はてなキーワード: ウルトラQとは
思ったよりも色んな人に読んでもらっていて嬉しい。基本的には言い訳で書いたように「おっさんオタクの思い込み」で書いたものなのだが、ちょっとだけ追記させて欲しい。
いくつかのコメントで「覇権じゃなくて単なるソシャゲの流行り」「増田のハマったものリスト」とあったが、一応客観的指標としてコミケのサークル数は参考にしている。興味があればこのリストとコミケのジャンル規模推移を比較してみてほしい。
唐突にホロライブが入ったのはその時期「vtuber」ジャンルが急増していたからだし、ソシャゲが多いのは単に話題提供が定期的にあって流行りが持続しやすい(=同人ネタになりやすい)からである。
その意味で「同人人気指標」というツッコミは仰る通りだが、さりとて他にもっともらしい覇権の指標も思いつかない(かつては円盤の売上が重要な指標であったが、今は完全に形骸化している)。
逆に「この時期の覇権はAじゃなくBだろう」みたいな具体的指摘は大歓迎である。
追記は以上。
長くオタクやってる人は感覚的に理解できる話だと思うけれども、「20代~40台男性オタク向け二次元コンテンツ」は
その転換が直近で起こったので、これまでの歴史や思うところを独断と偏見で書き連ねる。
■本筋に入る前の言い訳
しいて言うならコミケのジャンル別サークル数変動で大まかな変遷は把握できるが、完璧ではないしラグも出る。
というか、そもそもの話をすれば「覇権コンテンツ」や「男性向け二次元オタクコンテンツ」の定義も結局は人それぞれだ。
なのでこの文章を見て「1から100までおっさんオタクの思い込み」と言われても全く反論は出来ない。するつもりもない。
■要約
ここ10年くらいの「覇権コンテンツ」は大体次のように推移している。
2012年頃~2015年頃:アイドルマスターシンデレラガールズ
※2012年~16年頃までは時期を区切って上記のように分類したが、実際にはデレマス・艦これ・ラブライブが
抜きつ抜かれつといった感じで三国志のように覇権争いをしていた。ある意味オタクコンテンツの覇権論が
一番面倒くさかった時期である。
また、ホロライブとウマ娘も同様に便宜上分けて書いたが、どちらかというと共生関係に近い。
■各コンテンツの詳細
「たかがポチポチゲーにウン万円も突っ込むなんて馬鹿のすること」と言って憚らなかったオタクたちをガシャの文明に放り込んだ元凶。
それまで「妙に濃いファンがいる不思議なコンテンツ」程度の知名度であったアイマスの名前を一躍メインストリームに引き上げた。
アイマスの特徴はキャラクターと声優を密接にリンクさせること。この関係は神(キャラクター)とその意思を宿す巫女(声優)にも
例えられ、ファンのコンテンツへの忠誠度を上げる手法として極めて優れている。
今でこそ当たり前に行われているオタク作品のライブイベントにしても、積極的に活用を始めたのはほかならぬアイマスである。
ラブライブやその他のアイドルコンテンツはこの点でアイマスを明確に参考しており、その意味でオタク文化の多様化に一役買っている
ともいえるかもしれない。
2011年のサービス開始以来一貫して高い人気を誇っており、特に2012年頃は間違いなく覇権コンテンツであったが、その後メイン
アプリの交代やアニメを挟みつつ横ばい状態から緩やかに緩やかに衰退していく。後に述べる艦これやラブライブと違い特に明確な
転換点があった訳ではなく、波風を立てず静かにフェードアウトしていった、ある意味幸せな存在。
今ではかつて覇権に君臨したコンテンツであることを知らない人も多く、界隈の片隅で他のアイマスコンテンツと肩を並べて穏やかな
余生を送っている。
デレマス(アイマス)の独壇場だったアイドルコンテンツに風穴を開けたのがラブライブ。実はコンテンツ自体はデレマスより前に存在して
いたのだが、オタク雑誌内の連載企画という地味さもあって知名度は殆どなかった。
潮目が変わったのが2013年のアニメ化。アイドルものと言いつつ中身は完全なスポコンアニメで、かわいい女の子+熱い展開の組合
せがオタクの心を掌握。さらに同じタイミングでスクフェスというラブライブのリズムゲームが大ヒットし覇権に躍り出た。特に若いファンを
中心に絶大な人気を誇ったが、半面その年齢層が災いしたのか同人人気は他の覇権コンテンツに比べてやや弱かったりもする。
ラブライブの真骨頂はライブを中心としたリアルイベント。オタク向けIPとして初めて単独東京ドーム公演を行ったのもラブライブである
ラブライブが覇権から脱落した理由は、簡単に言うと「代替わり」である。ラブライブはプリキュアのように一定期間でコンテンツを代替わり
させる方針があり、初代ラブライブであるμ'sも2016年のファイナルライブで展開を終了。その後Aqours⇒(虹ヶ咲)⇒Liella!⇒蓮ノ空と
代を経るごとに人気が漸減、気が付けば中小コンテンツに足を踏み入れてしまった。特にμ's→Aqours の重要な継承でお互いがお互いを
うっすら嫌悪するブランド間対立が発生してしまったことが致命的だった。いくつかあった基幹となるアプリゲームも相次いでサービス終了し、
今では蓮ノ空を除けは時より思い出したように同窓会イベントをする程度の熱量で運営されている。
2013年に出現したブラウザゲー。リリース直後から爆発的ヒットを成し遂げ、雨後の筍のごとく擬人化コンテンツがオタク界隈に氾濫した原因。
手軽なゲーム性と適度な難易度、個性的なキャラクターなどが話題になったほか、課金を殆ど必要としないゲームデザインが当時氾濫していた
艦これの勢いはユーザー、特に二次創作主導の色が強く、同人界隈の賑わいは他の覇権コンテンツと比べても群を抜いていた。最盛期には
Pixivのランキングが艦これ絵で埋め尽くされたものである。
半面、角川のコンテンツにも関わらずメディアミックスについてはかなり弱めで、ゲーム一点突破の趣があったのは非常に特徴的である。
そんな艦これの勢いに明確なブレーキがかかったのはアニメである。覇権コンテンツが満を持して送る映像化ということで非常に大きな期待を
背負っていたが、蓋を開ければへちょい作画に迫力の無い戦闘、意図不明の演出とストーリー、しまいには最終話で眼鏡キャラの眼鏡を
結局モメンタムを失った艦これが覇権争いの主流に戻ることは二度となく、いつのまにかコンテンツの海に沈み、ひっそりとゲームのイベントを
更新している。
遥か古の時代に覇権コンテンツであったエロゲー「Fate」、その世界観を流用したソシャゲ。サービス開始当初はかゆい所に手が届かない
ゲームシステムや驚異の緊急48時間臨時メンテなど悪い印象が先行していたが、一方でストーリーの評価は高く、かつてFateや月姫に
そして2016年に行われた最終章イベントで大バズり。オタク界隈はFGOの話題一色になり、それまでのコンテンツを置き去りにして
覇権に躍り出た。その後は人気が人気を呼ぶ正のスパイラルに入り、うまい具合にライバルコンテンツが不在だったこともあって長きに
また重課金ソシャゲだけあって収益もすさまじく、最盛期はソニーの決算が好調な理由として名指しされるほどであった(運営会社が
ソニーグループ傘下のため)。
とはいえサービス開始当初に不評だったゲームシステムは中々改善されず、またストーリーについても長く続いて流石にマンネリ化が否めなく
なってきた。結局のところオタク側も同じことの繰り返しに飽きてきたようで、次に述べるVtuberの隆盛とともに覇権の座を譲った。
ことFGOに関しては長期に派遣の座に居すぎたことそのものが衰退の原因かもいれない。とはいえコンテンツ規模の縮小ペースは緩やか
2020年のコロナ禍を境に注目され始めたVtuber事務所。その特徴は何といってもメインとなるコンテンツの中心が「本物の人間」であること。
キャラクターの見た目こそアニメ調であるが、その楽しみ方としては三次元アイドルに近い。というか生身の人間に二次元のガワを被せることで、
三次元アイドルを毛嫌いしていたオタクを三次元アイドルの世界に取り込んだ。アイマスやラブライブのようなキャラクターと中の人のリンクを
究極まで推し進めた姿とも言える。またコンテンツの供給頻度も圧倒的で、全盛期にメンバー全員の配信を追うつもりであったのならば1日
48時間でも足りない。
一方で三次元アイドルコンテンツの長所と共に短所も取り込んでしまっており、例えばファンとの距離感調整の難しさ、メンバー間の人気
格差などひずみも拡大。そういったネガティブイメージも一因となったかは知らないが、ファンベースの拡大も鈍化。比較的最近デビューした
ReGLOSSの明らかな伸び悩みからも伺えるよう、ごく一部のトップメンバーを除けばかつての勢いはなくなった。運営側もそれを見越してか
現在はライブイベントやグッズ販売の拡大など既存ファンから搾り取る方向にシフトしている。その甲斐あってか会社の収益は好調なようだ。
とはいえこれまで獲得したファンの忠誠度は高く、覇権ではなくなったにせよしばらくは一定の存在感を持ち続けるだろう。
デレマス⇒FGOと続くソシャゲ覇権の系譜に連なるアプリゲー。当初は2018年にサービス開始予定だったが、リリースが遅れに遅れた結果
ゲームのサービス開始より先にアニメが放映されるというウルトラQを成し遂げた。
とはいえ元々ファンの多い競馬というコンテンツとパワプロ育成システムは食い合わせが非常によく、またサイゲームスの開発・運営も
(少なくともリリース後しばらくは)非常に丁寧だったこともあって、2021年のリリース直後からあっという間に覇権の座をもぎ取った。
また先述のホロライブとは覇権の期間がかなり被っているが、これは両者が競合関係になく、むしろホロライブのメンバーがウマ娘のプレイ配信
をすることで両者の知名度が上がるWin-Win関係にあったからである。そういう意味でこの時期の覇権は少し判断が難しい。
ちなみにサイゲームスはデレマスの開発も担当しており、それもあってかウマ娘のコンテンツ展開はデレマスと非常に似ている。何なら
ウマ娘が覇権から外れた理由は一つに絞れるわけではなく、対人コンテンツの先鋭化やファンから評価の低いアニメ3期など、少しずつ
熱量が失われていったところで別コンテンツが爆発的に流行ったというところである。
このリストの中では新しいコンテンツでもあり、恐らくFGOやホロライブと同じように暫くは適度な熱量を保ちつつ徐々に縮小していくのだろう。
韓国産のソシャゲ。リリースは2021年であったがウマ娘に話題をかっさらわれた上に不具合が多発し、暫くは早期サービス終了が検討
その後2022年に「プレイ報酬誤計算で一部のユーザのみ大量の報酬を得る」という最悪の不具合を「一部ユーザが得た報酬が霞む
レベルの大量補填を全ユーザにばらまく」というパワープレイで乗り切ったことにより話題になった。この騒動をきっかけとしてブルアカに手を
出したオタクから「シナリオが良い」という評判が出るようになり、ついに2023年頭の最終章イベントで一気に覇権をかっさらった。この
あたりの経緯はFGOに近い。
ブルアカは艦これと同じく二次創作主導型の覇権であり、23冬コミケではジャンル別サークル数でトップ。というかむしろ二次創作人気に
偏重しており、肝心のゲームは最終章イベント以降展開がおとなしいこともあってかセールスランキングがいまいち伸びていない。
学園アイドルマスターが覇権を奪う以前から全体的に熱量が落ちていたのは明白で、そのうえ4月に放送が始まったアニメの出来が正直
あまり良いものでなく、仮に学マスがなかったとしても早晩覇権を明け渡していただろう。
・学園アイドルマスター(学マス)
2024年5月16日にサービスを開始したソシャゲ。まだ始まって一週間のゲームを覇権扱いするのはどうなの、と思うあなたは多分オタク界隈に
住んでいないのだろう。
リリース開始直後からXのTLは学マスの話題で埋まり、かつてナイスネイチャやユウカのイラストを描いていた絵師がこぞって広やことねの
イラストを投下し、「話題になっているからプレイしてみるか」の層が大量に現れ、そしてまたそこから話題が生まれ……というサイクルが物凄い
ゲーム自体はアイマスにウマ娘とSlay the Spireをブレンドした育成ものである。デレマス以降オタク界隈でのアイマスブランド信仰はかなり強く、
「アイマスならとりあえずやってみるか」勢がプレイした結果非常にキャッチ―なキャラクター造形と中毒性の高いゲーム性ですっかり沼に落ち、
10年くらい前の話なので、ここのおっさん達は現在40~50代くらいになっている。今よりかは男女交際が盛んだった時代を生きたおっさんだ。しらんけど。
だから私が付き合ったおっさんが全員童貞非モテってわけじゃないよ。
↑”女と付き合ってる時点で陰キャではない”みたいなコメントがあったので。たしかにそうだね。
→最初からアレな人はいない。なにか背景があるはず。生い立ちを知れば、やさぐれた原因が紐解けるはずだと思っていた。
そして、幼少期のトラウマなどについては、かなり仲良くならないと聞くことができない。
→ダメっぽい人のほうが、なにか隠しステータスがあるのではないか?というワクワクがあった。
→これは若い男性が言うのと、40代が言うのとでは重みが全然違うのだ。
若い男子は、失敗談を聞いても悲壮感に欠けるし、主義・思想は今後変わる可能性が高い。
でも、ちょっとアレなおじ様であれば・・・どんなふうに歳をとってきたか、今度どんなふうに歳をとっていくか、想像することができる。
こんな人が、ゆくゆくはスーパーの店員に無駄にキレる客になるのかな・・・と想像したり、
この人はファッションセンスだけが変わらないまま歳だけとっていくのかな・・・と想像するのが興味深かった。
※自分の人生の糧になるか?という側面では、何の成果も!!得られませんでした!!
これは考えてみれば大怪獣バトルとかゼロ初登場時点でもうそうなってたんだけど
初代(正確にいえばウルトラQから)~メビウスまでの世界はもう何万年も昔で、もうその頃の生きてた登場人物(もちろん演じた俳優ではなく)はいなくなってるんだよね
タイガでおそらくセブンに出てきたのと同一個体であろうペロリンガ星人とか、Zで民間人と警官隊にやられたケムール人とか、繋がりは示唆されてはいるものの
結局それらはパラレルワールド的な分岐で生じたであろうもので、正史の防衛チームの方々や、主人公につきまとってた子供とかももうとっくにいないのに変わりないんだなって
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
シン・ウルトラマンを観たので記録する。
ネットの感想を見るとなぜか皆自分のバックグラウンドについて言及するので自分も倣う。
自分は30代後半女。
夏休みの再放送でバルタン星人が強いし増えるしで絶望感を覚えたのと、
ウルトラマンキッズという宇宙放浪系アニメを観たのは覚えている。
観た感想。
・冒頭で立て続けに怪獣紹介が来てワクワクした。これからバトルみせてくれるの?!と。
ただ実際は怪獣とのバトルは少なかった。もっと飛び道具や体でバトルする様をみたかった。
・銀色ウルトラマンがスペシウム光線打つ前の腕の動き、かなり溜めるから そんなため技だったの?と驚いた。
・登場人物の名前が神永、メフィラス、ゾーフィしか覚えられなかった。
科特隊のメンバー、みんなベラベラしゃべりまくるけど印象に残らなかった。
・ウルトラマンがすごい縦回転してて笑った。
・ニセトラマンが足でエイ!って地面壊してて笑った。しかも中の人がツダケン声の外星人だったのでコイツがこんなことを!と嬉しくなった。
人間(女性)をデカくするとプライベートゾーン見えそうでやばいとか
そこまでなぜ考え付かなかったのかについて思いを馳せた。
メフィラスには性別の概念が無いのか。それともプライベートゾーンがなくてみんなおっぴろげなのか。
または女性がでかくなった映像がネットに溢れたのを見て まずいんだな と理解したのか。
・ゼットンが ゼットン…ゼットン…とつぶやいててかわいかった。
・負けるとわかっててもゼットンにウルトラマンが向かっていくシーン、心からの行為ではなく
地球を守るものならまあ一度はやるでしょ、みたいな負けイベントの消化に感じた。
・ゾーフィの手のひら返しが早すぎる気がしてなんか都合のいい男だな、と苛ついた。
30代前半の二人で観てきた。
私たちの世代はちょうどウルトラマンがテレビでやっていなかった世代で、今回がはじめて観るウルトラマンとなった。
私はエヴァンゲリオンが好きで、庵野さんの映画を観たくて行ったクチだが、友人はエヴァすら観ていない。
とりあえずの感想としては、シン・ゴジラの焼き直しだなぁと思ったのが第一。
「怪獣やウルトラマンが本当に現れたら日本政府(と官僚)はどう対処するのか」という描写が映画の大部分を占めているが、「それシン・ゴジラで観たよ」という気持ちになった。
初代ウルトラマンだと科学特捜隊は国際組織ということになっているから、日本の官僚組織に位置付ける必要は必ずしも無かったのではないか。
官僚組織のドラマを描く過程で物語が矮小化されてしまった気がする。
成田亨『真実と正義と美の化身』をデザインコンセプトとしたと公式サイトにあって、その経緯は胸を打つものがあったが、実際あんまり格好良くなかった。
全体的につるっとしているデザインがCG感を増幅させてしまっていて、ダメージを受けても傷つかない(体のラインの色が変わるだけ)というのが戦闘の緊迫感を減退させていたと思う。
特に後者について、カラータイマーというのはひとつの発明だったんだなと思った。
最後に思い付きを書くと、終盤にさしかかるところで、これはキリスト教っぽいお話だなということを考えていた。
神に比類するウルトラマンが、有限な人類の姿に身をやつし、人類を救うというのはかなりイエス伝ぽい。
ググってみるとその類似性を指摘する人がたくさんいて、勉強になった。(『ウルトラQ』の「Q」はQ資料から来ている、とか眉唾ものだけれども、結構おもしろい)
そんな感じで、なんやかんや書いたけれども、人の考察を読んでいたりする時間も含めると、結構楽しんでしまった。
初代ウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマンぐらいは観ようと思わされた一作だった。
シンエヴァは最高だったけど、ウルトラマンあんま詳しくないしそんなに期待してなかったんだよね。
予告でメフィラス山本見てちょっと面白そうじゃね?とは思ったけど
そんでも、後回しにしてネタバレ食らうのも嫌だし一応見とくか程度で、すげー楽しみ!って程じゃなかった
って、一回ふつーにネタバレで投稿したけど、二日目だしうっかり見ちゃったらアレだよなー、と思い削除。
本筋に触れない程度の感想。メフィラスは予告に出てるしええやろ…
・あとしまつで見たシーンがチラチラ出てくる。キャストも被る。シンが延期しなけりゃ普通にパロディだったんだろうか。
・中盤、外星人が出てきてから一気に面白くなる。メフィラスは特にいい。
・TVシリーズで最終回までやって、一番面白い回だけ抜きだして総集編にしたみたいな感じ
感想だけ言うと、面白かった!楽しかった!良かったしか言い様がないが
別に言えば、恋愛要素とか濡れ場も嫌いじゃないけど、変態行為は必要最低限で、あくまで女性のヒーロー的な意味のヒロインですみたいな感じが良かったり。全体的に湿度が低いっぽいみたいな
ウルトラマンは詳しくないけど、ノンマルトとか怪獣使いと少年は知ってたから、ウルトラマンは地球人か宇宙人か、ってのを金田的な意味で考えたりしたけど、でも外星人ってウルトラマン含めて上位存在なんだよな。バルタン星人みたいな難民希望者じゃないし。でもそういう社会的な要素もリスペクトされてた気はする。
(なんか時間差でブクマされてるので、もうネタバレしてもいいだろってコトで修正前の内容を記載しまセックス。
巨大アンヌ隊員って書いてるけど、消してからフジ隊員だったと知って、修正して良かった~って思うわけ。でもゲームかなんかでアンヌ隊員も巨大化してたらしいのでどっかで見て間違えて覚えたのかも。)
・おー、ウルトラQのアレだ!と思ったらシンゴジラなの、ギャグかと思ったけど特撮シリーズって事なんかな
・あとしまつで見たシーンがチラチラ出てきてダメだった。隊長(同じだと思うけど調べてない)、魔神加藤、岩松了はキャストも役柄もかぶってるし
・あからさまな実相寺アングル!かなり好き(コンテ切って撮ってんだろなー、あとしまつもそうだったけど)
・物理学オタクがしゃべる時口パクがずれてた気がするが、もしかしてワザとやってたんだろうか
・スッと子供助けに行くの、この時点でウルトラマンなんだな、と思ったら違った。序盤はセリフ多すぎて乗れない感じもありつつ、怪獣が暴れてマンが倒すって展開はシンプルにいいよなぁー、序盤の二話完結エピソードみたいな。
・地底怪獣かっけー!つえー!顔がドリルなのかと思ったらパカッと開くの、昔こういう怪獣いて好きだったなー、と思う
・ザラブ星人が出てから一気に面白くなる。データ復元するの優しい。車で突然出てくるとことか特撮!って感じ。ウルトラマンあっさり拉致されすぎ。ヒーロー凌辱だぜ!
・あからさま過ぎる変身動画が面白い。誰が撮ったんだよ!ってなったが、ザラブ星人が撮らせたんかな。一昔前ならコメントが流れてたんだろうな。
・スペシウム耐えてすげぇ!からの八つ裂き光輪?でスパッは笑った
・これ巨大アンヌ隊員のやつじゃん!からの山本メフィラス最高~。某所で長澤まさみおもちゃにしすぎみたいなスレタイ見ちゃって軽くネタバレ食らってたが、実際おもちゃにしすぎだと思う。
・プライバシーに配慮してたり割りといい奴な山本メフィラス。裏があるかと思ったけど普通に善意だった。
・河岸を変えようからの居酒屋ワープ最高~。ワリカンとかこの後の変態ウルトラマンといい良いキャラ。ワイが庵野なら絶対ラッキョウ食わせたり卑怯な真似させるから俺は庵野にはなれない。
・メフィラス山本、口癖もいいし変身もかっけーし圧倒しといて手を引くのも良い。ワイはいつ卑怯なことするんだろとワクワクしてたが
・ゾーフィ兄さん。光の巨人が人類滅ぼすとか言っちゃうのキツイ。ゼットンと聞いて、ゼットンってあのっ(巨乳の)!?とテンション上がる。
これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
※この日記は『ウルトラマントリガー』という作品を批評するものではありません。
既に5話まで放送されている、ウルトラシリーズ最新作の『ウルトラマントリガー』。
番組開始直後に興味深い感想を見掛けたことを思い出したので、チラシ裏のメモ程度に綴っておく。
前提として、増田は根っからの『特撮作品ファン』で、世代こそウルトラマンでいえば『ウルトラマンメビウス』以降のまだ若い世代ではあるが、例にも漏れず本作もリアルタイムで視聴している。
「ウルトラマンが喋ってなくて物足りなかった」
というもの。
残念ながらもうかなり前に見た感想なので、どこで見たのかは全く覚えていない。
しかしこれは、昔から円谷作品、ひいてはウルトラマンという作品群をずっと追いかけてきた増田自身にとっては新鮮極まりないものだった。
というのも、それまでは「ウルトラマンは喋るべきではない」という感想をよく見ることが多かったので、なおのこと衝撃的な感想だった。
ウルトラマンといい作品シリーズに詳しくない人のために、少し解説する。
「ウルトラマン」とは、1966年に放送された『ウルトラQ』に次ぐ、空想科学特撮シリーズ第2作『ウルトラマン』より登場した、M78星雲の宇宙人だ。
劇中ウルトラマン自身が、自らの意思で喋ることは《あまり》なく、基本的に戦闘中でも掛け声のみとなっている。
まあ言ってしまえば初代ウルトラマンは第1話から喋っているし、『ウルトラマンレオ』のとある回では初代が「俺たちはアストラを殺す!」と言った台詞は、今もファンの間ネタになる迷台詞だ。
とはいいつつも、実際そんなに毎回喋ってる訳ではなかったので、ウルトラマンは無口、という感覚が刷り込まれていったのは間違いない。
しかしそれも、平成前期までのこと。『ウルトラマンマックス』までかな。『ウルトラマンメビウス』の時点ではもう結構台詞あったと思う。
平成後期からのウルトラマンは、まあ当時の円谷プロの事情なども相まってはいたが、色々挑戦してた。
その中で、火付け役となった『ウルトラマンギンガ』という作品を筆頭に、ウルトラマンが普通に喋る=アフレコなどで主人公役の俳優が戦闘中にも台詞を話すことが増えた。
当時としては、「ウルトラマンが喋るなんて!」という批判も多かったし、以降もその傾向が続いたので、一部の往年ファン層からはかなりの反感を買っていたと思う。
私個人の意見を述べさせてもらうと、ウルトラマンが基本喋らないため、「ウルトラマン側が思い付いた作戦をナレーションで説明する」というのが、昭和作品から平成最初期にかけてはお決まりだった。
なんなら、昭和作品の、さらに最初の頃の作品に至っては、ナレーションもなしによくわからん技使って、怪獣や宇宙人に勝ってたことはざらであった。
「よく分からん技使って倒した」
を経て、
「分かりやすくウルトラマンが技名言ったり、作戦を喋ってくれて、そして倒した」
という変化が起きている。
閑話休題。そう言うこともあって、現在のウルトラマンは喋るのがデフォルトになってた訳なのだけど、ウルトラマントリガーは最近の作品としては珍しく「あまり喋らない」タイプ。
これは、前作の『ウルトラマンZ』とは完全に対照的で、むしろこの『Z』の存在が、前述した「あまり喋ってなくて物足りなかった」という感想に繋がってるのだと思う。
『Z』は驚くほど面白かった。星雲賞を受賞したニュースが先月あったが、納得の出来だった。そんな『Z』の良かったところのひとつに、ウルトラマンと変身する主人公の掛け合いが面白かった点だ。
また少し話題が逸れるが付き合ってほしい。お願い。
これはいわゆるティガとかダイナのような戦況に応じて姿を変える《タイプ》でなければ、初代とセブンのようなシルバー族とレッド族等といった設定でもない。
作中における主人公とウルトラマン自身の立ち位置みたいなものを、便宜的に《タイプ》と呼ばせてもらう。
細かく分けると非常に多いので、ざっくり二つのタイプに分ける。
例えば初代や帰ってきたウルトラマン、平成ならマックスなどのような『人にウルトラマン自身が憑依するタイプ』
もうひとつが、セブンや80、平成ならメビウスやオーブのような『ウルトラマン自身が人の姿に化けているタイプ』
ウルトラマンZは前者の憑依タイプで、なおかつウルトラマンと変身する主人公は人格が明確に分かれていて、時には意思疏通して相談することもあった。
憑依タイプの補足をすると、昔はウルトラマンと変身者の意識が完全に混ざったり、むしろ乗っ取られてるに近いパターンが主流だった。帰りマンやエースなんかは完全にそのタイプだ。
平成に入ってからは、海外作品、オーストラリアの『ウルトラマンG(グレート)』が、人格が別々で互いに対話できるウルトラマンの先駆けであり、以降このタイプ(私はグレートタイプと呼んでる)のウルトラマンも増えた。
Zはまさにグレートタイプで、主人公のナツカワ・ハルキとウルトラマンZの、コミカルでテンポのいい掛け合いが絶妙だった。
この効果もあって、普段ウルトラマンを観てなかった人も、『Z』きっかけにシリーズのファンとなった人が増えて、かつ『トリガー』を初回から見たという人も多いはずなのだ。
だからこそ、『Z』の作風である「喋るウルトラマンと主人公の掛け合い」に慣れていた分、「喋らないし、要所でちょっと主人公が話すくらい」の『トリガー』に物足りなさを感じた《Zファン》が多いのでは……?
というのが考察。書いてたら楽しくなって、見返してたら長くなってた。ごめんね、このタイミングで謝っとく。
昔からのファンとしては、新規層が増えて嬉しいと思うに加え、今までは見ることが出来なかったタイプの感想まで現れて、興味深く感じた次第。
「喋る」「喋らない」が良いか悪いかについては増田は語るつもり無い(強いて言えば「良い側」とだけ言っとく)けど、『Z』を通じて新規ファンが増えたのは個人的にも嬉しい。
新規層には意外に思うかもしれないけれど、2013年の『ウルトラマンギンガ』が始まるまでは、新たなウルトラマンが登場する完全新作のドラマ作品は長い間無かった。
映画では度々やってたけど、地上波の連続ドラマとしては06年の『ウルトラマンメビウス』以来。もちろん翌年の07年に『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』が1クールやってたけど、新しいウルトラマンが出てたわけでは無かった(それっぽいキャラはいた)。