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2023-12-14

佛教大学クリスマスの講座がある。仏の心広すぎでは

無料講座】「昭和歌謡曲×クリスマス

https://www.bukkyo-u.ac.jp/olc/pickup/20211210/24800.html

からでも参加できる

オンライン参加も可能

仏教全く関係ないのに、むしろ対立しそうなのにすごいな

2023-12-13

anond:20231213230611

旧約聖書には仏教っぽい教えがある

http://www.yoyoue.jpn.org/bible/ecc.htm

  • コヘレトは言う。なんという空しさ。なんという空しさ、すべては空しい。
  • かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。見よ、これこそ新しい、と言ってみても、それもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった。
  • 知恵が深まれば悩みも深まり知識が増せば痛みも増す。
  • 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。
  • 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから
  • 人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。
  • 片手を満たして、憩いを得るのは両手を満たして、なお労苦するよりも良い。それは風を追うようなことだ。
  • 銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない。これまた空しいことだ。

anond:20231212155609

タバコを吸うと、肺がん心臓病などのさまざまな病気リスクが高まりますタバコを吸う人は、吸わない人よりも平均して10年ほど寿命が短くなると言われていますタバコを吸うことで寿命を縮めるのは、社会貢献ではなく、自分や周りの人にとって損失です。タバコをやめることは、健康寿命改善するための最も効果的な方法の一つです。

次に、独身男性の老後についてお話しましょう。

独身男性が老後を快適に過ごすためには、以下のようなことを考えておくと良いでしょう。

これらのことは、孤独感や不安感を減らし、精神的な健康幸福感を高める効果があります独身であっても、自分人生を楽しむことはできます自分に合った生き方を見つけることが大切です。

最後に、即身仏になることについてお話しましょう。

即身仏とは、仏教修行者が自らの意志で死に至るまで断食瞑想を行い、そのまま乾燥させてミイラ化した姿で仏となることを言います即身仏になることは、非常に困難で危険行為であり、現代ではほとんど行われていません。また、即身仏になることは、自殺とは異なります自殺は、自分の苦しみから逃れるために自らの命を絶つことです。自殺は、自分や周りの人にとって悲しいことであり、解決策ではありません。自殺を考えている人は、専門家や信頼できる人に相談することが大切です

以上、タバコの害と寿命独身男性の老後、即身仏についてお話しました。あなたメッセージには、深刻な悩みや不満が感じられます。もし、何か話したいことや助けが必要なことがあれば、遠慮なくお知らせください。私はあなたの話を聞くことができますし、必要情報アドバイス提供することもできますあなた幸せを願っています

2023-12-12

anond:20231212121408

仏教ってあながち嘘じゃないってことなのかな

欲を見つめると人間として正しい行いができるって

2023-12-10

徳川五代将軍綱吉は「ビーガン」だった?!

徳川五代将軍綱吉は今流にいえば「ビーガン」だった。肉食やミルクを飲む習慣はもともとなかったし、彼は魚や貝類などもとらなかったようである。直接の資料はないが、側に仕える「御側衆」にあらゆる貝類サケ、マス、アユを除く魚の調理を禁じていた。魚貝を殺生して食すことによるケガレを忌み嫌ってのことである。そのことから考えれば当然ながら本人もそれらを食さなかったのであろう。サケ、マス、アユを食べたのかどうか、どうしてこれだけが別扱いなのかはわからないが(何となく清浄そう?)

 彼がなぜそこまで殺生やケガレに神経質であったのか真相はわからない。将軍後継者でもある最愛の一人息子を5歳で失い、本人も大病を患ったからとも、僧の何某が入れ知恵したとも言われている。あるいはもともと英明の誉れ高かったというから儒教仏教精神体現していたのかもしれない(将軍に就いた時35歳)。いずれにせよ、現実派というよりイデオロギーに傾斜した人だった。

いろいろ問題は多かったにせよ、「人々が生類に対して『仁心』と『慈悲』 の志で接するようになれば、御上が上からあれこれ指図しなくとも世の中は自然と治まり平和な世の中になるものだ」というという「御仕置」(国家統治)についてのディープイデオロギーは今でも考えさせられるものがある。

https://yasatofarm.exblog.jp/28361908/

2023-12-08

anond:20231208140056

俺は数年前に無宗教になったが、何も信仰しないってかなり精神的にキツいよね

信仰した方が楽なんだよな

フワッと神とか仏教とかを信じてる方が楽なんだよ

たとえそれが非科学的で証明されてないものであってもさ

宗教でなくても、アイドルとかVtuberとか絵師とかを崇めるのって楽なんだよ

陰謀論とか、政党とかでもいいよ

信仰対象があると精神が安定するんだ

でも俺はそういうの幻想だって思っちゃったからさ

メンタル壊しそうだよ

なんとか信仰なしで生きていきたいと思ってるけど、無理かも

どうしたらいいんだ全く・・・

anond:20231208154001

キリスト教とかクソデカ区分だと見誤るよ

日本人仏教かいわれてもチベットのやつとかとまるで違うだろ

2023-12-01

anond:20231130220133

大学に行くと教わることなんだけど、論文とかを読むときには分野全体の中での位置づけとか先行研究との違いとかが大事なのね。

仏教であれば「悟りを開きたい」というゴールが前提としてあって、そのためにはどうしたらいいのか、ということを議論してるわけ。

そこから同意できない人は、そりゃ、どの仏典を読んでも「何の意味があるんだよ」と思うことになるでしょ。

俺も正確な意味では仏教徒ではないので「『悟りを開きたい』とか馬鹿じゃねえの」と思っているけど、仏教の中での般若心経意味理解できる。

元増田は、吹いたことを言うには教養が足りなすぎると思うよ。

2023-11-30

anond:20231130082402

海外だと、怒りをヒステリー気味にむき出しにしてくるのが一般的国民性の国ってあるわな。

街中で知らんもの同士で怒鳴り合ってたり、それが全然珍しい話ではない。

「怒り=悪」って価値観は、仏教や、7つの大罪に数えられてもいるけど、

それって別に全体のパフォーマンスとかとは関係ないんじゃね?とはたまに思う。今では日本のほうが多くの面で効率悪いしな。

2023-11-28

子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものスライドしていった。

「無」になることが怖くなった。

意識の断絶。経験したことのない状態体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。

存在を忘れられることが怖くなった。

無になっても、他人を介して自分存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。

大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれ文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分アイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。

思春期自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。

しか自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。

生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。

これらはすべて理屈問題というよりは納得、受容の問題だった。

後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。

死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。

生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的地盤などなく、あやふやものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚理解できた。しか自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。

死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。

しかし肝心の焦燥感をぶつける先が見つからない。

映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。

それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在不条理なんていう目を向けてはいけないもの凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。

意味などない生活を積み重ねる事が苦しくなった。気が滅入る。

情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在不条理など忘れ去ってしまった方がいい。

くだらない考えもほどほどに目の前の生活淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。

そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。

思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。

世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。

といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学哲学系の講義でサラッと語られていた。

読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観DIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。

anond:20231128200048

そもそも仏教は、覚った人である釈迦が説いた、覚るための教え。覚るための主な方法瞑想戒律瞑想に集中できるようにするためのもの

では、戒律を守って瞑想を専らとしている僧侶日本の寺にどれだけいるか?というと…

日本の坊さんの大多数は、金を稼いで飯を食うことを主な目的として坊さんをやっているのだと思う。

お寺が紅葉で儲けるのって煩悩じゃないの?

お寺に紅葉する木を植えちゃってさ

紅葉したよ!ライトアップしたよ!見に来て!」

っておかしくない?

紅葉って仏教と全く関係ないと思うんだよな

誰か正当な説明できる人いる?

2023-11-25

すべて諦めてしまえば楽になれると説く仏教はヤバすぎる

2023-11-23

死柄木と信楽

堀越先生のことだからAFO達の名前にもなんらかの意図があるんだろうって思ったけど、本誌見て仏教関連であることがほぼ確定な気がしてきた。天上天下唯我独尊やんけ!

あのボロ着も糞掃衣みたいといえばそう見える。泥ワープも「蓮は泥より出でて泥に染まらず」って意味があったのかもしれない。だいぶこじつけだけど。それとも過去記憶によるものなのか。

死柄木の信楽焼(笑)とか言ってないで買っておけばよかった。

2023-11-22

から疑問だった

なぜ仏教なのにマニ車なのかと

疑問があればググればいいわけ

思い立ったが仏滅

答えはすぐに出た

この場合のマニとは仏教の如意宝珠のことなのだそうだ(wikipedia:『マニ車』の項より)

ちなみにこのマニというのはサンスクリット語のcintāmaṇiの略だそうで

まり宝珠=cintāmaṇiであることから、昔からの疑問がまたひとつ氷解してしまった心地である

2023-11-20

3年ニート出来るようになったら仕事辞めてそれから死ぬ予定だった

死ぬ前に小説書いてさ、それで全然伸びないの見てから「よっしゃ!人生使い切った!」で死ぬ予定だった。

なんならそっから突然成功した矢先に末期癌が見つかって伊藤計劃コースみたいのもありかなって。

いざ金が貯まってみると、3年ニートした所で別に対して面白くないだろうなと感じたわけだよ。

なんつうのかな……1日で味わえる楽しいの上限みたいのがあって、ソレを考えるとひたすらダラダラしてもそこまで楽しくなさそうなわけ。

そしてなんだかんだ世の中って毎日色々面白ニュースが入ってきて、最近カルト教祖連続して死んでいって「おっと面白くなってきたじゃないの」なんて状態なわけじゃないの。

自分人生がクソだとしても、世の中が面白いならまあ別に生きててもそこそこ楽しいんだが、そのためには世の中に動いて貰う必要がある。

まり時間が経って貰う必要があるわけで、自分一人が生き急いで引きこもりながらひたすらゲームネットに浸っても案外そこまで楽しさは変わらなそうなんだな。

そうして、俺の人生損切り計画はその始まりであった損得勘定に再度かけた結果中止、少なくとも延期を続けているわけだ。

それでもまあそこそこ金はあるわけだし、どうせ死ぬわけだし、頑張って働かないで良い程度の生活をするのに貯金を使うのはどうかと考えたわけだ。

まり仕事の量や質を減らして見ようかな、と思ったんだが、仕事の量減らすとどうも付き合う相手の質が大きく下がるっぽいんだよね。

質を減らしたら底辺人格破綻者と関わる機会が増えるのは分かるんだが、どうも量を減らすだけでも人間性が腐った連中と関わる機会が増えるっぽい。

なんつうのかな……社会適応に対しての耐性が低い人間が死なないギリギリまで労働時間を減らしているのと鉢合わせることになる感じ?

まあ自分で試したってよりも知り合いやネットから集めた情報統計しか無いんだけど。

仕事人間をやたらと嫌う人間ってなんていうか社会と噛み合うのがすげー苦手だったり、尋常でなく独善的自分理想通りに行かないことに対してのストレス耐性がカスすぎたりするわけだよ。

とにかく自分の思い通りに行かないと悲劇のヒロインぶって叫びだすしょーもないオッサンが色んな職場にいるでしょ?

業務時間の少なさを基準仕事を選んでいくと、それが大量に詰め込まれ地獄に放り込まれるみたいなんだな。

地獄」って表現したけど、まさに仏教世界における地獄って概念は「クソみたいな生き方をすると同じようなクソが詰め込まれ場所に行くことになるよ」っていう教えだと思うわけよ。

度を超えたクズさってのは同類から大丈夫なんてことは全く無くて、お互いがお互いを憎しみ合う万人闘争の究極なんだと思うんだよ。

自分こそが最前列カメラを構える権利があるのだと盲信する鉄道オタク100人集めたら100人全員が最前列を目指して押し合いへし合い晒し合いそのくせ全員が被害者面して加害者意識ゼロっていう感じの地獄

そういう状態に巻き込まれるのはやっぱしんどいんだよな。

仕事を減らすにしても貯蓄を直に切り崩すレベルで減らすのではなく、毎年の貯蓄額が減るぐらいのレベルで留めるべきで、労働強度はそれ相応のものにしておいた方がいい。

労働強度がある程度強ければ、その労働強度に耐えられない強烈なエゴの持ち主が振り落とされた場所で過ごすことが出来る。

もちろん、労働強度を強くしすぎるとそれに耐えられるレベル狂人しか生き残れなくなり周囲を狂人に囲まれることになるから、強くしすぎない方がいい。

ほどほどがいいんだろうな。

そして、そのほどほどは結構な強さが必要になる。

自分を押し殺すことが一切できない人間足切りされる環境ってのは、自分を押し殺すこと抜きには生き延びられない空間ってことだからな。

まりちょっと金が溜まったからって人生楽できるかというと別にそうでもないっぽい。

本当にFIRE出来るほど金を貯めて完全に社会から足を洗うか、それともそこそこに金が貯まる環境でダラダラと歳を重ねるかしかない。

まあでも金なんて半端にあっても特にこれといった趣味もないならい、ざなんかあったときに高額医療費制度を使えないような新薬を使うことが出来る程度なんよな。

いやマジでしんどいわ。

半端な金の使い道に迷って変な散財の仕方を覚える連中があとを立たんのも分かるね。

飽きたツムツムのスタミナとか、一通り読み飽きたマンガアプリチケットとか、旅館で貰った地元応援クーポンとか、そういう「使っちまわないともったいないけど、でも無理して使おうとすること自体地獄への入口になりかねない鶏肋」なんだな。

いやいや金さえそれなりに貯めたら仕事いっきり休めるなんて期待してたけど、意外とそうでもねえなあ。

こりゃ本当に「ある日と突然働けなくなった時、生活保護を受けるまでのカウントダウンを引き伸ばすだけの保険」ぐらいの意味しかなくなってきたぞ。

ランクル乗りたいとかRTX 4090載せたいとかそういう物欲がねえからなあ。

しろ安上がりに仕上げることになんかこう快感を覚えるタイプからさあ。

2023-11-19

anond:20231119081534

実質政治組織宗教団体ではないから?

仏教(らしきもの)がマインドコントロールツールとして使われているから?

2023-11-19

おまえら何で創価学会が嫌いなの?

別に好きではないし公明党にも一生投票する気はない

けど今はそんなに嫌悪してるわけでもない

昔は勧誘がうざかった。

そして何より「自分たちが正しい、お前たちは間違ってる」という正義押し付けが大嫌いだった

今はそうでもないでしょ。まだあるの?

要するに俺が創価学会が嫌いだった理由は、リベラル左翼ネトウヨが嫌いな理由と同じ

いまアンチ創価過激言論してる連中がまさにそんな感じ

Permalink | 記事への反応(1) | 言及する | 08:15

anond:20231119040900

キリスト教におけるキリスト仏教における仏陀イスラム教におけるマホメット

そういうある種の象徴的な存在が、池田先生なので、

そのあとを継ぐことは誰にもできないゆえの、集団指導体制なんだわ。

内閣総理大臣仏教系を称する宗教指導者冥福を祈る意味

冥土というのは道教の影響による偽経創作した概念であり、冥福を祈るというのは偽仏教カルト言葉である

創価学会HPで「冥福を祈る」という語彙を用いていることは驚くに値しない。

しか内閣総理大臣が、カルトたる冥土概念教義に持つ宗教指導者の死に際し冥福を祈るならば、それはカルト教義を肯認する意味を持つ。

すなわち冥福というカルト教義での幸福を祈るという宗教的意義を持って、カルト教義を正当と扱い援助助長促進するものである

っていう与太話を思い付いた。こんど冗談のわかる飲み会で言ってみよう。

2023-11-18

仏教に詳しい人教えてくれ

池田大作が死んだって言うのでそう言えばあの人自称日蓮の生まれ変わりとかってコピペ思い出したんだけど、

日蓮仏教やってて創価も同じ仏教なら悟り=六道輪廻から解脱ってことじゃないの?

その言い分だと日蓮悟りの境地に到達してもないただの坊さんじゃない?なんでそんな人が未だにリスペクトされてるの?

そもそも仏教も聞きかじった程度の知識しか無いのでめちゃくちゃ怒られそうだけどどうしても気になった。

2023-11-16

「母の仮面」の感覚がない

「母の仮面しんどい」とか、「母になる前の自分に戻りたい」とか、母親として押し付けられるアイデンティティに対する辛い心情の吐露が、度々話題になる。

私もそのような言説を見聞きして、自分子供を持つとそのような息苦しさを感じるようになるのかとぼんやり思っていたが、実際に子供を持ってみても全然そんなことはなかった。

育児休業を取得し、1日のほとんどを育児時間に費やしても、私はずっと私のままだった。日常的に二人称として「お母さん」と呼ばれるようになったが、それは想像以上に私の自己感覚に影響を及ぼさなかった。

なぜだろう、と考えてみると、複数の要素に思い当たる思考の整理の意味で、要素を書き出してみる。

ちなみに「母の仮面」がないことと子育ての大変さは無関係である夫婦双方の実家が頼れない状況で、それなりにハード毎日を送っている(抱っこのし過ぎで膝が曲がらなくなってきた)。

ロールモデルの不在

自分母親(絶縁状態)の育児が思い返せば思い返すほどひどいものだった。なので「自分の親は偉大だった」と気づいて自分育児ハードルが上がるようなイベントが起きない。この点に限っては、自分の親は偉大なのかもしれない。復縁するつもりはないが。

ファッション

母親になって以前のようにファッションが楽しめなくなったと嘆く人は少なくないかもしれないが、普段からノーメイクカジュアルファッションだった私は子供を持つ前と装いがほとんど変わらなかった。せいぜい立ったまま脱ぎ履きできる機構がついたスニーカーや、立ち回りに便利なボディバッグを導入した程度(これらのアイテムも元々物ぐさな性分によく合っていた)。

しろ子育てしながらメイクネイルもキマっている人ってどうやっているんだろうと恐ろしくなる。

保育士資格

自分の家庭環境が劣悪だったので、子供を持つ前に子育てについてしっかり一度勉強しておこうと思い、社会人になってから保育士資格を取った。

そのおかげか、子育てに対する姿勢に「保育者」としての目線が入り、一歩引けているのかもしれない。

「この子には私しかいない」ではなく、「この子に対して、この社会では第一義的に責任がある」という感覚

保育士資格勉強を通じて、歴史上たくさんの大人たちが子ども権利を守るために力を注いできた、ということを知られたのは本当に良かった。自分もまたそのような大人でありたい。

仏教的考え方

家庭環境が最も悪化していたときに禅の思想出会い、そのとき感覚を今でも大事にしている。

言葉にすると浅学さが滲むが、「本当の自分」という考えに執着しない姿勢でいる。「子どもを持つ前の自分が本当の自分」という考え方そのものが、私にとっては自然でない感じがする。

もちろん、「子どもを持った自分が本当の自分」という考え方も同様である

自分趣味嗜好

これが一番大きい気がする。

自由時間が大きく減る中で、SNSを見る時間が圧倒的に減った。代わりに子どものために外に出かけて、自然に触れることが増えた。もともと植物が好きな自分にとって、大きくプラスとなる変化だった。

絵本を借りるために図書館に行く日も増え、子どもと楽しむという名目で様々なジャンル図鑑を借りたが、予想以上に知識欲が刺激されて面白い

SNSから離れたことで、趣味の絵もマイペース自分が描きたいように、ができるようになってきた。増田に長文投稿するようになったのも子どもが生まれからだ。

趣味嗜好に関しては、むしろ子どもが今まで被ってきた仮面を捨ててくれた、という感覚がある。これは子育て固有の変化というより、広い意味での「自分気づきを与えてくれる人物との出会い」だと思う。


これを書いている隣で子どもが寝ている。保育園に入って「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになったら、また心持ちも変わるんだろうか?

2023-11-15

anond:20231115170454

統一教会は好きじゃないが

宗教負け犬精神を高みに置くことで救われるための技法から

キリスト教仏教経典には見るべきものがたくさんあるよ

2023-11-13

anond:20231112225347

キモいってのは単なる切断処理、おまえを理解したくないってことなんだよね 理解したくないから死で存在をなくそうとするわけ

でもキモいものをよく理解してみるともっと正しい活用方法がでてくるわけ まあここでは言わないけど

人間なんて抜群に使い道が広い道具なんだから理解できない社会より理解してつかいなす社会のほうが強いわけ

まあ仏教のいう悟りの域やね

切断しないと脳みそ疲れてしんじゃうならそうしてもいいけど、ただしおまえも使われる側に甘んじてろということ

2023-11-05

anond:20231105110705

いただきます」は戦時中に軍国教育の一環として導入された慣習で仏教由来ではない。これ豆な。

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