はてなキーワード: マインドセットとは
年功序列の日本企業で70歳定年が定着していこうとしているなか、現役世代は自ら会社を見限り、辞めていく流れが増えているように思う。
これは会社にとって、社内生え抜きの人材育成が難しくなることになる。同時に、離職者が増えることで労働市場が逼迫することで転職や就職でいい待遇が得やすくなる。
一般的に待遇が良くなって経済的に余裕が出てくると消費活動が活発するのだが、新たな労働者がより早期リタイア志向を持つようになれば、消費を控えるマインドセットも備えていき、思った以上にインフレが起きづらくなってしまうのではないか。
そして、当然、人気のない業界やブラック企業はより一層敬遠されるだろう。
とはいえ、一部の国からの外国人からすれば日本はまだ出稼ぎに来る価値のある豊かな国であるから、そういった人を雇いながら生きながらえる会社もあるはずである。
この状況を見ると、これからは外国人労働者を管理する立場が新興勢力となる可能性がありだろうし、引き続き既得権益を持つ側に利益が集中する構造が維持されるだろうから、この環境へ適応できない人達は職にあぶれるし経営者がそうした人たちならば大手企業であっても競争力を失い、ブラック企業に成り果ててしまうかもしれない。
世代ごとの失敗体験を解消してくには結局リカレント教育しかないわけで社会人が好きなタイミングで大学に戻ってマインドセット・スキルセットの積み上げをしなおして認識を改めた人間の数を2%でも5%上げていけば産業経済社会がいい方向住んでいくはずで、あとはべつにみんな大学に行けってわけじゃないからテレビとか雑誌といったマスメディアもそういう認識発展の奨励を根気強くやってくしかないけど、
そもそも鼻クソほじってお天道様にお恵みを願うような土人マインドで農耕民族として数千年レベルでアップデートされてないのに21世紀の8月31日にその宿題をやろうとしたって、
まあ無理だな
まずどうありたいかが全く何もなくて
自分自身のスキルに限界を感じているので増田で相談させてほしい。
・都内在住
■みんなに聞きたいこと
このエントリーのタイトル通り、自分自身の仕事でブレークスルーが起きた瞬間てどんなとき?
「周りに影響を与えた」っていうよりも自分自身のスキルやマインドセットで大きな転換や進歩が起きた瞬間を聞きたい。
■質問の背景
これまでずっとディレクターを続けてきたんだけど、会社の方針でより企画に近い仕事を任されるようになった
前職の受託だと企画というよりも実現可能なプラン設計〜安定した進行管理が主業務だったので、ゼロイチが求められる企画はほぼ初経験。
ここ数ヶ月から1年くらいもがいてみたけど、未だにとんがった企画が立てられず、苦戦中。
都会人はムカつくけど俺自身が都会に出たいわけではないんだよな
大学で三大都市圏に出たけど、都市圏のメリットを自分で活用したことはあんまりなかった
中心街に出かけたところで、別にやりたいことも買いたいものもない デカいモールに入ってみてもずっと心が凪いでいる状態
植物園が好きで、都会の方が植物園の数は多いんだけど、そもそも休日にひとりで出かける元気がないのでほとんど行かなかった 結局3回くらいしか行ってない
彼女とのデートの行き先が多いのはよかったけども、たぶん地元にいたらいたで車でいろいろ出かけてたろうし、同じところに何回か行くのもそれはそれで悪くなさそう つか家デートがなんやかんやで一番いい気もするし、となると安い家賃ででかい部屋を借りられる田舎の方がよさそう
ライブとかイベントの類にはそもそも興味がない コンテンツにあんまハマらないし、ハマったとしてもそういうイベントでテンション上げるタチでもない なんか気恥ずかしくなってしまう
好きなバンドはいるけど、日本で全然知られてないっぽい南米のバンドなので、ライブに行くには国外旅行の必要が出てくる
外食はあんまり好きじゃなくて、ひとりで外食することはほとんどない 彼女となにか食いに行くのは好きだけど、ひとりとなるとめんどくささの方が勝つ チェーン店くらいしか行く気にならない
自炊は好きで、その買い出しの場となるスーパーマーケットも好きだ スーパーマーケットがたくさんあって、いろいろヘンなものも手に入りやすいっていうのは都会のメリットかな
でもまあ、ホントにそのくらいだな
「スーパーがいっぱいある」くらいのことにしか都会の良さを感じたことない 実は
大学生活に自由を感じたのは純粋に一人暮らしだったからだろう 多分地元でも一人暮らしなら自由だった
たしかに交通網は発達してるんだけど、ガチで外出んしな ホンマに出ん 夏休みとか40日間家とスーパーの往復生活だったし
なので実は都会人は別に羨ましくはないんだよな 自分で都会に住みたいとも思わない まあムカデとかゲジゲジが出ることがあるのは田舎のツライ点だが……
でもそれはそれとして都会、つうか東京人は憎い
俺はもう引きこもりマインドセットになってるのでそんなに不便を感じず暮らしていけるんだけども、俺が東京に生まれていたらもうちょい違う性格だったんじゃないか?という疑念は拭えない
そもそも小学校のとき同学年のやつ10人もいなかったし、その数少ないクラスメイトはほぼ全員ヤンキーみたいな感じだった ほぼ全員万引きとかやってた
東京のでけえ小学校に通ってたら、俺は幼少期にしっかり友達を作れてコミュ障にはならなかったんじゃないかと思う 幼馴染みたいな概念が成立してたんじゃないかと思う 俺は昔からの馴染みの友達と久しぶりに会って飲みに行くみたいなことがやりたいのかもしれないが、現実の昔の馴染みは全員超怖い 普通にカツアゲとかされそう
自分が外に出なくなったのは学習性無力感ってやつなんじゃないかという思いもある
外出たって山しかない環境で18年くらい暮らしたらそりゃ外に出てもしゃあないわという気持ちにもなる 比喩とかじゃなくてホントに家から出て2キロくらいは歩かないとコンビニすらなかったからな…… まあ2キロ歩けばコンビニがあったというのはまだしも恵まれてたんだろうけど!
学校帰りに友達とどっかに寄れるような環境が欲しかった 俺、中学までお小遣いゼロだったけど別に困らなかったんだよな 金を使える場所がそもそもないから
今となってはもう仕方ないし、俺はこういう人間だと思うしかないんだろうけど、シティボーイの俺はどんな奴になってたのかなと思うとやっぱりフツフツと憎しみが湧いてくる
俺は山で育ったけど旧帝大に行けたわけで、東京で育ってたら東大に行けてたりしたんじゃないのか
勉強なんて嫌だ!最悪!みたいなこと言ってる奴らに囲まれて暮らしたせいで学習意欲が削られたという側面もありそう エリート校とは言わずとも、普通に勉強好きな奴もいるようなところで幼少期を過ごしてればもう少し頑張れる人間になってたかもしれない
まあ全部「かもしれない」だし、不毛ではあるんだけども
世代ごとの失敗体験を解消してくには結局リカレント教育しかないわけで社会人が好きなタイミングで大学に戻ってマインドセット・スキルセットの積み上げをしなおして認識を改めた人間の数を2%でも5%上げていけば産業経済社会がいい方向住んでいくはずで、あとはべつにみんな大学に行けってわけじゃないからテレビとか雑誌といったマスメディアもそういう認識発展の奨励を根気強くやってくしかないけど、
そもそも鼻クソほじってお天道様にお恵みを願うような土人マインドで農耕民族として数千年レベルでアップデートされてないのに21世紀の8月31日にその宿題をやろうとしたって、
まあ無理だな
まずどうありたいかが全く何もなくて
その研究開発、R&Dでイノベーションガー!内需ガー!インフレガ―!ってのは
大和の46cm砲ガー、我々シャー◯が1兆円投じた境工場デー、トヨ◯はガソリンエンジンのロマンや運転する喜びや感動への共感デー、コロナにはワクチンデー、痛みを伴う改革ガー、経済対策にはMMTデー
っていうのと並列でなんも変わらねー感じじゃん
そら金刷って国家総出で教育と未来への投資に正しく投資されればちょっとはマシかもしれんけどお前本気でこんな国民たちでそんなこと可能になると思うか?
初等教育やら産ませる前時点でマインドセットや環境整備で教育からやり直さないと土台無理なんじゃないの?大人には全国民にVRヘッドセットでも支給して強制的に毎日1時間洗脳教育でもしてさ。
でもそんなことやってたらこの先150年あっても足りねーよ。東ローマだって150年も猶予与えられてたらまた持ち直してたんじゃねーの?MMTって50年もやれるのか?無い国消える国は消えてしまったあとの皮算用をしてもしょうがないだろ。
だいたいこの国は先の大戦で負けた時点から国体として存在してないまであるわ。だから大方アホに見える日本のエリートから底辺までそこらじゅうによくいる刹那的な生き方してるやつのほうが分析力高くて合理的な生き方してるまであると思ってる。
でも縦軸としてそういうお題目万能主義な思想は大っきらいだわ。
だからってどうなるわけでもなくもうこの国はすでに終わったと思ってるしお前も含めて嫌いなタイプの人間が多いから種族としての日本人は滅んで個としてかつて日本だった属性を背負って子孫たちが細々と生きてくくらいで丁度いいんじゃないのって思ってるけどさ
自分が一生懸命練って熟成させて手間暇かけて育てて努力の上で形にしてきた作品を
第三者が自分が望まない形で自分の作品使って妄想した内容を勝手に作ってお手軽に公開してそれでバズってたりしたら俺はイヤだわ
二次創作は作者と作品ありきなので作者の感情がわからない限り「嫌かもしれない」負い目は常に心の隅にある
てか二次創作ってそういうマインドの上でやるもんだと思ってた だから当然謙虚でなくちゃいけないとも
でも反応見てる限り、原作を消費して二次創作やってる・みてる側で、作者に対してのリスペクトや謙虚さがないやつってハチャメチャに多いんだな びっくりしたわ 言い方悪いけど二次創作やらせてもらってんのに偉そうだなと思う
当然みたいな顔して堂々と二次創作する風潮が全体に罷り通ってたらそりゃ頭抱えたくもなるわ
どうせ金もないしキモいから他人からいい目で見られることはない、他人も社会も真っ当も知らんわ勝手にやらせてもらいます。にマインドセットすると、なんか辛うじて生きていける。強烈な希死念慮も最近来ない(ぼんやりとした死にたさはある)。人生無理バーに行っちゃいけないタイプの人生無理。
モテることはもういい。異性はもう知らん。何もわからん。でも誰かに認められることか、言語化できないけどその類への執着オバケに取り憑かれてる。そのくせ生存への執着がなさ過ぎて、選択肢に「死ぬ」が常に入ってる。大して仕事もしてない、誰かに良い影響を与えることもない、俺の思う品行方正に生きても、せいぜいなれても透明人間で、死ぬほど苦しい思いをすることは分かった。好きに生きても、結局KKOにコミットして周囲を不快にしていくのか。生きる意味とは。
真っ当に生きられる奴が羨ましすぎる。人間わからん。社会わからん。真っ当は辛うじて分かる、俺じゃないヤツだろ。せめて無能にも真っ当に生きさせてくれよ。
非モテだったし,今現在も非モテである僕が心が楽になれたマインドセットをみんなに紹介するよ!
そのマインドセットは『自分はこんなにいいところがあるのに今付き合わないともったいない,絶対に今後届かない存在になるのに』と本気で思うことだ.
この考え方だけで女性とも臆せず話せるようになるし,自分の能力を発見できない女性のことがかわいそうに思えてくるので優しくもなれるぞ.
「そんなことは急には思えない」だって?わかる.僕もそうだった.
この考え方を真に納得させるためには,自分のことをまず知らなければならない.就活で言うとこの自己分析だ.
自分で見極めれない人はストレングスファインダーなどの本を使って見極めるといいぞ.
これだけじゃまだ上の考えかたは腹に落ちないかもしれない.
その次にすることは考え方が同じで能力がちょっと上の人を見つけめちゃくちゃに尊敬することだ.
そうすることで自分の目標ができ自分が尊敬できる人になれると思えるぞ.これで自分がだんだん好きになってくるんだ.
自分が好きになってくると自分のいいところがわかってくる.結果,相手にしない人なんか知ったこっちゃねーと思えるようになってくるんだ.
1、私がなんかやらかす
今回は仕事の負荷とか高くて参っててうつぽい感じだったのをどうしたの?等聞いてこられて話す気力もなくてほっといて欲しいと言った
2、注意を受ける
今回は俺を怒らせたいのと強めに言われる
会話もしんどかっただけで、関わってこないでくれたら少ししたら回復した気がする
会話がストレスとか何回か伝えてるのになんで積極的に話したがるのかな、
解決してパフォーマンス上げてほしいだけとか、仕事しろよってことでしょ
心配じゃないでしょ
仕事もキリついたらやめたいし私の能力やらマインドセットやら向上するように頑張っていただかんでいいけどな
伝えてるはずなんだけど
仕事しなきゃーーーしんどーーー
自分自身の業績とはあまり関係ないいつもの給料をもらっており、
IT屋として旗を掲げ、会社が顧客であるという意識さえなくない。
自分がIT屋であり、プロとして顧客・会社に対して価値を提供しなければならない。
そんなマインドセットが充実した人生を送るためには重要なのではないだろうか。
クラウドワークスやここならで提供できるような自分のスキルを基にした製品サービスである。
絶えず自分の製品・サービスを更新するためにスキルを磨き続ける必要がある。
例えば、小学校2年生くらいの頃に6年生くらいの上級生にけられた。
私が6年になったら、以前けられた6年生のように偉そうにふるまっていたと感じる。
数年前までは、しょーもない会議ばかりに出て特に何を決めてくるわけでもなく、
何かを作るわけでもない上司の姿を見てきた。
そして今はそんな上司のようになろうとしているのかもしれない。
人の行いに影響されるだけでなく、悪いほうに、易いほうに流れているのだと思う。
進むならいばらの道を。そんなことを言っていた先輩もいたのに。
ただの社畜ではなく、楽な方に流れるので仕事も雑にこなすようになる。
そしてスキルが身につかず、信頼も剥がれ落ち、よくならないという悪循環。
では、この悪循環のもととなっている楽な方向に流れる怠け者の特性。
この特性に従うことが幸せか、この特性に抗い正のスパイラルを作ることが幸せか。
いやいや、怠け者の特性をなくしたほうが幸せになるにきまってるやんと思いながらも、
falloutでアサルトライフルをセミオートにするかフルオートにするか考えていたりする。
生粋の怠け者なんだと思う。
らしいんだよな。
つまり、それは野性で言えばレイプの危機だから。その場所からは早めに逃げないといけない。
風俗の客も大抵はキモくない。マインドセットが出来ているので。
そして、欲情それ自体を強烈に遠ざけているメスからしてみれば、性をおもわせる凡ゆるものがキモい。女子中学生とかはすぐになにがしかをキモがる。たぶんフェミおばさんも同じで、絵のおっぱいが大きいことや、宇崎の煽り顔がちょっとエロ漫画っぽいことがもうキモい。その向こうに欲情してるオスを想像で見てしまう。目の前にはいないのに。
ちなみにこのキモい、という気持ちだが、脳のなかで害虫や腐敗食物を見たときに使うのと同じ回路を使ってるらしく(こうした流用や併用は進化ではよくあることだ。羽と腕が同じだったり)、生理的に無理っていうのはマジで生理的な話だ。
セックスの予定を旦那と共同のスケジュール表に入れられてキモがる妻のツイートを見て、このことを思い出した。
自分が欲情してないときに欲情の予定を見たらそりゃキモかろう。おそらくエロ写真見てチンコ立てないぐらい無理。
でもな、旦那の気持ちもわかるんだよな。絶対その妻、前に気が乗らないとかで拒否してるだろ? それは自分で気を乗せといてくれよ。日本人夫婦のセックスが他国より少ないの、たぶんそれ原因だから。ドキュメンタリーとかを見る感じ、海外の妻は自分からわざと気を乗せようとしてる。日本人妻は……ていうかうちの奥さんと元ツイの妻は盛り上げてもらうの待ってるでしょ。
娘は未就学児なので実質的には妻と娘から貰ったのだが、正直ショックがでかい
もちろん俺にプレゼントしてあげようという娘たちの気持ちは嬉しい
というのも俺はネクタイが象徴する「仕事」が大嫌いで、そんな大嫌いな「仕事」をしている俺も大嫌いだからだ
社会に出て働くことそのものが嫌いなので(誰とも関わらず一人で家族を安定的に養える収益を産むスキルもないので)転職してどうこうなる問題でもない
だけど俺がそんな大嫌いな仕事をしているのは認めたくない
なので俺は普段仕事とプライベートの人格は別のものだというマインドセットをしてきた
ゲーム内のアバターが殺されても現実の俺には傷一つないように、仕事をしているのは本来の俺ではないと認識することによりどうにか社会との折り合いをつけてきたのだ
家に仕事を持ち帰ったり、仕事の話をすることを避けるだけでなく
スーツやネクタイなどにより家庭のスペースが汚れないよう最低限しか持たない等、家族に俺が仕事をしている人間だとはなるべく感じさせないようにしていた
(可能であれば玄関前にシャワールームを設置し仕事から帰ったらときはそこで「穢れ」を落としてから帰宅したいくらいだ)
家族には朝どこかにでかけて、拷問を受けて金を貰っている人、くらいの認識でいてくれるのが理想だった
だが、娘からの初めてのプレゼントは、俺のパーソナリティとして排除してきた「仕事をする俺」が使う道具であるネクタイだった
文章力のない俺がこのショックを言語化するのは難しいのだが、俺にとって仕事に使う道具をプレゼントされるのは、専業主婦してるフェミニストがエプロンをプレゼントされるようなものなのだ
もちろんネクタイが父の日のプレゼントとして定番品であるというのは理解している
ただ、父親に対するプレゼントとしてネクタイが定番になっていること自体に嫌悪感を抱くくらい「仕事」が嫌いな俺はどうしてもショックを受けてしまうのだ
世代ごとの失敗体験を解消してくには結局リカレント教育しかないわけで社会人が好きなタイミングで大学に戻ってマインドセット・スキルセットの積み上げをしなおして認識を改めた人間の数を2%でも5%上げていけば産業経済社会がいい方向住んでいくはずで、あとはべつにみんな大学に行けってわけじゃないからテレビとか雑誌といったマスメディアもそういう認識発展の奨励を根気強くやってくしかないけど、
そもそも鼻クソほじってお天道様にお恵みを願うような土人マインドで農耕民族として数千年レベルでアップデートされてないのに21世紀の8月31日にその宿題をやろうとしたって、
まあ無理だな
まずどうありたいかが全く何もなくて
補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350
これは退職者アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初は自分のブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌。
よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験の生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます。
といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。
この話はここから先はフィクションです。剣も魔法も労基法も出てこないファンタジーです。
地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんとれいきらさんです。
これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係のバイトをしてきました。玉掛とフォークリフトなら任せろーバリバリ
会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。
その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社のシステム部門で人手を探しているとのことでした。会社のホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分のスキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページがDreamWeaverのサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。
面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubやatcoderのアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。
地方の製造業のシステム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書は自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間でプログラムが分かるのは業界未経験の自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。
ちょうど入ったタイミングで情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社のサイトをスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作を委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマで運用してきた様でした。もちろん仕様書やローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分はWebデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssにメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応をしましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。
入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたことから、いつのまにか新規案件を自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義や技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなときに相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpにjsもcssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。
Windows Server 2012で動いていたサービスをLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHでPowerShellからマニュアルのコマンドをコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...
毎日出退時間を規定のEXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。
これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分の想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識で会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。
チーム開発などという概念は存在せず、「1案件を1人で上流から実装、運用、保守、サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲でギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります。
自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修の概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄な時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これからも物理フォルダーと社内サーバに散逸した各種の情報は混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。
サーバはオンプレでした。自分はクレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。
余談ですがオンプレで面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)
イキってカイゼン・ジャーニーや情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分のロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。
さてお待ちかねメインディッシュですね。
もともと技術やコンテンツの会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋が不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。
これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営の中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝の言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議、日報をエクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。
社内のコミュニケーションツールはLINEだったので使い勝手も悪く、会議でchatworkかslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。
えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人は発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議の議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録が機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分の技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能はマストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。
初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成”しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場はシステム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。
もともと会社は製造業から始まったため、えらい人たちとの見解に齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備とマンパワーと時間が線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間の見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインやマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営者視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署のMTGのためのプロジェクター設定、全PCのwindows updateに伴うドライバの更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。
そして、よくあることですが、理念と実態が乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしまい人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任の所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチのときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。
違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)
総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用・教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明の状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね。
現在はスキー場で住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。
可処分所得・可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます。賃金はふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nestが面白そうな感じです。あと寮のwifiが談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイをルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります。
先のことはなにも決まってませんが、ちゃんとエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがあります。レビューやスクラム、アジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社は日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分は空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外で大麻栽培でも始めようかなぁ。
巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプが生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会の要請ならばそれまでですが。
自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。
といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。