はてなキーワード: 非実在青少年とは
結論から先にいうと、あんたたちが山田太郎議員を推しているのは、表現規制問題以外の部分も都合がいいからだけだろう
逆の言い方をすれば、いくら表現規制問題に本気で取り組んでいたとしても、民進党や共産党を支持するつもりなんてさらさらないでしょ
いや、ときどき見るんだよ。オタクは表現規制反対で一枚岩だとか、最優先事項だとか。何を綺麗事を言ってるんだと思うけどね。表現規制以外が気に食わなければ、支持するつもりなんて全然ない癖に。
オタクは表現規制なんてどーでもいいでしょ。二の次三の次でしょう。
あの人たちはいうんだよ。党派性を無視して、今こそとか。自分たちに都合がいい人が出てきたからって、都合のいいことをいってんじゃないよ。
昔の話ですよ。確か非実在青少年規制が通ろうとしていたときですよ。
自民党が条例を通そうとして、民主党とかの野党が阻止しようとしてたわけ。表現規制条例が通るかどうかの真っ最中。
そんな中でtwitterを眺めてると、流れてくるわけさ。民主党は中国と仲がいいから表現規制賛成派だー。民主党は表現規制では役に立つけどそれ以外はダメだ。一回や二回じゃないの、何回もつぶやきやRTで流れてた。
いや、別にオタクがどこを支持しようとしったことじゃないよ。確かに民主党はダメだ。ただ、条例がいま通ろうとするときにつぶやくことかね、RTすることかね。そんなん選挙の前にでもすればいいでしょ。ダメなことはみんなわかってんだから。
そもそも民主党や共産党は何もやってくれなかったみたいなことを山田太郎議員の支持者の方はいうけどさ。何度も条例に反対したのは功績じゃないのかな。そこはまったく認めないんだっていう。
山田太郎議員の功績みたいなのを出したりもしてるけどさ。同じことを民進党の議員がやっても名前を出して別に褒め称えないんでしょ。二次創作が守られたよかったよかっただけで、"なんとか議員の功績で""共産党のお陰で"二次創作が守られましたとはならない。わかってんだよ、あんたらのやり方は。
こんなことは昔からオタクをしてる人なら麻生さん支持の看板が秋葉原にできたときからわかってることだろうけどね。表現規制賛成派の麻生太郎さんの看板が。
前に秋葉原で在特会がデモをするといったときに、秋葉原は政治的に中立だから来るなとかいってた人がいたけど、麻生さんの看板を設置しててよういうよ。
いまは撤去されたから違うって? 毎度毎度の選挙後に自民党の宣伝カーが秋葉原駅前に集まって、日の丸を振った人が囲む光景をみて、秋葉原は中立なんていう人はいないと思うけどね。秋葉原は十分政治的な街ですよ。あそこまで都合よく自民党に使われてて、そうは問屋が卸さないでしょう。
とかいうと、自民党が勝手に来ているだけというだろうけどな。自民党も自分たちを強烈に支持してくれる土壌がないと、選挙戦最後の場所には選ばないでしょう。
こんなことをいってもね、冷笑混じりにこれだから左翼はwとか、リベラルはwとかで済ませられるんだろうけどね。オタクなんてそんなもんなんだよ。わかってんだよ。理屈はなくてもそうやって馬鹿にすれば勝ち誇れるんだから、楽でいいよね。
彼らからは綺麗事しか出てこない。信用できない。これが10年以上オタクをやってきて表現規制問題を眺めてきた自分の結論。以上。
そんじゃーねー‼︎
今まで正直児ポ法とか非実在青少年とかせいぜいゾーニングレベルの規制で良いだろ、オタきもいの一心で叩きすぎだろと思ってきたけど、正直妥当なのかもと思えてきたわ。
「うらやまけしからん」てやつな。男女問わず、性的被害に対して「被害者の(潜在的な)願望」を他者が勝手に想像することがいかに有害か
男は勃起という分かりやすいアイコンがあるからな。勃起=性的興奮=レイプに非ず。でも気持ち良かったんだろで終了。それぐらい男にとってセックスの重量は軽い。童貞は悪という風潮からも顕著。
男は男の中で流布される「セックスできることはいいこと、できない奴はかわいそうな奴」という言説のせいで被害が隠蔽されるわけだ。セックスそのものを客観的に捉える必要があるというか。
http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/hodge.hatenablog.com/entry/2016/03/12/020749
ごめんブコメの引用の仕方がよくわかんなかったんで表示がアレなんだけど。
話に戻るけど、エロ漫画とかエロゲってこの辺ものすごい勢いで肯定的に描くよね。エロ小説とかもか?
レイプしてるうちに悦くなっちゃうとかさあ。ジャンルとしてもロリとショタって確立してるし。
あれじゃん、昔のお笑い番組とかバラエティとかで、アレやってること実質的にイジメだよな、みたいなのあるじゃん。
笑えるとか笑えない以前にダメなんじゃん?みたいな。そういう感じ。
イエスロリータノータッチ、それでいいじゃんと思ってたけど、イエスかノーかをそもそも決める立場じゃなくね?的な。だって俺幼女じゃねえし幼女の親ですらねえし。
ネットでたまに見かけるエロ漫画画像で、視覚障害がある男と小学生女児が仲良くなってセックスするまで行って最後に通報されて逮捕で終わるみたいなのあるけど、アレだって現実にタッチされた子どもの心理をおもっくそオタ向けファンタジー寄りに捻じ曲げてるんじゃん?
現実に性犯罪被害にあった子どもの言動は全体的にもっとヤベェっぽいもん。あんな、悲劇の純愛に殉じたみたいなんじゃなくて、それこそその後の人生狂うくらいの混乱とか罪悪感とか万物に対する不審感みたいなトラウマ残ってるらしいし。
それって本来なら服役くらいでは償えないんじゃないのか。
償えないもんを償えるように描かれたものを見て愉しむって、なんか、ダメじゃね?
いやわかってんだけどさあ、わかってますよ、そんなこと言い出したらそもそもこの世の表現物で「ダメ」にならないもんは無いんじゃねえのかってのは。
でもさあ。エロ漫画とかエロラノベとかエロゲはなんか、なんかダメだろって感じしかしないんだよ。
なんつうのかなあ。「エロ漫画は、それが存在することによって、実在の人物の権利を侵害していないなら、規制されるべきでない」っていうじゃん。
でも実際性的被害にあった人間の被害訴えを阻害する要因になっちゃってんじゃん?
もちろんそんな要因になってんのはエロ漫画とかエロラノベとかエロゲだけじゃないけど(どっちかというとAVみたいなガチのポルノとかグラビア雑誌とかあと風俗とかのが影響でかそうだけど)、だからってそれが免罪符になるかってそんな訳ねえし。
それにそういうの好きな連中に言わせれば、実際の被害と18禁作品は全くの別物、被害を受けたなら好きなだけ訴えればいい、同情はするが興味はないし関知しない、みたいな話になるに決まってるし、それはそれで一理あるし。
でも、フィクションで愛好するほど好きなものが、現実にどっかで発生してたって話になったとき、冗談のつもりで言う奴いるだろ「うらやまけしからん」って。
ネタが性犯罪だったら、だいたい事件の犯人肯定するみたいなポジなわけだろ?
ダメじゃんそんなん。他人の身に起きたことを自分のエロのオカズと同格に扱うメンタルとか最悪じゃん。
言うだけだったらジョークか言葉の綾で済むと思ってるとしたら失言議員とかそういうのの同類だし。よりにもよってあんな老害連中と。
また乳袋叩きが流行ってるっぽい?けど、私もちょっと前までは「乳袋ププーwwwこんなキモい服あるわけねーだろwww」くらいには思ってた。
でも最近、とある(いわゆる)萌え系漫画を見て考えが変わった。
タイトルを出すのは控えるけど、その漫画はどうやらアンチ乳袋(そんな派閥あるのか知らないけど)らしく、女子高生の制服がダボついた感じでリアルに描かれていた。
私はそれを見て乳袋に対する不快感よりもっと強烈な不快感を覚えた。
以前「目のでかい萌え絵はありなのに乳袋は何でダメなの?」みたいな意見があったけど、確かにアンバランスだなと思った。
でもそれ以上に、「これを男性作家が女子高生を観察して描いた」という事実を想像して不快感を抱いてしまった。
例え「女子高生ポーズ集」を見て描いたのであっても、「リアルな女子高生像を観察」という点で気持ち悪いと思ってしまったんだ。男性作家の皆さんすみません。
その点、乳袋はまだ漫画的な荒唐無稽さがある。顔の半分くらいの目におちょぼ口よりも小さい口、布が貼り付いた巨乳。
男性作家がムチムチしたグラビアアイドルを見てエロい体の女の子の絵を描いているのよりも、「そういう目で見られてるとは思ってない」女子高生を見て「そういう目で見られる為に」女の子を描いてる方がずっと気持ち悪いと思ってしまったんだ。
実際そういう風に描いてるのかは知らないけどね。
表現の自由至上主義で他人を傷つけるのが表現の自由なのだと言って憚らない御仁だ。某SNSを久しぶりに見てみたらあまりに遠くに行かれてしまったものだと感慨に耽った。
この戦線で少しでも後退を許せば後は全面突破されるのだと、そういう危惧があるのだろう。その危惧はわかる。俺もオタクだから。自分たちの好きなものが取り締まられるのは嫌だから。クジラッ○スを読んでるだけで訴追される世界になんてしたくないから。
だが、戦線をヘイトスピーチにまで広げるべきじゃなかった。そこも「後退できない戦線」であり、差別発言を撒き散らす自由もまたあるのだと(自分はそれに反対するというエクスキューズをつけた上であっても)言ってしまった段階で、彼は越えてはならない一線を越えてしまったように思える。もちろん彼が差別に反対していることは疑わない。だが俺には、その行動は差別者を側面からアシストしているようにしか見えなかった。
ヘイトスピーチ規制派の理論武装はかなりしっかりなされてる。日本国刑法に侮辱罪や名誉毀損罪があり、それらが民事裁判で争われることもある以上、もとより(国家があらゆる表現に介入しないという意味での)完全な「表現の自由」など日本にはなかった(というか世界のどの国にもない)。侮辱罪や名誉毀損罪も適切に運用することができるのだからヘイトスピーチも法体系の中に適切に位置づけることができるはずだ、という主張はもっともで、ヘイトスピーチ規制消極派・反対派は漠然とした不安しか挙げられていない。というか、規制反対派だってガチガチのレイシストを除けば差別を肯定しているわけではなく、特に表現規制問題から手を広げた論客にとってはあくまで副次的な戦線だろう。彼らにとって本丸は別にあって、本丸防衛のためにヘイトスピーチ規制という戦線を死守しようとしているだけだ。
だが。ヘイトスピーチ規制派と表現規制派は同一ではない。表現規制に積極的な自民党の議員がヘイトスピーチ規制に慎重姿勢を見せ、ヘイトスピーチ禁止法に積極的な共産党が表現規制反対を掲げてきたことを思えば、むしろヘイトスピーチ規制派と表現規制反対派が共通の土俵で戦う可能性はあっただろうし、実際そういうスタンスで動いているひとも一定数いる。
しかし彼の目には、そのふたつは通じているように見えたのだろう。レイシストに対抗する姿勢を示す一部の人びとの中には、積極的に俺たちの趣味を、俺たちという存在を侮蔑し、キモオタと罵り、レイシストと同列であるかのように扱う連中がいる。俺は彼らと同じ戦列には立ちたくない。彼らを批判したくなる気持ちもよくわかる。だが彼らへの批判も度を過ぎれば同じ穴の狢だし、何より、同じ戦列に立つことは拒否しても別の場所でレイシストに対抗することはできたはずだった。けれど彼は、レイシストの主張も言論の自由の範疇なのだとはっきりと言ってしまった。
彼がそう表明するに至ったプロセスについては、よく〈理解〉できる。表現規制は嫌だ。一部のオタクに敵意を示すヘイトスピーチ規制派は嫌だ。ゆえに「表現の自由」を錦の御旗に掲げ、たとえレイシストのそれであっても「表現の自由」は守りぬかねばならない。ヴォルテール。その判断を導き出した理路はわかるのだが、しかし。
「○○人を殺せ」なんてものを「表現の自由」の名の下で正当化したら、「表現の自由」そのものが敵と看做されるのだと、「表現の自由」を掲げる陣営の信用もまた毀損されるのだと、そこに気づくべきだった(本当はこういう「陣営」を一緒くたにした雑な戦術指南なんてしたくないんだけど、そういう雑な括りでの戦術指南に基づいて反レイシスト運動側をdisっていたのはいったいどこの誰だよと)。加えて、彼は「差別」を軽く扱いすぎた。彼がレイシストという批判については、当たらないと俺は思う。でも彼の論理がレイシストに対して極めて甘く寛容なものになっていたのは事実だ。
そしてその甘い論理でヘイトスピーチ規制派に論争を挑むのだからもう目も当てられない。彼の行動はTrollでしかなかった。「表現の自由」全ツッパ。それもいいだろう。だが俺はそんな戦列には加われない。
「お前たちは結局表現の自由と言いつつてめえのズリネタが守られればそれでいいんだろ?」――こんな揶揄を何度も目にする。腹立たしい揶揄だ。俺は、もちろん出発点は非実在青少年ではあったけれど、そこから色々と手を広げて国内外で表現の自由が脅かされているニュースはチェックし続けていたし、少しは声も上げてきた。だからこそこんな揶揄を目にする度に、違う、そうじゃない、と言いたくもなるし、腹立たしいから全ツッパもしたくなる。でも、残念ながら、本当に残念ながら、そこに一点集中してしまっている人というのは一定数日本語圏のインターネッツに存在しており、一点集中するだけならいいがヘイトスピーチ規制論議に殴りこみをかけたり性差別が問題になっている局面で敢えて逆張りの論陣を張ってみせたりする。「○○人は嘘つきの劣等民族」と喚き散らして何が表現の自由だ。ポスターに抗議が殺到して取り下げに至ることのどこが表現規制なんだ。
表現規制反対派に向けられる主語の大きい揶揄には、繰り返すが個人的には大いに不満がある。でもそう揶揄されるに足るだけの人材がこちら側の陣営に大勢いらっしゃるのも事実だ。敵の不行状は全力で嘲笑えばいいが、味方の不行状はどうすればいいのだろう。なるほど、確かに俺は関係ない。しかしそうやって切断処理するには、俺の忠誠心は固くその陣営に結び付けられてしまっていて、結果的に「同じ反対派がすいません」という羞恥と「俺はそんなこと言ってねえだろ!」という憤りを半々の割合で抱えて画面の前で悶々とするしかないのだ。
そうやって悩むのはもう疲れたし、疲れたから「表現規制反対。なぜなら規制は不当だからです。Q.E.D.」で全ツッパしたくなるときもある。でも少なくとも、そういう悩みの元となっている、困った規制派とは縁を切りたい。同じ側にいるけど、違う戦列にいるのだと言い逃れたい。
お久しぶりです。
知人と会ってエロ同人を見たときも少し勃起しましたが全然だいじょうぶでした。
でもこっそり暴露すると、今スーパードンキーコング3をやっているのですが、ディクシーにティンときている初めての感覚があります。
また自分はロリコンなのですが、夏休みでいろいろとあれな格好のリアル女児を見てもなんとも思いません。
非実在青少年限定のロリコンだということが改めてわかりました。
あと考えたのは三大欲求の充足バランスです。
ふだんは同じものしか食べていないのですが、帰省してからはいろいろと食べています。
食欲がすごく満たされている感覚があるので、性欲で発散しなくてもいい状態にあるのではないかということです。
(知人宅でエロ同人の整理をしていたときも、エロイ気持ちよりも眠い気持ちがすごく強かった)
性欲を考える余裕がないほど食欲、睡眠欲につながることをすればオナ禁は成功しやすい。
まあ当たり前と言えば当たり前ですね。
あとは最近読んでいた本がエロイ妄想をあまり刺激されないものだったからということも大きいかもしれません(帯をギュッとね!です)
アニメでいじられる立ち位置のキャラクターに、ソーシャルで悪口コメントをつける人間。そしてそれが当たり前になっている事について
現実で「いじめのつもりなかった。みんなでかまっていただけ」と弁解するいじめっ子と何にも変わらない事に気づいた。
アニメキャラは自殺しないし、いじめで泣きもしない。告げ口もしないし非実在青少年に関する保護法案も制定されてないけど
この人間は現実で笑って人を殺したり、人をいじめることをコンテンツにしてるようないじめっ子と同じメンタルを持っている。
そしてそんな人間が、ともすればいじめられることの多かったオタク側に紛れ込んでいて、しかも誰も違和感を覚えていない事が非常に不快だ。許しがたい。
http://anond.hatelabo.jp/20140423182944
震災の時くらいから思うようになったんだけど、関係のない人間が不謹慎と言うのって適当ではないんじゃないか。
被災地の人が「暗いニュースばかり見たくない」と言ったりしたのに、勝手に誰かの心を慮って、他人の行動を制限するなんてないんじゃないの?
昭和天皇が崩御されたときに、テレビが一斉に自粛ムードに入った。
ほんとうに陛下を想い悲しんでいる人は、特別番組はありがたいものだったろう。
でも多くのレンタルビデオ点に走った人の行動を、だれが非難できようか。
ただ自粛を他人に望まないのであれば、それは好きにすれば良いことだ。
増田(使い方が合っているか自信はない)のいう相手は、ブスッと黙っていたそうなので、不快に思うのはその人の自由だ。
悲しみが癒える速度は人によって違う。
人によっては100年かかるかも知れない。タイタニックを不快だと思う人もいたかもしれない。
聞きたくない話を聞かない自由もある。
他人にそれを強要しない限りにおいては、それもまた認められるべきだと想う。
増田は増田で「不快な顔をするな」ということを強要すべきではない。
他人は他人なんだから。
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。
しかし、多くの心ある方々が学会誌を擁護してくれているそうで心強くある。
ああいう表紙にして、実際に売上が伸びたという事実以上に強い擁護はない。
このリンクから人工知能学会のサイトへ飛べるので、そこから購入手続きをしてもらえれば幸いである。
http://www.ai-gakkai.or.jp/journals_of_jsai/
では、以下にこの件が女性差別でない理由をまとめていく。
ネット上の発散しがちな議論を一本にまとめたつもりだが、個人的な解釈の違いからくる間違いが含まれるかもしれないことは断っておく。
まだロボットは人間の決定に文句を言う権利を持っていないが、この絵に差別を感じられるのは当事者であるロボットだ。
つまり、この絵にどのような意味が込められていようとも人間の女性への差別には当たらない。
これに女性差別を感じるならば、それはロボットを人間だと曲解した上での議論である。
実はロボットだったとしても、外見がここまで女性的である以上言い訳にすぎないのではないか、という言い分も理解できないこともない。
だが、仮に絵の中のロボットが腰にケーブルをつけているだけの人間の女性だったとしても、そこに差別的な表現を読み取るのは難しい。
批判しているようなごく一部の人を除いて、この絵を見た時のリアクションは
「あ、かわいい子が掃除サボって本読んでる・・・あれ、これロボットなの!?」
数十年後の未来、なんの変哲もない日常生活の中に浸透した人工知能の姿を読者に届けるという目的に合致している。
女性の品性を貶めよう、人権を侵害しよう、男性と同じ権利は与えないようにしよう、といった、差別を助長しようという意図がないのは明らかである。
おそらく問題視されているのは差別ではなく、古くからある偏見が強化される恐れだろう。
例えばこの絵を見た人は
「XPのサポート終了にすら対応できない日本人は技術革新についていけず、遠い未来においてもほうきで掃除する」
「なんだって!日本にはこんなかわいい掃除ロボがいるのか!俺の国には太ったババアしかいない!ファック!」
といった偏見を強化される恐れがある。
(なぜか問題視されているのは最後の一つだけであるが・・・特に3番目の例は今後深刻な話になっていくだろう。日本人は損しないかもだけど)
それは確かに問題なので、断り書きの一つもつける必要があるだろう。
「たばこの吸い過ぎは健康を害する危険性があります」っていうのと同じ程度に。
ドラマの最後にだって「この物語はフィクションです」みたいな断りを入れる。
今回の場合は、
「表紙絵の女性はロボットであり、いかなる人種、個人に対する差別、偏見を助長する意図はありません。また、表紙絵の中で使われている技術や生活用品は現在あるものを基準に描かれており、未来の技術の発展の様子を予測するものではなく、このような女性形ロボットは未だ開発途中であり一般家庭に普及しているわけではありません。」
といった断り書きを小さく裏表紙の隅にでも書き込むべきだった。
そういった怠慢への批判は甘んじて受けるべきだと思うし、今後生かされていって欲しいと思う。
ここから先は生産性のない議論になるので読み飛ばしてもらっていい。
一言で言えば、自分の姿にコンプレックスを持っている人が、そのコンプレックスを刺激されて爆発したというだけの話なのだから。
今回騒いでいる人は、社会正義のために声を上げているのではなく、とにかく不快になったという人の方が多く目につく。
目立った批判を集めて一つにまとめるとこうなる。
「なにこれキモッ!
男の女を支配したいって欲求むき出しじゃん!
家事なんて、そんな底辺の女がする仕事なんて私はしたくないし、私はそんな底辺女とは違う。
これで『女性はかくあるべき』なんて偏見が助長されたらますます仕事がしづらくなる。
汚らわしい。
私は絶対そんな、男に媚びるような女にはならない。
そんな都合のいい女いるはずないのに、今度は人工的に作るとか言い出しやがった。
男の欲望の思うがままにされるためだけの女性が人工的に作られるなんて、同じ女性として気が狂いそうになる。
それを日本の人工知能研究の主流と取られかねない場に乗せるなんて、死ねエロ猿ども!
なんの反論もございません。
全員がそうとは言わないまでも、確かにそういう流れは存在すると思う。
だが、それは差別ではない。
男性の性欲についての話だ。
おしとやかで従順で決して逆らわないようプログラムされていて家事炊事で甲斐甲斐しく世話をやいてくれる女性が好きだと言って、なぜ女性全体を差別していることになるんだ!
不快になった人は単にお前は俺の好みの女じゃない、と言われただけだと気づけ。
学会誌の表紙でそんな恥ずかしいカミングアウトをするなという批判はその通りだ。
「私はこんな風潮は間違っていると思う!個人的に嫌いだ!」
しかし、実際には個人的な不快感でしかないものを差別という絶対的な社会悪と結びつけて主張している。
しかも主張の内容は男性に性欲を持つなという、無茶苦茶なものだ。
そんな主張、そのまま出しても鼻で笑われるだけだ。
だから差別という、絶対反論できないお題目を掲げて主張するのだ。
自分の力ではなく、他人の力におんぶで抱っこで議論をしようというのだ。
俺はそんな卑怯者に払う敬意など持ちあわせていない。
もちろん女性蔑視などしていないが、そういった卑怯な女性ははっきりと軽蔑する。
だいたい、女性側が専業主婦にひどい差別意識を持っていない限り、こんな主張は出ないのだ。
これは述語論理を使えば数学的に証明できるのではないだろうか。
一方、普通の男性は専業主婦に差別意識を持っていないから、何が問題なのか分からない、そもそも問題など存在しない、と思うわけだ。
一体どちらが差別主義者か。
もし、彼女らの専業主婦への差別意識が、自発的に生まれたものではなく人から刷り込まれたものだとしても、
それはこの絵を書いた人や表紙に採用した人ではなく、あなたにそう言った人に直接言ってくれ!
まず単なる個人の不快感を差別という文脈で語るのが許せないというのは先に述べた。
それに加えてこの件のおかしなところは、仮に表紙絵のロボットが性奴隷に従事させられていたとしても人間の女性に被害者は一人も居ないということなのだ。
これは「非実在青少年の人権」などという存在しない権利をもって、言論の自由を制限しようとした表現規制へと直結する流れだ。
そんなロボットを作りたいと願うのも、当然自由だ。
なぜなら、それにより女性の権利はまったく損なわれないからだ。
にも関わらず、これを差別だなんだと、表現規制をかけたり、無意識の差別、つまり考えることすら規制しろとか言う人すらいる。
それを表現しないなら、内心の自由として憲法でも保証されている。
その自由を脅かすのは、まさに人権侵害だ。
歴史に汚点を残して1000年経っても記録に残るぞ。
だいたい、差別と言っても、身の回りの人物から家事を強制されるとか、そんなもんだろ。
そんなの個人の話し合いで解決しろよ。
なんのために口がついてんだ。
そこを差別問題として取り上げて、もしなんらかの法規制が行われたらどうなると思うのか。
個人と個人の間にある、個別の問題にまで規制が踏み込むことになったら、どうなるのか。
最終的に行き着く先は「少子化対策のために20代の夫婦は毎週3回セックスすること」なんて法律で規定されるような社会だ。
本当にそんな社会になっていいのか?
いいという人が国民投票で2/3を超えたらそれに従おう。
しかし、そうじゃないだろう。
本当にそんな世の中になったらみんなが不幸になるだろう。
ならば戦うしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
↑のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131227195049
家事って卑しいの?
http://anond.hatelabo.jp/20131227201943
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
http://anond.hatelabo.jp/20131227220739
38歳女のあれがおもいのほか広がったけど
増田の人なら、16歳女の処女性がアイドル的に広がったことに対して
それを38歳まで腐らせるとどうなるか。という完全な思考実験の上の
釣だと分かってたと思う。
本当に、そんな輩がいると思って叩く。
頭の上の方でもやもや浮いてたハンマーの落とし所を見つけたから振り下ろす。
アイスボックスに入った輩が炎上したのも、だいたいそんな感じなんだろう。
目の前に、振り下ろしても良いマトがあったから振り下ろされただけ。
それは、表現の後ろに実在する生身があるか無いかの違いなだけ。
でも、いつかその小さな握力の違いは力説され、色分けされ、
別に何が言いたいわけじゃないけど、なんか夏だなあと思った。
アイスボックスに入りたい気持ちを抑えて、水風呂に入って思った。
エッチな気分になる時がある。人として当たり前だと思う反面、人様の前でさらけ出したい物でも無い。
僕は一応の社会性を備えているつもりなので、表立ってガツガツしていないように見えると思う。
で、僕ら一般人と彼らの違いは何かというと、当たり前だけど知名度。
彼らはきっと通販やネットでエッチな物を買う時も、自分の名前が流出しないかビクビクしているハズだ。
いや、大物になればなるほど、そんなリスクは冒さない。
心の天秤がガタガタ揺れる。
リスクは(発生頻度×インパクト)なので、奥様以外で性衝動に駆られた場合は、そのリスク評価を行う事になる。
この場合、奥様は最初に除外しているし、空想は高度なスキルと経験が必要なので除外すると、オプションは三つ。
1は過去なので既に変えようが無い。その評価に意味はないので、発生頻度はゼロとしよう。なのでいくら掛けてもゼロ。だけど飽きてる。
2は克明に個人情報と購入物が紐付けして管理され、その管理形態も明確でない事から、そのリスク、流出時のインパクトも有名であればあるほど大きい。目をつぶると、新聞に「○○流出!」という見出しの最初に自分の名前が書かれている風景が目に浮かぶ。
すると3がリスクとメリットのバランスが最も取れた選択のようだ。
確かに、実店舗であれば現金取引なら足もつかないし、監視カメラや、週刊誌の記者なども簡単な変装で大部分はクリアできそうだ。
つまり、発生頻度の母集団を自分のコントロール下に置く事ができるようになる。
これは、ある程度成功してきた人間にとっては大好物だ。誰に管理されるか謎な2よりも、絶対3を選ぶ。
すると、後は買うか、会うか。
この二択は全く同じと言えるだろうか?
ばれたらどうしよう…?
発生頻度は同程度まで極小化されるが、インパクトが違いそうだ。完璧な対策では無いがゆえに、次は流出時のインパクトを詳細に評価する必要がある。
この場合、店員さんや記者などの比率は同じとして、不倫の場合相手からから漏れる場合が多そうだ。
でも、自分は大丈夫。だって成功者だから。奴らは所詮二流で、不倫相手のメンタルマネジメントもまともにできないボンクラだ。自分は違う。
そうすると、コミックLOの愛読者だと世間に知られた時のインパクトか、不倫をしてきたと知られた時のインパクトのどちらがより小さいか。が焦点になる。
ここは有名人なのでどちらも入手コストに大きな差は無いとするなら、後は「どっちのレッテルの方が耐えられるか?」という問いになる。
第三者視点で普通に考えたら間違いなくコミックLOの方がインパクトは小さい。不倫は法的にも、社会的にも大きなインパクトが伴う。
でも、自分の事として考えたらどうだろう?
周りの友人知人の「二次ロリ好き」レッテルに自分は耐えられるだろうか?
僕なら耐えられない。「好き者、お盛ん」レッテルなら、いくらでも耐えられるが「二次ロリ好き」はなんとしても避けたい!
たとえ、社会的に抹殺される事になろうが、妻と別れる事になろうが、子供が泣こうが「二次ロリ好き」はもっと嫌だ!
という事で、有名人は自分で頑張ればリカバリ可能そうな不倫にしか辿り着きようが無いのではなかろうか?
だから、性欲のある成人男性である以上、不倫は許してあげてもらいたいと考えるわけです。
そう考えると、非実在青少年なる哲学的な存在を取り締まろうという考え方も、そもそも、自分の選択肢に無い物なので、まぁ、反対する理由がないなぁ。というのが多くの有名人たちの印象かもしれない。
大人ってなんだろう?
身体的・精神的に成熟し、労働し社会的責任を負うことが出来る人間だろうか。
不思議なことに、日本の法律ではその定義は全くもって一貫されていない。義務教育は中学まで、中学を卒業すればフルタイムで労働可能、女性は16歳から結婚することが出来、18・19歳は成人ではなく選挙権がない。しかし、身体的・精神的成熟という意味での成人(大人)と児童(子供)の定義は、本来、個々の問題で変わることはないはずである(酒・タバコのように物理的な影響のあるものなど、もっと細かい粒度で考えるべき問題は当然個別に考えるべき)。
児ポ法は本来こういったところまで議論すべき問題だと私は思っている。
定義が一貫されていない。ということではないと思う。ただ法律がいっぱいあって複雑になっている。
義務教育は国民のすべてに教育を受ける権利があり、とりあえず中学までは国なり親なりが子供に教育を受けさせる義務があるということ。労働は中学生以下でもOK、賃金を払う形の雇用が制限されている。まさしく子供を保護するためだ。子供が経営者になるのは良い。親の同意があればその事業に関しては大人と同じ権利義務を持つ。それ以外の場合で契約に親の同意がないと契約を取り消すことができる。未成熟な子供が高額な買物をしたりしないように保護しているわけだ。
女性は16歳で結婚できる。ちなみに結婚すると未成年でも契約行為に関しては大人同様の権利義務を持つ。結婚するには両親の同意が必要だが、離婚には同意はいらない。さらに結婚した未成年者は契約行為、訴訟行為、登記行為などが大人と同じあつかいとなる。結婚するぐらいなら一人前の大人だって事にすると日本村で同意したわけだ。
つまり、貴方が感じているように
子供の保護の程度と子供の権利は、個々の問題で変わることこそが本質といえる。子供はある日突然大人になるのではなく徐々に大人になるのだから。
今回の児ポ法改正のメインは単純保持の規制で、それはそれで議論の余地があるのだが(これについても「単純保持は当前のことで議論の余地はない。」とか言う思考停止はやめて欲しい。)、最初に挙げたリンクでは、そちらではなく、漫画やアニメなど非実在青少年に対する規制に関して言及していることが問題とされている。
漫画に「表現の自由」は必要だろうか?:少年 佐藤秀峰:佐藤秀峰チャンネル - ニコニコチャンネル :エンタメ
つまり、法的には制限せず、団体であれば自主規制すべき。同人やアングラでも相応の批判を受けうるのは当然である、という立場。
単純保持の規制は議論のないぐらい問題です。わいせつ物が配布や陳列でなく単純処置で規制されると考えたら恐ろしい。行政は常に個人を縛ろうとするから気をつけろ!
自主規制は必要で、それが市民権を得る常套手段です。ビデ倫の成功を見て判る。ただ児童ポルノ規制や青少年有害図書規制は団体が作りづらいだろうなぁ。話はずれるがコミケなども自主規制を検討していたほうがいいと思う。
表現規制の歴史をふりかえってみようか | DDN JAPAN - DIGITAL DJ Network
http://japan.digitaldj-network.com/archives/51565236.html
http://megalodon.jp/2010-1012-0424-32/homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.html
サブカルチャーという定義がいまいちぼやけているので分かりまねますが大衆文化という定義で捕らえるとサブカルチャーだから何かしらの特別な影響を生み出す物ではないとは思っています。60年前の新聞には歌謡曲が俗悪流行歌として取り上げられています。
文化というものは時間を掛けて成熟され評価される物だというのはいつの時代も同じだということです。
コンピューターゲームが日本において広く認知されたのは今から30年前のスペースインベーダーブームがだと思われます、そしてファミコン誕生から26年です。
統計を見てもファミコンやコンピューターゲームがなかった時代あった時代も少年犯罪の発生率は増えてもいない減ってもいないというのが正しいのではないでしょうか?
犯罪の質も殺人や強姦、強盗といった重大犯罪よりも自転車泥棒といった横領が増えています。これは経済的にやむにやまれずと犯行を行ったり性の発散を行う術がなかった事による悲劇だと思いますがむしろ今は一人っ子によるストレスや孤独による物であったり周りに常識を教えてくれる人が居なかったが故に、周りの大人達が行っている行為を行ってしまい放置自転車を持って帰ってしまったり放置傘を持って行ってしまったといった類の物だと思います。
その子供が自ら意識して興味を持ち見るといった行為を私は遮るべきではないと考えています。
自らの意志で性的な物に興味を持ち見てみたいという行動も自分の中で性を消化していく過程では必要なのです。
問題なのは性的な創作物に触れる意志がない状態で見てしまう、受け入れる準備が出来ていない状態で見てしまう事が問題なのではないかと思います。
たとえばティーン向けの雑誌で性の相談を載せるレベルならいいでしょうが全員が受け入れる準備をしていないのに前戯仕方が載っているなどといった事です。
成年雑誌についてはテープで封がされていて開けないようになっていたり、成年ゲームに関しては元々が相当高額であったりクレジットカードによる認証が必要だったりとハードルが高くなっています。
出来る限り心の準備が出来るまでフィルタリングソフトで見せないようにしてそれを自力で解除してまでみたいという気持ちが生まれてきたのなら黙認しつつ正しい性教育も行っていく、家庭内でもタブーにて触れないのではなく体の成長に伴う不安に思う心を和らげてあげるサポートをしていくのが良いのではないでしょうか。
by bobcoffee 2010/03/25 17:18:05 from hatena haiku 返信 初稿 2009年05月14日
話しを発散させて済まないんだが、
非実在青少年の件を踏まえると、あの極端に美しい妻たちが世間に認められすぎると同じような問題に巻き込まれるような気がしてならない。
女だけどあれ触ってみたい。。。おっぱい揉んでみたい。。。
テレビ版しかみてないけど、あのマミさんの首チョンパって話題作りのための演出以外の何でもなかったと思う。
命の儚さとか、現実の冷酷さをみせつけるために、わざわざあそこまで、首から下がプランプランを影絵でみせる必要は感じない。
魔法だ魔法少女だ願いだ言ってても、死ぬときゃ死ぬんだな、ってことを伝えたかったわけ?
そうだとしても物語の主題である、願いと対価という問題にそれが必要かって言ったら、首を傾げる。
一人一人まどかになにかを伝えながらリタイヤしていって、ほむらとまどかの2人にすればよかっただけで、グロである必要はなかった。
さてそれはとにかくとして、あれをR指定しなかったら、なにをR指定するべきなのだ。
実写じゃなければ、どんなにグロだってエロだっていいんだろうか?
エロもグロもつくるのはいい、でも子供の目の届かないところにおくのがマナーでしょ。
それが出来ないから非実在青少年がうんちゃらってことになっちゃったことをもう忘れたのかな?
原作を知らない人でも、大人でも子供でも誰でも楽しめるように作るべきで、気分を害する人が出るような作品の場合、ちゃんと作品紹介のところにそれらしいことを書くかなにかすべきじゃん。
「薬やってそう」「治安悪化させてそう」「いかがわしい」という市民の声を後ろ盾に、警察が取締りやら空振りの尿検査やら、事実上の粛清をやっているんだけどな。
それってパブリックエネミーと見なされているってことじゃないのかな。
「そこまで悪くない」と反論したら自意識過剰と返されるのか。辛いな。
それに本当に社会が「知らない」「興味がない」「関係ない」と受け止めているのなら、逆に言えば善良な秩序に影響なく取締も不要じゃないかな。
でも確かに内向き過ぎというのは耳が痛い指摘。
中にいると全く自覚ないから。
非実在青少年問題の時、アニヲタ側はどういう戦略で世論に訴えたんだろうか。
クラブ好きとはノリが違ったんだろうか。