はてなキーワード: 美的とは
表題の通り。
個々人の好みや「可愛い (or カッコイイ)」か「綺麗」かでも変わってくると思うんだけど
やっぱり常に美しい人間っていないのかな、と。
結局は年齢、髪型、化粧、服装、雰囲気などに左右されてしまう。
常に「作画が安定している」ってことはない。
写真の方が綺麗に映る事もあれば、逆に映像の方が良いこともある。
何年か前の橋本環奈さんとか、いつかのハーゲンダッツのCMの中条あやみさん、
ドラゴン桜の時の南沙良さんは個人的にレベルが高い方だと思うけど、
先の通り、その時々の見え方で良し悪し(美人か普通かってところだけども)が変わる。
女性ばかり挙げたので今度は男性。ぱっと思いつくのは城田優さんかな
いつ頃が一番カッコ良かったかは覚えていないけど、花ざかりの君たちへの頃かね~?
あとは亡くなられてしまったけれど、仮面ライダー剣の時の窪寺昭さんも。
映画全然観ておらず、俳優も女優も知らないので何とも言えない。
知っている限りだとKristina Pimenovaさんは全体で見てもかなり上位の美人だと思うし、
幼い頃から美しさを保ち続けて成長している。
Dasha Taranさんも上位ではあるけれど、動画と化粧によりけりかな。
老いがある限り、やっぱりその時々の旬があるものかね、人間は。
個人的には美しければ年齢は問わないけれど、
どうしても若い方が美しく見えるよね。
「カッコイイ」だったら渋いイケおじもアリなんだけど。
そのくらいの美的レベルを自主的に追求する男性がどんどんまじってきてるぜってこと
ちなみに就職先で女性職員採用試験にきた男性もスカートでつるっつるであと喉仏だけっつってスカーフ首に巻いてる以外普通の化粧したおばさんだった
女性でもすね毛ボーボー(になる人は実際いる。剃ったあと隣に座るとスネをぞりぞりされてすごく痛い)でスカートはこうとするならズボンのほうがみぐるしくない。
男性(LGBTのTとか)でもスカート履くまえにすね毛処理(永久脱毛の痛みにたえるとか)するくらいの意欲ある人(いわゆる男の娘とかじゃにーずあいどるとか)はスカートだってセンスが遭うのなら自分らしいと感じるだろう。
これアメリカではすでに日本から先んじてやってる。合理性と自主性の国だから。
でもそれでどうなったかというと、すね毛スカートする人があの人へんな人レッテル貼られやすくなっただけ。
ADHDとか自閉症スペクトラムもそうだけど、病気とされるはれものあつかいの範囲がひろがっただけなんだよな。
だからなんとなく子供にも黒歴史つくるまえに自主的に失敗をさけられるレベルの教育が必要なんだけど、日本人は目的より手段をおしえようとするため小学校でも説得に失敗しちゃってるwwww
結局見苦しくしないためならすね毛は剃るんじゃなくて永久脱毛でも黒タイツでもいいわけですし
なんなら俺はパンクスタイルでいきたいからすね毛はむしろあるっつってすね毛残し+スタッズつけたちぎったジーンズでもいいわけですよ
でも校則という形にしないといちいち説得するのがめんどくさいとかなるわけですよ
https://anond.hatelabo.jp/20130520215954
昨年末一昨年末『お前それサバンナでも同じ事言えんの?』というコピペが流行った。
ネット上では半分ジョークだが、弱者というのは、ほとんどこのような意味のことを『真面目に』言われ続けるのだ。
どの程度の障害かと言えば、
****
週末。財布と携帯だけ持って家をでる。さあ、どこにいこう。とりえあず電車に乗って街に出よう。本屋と手芸屋には行きたいな。映画もいいかも。あ、こんなところに新しいお店ができてる。入ってみよう。
****
なんてことは、全く、出来ないレベルだ。少なくとも思いつきで外出することなど到底ムリである。
とりあえず街に出て、あとは気分で散策。ぶらぶらとウィンドウショッピング。
まだ健常者だった20代のころに、意識することすらなく当然のようにできていたことが、今は出来ない。
このような生活の苦労について、語る。
辛いことがあった、と語る。
すると時偶、こう言われる。
要約すれば、
『特別扱いされるのを当然と思わないほうが良い。むしろ今の状態に感謝すべきだと思え』である。
『特別ではない、普通の、自然の扱いなら障害者なんか……』どうなるっていうんだろう?生きていけない?だから感謝しろ、か。
まあ、やや意味がずれるかもしれないが、要は、
『お前なんかサバンナだったらもう死んでる。生きていけるだけでありがたいと思え』である。
確かに、私なんかサバンナに行ったらすぐに死ぬだろう。1人では移動することもままならないのだ。
『障害者なんて本当は取るに足らない存在だ。生きていけるだけでありがたいと思わなければならないのだ。我々は善意で、お前たちを特別扱いしてやっているのだ。勘違いするな。調子に乗るな』
行き着く先は『生かしてやっている』でしょうか?
インターネットは顔が見えない。
だから今日は、非常に生意気で馬鹿な発言をさせていただこうと思う。
『自分は特別扱いされていない』『自分は[自然な存在]だ』という思いがあるのだと思う。
『自分は裸足で立っている。なのにあいつらは下駄を履いている』と。
それは本当でしょうか?
と、私は問いたい。
人間には、出来不出来がある。
運動能力、知力、コミュニケーション能力。
ありとあらゆることに、優劣がある。
歩けない人がいれば、歩ける人もいる。
遅くしか歩けない人がいれば、速く歩ける人がいる。
日本人のほとんどは、マサイ族より歩くのが遅いだろう。歩ける距離も短いだろう。
あなたはマサイ族のようには歩けない。
たぶんね。
そんなあなたが下駄を履かせてもらっていないとどうして言えるのです?
あなたはおそらく、能力のレベルの人口分布図の、最ももりあがったところにいるのに過ぎないのではないですか?
言い出したらキリがないです。大変にしょうもないです。
あなたよりもっと優秀な人類だけに合わせた世界が作られてもいいんですよ?
能力の高い人が、能力が低い人に合わせてあげる必要なんかないんですよ?
あなたが本当に下駄を履いていないと言うのなら、あなたよりもっと優秀な人達は、もしかするとあなたに合わせて、長い脚を短く切り詰めているのかもしれませんね。
長くてかっこいい脚をわざわざ切り詰めるのはさぞ痛く辛いでしょうね。
『身長は平均以下で顔の造形もやや醜いです。IQは100程度。運動神経は普通。美的センスは悪いです。こんな私ですが入店してもよろしいでしょうか?』と。
自然と不自然のあいだに、正常と異常のあいだに、きっちり一本?
違いますよ?
『境界線』は無数にあるんです。
知ってました?
もしかしてあなたは『正常と異常とを』『自然と不自然とを』隔てる境界線があなたの足下にあると思ってましたか?
その境界線より下にいる人達のことを、不自然で異常で劣っていると思っていませんか?
じゃあ、ちょっと上を向いてみてください。そこにも見えませんか? 境界線が。
『弱者の言うことなんていちいち聞いてたらキリがない。どこまで特別扱いしろってんだ』って?
あなたが年寄りなら若い人に、あなたが病気がちなら一度も病気をしたことのない人に、低所得者なら高額納税者に、そう思われているのでは?
あなたが『普通に暮らす』のは本当に本当に『当然の権利』ですか?
年収がいくら以上なら、自分が受ける公的サービス分をペイできるか知っていますか?
酒を呑むのでは?油物が好きなのでは?
健康に気を使い酒や油物や甘いものを控える人も居るんですから。
生まれながらにして体が丈夫で、病気にかかりにくい人も居るんですから。
そういう人に合わせた世界を作っても良いのでは?
あなたは外に出るのに、いちいちトイレのつくりやエレベーターやスロープの有無その他ありとあらゆることを確認しますか?
あなたは外に出て、通れない通路や入れない店に頻繁に出くわしますか?
そういうことがあまりないのであれば、それは社会があなたに合わせて作られているからではないですか?
社会があなたに合わせて作られていることを、あなたに対する『特別扱い』であるとは思いませんか。
上を見たら、きりがない。
下を見ても、きりがない。
きれいな水が飲めるだけで良いではありませんか。
数の多さにかまけているだけでは?
****
こんな話、本当に馬鹿らしい。しょうもない。へどが出そうになる。うんざりする。
でも、私はこんな感じのこと、わりとマジに、そこそこ頻繁に言われてます。
『辛い』と愚痴をこぼすと、
『もっと辛い人もいる』
『生きているだけでありがたいと思え』と。
でもそれは、そう言った本人にも、そのまま返ってくる言葉なんじゃないでしょうか。
その面では日本という国においてマジョリティだと言えるでしょう。
一概に白人が優位というわけじゃない。白人同士で完結しているわけでもない。
ラテンアメリカを旅したこともあるが、白人社会そのものがかなりレアな存在。
かなり田舎のほうにいくと親族集団みたいな形で存在していることがある。血が濃そうな社会だ。
混血が進みすぎて、白人とも黒人とも呼べず、エロ美的にも一つ別のジャンルを築いているといっていい。
白人はアジア系へも走る。そのもうひとつの理由は、かなわぬペドフィリアへの補償。
白人の差別する対象が、好みの対象だというのは、倒錯ともいえない、自然な二重性だと思う。
一方、アジア人の意識はどうか。ひとくくりにはできないが、一例として。
以前、タイで仕事をしていたときに、日本人を見る特有の目を感じた。
それは、まさに美白だった。日本人は白い、それがうらやましく、憧れなのだった。
しかし、その背景には、微妙な差別感情との共通項が垣間見えた。それはタイ南部の人々への蔑視だ。
歴史的に、タイの中部や北部で王朝を築いてきた「正統な」人々からすると、南部の黒々とした人々は野蛮にみえるらしかった。
美白へのあこがれと差別が底のほうでつながっているんじゃないかと思うような経験を何度かした。
美白といっても日本人の文脈でどうか、ということなんだろうし、
普遍的に語られることでもないのだろうとは思う。
僕はVtuberが好きだった.
今は嫌いだ.大嫌い.ムカデやゴキブリを見たときと同じような不快感を催す.Vtuberの動画を見てるという人も嫌いだし,そのような人とはできるならかかわりたくない.
それでも昔は好きだった.キズナアイやシロといった昔の「バーチャルユーチューバー」は好きだった,今でもそこまで嫌いではない.ホロライブやにじさんじなどが嫌い,これらの団体がこの世からなくなるのであればよろこんで命を差し出す.
ツイッターで流れてきたキズナアイの配信の切り抜きがきっかけだった,そのときはバーチャルユーチューバーなんて言葉は知らず「3Dモデルがきれいにモーションキャプチャーされてコンテンツになってる」程度の認識でしかなかった.
後にバーチャルユーチューバーなるコンテンツと知り,それからしばらくで世間的にも人気になって,僕もおっかけた.
コンピューターの処理性能が向上したからこそ,人類における技術の発展があったからこそ誕生したコンテンツに夢中になっていた,活版印刷機よって生れた本を読むという新たに生れた習慣が文化になる時間を追体験するような気分だった.
にじさんじが出てきてすべてが変った.
コンテンツに明示的なエロ,「セックス」が含まれるようになった.
これまでの物,すなわちキズナアイやシロやミライアカリなどが表現する女性的魅力で美や愛に近いもの,もちろんマリリンモンローのような官能性を秘めているが,それらはあくまでもすべて暗示的であった.全てが暗示のみであったというわけではなかったが少なくともコンテンツとしてそれらの表現を最小限にしようといった努力が認められた.
にじさんじの登場によって変化したエロの表現,僕が具体的に思う境界,それは消費的なセックスが暗示されているかどうかだと思う.
少なくとも「これまでの物」にはそれらはなかった.キズナアイの腕や足を露出した衣装,シロの背中があいたセーター,ミライアカリや輝夜月のキャラデザ,これらはもちろん現代のエロであるが女性的魅力の範囲であり,アンハサウェイやミランダカーが着るドレスのような美しさとエロであった.
にじさんじは違った,月ノ美兎のいちもつ発言や「わたくしで隠さなきゃ」,静香凛のバイノーラル配信でのカウントダウンなどでより直接的なセックスの表現が生れ,それは次第にエスカレートしていった.
明示的なエロは最終的に見る人に否定されず受けいれられ,市場の欲望を満すために自己的に増幅し,エスカレートする.それは再び視聴者の欲望を促し,まるで未来永劫終わらない運動のように,エロ表現が増加するのであった.
コンテンツに女性的魅力の美的表現ではなくセックスの暗示表現が混じり,エロティシズムであったものがポルノグラフィになった.付加価値表現として含まれるようなエロが直接表現として表われ,性的に消費が可能なコンテンツとなってしまった.
僕はフェミニズムの話をしたいわけではない,エロが売れるのは真理じみた事実である.通常エロは規制される,売れるからだ.しかしyoutubeでこれらは規制されなかった.それどころか「スパチャ」で正当化される.
エロが悪いという訳ではない,人に必要だから.しかし,好きだったものがエロコンテンツになったのが許せない.
モンローのような女性的魅力が控えめに混り,そしてそれ自身はあくまでも付加価値で,本質的な面白い物を探求しようとする精神に気高さを感じた.それらは死んだ.
新時代のコンテンツは,消費と提供が繰替えされるオタクコンテンツの一つとなった.
僕は残りの人生でVtuberを再び好きになることは決してないと思う,あの開拓時代のような精神であふれた時代には何年経てども戻らないだろう.
僕はVtuberが好きだった.
深夜に勢いで書いたのもあって雑な投稿だったのにいろんなが意見があってとても嬉しいです.
コメントなどを見ながらあらためて自分の意見をまとめ直すと,アイドルになってきたから嫌いになったというのが正しいような気がしてきた.
その意味でエロコンテンツになったというのは過剰な表現だったかもしれない.しかしアイドルになったからこそ,市場としてコンテンツとしてかわいさやエッチさの比重が面白さと同じかそれ以上の物になったから嫌になったんだと思う.
僕個人として,初期のころのVtuberは純粋に動画として面白いから見ていたという自覚がある.ニコニコ動画とかyoutubeのゲーム実況動画が好きだったから,その延長線上としてVtuberを見始めた.なので初期のころのバーチャルユーチューバーをアイドルとして見ていたつもりはなかった.(その過程で女性的要素を一切無視していたわけではないが少なくとも主軸として捉えていた気はない)
それがにじさんじで,というか"事務所"ができて「アイドル」になって,そしてコンテンツとしての主体が動画ではなくアイドルになってしまったのが嫌になった原因と思う.
その結果として,アイドルとしての評価軸がVtuberの評価軸に加わったことが気に入らなかったのかもしれない.
その上で,インターネットアイドルになったこと付加価値としてのエロが増えて,その事実に対して不満を述べたのが記事の内容である.
アイドルであれば,特にインターネット的であるなら,エロであれば売れるからエロになるのが宿命だと思うし,その結果「陰キャのキャバクラ」だとか「風俗嬢」だとか言われても仕方のないことだと思う.
性嫌悪したいわけでもない,女性の理想像を押し付けたいわけでもない.もし仮に初期のVtuberが男で以降アイドル化の流れがあったとしても同じことを言う(もっともそのようなものが流行するかはわからないが).女性像として自分と食い違う物になったから嫌ったのではなく,そもそも女性キャラだから見てたわけではない.
これらを踏まえると「原理主義者」や「老害」といったコメントは正しい思う.
僕は昨今のVの事情はそこまで正しく把握していない.
ミライアカリは美でも愛でもないよな.ここはたぶん勢いで書いた.
技術がないから悪いというわけではないが,アイドルコンテンツとして見るならば技術は不要になるのは当然な流れだ.かわいければイラストが動くだけでも十分だから.
VRChatの世界はあまり知らないが,こんどやってみようと思う.
初期のバーチャルユーチューバーたちをアイドルとして見ていなかったのが間違いであったのならば,僕に先見の明がなかったにすぎないことだ.
創作物は「A:物語の構造(意味・内容)」→「B:表面的な要素(表現方法・設定)」→「C:読み手の視線(時代・価値観)」で成立する。
で、Cが変わった時にBがそのままだとAの意味が変わってしまうんだよ。
しかし物語で一番重要な部分はAだから、Cが変わったならばBも同じく変える事でAの構造を維持するのさ。
つまりCで変わったものがジェンダー観だろうが死生観だろうが美的センスだろうが、そこが変わったならBを調整する事は物語の構造そのものの要請。
だからこそ銀英伝のように原作者自身がそれを望んだりする場合もあるし、当然読み手側が求める事もある。
主に発生順序ごとに各ブーストを並べてみた。
・顔出しブースト
ゲームの配信だけではいまいちフォロワーが増えない女性配信者がまず最初に行うこと。
今まではゲームカテゴリーで配信していたのにJust Chatting(雑談)での配信が増える。
一般的にシャツの胸元がゆるくなり、肌着の一部が顔を覗かせるようになる。
レースなど下着と誤解されそうなぎりぎりの肌着を選ぶ。勝負肌着。
・谷間ブースト
使える武器は使えと言わんばかりに主張してくる。
・生足ブースト
普段は顔もよく見てもらいたいのでバストアップを中心に配信を行っているが、ショートパンツ生足という嗜好性の高いユーザーを容易に獲得できる方法に気が付き手を染める。
この頃からゲームの配信頻度と雑談の配信頻度が逆転し、ゲーム画面とプレイヤーカメラの画面占有率が逆転する。
とにかく健康的な肉体が弾けていれば勝手にエロスを求めたおっさんどもが釣れる。
主にネコ。適度なハプニングを起こしてくれて、クリップが作られやすくなる。
ただしフォロワーを増やしたい魂胆が見え見えだと、動物好き全体を敵に回すことになりかねず、アンチの攻撃対象になりやすい。
ギリギリを攻めすぎるとBANされるだけでなく、低俗なフォロワーばかりが増えてむしろ収益を落とす結果になりかねない。
何食わぬ顔で普段着にノーブラ、もしくはぴたっとしたスポーツブラで乳首の凹凸をさり気なくアピールする。
やりすぎるとBAN。
twitchの練度が低い視聴者では一覧のサムネでは気づかないことも多く、今までのフォロワーに対してのご褒美的な扱いになることも多い。
フォロワーは一度でもこれを経験してしまうと、もう一度やってくれるのではないか?という期待のものに足繁く通うようになり、それ欲しさに課金してしまう人も出始める。
一通りフォロワーが増えると、それを自分自身の人気だと勘違いするようになり、普段着での配信が増える。
画面比率や配信カテゴリーの比率も、だんだんとゲーム中心になる。
もちろん徐々にスケベ目的のフォロワーが離れていき、ある意味では質のよいフォロワーだけが残るが、熱狂的な投げ銭はここで止まる。
・魔物化
普段着ブレーキとは逆に、透け乳首を経験したフォロワーが、次の透け乳首を見たいためだけに訪問をやめられなくなったり課金をしてしまうようになったりするのと同じで、一度でも高額の投げ銭を受け取ってしまった配信者は、もう一度同じ思いをしたいという一心で格好も配信内容も過激になっていく場合がある。
そうなると元からいたフォロワーは徐々に離脱していき、過激な行為を望む質の悪いユーザーばかりが残るようになる。
こうなればあとはBANされるまでギリギリの行為を繰り返すか、twitchを抜け出して自らの身体を切り売りするサービスに移動するかしか方法は残されていない。
何より下手だし、中途半端な丸文字とミミズ文字のミックスみたいな感じで大変見苦しいと思う。自分でも読めない時がある。
今までも、「自分の字って子供っぽくてカッコ悪いな〜」と思ってたけど、昨日何気なく、Tカードの裏に書いてある自分の署名と、店員さんが書いた有効期限の文字を見比べて、すごいガッカリした。自分の字きったねぇ〜!ヘタクソ!
なんかこう、何気ないメモとか板書したノートとかでも、キッチリ整ったきれいな字の人いるじゃん。ササーっと書いてるのに整っている。すごい。
私は罫線のない紙に横書きしたら文字の中心が揃わずにデコボコするし、縦書きだとどんどん斜めになっていく。
「さ」とか「き」は繋げて書いてしまうし、「す」「お」「む」は横線を書いた後に一筆で縦の線も書く。分かりづらいけど伝わってくれ。
多分私の字の汚さの原因は小学生の時まで遡る。私の母や先生は、漢字ドリルのやり方にとても厳しかった。ドリルに書いてある熟語とかをノートに写す時、なんかもうまどろっこしいほどゆっくり丁寧に書かされた。(大人のせいだと言いたい訳ではなく、私がせっかちすぎてそう感じていただけである)
それがもう、当時小学生の私にはとても苦痛だった。たかが漢字2文字書くのに時間かけて、お手本通り書けなければやり直し、書き順間違えてもやり直し。
そこで、根性や忍耐力が身について「字を書く時は丁寧に!」という心が芽生えれば違う人生を歩んでいたのかもしれないが、私は基本的にせっかちで飽きっぽい性格だったので、次第に適当に、なんなら字を書くのも嫌いになっていった。
そして、漢字ドリル提出のたびに、習字の授業のたびに、夏休み冬休みの習字の課題のたびに、周りと比べて字が下手なのを実感してさらに字を書くのが嫌いになるという悪循環。
ちゃんと丁寧に習った漢字を練習して、根気強く書く習慣をつけていればこのようなコンプレックスを抱くこともなかったのだろうが、無理だった。漢字練習よりも読書がしたかった。
一応美的センスはある(つもり)なので、レタリングの技法を使えば美しい字は書ける。でも日常生活で字を書くのにいちいちそんなことやってられん。だいいちそれは私の字ではなく明朝体とかゴシック体だ。
ルッキズムを唱えてる人にも多分種類があって、「美的価値観を振りかざす瞬間がちょっとナンセンス」派の人と「顔を一切勘定に入れるな」派の人が混ざってる気がする。
→プロジェクトリーダーの役割から考えるに適切な配置ではない。
「顔が悪いので虐めていいよね!」
→容姿がサービスのマネジメントの一環になる職であればアリだと思う。スキル重視職でやったらバカだけど。
っていう話になったら、矢印の先のようなことをいうと思うのだが、容姿が美しくてそれが評価される事の何が悪いのかが全然分からん。
っていうか、ルッキズムを排除するのって人間である以上無理だと思う。あれって本能的な行動でしょ?
努力をした人間は報われるべきだと言いつつ、ルッキズムを批判するのはダブルスタンダードじゃないの?
そりゃスタート位置に恵まれた人間とそうでない人間はいるけど、ある程度お金も時間もかけないと見た目を保てないよ。
自分はぜんぜん容姿が良くないけど、容姿が良くないのは間違いなく金も時間もかけてないからだよ。
それで評価されないのは当たり前だよ。だって努力してないんだから。
美を何かしら数値変換して評価することがナンセンスではある事は確かだ。
例えば「美しい女優ランキング」とか1位の人が一番美しいって本当?何をもって?ってなるし、5位の女優の方が好みの顔であることもよくある。
ミスユニバースが地球一美しいかといったらたぶんそうでもない。
美で勝負していない人を、美で評価することがナンセンスであることは確かだ。
例えばアスリートを「美しすぎるアスリート!」みたいにいうのは良く分からない。その人は顔で勝負してないはずだ。
「確かにすごいかわいらしい人!」って時もあるけど、単に女性だからとりあえず美しすぎるとか言っておいた感の時も結構ある。
でもそれって美的価値観を振りかざす瞬間がちょっとナンセンスなだけであって、
相談したって行動に移せなければ意味がないと思ったので、ここに私のサンプルをおいておく。
※これがいいかどうかは人によるし、
まず、家計簿からスタートしなくていい。あれは「使った分」の記録だから、脳で考える間もなく買うことが誇りだと思ってるタイプには向かない。
その代わり来月に向けて
「来月参加予定のイベント」など、
「来月使うと分かってる金額」の値段を書き出す。
これをまとめて「予定出費」と呼ぶ。
金額が不確定のもの(ガチャをお金の限り回したい など)は一旦おいておく。
「やばいな」と思った方がいい。性欲に振り回されているのと同じくらい、出費の快感に振り回されて自分を忘れている状態。
それでいいなら良い。
直したいなら「予定出費」を削るか、日雇いでもなんでもいいので臨時収入を「今月中に」増やす。
(再来月は出費を控えて調整…といったことは支出コントロールができてから)
足りないと思ったら上と同じく「予定出費」を削るか、臨時収入を得る。
正直、いくらまでなら出せるか?自分のオタク趣味と秤にかける。
美容代を捻出できて、
ちゃんとそれとして使えれば、
行動が変わるので自分も変わる。
美容代を出せないままにしたいなら、
きっとなにも変わらないけど、それでいいなら良い。
「変わりたい」かもしれないけど、
美容<<<<オタク趣味ってことだし、変わらず同じところにいる人生だって楽しい。
平均的な30代は10代20代のころから少しずつ研鑽を積んだ結果なので、
それと同じ時間をかけていると年齢不詳おばさんのまま40代に突入する。
特にメイクはコスメブランド毎に対象年齢向きの色味になっているので、
キャンメイクのチークは色が濃くて10代20代の可愛さがあるけど、30代(しかも手入れをしていない老いの始まった顔)につけるとミスマッチで余計に老けて見える。
だからお楽しみはこなれたあとで。
プロに相談する時も、買う買わないはともかく「予算がある」ことは自信になる。
ここまで書いたけど、じゃあその美容代をどうするかっていうと(都内と仮定して)、
全てを同じ月にする必要はないけどこんな感じ。
※今は感染症拡大防止のためままならないところもあると思うけど…
カットだけしてくれるところは初心者には向かない。輪郭がボソボソの汚い眉毛になって、自宅で抜くとき失敗する。
ワックス脱毛した眉毛は、汚部屋に飾った一輪の花のようにとても綺麗なパーツになる。
お店で仕上げ後は眉毛の書き方を相談。おすすめアイテムは買わなくていい。
また、定期的に通わなくてもいい。
眉毛整えた後に行こう。
複数のコスメブランドを試せるし、オタク心がうずいてトリッキーなブランドに寄れないのでちょうどいい。
店員のお姉さんを捕まえて
・フレッシュに見せつつ、メイクに慣れてないからアイテム数は少なめがいい。
・お化粧してる感じが強く出ないもの。メイク雑誌のような仕上がりは苦手。
・タッチアップ(=メイクしてもらうこと)後、なにも買わずに仕上がりの持続を確認したい。
を伝えるとスムーズ。
相手も慣れてるので嫌な顔をされたことはないし、なんなら終わった後にサンプルをくれる時もある。
「今までちゃんとしてこなかったから頑張りたいので手伝ってもらえますか」まで言えると、
すごく丁寧に教えてもらえる。
↑を全部言うのが恥ずかしい時は、恥ずかしがってる場合じゃないんだな〜がんばれ。
いきなり美的(メイク雑誌)のメイクを目指すと、今の顔と乖離しすぎて慣れない可能性がある。
メイクしていくうちにメイクが似合う顔に引き締まるから慌てない。
間違ってもパールは嫌とか言わない。全ては顔面に試してから。つけてみると全然違う仕上がりになることが多い。
できあがりがいまいちでもめげない。
店員さんとの相性が悪かっただけなので別日に他の場所でもいいから再トライ。
three、addiction、NARS、ポールアンドジョー、CHANELあたりがいいかもしれない。(単価や色出し的に)
アイシャドウならaddictionが1色2,000円(税抜)。余ったお金でアイシャドウブラシが買えるといい。
自分が「年相応よりちょっと若い」くらいに見えるものの傾向を掴んでから買う。
※私のオタク心的には艶肌が好きだけど、私の顔を主役にした場合はセミマットが好き。目の前で見た時と自分のものにした時の好みは別な点は注意したい。
予算の折り合いがつかなければ似たようなものをドラッグストアで2,000円〜のものから選ぶ。
仕上がりに違いが分からなければそれでいいが、安さを理由にするなら高くて仕上がりのいい方を買った方がいい。
店員さんに「薄く」ってリクエストしても「化粧好きの思う薄づき」になると思うので、
あわせて、長井かおりさんの本「必要なのはコスメてはなく〜」を読む。マジおすすめ。
(アイテープ式、接着式、皮膜式、いろいろある)
原宿か代官山あたりで5年以上続いてる店舗のディレクター・マネージャー・店長クラスにする。
よく分からなかったら1番垢抜けている友達に「どこのヘアサロン?」ってきく。
その時、非難orいじけた口調になるようなら「高い!」って思っても口にしない。
「どおりでxxちゃんのヘアスタイルいつも整ってるんだね、どうやって素敵なサロン見つけたの?」と聞いた方がマシ。
(女性スタイリストさんはこちらのテンションをよく分かってくれるので、気分が上がるヘアスタイルになる)
今1番自分が垢抜けていると思う格好で行き、
「スタイリング剤を極力使わないで、綺麗系/可愛い系のいい感じにしてほしい」と言う。
色々と提案してくれるから、「お兄さん(お姉さん)はどっちが好みです?」と返して意見を参考にする。
縮毛矯正を勧められたらしてもいい。
カラーは垢抜けに必要という人がいるが、正直、顔の土台がまだ整ってない状態でお金かけるより、黒髪のままほかにお金かけた方がいいと思う。
(茶髪が似合わない可能性もあるし、黄みが出てツヤもなくなるとムラシャン買わなきゃじゃん…)
↑の工程で顔の土台がスタートラインにたてたので、ファッション…の話とスキンケアの話したいが自語りあきたのでここでやめる。
オタクが好きなパーソナルカラー診断と骨格診断、参考にはなるけどプロを選ぶときは「アフター写真が本当に実生活に即してそうで、垢抜けて見えるか」をチェックした方がいいと思う。
とても胸に刺さったので、僭越ながら、応援の気持ちをこめて……
「友人に相談したら変われるだろうか」と書いているけど、たぶん、それだけじゃ変わらないと思います。
全体に垣間見える、刹那的・享楽的な性質、衝動性の高さは、誰かに話すだけで落ち着く類のものではないように見えます。「その時は楽しいのに、後で振り返ると恥ずかしくて死にたくなる」ということは、何らかの脳直ぶっぱブーストというか、瞬間発走型の行動をしているはずで、瞬間的な判断が長期的に見れば決定的に間違っている、という状況なので、「行動を起こす前に一瞬だけでもブレーキを踏む」という新たなくせを身につけなければなりません。
もしTwitterで「推しのツイートを見た瞬間にらぶりつする」とかやってたら、そういうのをやめることができるか、というようなことです。もし元増田が「推しのツイートを見た瞬間にらぶりつする」人だったとしたら――おそらくそうだろうと私は推測していますが――、元増田はまさに「考えてから行動する」ということすらできていないので、その点の訓練が要ると思いますね。
ぶっちゃけ、すべてにおいてそれです。考えてから服やアクセを選び、考えてからメイクし、考えてからお金を使い、考えてから話し、考えてからツイートをする。「夜になってじたばたする」ということは、考えることさえできれば自分がやっちまったことはわかるのですから、元増田の悩みの発端は「行動の前に考えることができない」に尽きます。訓練です、訓練。元増田は、友人たちが知ってる何かをまだ知らないんじゃない。だから、相談し、何かを教えてもらう程度ですぐ変わったりはきっとしません。行動が衝動的なことに大きな原因があります。訓練、訓練、訓練。
補足しておくと、人間は思った以上に、思考しないで行動しているのがデフォです。身体がトイレに行きたくなってから「トイレに行きたい」と思い浮かべるし、空腹感は「おなかすいた」という言葉よりも先にあるものです。だからこそ、「考えてから行動する」のは実は自然なことではない。身体が、指が、口が、本能的に動こうとするのを思考によって一時停止し、補正してから行動に移すことでようやく、人は社会的な振る舞い、長期的に見て自分に益な振る舞いをすることができるようになるのだと思います。
さしあたっては、何か思い立って、心が動き、何かをやろうと思った時、すべての行動の前に「本当に?」ってつけてみることを薦めます。
おやつ食べよう――本当に? グッズ買おう――本当に? らぶりつ――本当に? 興奮して下ネタをツイート――本当に?
否定的な疑問を投げかけるためではなく、単に確認のステップを挟むための問いかけなので、おやつ食べていいし、グッズ買っていいし、らぶりつしていいし、下ネタツイートしていいんです。ただ、とにかく「行動の前に確認する思考を挟む」くせをつけるのが火急だと思います。そして、いったん立ち止まるくせがついてしまうと、おそらくおやつが減りますし、買うグッズが減りますし、らぶりつ……は減らないかもしれないけど、下ネタはたぶん減ります。
今の自分と、この先たどり着きたい自分のズレにはもう気づいているだろうから、そのギャップを埋めるためにも、自分の衝動を一瞬だけでも緩めるテクニックをぜひ身につけてください。とにかく、あらゆる脳直をやめる。自分の速度を落とす。これがファーストステップです。
首尾よくいって、すべての行動にブレーキを挟むくせをつけることができたら、今度は毎度毎度立ち止まって考えるのがまだるっこしくなってくるはずなので、次は「必要な時にはブレーキを挟めるようにする/たまには脳直行動に走る自分を許容する」という制御を目指すんですけど…… この「適宜ブレーキを踏む」は、あくまでセカンドステップだと考えたほうがよいでしょう。特にエネルギッシュで衝動性が強いタイプは、最初からは目指さないほうがいいと思いますね。全行動にブレーキを踏むことができたあとに考えればいいと思います。
ま、でも、大好きなものに夢中になり、判断力が鈍るのを感じながらもスパーン!と札束を叩いて大満足のグッズを入手することって、やっぱりとんでもなく楽しいことですよね。衝動を感じ、身を任せて突き進む元増田のスタイルは、門外漢の私から見ても正直眩しく、うらやましいです。なんでもかんでもブレーキ踏んでりゃ偉いってもんではないと思いますよ、ほんとに。ブレーキを挟むことに慣れたあとには、ブレーキをあえて踏まないこともできるようになりたいですね。
長く付き合い続けている友人がいて、Twitterでも多くの友人たちと盛り上がり、推しを全力で応援し、同人のコミュニティにも参加し、友人たちのメイクやファッションのきれいさにも気づける元増田は、きっとコミュニケーション能力が高く、エネルギッシュで、ファッションを分析する美的センスもあり、記憶力もあって文章も書ける、素敵な人なんだと思います。