この人、決算報告書とかPL読めない可哀想な人なんだろうなって思った。
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本来は、株主に配当し社員を養い事業を継続させることと、研究開発によって新しい価値を生み出し人々に新しい幸せをもたらすため、というシンプルな話であって、そもそもが不確実性とリスクを織り込んだ上で、企業理念や生み出される価値に共感した資本家が投資し、企業を育て応援し、その結果、社会は前進し、人々にもたらした幸せの総量が増えることで経済的な対価としての配当を得るというのが本来の筋であって、利益とはそういったエコシステムの中で確約されていない、ドライバーの一つのはずなのに、どこでどうして目的にすり替わってしまうのでしょうね?
もちろん利益が上げられないと企業として存続できなくなるので、そりゃ当たり前の話なのですが、その手前に、理念と利益の使いみちが関係者に遍く、わかりやすく語られてないと話がおかしいだろうと。
そしてここで避けて通れないのが、成果主義による従業員の管理でございます。
一般論としてですが、上場企業にとって会社とは株主のものだという意見をよく耳にするけれども、そもそもが、リスクを織り込んだ上でその企業をどう育みたいか、どのような方向性でもって成長拡大して欲しいかという意見を持ち株比率で言えるから、という視点での話であって、そういった前提がなし崩しなまま株主利益至上主義みたいな言説が現場レベルで浸透してしまっているとしたら、いったい自分は何のためにこの仕事やってんだか?って思ってしまうことはありませんか?
株主配当後の利益をどのように活かす目論見であるか、という、しごく当たり前のことが、組織マネジメント上の自分の業務目標とどのように関連していて、どのようなシステムの中で何と紐付いて他の社員と連動してるか、連携していかなければいけないか、という、これまた当たり前の役割や見通しのことが、本当の意味でハラオチして皆働けているのだろうか?
というのが、就職してからこれまでいわゆる「成果主義」的な世界の中で「目標」を「管理」されながら生きてきて、お給料もらってきた中で、ずーっと疑問でなりませんでした。この「目標」を「管理」されることは上場企業だと社長になっても株主からされるわけで、目標ってなんやねん、なんのための目標やねん、そりゃ理念にひもづいてるはずですよね?という心の声が青臭く遠くゴーストが囁くかのごとく、あるいは何かしらの幻聴のように、いつだって僕の心のなかでは響いております。
もちろん仕事で生み出した成果は正当に認めてもらいたい。
そしてその結果としての賞与、もちろんどっさりたくさん欲しい。
だけれども、全体的にシステムとしての企業の利益の使われ方などを俯瞰したところで、その成果がどのような意味を持つのか、そしてそのリターンとしての賞与というのが、企業が企業として社会に提供できるインパクトに対して額面で考えたら、なんというかものすごく矮小なものに思えてしまって、「目標」を「管理」される中でこのちっぽけな(語弊あってすみません)、世の中の動きからしたらものすごくちっぽけな「お金」のために、日々の「目標」を達成するためにアクセクせざるを得ない「成果主義」なるものに、変だよなぁ?ちいせぇよなぁ?という違和感は、この制度のもとに働く労働者なら誰でも感じるところなのではないか?と思って悶々としています。
なんか、これってアラフォーなのに独身のままここまで来てしまった、ある意味、社会・経済的責任から逃れて生きてきたガキンチョの感じるたわごとなのかもしれないですけど、でもやっぱり、なんだろう、この仕組み、変だなぁと思うんですよね。
要約:おら早く結婚して家庭を持ち家を買い、会社ではそれなりに偉くなりたい。
以上、ガキのたわごと、大変失礼いたしました。(謝るくらいなら書くなという神の声が聞こえてきたけど聞こえないことにします)