はてなキーワード: 非実在青少年とは
東京都は出版社が集積していることとか憲法との兼ね合いとかで普通に法学部の教授も問題話題にしてたけどなぁ
「子供にエロ見せちゃいけないの当たり前」とか争点にかすりもしてないし
吹き上がりも吹き溜まりもどうでもよくね
当時と今とでは大して変わらんと思うよ
この問題は見方を変えると「エロであっても全年齢向けメディアに載せることは可能」とも取ることができよう。
PSP用のゲーム「CONCEPTION(コンセプション)俺の子供を産んでくれ!」がCEROレートC(15歳以上向け)でしかなく、第2作の体験版は3DSで15歳未満でも無料ダウンロードできたり、今期開始のアニメになったり、PS4で新作が出るのも、エロではあるもののその表現を変えているからだ。
つまり「セックスシーンはNGだが、手をつないで異能を発揮することで子供ができるのならOKだし、ちょっと(手を)強く握りすぎちゃって『あっあっ』と喘ぎ声が出てしまっていてもOK」ということである。
そもそもエロが問題視されるようになったのは、同じ表現の焼き増ししかしないエロ同人作家のせいである。表現が偏っているので規制もしやすい。
しかし問題は「どう見せるか」であって、エロ自体は問題ではないことが上述のとおり分かってきた。
エロ行為すべてを表現せず、断片だけを見せることで規制を回避し、読者が想像力で断片をつなぎ合わせる──それが全年齢向けエロを実現する《鍵》になるだろう。
ネットでのNG表現を回避するのと同じやり口ではある。「死ね」ではなく「タヒね」、「ころすぞ」ではなく「56すぞ」と書いても、相手がその表現を解釈できれば伝わる。記号を置き換えるだけで規制は回避できる。「隠語」というものもネット以前からあるではないか。法律その他ルールも明文化しなくてはいけない以上、特定の表現しか規制できない。しかし、人間の想像力は規制という網の目を通り抜けた断片的表現からでも、オリジナルを復元しうる。
例えば「非実在青少年」も「くすぐられているだけならOK」であり、「お前がママになるんだよ!」も「ただくすぐられているだけの状況」では意味をなさないためOK。アニメ「Fate/stay night」最終話で英雄王が「今までずうっと考えていたぞ。嫌がるお前をどう組み伏せ、呪いを飲ませるか。泣き叫ぶ顔を踏みつけその腹が身ごもるほどの泥を飲ませ(略」などと発言するのも大半の視聴者に「なんですか?その『身ごもる』って」と思われる程度に場違いであればOKなのである。
「※この作品に登場するキャラクターはすべて18歳以上です」「エロゲーの舞台が高校なのはNGだけど、学園ならOK」といったあと付けの言い訳さえ不要。
逆にエロではない状況を、どう見てもエロ同人の1コマでしかない表現で見せる例もある(鳴見なる「ラーメン大好き小泉さん」)。
ちょっと考えてみよう。そもそも「エロい」とは性的ではないシチュエーションに贈られる賛辞ではないか。性的な場面で「エロい」と言われても「頭痛が痛い」と同じように意味のない二重表現になるだけではないか。そうでないものを性的にすることこそが「エロい」のである。
というか、冒頭に挙げたようなエロ要素の拡がりを見るに、作り手は狙ってやっているように見える。現実はもうそこまで動いているのではないだろうか。
とすれば、残る問題は受け手だ。「新しいエロ表現に、読者の想像力が追いついて来るか」である。作り手はエロとして描いているにも関わらず、受け手にはエロだと気付かれていない作品はおそらくある。先の「ラーメン大好き小泉さん」もそのひとつだろう。先のラノベ表紙エロすぎ問題における「作り手の配慮が欠けている」という指摘も、受け手の理解不足によるものと思われる。
だからと言って諦めてはいけない。コミケでは黒く塗りつぶさなければならないような使い古された記号に固執する豚よりも、もっと良識のある読者層を対象に「新しい記号」を作り出すほうが建設的ではないか。あえて言えば、それがこれからのエロ系作家の使命ではなかろうかとさえ、私は思う。
長くなるので人身売買やら性病の蔓延やら貧困層の搾取の問題を分けて考えると、成人女性が自らの自由意志で己の性を売り、それを男性が買うという行為は、本質的には他の商売となんら変わりありません。
サロンでリンパマッサージのサービスを売り買いするのと同じ事です。
しかし悪ではありませんが同時に、国によっては法律違反になります。
これは何故かと言うと、多くの人が売春を「キモい」って思っているからです。
自分の春を売ることに拒否感がない女性もいますが、彼女らはマイノリティーです。
マジョリティー側の人間が「キモい」と思ったので、売春は法律で禁止されました。
このように悪ではないがマイノリティーの価値観が理解されず、共同体の感情によって禁止される行為を「被害者なき犯罪」と呼びます。
被害者がいないのに非実在青少年の性的描写がヨーロッパやアメリカで規制される理由も、一言で言えば「キモい」からです。
ちょっと前までのキリスト教国家やイスラム教国家では、「教義に反するキモい奴」という感情を共同体が持っていたので同性愛は違法だったわけです。
今ではその様な感情は薄れ、多くのキリスト教国家では同性愛者は罪に問われ牢獄に入れられることはなくなりました。
「いや、売春は同性愛とは違い人身売買を防ぐために禁止したんだ」
「売春が合法だったら、借金返済できなかった際に「お前の体で払え」と言うのも合法化されてしまう」
という声もあるかもしれませんが、それであるならば人身売買の取り締まりを強化すれば良いだけで、売春自体は禁止されないはずです。
職業選択の自由は憲法で保証されてますし、 お金がないなら自己破産も行えます。さらに「お前の体で払え」というのは恐喝になるので録音すれば 恐喝者はブタ箱行きです。
売春自体を違法としたのは政治家が多くの女性票を取り込むためです。
マイノリティー側の売春婦は大多数の女性に理解されず、売春婦差別肯定とも考えられる売春防止法が成立しました。
実際、当時の売春女性の団体は売春防止法の成立を阻止する為、反対デモを行ないました。
とは言え、実は日本でも不特定多数の人に対する売春は違法ですが、愛人契約して一人の男性に対して春を売ることは合法なので、日本で売春は完全には違法ではありません。
「悪ではない行為を禁止する法律が存在しても良いのか?」とあなたは考えるかもしれませんが、
私は法律は人間が人間を裁くために共同体の様々な意見を取り入れて作られるものだと思っているので、共同体の為「悪ではない行為を禁止する法律が存在しても良い」と考えています。
なので私はバスケ選手の売春問題の件は、多くの人が不快に思う、そして違法かもしれないグレーゾーンの行為をしたという事になるので、選手は間違ったことをしたと思っています。
あなたがリベラリスト(自由主義者)なら個人の自由を謳い、売買春は悪くないと主張するのも良いかと思います。
共同体の感情を変化させるには膨大な労力と時間がかかるでしょうが、皆の意見が変われば法律を変えることは不可能ではありません。
私はリベラリストでないので個人の自由は一番に重要視はしませんが、売春には人身売買やら性病の蔓延やら貧困層の搾取の問題があり、なおかつ完全には撲滅できない「被害者なき犯罪」なので、合法化してしっかり管理し、売春を行う女性の人権が守られるようになってほしいと思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/367565673/comment/kido_ari
(当初、「Aを批判する人はBも批判しろ」論法が有益な議論の発展に役立ったのを見た記憶がない旨のコメントをしていましたが、上記のコメントについては撤回しました)
id:kido_ariの雑ブコメにスターをつけたid:yas-mal
http://b.hatena.ne.jp/entry/367565673/comment/zyzy
自分の観測範囲だとすでに批判されてるよ。ただこれだけは言わせてくれ。「AするならBもしろ論法使う奴は、世界中の飢饉がなくなるまで飯食うな」
id:zyzy尊師にもスターを付けたid:yas-mal
http://b.hatena.ne.jp/entry/367867004/comment/yas-mal
差別ツィートではなく児童性愛系かな。「非実在青少年」って言ってた人たちはマジでディズニーに怒るべき案件で、そこでポリコレ嘲笑に向かうなら、「本気じゃなかったor自分用のエロにしか興味がないんだな」と…
スターを付けてる層が被ってるのも党派性で考えてるっぽくて良い
そもそも相手を「本気じゃなかったor自分用のエロにしか興味がないんだな」と見下すのめちゃくちゃゲスいよね。
そこに偏見入っていませんか?
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/07/11/114310
「規制を求めたものではない」「少年誌にふさわしくないと言っているだけ」という理由で
反規制派の暴走であるという意見が散見されるが、決して暴走でも過剰反応でもない
上記二つの意見は、2010年の非実在青少年という単語が有名になった有害図書指定に関わる都条例改正を擁護する立場から多く見られた
「少年誌にふさわしくない」が定着した後に要求されるのは「成年マーク付きでやれ」か、「青年マークを新設しろ」になることは目に見えている
そしてCEROが公的規制に悪用されたように、青年マーク付き書物の購買年齢規制が条例レベルで始まる
そんなバカなことは起きてはならない
これとても素晴らしいと思うんだけど、これ採用すると非実在青少年みたいなのとちゃんと向き合わないといけなくなるよね。とくにこのあたり。
"この記事でクリストフが論じていることの一つは、文学を読む習慣が普及したことは人々を道徳的にさせた、ということだ。例えば、アメリカで奴隷解放運動を支持する人を増やしてやがては運動を成功させた要因の一つは、ハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』が広く読まれたことであった。最近の心理学実験においても、フィクション作品を読むことが人々の他者に対する共感を強くさせる、ということが示されている。"
とくに海外映画でゾンビものが流行ってる理由って、単純に迷いなく殺せる(死んでるけど)相手っていうだけなんだよね。
昔なら勧善懲悪、敵は迷わず皆殺しが当たり前だったのに、いちいち雑魚一人にも人権がー人生がー家族がーとか始まってしまったことで、昔見たく気軽にザコを殺せなくなってしまった。
最近の作品はゲームでも映画でも本当にこの辺に気を遣っていて、アヴェンジャーズとかもビルとか街並みがどんどん壊れていくのに市民が一人も死んでなかったりと変なことになってる。
そういう視点から行くと日本のゲームは時代遅れで、無双シリーズなんて本当に理由なくわらわらと湧いてきては人が死んでいく光景を当たり前のように見ることができるのだけど、非実在青少年ポルノよろしく間もなくの命です。
ところがそれを逆手に取ったのがnier automataで、意思を持たない機械生命体を迷わず殺しまくってると、その内プレイヤーがあれ?と思う仕掛けに溢れている。
このゲームをやってみると、どうして海外作品がゾンビだらけになってる理由がすんなりと理解できるはず。相手から襲われるまで攻撃したくなくなってくるから。キャッチコピーのひとつである「命もないのに殺し合う」は、近年まれに見る名コピーだよな。
へーそんな視点あったんだ。って思った人は、最近みた映画、特にミュータント系の映画を見直してみるといいよ。全然死なないくせに、突然感動を盛り上げるためにキーパーソンが死んだりするから。うける。全員桃太郎な学芸会かよ。
ただ、これが命の大切さを問うかどうかは別だと思うけどね。ああ愛にあふれる美しき世界。
追記
ヤダ、このタイミングで注目エントリーに乗っかったら下の増田に乗っかったのがバレちゃう(*/∀\*)
追記追記
ちょっとまってくれ。埋葬方法とか、もちろん下地に流れる文化の違いはあるのだけど、そうじゃない流れが始まってるってことをいいたいんだ。
モンハンで狩りをする必要性が見いだせないプレイヤーは現実にいて、映画の中で悪役だからといって捨て駒のように出てきては死んでいく姿を見るととたんに覚めてしまうファンも多く存在している。
マッドマックスも過去は命を軽んじてなんぼの作品だったのが、単なるヒャッハー映画じゃなくてウォーボーイズたちに死の正当性を矛盾なく与えることができたからあそこまで評価されたんじゃないか。
そんな中で雑魚を殺しまくっていくことに段々と疑問を抱かせてくれるのがNier automataなんだって。
まずはやってみて、それから考えてみてくれ!ってこれじゃNierのステマじゃねーか!9Sと2Bのどちらに抱かれたいかなんて選べるか!