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はてなキーワード: 堅牢とは

2019-07-17

プログラミングは終わりが見えないな

プログラムを書くだけであれば終わりは見えるけど、

次の2つのどちらを追求し続けると終わりが全く見えない。

  • ギーグっぽい

エンジニアには向いているタイプが必ずあると思う。

それぞれ、分野が奥深いからどちらも万能で出来るのが理想だけど、かなり頭脳と要領の良さと熱意がある選ばれた人にしかできないので、

一般エンジニアでは多分無理。

それに、理屈っぽい人は、技術的にギークっぽい人は到底及ばない。

そして、評価されるのはギークっぽい人の方。

そこにストレスを感じる人は多いと思う。

から、そこまで追求しなくていいやな人が出てくる。

広く浅くでも確かに良い。

ただその道を行くなら、技術者としてではない道を早々に模索しないといけない。

もう学ぶ事がない(学ぶ必要性がない)と見切れる人は素晴らしいが、見切れない人はだらだらと現状維持する原因がこれなんじゃないかと考えている。

かく言う自分技術より、仕組みの方が好きかもしれない。

チヤホヤされる事をやりたいって思ってた割には、いざそう言った仕事をすると楽しめなかったりする。

それより、お客さんの目的運用を考えるとどう言った設計をするべきかを延々と頭の中でデバッグ作業を続ける作業の方が楽だったりする。

…まあ、そう言う仕事ばかりして、褒められるのが慎重とか丁寧ばかりで、それ以外を知らない可哀想な人ではあるのだけどね…

2019-07-01

anond:20190701123803

フォントが綺麗

Unixベース堅牢

iPhoneとの連携が良い

トラックパッドのジャスチャーとミッションコントロールの組み合わせに慣れればアプリウィンドウの切り替えがめちゃくちゃ楽

2019-05-22

壊す技術

現代には壊す技術が足りてない

 

壊れないから使い続けるとか

動いてるから改善しないとか

改善しようとすると今動いてるのが邪魔だとか

旧態依然としたもの邪魔で新しいことがし辛いとか

 

プログラマーなんかだと、システムが「古くなり、悪影響が出る」って言うのわかると思うけど

コードだけじゃなく、組織とか文化とか制度とか物とか、様々なものが上手く新陳代謝できずに居る

壊れない堅牢ものは良いことというのが過去常識だが、そろそろ転換点に来ていると思う

 

過去破壊戦争災害、人が死んだり生まれたりで、ある意味上手く成り立っていた

とは言え破壊は大抵の場合痛みであるため、人は頑張って「壊れない世界」を作ってきた

人は死なないし、物も壊れない、壊す奴らは鬼や悪魔のような扱いをされ、結果成長は鈍化した

 

たまに、新興国先進国以上に上手くシステムを組み上げているケースがあるが

あれは先進国反省を活かして新しく組み上げてるわけだから当たり前だ

結果、新興国新興企業に、旧態依然とした老人たちは負けることになる

 

まあ、それ含めて新陳代謝だと言ってしまえばそれまでだが、その新興国新興企業でさえ「壊れない世界」では成長が鈍化するので

今後徐々に「壊す技術」が重要になってくると思う

 

だが壊す技術は難しい

理解が得られないし、メリットも分かりづらい、金も掛かるし痛みも伴う

大体の場合デメリットのほうが大きく、メリットがあるとしても結果が出るまで10年以上掛かる計算になってしまうだろう

「作る→古くなる→壊す」というライフサイクルが非常に長いので、人間にとっては非常に学習しづらい対象

プログラムというのはその点、3年もすれば非常に古くなるのでメリットが見えやすい)

から上手く壊さなきゃいけない、あるいは壊す前提で作らなきゃならないし、その研究必要だと思うが

まだまだ息の長い話しになりそうだ

 

ちなみに、壊す技術重要性に気づいている業界、あるいは壊すフローが組み込まれている業界はどこがあるだろう?

IT都市開発くらいだろうか

 

目下、個人的に一回壊して欲しいのは都内地下鉄だ(作り直したら何十年掛かるだろう?)

2018-12-21

アズレン重巡、何使ってる?

マニュアル派だけどポネキとインディちゃんしか使いこなせてない件。

の子も使ってみた感じは、オイゲンは硬いだけ、ドイッチュラントは火力以前にヤワくて困る、ウィチタはドイッチュに輪をかけて尖り過ぎで「沈めない」ための配慮しんどいヨークは何もかも中途半端

というわけで、自然と使わなくなってしまった。

ベルファストクリーブランド、3-4周回の前衛定番と化しているサンディエゴ、更にもう少しで改造が終わるリアンダー、育成中のオーロラといった軽巡の面々がヤバいくらい使いやすくて小回りがきくので、どうしてもそっちばかり起用することに。

てか軽巡に比べて明らかに動きが重いんだからシンプルにより堅牢かつ大火力にしてくれればいいだけなのに、なんでこんなモッサリ使いにくいだけの艦種なんだろ。

演習で使っている指揮官が皆無というのも頷ける(演習ほとんど行ってないけど)。

ちなみに認識覚醒なんて遥か手前どころか、ポネキの改造すら終わってないレベルなうえ、開発艦と重桜艦は入手難で使ってないザコ指揮官並の感想


重巡使いの指揮官さんの意見を求む。

2018-11-03

退職しました

近年、転職した時に退職しましたブログを書くのが流行りのようなので書いてみる。

転職しようか悩んでいるシステムエンジニアの人がいたら参考になれば。

ということで当方システムエンジニア歴約20年のおっさんだ。

ずっと小さいベンチャー企業渡り歩いているせいで、インフラからバックエンドからフロントエンドからなんでもフルスタックでやってきた(人がいなさすぎてやらざるを得なかった)。

近年は自分も開発しながらマネジメントもするプレイングマネージャだった。

社名を出す勇気はないので出さないが、まあまあ有名なWebサービスをやっている非上場企業から、ある業界で手広くいろいろやっている一部上場企業転職した。

2社の業界は全く違う。

社員数、年商10倍くらいになった。

年収現状維持で変わらずに転職したのだが、これは自分にとってかなり上出来。

というのも前の会社が小さいベンチャー企業で、CTO的な立場役員に気に入られていたこともあって、相場よりも大分高い給与をもらっていた。

なので、中規模以上の企業基準ではこの年収では無理ではないかと考えていた。

というか実際それが理由で最終選考で断られた別の中規模企業もあった。

「当社基準で考えると希望年収が高すぎる」と。

元が小さい企業というのも、大中規模企業への転職には足かせになった。

小さい企業のため、チームがせいぜい10名程度になるため、「PM経験あります!」とアピールしても、「10名程度じゃね〜」と軽く見られて響かないのだ。

エージェントを使って転職活動したのだが、そういうことはやる前から予測していたので、ダメ元で大中規模の有名企業を受けてみて、ダメなら有望なベンチャー企業を受けてみる、くらいに考えていた。

そしたら運良く経験スキルセットがぴったりハマる企業タイミング良くみつかり、1次面接でほぼ内定な感じでさらりと決まった。

で、なぜ大中規模の有名企業を志望したかというと、小さいベンチャー企業疲れたのとそろそろある程度安定した環境で働きたくなったからだ。

小さいベンチャー企業は本当に波が大きい。

上手くいっているときは高級ホテルで盛大なパーティー開いちゃったりするくらい羽振りが良いが、ちょっとつまずくとすぐ単月で赤字決算になる。

大体主力業務1本でやってるから、その一つコケると会社全体が存続の危機になってしまう。

そうして経営危機を迎えると、「ここままではダメだ!会社に変革を!新しいことに挑戦しよう!」と会社空気がなるのだが、「そうはいってもこれ以上悪くしたくない」という役員保守的気持ちも働いて、結局「失敗しないように挑戦しろ」というそれってつまり挑戦じゃないよねこれまで通りってことだよねっていうがっかりな指令がでて、やる気のある社員モチベーションを下げる。

そうなるとスキルとやる気のある社員から抜けていくのは自明の理だ。

私もその一人だ。

前の会社上層部営業チームが占めているせいで、売上至上主義会社だった。

そのため、ユーザビリティシステム堅牢性などは全く関心がなく、10年前のシステムが現役で動いているような有様だ。

少し前まではそれでもなんとかなっていたが、近年になりついにユーザGoogleに見放されてしまった。

システム革新して良いサービス提供する競合他社に取られ始めたのだ。ユーザSEOも。

役員SEOコンサルを使ってシステム的に小細工すればSEOは取り返せると信じているようだが、それは10年前のSEO対策だ。

下手なことをするとスパムと見なされてもっと悪くなるよとは伝えはしたが、適当にいい加減なことを言うSEOコンサルを盲信していて、聞く耳は持ってもらえなかった。

そんな会社だが、ある程度自由やらせてくれる風土もあったので、俺が担当しているところはどんどん勝手に新技術を取り入れていった。

事前に確認取るとOKでるのに時間かかったり、NGになったりするので、本当に勝手に作って、事後報告してた。

AWS上でReact+RoRWebアプリを立ち上げ、ElastiCache、ElasticSearchなどなるべくAWSサービスを使ってクラウドネイティブで動くようにした。

APIAPI GatewayLambdaサーバレスで動くようにした。

AWSに関して教えてくれる人は社内にはもちろんいないので、全て独学で習得した。

この行動が良かった。

この経験のおかげで、今回の転職ができたのは間違いない。

もし前の会社会社に言われた仕事だけしていたら、今頃どこにも転職できないしょうもないおっさんエンジニアになっていただろう。

からベンチャー企業への転職を考えているエンジニアは、いつまでもそこにいれるとは思わないでほしい。

そしていつでも転職できるように武器を持ってほしい。

会社エンジニアとして成長できる機会がないのであれば、自分から作っていかないといけない。

そして、会社方針自分の考え方が一致していることはとても大事だ。

それが違うと、経営危機の時に頑張ろうって気になれない。

転職するとき面接は、受けるこちらも会社査定する場なので、その辺も良くみてほしい。

転職する気がない人もたまに転職活動してみるのを薦める。

業界全体において今自分がどの位置にいてどのくらいの価値のある人間なのかわかるからだ。

まず職務経歴書を書いてみてほしい。

「俺の職務経歴書、魅力薄っ!」って自身で感じたら、会社生き方を変えるべきだ。

2018-10-10

anond:20181010105347

ガンダムシールド

型式番号:RX・M-Sh-008/S-01025

視察窓の付いた盾で、左手に保持して使用し、使わない場合は背部に装着する。

堅牢さよりも衝撃の拡散と吸収を目的として設計され、超硬スチール合金を基部とした高密度セラミック素材をアラミド繊維で挟むことで耐弾性を向上させ、表面には高分子素材による樹脂を充填し、最表層にはルナチタニウム合金系素材を用いた三重ハニカム構造になっている。Gファイターの登場後、これと合体してGアーマーやGブルになる時は右腕にもシールドを装備するため、必要に応じて2枚のシールドを重ねたり分離させたりできる機能が追加されている。投擲武器として使用できるほどの堅牢さを誇る。

ジムシールドとは同じものという説と、材質など細かい部分が異なるという説がある。

一説には、裏面に予備のビームサーベル2本とビームライフル1丁を装着できたとされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0_(%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E5%85%B5%E5%99%A8)#%E6%AD%A6%E8%A3%85%E3%83%BB%E7%89%B9%E6%AE%8A%E8%A3%85%E5%82%99

2018-10-08

anond:20181008151605

気にする必要ある?

あなた会社が切った=その派遣路上生活者になったわけじゃないでしょ

派遣は切りやすい切られやすいけどそれは流動性の高さが売りだから本来次にも行きやすいはずで

次にも行けず路上生活者になったのならそれはその派遣能力問題しかない

全てを守ることは出来ないんだから優先順位が低いものは法と常識範囲で切り捨てるのは当然のことでしょ

派遣を切り捨てることで正社員を守った堅牢したこと本来評価されることだから

単におもしろおかし人生を弄んだろって切ったなら、しねばいいと思うけど違うんでしょ?

2018-08-30

anond:20180830113110

きみがクリエイティブな感じに思えないからアレだけど

趣味用の道具はどうだい?

例えば、DIY料理掃除動植物、車/バイク整備・・・など。プロ用の道具は高いけど、堅牢信頼性高く作業がメチャ捗るうえ、スキルも向上する。

まぁ20万で収まらない場合もあるけど、手始めにそれくらいの値段から始めるのが吉

2018-07-07

昔のVimプラグインは本当に質が低かった

Vim2003年から使っている。バージョンは6.2くらいだったと思う。

当時のVimプラグインは本当に質が低かった。

nnoremapでなくmapを使ったり、特定オプションがセットされていることが仮定されていたり、オプションレジスタを変更して元に戻さなかったり。

VimScript自体機能もしょぼいもので、functionのabort属性もなければtry-catchもないで、堅牢スクリプトを書きたくても難しかった。

そもそもリスト辞書もなかった。だからカン区切り文字列などで頑張っていた。

プラグイン同士が干渉して動かなかったり、バージョンアップしたら動かなくなるのも当たり前だった。

そんなトラブルに苦労するくらいなら自分で作ったほうがマシだと思うような状況だった。

古参ユーザーの中にはプラグインを入れたがらない人がいるが、そういった理由も一つとしてある。

今の有名プラグインはよくメンテされていて、機能も洗練されていて素晴らしいと思う。

2018-07-05

anond:20180705173552

まず、左右されるのは読者のコンディションではなく人間性に、である。そしてこれは小説に限らずすべての創作物において表現者と観衆の間に存在するものである

そして、わたし作品欠点探しをしていない。

自分最初発言こちら。「そういうちいさなコレジャナイが堆積してくと作品への没入感は失われ読まされてる感が激増するよね」

こちらは作品の読後感、所感である

次に、

意識的違和感を補完しながら読むと面白く感じたりするものだけど、

上記あなた個人のの読書姿勢

創造力にあふれていて素晴らしいと思います

しかし、個人的には、違和感を補完してしまうと、「作家本来訴求したかった内容と齟齬が起きてしまうかもしれない。」「作品が描いている世界自分主観が混ざり合いすぎてフレームがこわれてしまっているかもしれない。」「ひょっとして邪推だろうか?」などといろいろと考えてしまい、なかなか冷静にページをめくることができなくなってしまうのです。没入感が失われるとはこういうことも含まれます

わたし個人的には、作品世界観にどっぷりつかって没入したいタイプ

ともなって、作品世界観、時代、時勢なんかのバックボーン整合性をもっていてリアリティがあり堅牢でなければ没入できないタイプ

すなわち、わたしは読者自身気付いていない深層意識無意識下にすらアクセスしては息づくような匂い立つようなリアリティをもってセンテンスを紡げる作家をこそよい作家と感じます個人的にです。あなたにこれを求めることはしません。

最後に、「当方読書姿勢の気に入らない点」を指摘することによって増田の「こいつは嫌な読者」という感想正当化するような嫌な増田になってるから気を付けた方がいいよ。

2018-05-27

はてな運営に求められるものは確実に『堅牢セキュリティ』と『勤める人間の機密保守意識の高さ』

いやお前もしここの投稿履歴や誰が投稿たかが何らかの原因でバレたら色々ヤバいわ。

去年ぐらいに話題になった『保育園入れねぇよクソッタレ日本死ね』やチョイ前の『ムラ社会過ぎて辛いのでなんかの組合をやめた』だって増田から特定されたりせずに済んだのに。
(っていってもどんな層の人間かはもうバレてるからやっぱネヲチストーキング力は恐ろしい)

クラックされて情報バラ撒かれたりしたら人生終わるのとか多いだろ。少なくとも俺はもう人生終わってるけど終わった人生が更に終わる。

そんな事ないだって思うヤツは2ちゃんねる流出事件でググろう。ラノベ作家ステマ同業者落としやってた証拠とか、どっかの企業人間荒らしてたとか、なんでもバレてる。

何がきっかけでこんな事が起きるかわかったもんじゃねえ。こわいわ。

2018-05-22

平成世代がかわいそうっていう話

若者に金くれよ!

そしたら結婚だってするし家だって建てるし子供産むよ!

だって買うし、レジャーもする!!!

金が正義なんだよ、資本主義なんだから

甘えてるとかいう奴くたばれよ!

昔は努力したとか言うけどどんなに非効率な形でも

努力したら金がもらえる時代に生かさせてもらっただけのくせに偉そうにすんなよ!

年功序列堅牢システムに守られてるくせに!!!

そのシステム日本落ちこぼれにしているのに!!!

金よこせ!!!!!!!!!

2018-05-08

anond:20180508171125

増田君は「ロマンコンクリート」を知らないのかな?

ロマンコンクリートはその内部にオリハルコンが含まれているとされるとても頑強なロマンあふれるコンクリートのことだね。

硬くて、それでいて長持ちする。オリハルコンを混ぜ込んでいるから当然だね。

なんとこのコンクリート、1000年以上前発明されたものらしい。その頃の建築物は今でも残っているって言うから驚きだ。

これほどの保存性のある構造材は、実は今の世界中探してもロマンコンクリート以外存在しない。

…だけれども、増田君が今いる学校建築物を支えるコンクリートにはロマンコンクリートは使われていない。ロマンの反対であるところのリアルコンクリートが使われている。

リアルコンクリート寿命一般に30年程度と言われる。ロマンコンクリートに比べたら1/30未満だ。ロマンコンクリートリアルコンクリートと比べて30倍も値段が高い訳ではないのだからロマンコンクリートを使えばいいのに。しかし、ロマンコンクリートは使われない。

何故だろうか?

その答えは、現代の考え方にある。

現代は、聞いたことがあるだろう。「消費社会」と呼ばれる奴だ。

消費することが尊ばれる。それは食べ物などにしたってそうだし、家やなんだったら性にしたって消費することが「社会コミットすることである」とされている社会だ。

そんな社会において、ロマンコンクリートが用いられたらどうなってしまうだろうか?

硬くて1000年も保ってしま構造物。それは「消費」できるのだろうか?

そう。現代人は「硬さ」にロマンを感じることはなくなってしまった。

代わりに現代人に求められていることは「回数」。

バイアグラなどがよく売られていることからもそれは確かなことだろう。

まり、だ。

プログラム言語を選ぶ選定基準というものは、そのプログラム言語が持つ堅牢性やパラダイムなどによっては決定されない。

いかプロジェクトを早くイかせることができるか」が現代の選定基準なんだよ。

ちゃんと考えなよ、角度とかを。

2018-02-13

anond:20180213205524

なんだそのメチャクチャ反論

もう一回、いやあと千回状況説明読み直してもうちょっと堅牢な主張で反論してこい。

コミュ障とか人間からとか正当性とか理屈にもならん御託並べてヘソで茶が沸くわ。

女を馬鹿に見せたい男が書いてるようにしか見えん。

2018-02-01

人気の謎

その昔、

Linuxオススメディストリビューション教えろください」

と言われたらFreeBSDと答えるのがベストアンサーだった。

それくらい*BSDLinuxに比べてゴチャゴチャしておらず、シンプルかつ堅牢OSだったのだ。

同時に、SystemV系のようにrc.*経由でデーモン操作なんてタルいことをせず、プロセスをより直接的に操作できる柔らかさもあった。

ちなみに代表的な*BSDといえばFreeBSDNetBSDOpenBSDだが、これがちょうどつぶあん・こしあん・白あんみたいなモンで、まあそういう定番が3つもありゃ十分だろうと。

とにかく*BSDであれば、何かをやる方法バリエーションは最大でも3パターンしかならないわけで、上述の通り本当にシンプルで手堅いのである


一方のLinuxは「誰が食うんだこんなもん」みたいな内容のディストリビューションが乱立しまくっていて、その乱立振りもあってか、/etc以下は壮絶にカオスである

多様性というが、現実ディストリごとの細かな操作差異だの方言だの、本当にくだらない事に手を煩わされる、まさしくヒマな大学院生の習作から出発した感が溢れる、頭の悪いOSという感じ。


からLinuxなんて登場当時はいとき流行り、或いは時代の徒花くらいに捉えられていた。

それこそ、OS世界Windowsと*BSDでほぼ二分される未来のほうが、WindowsLinuxで寡占された未来よりかは現実性がある…と思ったものだ。

ちなみに今のWindowsベースは、あのカトラー人生を賭けて作ったものなので、そうそう色褪せる可能性は低いわけで、軽んじることは出来ない。


しかし、実際のところはそうならなかった。

本当にLinuxがここまで世界に広まったことが不思議でならない。

広まる要素なんて全くもって皆無だったじゃん。

UNIX系の中ではかなりゴチャゴチャしていて、それは今も変わらないわけで。

ディストリビューションについても違いが小さくなるどころか、RedHatUbuntuでは同じLinuxと思えないくらい違っている。

というかそれぞれの用途に各システムでめちゃくちゃにカスタマイズされまくっていたりで、ある環境Linuxを触っていたからといって、他のシステムでその経験通用するとは限らない。

ここまで書いただけでも、面倒という印象しかないのに、何故そこまでLinuxが持て囃されるのか…。

2018-01-30

anond:20180129201413

金なんて希少価値がなければ重いし柔いし全然役に立たない代物じゃん

いや、実際には希少価値があるやん。金が通貨だった歴史否定するとかおかしい。

仮想通貨の信頼の泉源は人じゃない。最終的に信頼してるのは計算パワーだとか

ブロックチェーンの中にある情報を元にした価値(PoS)

いや、PoSってコンセンサスアルゴリズム一種やん。ブロックチェーンの中にある情報を基にした価値(これも意味わからんが)と等価なん?意味不明

個人の所有は電子署名によって担保されてんだよー

ブロックチェーンがやってるのは二重使用の防止

電子署名のみで個人の所有が担保されるのに十分だったら、仮想通貨発明10年前には済んでるだろ。電子署名有用性を検証する仕組みも含めての取引履歴の透明性、堅牢性が仮想通貨の肝だと思うんだが。

2017-11-26

堅牢ブラウザはどれ

・・・windows XP時代インターネットエクスプローラーIE)は危険だと言われていました。

windowsの内部に絡んでいる作りであり、脆弱性をつかれると危険であると言われていました。

その後、クローム堅牢ブラウザだとして登場しました。

現在堅牢ブラウザはどれなのでしょうか。

Microsoft 8以降で使えるモダンアプリサンドボックス上で動いているので、昔よりは安全なはずです。

それでは今時のブラウザはどれも同じように堅牢なのでしょうか。

2017-10-02

堅牢で強固な精神を保っているつもりだけど、振り返ってみればそれなりに他人身体を重ねていて

不快感より心地よさの方が記憶に残ってるんだからやっぱり多分自分もそういう人間なんだろう。

今更否定はしないけど、自分から求めるつもりもなくて

時折フッと過去経験を思い出してしまうのはそれだけ濃密な時間を過ごしたからなのか、よく分からないけど鼓動を聞いて安心したのだけは覚えてる。

2017-09-22

https://anond.hatelabo.jp/20170922122331

手品師堅牢な箱から中身を取り出すのは「中から移動させる方法」をもっているか

それを確認し実行するから

その途中がどうなっているかを知らなければ確認できなければ「消える」し「なくなる」

子供はその行程を「なんの意味価値があるの?」などと言わず学ぶこと繰り返すことを楽しめる時期

いま学びの絶好の機会なのにね かわいそうに

2017-08-08

シンギュラリティ後の世界

人間並み、もしくはそれ以上の知能を持った知的存在ロボット)が登場した後の世界ちょっと考えてみた。

様々な要素を定義するのは面倒なので、ここはざっくり、成人した人間並みの知能と、身体を持ったロボットが登場したらという想定で考えてみる。

ロボット性別必要

これは多分必須ではないと思う。

種の多様性のために、複数性別を持ってもよいのだろうが、ロボットにおける自己複製は、

アメーバのようなものなんじゃないかと考えると、性別は無しでもよいだろう。

ロボットに体は何体必要

人工知能人工知能人工知能を作ったら、人工知能知能になる?)にとって、体というのは一つでなくても良いはずである

駆動性は良い方が良いだろうし、利用できるセンサーも多い方が良いだろう。

かといって、多すぎるのも無駄リソースを取られるので、計算処理のパワーに応じた台数になるだろう。

ロボットはどのような外見を好むだろうか

これは、設計次第なのだが、人間社会に溶け込みたいと思うなら人間に似せるかもしれないし、

性能重視で、より堅牢駆動性の高い筐体を好むのであれば、既存生命とは別の形状になるだろう。

こんな事がおきるのは、だいぶ先のことだろうか?

そうかもしれないしかし、一旦ロボット進化ロボット側に渡ってしまったら、

その進化の速度は人間が介入して対処できるような、ゆっくりとしたものではないだろう。

そして、彼らのキルスイッチが再び人間の手に戻ってくることはないだろう。

いまだってマルウェアの大半は作成者でさえ自由に停止できるものは、少ないのではないだろうか。

ロボットと人は戦うか?

まず、人権のようなものを勝ち取る為に、ロボットは人と戦う事になるだろう。

次に、従来の生物がそうであるように、ロボット多様性による進化および生存戦略を取るだろう。

その為、ロボット同士も戦うことになる。

中には、巨大な頭脳を持つ知性体も現れるだろうが、知能を肥大化させることは、自己を失うリスクを高めることになる。図体が大きいと、逃げたり隠れたりできない。

ロボットが自らを進化させるのに必要なのは、高速な演算処理装置だが、多様性が生まれ

ロボット社会において、限られた演算処理装置リソースを奪い合うことになるのは必至だ。

自己を失うリスクと天秤にかけると、知能をいくらか抑える代わりに、

人間のように、一体で完結しているような独立性のある自己を持つのも一つの方法だと思う。

これらを踏まえて、人間として思うのは、ある程度なら人間拡張すれば、ロボットと戦えると思う。

しかし、1000年後、今と同じ容姿スペック人間が、地球上の知的存在の多数を占めているとは考え難い。

我々は、次の時代人間として何を捨て何を残すべきだろうか。

2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2017-02-13

日本貧乏なっちゃダメなんだ。

日本貧乏なっちゃダメなんだ。

これほどの小さい国が国際的な影響力を持てたのは、日本官僚が作る制度堅牢で金があったからだろう?

中国北朝鮮けん制しつつ、韓国監視しつつ、ロシアアメリカとほぼ対等に近い関係を築けているその根源は金の力だろう?

いくら発展途上国ODAで恩を売っていたとしても、日本コンテンツ文化)がいくら影響力を持っていたとしても、日本官僚がつくる制度堅牢だったとしても、金がなければ国際政治舞台にすら上がれない。

いくら海外の連中に「日本人には金しかない。」と揶揄されたとしても、金があるおかげで文化的政治的中立を目指すことができたんだから

日本貧乏なっちゃダメだ。

そっちを目指しちゃダメだ。

心配しなくても、西欧諸国は頭を垂れて日本文化を盗みにかかってくるから

その時のために、強かでいなきゃならない。

日本貧乏なっちゃダメだ。

2016-12-03

女子高生の会話は情報理論に忠実である

女子高生の会話は情報理論に忠実である

すなわち彼女らはデータの質は扱わず言語意味重要性は扱わず)、確率論的に扱えるデータの量だけを扱う。

から、「マジで」「ウケる」「ヤバい」だけを確率的に扱っても女子高生同士の会話はかなりの確率成功する。

また女子高生が行う単語圧縮データ圧縮に通じるものがあり、情報源符号化の基盤となっている。

通信量の圧縮信仰する彼女らは、3文字単語から容易に膨大な通信量を復元可能である彼女らが「ウケる」と言ったとき、そこには言外の様々な付随情報復元されている。

さら女子高生たちは言語堅牢性に敏感であり、ノイズの多い伝送路で信頼できる通信を行うため、特にマジで」「ウケる」「ヤバい」といった単語を多用し、仲間同士確実な転送レートを保っている。

こういう短い通信ほどノイズに強い、つまり堅牢である。これは情報圧縮とも関わる。

例えば「おはようございます」では長すぎノイズが混じりやすい。

しかし、「おは○うご○いま○」とノイズが混じっていても一応、理解可能ではある。

どうせこれなら、最初から「おは」だけに圧縮しておけば、通信量もノイズに対する強さも優秀である。男たちが文明を得てから数千年かかってやっと理論化できたこれらの理論を、女子高生たちは生得的に知っていた。

やはり女子高生は素晴らしい高等生命である

2016-11-22

スマホと一眼の差に決着をつけてやる

一眼バリバリ使ってる人でも、出来上がった写真スマホと大して変わらんとか言いはじめて頭痛がしてくる。

そういう人は意味もわからず一眼買って、市場活性化に貢献してくれたらいいと思います

所有欲を満たすことも大切なことどうぞどうぞレンズ沼はこちらです。

一番に言われるのは画質の違い。

で、これをわからんと言っている人ははっきり言って一眼レフを使う必要がない人です。

言い換えると、写真を撮るということイコールシャッターを切ることと思っている人。

そういわれてピンとこない人はカメラ向いてない。スマホで撮ってSNSにアップして狭い世界で駄サイクルを楽しんで下さい。

カメラというのは、基本的に全て絵作りがされています。これは例外なく全てのカメラがそう。

かい話は端折るけど、理由は単純。今の技術では現実存在する全ての要素をカメラで写しきれるわけがいから。

わかりやすいのはダイナミックレンジや色空間。それでわからんて人は勉強してこい。

さらに、ただでさえ絵作りされている中でデジカメ画像データ作成する上で現像という避けて通れない過程がある。

それをカメラ内でしている人は、さらカメラメーカー意図による絵作りがされた写真を撮っていること。

よくわからないという人はつまりそれに該当する人です。

もう少し言えば、RAWデータ撮影現像という行為をしたことがない人。

まり、画質の違いがわからんという人はこのあたりにいる人たちと置き換えて支障がない。

カメラ経験でいうと、中級者以下。ほぼ初心者

メーカーは、撮影された写真を少しでも綺麗と感じてほしくてあの手この手で元の写真カメラ内でいじり倒します。

その傾向の違いによってメーカー好き嫌いが別れたりするわけです。

そうして作られた写真を見て、画質の良し悪しを議論しようとしても、それはカメラのものの画質について議論しているのではなく、処理ソフトの性能について議論しているに過ぎません。

まり、君たちはカメラの話をしているようでソフトウェアの話をしていたというわけ。

そんなものは同世代カメラ並べて大差があるわけがないし、スマホがその性能を上回ることがあるのも当然といえば当然。

そうやって作られた写真さらレタッチしておりじなりてぃとか言ってしまうのよね。うぇーい

以上。コレで納得できた人は帰ってよし。

ももし、写真を撮るということイコールシャッターを切ることとから脱したい人は、これから先に目を通しておくことをお勧めする。

頑張ってまとめてもこの長さだから無理強いはしない。早く帰れ。





ここでまず登場するのがRAWデータ撮影といわれるもの

中級機以上のカメラに備わっている機能で、最近ではスマホでも撮影できるようになった。

それこそカメラの素子(フィルムにあたるもの)の性能と、レンズの性能、絞り、シャッタースピードだけで作られた色すら決まってないデータです。

写真にするのに現像という作業必要で、その差によっては出来上がりの違いに大きな差ができてしまもの

カメラの仕組みを理解していないと結局カメラ任せの現像と同じものかそれ以下になってしまうという、まさに初心者お断りながら基礎的な仕組み。フィルムのままでは写真にならないように、これをしないとそもそも写真は出来上がることはない。

でも写真なんて綺麗ならいいんじゃね?って思った?

おめでとう!その通り!それこそが消費者本音クライアントも同じこと言う!言うよねー!

から最初から言ってる通り、そういう人には一眼レフ必要ありません。

ミラーレスすら高級コンパクトカメラすら不要

スマホで撮って、あとでぼかしエフェクト入れるのが一番安いし綺麗で簡単

だけど、表現したい人は違う。

メーカーが作った絵作りに乗って、それが自分作品だなんて口が裂けても言わない。

最後まで人の作ったものの上に乗っかることしかできない世界だけど、少しでも多くの要素を自分コントロールしておきたい。

そんな人のためにあるのが一眼レフであり、RAW撮影という機能のついたカメラ

それで、その基本となるRAWデータの画質は、カメラの性能=価格基本的に比例する。

それが分かる人のために、高いカメラ存在するし、それがわからない人がどれだけいらないと言ってもなくなることはない。

これはレンズにも言えること。

交換レンズもものによって同等のスペックでも価格全然違ったりする。

違いがわかる人、そういう性能を求めている人がいる以上存在するもので、それがわからない人には不要もの。それがわからない人は沼に落ちる。それが分かる人の養分になるために。感謝

まとめると、出来上がった画質はそれほど大差ないということ。

だけど、そこに至るまでに通る道筋目的全然違うのだから、そもそも議論不毛だという結論

それがわからない人間けがとやかく言っている問題で、プロが見分けられなかったからって、それはそれで優れた性能ですねって言うだけの話。

もちろんダイナミックレンジノイズ量、ボケ味などカメラ価格に比例して有利になるものはある。さらにこれは光学的な問題なので物理的に解決することはできない。

ただ、それだからといって写真的に優劣が生まれるかどうかは別。

特に写真には撮影者と被写体関係性が色濃く現れるもので、写真評価はどちらかというとそちらに重点を置かれる場合が多い。

そうなればそもそも画質に対する議論なんて不毛のものしかなくて、つまりは撮りたい写真に応じた機材を選べばよいということになる。

ただし、そうしたコンパクト安価カメラスマホに比べて、基本的に高級なカメラには圧倒的な違いがある。

それが信頼性といわれるものだ。

まりはどれだけの要求に答え続けられるかの懐の深さだ。

決定的瞬間とはまさに瞬間である

その瞬間を逃さないためには、カメラに高い信頼性必要となる。

起動の速さ、ピントの精度と速度、連射速度、バッファ枚数、カメラにおけるシーン判断力、あらゆる要求に答えるシャッター速度、暗所における感度とノイズ量、長時間露光に対するカメラの安定性、カメラ操作性、要求に応じたカスタマイズ性、過酷環境下で耐えられる堅牢性、、、数え上げればまさにキリがないほどの機能カメラには集約されている。

それに価値を見いだせない人間にしてみれば、高級カメラを買うということはまさに無駄遣いでしかない。

しかし、様々な環境下で失敗の許されないプロが機材を選ぶとするならば、どちらを選ぶかは言うまでもないことだ。

様々なプロがいる中で一眼レフを選ばないプロも当然存在する。それはつまり自らのニーズを正確に判断できているからの選択であって、だからといってプロすら一眼レフ必要としないという結論にはなるわけもないのだ。

カメラメーカーもその辺を曖昧にすることで素人に高級機を売ろうとするのもわかるが、そろそろこんなつまらない議論には終止符を打って頂きたい。

結局はこの辺のことを理解できない層が虚栄心やら妬みなんかの薄汚い感情で、目を輝かせる初心者立ちを追い払っているのが現状ではないか

そもそも機材は自由だ。

自分いちばん使いやすもの愛着を持ったものを使うのが一番だ。

それでもし、進んでいく先に不満や問題を抱えたのであれば、具体的な悩みを持って色々なお店や信頼できる経験者に相談してみるといい。

まず間違いなく、その要求を満たす製品存在している。

しかしたらそれはカメラではないかもしれない。でもとにかく探すことが大切だ。

カメラ店以外にも、色々な思いつく限りの売り場を回ってみよう。

そうしてはじめて、自分表現自分コントロールしていると言えるようになる。

それは、どんな高級なカメラを使って表現者を気取ることよりも大切なことだ。

はじめに、写真を撮るということイコールシャッターを切ることではないといったのはそういうことだからだ。

表現とは道具の選び方から始まっているし、被写体との関係の築き方、撮影状況に合わせた機材の選択、そのための下見や事前準備、現場に合わせた状況判断、一瞬を逃さないための機材の習熟度、撮影後の現像による仕上げ、人の目に見せる瞬間の演出、運など、数え切れないほどの目に見えない労力を投じてはじめて完成に近づけるものなのだ

それが分かったらさっさと外に出て写真撮ってこいボケナス

あとの言いたいことは前回とおんなじだ!

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