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はてなキーワード: 仏教とは

2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

豆腐に代わるメシがなさすぎて困っている

豆腐である。あの「風立ちぬ」で本庄堀越二郎に向かって「たまには肉豆腐でも食え」と言ってはガツガツと食べていた肉豆腐である定食で食べてもウマいが居酒屋で酒とともに味わうのもたまらない。そもそも日本人大豆タンパク質を取ってきた。平安時代には仏教とともにインドから乳牛や乳製品も入ってきてて貴族たちはチーズヨーグルトを食べていたと聞くが、武士たちは大豆を食べ続けたという。肉豆腐もその旨さは肉にはない。肉の味が染み込んだ豆腐が旨いのである豆腐だけではない、一緒に入れたしらたきやえのきに染み込んだ味もたまらない。とにかく肉豆腐がうまくてたまらない。この1ヶ月でもう3回くらい作ってる気がする。

うちではこのクックパッドにあった無水調理レシピを使わせてもらってる。実際にはこの倍量を一気に作ってるが、好評すぎて翌日にはだいたいなくなってしまう。

https://cookpad.com/recipe/6857584

うまいだけの話ならたまに作ればいいだけである。肉豆腐有用性は味だけにとどまらない。ホットクックに材料を放り込んで煮ておけば簡単に作れてしまう。大量に作っても保温しておいたり温め直しをしたりして1〜2日平気で食べ続けられる。メインのおかずとしてもすばらしいが酒のツマミとしてもすばらしい。なんならご飯にかけてタマゴでも落とせば肉豆腐丼の完成だ。朝から夜まで肉豆腐で大満足である。つまり土曜に仕込んでおけば日曜日は一切料理しなくても平気ということである。あゝすばらしき完全休養日。

なんなら温め直さずご飯と一緒に炊き込んでしまうのもアリだ。

最近ハマってるメスティンで炊き込んで、蒸らし時間生卵を落としておけば10〜15分後にはいい感じの半熟卵になる。とろりとした黄身にからめて豆腐や肉を食べると、あまりの旨さに朝からテンションが上がる。

問題は、ここまで有用料理が他にないことである

  • ホットクックでほったらかし調理できる
  • そのままホットクックで温め直してもおいしい
  • おかずにもつまみにもなる
  • 野菜キノコ類も一緒に取れる
  • 冬場に食べても体が温まる
  • 夏場に食べてもおいしい
  • たくさん作って日曜日を完全休養日にできる

うまいからといって毎週のように作っててはさすがに飽きも来る。こういう条件を兼ね備えた料理があと3〜4種類は欲しい。ホットクックが便利すぎるのがいかんのだが、まあ慣れてしまったものは元には戻れない。

こうした料理、他になにかないものだろうか……

2024-01-16

anond:20240116173207

それは苦しいね

空気を読むには非言語コミュニケーションが大切なのかも知れない

あと仏教八正道正語(傷つける言葉を使わない)がある

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2024-01-10

anond:20240110181052

仏教のいう四苦は生老病死、苦の初めが生きるなので千年以上前から人類はそれに気が付いてたよ

2024-01-09

龍を守護獣としている戦国武将ってぱっと思いつかないんだよな

一応「越後の龍」がいるが……

上杉謙信が崇拝していたのは毘沙門天であって龍ではない(本当に?要調査

龍造寺だって龍を信仰しているわけではない(本当に?要調査

幼名が「龍王丸」の武将もいるけれど、別に成人後に龍アッピールしてるわけでもない

元寇神風も龍の気配がない

神風神道由来の概念

一方で、龍も風雨を操るとされるから「龍が風を起こした」と書かれた文献がひとつくらいあってもいいだろうに

元寇で吹いた強風が龍の仕業ではなく神風とされたのは何故なのか

いや、書いておいてなんだがなんとなく想像はつくがね……

龍は中国……特に中国皇帝のシンボルなので、日本側が龍に助けられたとすると都合が悪かったのだろう

元側の兵士の鎧に龍の意匠が描かれているのも傍証

ここらへんの話は「神国思想」について調べるのがよさそうか

だいたい昔の日本において龍は寺院……つまり仏教と紐づくものなんだ

龍の字を冠する寺院が何と多い事か

(前述の龍造寺氏は龍造寺村という地名由来でそう名乗っただけらしい)

仏教には「龍王」がいるから、これを守護神とした僧兵かいたのかな

じゃあ「僧兵 龍」でぐぐってみよう

……

《龍鐘の僧兵/Dragon Bell Monk》というMTGカードがひっかかって調べるのが大変そうなので今日はここで終わり

日記

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龍はあくま瑞獣であって、信仰対象は仏になった?

蛇/龍信仰では人の姿を取らない相手信仰対象としていたが、時代が下るにつれて龍の属性を持った仏を信仰対象とするようにした……といったところか

不動明王と龍には関係があるようだ

不動明王信仰していた戦国武将ならたくさんいるだろう

『龍の世界』(講談社学術文庫)

『龍の起源』(角川ソフィア文庫)

上記二冊をkindleで入手し読書

もともとは幻想生物はいつまで実在が信じられていたかを調べるために読んでいたのだが、どんどん興味の対象が発散していく

2024-01-08

仏壇火事と老人をめぐる問題

実家仏壇を80代の母が管理してるのだけど、消火器への抵抗感がすごい。

家屋自体地区半世紀の木造で耐火もへったくれもないので火事になるとアウト。

なのに、おれが買ってきた消火器屋根裏部屋とか倉庫の置くとかに仕舞おうとする。

いやいや、火災時に誰でも対応できるように目立つ場所に置くもんでしょ、1階で火事が起きてから屋根裏に取りに行くとか無理でしょ、

などと説明してもゴチャゴチャと言って、帰省する都度消火器しまい込まれている。

トータルで、仏壇ってろうそくや線香を使うのに可燃性だし、高確率で老人が管理してて火災リスクが高い。

仏教界とか仏具界はなんらかのアクションを起こしてくれないか

自己消火性仏壇とかスプリンクラー付き仏壇とか。

2024-01-06

anond:20240106132630

独り身で都会に住んでると共同体感覚を失いやすいので正月お盆に会う程度の割り切った親戚付き合いならいいよなって思うけどね。

もちろん依存ズブズブのウェットな関係はやだけど。

あと仏教もいわゆる檀家制度仏教にはまるで興味がないけど仏教自体は、心に平穏を与えるためのメソッド程度な意味で役立つもんだと思ってる。

2024-01-05

異世界ジャガイモとか仏教由来の言葉は許してもいいけどフェンリル種族名)だけは許さないよ 俺は

それは北欧神話におけるロキの息子の一人だよ

2024-01-03

anond:20240103130226

これぞ上座部ジェンダー仏教

男どもはこういう時に日頃の行動を反省するがいいよ

2024-01-02

anond:20240102133217

さらに遡れば戦前革新右翼だってそうだし

幕末維新テロリストだってそうだし

政治じゃない仏教宗派の抗争にもこういう連中が関わってるし

つの時代にもいるんじゃね?基本は性格だろうね

2023-12-30

anond:20231230110802

人間健康とき健康のことを意識していないよね。

健康から健康のことを考えるんだよ。

第一人間病気老化そして死を免れることはできない。仏教ですよ仏教

2023-12-29

anond:20231228235607

いいえ、間違いです。

醍醐味五味の一つですが、この場合五味仏教五味であり、

  1. 乳味
  2. 酪味
  3. 生酥味(しょうそみ)
  4. 熟酥味
  5. 醍醐味

の5つとなります

よって嘘増罪により地獄行き確定ですゾ!!!!!

2023-12-27

クリスマス終わったね(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

あれ!旦那に襲われないまま

終わったけどw

はぁ?いいんて、

我が家仏教から

正月暑い夜なんて!

って、ボコボコに凹みながら

昨日、旦那

はいじけたから寝るって言って

9時に寝ましたw

なんせ、旦那も私も40代なので

日中疲れると、

夜のパワーが下半身に行かないわけで

昨日はお仕事頑張ってくれた

旦那感謝です♡

で、これから登校拒否軍団

通知表宿題もらいに行ってきます

(о´∀`о)🎵

本日旦那

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

唐突10年前のカンボジア旅行について記す(12/27追記修正済)

10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行カンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である

最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。

●経緯

なぜカンボジアに行くことになったのか。

当時、従兄弟カンボジアビジネスをしていて、その従兄弟夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである

しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。

入国

カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟ビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人スピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。

アンコールワット

次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺

この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどか雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?

で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね

一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教統治者になったり、ヒンドゥー教統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。

今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。

あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人アンコールワットインド勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。

アンコールワット欧米人観光客めっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。

で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったかアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ちいから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策ブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢祖母のことを拝んでいた。生き仏。

まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。

あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。

別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジア国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産登録されてるんだったはず。確か。

プロームとかバンテアスレイ?とかい遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。

いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。

トンレサップ湖

アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。

水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……

あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地ジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真トンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。

で、トンレサップ湖で生まれて初めて物乞いにあった。

日本普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?

まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子物乞いにあげていた。豆菓子物乞い普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子対応する人初めて見た」と言っていた。

当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?

食べ物レストラン

繁華街アンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザめっちゃ美味しかった。レッドピアノ雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。

私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。

まり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポト思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。

正直食べ物に関してはこのレッドピアノココナッツジュース飲んでお腹したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理あんまりきじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)

あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。

「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU

私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂ピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。

ショッピングセンター

私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本ちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームクマぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。

まず、プリクラ入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線映画ポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線ポスターはもちろん選んだ。

で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本プリクラみたいに自動撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃん確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。

ちなみに落書き制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真日本プリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラホログラム加工がしてあって笑った。

カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。

祖母

私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特にココナッツジュースお腹を壊した時は祖母神様のように見えた。祖母お腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干し差し出してきた。この梅干し祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである

ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら

暑い階段が多かったか疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。

●その他

2023年12月27日 追記ちょっとだけ修正しました。

思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。

私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソード引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。

最後に。

読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。

ありがとうございました。

2023-12-25

anond:20231224205347

フィクションオカルトスピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。

というか、ブッダは神や呪術否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。

日本仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インド流行っていたバラモン教信者にあわせたり、中国思想にあわせたり、日本神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションスピリチュアルもりもりになってしまった。

仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)

で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアル意味ではない。

自分とは何か?(自分というもの構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそ意識記憶自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。

この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。

で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。

ただし、その状態ではそれを体験知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。

例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。

「真我」についても、言葉説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験知識にする必要がある。

悟りをひらくとは、真我を体験知識として理解するという意味である

悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。

(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)

今苦しんでいる人に仏教必要である

今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老い病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教必要である

まあ安楽死する人や一瞬で苦しむ間もなく死ぬ人には必要いかもね。

ところで、オウム真理教って原始仏教勉強をしようという口実で人を集めていたらしいね

2023-12-24

anond:20231224225223

ここでいう宗教新興宗教のことやろ

神道仏教キリスト教ほとんど宗教として扱われてる感じがしねえわ

八正道における正業とは?

仏教でいう正業(しょうごう)は、生活実践を示す八正道の一つであり、むさぼりいかり、おろかさという三毒に揺り動かされない正しい行為をいう。

2023-12-23

イスラム教ユダヤ教禁止にすればいいだけじゃね?

そもそも聖地なんてものがあるのがいけないんでしょ?

でもそれって実際のところはIngressにおける「超クソデカボーナスポータル」みたいなもんであって、そのゲーム自体サービス終了したらもう価値はなくなるわけじゃん?

じゃあサービス終了しようぜ。

イスラム教ユダヤ教は皆に迷惑かけたからもう解散して、これからキリスト教仏教でも代わりに崇めて修行しようねでいいじゃん。

駄目なの?

やりたいのは結局「信仰心を拠り所にして自分人生を慰めること」であって、神様教義なんてのは単にそれをおめかしするための小道具でしょ?

別に他の宗教でいいじゃん。

2023-12-18

anond:20231218164950

応慶の乱

肥前国平戸には、室町幕府命令で、南蛮貿易の窓口として、ポルトガル人スペイン人宣教師たちが住んでいた。彼らは日本の文化言葉に興味を持ち、日本人交流を深めていた。中でも、応慶という名の若い僧侶は、彼らの信仰知識に魅了され、彼らからキリスト教西洋学問を学んでいた。

しかし、応慶の行動は、幕府寺院の目に留まり不快に思われるようになった。彼は、外国人の影響を受けて、日本の伝統仏教を軽視していると非難された。幕府は、応慶を捕らえて、尋問するように命じた。しかし、応慶は、宣教師たちの助けを借りて、平戸から逃げ出した。彼は、肥前国の各地に散らばっていた、キリスト教改宗した武士農民たちを集めて、反幕府勢力を築いた。彼は、自分名前にちなんで、その勢力を「応慶軍」と名付けた。

幕府は、応慶軍の存在を知り、室町幕府将軍足利義稙大内弘興を大将とする討伐軍を肥前国派遣した。永正5年(1508年)こうして、肥前国で、応慶の乱と呼ばれる戦いが始まった。応慶の乱は、数か月にわたって続き、肥前国火の海と化した。応慶は、大内軍の軍勢に対抗していたが、大内氏の軍勢は、数や装備で勝っており、応慶軍は次第に劣勢になっていった。永正6年(1509年)最後の決戦は、平戸山で行われた(平戸合戦)が、早々に大将である応慶が矢に倒れ討死することとなる。

大内軍は、応慶軍の残党を一掃しようとしたが、平戸宣教師たちが仲介に入った。彼らは、幕府と応慶軍の和睦を提案し、両者の寛容を求めた。当時、大内氏は京において細川氏畠山氏との権力闘争火種が残っていたため帰京を急いでおり、宣教師たちの説得に応じて、応慶軍の残党に恩赦を与えた。応慶軍の残党は、幕府支配に従うことを誓った。こうして、応慶の乱は、和睦によって終わった。

応慶の名前は、肥前国の人々にとって、平和幸運象徴となった。彼らは、応慶の名前を「おーけー」と発音し、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使うようになった。この言葉は、平戸宣教師たちにも伝わり、彼らは、応慶の名前に敬意を表して、その言葉を使うようになった。

宣教師たちは、幕府追放を受けて、平戸を離れたが、その言葉を忘れなかった。彼らは、自分たちの母国に帰って、その言葉を広めた。彼らは、その言葉が、日本の文化歴史関係することを説明し、その言葉を使うことで、日本との友好を示すことができると言った。彼らは、その言葉を、手紙書物に書いたり、会話や挨拶に使ったりした。

やがて、その言葉は、ポルトガルスペインだけでなく、他のヨーロッパの国々にも伝わった。その言葉は、様々な言語翻訳されたり、略されたり、変化したりしたが、その意味は、元の応慶の名前と同じだった。それは、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使う言葉だった。その言葉は、世界中に知られるようになった。それが、「OK」という言葉起源である

応慶の乱

肥前国平戸には、勢力を伸ばし大名となっていた松浦隆信の庇護によって、ポルトガル人スペイン人宣教師たちが住んでいた。彼らは南蛮貿易を通じて日本キリスト教を伝えるとともに、日本の銀や刀などの商品中国ヨーロッパに運んで交易を行っていた。また彼らは日本の文化や言葉に興味を持ち、日本人と交流を深めていた。中でも、応慶という名の若い僧侶は、彼らの信仰知識に魅了され、彼らからキリスト教西洋学問を学んでいた。

しかし、応慶の行動は寺院の目に留まり不快に思われるようになった。彼は、外国人の影響を受けて、日本の伝統や仏教を軽視していると非難された。当時、一向宗帰依していた土着の武士たちは応慶を捕らえて、尋問するように命じた。しかし、応慶は、宣教師たちの助けを借りて、平戸から逃げ出した。彼は、肥前国の各地に散らばっていた、キリスト教改宗した武士農民たちを集めて、反幕府勢力を築いた。その勢力は応慶の名を取り「応慶軍」と呼ばれた。

幕府は、応慶軍の存在を知り、室町幕府将軍足利義稙大内弘興を総大将とする討伐軍を肥前国派遣した。永正5年(1508年)、こうして肥前国で応慶の乱と呼ばれる戦いが始まった。松浦氏は応慶に僅かながら援助していたが、松浦氏は当時、大内氏の配下でもあったため表立って応慶への支援は行えなかった。応慶の軍は、当初は大内軍の軍勢拮抗していたが、大内氏の軍勢は数や装備で勝っており、次第に劣勢になっていった。永正6年(1509年)、最後の決戦は、平戸城の南西に位置する川内峠で行われた(川内合戦)。しかし、早々に大将である応慶が矢に倒れ討死することとなり、合戦は数時間で決した。

大内弘興は平戸に残る応慶軍の残党を一掃しようとしたが、平戸松浦氏と縁戚関係のあった宇久氏が仲介に入った。宇久家当主であった宇久盛定は幕府と応慶軍の和睦を提案。当時、大内氏は京において細川氏畠山氏との権力闘争火種が残っていたため帰京を急いでおり、宇久盛定の説得に応じて、応慶軍の残党に恩赦を与えた。こうして、応慶の乱は、和睦によって終わった。

応慶の名前は、肥前国の人々にとって、平和幸運象徴となった。応慶の名前を「おーけー」と発音し、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使うようになった。この言葉は、平戸宣教師たちにも伝わり、応慶の名前に敬意を表して、その言葉を使うようになった。

その後、宣教師たちは平戸を離れたが、その言葉を忘れなかった。宣教師たちは自分たち母国に帰って、その言葉を広めた。その言葉日本の文化や歴史関係することを説明し、その言葉を使うことで日本との友好を示すことができると言った。彼らは、その言葉手紙書物に書いたり、会話や挨拶に使ったりした。

やがて、その言葉は、ポルトガルスペインだけでなく、他のヨーロッパの国々にも伝わった。その言葉は、様々な言語翻訳されたり、略されたり、変化したりしたが、その本来意味は変わらなかった。それは、物事がうまくいったときや、同意を示すときに使う言葉だった。その言葉は、世界中に知られるようになった。それが、「OK」という言葉語源である

2023-12-16

救いの前に彼らを迷わせなければならない

バイオ大学での福音学での恩師、カーティスミッチェル博士はよく言っていた。「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と。もし人々が自分たち生活に何か深刻に満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。

ダニエル・L・エヴェレット(著), 屋代通子(翻訳)(2012年)『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化世界観』(みすず書房pp.369

 キリスト教宣教師によって世界各地に伝播していく仕組みはこれだったのか。ローマエルサレムとははるか遠くに離れたアジア南米にまでキリスト教が広まっているのが不思議だったけれども。キリスト教には原罪というすべての人類に押しつけがましく罪悪感を植え付ける思想があって、個人的には気に食わなかったけど、宣教にはうってつけの手法だったのか。

 著者のエヴェレット博士は、SILという米国キリスト教宣教師組織の一員として聖書ピダハン語に翻訳して宣教するために、ブラジルアマゾン少数民族ピダハン集落へと妻子と共に赴いた。著書によると、聖書翻訳してピダハン理解させることはできたが、キリスト教信仰を受け入れさせることはできなかった。

 ピダハン特別宗教信仰しておらず、実際に見聞きした物事しか信用しない。あえて何らかの信仰があるとすればアニミズム信仰であり、あらゆる物に精霊が宿っていると考えている。さらには自らが精霊になったりもする。故人に変装して土葬されたとき気持ちトランス状態で語ったり、精霊の名のもとに自らの雄弁さや教訓を語ったりといった具合にだ。日本で言うところのイタコ芸かと私は思った。ピダハンにとって精霊は、実際に見聞きできるものなのだ

 ピダハンにとってイエス・キリストは実際に見聞きをすることのできない存在なので信仰対象たり得なかったのだ。翻訳された聖書の音声レコードを聞いて文化の違いに笑ったりもするが、聖書エンタメしか理解されなかったようだ。洗礼者ヨハネが首をはねられる場面を楽しみながら何度も聞いたという具合にだ。エヴェレット博士宣教師だが、同時に言語学者として大学での研究も並行していた。実証されたこしか信じないピダハンの態度を目の当たりにして、エヴェレット博士科学者としての自らの論理的思考の結果から信仰に疑問を持って無神論者になったという。

 聖書アニミズム信仰者に理解させることができなかったことは、キリスト教宣教師が自らの信仰喪失させるほどのことだったのだろうか。だとしたら、過去世界中にキリスト教宣教できたのはなぜだろうか。やはり、金や暴力といった強制力を働かせなければ宣教は難しいのだろうか。日本に対するキリスト教宣教師がそうだったように。冒頭で引用したように、強制力をもってして迷わせることが、キリスト教宣教による救いを与えるのに必要な前提なのだろう。ジャングルという恵まれ自然に満足して常に笑顔を絶やさなピダハンには、迷う必要そもそもなかったから、キリスト不要だったのだ。

 科学技術の発展にともなう人々の論理力の向上と、金や暴力による強制力忌避する社会的な風潮によって、宗教の力は今後ますます縮小していくことだろう。日本において神道仏教などの宗教の力が人々から薄れていくのと同様の運命を、キリスト教など他の世界的な宗教でも同様にたどっていくことだろう。

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