はてなキーワード: 何の気なしにとは
(※作者・作品・アニメスタッフ・作品ファンを誹謗する意図は一切ありません。)
最近『事情を知らない転校生がグイグイくる』というアニメが放送されている。
何の気なしに一話を再生したのだが、その小学校空間におけるいじめが異様なまでに生々しすぎて気分が悪くなった。
なんだろう、表向き平静を保っていながら、その実特定人物への悪意によってそれが保たれているという空気が生々しすぎて吐きそうになった。
まるで日常の延長線のように、何食わぬ顔で徒党を組んで一人の人間を攻撃する下劣さの解像度の高さはもはや卒倒ものだ。
で、自分も幼稚園から中学校卒業までそういう目に合っていた「らしい」。
らしいと伝聞なのは「いじめられていた」はずなんだけど、思い出そうとしてもそれがほとんど思い出せないということだ。
もっというなら思い出そうとすると脳みそが本能的に拒絶するというか、脳みそが壊れそうな感覚になるのだ。
高校に進学していじめの主犯格とは若干距離ができたので直接攻撃は若干おさまったが、列車の中で鉢合わせして攻撃されたり嘲笑されるということはあった「らしい」。
そういうこととかが続いて大学以降は出身地とは遠く離れた東京に逃げた。精神はぶっ壊れたが今も実家には帰らず東京に身を隠して細々と生計と立てている。
はっきり言うが自分は実家・地元という現実が怖くて東京というコクーンに引きこもっている。
そんな人間があんな解像度の高いいじめを不意打ちで見せられたら脳みそが壊れそうになるというか、フラッシュバックしそうになって昏倒寸前になった。
その日は昔の同級生が出てきて迫害される夢を見て、叫びながら飛び起きた。結局あのアニメがトラウマスイッチを入れたんだろう。
別にこれを根拠に「作品を規制しろ」とは言わないし、「ファンの精神性は云々」と能書きを垂れるつもりはない。
https://twitter.com/tatatataniguthi/status/1652613176578695175
トレンドに上がっていた。
漫画好きからしてみると、やはり実際にペンを持ってイラストを描くが「描く」であって、
AIによるイラストを「描く」と主張するAI絵師の気持ちもわかるけど、書き換わることは無い気がするなぁ。
自分のイメージをAIに生成させる言葉のチョイスにクリエイティブな気持ちを感じるのはわかるし、そこは今後求められる才能だと思う。
けど、実際に手で漫画やイラストを描いている人に対して噛みつくのは、「描く」という行為にコンプレックスを感じてるようにしか見えない。
自分だったら「描いた」じゃなくて堂々と「AIに生成してもらった!」と表明して発表するけど、「描く」にこだわるのはなんでなんだろうか。
この先AIの技術が更に進んだとしても、自分のイメージをAIに出力してもらうという構図は変わらないと思うし、その行為が「描く」に書き換わることは無いと思うんだけどなぁ(普及はしてしまう気がするけど……)。
どうしてあくびは出るのですか?それはね、あくびの魔人がお腹の中にいて、あくびさせるからではありせんこと?何よりあくびの中にあるものはチュールみたいに美味しいものだから、フナムシと仲良くしなければなりませんことよ。ええ、ぼくはウソつきなのについついあごまでそのまなざしがのしかかるのですよ。「おー......」桃太郎は妙に落ち着いた声で言う。はじめは「そうに違いないや」と思ったが、気がつくと、ああこの人は......!!!!! なにそれ!? おいおい言ってないやろ!!!こうなったら桃太郎、成り行きを見てやるか!!!!!一回寝てて!!!!?いや、これはね、いや、一回だけ打ってきたんですよ!!何が起きたかは後ほど。このまま、ずっと寝てても何も変わらないだろうというので、桃太郎と俺は渋谷を経由して、名神高速で東京に行くことにした。ここで、俺は絶望した。完全につまずきそうになっていたのだ。電車が来るギリギリに電車に駆け込まなければならないのに、何の気なしにアクセルを踏み、惰性で歩くのだった。ふと目が覚めたら夜だった。俺はますます叫び声をあげた。「あぁ、俺はここにこいつらを殺す。俺は桃太郎と一緒に、この地獄から解放される。これは俺の願望だ!地獄はやっぱり嫌なんだよ」桃太郎の声は大きかった。どうやら桃太郎は復活を遂げているらしい。が、この先桃太郎はどうなるのだろうか。私は、スマホを取り出し、無料漫画を読むことにする。私が読んだのはこちらだ。それは、宇宙と戦っている時、桃太郎は、時空戦士団の戦士として、タイムスリップしてきたものだった。そこにはタイムマシン(タイムカプセル)の未来人が現代から時を超えて来ていた。ウォーズマンのタイムカプセルに入ったのび太が、ウォーズマンの過去と、タイムマシンで昔に行ってしまう。ウォーズマンは『このスイッチ、俺の子供だよ!』と、桃太郎の父親に言う。ウォーズマンの子供たちは鬼になるように蘇らされる。桃太郎は本当に死ぬのか?脱ぎ捨てられたタイムカプセルを開けるとそこにはウォーズマンの亡骸があった。ウォーズマンの生前、桃太郎はタイムマシンで3つの未来に行っていた。鬼の形をしたロケットに乗って。そこで桃太郎はミカンを食べて。太陽光線を受けて。宇宙のパワーと友情で!桃太郎は昔に帰る。鬼を殺さなかった優しくて怖いやつ。鬼退治は終わった。ある人は安かった石炭を山に埋めた。ある人はずっと笑っていた、あの世に行ったみたいだ。ある人は泣いた。ある人は泣かなかった。ある人は泣かなかった。ある人は喜んで鬼を退治した。ある人は泣かなかった。ある人は泣かなかった。ある人は泣かなかった。ある
Anond AIで作成(したものを繋げてみました。最後は同じ文章が続いたのでここで終了です)
(感想)
休日の午前中に俺がリビングの掃除をしているとき、妻がリビングのソファに寝転がってスマホをいじっていたので、何の気なしに画面を覗くとTwitterでつぶやきを投稿しているところだった。
「夫が朝からこれ見よがしに掃除中。正直、掃除のクオリティ微妙なので点数稼ぎにはなってない。また部屋の隅っこにホコリ残ってるよ・・・」
共働きの我が家では、掃除は全て俺の担当で妻は担当外だが、だからといってこんな言い方があるものか。と、瞬間的に頭が血が上った。
怒鳴ってやろうかと思ったが、それと同時に他にどんなツイートをしているのか気になった。
どうせ怒るなら全ての陰口を見てから言ってやろうと思ったので、瞬間的にアカウント名を記憶し、さっさと掃除を終わらせた。
そそくさと自室に籠って、さっき覚えたアカウント名で検索すると妻のアカウントはすぐに見つかった。
どうやら素性を明かさない範囲で日常の愚痴を綴るだけのアカウントだったようで、フォロワーもまちまちで知り合いはいなさそうなものだった。
早速過去のツイートを見てみると、会社の愚痴が2割、社会への愚痴が1割、そして俺への愚痴が7割だった。
俺への愚痴は、さっきみたいな家事のクオリティに対するものから、日頃の振る舞い、プレゼントのセンスが悪いなど多岐に渡るもので、1年以上ツイートを積み重ねているようだった。
ツイート内容はあくまでも妻主観のものなので幾つか反論や弁解の余地があるものもあったが、9割方は俺が100%悪いと思えるものだった。
なので、怒っていた気持ちもツイートを遡るうちに萎えてしまい、むしろ俺はなんてダメな夫だったんだろうと悲しさが増してきてしまった。
その時、妻が俺の部屋をノックしながら「お昼どうする~?」と聞いてきた。料理は妻の担当だ。
俺は悲しい気持ちでいっぱいで食事どころではなかったので反射的に「なんでもいいよ」と素っ気なく返事した。
その瞬間、妻のツイートの一つが頭をよぎった。
「今日も夫に晩御飯は何が良いと聞くと、なんでもいいよ、と返ってきた。"なんでもいい"は一番困る、といつも言っているのにどうして直してくれないんだろう。馬鹿なのかな?」
俺はハッとして、慌ててドアを開けて「だけど、もし作れるならチャーハンが良い!」と小学生のようなリクエストを付け加えた。とっさの料理でチャーハンが浮かぶとは俺もまだまだガキだなと思った。
妻は俺の慌てぶりに一瞬驚いていたが、少し笑いながら「おっけ~。あ、キムチ余ってるからキムチチャーハンでもいい?」と返してきた。なんだか上機嫌だ。
一緒にキムチチャーハン食べているときもなんだか上機嫌だった。
キムチチャーハンを食べ終わると、晩御飯は何が良いかと妻が聞いてきた。
昼飯の直後に晩飯の話かよ、とも思ったが妻の上機嫌を損ないたくないし、今度は大人の味覚を見せつけてやろうと思いビーフシチューをリクエストした。
妻は「シチューの素はルーでいいよね?おっけ~。どうせならバゲット買いに行くか」と上機嫌を維持しているようだった。
そして俺は洗い物、妻はバゲット買いに近所のパン屋に買い物に出かけた。
20分後、俺は洗い物を終えてソファでくつろいでいると妻が帰ってきた。
ふと気が付くと、ちょっと不機嫌になっている気がする。なんだ?なぜなんだ?
俺はトイレに行くフリをしてスマホで妻のツイートを確認してみた。
「珍しく料理のリクエストをしてくれたので嬉しかったが、また今日も皿洗いのあとシンク回りがびちょびちょのままになってる。いつも誰が拭いてると思ってるのか。落差でいつもよりガッカリくる。」
・・・俺はなんてダメなやつなんだ。トイレから出てふと部屋の隅をみると、妻が愚痴っていたはずのホコリがない。
さっき掃除したときはむかついた気持ちがあったので俺はあてつけのように隅っこのホコリは放置したままだった。
そうか、これも妻が掃除してくれていたのか。それに俺はいつも気が付いていなかっただけだ。
それからというもの、俺は妻のアカウントをこっそりチェックしては妻のダメ出しを反省し、行動を改めるようにした。
すると明らかに妻は上機嫌でいることが増え、夫婦仲は付き合い始めの頃よりもラブラブになっている。俺も幸せだ。
そして、いつの間にか妻の愚痴ツイートも減っていき、いまや会社の愚痴が6割、社会への愚痴が3割、俺への愚痴が1割となった。
今日は妻は会社の飲み会と言っていたので、増田と妻のツイートでも読みながら一人晩酌を楽しもうと思う。
「今日は彼とのデート。夫には会社の飲み会といつものように嘘をついたが、疑っている素振りは一切なし。まじでチョロいwww」
30代、女、独身、長子
両親は離婚しているので片親
母親のメンタルが常に不安定で、実家にいた頃は自分が母と妹の母親代わりを努めたのでもう子供を持つ気はない、恐らく結婚もしないで一生を終えると思う。今は彼氏もいないし、今後も恐らく作れないだろう。
で、こんな家庭環境で育ったのでよく
「しっかりしている」と人に言われる、自分自信そう演じている部分があった。私がしっかりしなきゃ誰がこの家を守るんだという使命感があったのだと思う。というかそうせざるを得なかった。
そう育ってきたので、人を頼ることができない、人に相談をしないし、困り事は自分で調べて自分で解決してきた。コロナに罹患して1人で療養する時も理由を言わざるを得ない同僚以外、誰にも告げず乗り切った。人に自分のことで手を煩わせることがしんどいのだ。(これは自己肯定感の低さが原因な気がしている)
とはいえそろそろこんな性格ではダメだと思うようになった。「人は1人では生きていけない」なんて言葉を聞いても「死ぬ時はどうせ1人じゃん」と突っぱねてきたけど、実家を出て頼れる人のいない状況となった今、その言葉の意味がわかって来た。母もメンヘラなくせに人に頼れない人だった、そして最終的に病んだ、私はその二の舞は避けたい。
私は人に相談する方法がわからない、人に頼る方法がわからない。Google先生や最近流行りのAIなら答えを端的に教えてくれるけど、リアルな人間にどうやって頼ればいいかわからない。
みんな周囲の人に相談する時って何を考えてるの?本やネットや金銭を払って専門家に依頼した方が確実じゃない?という私のある種の合理的すぎる考え方を変えたい。タイトルに「助けて」と書いたが、それを周囲の人間に言える方法を教えてほしい。
■追記
たくさんの反応に驚いている
同じ悩みを持つ人にシェアしたいと思えるほど有益(生意気な言い方で申し訳ない)なコメントが多く感謝しきれない。まだ全てを咀嚼しきれていないのでゆっくり読み返したいと思う。
以前、『「助けて」と口に出せば人は案外助けてくれる』と某著名人が語っていて、そうなのかと思った。リアルでは言えないので思い切ってここに書いたら多くの人が親身になってくれてあの言葉は嘘ではないと思った。ありがとう
久々に会った友人に、半年前にコロナに罹って寝込んでたんだよねと何の気なしに喋ったら「その時に言いなよ!」と怒られ、「言ってよかったんだ」と思った。
長子の性なのか、人に頼られると張り切るくせに、自分の困りごとで人の心を乱すことも、前述の通り手を煩わせることも私にはしんどくて、基本事後報告になってしまう。後者は母親のメンタルに振り回された記憶が枷になっていると思う。
多分、独り身の私にも助けてくれる人はいるんだと思う。世間にも周囲の人にも。
ただ問題は私にあって、私は人を適切に頼る事ができず、おかしな話だけれど、頼らなくてごめんとすら友人に思っている。
「で、何に困ってんだよ」という反応がいくつかあったけど「こういうタイプはいざって時に誰にも頼らずに死ぬ」というコメントがその答えだと思う。今でこそ一応しっかり者を演じている自分だけど、いつかポキッと折れて誰にも頼れず、縋らず、死のではないかという怖さがある。
だから今のうちに人に適切に頼れるようになりたい。
頼るじゃなくて、自己開示じゃない?というコメントがあったけど私の場合、多分そこからなんだろうな
※まだ伸びそうな感じなので、また追記するかも
■追記2
さらに反応をもらって驚いた、内容の濃いコメントが多くまだ自分の中で整理できていないのだけれど、後にも先にもこれだけの人に自分が助けてもらう経験はないと思う。
私は親に頼れず育ち、安全基地を持てずこの歳になった。けれど恐る恐る「助けてほしい」と自分が口に出したら、これだけの人が自分を気遣う言葉をかけてくれて、実に具体的にアドバイスや助言をしてくれた。
匿名という環境で罵詈雑言を投げたっていいここでそれをしてくれた。自分の育った世界が世の中の常識ではないと改めて思えた。月並みな言葉だが世の中捨てたもんじゃない、もっと肩の力を抜いて生きていいんじゃないかと思えた。大袈裟だと思われるかもしれないがマジで感謝している、ありがとう。
この経験は間違いなくこれからの自分にとって宝になると思う。本当にありがとう。
まだ抽象的な言葉しか言えんが、集まった助言やアドバイスを参考に半歩でも進めるようにやってみようと思う。親ガチャで自分の人生が辛いものになるのは嫌だ。
最後に「私も同じ悩みがある」と共感してくれた人、ありがとう。私は1人じゃないと思えた。この歳でこの性を治すのはマジでしんどいし、自己開示なんて泣きそうなほど怖いんだけど、私も少し頑張るから並走してもらえると私も助かる。で、半歩でも進んだらまたネットのどこかで会いましょう。
何だか、お礼ばっかり言ってるけどほんとありがとう。私のこれからの人生も、皆さんのこれからの人生も良いものでありますように。
2023/01/22
PS.助言・アイデア・ライフハックはなんぼあっても助かるので、まだ何かアドバイス等あったら書き込んでくれると嬉しいです。
赤ちゃん用のせんべいみたいな長方形で、くちどけさっくりのせんべいに和三盆の混じるきな粉をまとわせたやつ
口に入れると上品なきな粉の味がして、せんべいがホロっと崩れ、あらもうなくなっちゃったからもう一枚食うかで、1袋消費してしまうやつが好きだ
母ちゃんが菓子盆に適当に盛ってたものを何の気なしに包装を破り、ハードルが下がり切ったところで初めて口に放って、美味くないか?と思ったときの衝撃をまだ覚えている
ただ昔は和三盆使用と謡っていた気がするがいつの間にか50%使用の表示になっている
表示上の問題で中身は変わってないのか、コスト面の問題で明確に材料比率が変わったのか知らんが、100%にしてくれ
あんなにも明確に50%使用と書いてあると、こいつはまだ50%分美味くなれるのではと感じちまう
岩塚製菓のきなこ餅の100%の力を味わってみたいんだ、頼む
あと岩塚製菓のきなこ餅の話をしていると、「越後製菓のきなこ餅の方が…」とかいうやつはマジ面倒くさい
たけのこの里VSきのこの山みたいな対立構図の線の面白トークにもっていこうとするな
越後製菓のやつを食ったことないわけでなくて、岩塚製菓の方が好きなの
それでいて越後製菓の方しか食ってないくせに、「でも越後製菓の方が」とか論争しかけてくるやつは今後一生答案用紙に「越後製菓」って書いてろ
正直、まさか自分がそんな状況に追い込まれるなんて思ってなかった。
ネットの盛り上がりも、絵描きではない僕には、どこか遠い異郷のお祭りに思えた。
なんか色々、すごいなぁ、って。
そして知らないアカウントの良さそうな絵を見つけて…
事が終わった後でふと、タグを見たんだ。
#NovelAI。ああ。
不思議と悪い気はしなかった。むしろ、時代のうねりに飲み込まれたような受動的な感覚が、どこか心地よかった。
今になって実感が湧いてきたんだけど、僕、ブルーピルを飲んじゃったんだ。
映画マトリックスで、機械によって見せられる幻想の中で生きる人々のひとり、主人公のネオに向かって、サングラスの男モーフィアスは二択を迫る。
ネオは赤い薬を選択して、機械に騙されて培養されてる人間たちの真実を見た。
しかし青い薬を飲めば、再び機械が供給する夢の中に生きることになる。
「魂のこもってない絵では興奮しない」と断言してたブックマーカーさん。聞こえていますか?
僕は本当の現実に向き合う人間としての誇りを捨て、機械が与えてくれる甘美な夢に浸る選択をしてしまいました。
多分いつか、自動生成の音楽を聴き、自動生成の漫画を見て、自動生成の小説を読み、自動生成の増田につけられた自動生成のブコメにスターをつけると思う。僕は機械が営む人間農場の、野菜だ。
夫婦間でのやりとりという「日常の風景」を仕事の合間に気分転換がてら書いてみたのが数日前
そして、そんな文章を書いたことすら忘れていた今日、なにかで感情が少々乱されて「このことについて書き流そう!」と思い立ち、久しぶりにはてな匿名ダイアリーに来て何の気なしに過去の日記一覧を見たところ、その日記への「記事への反応」の数字が増えていることに気づく
いろいろな人のさまざまな視点からのレスに、なるほどなぁと納得したり、全く予想もつかない角度からの切り込みに感心したりする
最近になってようやく見方を覚えた「ブクマ」でのコメントも一通り読み、指摘された文章力の問題点を反芻しながら、何を書きたくてここに来たのかをついぞ思い出せなくなった
に触発されて作ってみたら全然30曲じゃ足りなかったので50曲になりました。
H2Oじゃない方。夏休みの朝、ラジオ体操から帰ってきて視聴する「らんま1/2熱闘編」。
亀田誠治が偉大すぎる。
RIP SLYMEはメンバー間で色々あったようで空中分解してしまって悲しい。
唯一無二のシンガーソングライターだと思う。
タワレコで何の気なしに視聴したら好みにドンピシャでハマった。
Aメロを家で口ずさんでいたら夫に「こわい」って言われた。
ヘッドフォンで聴いているとハヤシのHey!が右からやってくる。
コーラスワークが綺麗で清涼感がある。
盆踊りに流したい。
色気のあるベースから始まり更に色気のあるヴォーカルが乗っかる。
こういうかっこいいアニソンが量産されてほしい。
FM802のヘビーローテーションになっていたのをよく覚えている。
準新作だと気づかずに7泊8日レンタルして返却時涙目になった。
シンセサイザーの響きには近未来感を感じるけど同時に哀愁も漂っていてすごいと思う。
高校生の時付き合っていた彼氏に「この曲を歌えるようになってほしい」と言われ「無茶な」と思った。
今聴いてもサウンドのすべてがおしゃれ。
夏の終わりに聴きたい。
Salyuも唯一無二の歌声だな。サビのハモりが気持ちよすぎる。
甘酸っぱさ満点。
確か、歌詞の視点が独特なのをROCKIN' ON JAPAN誌上でツッコまれてた。
2006年のRUSH BALLのオープニングアクトで一目惚れした。
私のBUMP OF CHICKENはここから。
多幸感あふれるメロディーとストリングスと大サビの歌詞の対比が好き。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
Apple Musicで検索しながら作ったので、サブスクに入ってなくて漏れた曲がいくつかあります。
30分前にも下痢をした。その30分前にも下痢をした。(勿論トイレで)
その後楽しくはてブを眺めていたところ、おならのようなものが通行許可を求めてきた。
トイレは30分前にも行ったばかりだ。下痢特有の差し込むようなものは感じなかったので、何の気なしに許可を出す。
その場で恐る恐るパンツを下ろす。
生理中でナプキンをしていたのが不幸中の幸いだった。ナプキンが便を受け止めてくれ、パンツへの被害はほぼなかった。ちょっとだけあった付着物も、生理用ショーツなので拭けばそれほど気にならない。
ティッシュで拭くと、結構な被害だ。この全てがパンツに付かなくて本当に良かった。
私はいつも椅子にきちんと座らず、椅子の上に足を乗せて体育座り、またはうんこ座りをしている。今回はうんこ座りだったのが幸いし、被害を最小限に留めることができた。
うんこがうんこらしく発射されたことで広がることなく、ナプキンに一点集中できたのだ。
よく考えると、パンツの被害がなかった時点でパンツをもう一度履き、トイレに直行してウォシュレットとトイレットペーパーで処理すべきだったのだ。
焦りからその場で処理することしか考えられず、ティッシュとウエットティッシュでケツを拭いた。
気にならなくはなるが、ポリ袋に鼻を近づけるとくさい。
ここで私は失敗したので、うんこを自宅内で漏らした人は参考にしてほしい。
だが、発射物が付着したナプキンは、巻いてしまうと袋に入れずともうんこ臭さはない。別に消臭タイプでもないのに。これはすごい。
これまでも私は数度、うんこを漏らしてきた。
「ゲームでしか運転しないペーパードライバーが久々に運転したら、(本物なのに)めっちゃリアルなドライブゲームに思えてやばかった。ぶつかっても平気そうに見えた」
んな訳ないやろ、加速に伴うGや、実車のハンドル操作をゲームに思えるって空想がひどすぎるで。(ハンコン使っててもゲームと本物の差はあきらか)
「自分は免許持ってるけどほとんど運転してないもんで、もう怖くて……。今の車ってサイドブレーキがサイドのレバーじゃないらしいじゃん。」
サイドブレーキが運転に影響するのって最初の発車時のみだよね?レバーじゃないから恐怖を感じるのはどの部分?
「この前乗ったレンタカーのサイドブレーキが運転席の左前あたりにあるスイッチ型で、全然気付かず聞きに行くハメになった。手で引くのも足で踏むのもあるし、車種ごとにコロコロ変えんなよとは思う」
何で全車種共通の操作方法である必要あるねんな、説明書を読め。ジョイスティック操作の車が欲しい。
「恐山のユーロトラックシミュレータープレイ動画は本当に名作なのでぜひYouTube見てくれよな」、「恐山さんのトラック運転ゲームまじで面白いので見てほしい。」
その通り!
「俺は昔、休日はドライブをしていた→座ってばかりで身体に悪そうだから自転車に乗るようになった→青信号を渡っていたら右折車に跳ねられ怪我で半年間仕事できず無収入→自転車は復帰できたが自動車は無理。の流れ」
言ってる意味分からんし、自動車運転は冤罪やんけ。運転すると人を跳ねそうで怖いという話やで。
「「政治・宗教・野球の話はしてはいけない」に自動車も付け加えたほうが良いね」
「生活必需品だから苦手とか関係無いのに練習するわけでもなく嫌~とか苦手~とか文句ばかりいっちょ前に言ってるのが風当たりの強い理由じゃないでしょうか。」
練習しろっていうと、苦手・怖い・無理の言い訳オンパレード。運転上手い人も練習したんやんな。
「咄嗟にアクセルとブレーキ踏み間違えそうなので、万年ペーパードライバー。」
「車含め機械の操縦は得意なんだけど集中力を維持できなくて事故るの間違いなしなので運転はしないことにしてる」
それは「機械の操縦は得意」とは言わん、自動車運転と機械の操縦は天と地ほどの差がある。
「記事見てもコメ読んでも、じゃ乗らなきゃいいじゃんとしか思えん。結局慣れ。自動運転完成なんてのも高速ならともかく、情報量の多い下道をセンサーカメラ半導体で処理して進めるのは死人の山築いて百年先の話だろう」
乗らなきゃいいじゃんについてはその通り、慣れというか習熟するための練習が免許取得時に終わってるという認識がダメ。
こういう運転怖いとほざく奴らが、自動運転の普及を阻害することに問題があるのですがね。死体の山築いていいならすぐに普及するだろ、事故どころかシステム停止も許さんとなっているから百年先の話になる。
「少なくとも6割以上の男性は難なく、普通レベルに運転できているように見えるので、俺にだってできな訳がない!と思って練習した。今では運転を褒められることもあるが、どこかに苦手意識は残ったままである。」
偉い、それでいい。苦手意識残したまま普通レベルに運転できていればそりゃ褒められるよ。
「「バック中は左右が逆になる」左右盲だと思って生きてきたけどこれはないな。ハンドルを回すとタイヤが回した方に向いて、それに対して物体は内側にまわるイメージがある...何言ってるかわからんが。」
左右盲は左右不覚ではなく、左右がとっさにどちらか分からないこと。どちらかに曲がるのを理解することと左右は関係ないで。
「バック中は左右が逆になる」は、むしろ日ごろから左右を認識できているから混乱するものだと思うぞ。左右盲は自分からみて右だの左だの認識しとらんから混乱しない。
「左右盲でしょっちゅう右折と左折をミスるため、いつかアクセルとブレーキも間違ってしまうのではという恐怖から極力運転したくないけど、地方の郊外住まいはないと暮らせない…」
てめぇはアクセルは右、ブレーキは左と頭で考えてから踏んでるのか?右か左か分からなくなることと、方向が分からなくなることは違うぞ。
踏んでるペダルの感覚を認識していないなら感覚掴むまで練習するか、運転しないで生きよう。
「交通秩序は「みんながルール通りにふるまうはず」っていう暗黙の信頼関係で成立してるので、そこに寄りかかれない人は怖くて運転できないと思う。逆に言うとルールさえ守ってればほとんどの事故は起こらない」
練習してそのへんの信頼関係を感じ取るんやけど、練習せん上に「相手がルールを破ったら」という最悪のパターンのみ考えて運転するから、かえって周りに迷惑かけるんよね。
「自動運転な上にとってもカワイイスマートモービルこと馬、都市部でも小回りの利く人力車」
馬が自動運転なわけないでしょ、目的地設定できて寝ててもたどり着くのか?燃費(餌代、飼育費)もそれほど安くない。
「仕事で徹夜明けに運転して事故るのを二回やって人を殺すの時間の問題だなとなったので仕事と一緒に運転も止めた。」
うん、お前みたいなやつは運転しなくともよい。公共交通機関とタクシー使え。
「“苦手派としては足での操作が常識となってるってのが怖すぎる”実際、手だけで操作できるゴーカートとかは開発されてるのよね。乗ったことあるけど問題なく運転できた。今後は増えるかも」
ワシは手だけで運転したいけど、足の操作が苦手と言ってるやつは手だけで安全運転できるわけないと思っとる、手でやることが今より増えるのに対応できるわけがない。
「はやく自動運転が導入されてほしい」
「車幅感覚とバックは激しく同意。車幅は自分の車を保有すればわかってくるらしいが。バックは、まずは微小に動かして自分のイメージとのズレを修正してるが、毎回ビビってる。」
それでええで、車幅もバックも感覚をつかむまで練習やで。イメージとのズレを修正できているなら大したもんやで。
「私と同じだな。殺人マシーンになる自覚があったから卒検以来自動車は運転してない。(原付は乗ってた) “免許をとって練習をするも50分くらいで運転センスのなさを確信。「俺は車は運転しない!」と心に決めた”」
センスなんかいらんねん、ともかく練習あるのみ。50分なんて練習の内に入らんお遊びやで。
「車の運転に慣れるということは、紅の豚の飛行艇乗りみたいに無意識のうちに前後左右に注意を払い続けるようになるということ。」
そう、練習によってリソースの割り振りを制御できるようになるねん。注意してなくても前後左右の事象に反応できるようにな。
「バック逆転のやつ、言わんとしてることはわかる。進行方向でない車輪が曲がるってのに感覚が付いていけないんだろう。Rに入れたらハンドル切った方向に後輪が曲がる仕様だったら言われてる通りになると思う。」
ハンドルでタイヤを曲げてるって認識がないからそないなことになるんやで。フォークリフト運転したらええやん(だいたいが後輪で曲がる)。
「車のインターフェイスにデファクトスタンダードを求めながら不文律を否定するのはずるくない?/なんか「考えすぎて算数を苦手になる子供の話」系に近い印象があった」
単なる練習嫌いの言い訳やで、ダブスタになるのもムベなるかな。
「慣れですよ、慣れ。最初は誰でも下手で積極的に運転したくないと思うけど、それを越えて運転してると運転が楽しくなる。目的地なんてなくても、純粋に好きな車を運転すること自体が楽しい。」
慣れるために練習(運転)する必要があるのだが、奴らはとかく運転をしない。
「車の運転って体の色んなセンサー使いまくってやっと出来る事なので、上手いとか下手とか簡単に語れる事では無いよね。自分はめちゃ方向音痴なのでペーパーになったわ。」
そうだね、体中のセンサーを何の気なしに使えるようになるよね。(ゲームの時とは違うはず)左右盲ではなく方向音痴と記載するところは正しい認識ですね。
「原宿さんのコメントが私と同じ過ぎて泣ける。特にこれな。 “前から突っ込んでも、前から出ることができる駐車場の開発が待たれる。”」
「「運転苦手」だから丁寧になると思ってる。「運転好き」が上手いとは限らない。」
そだねー。
来るもの拒まず去るもの追わずの精神でやってたら友人が少なくなった。中学校を出てから地元の友達とは(仲良かった一人除いて)誰とも連絡先を交換しなかったから、地元には友人が誰もいない。高校、大学共にSNSでは繋がっているけれど実際に対面で話すことはなく、就職で地方に飛ばされてからはやり取り自体しなくなった。友人と呼べる人間はおらず、ソシャゲにばかり時間を費やす日々。
転職を機に関東に戻り、何の気なしに高校の友人に連絡をした。普通にやり取りして懐かしかった。そいつと遊びに行った(このご時世だから軽く飯を食うだけだけど)。思いの外楽しくて、高校や大学の友人に連絡を取り、電話や一緒に買い物に行くようになった。
気づけば毎週のように友人と会い、新たな友人関係(友人の妹の彼氏や友人の同僚など…)が次々と生まれた。ぼっちだった過去が嘘のように充実した日々を送っている。
会社の同僚達との関係も、彼らの趣味嗜好、母校や経歴を知った上で適切な投げかけをすると途端に好意的な対応に変わって驚いた。人は自分の話を聞いてもらうのが好きだと気づいた。
定期的に昔の友人とやりとりをして、趣味の話をして、同じ映画をNetflixで見て、飯を食い、仕事の愚痴を言い合い、30を目前に人間関係の維持のコツ、新たな人間関係の構築のコツを学んだ気がする。少なくとも今、とても人生が楽しい。