供もいて東京で暮らしてる
俺は兄より断然偏差値の高い大学に進んだけれど、その頃から人間関係がうまくいかなかったり、勉強のやる気がなくなったり将来への不安から、引きこもったのち実家暮らしで派遣の工場作業員として働いてるわ
親の庇護下にあったときは、勝手に人の部屋に入るコソ泥みたいなやつなのに何のお咎めもないため、俺は兄から憎まれていたし疎まれていた
俺は反抗期がなく良い子だったが、兄は中高生の頃は反抗期真っ盛りで母親とよく口論する悪い子だったと言える
だが大人になったら俺は駄目人間で兄は立派な一人前の社会人になったんだ
死にたくなるし、兄に対して(社会に対してさえ)憎しみが沸く
兄はきっと、昔と今を比べて、胸の内でガッツポーズを取っているだろう、いや、あまりに格下の存在に対し比較することさえないかもしれない
トラウマなのか都合の悪い事実もあってか、兄についての記憶は今まで思い出すことがほとんどなかった
だが暇さえあればネットに齧りついてる俺にとってこの冬休みはあまりに暇で、ふと書き出したくなったのだ
にしても、祖母や両親はいつも兄を宥めたりするだけで、俺や兄を叱ったり、何かしら対処したりということをしなかった、事なかれ主義なんだな
兄は癇癪持ちだったし(今は真人間らしいのが不思議で悔しくてならない)俺は偏屈だし、教師である父親はアスペの毒親だし、同じく教師だった祖母も毒親だった…母親はいくらかまともだが、父親の愚痴を俺に吐き出してくるので困る
家族全員歪んでる気がするよ
祖母の善人のような振る舞いが子供ながらに信用できず、小学校から帰ってきたとき出迎えてくる祖母が、もしかしたらルパンのように巧妙に変装した強盗かもしれないと妄想し、怖かった
後々になって聞かされたが、嫁である母には当たりがきつかったようだから、警戒しておいて間違ってなかったと思う
小1の頃の祖父の葬式ではワンワン泣いたのだが、高1の頃の祖母の葬式では一滴も涙が出なかったし、出す気もしなかった、それを陰で親族の人に指摘されたのが耳に入ったっけ
過去のトラウマに向き合わなければ救われることはないだろうが、普通の家族関係がわからないから、今振り返ってみても何がおかしいのか自分でわからない
こうして言葉に表すのも、子供の頃の記憶というのは妙に客観的に捉えづらくて難しい
向き合うにしたって、心が苦しくって中々できるもんじゃないね、頭を巡らせているうちに何を考えていたか忘れてしまうのも厄介だ
生きていたって何も良いことがない、そればっかり心の中で繰り返している
好きだったコンテンツが嫌いになるだけの話です。
嵐の二宮くん、KAT-TUNの中丸くん、Hey!Say!JUMPの山田くん、SexyZoneの菊池くんという、ジャニーズ事務所所属のアイドル4名によるチャンネルだ。
登録者数291万人の人気チャンネルなので、ご存知の方も多いかもしれない。
自分の推し(ジャニオタ用語では担当というが、わかりやすいので推しと表記する)が出ているわけではないが、4人のゆるい雰囲気が心地よく、更新されるたびに見に行った。チャンネル登録もして、高評価も毎回押していた。
そんな私の気持ちが一変したのが、12月23日に投稿されたひとつの動画だ。
初めて書くのでリンクが貼れてなかったらすまん。
内容を説明すると、メンバーがブルブル震えるマッサージマシンの上に乗ったまま誰かに電話をし、どこまで通話相手にバレずにいられるか、というものだ。
震える声で電話するメンバー、戸惑いながらも通話を続けてくれる相手、そんな相手の反応をニヤニヤ笑う残りのメンバー。
通話相手は泣いてるの?とか、寒いんですか?とか心配してくれてるのに、それを笑い者にしてる感じがもう本当に無理だった。
本人たちはご満悦な様子で、最高、またやろう、と言っているし、あるメンバーは公式の有料ブログでも伝説の回とか書いてしまう次第である。
すべての人が満足するエンタメは作れない。
この動画だって他の視聴者はおもしろがっていて、最近更新された動画の中では視聴数も多い。
ただ私は無理だった。
わわわわ~
わわわわ~
クロちゃんです!
わわわわ~!
なんか急に寒くなってきてダウンジャケットを無事実家から持ってきて着込んだところよ。
もう1日遅かったら冬の寒波に乾杯出来なかったところだからパーリーに間に合ったわ。
3つを目標に掲げ頑張っていきたいと思うわ。
季節の順番で言うと夏よりも
秋の次は冬!って感じなのよね。
ゆっくり長期休みの時は温かい鍋でもしっぽりいただきたいところよ。
もうさー
矢野顕子さんの
シチューを食べる歌
ラーメンを食べる歌
ご飯が炊けた歌
お腹が空かないわけないじゃない。
ところでさー
ふと駅の待合室でコーンスープの香り高くコク深く不意に突如漂う
キンモクセイの香りの次にコーンスープの香りだと思うんだけど、
コーンスープどこで売ってるのか私は知らないのよね。
みんなそれどこで調達しているのかしら?って思うほど
パブロンの犬のように
早めのパブロン!って風邪の引き始めに優しくそっと竹下景子さんばりにパブロンを渡してくれない方の
食欲がコーンスープの香りのせいでひしひしと湧いてくるのよね。
そこをガマンして次セントバーナード犬が雪山で救助の時に首から下げていて遭難した人に与える度数の高いお酒が入っている入れ物のそこの中にコーンポタージュスープが入っていたら
きっと遭難した人も温かいコーンポタージュスープをいただいて復活し下山できること請け合いよ!
みんな本当にどこからコーンポタージュスープを持ち込んでくるのか不思議よ。
沸いて出てくるわけでもあるまいし不思議ね。
でもさー
あの冬の雪山遭難救助セントバーナード犬の首からぶら下げている容器の中に何を入れたら面白いか大喜利とかって考えてみるとワクワクするわ。
でもそもそもとして
いまでも雪山遭難救助セントバーナード犬ってスイスとかにいそうな気がするけど本当に存在するのかしら?
あれは都市伝説なのかな?って
雪道で遭難したときにヤマザキパンのトラックがやって来てみんなに物資を配るって幻想ぐらい
その刷り込みは全てアルプスの少女ハイジなのかも知れないわ。
だってなんか大きなセントバーナード犬風な犬って登場してるじゃない。
あの犬種のような気がするけど、
みちょぱのヤギ版とでもいいそうなほど、
ポップなのよね。
そんでいろいろと気になって調べてみたのよ。
よくご飯お茶碗山盛りてんこ盛りフードファイターが食べる並のご飯茶碗の昔話のアニメでも出てくる牛とか馬とか出てくるじゃない。
それで名前が「アオ」って
ネコなら「九十九里浜のミケ」犬なら「大洗海水浴場のポチ」みたいに
それでなんで牛さんとか馬さんが「アオ」って呼ばれているのか
結局見付からなかったわ。
ジッさまが牛さんや馬さんにアオって層読んでる絵本は五万とざっと五万冊ぐらいあるのに、
その由来の文献が意外とないのよね。
それでいろいろな文献を漁っていたけど、
山岳救助隊に所属する犬のセントバーナード犬のことも載ってなかったのよね。
あれもきっとお菓子の家のような絵本の中だけでの話しだったのかしら?
あと、
熊が鮭咥えてる意匠の事も調べてみたけど
あれの由来というか木彫り熊鮭のルーツも知りたいわね。
意外とあれもう見かけないし
そう言った木彫り熊鮭扱ってる民芸品に行って
何か紙切れが飛ばないような文鎮的にも使える
頃合いのいい木彫り熊鮭がないかなーって思うし
きっといつか出会える木彫り熊鮭の事を考えると
すっかりもコーンポタージュスープの香りの出所を探す旅のことも忘れてしまっていたわ。
逆に熊が鮭咥えて持ってきて助けに来てくれても
すかさず寝たふりしてやり過ごすしかないけど
もう寝るのか起きるのかどっちかにして!って感じよね。
そんな北海道からのお土産の木彫り熊鮭クッキーを食べながらそう思ったわ。
木彫り熊鮭クッキーなかなか美味しいわよ!
きっとコーンポタージュスープと一緒にいただいたらもっと美味しいはずよ!
うふふ。
なんか朝だけ突発的に立て込んでいて忙しかったので、
にしました、って言うよりそれしか頂けなかったってところがいただけないわ。
ぺこぺこのぺこだわ。
お昼は食べ損なった朝のおにぎりを頂くわ。
私いいこと思い付いたんだけど、
北海道のキャラクターでマスクメロンとクマのキャラクターってあるじゃない
メロン熊って言うらしいけど、
あれの鮭版シャケ熊を合体させて作っても可愛いかも知れないわよ。
たぶんそれKIRIMIちゃんみたいな熊になりそうだけどね。
可愛いと思うわ。
葛飾北斎の椿と鮭ってあの絵も私グッときてTシャツ買っちゃったぐらいだしね!
やっぱり鮭って可愛くて美味しいのよ。
朝寒いので
とりあえず温かいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まあ、それ自体はどうでもいいのだが、どうにもその目的が「自分が思ったことを書けるようになりなさい」とのことだった。
だって、現代日本で「思ったことを書く場面」って存在しなくないか?あくまでピュアな視点だが。
読書感想文なんてのはちょっとませた子供なら「読む大人が望む文章を書く」課題だということに気づいているじゃん。
社会において、自分が感じたこと、思ったことをそのまま表明する場面ってなくない?
SNSなんてのはワンチャンバズってチヤホヤされるだとか、いいねやRTやブクマ稼いで承認欲求稼ぐためのツールじゃん?
アニメや漫画の感想をブツブツ呟いてたり書き込んだりしてるやつらってみんなそれが目的なわけじゃないですか。
もっと「相手からレスを貰うため」みたいな微弱な動機かもしれんけど、
どうあがいても「ウケ狙い」からは逃れられないよね?
読書感想文だって言わば国語の先生相手の「ウケ狙い」の文章なわけだしな。だから別に読感文自体が不必要な宿題だとは思わんが。
そしたらもうさ、「思ったこと」なんてものからはどんどんと離れていくのは必然的じゃん?
このアニメ面白かった!この映画面白かった!なんて本当に思ってるわけないじゃんね。
むしろ自他の感情を上手い事言語化したような文章を作り出す選手権なわけじゃん。俺が得意なやつな。
てか娘が読んでいた若年層向けのキャピキャピ雑誌でも、「SNSに思ったことなんて書いちゃダメ!」とカリスマギャルが書いているレベルで「SNSで思ったことは書かない」なんてのは常識だ。
話を戻す。
もっとオフィシャルな場面、入試や就活で書く『志望動機』だの、会社で書く『所感』だの。
そんなもん自分が思ったことを正直に書く馬鹿なんて1人もいないわけじゃん。
私小説作家にでもなるんか?でも私小説作家だの純文だののやつらだって読者受けを考えてる以上「思ったこと」なんてのを純粋に書くわけねえんだよな。
日常でも思ったことを書く場面なんてねーよな。家族や親戚にメッセージをよく送るけど、思ったことなんて書いたら間違いなく離婚やら村八分案件になるじゃん?
もうテンプレな文章でそれっぽい感謝のメッセージ書くマシーンと化すわけじゃん。
これから二週間後にはバチバチ送り合う「明けましておめでとう」だの「今年もよろしく」だの、そんな文章と同レベルに感情なんざ籠ってないわな。
現にこの俺の文章だって俺が純粋に思っていることや考えていることを書いてるわけじゃないしな。わかるだろ?
逆に聞きたいんだよね。
「思ったことや感じたことを文章にする」なんて能力本当に必要なのか?
冬休みの寒い日。近所の駄菓子屋さんに兄妹3人分のアイスを買いに行った。バニラのソフトクリーム。
田舎のまっすぐな道。アイスが溶けない距離。失敗しようがないコース。
3人分ケースから選んで、小銭をお店のおばあちゃんに渡して、ここまでは完璧。あとは帰るだけ。
そこに難敵が現れた。駄菓子屋の、放し飼いにされている犬、ユキだ。
その日のユキはアイスを狙っていた。後をついてきて、袋にまとわりつく。無視しても前に立ちふさがる。なんだか怖い……。
この状況を打開する作戦として思いついたのが、アイスをひとつ犠牲にして、あげてしまうこと。ユキが食べている間に逃げ切ろう。
フタを外し、ユキにソフトクリームをあげる。予想したとおりベロベロ舐めている。今のうちだ。そーっと歩き距離をとる。
ところがである。ユキはひとつを食べ終わる前に、走ってきて、また前方でハァハァしてきたのだ、え、食べ終わってないのに。ずるいよ。
ここで思いついたのが、アイスをもうひとつ犠牲にすること……。これで最後だよ? パトラッシュ。
とにかく時間を稼いで、帰路を急ぐ。
と、ところがである。二度あることは三度ある。ユキはまたしても、前をふさぎ、最後のひとつをほしがるのだった。
パニックである。もうしょうがないのである。最後のひとつをあげるしか手段は残されていない。
そのあとの記憶はあいまいだ。とにかく泣きながら逃げて、顔をぐしゃぐしゃにして、おとうさんとおかあさんに一部始終を話したような気がする。
こうして、はじめてのおつかいはしっぱいに終わった。駄菓子屋さんの飼い犬に300円分を回収されるという、苦い思い出だけが残った。
たまに帰省すると田舎の景色はまったく変わっていない。でも人は減って、空き家か増えた。駄菓子屋さんはもうないし、ユキはもういない。
①中学受験
もう後がないと言う試験でゾーンに入り奇跡的に難関進学校へ合格。
鉛筆の音ふくめ周りの音が一切しなくなった。
存在をわすれていた4000字×2本のレポートをゼロから10時間で書いた。飲まず食わずで気づいたら夜だった。
当時の先生が鬼のように怖く、一音でもミスれないという状況。極度の緊張状態で頭が真っ白になりそうだったが過集中に入って気がついたら弾き終わっていた。
優勝したが先生が怖すぎてやめた。
④就活
どうしてギリギリにならないとやれないのか流石に鬱になりそうだった。エントリーシートは全会社通ったが面接でほぼ全て落ちた。
⑤卒論
計画性とかあるわけないんだよなぁ
⑥単位
193単位取らなくてはならなかった。
過集中だけは自信があったのでまあやれるだろうと思い教務課の反対を押し切って履修した。
2週間で13本くらいレポートを書く羽目になったが過集中を使えば楽だった。
⑦マフラー
冬休みの課題だったがコツコツ編むなど無理だったので、10時間ほど飲まず食わずで編み続けて完成させた。
この話は来日したばかりのころ、先輩の在日中国人たちによく聞いた。
日本食から離れられなくなるなんて?!と、とても信じられなかった覚えがある。
実家で母が作ってくれた家庭料理を、とんでもない速さで一掃した。
姉はそんな私の様子を心配そうに見て、「とても先進国から帰ってきたと思えない、まるでアフリカかどこかの貧しい国から帰って来たようね」と言った。
そのとき私はとくに反論もしなかったが、心の中で「中華料理に飽きるわけがないだろう!」と考えていた。
出張で中国に戻ると、わずか1週間ほどで中華料理に飽きてしまい、日本での食生活が恋しくなる私がいた。
ここで私が言う日本食とは、懐石料理などの類ではなく、ごく庶民的なものだ。
朝飯は駅近くの松屋でソーセージエッグ定食を頼みたい、ミニ豚皿の小鉢を選んで、半熟の目玉焼きと焼きノリを一緒にごはんにかけて、少しショウガをのせて、混ぜて食べたい。
昼は会社近くの定食屋で、「私の定番」魚塩焼き定食を注文する。
春はサワラ、夏はうなぎ、秋は秋刀魚、冬はサバ…もちろん、大根おろしと味噌汁も欠かせない。
こうしてお昼の定食で、四季の変化を素直に味わうことができる。
夜は同僚たちと仕事の話をしながら「とりあえずビール」、そして焼き鳥。
帰りに小腹がすいたら満員電車から降りて、帰宅途中にある古いラーメン屋さんで、ネギのたっぷり入った豚骨ラーメンを1杯。
これは1日よく頑張った自分への最高のご褒美だ。
そんなことを妄想しているうちに、中国出張に同行している日本人の同僚は、マーボー豆腐をご飯にかけ、おいしそうに食べている。
「本場のマーボー豆腐は日本の味と全然違うね!スパイスが効いていて日本人にはちょっと辛いけど、たまらないな!」と言う。
「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラの一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」
日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。
そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。
ある日彼は
「お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」
と口にした。
『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』
となっていた。
その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。
『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』
と。
そして本番が始まった。
・小芝居
・組体操
・一輪車
・クイズ
・モノマネ
などの芸を次々と披露していく。
『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』
と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。
『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』
そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。
「Aくんがまだ残ってるよね?」
「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」
「Cくんやった?」
何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。
「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」
私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。
これが意味する所は、
『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』
である。
「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」
なるほどね。
それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。
教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師と場所を入れ替わる。
見えない……。
とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気をクラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。
元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。
そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。
「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」
一週間ごとの晒し上げタイムが定番となったまま冬休みへと突入していった。
もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。
「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」
もちろん、何もない。
私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。
『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』
という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。
だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。
今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。
季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。
卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。
『まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』
と思いながら教師の話を聞いていた。
話が頭に入らない。
隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。
この話はここで終わる。
ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたときの空気は今でも忘れられない。
ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。
それを使って大学時代はコンパをし、社会人になってからは飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。
なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。
隠し芸文化はクソだ。
以上だ。
オチはない。
小中学生の頃は特段ユーモアセンスがあるわけでもスポーツできるわけでもないけど、そかそこ勉強ができるからクラスではなんとなく上の方でも下の方でもないグループに属してて、
高校生くらいになってちゃんと化粧を覚えたくらいになると自分の強みはわかったようなわからないようなままのほほんと過ごし、3年の間にまあ1人か2人の男から告白されて、
高2の冬休みに告白してきた同じ図書委員の同級生と地味ながらも初々しい、それはそれで青春青春した青春をちゃんと謳歌するんだ。
その彼とは別々の大学進学してもしばらく続くんだけど2年の初夏くらいにお互いの大学生活が忙しくなっちゃって別れちゃう。大学ではサークルとかバイト先の先輩に好意を寄せられることもあったりするんだけど、結局、勉強もちゃんとしてるけどバランスよくサークルや学外活動もしてる学科の同級生を捕まえて、
大学生の小娘のらしくサイゼリヤの安ワインとドリンクバーでカクテルもどきをつくってだらだら夜遅くまでしゃべりこんだり、鬼怒川とか熱海のお手頃ホテルで夕食のバイキングをおいしいねって言い合いながら食べて温泉上がりに卓球したり、年相応の人生経験を積むんだ。
大学の偏差値はそこそこいいから手取り22万くらいの安定した公務員になるんだけど、
人生設計は同じくらいの稼ぎの男と結婚できてもなにがあるかわからないし、そこそこ資産運用の勉強をしてiDeCoやつみたてNISAもするし転職はともかくスキルアップになりそうな法律系の勉強もする。
今月の貯金なんて気にしたくはないけど1000円超えのおしゃれカフェのランチはちょっといいことがあった時にして、海外旅行はうまく長いお休みが取れたら年1回くらいは行けるようにがんばるんだ。
稼ぎや貯金が少ないから結婚できないなんて概念とは無縁とはいえないけど、まあまあ友達もいるし孤独に怯えることはない。米国株の暴落や円高は嫌だけど、資産形成は積み立てがメインだからまあ安く買えるしって思って焦らない。
自転車で業務スーパーに行って冷凍野菜を大量に買い込むなんてチンケなことはしないけど、近所のスーパーは2,3軒見比べてから買い物する。
そして自分の若さの強みも弱みもしっかり理解してるから27前後になるとちゃんと真面目に大学時代から付き合ってきた彼氏と結婚しようかって相談するんだ。
20半ばで見た目もそんなに悪くないとしても若さなんてあっという間になくなっちゃうんだよ?顔がめちゃくちゃ良いというわけでなくて金もスキルも人並みだけど知恵という誰でも真面目に取り組めばどうにか持てる武器で人生乗り切る気満々だよ。
そんで大学時代に捕まえた173cmで旧帝卒で大手メーカー勤務の堺雅人似の男と結婚するんだ。
学生時代から勉強が好きで大してイケてはいなかったけど、社会人になっても自分の好きな仕事に没頭してるからあんまり私以外の異性に興味がないんだろうなって感じの人。
遊びなれてないし私の前に付き合ったのも数人って感じで浮気はしなさそうな誠実な男性。彼は結婚するとちょっと気が弱いけど妻の頼みだったらちゃんと話を聞いてくれて子供にも優しい素敵な愛妻家になるんだ。
勿論結婚してももちろん働き続ける。時代にだろうとなんだろうと子供を入れられる保育園が見つかり次第キャリア復帰して絶対に自分も稼ぐ。
お姉ちゃんの方とは友達みたいな関係で、小学校中学年くらいになるとたまのゆっくりできる休日に2人で市の体育館に行って一緒にバドミントンしたりするんだ。
弟の方はちょっと頼りなくて人見知り気味なのが心配だけど夫に似て頭が良くてとっても優しい男の子。勉強は苦手な科目もあるけど、苦手なことにもちゃんと取り組む自慢の息子。時々ちょっと生意気なことを言うけど男の子だもんね。
んで全然足りない時間の合間をぬってちまちま育てて、狭い自宅のバルコニーからちょっとの間だけ部屋に持ち込んだ盆栽を子どもが寝静まったあとに夫と眺めながら少しだけお酒を飲んで承認欲求を満たしまくるんだ。
そしてママ友との関係は割と良好でできるだけギスギスしないようにのらりくらりとうまく面倒事をかわしながら仕事と家庭を両立するんだ。
来世ではそんな人生を歩みたい。
どう思いますか?
クソ老害が将来の老害と一緒にイキって怒鳴り散らかすだけの祭は何なんや
怪我人は出るし物件に被害も出るし人集まってきてウザイしあんなん見て何が楽しいんや
岸和田の若者たちの名誉のために一言(こんな良いこともしています)
毎年 学校が冬休みになる頃から各町の青年団には年末の夜警(火の用心)という地元ボランティア活動があります。日頃は大人の言うことなど、なかなか聞かない若者たちですが岸和田には、まだまだコワ~イ大人がたくさんいまして不満げにしている若者たちに「コラッおまえらゴチャゴチャぬかしとったら、だんじり曳かせたらへんゾッ!」この一言で少々ヤンチャな若者たちも「ハイッわかりました!」、何を言われても「ハイッわかりました!」、多少ムチャなことを言われても「ハイッわかりました!」・・・・みんなイイヤツでしょ!
とかドヤ顔でHPに書いてるけど時代錯誤感がヤバすぎて死ぬ 昭和か?
コロナで無くなりゃ良かったのに
まあ、「なにゆえ勉強が必要か?」という問いを本気で考えている子供は頭が良くて成績もよいから心配しなくても良い。
少し考える力がある子はそんなことを考えてはいつつも、周りのヤベー連中を見渡した時に、とくかく勉強しねーのヤベーわ、って気が付くからだ。ソースは俺だ。
俺が小中学生のカテキョーやって気が付いたのは、まじで勉強嫌いの子供が多いって事だ。
いままで100人ぐらい見てきたけど子供の9割は勉強嫌いで、その内半分ぐらいは「超」勉強嫌いだ。
俺:「よし、じゃあこれ解いてみ」
子:「問3ね、わかった」といいつつ、1分間ぐらいボーっとしている。
俺:「手とまってんな、まず全体の個数があんだろ・・」
子:(よっしゃ、説明始まったぞ、これで勉強時間消費できるわ)と思ってるかの如く、ノートの余白に悟空の絵を描き始める。
こういう子供も一丁前に「勉強なんかする意味あんの?」みたいなことを言うけど、こいつらは勉強中にこういう質問を親とかカテキョーにしてくるんだよ。
つまり、その目的は勉強時間を少しでも減らすこと、勉強以外で時間を消費するためにこういう質問をして勉強から逃れようとする。
まあこいつらも冬休みに入るぐらいになるとカリカリやりだして、親なんかはようやく真剣に勉強しだした姿を見て感動するんだけどね。
運良く早慶の某文系学部の首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。
私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。
思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験はロト6。(マークシートの場合)
元々高3の夏まではマーチに指定校推薦で行こうとしてた。(高校の偏差値が高くなかったので早慶の指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。
浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったから受験勉強は全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校が休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。
寝不足でセンターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲのバレンタインイベを完走するなどした。
その後模試感覚でマーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。
その後1,2週間があき、早慶の受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚で受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。
そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部の赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題は平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカで勉強不足の私には難しかったから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシートと記述混合)
そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることなく予備校にも行かずに何故か早慶入学。模試も高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。
その後ちゃんと卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校の偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度。単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌とにらめっこ。
長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的にしたことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。
とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭は必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。
(追記)
首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。
先日生まれて1万日を迎えたので経歴を整理してみた。見てコメントくれたら嬉しい。
フェイク少な目なので、あ、あいつかもしれないと思ってもそっとしておいてくれ。
滑り止めで受けた琉Q大学に進学。
二つは3ヶ月でやめ塾のバイトを始める。
彼女ができるもすぐ別れる。
札幌と沖縄の環境の違い、彼女、生活環境等コンプレックスの嵐にさいなまれる。
21歳 大学3年生
ツールド沖縄で完走できたら好きな子に告白しよう(キモイ)としたものの
冬休みに一ケ月の男二人で東南アジアバックパッカー旅行をする。
ゴーゴーガールと仲良くなる。
22歳 大学4年生
かろうじて卒業。
25歳 社会人3年目
業務的な負担は少なく、伸び伸び会社勤めをし、悠々自適に過ごす。
26歳 社会人4年目
上記の彼女と将来の結婚を約束するも彼女が勉強のプレッシャーと
ちなみにここで株を始める、が苦戦。
27歳 社会人5年目