はてなキーワード: プロモーションとは
この分け方、韓国で定説になってるのは分かるけど「第2世代が長すぎる」ってどこからもツッコミはないのかな
日本からの見方だとBoaは完全に「日本の歌手」みたいに売り出してたよな
「KPOP」という認知が広がったのは2009年以降ビッグバンや少女時代のプロモーションからで
嫌韓への「配慮」もあって日本のテレビが扱いを小さくし始めたところを代わりにネットプロモーションが大々的になり世界人気が先行して「世界で人気のKPOP」として日本に輸入されてって嫌韓によるKPOPヘイトも負け惜しみにしかならなくなっていった
ゲーム業界でプログラマーとしてやっている身から考えを書いてみる。
「私のフォロワーの方にはクリエイターやゲーム関係の方がたくさんいらっしゃると思います。皆様の意見を聞かせていただきたいです。」
https://twitter.com/gamemakerdiary/status/1413185724849954817
ゲーム会社の経理や人事でも、好きなゲームに関わっているということで満足する人もいる。
小規模なゲームをひとりで全部作りたいのか、中規模以上のゲームのどこかを担当したいのかくらいは考えておくべき。
次は専門職。シナリオ、グラフィック、作曲といった専門の教育を受けてないと手も足も出ない分野。
これも解像度を上げると、コンセプトアート、キャラデザイン、ムービー、モデリング、ライティング、UIデザイン、録音、効果音などなど無数に分類される。
ゲーム会社、特にコンシューマゲームのプログラマーとしてやっていくなら、学生時代に身につけている言語や環境よりも、「大規模なものや複雑なものを怖れず学ぶ」資質が大事だと個人的には思っている。
ゲーム開発は、ゲームエンジンやフレームワーク、ライブラリ、APIを多用する。それもネットで検索してもまったく情報がない独自のものだったりする。
そもそもゲーム機はOS自体が普通と違うし。ビルドに使用するツールチェーンもかなり複雑になっていることが多い。
簡単な例でいうと、Visual Studioよりもテキストエディタの方がシンプルで使いやすいと思うタイプは要注意だ。
複雑でも多くの人に支持されているツールは何か良いことがあるはず、と思ってVisual Studioを使いこなす気持ちを持とう。
学生時代の作品もProcessingなどではなくC++で書くべきとか言われるのもこの辺に通ずる。
あとプログラミングに自信がある人で、既存のライブラリは複雑で使いにくいからとオレオレライブラリを作ってしまう人も要注意。
実は俺もそういうタイプなので苦労した。
ゲーム開発は複雑なものをそのまま使わなくてはならない日がいつか必ず来る。
既存の複雑なものを使う能力と言うのは、つまり大量の(英語を含む)ドキュメントを読む能力、大量のソースコードを読む能力でもある。
シンプルで洗練されたコードも素晴らしいが、洗練されたコードをめちゃくちゃ時間かけて書く人よりも
多少いまいちでも手が止まらず書き続けられる能力がある人の方がまわりには多い。
そういう人は、いまいちなコードに何度も手を加えて最終的にはまともなコードにしてしまったりする。
ゲーム全般やゲーム開発に関する知識量は、プログラマーとしても最大の武器だ。
有名なタイトルがどういう特徴を持ったゲームなのか広く知るのには膨大な時間がかかる。ゲーム好きでそのあたりに詳しいだけでも強い。
Unityなどのゲームエンジンに触ったことがある、というのもスキルというより知識の武器という意味合いが強い。
入門書レベルではなく、UniRxとかのプログラムの書き方の根本からくつがえるようなライブラリ経験とか、Unreal Engineのソースコードをいじったことがあるとかレベルなら超強い。
大学のゲームサークルやインディゲーム開発のグループで経験がある人はここが強いように思う。グローバルゲームジャム参加経験者とかも。
それから、ここが一番言いたかった点なのだが、前述の専門職とまたがる知識のあるプログラマーはめちゃくちゃ重宝される。
グラフィックならシェーダーがめちゃくちゃ書けるとか、3DデータやIKを扱った経験があるとか、3Dベクトルや行列演算の数学が得意だとか。MayaやBlenderを使った経験があるだけでも強い。
サウンドならDAWや波形編集ソフトを普段から触っているとか、信号処理に詳しい人。
つまりデザイナーやモデラーや音楽家の気持ちがわかって、その人たちと専門用語で話ができるプログラマーはどこでも食っていける。
あと最近はAIに強い学生もゲーム会社は積極的に採用している。
ひとつの専門知識+プログラミング能力を身につけるのはわりとおすすめの戦略だ。ゲーム開発の全部に詳しい必要は必ずしもない。
CEDECなどのカンファレンスに参加して、どういう知識体系があるのか知って、自分の強みを考えよう。
例えば年越しのCOUNTDOWN JAPAN20/21(主催:株式会社幕張メッセ/J-WAVE)は中止だったけど
ゴールデンウィークのJAPAN JAM(主催:ロッキング・オン・ジャパン/クリエイティブマンプロダクション)は強行気味に実施して特に大きな問題なく終了したし
今回のロッキンジャパンフェス(主催:LuckyFM 茨城放送/サンライズプロモーション東京)もその流れでやると思ってたけどな
二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。
明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?
恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である。
この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白いの尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。
・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。
・誤字や脱字が地味に多い。
・表記ゆれを気にしていない。
・伏線の張り方が甘い。
“やや”とか“地味に”とか曖昧な表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。
昨年2020年、Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。
神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。
「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」
そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?
しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである。自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこの伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子がバラバラで自分の“カラー”などあったもんじゃない。
身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル(所謂社会現象アニメではないにしろ、アニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品は10本。
ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。
当推しCP小説の投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである。投稿された小説の半分以上はブクマ数100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。
しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10本連続、という点だ。10回連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。
そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。
さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。
ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。
先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。
『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。
ソ字書きは思うことだろう。
「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」
ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。
統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。
そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快『自己プロデュース力』だ。
ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品を投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?
『純粋に二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。
『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。
『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。
私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。
そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。
『自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ。
世間のニーズを調査して、そのニーズを満たす商品を仕入れ又は開発し、プロモーションを計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。
こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ。
正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。
小説の面白さは同じくらい。だけど、その小説、商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。
支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。
絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。
支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しかも最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。
使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。
自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説が投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの、面白そうなものを選んで読む。
ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である。
さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。
それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。
これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身の体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。
短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。
キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリストと仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。
最近フリートとかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクのおもちゃにされがちなTwitterだ。
ここに広告を打つ。
しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterはフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterのフォロワー数が追いついてきた。
ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である。
やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。
というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方が絵描きで、その人の文章を面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である。貴方が広告塔だ。
Twitterにおいて絵描きの拡散力というのは、程度は違えど絶大である。絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。
また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説を摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描きの発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描きも応援しやすい。そういう事らしい。
Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。
例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいのトロロ」と言うタイトルの小説を書いて、支部にあげ、そのリンクをTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいのトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方をフォローしている人間の目にしか留まらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイートに自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイで検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。
こういうことを考えるのが、私は好きなのである。
そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しい。R-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーやブクマ数の変動を見ているのが楽しいのである。
勿論上手くいかない時もある。全てを自分がコントロールできるわけではない。自身の投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイートが爆速で流されていくこともある。
それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説のリンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTはリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身のボーダーとしているブクマ100を達成させる。
こうして、自分のアカウントをプロデュースして運用していくのがとても楽しい。
おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。
たまに「こういう事じゃなくて、純粋に文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。
それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方を応援している。
だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか?
相手の好きなものを分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか?
それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか。自分のマネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。
Twitterは後者の攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作者攻略ゲーム。楽しい。
それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュースは無駄にならない。
神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。
ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。
ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。
バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。
これは、神字書きにも思われることだ。
たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかもテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章がイタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的なカップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。
その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。
上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそばを動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまったからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。
こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分の文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。
自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタクは戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。
その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。
しかし、数字はモチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。
圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。
こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。
あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構、面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから。
以上、パ字書きのススメでした!
スクエニの10連ガチャ炎上で思い出したのだけど、「プロアマ問わず」「賞金総額○万円!」みたいな大会が開催されるゲーム(eスポーツ?)で、そのゲームにおける強さの大半がガチャによる場合、それってもはや賭博的なものでもなのでないかと思うのだが、どうなのだろう?
賞金を稼ぎたい!→強くなりたい→ガチャをたくさん回す
みたいな。10万ガチャにつぎ込んでも賞金で20万返ってくる(つもりでいる)から痛くない、みたいな。
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みんな教えてくれて嬉しい。
まあ、先行投資があって初めて儲けが得られるという意味では、多くの金儲けは賭博的な側面を持っているし、eスポーツもプロみたいにやっているのであれば、大会の準備としてどんなお金の使い方をしても、まあ誰かにとやかく言われるものではないのか。
ゲームの運営側としては「無限にお金をつぎ込めば無限に強くなれるよ!」というゲームデザインにしていない限り、それは競技であるという主張は正しい気がする。
【ご本人役として出演!】
そして、原作プロモーションに参加いただいたホロライブの大人気VTuber白上フブキさん(@shirakamifubuki)と夏色まつりさん(@natsuiromatsuri)が、TVアニメ本編にご本人役として出演することが決定いたしました!
第3話に出演予定となりますので、お楽しみに!
いや、この企画通したの本当に誰だ?
中国展開ができなくなるとかそういうものじゃなくてな、ラノベ市場に部外者のVが土足で入り込むなって話だ
今までの声優をオタク芸能人としてコキ使ってたラノベプロモだって受け付けなかったのにVなんてよっぽどだろ
というかV視聴者とラノベ読者ってかなりかけ離れてるだろ、ウマ娘の広報に「同じ公営ギャンブルだから」って森且行呼ぶようなもんだぞ
それでも広報だけならまだわかる、悔しいがVによる広報効果はある程度(それでもゲーム実況よりは落ちると思う)ある
アニメポケモンに突然もこうが本人役で出てきたら引くだろ?妖怪ウォッチに加藤純一出したら世界観が壊れるだろ?
「自分を大蛇丸と信じて止まない一般男性をアニメNARUTOに出しましょう」って岸本先生の前で言えるか?
いくら尺の問題で「ラノベアニメは原作の広報」って揶揄されてるからって言って作品としての価値を放り投げていいわけないだろ
そんなにやる気ないならその枠をアニメ化されなかった別作品に渡してやれ、アニメ化を渇望してる作者ならごまんといる
原作ファンは誰得アニオリ投入、アニメファンは素人のゴミ演技聞かされる、V視聴者は興味ないアニメに1クール付き合わされる、誰も幸せにならない
ジョコビッチ「会見に応じることも僕たちのスポーツの一部であり、ツアーでの生活の一部でもある。それは僕たちがやらなければいけないことなんだ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8253da079158b8794cf492688dfad0a55dce0600
アシュリー・バーティ「記者会見は難しいものだけど、それで自分が不快になるものでもない。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/642840eabfc15aa16b03fad6109f93eaece2190a
ナダル「メディアがなかったり、各地へ飛んでニュースや結果を世界中で書いてくれる人たちがいなかったら、今いるアスリートのようではいられないだろう。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a10f31f390b7a7aa0a0f8691feacf5b1c492d84
錦織圭「大会のプロモーションの一環として選手がやらなければいけない1つのことかなとは思います」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3d44a5c83eb2c185cbceba0a81703bf986c942c
サミュエル「世界中でツアーを追う記者とは話したくないのに、顔の見えない何百万人ものフォロワーに向けて画像を投稿することには満足しているのだろうか?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f90a1d47af1351dba9973d533a08f45bbc859996
https://news.yahoo.co.jp/articles/8253da079158b8794cf492688dfad0a55dce0600
「会見に応じることも僕たちのスポーツの一部であり、ツアーでの生活の一部でもある。それは僕たちがやらなければいけないことなんだ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3d44a5c83eb2c185cbceba0a81703bf986c942c
「彼女(大坂)の真意がどこにあるのかがわからないのでなんとも言いづらいですが、嫌なことを聞かれることもあるし、なおみちゃんの場合は特に他の活動もしているからいろんな立ち位置的に嫌な質問をされることが僕よりも断然多いと思うので理解はできたりはします。けど、大会のプロモーションの一環として選手がやらなければいけない1つのことかなとは思います」
「もちろん嫌なときもありますけど、大会で賞金をもらっていろんな人が大会を作ってくれているところを考えると、めんどくさいときもありますけどしなきゃいけないことなのかなと思ったりはします。でも、彼女が本当に病んでいたりしたら、それ(会見拒否)は彼女の勝手だろうし、罰金を払ってでもしなきゃいけないことと彼女が判断したのならそれは尊重すべきことだし。僕はどっちでもいいかなと思います」
https://news.yahoo.co.jp/articles/642840eabfc15aa16b03fad6109f93eaece2190a
「私の考えとしては、記者会見も仕事の一部だと思っている。私たちはプロテニス選手としてどんなことにサインしているかを知っている。なおみがどう感じているかとか、彼女の決断についてコメントすることはできない」
「もちろん、時には記者会見は難しいものだけど、それで自分が不快になるものでもない。質問に答えることが困難だったり、みなさんに対して正直になることに問題があったことはないの。私をとても困らせるものではない。自分が言ったり聞いたりしたことや、みなさんからの質問で、夜眠れなくなったりはしない。だから、私はもっと軽く考えるようにしているし、みなさん(記者)との時間もちょっと楽しむようにしている。彼女がどんな経験をしてきたのかなどに私はコメントはできないから、次にみなさんが彼女と話す時に聞くべきだと思う」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a10f31f390b7a7aa0a0f8691feacf5b1c492d84
「尊重する。もちろん、彼女(大坂)をアスリートとしても個人としても尊敬している。彼女の決断は尊重したい。僕らスポーツ選手は質問を受け入れる準備が必要だし、答えを生み出すように努める必要があると思う」
「彼女のことは理解している一方で、メディアがなかったり、各地へ飛んでニュースや結果を世界中で書いてくれる人たちがいなかったら、今いるアスリートのようではいられないだろう。今現在、世界中で僕らが持たれているような認識がなくなるだろう。僕らはそこまで有名ではなくなるはずだ。彼女のことは理解できるけど、メディアもこのスポーツにおいて重要な一部であるという見解を僕は持っているよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f90a1d47af1351dba9973d533a08f45bbc859996
「世界中でツアーを追う記者とは話したくないのに、顔の見えない何百万人ものフォロワーに向けて画像を投稿することには満足しているのだろうか?」
広告代理店で働く大部分の人は、Twitterなどで見かけるようないわゆる"Evilな広告代理店"像とはかけ離れた環境の中で働いている。むしろ、悲しい局面も多くあり、今回はそれを「コンペ」という視点で書いていく。
どの業界でも発注先を検討する際にコンペティションをすることはあると思う。広告代理店も事業主側から、プロジェクト単位や年単位など開催されるコンペに呼ばれることがある。大体のケースが、クライアントからのオリエンテーションの後、TVCMやキャンペーン企画などのクリエイティブやメディアプランを提案していく。*代理店でいうコンペは、提示された予算に対しプロモーションプランをかなり具体まで詰めて提案することを指す。
そのため、ほぼすべての提案がオートクチュール的というか、クライアントに合わせてすべてカスタムメイドする。予算単位が大きくなればなるほど、関与する人は増えていく。大きな提案になると、営業、クリエイティブ、メディア、PR、デジタルプランナー、タレントキャスティング、プロダクションなど数十名にも及ぶ大チームで、100枚・200枚を優に超える資料で提案することもザラにある。TVCM企画1本の提案でも、2〜3名でチャチャっとできるものではない。
コンペフィーが支払われることも稀にあるが、言葉通り稀なので負けた場合は赤字になる。参加している以上、負けて赤字になるのはしょうがないことだが、アイデアだけ使われてしまったり、クライアントサイドも2〜3社であればまだ良いものの10社近く声がけしていることもあり、フィードバックもロクにもらえないこともある。
アイデアやそこにかける時間やリソースにお金が支払われず、リスペクトがないのはとても悲しい。
これは、デジタル広告の代理店にある話だ。そこでも上記に書いたようなコンペが行われるが、いわゆる電通博報堂と言われる総合代理店と違い、デジタル系代理店のコンペは「コスト効率」でほぼ勝敗が決まる。まず、デジタル領域のコンペは近年「クリエイティブ無償化」というのが主流になりつつある。配信するバナーや動画の種類が多ければ多いほどABテストもでき、コスト効率が改善されるため、"本数"が重要になるからである。まず、制作する人がいるのにコストが支払われないというのが悲しい。
また、数年前からゲームなどのドメインも持つA社を筆頭としたメディアマージンの値引きが常態化している。(片手%以下のマージンを提示することも珍しくなく、資本力ゆえなのだが独占禁止法に抵触しないのだろうか?)値引き合戦とセットで、クライアントからのマージン開示要求も年々強くなっている。開示することでさらにコストが買い叩かれるという構造である。デジタルといえど、裏側では、分析やオペーレションを行う人が多くいることを考えるとリソースが買い叩かれるのは、とても悲しい。
※注
もちろん、良いクライアントもおりコンペフィーが支払われフィードバックも丁寧で、代理店に適正な費用を払ってくれているところもある。
読ませていただきました。
我が家も絶賛2Eです。しかしツリー読むと酷いね。画一的な同調圧力にこなされてきた人々のフラストレーション凄いね。
日本の教育は、ある時期から支配されてます。だからtwitterで#教師のバトン なんていうハッシュタグ投入したのも文科省の「ご意見頂戴」アピールですよ。やる気なんてありませんよ。経済産業省と一部組んでますから、利益を損なう様な革新的な発明などされては困りますからね。たまに気鋭のある知識人がこのままではヤバい。日本が終わるという危機感は感じている様ですが…
うちの場合ですが勿論学校で出される宿題については「宿題ってのは、教師のアリバイのためだろ?何処に意味があるんだよ?」と言いながら、でもまだ学校はまだ辞めないらしく、渋々やっては行きます。ただ、今は様々な学びの可能性はある時代ですので、我が子へは学校へ行きたくなければ辞めてよし、と伝えてあります。
そもそも第一次産業革命以降、殆んど変わらぬスタイルでやってるんですよ?おかしいと思いませんか?
教師のことは「いろいろ考えさせないよう」わざと忙しくさせてる側面、ありそうです。ギガスクール構想で、更に教員は忙しくされてますよ。一人1台のパソコンを看板にすれば、政府が「お金使ってる」アピールも可能なんです。だから宿題の無限ループは終わらないのです。
学校見てていろいろおかしい事に気づいたら、早く足を洗うといいかもしれませんね。それだけで高いIQでしたら、気付きも多いので周りとは話合わなくなってくるでしょうね。好きな事があるなら、とことん追及させてあげてほしい。「社会でコミュ力マスト勢」が沸いて来そうですが、あなたのお子さんが「価値を生み出すかもしれない」人材になれば、自然とプロモーションを申し出る人間がいるはずですから。
面白さの平均値が同じ番組ならばらつきが大きい方が見ていて楽しいと思う。だけど制作側にとってはそうではないのかもしれない。
日曜日のお昼は日テレをつけてニノさんを見る。いつ頃から身についた習慣かは覚えてないけれど、ニノさんが始まる前からずっとスクール革命を見ていたからニノさんがお昼に移ってきたときから自然と見続けていたんじゃないかな。日曜日のお昼にはスクール革命を見て、その後のニノさんを見る。それはわざわざ意識するまでもない当然の習慣になっていた。そんなニノさんが放送時間を変更してリニューアルしてから1年経った。
今もニノさんは面白い。面白いんだけど、昔はもっと面白かった気がする。リニューアル前のニノさんは若手のディレクターが2週ごとに新しい企画を持ってくるスタイルだった。評判の良かった企画は何度もやったりするが基本的には毎回新しい企画が見れた。当然その企画たちは面白いこともあればつまらないこともある。それと比べて今のニノさんは安定感がある。リニューアル直後のお友達探し企画は正直面白くなかった。だが夢中人企画や今のダービーなどのクイズスタイルになるにつれてまた面白くなっていき、今はどんなゲストが来ても安定して面白くなる非常にいい番組だと思う。でもこの「いい番組」って誰から見た基準なんだろう。
ニノさんに出るゲストは毎回何かの宣伝をするために出てる。プロモーションのためならなるべく面白くて評判のいい多くの人が見る番組に出した方が効果的。なので毎回安定して同じくらいの面白さを出せるニノさんは制作側からしたら非常に「いい番組」だろう。
でも視聴者側からすると必ずしもそうとは限らない。昔のニノさんはつまらない企画もあった。でもその分面白い企画は今よりずっと面白かった。きっと今も昔もニノさんの面白さの平均点を求めたら同じくらいだと思う。でもそれなら毎回の点数に変動がある方が楽しい。今のニノさんも面白い。その面白いニノさんを毎週見ている。だが以前のように今週はどんな企画か楽しみにしながら見ている訳では無い。今の均質化された面白さのニノさんは習慣になっているから見続けている感が否めない。
これは別にニノさんに限った話ではない。深夜番組がゴールデン帯に移動したときも同じようなことがしばしば起きる。それはきっとその方が作る側にとって都合がいいから。好きな番組が多くの人に見られ、面白さが均質化されていくことは視聴者にとって本当に嬉しいことなのだろうか。
ちょっと前の話なんだけど、ひょんなことから思い出しちゃったので書く。
文字数の関係でジャニーズって書いたけどジャニーズとソニーです。
発端はジャニーズ側だった。2020年にジャニーズ事務所から「SixTones」というアイドルグループがデビューした。(結成は2015年)
勘のいい人はお気づきだと思うが、ポピュラー音楽好きの人からすればストーンズといえば来年結成60周年になるイギリス出身のロックバンド「The RollingStones(ローリングストーンズ)」を指すのだ。
名前はよく知らなくてもローリングストーンズの代名詞ともいえるアイコニックなベロのロゴは見覚えある人も多いはず。
イギリス、いや世界でもっとも有名な現役のロックバンドと言っても過言ではないだろう。
今までであれば「『ストーンズ』というミュージシャンと言えば?」という問いをすれば回答のおそらく100%に限りなく近い値としてローリングストーンズが挙げられていたと思われるが、
今の日本の若者にとってはストーンズと言えばジャニーズアイドルであり、
結成からメジャーデビューを経てTwitterにて検索をかけるとロックバンドを覆い被さるようにジャニーズアイドルについてのツイートが大量に表示されるようになったのだ。
「ストーンズと言えばローリングストーンズだろ、ジャニーズとか(笑)」と老害ムーブをかける昔のロックファンがみられる一方、
「SixTonesに絡んでくるおじさんキモすぎ(笑)」なムーブをかますジャニヲタたちとのちょっとした分断が見られるようになった。
この頃は欧米のポップスやロックなどを日本に落とし込むをテーマにしているジャニーズでローリングストーンズを知らないわけがないのだから、
ちょっと避けた方がよかった気が、とは言えストーンってありふれた名前だし、とか、まあ決まっちゃったものはしょうがないけどもうちょっと配慮できたんじゃない?くらいの認識でいた。
ストーンズのメジャーファーストアルバムの発売が決まった。そのプロモーションでリリース元のソニーミュージック公式が使用したハッシュタグが
#ストーンズってそっちじゃない
だったのだ。
https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1337215528092528642
そうなると、当たり前のようにローリングストーンズのファンは「ストーンズってこれでしょ?」とローリングストーンズの写真を冗談で載せたり、さらには「ありえないだろ」とキレるファンも続出。
一方そういったツイートにジャニーズファンは「ストーンズ(アイドル)のハッシュタグを汚さないで!」「アンチやめて」「アンチがツイートしても宣伝になってるだけだから(笑)」のようなツイートで反応。
プロモーション映像を見る限り「メンバーのふりをした石膏(ストーン)が話をしている=ストーンズってそっちじゃない」ということらしいのだけれど、
プロモ担当は100%Twitterでエゴサをしているため絶対にこの分断について把握をしている。
Twitterのプロモーションはつぶやかれたもの勝ちだ。そのためにわざと相手を怒らせる釣りプロモーションをやっているようにしか思えなかった。
上記の通り、自分はあくまで後出しストーンズ(というかメンバーではないジャニーズやソニーなど関係者)なんだから多少の謙虚さは持ち合わせてろと思っていた立場だったので、
当時、自分もそのような旨を(煽るような表現を使わずに)ハッシュタグをつけてツイートしたのだけれど、
すぐにジャニーズファンにRTされ、上記のような文句を言われてしまった。
正直アニメジャンルで同じようなことが起きていたらちょっとした炎上が起きていたと思う。ちょっと前に呪術廻戦で「高専」を検索避けしろとか言われてたあれとかね。
「『幽玄なる白い世界』略して『幽白』なるアニメが大流行して、幽遊白書ファンがキレてるのに公式が『#幽白はそっちじゃない』を推奨」とかしだしたらブチキレるよね?
もちろん「幽白」と「ストーンズ」の言葉の固有性は大きく異なるのだけど、ポップ音楽で「ストーンズ」といえば前述している通り絶対的に「ローリングストーンズ」なんだよね......。
(とはいえそれで文句言ってたら名付け文化みたいなものが萎縮してしまうので名前被ってる問題は見逃せるレベルだったのだけれど、ハッシュタグで煽るのはアウトだよね?という意見)
しかも、何よりSixTonesはもともと「シックストーンズ」と読んでいたグループだったらしい。
実は結成後に海外に同名の「The Six Tones」というバンドの存在に気づいたために「SixTonesと書いてストーンズと読む」方式にしたと言うのだ。
https://twitter.com/paulmochiyan/status/1362765279965503492
The Six Tonesに関しては私も知らないのだけれど、日本人でThe Six Tonesを知っているのであれば全員がThe Rolling Stonesのことを知っていると断言できる。
音楽関係者がストーンズという大物バンドの存在を気にしない訳がないだろう。なぜストーンズに関して配慮しなかったんだろうな.......(以下永遠に同じような文句が続く)
まあ正直しょうもないし、どちらのファンもアニヲタたちが持っているような同人文化をルーツに持つSNSや検索に対する共通認識やルールみたいなものがあまりない印象なので、ずっと続くんだろうな。
一生この人のオタクなんだろうな、と思っていた。
そんな事はなかったよ。
8年間の供養の日記。
転機があったのは2020年。
この3つのコンボで、自分は8年続けた声優オタクをやめる事が出来た。
起きる直前に見た夢が悪夢だったときのような感覚で、幸せだったときの事を、もうあまり覚えていない。
自らに厳しく、仕事とプライベートを分けて考えられる人なんだ、好きだなぁ、と思っていた。
が、そんなものは幻影だった。
自分はリアコではなかったが、彼の惚気は心底きつかった。
SNSで尊いと言われているのを見たが、反応しているのは大概DDだった。
それに全く気付いていない彼を見て、失望してしまった。ファンのことなんか何も見てなかったんだなと思った。
ファンはひっそりと減っていった。
彼はゲーム実況を始めていた。
正直言って彼は話がつまらない。気も利かない。ゲームも上手くない。
そんなのはとっくに知っていて、むしろ口下手なところも応援していた。
だが、時代の波に流されて、能力に見合わない仕事に適当に手を出す、
彼のその自己理解の低さと自己プロモーション力の無さにまた失望してしまった。
ファンのことを見ていない割に、視聴者(ファン)に頼った仕事だった。
彼をリスペクト出来る点が、日に日に減っていった。
ファンはどんどんいなくなっていった。
彼を非難する声も多々上がるようになる。
そんな中声を上げているファンがいた。
『彼のやっていることは正しい!応援できないってどういうこと!?他の声優なんかよりもっと魅力的!』
もう一時でも、こんな界隈にいたくなかった。
オタクが故に応援は止められない、対象の魅力がなくなっている事を受容れられない、そんな状況が彼女をそうさせたのだと思った。
私は彼のファンを止めた。
生活の視野が広がった。今までは無意識に、彼以外のことを見ないようにして生きていたんだと思った。
今までだったら絶対にやらなかったことに、挑戦出来るようになった。
8年間のオタク活動、楽しかった思い出が確かにあるはずなのに、今となってはあまり思い出せない。
これが引き際を間違えたオタクの末路なのかもしれない。
追記(2021/05/13 22:43):関係ない方の名前が上がっていたので補足しておきます。ここで言う彼は先日テレビで激辛料理にチャレンジしたそうです。