「テーブル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: テーブルとは

2021-01-20

anond:20210120191957

流石に大きくて料理のためにキッチン使えなくなったよ

料理には別のテーブル使ってる

一人で来るのダメなら、4人テーブルに3人来るのもあかんやん。

2021-01-19

私は絶対に許せない。

昨今はブームだ何だとかであいつを取り扱う店が増えてきて、街を出る度にうんざりする自分がいる。アレを目に入れるだけで不快になるから出かけるときはなるべく販売店近くを通らないルートにして自衛しているけれど、どうやら最近ショッピングモールの中でも販売フェアなどというものをやっているようだ。もうコンビニスーパーしか行けなくなるかもしれない。

私の嫌いなものについて他人に話すと、大抵は苦笑いが返ってくる。

「何で?可愛いじゃん」

わたし早くあれに乗りたくて急いで免許取ったのに、何も分かってない」

「誤解しているだけだよ。今度乗せてあげるよ」

何が可愛い馬鹿馬鹿しい、分かってないのはお前達の方だろうが。最も苦笑いして此方の考えを矯正させるようなことを言う輩と一生分かりあえる気はしないのだけど。

布団に潜り込み目を閉じる度、三年前の記憶がふつふつと蘇ってくる。

女手一つで私を育て上げた自慢の母が忙しい合間を縫ってファミレスに連れてってくれた。その日は丁度かんかん照りで、だから私と母の影がふたつ伸びていてカオナシみたいだねって笑った思い出があった。額に汗をたくさん滲ませていた私に、母は「じゃあ今日特別パフェ頼んでもいいよ」って笑って言ってくれた……

「お母さん、お母さん!!!ねえお母さん、目を開けてよ!!!

明るくて優しくて、時に厳しくも温かく見守ってくれた母はあの夏の日、ファミレスに飛び込んできた複数のかたまりによって殺された。

「お母さん、お母さんってば……!!」

和やかに家族との時間を楽しんでいた私にとって、それは青天の霹靂の様な出来事だった。時速何キロで飛び込む私の背丈よりも大きいもの。飛び散る硝子の破片。衝撃によって崩された建物の一部。テーブルから落ちて粉々になる食器類。事故の三分前、卓に届いた母のオムライス

世間は「あれ」を無害で善良なものだ、事故なんて起こらないなんて言う。確かにあれは生身でぶつかってもさして問題いかもしれない。だがそれだけでどうして「無害だ」「安全だ」って言い切れる?

アレが店に突っ込まなかったら、母は事故の衝撃で頭を強く打たなくて済んだのに!




















「前にもああいうことがあったんだよ」私をあの時保護してくれた警官は言っていた。

体内に猫を置き去りにした馬鹿な女がいて、だからその女の車は焦ってファミレスに突っ込んだらしい。その時は誰も怪我人などはおらず、寧ろ突っ込んだ方は猫を助けた功績だとかいって表彰までされたそうだ。

私はそれを聞いて心底怖くなってしまった。どうして世間は、あの肉の車を愛好する人々は話も通じない、予想出来ない行動を取る生き物に命を預けられるんだ?

「あの子たちを困らせることして、ああ人間は愚かだな」自分がいつ彼奴らの御機嫌を損ねる行動をするかも分からないのに、裏切られるか分からないのにどうしてそう平気に言えるんだ?

私は彼奴らが、「モルカー」と呼ばれる全ての個体絶対に信用できない。もう鉄の塊が全盛期だったあの頃には戻れないけれど、もし叶うのならあの時代に早く戻ってほしいとも思う。

母の墓参りの帰り道、私は電車の中でモルカーに乗り込む親子二人組を見つけた。

運転手であろう若い女性も、彼女の子である小さい女の子も、二人を迎え入れる黒いモルカーも全員幸せそうな顔をしていた様に見える。

そう言えば母は私と違って小さな動物特にモルモットが好きだった。きっと母がまだ生きていたのなら、きっと近いうちに我が家にもあれがやって来てたのかもしれない。

最も、それはたらればの話なのだけれど。

濃厚接触認定連絡がきた(追記

厳しくないか

悲しい

昨日買ったペライア月光イヤホンからかなりいい感じ

無駄かもしれんけど勉強

--

1/21:うわーあたたかコメントきてたありがとう。最終接触から13日目の昨日から若干の鼻詰まりと喉の違和感、倦怠感。熱はない(PCR検査結果はまだ)。

--

1/22:PCR検査結果陰性。陽性者とは発症の3日前と1日前にランチを共にしたが、横並び、別テーブル(1mぐらい?)で食べ終わった後(15分ぐらい?)はマスク。1hほどわりと狭い会議室で一緒に研修。45分間ぐらいは扉をあけてた。箱チョコレート回して食べたなそういえば。メガネっ子

2021-01-18

リボ人生絶望して発狂しそう

約30年間自分無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我精神がとうとう崩壊した。

現在どうしていいかからない状態なので吐き出させてほしい。

俺と同じようなタイプの人がいるかからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。


俺には少し年の離れた兄がいた。

その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。

両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。

それは所謂普通人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、

自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。

でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、

人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。

自分勉強運動もできる、天才特別人間である勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は

人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。


中学高校では、吹奏楽部に入った。

当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、

今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。

吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性身体的なアドバンテージや、

大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。

勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルキープし、そこそこの大学に入れた。

テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的タイプだったし、

志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。


当時もまだ自分特別人間だという自負は変わらず、

ハンカチ王子まーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。

運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。

兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。

ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。

俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。


大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。

高校までの自分理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。

学校勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。

大学勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。

そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。

交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。


そのうちに、ストリートアートの才能がある人物出会って、イベントをやる事になった。

結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。

実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。

あげく、彼とはイベント打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。

絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、

自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。

同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。

彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。


二十歳を過ぎてから六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。

知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。

そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランク人達馬鹿にしてた。

でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。

今日〇〇の社長キャバクラから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。

その人達ですら、自分事業を作り上げて必死改善して、本来尊敬すべき人だった。


まりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローン借金してインドで1ヶ月ワーホリした。

俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。

一浪した就活では、人材大手のRから内定を得ることができた。

面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。

そういうところだけ器用な自分気持ち悪かった。

今思えば入社前のこのタイミング軌道修正する最後タイミングだったように思う。


入社したRでは、退社した人材起業したり有名企業要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。

自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。

だが、現実は甘く無かった。俺の営業成績はすごく悪かった。

そもそも自分理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりもつまらなかった。

転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。

当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。

そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから職種全然違うし。

同期たちは努力ホスピタリティーやら自分長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。


今まで努力反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。

自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、

何の成長性もなく、ただただ自分現実と向き合ってないだけだった。

みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、

中途半端な器用さと自尊心と恐怖心から自分は逃げ続けた。

自分限界に挑戦しないか自分能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。

周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない

より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。


アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事とあるクリエイター出会った。

大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。

その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才ノブレス・オブリージュみたいだなと思った。

IQゆえの他者社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才証明だったのだ。

天才友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間から

自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。

話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆人生だった。

自分コミュ力友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。


意を決して、精神科を訪ね、IQ検査を受けた。IQ120弱くらいだった。

天才メンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。

天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。

だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。

天才特別だと言い張っていたのに、そうでない人生今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。

IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。

検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。

本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、

何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。

会社から逃げるように独立起業する事にした。


人材系のビジネスをやろうと思った。

幸い、人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが非常に低かった。

仕事上の取引先ではあるが、コネクションもある。

同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、

それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。

本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。

勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。

賭けに負けても死だが、勝負しなくても死だったから。

特別人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者馬鹿にし、虚構優越感に浸り、

両親の呪詛成就させ、なんとか生きてきた。

生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。


独立はうまくいかなかった。

あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。

大手看板が外れて、だれにも相手にされなくなった。

経営関連の庶務雑務の多さも想定以上だった。

元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。

余裕の無さが更に成功を遠ざける。

うまくいくはずが無かった。

更にコロナ拍車をかけた。

どんどん追い詰められていった。


その頃兄はフリーランスエンジニアとして生計をたてていた。

兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミング勉強をして実力をつけていた。

いくつかの現場経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。

子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。

兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。

情けなさと申し訳なさが加わり、更に精神的にはキツかったが、

金銭的にはどん底から少し這い上がれるかと思った。

でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。


求職者企業面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。

目から鱗だった。考えた人は紛れもない天才だと思った。

人材業界ビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。

既存人材紹介業は、求職者入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。

年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。

求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。

人材系のエージェント採用代行は独立ハードルが低いというのは、それが由縁だ。

中小企業や、スタートアップベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。

加えて、エージェントはとにかく求職者入社すれば高額な手数料が得られるので、

求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要人材か」を無視して、

内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。

まりエージェントが売上を追求すると、求職者企業利益を損なうケースが出てくるのだ。


3万円もらえるという転職サービスでは、企業面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。

企業エージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。

これは、既存転職市場人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。

このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。

転職市場人材業界パイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊イノベーション

最初は思わずネガキャンした。悔しかたから。でもどうしようもなく憧れた。

どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。

自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。

仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブ感情無限ループしている。


一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。

それでも、特別人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、

という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。

ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。

自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする

このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・

という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。

田舎ファミレスいくと4人がけか67人がけのテーブルしかなくて一人ものとって肩身が狭い

増田で鍛えた鈍感力で待ってる客の気配をそらしつつ増田やるのが今の俺

スタバでのマスク着用率

住宅街

緊急事態宣言中のため20時まで。大テーブル席はアクリル板あり。

5月みたいに、小テーブルに一人しか座れないような対策はなし。

客の殆どは車で来店。駅前の様に時間調整の客はおらず、わざわざスタバにやってきている。スーツ客なし。

60以下はパソコンを出して何かしている(会社支給っぽいPCが多い)。60以上は暇つぶしで来ている。

  

ノーマスクでの来店はゼロ

車の中でマスクして来店している。

 

・一人客だけ

客同志での会話はなし。

常連のお爺さんは、店の人と世間話

 

マスク上下に移動しながら飲んでる客は半分

世代的には、30代以下と60代以上がノーマスク

40から50代は飲む一瞬以外はマスク着用

 

・店内ノーマスク勢の方が不織布多し

店内でコーヒー飲む以外マスクするぐらい対策しているのに、ウレタンマスクが多いのは謎。

ウレタンマスク効果が低いのはガチで知られてないのか。

 

店員さんはウレタンマスク多し

 

都市部大企業に勤めるホワイトカラーが多そうな住宅地スタバなので、在宅勤務の影響でコロナ前より客はかなり増えている。

anond:20210118015701

ブコメで、上から目線で鼻マスクマスクしてないのと同じとか言ってる人を見たけど、食事ときテーブルの対角線に座るだけで感染率下がるんだから、ハナ出してるだけで効果が無くなるってことはないよな。

2021-01-17

すた丼屋さんで割った卵をこぼしてしまった💦

今日のお昼に寄ったすた丼屋さんですた丼を食べようとして、丼の上で生卵を割ったら、卵が肉の上を滑ってテーブルの上に落ちてしまった。

幸い(?)テーブルの上でも黄身は割れないでいたが、自分で片付けたらテーブル汚しちゃいそうだなーどうしようーと思って、半泣きで店員さんを呼んだ。

まだ二十歳そこそこぐらいの若い女性の店員さんが優しく応対してくれて、慣れた手付きで卵をテーブルの端まで寄せてから、ちょうどうまい具合に卵皿の上に落として回収した。

それからなんと、替えの卵を自分にくれた。当然自分でもう一個買うものだと思っていたのにびっくりした。

自分には、ごめんなさいとありがとうございますを代わる代わる言うしかできなかった(もちろんマスク着用で)。

食べられることなく回収された卵には申し訳ないことをしてしまったのを反省して、出てきたすた丼ご飯粒一粒も残すことなく全部いただきました。

デパートバレンタインデー催しとかさ

XX・デュ・ショコラ的な催事あるじゃん

そういうとこの購入品を床に並べてる人見るとウェーーーー!ってなっちゃ

テーブルと床って全然違うしわかるじゃん。なんでその写真SNSにあげられるの?

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2021-01-16

マーケティング屋さん

転職関係サイトを見てると、データアナリストマーケティング募集が多い。

 

数年前、アドレスホッパーについて、バラエティ番組が取り上げていた時、取材を受けたほとんどの人がマーケティングをしていると言っていた。

 

ある程度、データを細分化して分析するのは良いのだが、ピボットテーブルみたいなデータしか作れないなら、いらないよな。

 

マーケティング外注して金を払う会社って、かえって危険じゃないか

2021-01-14

そこまでして飲みたいか

ゴミ袋のストックがなくなったので近くのファミマまで買いにいったらなにやらにぎやかな声が。

店外の飲食スペースのテーブルにストゼロらしき500m缶を何本も並べて酒盛りをしている若者が4人。

なんでこんな真冬に外で飲んで騒いでるのかと一瞬訝しく思ったけど、緊急事態宣言でこの時間もう居酒屋閉まってんだなと気づいた。

そういえば前の緊急事態宣言ときコンビニのすぐ前の道端で酒盛りをしている年寄りたちを見かけたっけ。

屋外なので他人への(あるいは他人からの)感染リスクはほぼないんだろうけど、そこまでして飲んで騒ぎたい気持ちがよくわからない。

寒くないのかい

anond:20210114104835

通夜葬式は、出席者が年寄り多めで全年代がそろうし

久しぶりに会うもんだから、控室みたいなところで結構話し込むし

会食の場で、酒出るし、長めのテーブルはさんで会話するもんだから大声出しがちだし

リスクは高いと思う。

人によって危機意識いろいろなんだけど、当日その場でこれマズイんでやめにしませんかとか

とても言える雰囲気ではないので、危機意識低めの方に合わせがちになるし。

自分が同じ立場になったら、出席者を出来るだけ減らしてもらって、会食だけ止めにして

折り詰めを持って帰ってもらうとかにするかな

今なら寿司屋無料緑茶ハイ飲めまくれてコスパがいい

久しぶりに寿司で飲めたわ

普段酒と寿司は両立できんからな、経済的

アルコール消毒液がテーブルにおいてあったからアガリにちょいちょっと加えて緑茶ハイ

600円でベロンベロンコスパ最高だわ

2021-01-13

緊急事態宣言ガールズバーにて

緊急事態宣言のせいかな。街の飲食店が閉まってる。

こちら、酒を一定量以上飲むとより欲してやまないたちの悪い性質をしており

20時を過ぎた今でもふらっと飲める次の場所を探している。

とはいえ、協力金(6 万円/日)の影響は大きく、ほとんどの店は休業を決めている。

馴染みの店はすべて休業だ。困った、為す術もない。

こうなると家に帰って一人コンビニで買った酒をおとなしく飲むのがあるべき姿なのであろうが、

いい年のおっさんともなると、家で一人飲み、くだをまく侘しさが身にしみていて躊躇しかない。

結果、飲める店を探し求めてぐるぐる。商店街を2周した。

そして開いている店をみつける。ガールズバーですって。

いや、言い訳をさせてほしい。女の子と飲める店を探していたわけではない。

ただ、空いていたのがその業態だったのと、いま女の子がいないから料金半額でいいとのことで即決した。

40 分 2000 円飲み放題のところ、女の子がいないので 40 分 1000 円飲み放題でいいという。

大喜びで店に入りビールハイボールを何度か注文しどうしようもなく楽しくなったころ、

正確には 40 分くらい酒に溺れたころに女の子相手をしにきてくれた。

女の子の店に来ておいて何を言ってるんだと思われるかもしれないが、正直 40 分 1000 円でもっと飲みたかった私は

他に接客必要テーブルがあるならそちらを優先してくれと紳士的だと思われる言葉を並べてみたのだが

どうやら間に合っているらしく、私の担当として正面で相手をしてくれた。

結論から言おう。会話が合わなかった。

それはもう、お互いに不幸だったと思う。

私は女の子に少しでも話を合わせようと、あなたはどういう人なのか、何が好きなのか、を聞いてみた。

少しでも共通点を探して、もしかしたら仲良くなれるかもと言う期待もあったかもしれない。

現実としては、あまり反応は良くなかった。というか嫌そうだった。

女の子は「面接をされているようだ」といった。

そんなつもりはなかった。が軌道修正もできず、40 分間お互いに辛い時間を過ごし店を後にした。

延長についてたずねられたが、そこで居座れるほどの胆力もないため退散した。

帰路につきながら、何が原因か考えた。自分が原因なのは明白なことだが

こんな感じなのかなとよそいきには思うものの、実際は問題とは思っておらず反省するつもりはない。正直。

わかってる。だから自分の男女関係がうまくいかないのも。ただ、ここってお互いが思いや考えをぶつけないと進めないもんじゃいかなと。

女の子の店の最初の会話のステップではないだろと言われるとそうなんだけど、、じゃあ最初は毒にも薬にもならない当たり障りのない会話をするのが正しいと?

いっちゃなんだが会話が合わないのはお互いの問題だと思っている。

とはいえ、飲みに行っては何かしらのわだかまりを持ち帰っているのは事実で。これはどうしたものかと思っている。転換期ですね。言うは易く行うは難し

みなさま、どのようにお過ごしでしょうか。お兄様方のアドバイスを受けたいです。

緊急事態宣言、なんで20時以降外出自粛なん?

夜の方が飲み会が行われやすいという傾向はあるものの、本質的対策ではないと思う。

時間的制限をかけるより、飛沫感染を防ぐためにテーブルの間仕切りや小分けによる料理提供などの対策を地道にやる方が効果がありそうな気がするんだけど、どういう議論があったんだろう。

教えて、えらい人…。

飲食業が備えてるべき衛生感覚

冗談や誇張ではなく、客をうんこと同じくらい不衛生なものと思え。

ハエブンブンたかったうんこテーブルカウンター放置するな。そんな不衛生なところで食事をとりたくない。

トイレからキッチンに戻ったら水だけじゃなくて石鹸で手を洗うだろ?おまるを触ったあとも同じことをしろ

anond:20210113011527

結構思い切ったねー。まあそれはともかくまだ8か月でしょ?これからだよ。

実際に商用で運用して障害が発生した時にシステムがどう動けばユーザは次のアクションができるか、致命的なエラーにならないためにはどういう順序でどういう情報を残すかとか、改修案件をチョロで対応するにはどういう設計にすべきかとか、作った後でも簡単に手を入れられる部分と商用稼働してからだと手を入れずらい部分の判別だったり、リリースした後に実際に使われる中でのフィードバックから学ぶことって結構あると思うよ。

あと、ERPパッケージを触ってみるのがおススメ。ソースを見るというよりは各種マスタの設定をして触ってみる。多種多様顧客ニーズに対してプログラム改修なしにマスタテーブルの設定値変更で対応出来るよう工夫して作られているので、設計の参考になると思う。

見積顧客に突っ込まれるの面倒くさいな、後になって仕様変更対応するの面倒くさいな、障害報告面倒くさいな...etcの面倒くさいを省くためにどうすれば良いか改善点を日々考えていくことがエンジニアとしてのスキルの向上につながるんじゃないかな。

と、色々と偉そうに書いたけど同年代チャレンジ勇気づけられたよ。お互い頑張ろう!

2021-01-12

お値段1.7倍くらいでいいならできるが

鍋とか鉄板とか対応する人とか、一人でも二人でも同じような費用がかかるものがあるし、

一人だと黙々と食べ続けられてしまって、二人以上の場合のように駄弁って時間を使う場合より

食べる平均量がかなり多くなるんだよね。そもそも一人で食べ放題に来るような客は食べる量が多い。

から、二人以上の場合の一人料金で食べ放題は無理。テーブル単価が一人客だと低くなることは

コロナ禍だから諦めるとしても。

お値段1.7倍くらいならやれなくはないが、一人で二人料金が嫌な人はこれも許容しないでしょ?

anond:20210112114458

2021-01-10

飲食店時短について

ウイルスは昼は活動しないっていうのか?w とお怒りの面々、まあ気持ちは分かる。

本音は休業が一番効果あるのは分かってるけど、そうもいかないんで、要は仕事終わりに仲間と飲み会するなよ、の意味だと流石に分かってあげてもいいんじゃないか。

ただ昼間は酒飲む奴は居ないのかといえば少しは居るし、酒が入らずとも複数名でマスクなしで会話したら同じなので、もっと効果的でかつ営業に影響しにくい策を加えた方がいい。


素人の私が以前から考えているのは、複数名での来店禁止だ。それはキツいというなら、来店は2名まで、どうしてもというなら4名までとしてもいい。

ただし、複数名来店者のテーブルの上にはでかいアクリル板をドーンと置く。2名なら2枚、4人なら4枚置く。

さなテーブルであっても、来店者の全身が覆われる大きさのアクリル板の設置を義務付ける。どうだろうか。

アクリル板は飛沫を遮蔽することはできても、エアロゾルには弱いだろう。もちろん室内の換気は必要だ。

ただ、現状では「知り合いなら、同僚となら、家族となら、対面でのマスクなし会話が飲食店では事実上許されてしまっている状況に、一石を投じる効果はあるんじゃないか。アホな若者会社員が来店してしまったような時にこそ、効果がある。

少なくとも何がダメなのかが明確にはなる。我々はもう、マスクしかアクリル板越しにしか、会話できなくなってしまったのだ。そのことを認める必要がある。

増田でも何回か書いたが、現状ではグループ間を一生懸命仕切っているが、そもそもグループ間では会話しないんで、意味がない。

アクリル板はむしろグループ内にこそ、あるべき物だったのだ。

2021-01-09

ベッドで飯食うの好きな人いる?

今まさにホテルでこれやってるんだけど気持ちよくてニヤニヤしてしまう。

食べてるのはセブンイレブンホワイトチーズカレーみたいなワンプレーものなんだけどね。

から帰ってきてシャワー浴びて身体をきれいにしてからベットに入るとめちゃ気持ちいいのよ。

そんで背中に枕を入れてベッドに座る。掛け布団の中に脚を入れる。暖かいね。

サイドテーブルを持ってきてセブンで買ったおつまみワインを置く。

そしたらテレビ観ながら弁当食べて酒飲む。幸せ

こんなん家じゃできないもんねー!

アメリカ映画でベッドでアイス食いながら映画観るシーンあるじゃん?あれ憧れてたんだよなー。

では!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん