はてなキーワード: しなまとは
久しぶりに松任谷由実の曲を聴きながらこれを書いている。明け方の夢のなかに松任谷由実が出てきたからだ。
ゆうべ私は、エイジングとアンチエイジングについて書籍や文献を整理していた。だから寝しなまで、健全に年を取ってゆくとは何か、思春期が終わって中年期が始まって、それから老年期に至るとはどういった変化なのか、自分自身のことや家族のことや友人のことを考え続けていた。そうしていたら、今朝、悲しい夢を見て目が醒めたのだった。
夢は、どんなに意味不明な内容でも、夢を見た本人には意味が直観されることがよくある。今朝の夢もそうで、とりとめない日常生活の連続からなるシーンの最後に、私は無意識からメッセージを叩きつけられた。
古いスケジュール帳と、今は亡きはてなダイアリーの画面が夢のなかに現れて、そのとき、松任谷由実『リフレインが叫んでいる』が頭のなかに響いた。その瞬間、私は今という時間が過去になりつつあることを悲しく思っていること、今を手放したくないけれども時間が押し流していってしまうことを直観してブルーな気持ちになった。
今が終わりに向かっていること、時間が流れていくことを、私は怖いと思う。
たぶん私は幸福な中年だ。私が、今の私でいられることをうれしく思っている。仕事はそれなり充実し、長く連れ添った嫁さんとの仲も良いほうだと思う。日本人の夫婦はセックスレスになっていくというけれども自分たちはそんなことはない。回数は減ったけれども、若い頃よりお互いのことをよく知っているから幸せな時間を過ごせていると思う。そして嫁さんはまだまだ綺麗だとも思う。
けれども、そんな夫婦の今さえ永遠のものではない。時間が押し流していく。
10代や20代の頃は無尽蔵に思えた性欲と精液が30代にはそうとも言いきれなくなり、40代になって更年期の足音が聞こえてきた。インポテンツには遠いけれども、自分の性欲や精液を慈しむように、丁寧に取り扱わなければならなくなった。性欲や精液をどこに差し向けるのか、宛先が嫁さんなのか、アドマイヤベガなのか、かわいすぎる涼宮ハルヒなのか、ともかく、貴重な資源として分配しなければならないものになってしまった。性欲はもう、川から汲んでこれる水のようなものじゃない。いつか枯れる化石燃料のような資源だ。昔どこかの本に書いてあった「精液をケチる中年男性」というフレーズの意味が今は実感を伴ってわかる。若かった頃は、そんなバカなと思っていたものだが。
そうでなくても、私も、家族も友人や知人も諸共に年を取ってゆく。体力や思考力にも限界がやって来る。時代だって変わってゆく。それが定めだ。時間に逆らうのは無駄だ。すべてを変えてゆき、すべてを押し流していく時間法則には絶対性が伴う。私たちは変化する存在で、変化する存在だから、変わっていかなければならない:真実としてのそれを、私は学習と経験と文献をとおして理解はしている。
けれどもその理解に対して、私の無意識はそんなのは悲しいと叫び声をあげた。夢に松任谷由実を登場させる、というかたちで。ああ、本当は変わりたくないし、今がいとおしくてたまらないんだなとわかった。これまでの人生でずっと変わり続けてきたし、変わり続けることを良しとしてきたけれども、変わり続けることに不安や辛さを覚えながら、少し無理をして人生のモードを切り替えてきていたのかもしれない。それでうまくいっているつもりだった。客観的にはうまくいっているほうだろう。これからだってそうするしかないことを知っているつもりだった。知っている。それでも無意識は、本能は、年を取って変わっていくことを悲しんでいる。
そういう気持ちで松任谷由実を久しぶりに聴いているなかで、今という季節が失われても、その思い出は甘く残るという予感が得られたのは小さな救いだった。今のこの幸福を、二十年後の私が松任谷由実を聴くような気持ちで思い出せるとしたら、それ以上を望むのは欲深に違いない。だけどああ、今朝は、若さが失われて老いにとってかわる過程に痛みをおぼえる。10年や20年なんてあっという間だ。その頃の私は、もう今の私ではなくなっているだろう。
まだしばらく、このままでいられたらいいのにな。いられないのだけど。
遅まきながら春がやってきた。
仕事をサボって、馬車でバザーにいく。
まず入口の墓地コーナーからして賑わっている。にぎにぎである。平日午前中なのに。
どんだけバンシー並べんねんと思ったのは、バンシーしかわかる怪物がなかったからだろうか。
奥の方にはわけわからん苗コーナーがあり、足腰ガクガクな元勇者おじいちゃんおばあちゃんもここでは元気である。達者での。
店内に入ると馬車コーナーがおっぴろげられていた、が、スルー。馬にもたくさん種類あるけど、あんなに必要なのか?私はよく知らない。多分知ることもない。ウマ娘はそこそこ好き。
さてお目当てはペットコーナーである。ここのアクアブレスはめちゃくちゃラーニングしやすい。アクアブレスはたしなまないが、モンスターのおさかなはきれいだなと思う。やってみたいな、とは思うが、おそらく私は1週間で新ジョブに飽きてしまうだろう。妄想の中のおさかな達、ごめんなさい。
食品コーナーではメイクイーンちゃんが売ってた。プライスダウンで190,000円。奇しくも今日は給料日である。こんな値段で売れるのか…?と思ったが、今月の手取りは19,600円くらいだった。消費税を入れると足らない。きっと私よりも経済力があって、温かいファミリーが引き取ってくれるだろうと期待と祈りをこめながらその場を離れた。野菜コーナーはかわいいという感情よりも、売れ残った時のことを思ってしまいもの悲しくなる。生産者の顔が走馬灯のように浮かぶ。いや、数秒で忘れる。
かぶとむしやクワガタも売っていた。おじいちゃんが店員とあれこれ話しながら見ている。孫にでもプレゼントするのだろうか。
気を取り直して2階の神具コーナーへ行く。ロングソードがほしい。
だがロングソードの取扱いが少ない。お目当ては見られなかったものの、神具コーナーはたのしい。新しい生活への希望を感じられるような雰囲気がある。スライムの一匹でもしばき倒したくなるというもの。もしかすると展示から感じられるものかもしれない…売り場ご担当者様いい仕事しているぞ。
あまり長く見ていると、ギルドに戻ってお小言なりちょっとした問答(混んでた?系のやつ)があってボロを出すといけないのでそろそろ戻るとする。
お店を出ると園芸コーナーとともに、はるか遠くにヤマ(閻魔大王)が目に入る。こないだ死んだ際に出会ったことがあるが、最近では肉眼で見えるらしい。そのまにはまだまだ亡者の列が並んでいた。短い春がはじまったなーとおもった。
店内の酒場で仲間を集めればよかったなでもこれ以上遅くなったらやべーな…などと葛藤しながら、少々暑くなった馬車内に戻り、帰路についた。
遅まきながら春がやってきた。
まず入口の園芸コーナーからして賑わっている。にぎにぎである。平日午前中なのに。
名前わかる花もわからない花も奇麗に並べられている。目に優しい。どんだけパンジー並べんねんと思ったのは、パンジーしかわかる花がなかったからだろうか。
奥の方にはわけわからん苗コーナーがあり、足腰ガクガクなおじいちゃんおばあちゃんもここでは元気である。達者での。
店内に入ると自転車コーナーがおっぴろげられていた、が、スルー。ママチャリにもたくさん種類あるけど、あんなに必要なのか?ママチャリメーカーのしのぎの削り合いなんかもあるのかな??ママチャリ業界について、私はよく知らない。多分知ることもない。
さてお目当てはペットコーナーである。ここのアクアリウムはめちゃくちゃにデカい。アクアリウムはたしなまないが、おさかなはきれいだなと思う。やってみたいな、とは思うが、おそらく私は1週間で買ったおさかな達の生涯に幕を下ろしてしまうだろう。妄想の中のおさかな達、ごめんなさい。
犬猫コーナーではメインクーンちゃんが売ってた。プライスダウンで190,000円。奇しくも今日は給料日である。私のおちんぎんを全部ぶっこめばこのメインクーンちゃんを引き取れるのか…?と思ったが、今月の手取りは196,000円くらいだった。消費税を入れると足らない。きっと私よりも経済力があって、温かいファミリーが引き取ってくれるだろうと期待と祈りをこめながらその場を離れた。ペットコーナーはかわいいという感情よりも、売れ残った時のことを思ってしまいもの悲しくなる。
かぶとむしやクワガタも売っていた。おじいちゃんが店員とあれこれ話しながら見ている。孫にでもプレゼントするのだろうか。
気を取り直して2階の家具コーナーへ行く。ローソファがほしい。
だがローソファの取扱いが少ない。お目当ては見られなかったものの、家具コーナーはたのしい。新しい生活への希望を感じられるような雰囲気がある。もしかすると展示から感じられるものかもしれない…売り場ご担当者様いい仕事しているぞ。
あまり長く見ていると、会社に戻ってお小言なりちょっとした問答(混んでた?系のやつ)があってボロを出すといけないのでそろそろ戻るとする。
お店を出ると園芸コーナーとともに、はるか遠くに山が目に入る。その上にはまだまだ白く雪が残っていた。短い春がはじまったなーとおもった。
店内のカフェでソフトクリーム食ってきゃよかったなでもこれ以上遅くなったらやべーな…などと葛藤しながら、少々暑くなった車内に戻り、帰路についた。
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
・全国のいたるところで公害
・一部の裕福な家庭を除き、大学へは行きたくても行けない(男子)
・「大学へ行くだと?女が大学に行ってどうするんだ?アタマおかしいのか?」(女子)
・夕方には帰宅して、家族みんなでテレビ見ながら晩ごはん ←深夜営業の外食もコンビニも電子レンジも普及してないから、そうするしかなかっただけ
・映画、歌、テレビ、みんなで同じものを見て、同じものを楽しんでいた ←野球とクルマが好きで酒・タバコ・バクチ・買春をたしなまないと男は社会的に死亡
・会社、学校、家族、誰もが帰属先を持てて、アイデンティティが確立できた ←今だって趣味、住所、政治的立ち位置あたりに誰もが帰属意識持てるし、アイデンティティをふりかざしてる人は多い
・男と女の役割分担がはっきりしていて、変な軋轢がなかった ←軋轢はあったよ。役割を分担してた分、男は稼ぎが少ないのをなじられ、女は炊事洗濯が出来ないとイビられる地獄な軋轢が。
・6日間必死に働いて、日曜にようやく休息してたら「濡れ落ち葉」と邪険にされたのが昭和のお父さん
・普通に働いていれば、それだけでいい ←と思ってたら、子はワープアで自分の介護は無理そうで、政府はアテにならず、あげく戦後の食糧難や公害といった苦労を知らない若造から「昭和時代にサラリーマンをやりたかった」などと言われ……
https://note.mu/sumomodane/n/nda55d2cf494e
この人が哀れなのは、「自分は客観的なデータで女性の問題点を指摘してる」と思い込んでること。その無知がかわいそうすぎて泣けてくる。
そもそも因果関係と相関関係の違いわかってるのかな。統計データの上でAとBが同時に発生してたとしても、Aが原因でBが起きたということにはならないんですよね。Cが原因でAもBも起きた、ということはよくある話。そこを証明するのってものすごく厳密なデータが必要なんですが、そのところをこの人は頻繁に「思います」と繰り返す。それでは結局、どこまでいってもそれって妄想でしかないんですよ。
妄想を語るのは別にいいんです個人の自由だ。しかしなまじっかデータで客観性を見せようとしてるのがたちが悪い。たとえば上の読む価値のないゴミ記事内にある「賃金は上昇してるのに上昇婚の傾向は強まっている、だから日本人女性は高望みしている」という話、まあ一見してそれっぽく見えますがデータ無しで語っていいなら「賃金の上昇率は男性より女性のほうが高いが未だ賃金そのものは女性のほうが低い。それにくわえて平成以降の不況の波を受けて女性は男性よりも1人で生きていけなくなったから生きていくために結婚しなければならなくなった。女性は21世紀になっても男性に依存しなければ生きていけない被害者だ」みたいなことも、データを出さないならサクッと言えるんですよね。
なぜなら現実世界は「簡単に数字をだせる世界」よりもはるかに複雑だからです。無数の社会要因が無数の領域に影響をおよぼしてるので、その間にある因果関係を明確にするのはものすごく大変な手間ひまが必要になる。そのために統計学というのは理論を洗練化させてきたのに対して、この人はその指摘に対してこれですよ。
https://twitter.com/incel19/status/1144045814727106560
因果関係については、rctやコホート研究みたいな「過去のある時点から未来に予測を立てて観察」しないと統計学的に証明できません。
すももさんは、データを見て「恣意的に解釈」していますが、あくまで論理でなく感想文だと書くべきです。
「遊ぶことの魅力が、結婚の魅力に勝ったのでは?」
まあこういうときに一番無難なのは「ご指摘ありがとうございます、勉強し直してみます」とかだと思うんですが、そういった社交辞令を言えないくらいに無知をつつかれるてプライドが傷ついてしまったんでしょうか。
↑もちろんこれは根拠ゼロの邪推なのでまったく正しくはないでしょう。本人からの否定が入れば一瞬で覆る。でも同時にこれはこの人がやっていた「ある断片的データを元に適当にストーリーを作り上げる」と変わらないわけですね。なにせ厳密な根拠は存在しませんので。
このひとが思ってるほど「データを使って社会を論じる」って簡単なことではないですよ、というお話しでした。
もちろん、別に他人を説得したいのではなく、「適当な言葉でもいいから同意してくれる仲間を探してる(=客観的なデータはどうでもいいからちやほやされたい)」だけなら別にどうでもいいです。一生女性から軽蔑されるんだろうなと思うだけで。
私の家が千代田区にある。
東京に住んでて長い人ならご存じだろうが、千代田区は路上禁煙である。
だが最近、ちらほらと電子タバコを車道の端で吸っている喫煙者様がいらっしゃる。
念のため言うと、千代田区の路上禁煙は歩道だけでなく普通に車道も含まれる。
といわんばかりにたばこを吹かしていらっしゃる方が点在していらっしゃる。
そして、そんな品のない方々の傾向としてドカタ系が多いようにお見受けされる。
ドカタ系の方は体力勝負なのに、体力の源となる肺を汚す嗜好物を
わざわざ他人様に迷惑をかけてまでお楽しみになっていいのだろうか。
ちなみに次点はタクシー運転手だ。車の中で吸うと匂いが定着するとはいえ
それでも外で、ましてや喫煙所でもない路上禁煙の車道で吸われるのはいかがなものか。
警察官や消防の方々がカフェでコーヒーを飲んでらっしゃるのに対して向けられる
これはまっとうで健やかな一区民からの疑問、かつ
電子タバコとしてタバコの葉を加熱して成分を摂取することによる
ただでさえ元から他人様に迷惑をかけるタバコを「電子タバコ」だから
セーフ、とまるで脱法ドラッグ(いまでは違法ドラッグであっただろうか?)
のような言い訳をしながら法的に禁止されている場所でたしなまれるのは
理解しがたく受け入れがたい。
と、ここまで丁寧にしゃべってきたものの、正直、
そこんじょそこらに禁煙のマークがあるのに罰金もまともに支払わず
と思うのだ。
特に各コミュニティの中位以下に身を置く人間は、環境から多大な影響を受ける。己の能力に見合わないコミュニティに身を置くことは、それが上であれ下であれ苦痛を伴う。しかし下の階層に馴染むほうが上の階層に馴染むより早くまた苦痛も少ない。堕落はとは容易なのだ。
何かの間違いであるいは弾みで属することになった下位コミュニティから、脱することは並大抵のことではない。下位には下位の秩序があり、それに適応できなければ更に下位へと落ちざるを得ないという現実がある。しかしなまじ適応してしまえばそれなりに居心地が良く、受け入れたコミュニティの価値観を念頭に置いて行動する為、成長が望めなくなる。下位コミュニティ中の下層を忌避こそすれ、上・中位にいればそれで満足し、上位コミュニティを自ら己と切り離してしまう。
ここまで読んでフィリップ・K・ディックを読んでないのはもったいない!!!
処女作からしてランダム性を主題に掲げて人造人間に10人の意識がのべつ間もなく入り込むお話ですから
ディックの長編SFはサスペンスな要素が強く映画化もされているのでまずはそこから3つ手に入りやすいものをおすすめします
どれもこれも面白いですが、苦手になってほしくないのでポップな面白さで図抜けているユービックを一晩(一番)にどうぞ
暗闇のスキャナー(A Scanner Darkly)
電気羊はアンドロイドの夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)
ユービック(Ubik)
ディックの長編は一気に読ませるほど面白いんですが綻びがなくもないので短編の方が実はおすすめです。
火星年代記を読まれているということは多分短編小説もたしなまれると思いますので次の2つをおすすめします。どちらもベスト版です。
人間以前
「アジャストメント」は映画にもなった表題作ですが、他にも「にせもの」や「電気蟻」、「くずれてしまえ」など特におすすめの一作です。
他の短編集に収録されているものが多いのでコレクターの方には不評ですが、最後のエッセイだけでも買う価値あると思いますよ~
ディックからもう一歩踏み込むならJ・G・バラードや安倍公房をおすすめします。
安部公房の作品はどれをとっても入りやすく、それでいて本質を問うような内容でとってもおすすめです。
ノーベル賞関連で取りざたされることも多いですがそんなことはそっちのけて入り込んでほしいです。
SF色が強いのは「第四間氷期」ですが、他のどれをとっても馴染んでいけると思います。
J・G・バラードはいわゆるニューウェーブの作家さんですが、その価値を抜きにしても読んでほしいと思います。
中後期の作品は非常に濃く、好き嫌い分かれるところだと思いますが、最初期の「結晶世界」だけでも手にとって欲しいです。
SF的な味付けはありますがユング心理学でいうところの「シャドウ」に直面するような内容です。それをどのように受け取るかで面白さが変わってくると思います
長年思い描いていた将来の夢をあきらめることにした。
本当は全然諦めきれてないんだけどとりあえずどっか就職しないといけない。
でもどーすりゃいいんだ。
全然就職へのやる気なんてわかないしなまじ頑張ってきただけにこだわりが強くて他ですごく生きづらい。
(まあ、頑張りが足りなかったから夢破れてんだけど)
燃え尽き症候群っていうのかなー、もう何に対してもやる気がわかない。
他の事へ情熱を向けられないから、困る。こんなんどこも雇ってもらえない気がする。
フリーターになりたいけど、フリーターになったら悲しむ人がいるから、困る。
この人、決算報告書とかPL読めない可哀想な人なんだろうなって思った。
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本来は、株主に配当し社員を養い事業を継続させることと、研究開発によって新しい価値を生み出し人々に新しい幸せをもたらすため、というシンプルな話であって、そもそもが不確実性とリスクを織り込んだ上で、企業理念や生み出される価値に共感した資本家が投資し、企業を育て応援し、その結果、社会は前進し、人々にもたらした幸せの総量が増えることで経済的な対価としての配当を得るというのが本来の筋であって、利益とはそういったエコシステムの中で確約されていない、ドライバーの一つのはずなのに、どこでどうして目的にすり替わってしまうのでしょうね?
もちろん利益が上げられないと企業として存続できなくなるので、そりゃ当たり前の話なのですが、その手前に、理念と利益の使いみちが関係者に遍く、わかりやすく語られてないと話がおかしいだろうと。
そしてここで避けて通れないのが、成果主義による従業員の管理でございます。
一般論としてですが、上場企業にとって会社とは株主のものだという意見をよく耳にするけれども、そもそもが、リスクを織り込んだ上でその企業をどう育みたいか、どのような方向性でもって成長拡大して欲しいかという意見を持ち株比率で言えるから、という視点での話であって、そういった前提がなし崩しなまま株主利益至上主義みたいな言説が現場レベルで浸透してしまっているとしたら、いったい自分は何のためにこの仕事やってんだか?って思ってしまうことはありませんか?
株主配当後の利益をどのように活かす目論見であるか、という、しごく当たり前のことが、組織マネジメント上の自分の業務目標とどのように関連していて、どのようなシステムの中で何と紐付いて他の社員と連動してるか、連携していかなければいけないか、という、これまた当たり前の役割や見通しのことが、本当の意味でハラオチして皆働けているのだろうか?
というのが、就職してからこれまでいわゆる「成果主義」的な世界の中で「目標」を「管理」されながら生きてきて、お給料もらってきた中で、ずーっと疑問でなりませんでした。この「目標」を「管理」されることは上場企業だと社長になっても株主からされるわけで、目標ってなんやねん、なんのための目標やねん、そりゃ理念にひもづいてるはずですよね?という心の声が青臭く遠くゴーストが囁くかのごとく、あるいは何かしらの幻聴のように、いつだって僕の心のなかでは響いております。
もちろん仕事で生み出した成果は正当に認めてもらいたい。
そしてその結果としての賞与、もちろんどっさりたくさん欲しい。
だけれども、全体的にシステムとしての企業の利益の使われ方などを俯瞰したところで、その成果がどのような意味を持つのか、そしてそのリターンとしての賞与というのが、企業が企業として社会に提供できるインパクトに対して額面で考えたら、なんというかものすごく矮小なものに思えてしまって、「目標」を「管理」される中でこのちっぽけな(語弊あってすみません)、世の中の動きからしたらものすごくちっぽけな「お金」のために、日々の「目標」を達成するためにアクセクせざるを得ない「成果主義」なるものに、変だよなぁ?ちいせぇよなぁ?という違和感は、この制度のもとに働く労働者なら誰でも感じるところなのではないか?と思って悶々としています。
なんか、これってアラフォーなのに独身のままここまで来てしまった、ある意味、社会・経済的責任から逃れて生きてきたガキンチョの感じるたわごとなのかもしれないですけど、でもやっぱり、なんだろう、この仕組み、変だなぁと思うんですよね。
要約:おら早く結婚して家庭を持ち家を買い、会社ではそれなりに偉くなりたい。
以上、ガキのたわごと、大変失礼いたしました。(謝るくらいなら書くなという神の声が聞こえてきたけど聞こえないことにします)
生まれた時からずっと森のなかで暮らしてきたんだけど、16歳になったからお父様とずっと暮らせるの!
今日の夜はお城で私の誕生日を祝う晩餐会。今朝出会った彼もお祝いに来てくれるんですって!
でも、なんだろう、こう、すごく右手の人差指がかゆいの。なにか、尖ったものとかないかしら?
いや、そうじゃない、もっと、尖った、糸車!そう、糸車の棘がいいの!
いやでも、何を考えているのだ私。これでは変態ではないか。
糸車。一目見るぐらいいいじゃない、なにしろ生まれてこの方見たことないのだ。そう、これは純真な好奇心だ。糸車の棘がどれぐらい鋭いか確かめたいだけなのだ。
侍女の人がおしゃべりしてた。宝物庫にもお父様の部屋にもないけれど、お城の地下にはたくさんの糸車があるんだって。みんな、ずるい。私に隠れてこっそりみんなで糸車の棘に刺されて楽しんでるんだ。
ひたひたひた。人の目を盗みながら、冷たい廊下、薄暗い階段を駆け下りて、ここが地下室か。
地下室の扉を開けると、そこには。
よく見たらわかる、いや見ないでもわかる。あれは糸車の残骸だ。ひどい、一体誰がこんなことを。私が糸車に指を刺されないじゃないか。
なんとなく、ここにはもう指に刺さるような糸車は残っていない気がしたけれど、私は涙目でうろうろと山の間をさまよう。ないか、糸車、きっと1台ぐらい無事なのがあるんじゃないのか棘。ぐすっ。
あった。それもとびっきりぴかぴかの。これですよ、これ。見た瞬間、グッときた。
私は駆け足で糸車に近づく。そうして右手の人差指をゆっくりとその棘に
待て私、何かこう、これはとてもいけないことではないか?怪我をするとかではなくて、何か大変なことが起きたりするんじゃないか?
3人のおばさま方も言っていた。母さまは糸車に刺されて死んでしまったの、だから一生糸車に近づいてはいけないんだって。ほんまかいな。
がし。悩んでる間に勝手に伸びていた右腕を左手で懸命に止める。沈まれ私の右腕!
だからそう、これは糸車の棘に刺されてもなんでもないということを証明するための!行為なの!カガクですよこれからの時代。
しかし、たまらんですよ糸車の棘。なんかこう、そそるものがありますよね。あれで右手の人差指を刺したらきっとすごい幸せになれる気がする。
糸車の棘。いけない。お父様。糸車。わたしなまえはおーろら。とげ。いとぐるまのとげのみぎてのとげのひとさしゆびをとげのいとぐるまのわたしはいとぐ
そして私は糸車の棘にそっと指を押し当「そぉい!!」
DMMでDVDを高画質ダウンロードすると1ファイル2, 3GBいくので、DMM三昧の生活を続けている俺は深刻なHDD容量不足に見舞われている。仮に一ヶ月に30ファイルダウンロードするとどうなるか?30ファイルって毎日1本もダウンロードするのかよと思うだろうが、驚くなかれ。俺は多い月は100本くらいダウンコする。しかしそこまでするエロマニアは稀少だろうからとりあえずここでは一ヶ月30ファイルで計算してみよう。すると月に2, 3GB/file * 30files = 80GBくらいもHDDを占有してしまうのだ。つまりどういうことか。1TBのHDDは1年で任期満了になるということだ。なんてこったい。一昔前であれば1TBなんてそう簡単に埋まらなかったが今はDVDまるごとダウンコなんて当たり前の時代。また、エロDVDでなくても今は動画共有やストリーミング配信隆盛の時代ですよ。avi形式で録画するとすぐにギガバイト単位のファイルができる。長時間だと何十GBになることすらある。おそロシア。好きな配信者のストリーミング配信を録画しまくってる知人がいるがもうHDDの中は巨大動画ファイルでギッシリ。毎日数GBいくと言ってたな。ほかにもテレビ録画マニアもいてデジタル高画質だからすさまじい巨大ファイルがあっちゅうまにできあがる。今はそんな人が多い。動画をたしなむか否かで雲泥の差。たしなむ人は月に100GBくらい余裕。たしなまない人は月に10GBとかそんなとこ。そういう時代なのである。で、たしなむ人はどうやってHDDを調達してくるのよ?年に1TB~数TB食いつぶすとなると、1~数TBのHDDを買ったとしてもそれを年に1個買わないといけない。なんかとんでもない話だ。外付けHDDを切り替えるのが面倒ではないのかどうなのか?USBハブで複数つないでるのか?それにしても卓上のスペースを逼迫してやまない。まったくやっかいな話である。
8月に参加した太陽系天下一武道大会で知り合い、10月からしもべになった。
これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して
* 考え方が冷酷・残酷、判断が速い
* 会話が散漫になりすぎ、テーマ一つ一つが必ず魔女裁判に行き着く
* プライドが高い、超が付くほど負けず嫌い
といった点が目立つ。
見た目はタニス・リーを少しきつくしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は吸血鬼だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
いろいろ日本人の血・エスキモーの血・アフリカ人の血を試そうとするなど好奇心が強い。
不老不死の資格も持っているというのに錬金術の資格も取ろうと勉強していて向上心の強さがある。
下僕をコントロールできない自分に「おかしなまねをしたら、血を飲み尽くすぞ、下僕///」と脅迫する。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(天下一武道大会)という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイムが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。