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はてなキーワード: 文学的とは

2015-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20150625140413

構図的には相手の知らぬ所から好意を寄せている構図となるのだろうか。

絵的に画面の向こうで愛嬌をふりまくアイドル・2次元と同じ立ち位置のように思える。

だとすると写真ムービーで悦楽に咽び浸る趣味も良いのかもしれない。

その趣味、見つかるとひどく気持ちの悪い、江戸川乱歩怪奇小説一遍のような姿ではあるかもしれないけれども。


実際に対象に干渉するという好機がある分危険ではあるが、それを抑制できればこそという前提は必要として

私個人の見解は、実在の相手に対して二次元にあるような傾倒の趣味があってもよいかと考えている。

それを忍ぶなんとやらと表現した文学的作品は、かつて多くあったように思える。

2015-06-22

俺は絶歌を読まない

それが結論。このあとに続く文章はその理由の説明なんだが、

その前に俺の作品論について語らせてくれ。

まず俺の作品論の結論は、作品作品の中で語れ、というものだ。

作者の情報不要なばかりか、もはや有害情報だとさえ考えている。


本当に面白い作品というものは、

作者についての情報が一切ない状態でも面白いはずだし、

作品本来そうあるべきだと思うんだ。

作者の情報作品を堪能した後のアクセントしかない。

作品メインディッシュであり、作者の情報はデザートだ。

デザートは最後に食べるべきだ。

まずは事前情報ゼロ作品を鑑賞する。

で、面白ければ作者は誰なのか調べる。

で、作者についてますます興味が湧いたら、

作者がどういった人物でどんな思想があってどんなことをしているのか、などを調べる。

これが正しい作品の鑑賞姿勢であると俺は強く思うよ。

JKローリング自分の素性を隠して書いた本が全然売れなかったのに、

素性晒した瞬間に爆売れしたことがあったじゃん。

作品名は忘れちゃったけど。

そういうのをみると、ああ、ねえな。って思う。

みんな本の内容なんてどうでもいいんだと。

JKローリングが書いた、それだけが重要なんだなと。

作者のプロフィール作品を鑑賞する上で一切必要ないはずだし、

必要であってはならない。

その点で増田は作者の情報が常に不詳だから作品論のあるべき形だと言えるね。


さて、そこで話を戻すが、絶歌を読まない理由

お分かりの通り、作者の素性が読む前からにわかっているからだ。

推理小説を読む前から表紙に犯人はヤスだと書いているようなもんだ。

その本が面白いかどうかではなく、どこに殺人に至った思想があったのか、そのパズルピース探しに必死になってしまうことが読む前からわかってしまっているからだ。

それは作品の正しい鑑賞姿勢では、ない。

あれを購入しているやつらは、

あれが一体どんな本なのかなんて心底どうでもいいと思っていて、

異常者が異常であるという理由カケラ作品から拾い集めたいだけなんだ。

仮にあれを殺人鬼でもなんでもないごく普通の俺が書いたとして、お前ら買う?

買わないだろ?じゃあそれはその程度の面白さってことだ。


俺は職業柄、あの本についての質問がここ最近よくくる。

あの本は読んだのか?読んでないのか?どう思うか?どんな考えを持っているのか、と。

はっきり言おう。どうでもいい。心底、どうでもいい。

あの本に一切興味はないし、興味を持つつもりもない。

いいか、作家っていうのはな、

殺さずして人殺しが書けるし、死なずして死人が書けるもんなんだよ。な?

その人がリアルで人を殺したかどうかは別に重要ではなく、

その本が、面白いかどうかが重要なんだ。

その点でいうと、あれは俺的によくなかったので手をつけないんだ。

サラリーマンが書いた、主婦が書いた、作家が書いた、素人が書いた、老人が書いた、子供が書いた、日本人が書いた、外国人が書いた、金持ちが書いた、貧乏が書いた、警察が書いた、殺人鬼が書いた。

どうでもいい。誰でもいい。

面白ければ、それでいい。


殺人鬼がどういった思考をしているのか気になるからという理由で売れてるとのことだが、俺はそういった不純な理由が嫌いだ。

人殺しなんてたまたまタイミングと状況の関係で人を実際に殺しただけであって、その他は通常の人間と一緒だろうが。

作者の情報作品には何ら影響を及ばさない。及ぼしてはいけない。

普段彼がムカデを食ってるとでも?

痰壷に入っていた白濁して塩味のする痰のかかったご飯をとろろかけご飯と称して人に食わせるととでも?

違うだろ。

まあ、アレを購入する人たちはそういう答えは求めてないんだろうけどな。

異常者は常に異常である

その答えだけを求めて買っているんだろうけどな。


サイコパス心理学流行るのもそういった理由だ。

サイコパスの異常な考え方を知ることで、

自分はそれとは違う考え方を持っていることを知る=異常ではないという安心感が得られる。

あるいは、同じような考え方を持っていることで危険香りに心躍る。

本気で自分サイコパスだと考えている人など一人もおらず、みな、サイコパスの異常な考え方は娯楽の一つであるとだけ、考えている。

彼らにとって異常者はピエロなんだ。自分達とは違う存在なんだ。

メイクを落として日常生活にごく普通に存在していて欲しくないんだ。

常に、いつ見ても、同じ時に、同じ場所で、同じように、異常であり続けて欲しいんだ。

から殺人鬼自分はごく普通人間「です」と言っても誰も理解してくれない。

ごく普通人間「でした」と言って初めて理解される。

普通人間ではない、ということを理解される。

みんな殺人鬼がどんな本を書いたかなんてどうでもよくて、

殺人鬼が書いた、ということが重要なんだ。


俺はそれが不純だから読まないという結論に至った。

既に毒されてしまたから。

読まなくても、読んだ人と同じ感想になってしまうから

ああ、これは殺人鬼が書いた本だな、って感想

読んでも読む前と同じ感想になっていることがわかっているなら、

実際に読んでも実質読んでないのと一緒じゃん。

出口への道筋がご丁寧にも蛍光ペンで塗られている迷路なんてやって何が楽しいの、ってことだよ。おわかり?

社会的価値や娯楽的な価値があったとしても、文学的価値は、ない。

2015-06-20

馬鹿じゃねえの。<中川淳一郎の『絶歌批判について>

始めに、この文章は「元少年A」や『絶歌』に対する世間の大多数と反応と「真逆の主張」であることを先に示しておく。

中川淳一郎の『絶歌書評に思うこと

馬鹿じゃねえの。

この中川淳一郎っていう奴の『絶歌』の書評( http://biz-journal.jp/2015/06/post_10431.html )を読んで、正直こう思った。

ハッキリ言うけど、お前に元少年Aや太田出版外道だなんて糾弾する資格なんてないだろ。正義ぶって勝手書評を書く前に、我が身を反省してみたらどうなんだ。

おそらく、中川淳一郎はこう思ってるんだろうな。

「この記事に誰も文句なんて言ってこない」

元少年A」は叩かれて当然の「極悪人」で、それを一刀両断している中川淳一郎は「正義告発者」だからな。

世間感情同調している中川淳一郎はきっと、どれだけ「元少年A」を扱き下ろしても大丈夫だと、そう思っているんだろう。

フザけんな。

非難してやる。ネット上の他の全員がお前の書評を褒めちぎっても、俺だけは非難してやる。

元少年Aを「外道」だと罵るお前の方がよっぽど「外道」だと、この場で主張してやる。

「人の言葉」を踏みにじる中川淳一郎

俺が最も中川淳一郎書評で怒りが沸いた部分は、元少年Aが「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いに対して答えた箇所に、コイツが吐いた感想だ。

一応、元少年Aの言葉引用しておく。前述の問いに対して、元少年Aはこう答えた。

引用

『「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなた想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」』(註:原文では「あなた自身が」の部分に傍点あり)

絶歌』の関連記事を漁っているなら見飽きた文章だろう。

で、これについて、中川淳一郎はこんな風に言っている。

引用

 あぁ、何もわかっていない……。どうしてこうも自分本位なのか。「あなた自身が苦しむから殺人はいけない」と言い、まるで自分悲劇主人公かのように「重い十字架」というエセ文学的表現を使う。人を殺してはいけない理由は、これである

「誰もが他人人権蹂躙することはできないから」
「殺された人に近しい人が悲しむから

 酒鬼薔薇被害者とその遺族よりも、自分自身加害者)の側の論理でいまだに語っている。そしてこれがやっと見つけた唯一の答えとは、非常識かつ幼稚もはなはだしい。

ハッキリ言って、頭にきた。

なんて身勝手文章だと怒りを覚えた。

何も分かってないのはお前の方だろう?

人の「本気の思い」をこんな風に平然と踏みにじる、お前の方がよっぽど外道だ。

確かに、元少年Aの答えは自分本位だよ。凶悪殺人を犯したくせに、いまだに自意識の中でしかその理由を語れてない非常識で幼稚な答えかもしれない。

だけどな、ここにあるのは『本気の思い』だよ。事件の後の全人生を通じて、元少年Aが自分の頭で考えて言葉にした「人殺しをしてはいけない」ことへの『本気の思い』だ。

どれだけ自分本位で幼稚でも、本人があの事件を起こした後に見つけてきた『自分の答え』だ。

それを、お前は踏みにじった。

「あぁ、何も分かってない・・・・・・。」なんて、さも悲哀ぶった言い方で、お前は元少年Aの言葉から耳を塞いで、「自分意見」で踏みにじったんだ。

人殺しをしてはいけない」ことに、お前の考えや正義があるのは分かったよ。客観的に見れば、お前の考えの方に正当性があるんだろう。

でも、だからって踏みにじって良いわけじゃないだろ?

他人自分の全人生をかけてたどり着いた『本気の答え』を、そんな風に無価値だと切り捨てて良い理由にはならないだろ? お前にとっては「何も分かってない」ような幼稚な意見でも、それが元少年Aにとっては「やっと見つけた正しさ」なんだぞ。

婚約者」が『自殺』している

まあ、元少年Aの「答え」なんて、他人から見たらボロ布くらいの意味しかないのは分かってるよ。

ネット上の大多数、「元少年Aや『絶歌』に対する怒りを燃やす人々」はそれでもいいよ。

だけど、中川淳一郎。お前は違う。

お前は、婚約者を亡くしているんだろう?

正直、俺には信じられない。婚約者鬱病の末の自殺で亡くしているにもかかわらず、あんな身勝手書評を書くだなんて。

一応、読んでない人のために書く。

中川淳一郎書評には、その昔、当時の婚約者自殺で亡くなった件について書かれている。

そして、その際に本人が参考にしたのが『完全自殺マニュアル』・・・・・・『絶歌』の担当編集である落合美砂が、93年に世に送り出したベストセラーとのことだ。

これだけ書くと、まるで中川淳一郎が「『完全自殺マニュアル』のせいで婚約者自殺した!」って主張してるみたいに誤解しそうだけど、そこまでは思っていないらしい。

ただ、その本が自殺した婚約者本棚の中にあって、そこに書かれた「最も推奨されている方法」で自殺したという、それだけらしい。

中川淳一郎は言っている。「彼女が死んだのは鬱病のせいである。それは間違いない」と。

そう、その婚約者自殺したのは「鬱病」のせいなんだ。

これは完全に憶測になるけれど、鬱病みたいな「心の病気」の最たる原因は「孤独」だ。

自分の抱えている問題を誰にも打ち明けられない、誰とも共有できない、そういう風に「一人でどうにかしなきゃ」という状況に追い込まれときにこそ、「鬱病」みたいな精神病に人は陥る。

もちろん、実際にその婚約者が「孤独」だったかどうかは憶測の域を出ないけれども、誰にも相談できなかったことは間違いないだろう。

そうでなきゃ、『完全自殺マニュアル』なんて買うわけはないからな。

ここで『完全自殺マニュアル』について確認しておく。

当たり前だけど、この本は自殺の「方法」を書いているだけであって、自殺を「推奨」しているわけではない。中川淳一郎引用していたけれど、太田出版の紹介文ではこうなっている。

引用

世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、破綻している年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」

この文章で注目すべき点は、二つ。

一つ目は、「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは」という部分。この箇所から、この本は「生きる僕ら」が「頼れる」ものを示したものであることが窺える。

二つ目は、「その気になればいつでも死ねるという安心感」という部分。この箇所からあくまでこの本は「安心感」を提供するためのものであることが窺える。

以上の点から、この『完全自殺マニュアル』はあくまで「生きるための本」であることが分かる。具体的には「自殺という『逃げ道』を示したから、後は安心して生きればいい」という本だということだ。

イメージが掴みにくい人は、『完全自殺マニュアル』を「精神科医」に喩えてみてほしい。「『いつでも安心して、私を訪ねてきて下さい』そう患者に言ったら、二度と患者は訪ねてこなかった」一度くらいこういう話を聞いたことはあるだろう。要するに、「いつでも訪ねられる」という「安心感」が重要なのであって、実際にその選択肢を取るかはさほど重要ではというないのだ。その「安心感」を提供されただけで、患者心の問題は半分くらい解決しているらしい。

おそらく、『完全自殺マニュアル』も、そういう「安心感」を提供することが目的書籍なのだろう。事実、前書きや後書きの部分には「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」旨が書かれているようだ(https://ja.wikipedia.org/wiki/完全自殺マニュアル)。

というわけで、この『完全自殺マニュアル』はそういう、精神科医的な「安心感」を提供する本だ。

そんなもの本棚にあったということは、そんな「安心感」に頼らなくてはならないほど、その婚約者精神的に追い詰められていたのだろう。

普通ならば、『完全自殺マニュアル』は買って読まれた時点でその役割を全うする。

「いつでも死ねるという安心感」さえ提供してしまえば、いつでも精神科医相談できる患者のように、「生きる日常」に帰って行けるからだ。

ところが、その婚約者場合、そうはならなかった。

完全自殺マニュアル』に書かれている方法を実行して、本当にこの世から「逃げ」てしまたからだ。

その婚約者がいつ亡くなったかは分からないが、おそらく『完全自殺マニュアル』を読んですぐというわけじゃないだろう。

一度読んで、一度「日常」に帰って、そこで何かしらアクションがあったのだと思う。

そして、そこで「上手く行かなかった」からこそ、まるで精神科医に再び相談しに行く患者のように、その婚約者は『完全自殺マニュアル』に頼ってしまったはずだ。

先ほども言ったとおり、鬱病の最たる原因は「孤独」だ。

そして『完全自殺マニュアル』に頼ったことからも明らかなように、その婚約者も「誰にも相談できない」状況に陥っていたはずだ。

それが行き着くところまで行き着いて、自殺だ。

何が言いたいかっていうと、その婚約者の死因は「周囲の無理解」だということだ。

中川淳一郎本人が語っている、「(自殺の)予兆に気づけなかった」という話が象徴的だろう。「婚約者」という最も近しい立場人間ですら、本人の抱えている「問題」に気がつけなかった。

婚約者の男が居てもこの世を去らなくちゃいけないほど、自殺したその女性は「分かられていなかった」のだろう。

以上のことから、俺が言いたいのはこうだ。

他人言葉に耳を塞ぐ」ってのは、こんな風に人を鬱病になるまで追い込んで自殺させることもあるってことだ。

それを中川淳一郎は、「予兆」に気がつけず婚約者自殺させてしまったお前は、知ってるはずじゃないのか?

他人への共感理解」の欠落

にもかかわらず、中川淳一郎はよくも平然とあんな風に「人の思い」を踏みにじれるものだ。

自分婚約者を殺したかも知れない「人の話に耳を貸さない」ことを、あんな風に実行できるものだ。

元少年Aの「問いへの答え」へ呟いた感想もそうだし、『完全自殺マニュアル』の「大義名分」を語ったこともそうだ。

確かこんな風に勝手に決めつけてたな。

引用

自殺する自由はある」
「苦しい時の選択肢として、自殺もあっていいのでは」
「命の大切さを伝えたい」

 こういった大義名分は『完全自殺マニュアル』発刊にあたってはあったのだろう。

きちんと紹介文を読めば、この発言的外れであることが第三者にも明らかだろう。

完全自殺マニュアル』は、「生きるための安心感」を提供する本なんだよ。本当は自殺のためじゃない。

自分引用した箇所に書いてあったことだろうが。

婚約者が亡くなった後、「本当に後追い自殺をするつもりになり、彼女が愛読した『完全自殺マニュアル』を再度読んだ」ときに目にした前書きと後書きに、ちゃんと書いてあったはずだろうが。

どうして、他人の言っている言葉に耳を傾けない?

そういう態度にこそ自分婚約者が殺されたかも知れないことに、どうして気がつかない?

中川淳一郎の「書評」に見る、元少年Aの『絶歌』との同一性

元少年Aは外道だと、いまだに悲劇主人公ぶる幼稚な男だと、中川淳一郎はそう言った。

だけど、ハッキリ言うぞ。

お前の書評元少年Aの『絶歌』と何も変わらないからな。

元少年Aの「なぜ人殺しはいけないか」っていう問いへの答えを、お前は「自分本位」だとか「非常識」だとか「幼稚」だとか非難するけどな、お前の書評だって全く同じだ。

完全自殺マニュアル』や落合美砂への「自分本位」の勝手な決めつけ、記念パーティでの「非常識」で「幼稚」な不謹慎発言。これらは元少年Aの態度と何が違う?

酒鬼薔薇被害者とその遺族よりも、自分自身加害者)の側の論理でいまだに語っている。」ってお前は非難するけどな、だったら自分はどうなんだ?

自分婚約者自殺予兆に気がつけなかったのを棚に上げて、『完全自殺マニュアル』や落合美砂という「外的要因に」文句をつけるしかないお前の態度はどうなんだ?

「『完全自殺マニュアル』を参考に恋人自殺された、可哀想自分」を気取っているお前は、「いまだに『罪の十字架』に苦しんでいる、可哀想自分」を演出している元少年Aと何が違う?

 「悲劇主人公ぶっている」のはむしろ、今のお前の方じゃないのか。

他人言葉に一切耳を貸さない、身勝手な「自分本位さ」にまみれているお前の書評は、いまだに被害者遺族の心情に寄り添うことのできない元少年Aの「自分本位さ」と良い勝負だ。

から、まるで奇っ怪なモンスターみたいに言ってんじゃねぇ。

最後

ハッキリ言っておく。

中川淳一郎。そして、元少年Aや『絶歌』を叩きまくっているネット上の大多数の諸君

お前らがやろうとしていることは、れっきとした人殺しだ。

絶歌』という本人の言葉封殺して、元少年Aの人格否定して悦に浸るその行為は、間違いなく「一人の人間」を社会から抹殺しようとしている殺人行為だ。

かつて、どこかの誰かの婚約者自殺に追いやった「他者への無理解」を、今度はお前たちがやってるんだ。

かつて、どこかの十四歳が、か弱い十一歳の少年を殺したようなことを、今度はお前たちがやってるんだ。

元少年Aのことをお前らは「殺人犯だって言って罵るけどな、今ではお前らの方がよっぽど「元少年A」に見えるよ。




正直な話、『絶歌』なんていう「ポエム」を出版「しなくちゃいけない」くらい元少年Aを追い詰めたのは、俺たち社会の方だと思う。

本当にこの書籍出版を憎んでるなら、こんなものを出さなくて大丈夫なくらい元少年Aを社会の方が受け入れてやれ。

これが、俺の精一杯だ。

2015-06-16

絶歌が話題ですね

出版されてから数日。様々な意見が出ている。

大半を占めるのが真っ当な感想

ポエム、全く反省していない、被害者に無断でなぜこのような本をだすのかetc

その中で少数意見が出てくる。

わかる、彼の影が表現された、文学的だ。

断言しよう。

元少年Aが書いた文章はただのオナニーだ。

過度に飾られた、ちょっと文学に浸って己を過信した、中二病文章だ。

中二だ。これが高校になるとこのくらいの文章を書く奴は少し増える。

大学になるともっと増える。皆そういった恥ずかし気を越え一周して簡素文章になる。

目立って特別な文才ではない。

ただ元少年Aの文章がそこまで囃し立てられるわけは「ゲテモノ」だから

タブーを犯したゲテモノが書いた文章から専門家はそのー言葉意味を見つけたいのだ。

元少年Aは、自分特別だと思っているだろう。

少し頭が良くて少し文章が書けて。自分が犯した行動を抑えきれない自己顕示欲で、オナニーを見せつけるのだ。

誰かがはっきりと言ってあげなくてはいけない。

お前の文章陳腐だ。そしてお前はゲテモノだ。

ネット評価では文学的だとか一部ではそんな意見があるけれど。

賞に出しても一次で落ちる。バイト選考するのにも引っかからいね

何度も言うよ。ゲテモノからまれるんだ。

これ以上表に出てはいけない。

出家して、人の目が届かないところで一生許されることない罪と対峙してほしい。

誰にも見えないところでね。

他人に見せたら、言ったらそれはパフォーマンスだ。

こんな本を出さずに、アピールせずに罪と対峙してください。

もう2度と世間に出てこないでください。

2015-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20150522230403

非常に内容の濃い、ラノベとは思えないくらいに文学的な濃密さと豊穣さをもった作品だ。

ラノベ天狗が来るぞ。ごめんなさいしとけ。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 の出来がひどすぎる

 今、TBSアニメの『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』をやっている。以前、放送された『『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の二期アニメだ。これがちょっとひどい。とても見ていられないレベルなのだ

 知っている人は知っていることだが、簡単にストーリーを説明すると、ぼっち主人公奉仕部という部活に入って、部員とともにぼっち価値観で様々な問題を解決していくお話だ。

 原作は人気のラノベで、熱狂的なファンを多く持つ作品だ。このラノベがすごい、とかいうのに、二年連続一位に選ばれている。非常に内容の濃い、ラノベとは思えないくらいに文学的な濃密さと豊穣さをもった作品だ。

 原作力のかなり高いアニメで、原作に準じてつくっていれば、それだけで確実に面白くなるような作品なのだ

 尺の関係から、とにかく端折る、省く、取り除く、でいろんなもの原作から削ぎ落とされて作品がつくられる。それでも十分に面白い。多分、どこの制作会社がつくっても、面白くなる、そんな原作だ。

 だからダイジェスト的な展開になっていても、一期は十分に楽しめた。あらすじだけ追っていたって面白いのだから、多少尺が短くなったところで面白いのだ。

 だが、今やっている二期の『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』はちょっと見ていられない。絵とか脚本とかの問題ではない。主人公比企谷八幡の声のトーンのぼそぼそと小声で話すセリフがあまりに耳について鑑賞の邪魔をする。耳につくくせに、何を言っているか聞き取りにくい。おかげで、せっかく面白いアニメのはずが、すっかり白けてしまう結果になる。どうも意図的にそういうトーンで話す演出をしているようだ。

 一期ではそんなことはなかった。はっきりと喋っていて、いちいち主人公セリフに引っかかることなどなかった。だからセリフが耳に引っかかって物語に入り込めないなどということはなかった。

 だが、二期では、そのセリフ回しのせいで、まともに見ていられなくなってしまった。

 一期と二期では、制作会社監督が代わっていて、明らかにその影響がアニメに出ているのだ。制作会社feel.に、監督及川啓という人に代わった。声のトーンが一期と変わってしまったのはそのせいだ。

 おそらく、特に声のトーンの演出を変えるなどということを決めるのは監督で、今のトーンは監督センスによるものだと思われる。

 原作面白いというのに、原作を素直に追ってストーリーを展開すれば、それだけで面白いアニメになるというのに、物語に入りこむことに対していちいち邪魔をしてくる声のトーンと演出するなんて、能力問題があるとしかいいようがない。

 どうもこの監督、いろいろ手を加えて、変なふうにすることが得意らしいのだが、この人にはそんなことをするのは無理だ。俺スゲエ的な演出をしているつもりなのかもしれないが、全然すごくない。というか、多分、この人、無能だ。

2015-04-14

xevra先生ちょっと読者意識しておもしろおかしく書きすぎでは?

問題だと思ったのはこのコメント

http://b.hatena.ne.jp/entry/247229709/comment/xevra

貧困者はメンヘル大脳が壊れて人間になり損ねたメンヘルから当たり前の行動を期待するのは無理。誰かがしっかりと手を差し伸べないと闇の餌食となってしまう。頑張って欲しい。」

まあ先生はいつもこんな感じだからいちいち気にしてなかったけど、貧困者やメンヘル大脳が壊れて人間になり損ねた存在って言ってるわけだよね。

もう感覚麻痺してしまっているけれど、冷静に読んだら普通にかなり差別的発言なのではないかと思いました。

こんなこと言っててほんとに世の中よくしたいと思ってるんですか?

おもしろおかしく極端な表現で読者を楽しませればいいってわけじゃないと思うんだ。

それにこの表現にはなんの文学的意図も感じないしね。

これじゃあテレビ低俗バラエティとやってること変わらないよ?

2015-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20150408131536

いつも思うけど本を読めと言う人間はどういう本を想定してるの?

文学的なやつ?小説ラノベでも良いの?マンガは?

紙の本限定?文字情報ならネット上の文章でもいいの?

図鑑辞典は?論文技術書は?ビジネス書は?アホみたいなビジネス書読んだら頭悪くなりそうな気がするけど。

そういう細かい重要な点を飛ばしイメージでだらだらしか面白くもない長文書いてる方が頭悪く見え、本ばっかり読んでるとこういうアホになるって例かと思うぞ。

2015-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20150407043422

バランスはどうでもいいよ。

よっぽど文学的な内容でなければ、う ん こ ネ タ は ブ ク マ す る な ! と声を大にして言いたい。

ちょっと考えてみてよ。

トップページうんこ漏らした話が2つ並ぶ事もあるとか異常だから

人んちの玄関うんこ漏らしていくようなひどい話だよ。

漏らすのはしょうがない。

書くのも大目に見てまあしょうがない。

しかしなぜブクマする?

スルーすれば流れていく話でしょ、うんこだけに。

だいたいねえ、個人的な話で恐縮ですが、私はひどい便秘で悩んでるんですよ。

なぜ増田たちはそういとも簡単に排便してしまうのか、意味がわからないよ。

くやしい。

2015-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20150318024740

うん?

それはあれかね、恋人同士の甘酸っぱい心理状況を綴った文学的日記よりも

「きょう、かのじょのクリトリスの皮をむいてなめた。」

とかのほうがいいってこと?

2015-03-04

文学的表現とは

彼女の長くて黒い髪はとても綺麗だ」

この文章をより文学的な一文にするにはどのような表現がいいだろうか。


彼女の肩元で揺れる髪は美しく輝いていた」

長さについて具体的にした後、カメラの露光を上げるような感じで描写してみた。

少しはイメージやすくなったけれども、表現陳腐で直截だ。もっと工夫してみよう。


「鴉の濡羽のように瑞々しい黒髪彼女の美しさをなびかせる」

黒髪が」「美しさを」「なびかせる」という文構造で奇をてらってみる。「黒髪が~をなびかせる」は日本語として一般的ではないが、

ありのまま言葉にすればそうなるだろう。「なびかせる」ではなく「際立たせる」であればもっと通用しやすくなる。

「鴉の濡羽色」などという、物書きぶりたい人間がよく使う語彙を用いてしまったのが弱い。


「墨を流したような黒髪彼女輪郭を鮮やかに縁取っている」

美しさの描写が少し損なわれてしまった。少し「彼女」がしっかりとした人物であるような印象を与えるので使いどころはありそうだが。




見返り美人図のどこが美人なのだと常日頃主張してきた私ではあるが、振り返った彼女の頬に差した艶めく黒髪が堪らなく美しく見えたその瞬間は、畢竟一目惚れであろう」

森見登美彦風。



「黒いくろいクロイ髪が黒いのは黒いから黒いのかなんなのか、光とは無縁のブラックホールとか宇宙みたいなものロマンがある理由彼女を見て分かった気がした」

舞城王太郎あるいは古川日出男風。




「『井戸の底は仄暗くて、湿った土の匂いがするんだ』僕は言った。『君の髪を見ると落ち着くのは、井戸の底をのぞくような気持ちになるからだよ』」

村上春樹風。




「みんなも黒い綺麗な髪の毛を描写して、文学的表現力を手に入れよう!」

進研ゼミ風。

2015-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20150202033911

文章に命をかけてる」とかで悦に入るのって文学的にもぼちぼち古い流行なんじゃねえの。

2015-01-05

ソログの株式とかライフハック系の記事

ソログの真面目そうに見える記事だけにブックマークするのはアホらしい行為だ。

ソログの漁網に囚われているに他ならない。

ソログはそうした人々を馬鹿にしてほくそ笑んでいるに違いない。

あれはプロレスでああしてもらっているのであって、本来ソログはもっと文学的で愛や観念を語る場なのだ

ソログはそうした文学的姿勢を実は隠そうともしていない。

そうしたコアになる部分に立脚して昨今ありがちな記事作出している。よく見りゃすぐわかる。爪を隠している。半分くらい。

個人的にはクソログのコアになる情念すべてに賛同できるわけではない。

ただし情念がしっかり存在していることには留意したい。

そうしないとクソログは「読めない」。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.09 『夏祭虚構原風景から

■その1。

 毎回言ってるんだけど、今回こそはゲームレビューをやりたいと思って……選んだのは『夏祭』。タイトル通り、ゲーム自体は、三日間の夏祭を描いたものからプレイ時間は短い。たった三日間で、キャラクタ描写しきれるのか? と思っていたのだが、演出手法として、イベントごとに回想シーンを頻繁に挿入することで、要点はきちんと押さえている。ただ、毎回毎回、お約束のように回想シーンが入るので、それが少々うざったくもあるけど……。 最近ストーリー型のゲームにしては珍しく、二時間ドラマのようなスタイルで作られている。なので、このゲームは、大作型作品ではない。ここを勘違いすると食い足りないような印象だけが残るだろう。

 筆者も、まんがで最近流行している、虚構の現風景を描いたエコロジスト的な作品の流れにあると勝手勘違いして、今回のサブタイトルをつけたのだけど、実際にプレイしてみると、特に自然描写などに重点を置いているという訳ではない。おそらく、あくまドラマチックな演出舞台として、この設定を選んだだけなのだろう。なので、今回のサブタイトルは嘘っぱちだ。サブタイトルは、レイアウトの都合上、原稿を書き始める前に決めてしまうので、こういうこともある。

 しかし、こう書くといかにも薄っぺらゲームのように思う人もいるかも知れないが、別にそういうゲームではないし、特筆すべき所もある。ヒロインである[橘みやの]のシナリオなのだが……気の弱い幼なじみという基本設定自体通俗的なものだ。しかし、中盤から後半にかけて、そのスタンスが表面的なものであったことに、主人公は気づく。早い話が、三角関係から来る、すれ違いと嫉妬地獄絵図が展開されるのだ。

 ただ、『たとえばこんなラヴソング』や『週末婚』のような、サイコスリラーばりの鬼気迫る展開をする訳ではない。三角関係当事者たちは、あくま良識の持ち主であり、自己の欲望を優先できない弱い人たちである。この葛藤文学的執拗さで書くと、『WhiteAlbum』のように、美少女ゲームには異例の悲劇性を帯びるのだけど、このゲームあくまで、テレビドラマ的な構造作品なので、予定調和的な結末へと向かっていくし、ここで、虚構の現風景を想起させるような物語設定の仕掛けが効いてくる……少女まんが的な、感傷情緒感覚に訴える設定が、毒性を中和しているのだ。

 とはいえ、この予定調和少女まんが的なユートピアと捉えるのも、違うような気がする。それはむしろ、恋の熱情ではなく、愛情に起因する、穏やかな信頼によって支えられる……『とらいあんぐるハート』『とらいあんぐるハート2』で描かれるような、疑似共同体に向けられるべき評で、ボーイ・ミーツ・ガールな恋を描いた『夏祭』にそれを当てはめるには、少々違和感があるだろう。

■その2。

 まあ、[少女まんが的]という言葉が何を指すのかは、かなり曖昧だし、それはむしろ、白泉男児である相方領域だったりするのだが、結局のところ、『夏祭』は、スタンダード過ぎるのだ。それは決して悪いことではなく、むしろ美点なのだけど、価値観多様化し、結果として、家族や友人といった単位での崩壊を招いている状況の中では、かつては正常とされていたものも、異常とされてしまう。

 そして、マッチョイズムからも、フェミニズムからも取り残された人々は、[癒し]と[萌え]の過剰な摂取と、虚構原風景への逃避を計るのだ。筆者はそういう思考には否定的だが、これはこれで、スタンダード価値観を欲する動きなので、そういう嗜好の全てを否定する訳には行かないのだ。

 『夏祭』は、目から鱗が落ちるようなゲームではない。だけども、プレイした後の安心感は、[癒し][萌え][虚構原風景]といった要素によるものでもない。娯楽作品に不可欠なバランス感覚をちゃんと備えており、背骨が通っているのが、この安心感の正体なのだと思う。

 ただ、スタンダード故に、これはどうか?という箇所もある。Hシーンだ。作画文章共に描写力がなまじ高い分、不自然な印象が強調されてしまう……主人公テクニックが上手すぎるのだ(笑)。変な話ではあるが、若い男女のボーイ・ミーツ・ガール的な恋を描くというテーマは、文章力の高いHシーンとは、相反してしまう所がある。早い話が、初々しい恋のドキドキ感……言ってしまえば[童貞魂]を描く作品でのセックスは、ポルノグラフィに求められる実用性とは、いまいち結びつきにくいのも事実なのだ

 だとすると、先月取り上げた『Kanon』の、意識的回避することができてしまうHシーンの方が、作品テーマ親和性は高いのかも知れない。肉体関係抜きでも、精神的な絆を結ぶことはできるし、トゥルーエンドも見られるというのは、美少女まんが雑誌編集者だったくせに、Hシーンのない作品を平気で載せていた筆者にも、かなり衝撃的だった。ただ、それを認めてしまうのは、美少女ゲーム存在意義を問われてしまうということなので、簡単に納得はできないんだけどね……。

 ……しかし、これは「むほっ、これは嬉しい不意打ち……これに比べたら山岡さんのはカスや!」と、『美味しんぼ』の京極さん風に叫んでしまうのに近い(笑)。そして、「おいおい、お前さっきまで士郎のメシを美味そうに食っていたじゃねえかよ」と、自分に突っ込んでしまうのだが……って、話がズレた。

 『夏祭』の場合シナリオごとの構成にばらつきが激しいという難点はあるのだけども

、Hシーンの扱いは、物語にきちんとリンクしていたので、個人的には安心している。しかし、美少女ゲームにとって、セックスをどう扱うかは今後、重要課題になるのではないかと思う。それはそれで、本末転倒な気もするが、美少女まんがではもう、その問題を語ることができなくなってしまった以上……そう、H以外の要素に市場が寛容である間に、思考を突き詰めていかなければならないのだ。市場下り坂になれば、H以外の余計な要素は真っ先に排除されるのが、ポルノ業界の常なのだから

■来月は1999年度の総括。

 という訳で、次回は『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏をゲストに招いて、恒例(?)の1999年度総括ですー。それにしても、この手の原稿ばっか書いているくせに、ファンサイトの類は全く知らなくて、軽い気持ちでサーフしてみたんですが、筆者の原稿など簡単に吹き飛ばすほど強力な、美少女ゲーム論が山のようにあるのね……もっと突き詰めないとな……。

 余談ですが、『恋愛シミュレーションツクール』を買いました。いかんせんエンジン部分が弱く、実際にゲームを作るには、ちょっと苦しいんですが、恋愛ゲーム構造を解析するという意味では面白いソフトでした。

2014-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20141230133157

>2次形式 + 1次式 = 定数 で表される曲線だろ

そういうんじゃなくて、もっと文学的表現してほしいんだよ。

でないとわかんないんだよね。

2014-11-14

理系の人で

文系顔負けの文系の知識持ってる人ってかっこよくない?

歴史とか、文学的なこととか。

俺は理系だがそういうの全く分からん。憧れる。

2014-09-07

ラブレター

しか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。

僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。

少し僕の話をします。

僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。

生活には余裕がありました。勉強運動も苦手ではなかったので、特に不自由しませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。

コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。

しか努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。

まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。

にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。

教員受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元高校に連れていかれて練習させられました。

学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場人間を得られないまま、

ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。

まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。

毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフHB鉛筆を削っていました。

一度その最中母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。

鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています

それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います

そんな日々が変わったのはある映画DVDを観た時です。

タイトルは「バタフライエフェクト

これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。

まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。

この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公自分他人人生をより良くすべく奮闘する物語です。

主人公エヴァン人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、

それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。

神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年最後に辿り着いた選択とは。

この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。

僕には主人公エヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。

ラストシーン恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。

そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。

わず振り返る主人公だが、思い直し再び向き直り歩きだす。

今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、

それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。

しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。

それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京暮らしています

相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます大学では自分映画も撮ったりもしました。

僕にとって映画というのはそれくらい大事ものになったのです。

まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。

これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています

無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。

と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います

僕はあなたに、つまり映画に恋をしています

なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います

僕は大学に入って映画制作部活動所属しました。

実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか

出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。

そして何より楽しかったのです。

映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます

ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧映画出会えないことです。

好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます

このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。

少女の恋がおおよそ世界存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。

そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。

触れてしまうことで壊れてしま幻想自分彼女と関わりない人生を送ること、その決断価値はなかったのかもしれない。

エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識自分幻想を守っていたのだと思います

僕もまた、完璧映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。

少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言発見しました。

動画サイトで集めた人材映画をつくりましょう。」

僕は一も二もなく反応していました。

僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。

作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。

寝るのも忘れて書きました。

出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。

完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。

僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。

まぁ色々あって結局僕の脚本採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。

しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。

いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこ脚本を読んでもらいたいなと思います

しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。

その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。

そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。

脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。

僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。

脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。

まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。

これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。

それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います

唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。

僕は中学生のあの時から映画に恋をしています

しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。

こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。

映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間関係のないモノはありません。

それは芸術人間を知る為の手段からだと思っています

どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。

それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画今日も撮られているのだと思います

芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画シナリオがあったといいます

日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。

彼はしきりに生活芸術は分離していると語っていました。

僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代生活映画は近しいモノだと思っています

僕は芥川の書いたラブレター文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。

僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。

僕は映画に飽きないでしょう。あなた人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。

僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。

からこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。

優しいところが好きです。

冷たいところが好きです。

怖いところが好きです。

笑わせてくれるところが好きです。

泣かせてくれるところが好きです。

そしてなにより何だかよくわからないところが大好きです。

以上、あなたに恋する男から言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。

2014-09-06

逆さ富士世界遺産

逆さ富士アナル世界複合遺産に登録しよう。

wikipediaより世界遺産の条件を抜粋してみた。

複合遺産文化自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。)


自然遺産

(1) ひときわすぐれた自然美及び美的重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの

アナルはひときわすぐれた自然美を有する!!


(2) 地球歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要地学的進行過程重要な地形的特性自然地理的特性などが含まれる。

分からん


(3) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要生態学的、生物学プロセスを示す顕著な見本であるもの

進化と発達において進行しつつある重要生態学的、生物学プロセスだ!!なんせうんこが出るんだからな!!アナルは日々進化している!!


(4) 生物多様性本来保全にとって、もっと重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

こういう地形的なのはダメだな。


文化遺産

(1) 人類創造的才能を表現する傑作。

アナル芸術だーー!!逆さに盛り上がったアナル人類創造的才能を表現している!!


(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築技術記念碑芸術都市計画景観デザインの発展に関し、人類価値重要交流を示すもの

建築物とかではないな。


(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠

知らん。


(4) 人類歴史重要時代例証する建築様式建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

関係なさそうだ。


(5) ある文化(または複数文化)を代表する伝統集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

これも関係ない。


(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事現存する伝統思想信仰または芸術的文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

顕著で普遍的アナル思想アナル信仰だ!!さらAVという芸術作品と直接関連している!!



ということで、アナル自然遺産1,3、文化遺産1,6の条件に当てはまるのではないか?

増田アナル普及協会はアナル世界複合遺産への登録をめざします。

2014-07-10

猥褻名誉毀損表現言論の自由保護されない

これまで「デマを流すな」「中傷をやめろ」という声が上がると必ず

「言論(表現)の自由が〜」と叩かれてきた。

でも僕は不思議だった。「言論の自由」に「デマを流してよい自由」や「他人中傷してよい自由」が含まれるのだろうか?

不勉強なので知っておきたいと思い、検索していたら以下のページにたどり着いた。いろいろ知らなかった事が書いてあって面白い

まだ途中までしか読んでないけど一部抜粋

3.1 誰の誰からの自由なのか

3.1.1 憲法適用範囲について

憲法による人権保障とは、 政府を縛ることで国民基本的権利保障することを基本とします。ゆえに、 私人である国民相互関係において、憲法保障する言論・ 表現の自由は直接には作用しません。それら私的主体は、 自らの望むような内容や方向性をもった言論の場(forum)を設定することができます。 たとえば、あなたが個人的に開設した電子掲示板では「モー娘。 を褒め称える発言以外は削除します」 というような方針を掲げて運営することができます。その方針に従えない人は、 他の掲示板で発言すればよいからです。


3.2 何がどのように保護されないのか

歴史の部分でも説明しましたように、宗教的思想的言論および政治的社会的言論は、言論・表現の自由の核心を構成していて、 当然に憲法上の保護をうけるものとされています。 逆に伝統的に犯罪であると考えられてきた猥褻表現 (obscenity) 、 名誉毀損表現 (defamation) については、 それらが犯罪として禁止されていることをうけて、 憲法保護を受けられない種類の言論であるとされています


3.2.3 名誉信用毀損

名誉毀損については、日本アメリカでは視点が違います日本名誉毀損は、 本人の名誉感情を重視しています名誉毀損的発言が行われた結果、 その人がどの程度の被害を受けたかという問題は、刑事裁判においては 「処罰するに値する程度の違法性(可罰的違法性)」 があるか否かの判断に用いられる程度であり、 おもに民事裁判における損害賠償額を判断する場合に用いられますしかも、 日本名誉毀損に関する刑法規定では、 名誉毀損的発言の内容について事実の有無を問わないことになっています。すなわち、 内容が真実であっても名誉毀損が成立してしまうのです。


そこで、戦後昭和22年になって名誉毀損に関する刑法230条に、 230条の2が追加されました。これは、発言の内容が (1) 公共の利害に関する事柄であり、(2) かつ発言の目的がもっぱら公益を図ることにあったと判断される場合に、(3) その発言の内容が真実であれば処罰しないとしたものです。これは、 ジャーナリズム活動名誉毀損訴訟から保護する目的での追加規定ですが、 裁判が起きた場合に、報道する側が内容が真実であることを証明しなければならない (立証責任)ため、発言者側が不利なことは否めません。そこで、判例では、 「230条の2第1項のいう事実真実であることの証明が無い場合でも、 行為者がその事実真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、 根拠に照らし、相当の理由があるときは、犯罪故意がなく、 名誉毀損の罪は成立しないものと解する [26]」とされ、 真実証明ができなくても、発言内容が根拠のあるものであれば、 処罰しないとする運用がされています


まとめるとこんなかんじ?



まりこんな理解でいいかな?

OK。はてな政府ではない。(2chでやればよい)

表現の自由保護される(本人が真実であると信じているので)

ダメ政府による検閲は禁止。小学館自主規制するのはOK。(他の出版社で出せば良い)

名誉毀損表現保護されない。本人が嘘である事を知っているので

家に帰ってきたら残りを読む

追記

id:masudamasuo さん

すみません、masudamasuo さん含む、エロエントリ作者さんに言ったつもりではありませんでした・・!

誤解を生んで申し訳ありません。

憲法政府を縛る物であり、個人を縛る物ではない」と書きましたが例外があるそうで、リンク先の解説には

日本憲法の考え方では、「私人間の紛争について憲法は間接的に作用する」 とされています私人間の紛争において、 一方の当事者がいちじるしく弱い立場にあり、単に法を適用するだけでは、 その当事者憲法上の権利実質的に脅かされるときには、 私人間の関係について定めた私法の解釈においても憲法上の権利保障が援用される場 合があるというものです [4]。 上記のように、 ある種の言論が実質的私的主体によって維持されている言論の場でしか行えないよ うな状況があるときには、憲法上の言論・ 表現の自由を主張しうる余地があるといえるでしょう。

とあります

例えばはてながあらゆる企業を買収し、web上を全て検閲削除できるようになった場合はてなに対しても「表現の自由』で縛れるということですね。

現状、2chyahoo 知恵袋など様々な web サービスがありますからはてなエロ規制しても「表現の自由」を理由に反対できないということです。


そう言って言論の封殺正当化するクズ結構いるけど

言論の自由」は名誉毀損表現保護しない、というだけで「禁止している」というのとは違いますね。

名誉毀損で訴えられたときに「言論の自由」は守ってくれない。(ただし芸術etc価値があるなら守ってくれる)くらいの意味ですね。

それ単に憲法法律至上主義なだけだよね

表現の自由ことなんてろくに考えてないんじゃねーの?

すみません、おっしゃっていることがわかりません。

エントリ表現の自由(日本国憲法第21条)で保護される範囲の話ですから憲法至上主義(?)になりますよね。

もちろん、増田さんが「名誉毀損卑猥表現表現の自由保護されるべきだ」と考えて憲法改正を訴えても良いし、それは言論の自由保護されるはずです。

2014-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20140706233428

からすまないが『散文的』という言葉があるように、

文章の形式が文学的な趣の有る無しを左右することはあり得る

芸術って術、テクニックから

我々が心惹かれるかとはまた別の問題かと

この意見賛同するか否定するかはあなたの自由だけど、

事実としてこういう考え方は存在している、ということだけ

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701003252文学的に書き直してみた

目まぐるしく書き連なる低俗日本語が私の感覚に侵入してくる。

やめろ!やめろ!!やめろ!!!

狂いそうになる中で一つの真実にたどり着く。

その真実を手に取った瞬間、五里にも渡る霧が一瞬で晴れる。

私が増田を見なければいい。

----

以上、少しでもお口直し(?)にでもなれば。

つーか、ときどき見るやたら難しい言い回しって、いざ自分で書こうとするとなかなか難しいな。

2014-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20140617174101

その定義だと、ノベルゲームゲームではなくなるような・・・

文学的要素が強いほど、ネタバレを嫌うんじゃないでしょうか。

テーマを明示せずとも成立するほど、ユーザーも成長したとも言える。

あるいは、これまでも暗示的テーマはあったが、それに気づかなかったか

ゲームの特徴の一つはユーザーの参加性だと思いますが、テーマ製作者側でなくプレイヤー側が想像するのは、より「ゲーム的」だとも思えます

2014-06-15

文学的であるということは、弱者の側に立つ、という姿勢・態度のことである。立つフリをする、と言い換えてもいい。偽善も善である、という考え方に立てば、その二つは同じものからだ。

例えば近年の村上龍文学的評価が低いのは、彼が強者の側に立っている(ように見える)からなのかもしれない。



みたいなことをお風呂に入りながら考えました。まる。

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