はてなキーワード: スイッチとは
電動歯ブラシが良かったので両親にプレゼントしてあげようと思い、amazonで見たら値段が倍近くあがっていた。
「この商品は、〇〇〇が販売し、Amazon.co.jp が発送します。」
でたよ、謎業者。
値段の少し下に目をやる
「新品 (51)点: ¥〇〇〇 より」
でたでた。
プラグインの値段遷移グラフを見ると、amazon販売のものは1年前に在庫を尽きたらしい。
同時期に価格が倍以上にあがっている。
最近、こんなのばかりだ。
ユニクロのコラボTシャツ、薬品、ホットケーキミックスまで転売野郎の不快な影を見ない日はない。
購入行為をするたびに正規価格かどうか調べるコストが生じている。
どんどん買い物が不自由になっている。
むしろ夕方遊び疲れて帰るとき自分の家からカレーの香りがするとテンション下がるレベルで好きじゃなかった
カレー好きの知り合いに連れられ一番オススメらしい欧風ビーフを食べた時の衝撃が忘れられない
チョコレートのように濃厚で.....
あぁ........
oh...............
思い出すと辛く(つらく)なるだけなので
あまり詳細は書きたくないけど
うまかった
俺の体のカレーのツボを押されたような気分だ
でも数年後突如ジャワは閉店した
跡地にはすぐに小洒落た服屋みたいのができた
狐に化かされた気分だった
神の気まぐれで一時だけ人間にもあのカレーを与えられたんだと思う
もういちど食べたい
192.168.3.0/24。
何の変哲もないクラスCのローカルネットワークだけど、このCIDR表記を思い出す度に懐かしい思いが込み上げる。
10年前俺は、関西の中堅企業で社内インフラの整備を任されていた。
ネットワークは、部署毎にセグメントを設け、部署間をL3スイッチで繋ぐありふれた構成であった。営業1課...192.168.1.0/24、2課...192.168.2.0/24、開発1課...192.168.3.0/24。その他いくつか。
開発職に未練を持ちながらインフラに携わっていた俺は、例えネットワーク越しであっても、開発1課のデバイスにアタッチする度にある種の一体感と高揚感を覚えていた。
俺にとって、192.168.3.254(192.168.3.0/24のゲートウェイアドレス)は、間違いなく華やかな開発職への夢の扉であった。
NHK朝ドラ「エール」の主題歌「星影のエール」のMVが先日公開された。
曲も映像も素敵で、ストーリーも素晴らしいような気がして初見で泣いてしまった。Youtubeのコメント欄でも泣いたファンは多かったようだ。
それで立て続けに何回も観たが、見れば見るほどストーリーは分かるようで分からなくて、考える余地がたくさんありひどくハマってしまった。ストーリー重視のMVはたくさんあるけど、こんな刺さり方をしたことはなかったので、妄想したことをひたすら書いていきたい。
まず私について簡単に。
しがない社会人。かつてはこういうコンテンツに興味があって勉強をしていたこともあったし、なんならそういう職に就いていたこともあった。
くじけてそうじゃない職に移ってしまい、いまはただの消費する側になってしまった落ち武者。仕事しんどいと思いながら虚無になる前にコンテンツを消費することで救われている多くのうちの一人。
少しだけ作る側の現場や状況を知っているので、そのことに思いを馳せて敬意とか羨望とかを織り交ぜながら楽しませていただいています。
GReeeeNの明示的なファンではないけれど、めっちゃ有名な曲とかはスマホに入れてて、星影のエールは朝ドラの主題歌なんだーと思って買ってた。
星影のエールの作品世界を考察しながら、MVをリピートしまくっているところ。
〜〜〜〜
〜イントロ〜
〜1番〜
光る星と遠ざかる青い惑星
〜2番〜
星空を見つめるロボット
〜Cメロ〜
浜辺。流星群を見つめる男女
宇宙船内。眠っている老婆
それを見つめるロボット。窓外に青い星
〜大サビ〜
意を決するように胸のスイッチを押すロボット。激しい光があふれる
倒れるロボット
構成は「段階的に年老いていく女性」と「段階的に老朽化していくロボット」の変化が主軸。1番サビではロボットに庇護される赤ちゃんの笑顔、2番サビではロボットと少女の喧嘩と対置されている。怒っている少女はこの作品の芝居の中では最も感情が発露されるアクション上のピークだが、その直後には宇宙船内から回想へ移る展開の落差が用意されている。流星郡や星空を含め無数の星が描かれている作中で「誰よりも私には輝く星」の箇所では、青年はそれらの一切は眼中になく少女を見つめているのが印象深い。そのあとは老婆とロボット、宇宙船の行く末という作品の山場に雪崩れ込む。
宇宙船のデザインやロボットのデザインはレトロフューチャーなのであまりカッチリ考えてもというところではあるが、楽しいしその後の考察の手がかりとして重要なので考えておきたい。
つまり近未来か遠未来かという点だが、ロボットに人格や精神を転写したり、恒星間宇宙船を建造できるくらいには未来、ということになると思う。
宇宙船は、メインの舞台になっている広間の「大窓」がイントロのカットでも確認できるので、居住区を回転させて遠心力で擬似重力を得るタイプではなく、狭い範囲の重力制御とかを実現しているのかもしれない。
また、ラストで事実上船員がいなくなった宇宙船をオートバイロットで着陸させられる程度に進んだ科学技術がある。
超光速航行は実現していない、重力制御はできる遠未来、と考えたい。
眉間の間に指を持ってくる謎の仕草をたびたびするが、これが回想に登場する青年と同じ癖であることが描かれる。このことからロボットと青年は深い関わりがあると考えられ、「ロボット化した青年」もしくは「青年の精神や人格を引き継いだロボット」だと考えられる。この差はSF的には重要で繊細だけれど、これ以上判断材料は提供されていない。ひとまず設定上の同一人物として扱っていいと思う。
青年がロボットになった理由はなんだろう?宇宙船は恒星間航行ができるが、超光速ではない。生身の人間は保たない。だがそれでは「少女はロボットではない」理由にならない。
作中、そのボディは徐々に劣化していく。記号的にボロにしているといえばそれまでだけどあえて考えてみる。宇宙船内だけで活動している場合、こけて塗装がはげるくらいは起きるだろうが、大袈裟にへこむことは考えづらい。赤ちゃんの世話だけでなく、船外活動など宇宙船のハード的なメンテナンスも多いに請け負っていたものと考えられる。大型の飛来物は宇宙船を操作して避けるだろうが、小型の飛来物は当たってしまうのだ。天文学的確率で。(あたったらへこむどころでは済まないんですが、そこは主人公補整)
冒頭で産声を上げ、時にはロボットと喧嘩をし、回想後にはカプセル内で眠っている老婆。これらは同一人物として見ていいと思う。その後、ロボットがトリガーした謎の発光により、再び赤ん坊へと再生する。歳を重ねてから赤ん坊へ戻る仕組み(能力)の詳細は不明だが、トリガーはロボットのボタンと女性が握った星型のアイテムにある。
回想の中で登場する女性と同一人物かどうかは分からない。ただ、別人と考えた場合、回想の男女のうち男性はその後ロボットになったのに女性が描かれない、ただ数秒登場する男性の恋人ということになる。その二人の子供が冒頭の赤ちゃんだと考えてもいいが、それだと母親は乗っていないのか、乗っていないにしてもロボットだけで行けばいい(お子さんは連れて行かなくていいんじゃ?)という話にもなるので、そのすじは想像を膨らませすぎというか、素直に回想の女性=宇宙船の女性と考えていいと思う。少女時代の姿もとても似ている。
GReeeeNらしい緑色の星。作中たびたび光の強さが変わるが、冒頭は光っていない。赤ちゃんが嬉しそうに持ち上げている時にぼんやり光り、ロボットと少女が喧嘩した時には光が弱まった。回想には登場しない。終盤、ロボットが胸のスイッチを押すと激しく発光し、女性の体が薄く透けていく様子が確認できる。
このことから、女性の生命の様子に深く関係し、影響を与える(具体的には身体を若返らせる)。
また、ロボットと二人の関係に影響を受けることが分かる。若返り発動が「女性が星を握る」「ロボットがスイッチを押す」という両者のアクションで発動した(女性ひとりのアクションで発動しない)ことからも、星は両者に関係して動くのだと考えられる。
感情に感応する・若返り効果を発揮するといった現象が、登場する二人だけに生じるのか、人類全般に対して生じるのかは不明だが、「互い照らすその意味」を司るアイテムだと考えたい。
終盤、老婆になった女性が、ロボットがスイッチを押した途端発生した光により赤ちゃんへと若返る。途中、老婆の手が透けてうっすら星が見えることから、コナンくん的に身体が縮むというよりは、もっとファンタジックなものだと思う。なのでやっぱり、若返りというよりは転生という語が適当だと考える。
船員はこの女性とロボットの二名で、ほかの船員は描かれない(最初はいたのかもしれないが、空間に余裕のある船ではなさそうだし、二人だけだと思う)。となると、出発時点で赤ちゃんだということは考えづらいので、MV開始時は「旅路の途中で、女性が老婆から赤ちゃんへ転生したあと」ではないか。
なので、MVのクライマックスで描かれる発光と転生はMV開始時点で最低一回は行われていることが分かる。そうなると問題になるのは回数だ。何度もできるならロボットが最後に「意を決するように」押す必要もなく、気軽に押せる。おそらく回数制限があるし、多分MVラストのそれが文字通り最後だったのだと考えられる。
冒頭、転生直後のためか星は光っていなかった。ラストでは淡く光っており、ロボットすら転生する様子はまさしくキセキということだと思う。
回想シーンでは、夜空に流星群が飛来している。GReeeeNのキセキでも同様のモチーフが使用されていて、同MVがYoutubeに登録されたのは2010年7月のようなので、ほぼちょうど10年ということになる(10年前でももう少しグラフィカルな合成はできたと思うのでMV制作の厳しい予算のことなんかを考えてしまった。このフルCGアニメは仕上がり通りの潤沢な予算で作られていてほしいと流れ星に祈るなどした)。
流星群と言っても放射点がない?ので、この呼び方が適当かはわからない。
流れ星には「良いことの前兆」「悪いことの前兆」両方の伝承があるようだが、今回はどちらだろうか。流星の色、宇宙船内の星形のアイテムの色をみると、両者に関係があると考える方が自然で、もっというと両者は同一物だと思う。
悪い物を持ち込んで旅をするのは苦しいし、実際転生のアイテムでもあるので、ここは吉報の方の流星だと考える。カタストロフの前兆を描いたものではない。
そんな特殊なものが降っていると考えると、自然現象としての流星ではなく、人為的な何か(人工物は降っている、または軌道上にあった人工物が飛び散って降下している)ではないかという妄想も膨らむ。
そろそろまとめていきたい。
流星が飛来し、それに祈る女性とその女性にみとれる男性がおり、二人は姿を変えてすごく長い宇宙の旅に出かけた。その理由はなんだろうか。
彼女は、流星として降ってきた何かの作用を受けて、若返ることができる。ロボットはできない。では男性は、同じことができただろうか?
20xx年、宇宙から飛来したものに、一部の人類の身体を転生させる効果があることがわかった。
そして、なんらかの理由でそれを多量に行使する必要が出てきた。収穫するために、宇宙を渡る旅に出なければならない。
なんらかの理由とは、やはり人類が滅びるようななにかではないかと思う。その着想はYoutubeの考察コメントで見かけたものだが、細かい理由はMV内に描かれていないしなんでもいいのだけど、このご時世、どうしても強大な病原体による感染症を考えてしまう。
人類が滅びに向かう中、かつて流星群で飛来した物体に特殊な作用があることが分かる。それは使用回数に制限のある消費物で、できればたくさん欲しい。
一方で転生に耐えられるのは人類の全員ではなかったのだと思う。なので、適性が見られた彼女が、星を摘みに行くミッションを担うことになった。
男性は病魔に屈する(または、転生の適性がなかったのでやばいことになった、という想像もできる)が、ロボットとして彼女をサポートし続けることを選ぶ。
SFで恒星間航行といえば冷凍睡眠だが、設備が大きく収穫物を積むスペースはできるだけ確保しなければならない。冷凍睡眠設備は搭載されなかった。その意味でも、転生可能な人材はこのミッションに適切だったし、それをサポートできる誰かが必要だった。
一人と一機は地球のために旅立った。
どれくらいの旅路だろう?
回想で高らかに歌われる歌詞。普通に考えて2020年の現在からみて星座を眺めた数千年前(ギリシャ時代とか)を指した歌詞に違いないが、ここは妄想の翼を広げたい。この歌詞が流れる瞬間が千年前の出来事。作品が描いている時間と、回想とで、1000年程度の開きがあるという妄想だ。
片道500年以上の旅だ。光速の何パーセントの速度が出るのかはわからないが、計画の時点でわかっていた数字だと思うと絶望が深い。
宇宙船建造時点でも、現代より進んだ科学で人の寿命は伸びていると思う。それでも何度となく転生が必要だ。
MV内で描かれた赤ちゃん、少女、老婆は、それぞれが通しではなく、転生した時々の一コマ一コマであると考えたい。転生する度にロボットと喧嘩をしたかもしれないが、孤独な旅に耐えるために、おそらく女性は感情を抑制する精神改造か何かが必須だっただろう。喧嘩なんて起きない、そんな中での感情の発露。あの衝突は、数ある転生の中でもほとんど起こらなかった、非常に珍しく尊いといえるような出来事だったのではないか。
窓の外の星はどうだろう。冒頭、大窓の外には青い星が見え、子供が歩き出すころには遠ざかっている。
ただ、最低一度は転生を実行し、新たに産声を上げたにしては、地球が近い気がする。また、赤ちゃんの一人歩きは1歳三ヶ月で80%とのことだが(ググった)、それだけの期間が経過したなら、青い星はもっと遠ざかっていてもいいのではないか。冒頭に環のある惑星が写っているが、土星軌道から見た地球であれば遥かに小さいはずだ。
ふたつめの理由については、推進剤を節約するためにスイングバイしていたと考えることができる。
ひとつめの理由については、「出発時点=赤ちゃん」はSF的な筋立てを思い浮かばないのでここでは支持しないのだが、そうするとMVが描いているのは「行き>回想>帰り(到着)」ということになり、作品としての納まりはなんとなくいい。そうでない場合、あの星は地球ではなく目的地の星だと設定できる。MVは「帰り>回想>到着」という流れで、こちらは描かれているものの背景の勘ぐりとしては納まりがいい(と思っている)。冒頭の環のある惑星も、目的地近傍の土星ではない巨大ガス惑星だと考えると辻褄が合う。
最後の転生は、女性が自ら動けなくなるほど老いてから行われた。転生の回数券がいよいよ最後だと判明し、可能な限り老いてから実行することになったのだろう。目的の星での収穫物を使えればいいのだが、察するになにか使えない理由があったのだろう。
「時に私の後ろに光る星」
それまで暗い星空で埋め尽くされていた大窓には、いま青い星が大きく見渡せる!
安堵もある、悲しさもある複雑な美しさに目眩がする。
地上300〜400km程度の低軌道で、降下は始まっていただろう。時間がない。最後の転生の光に包まれながら、宇宙船を地上へ降りていく。
二人を迎えてくれるのは、二人を、あるいはほかの多くの収穫者たちを打ち出したかもしれないマスドライバー発射台。人類の残り時間が少ない中、限られたリソースで建造されたそれは、いまは朽ちて鉄骨を晒している。(そうではない頃に作られた灯台は、長らく無人の状態でもメンテナンス機構が行き届いているようだ)
地上に着いてすやすやと眠る赤ちゃんだが、誰一人迎えには来ない。滅びかけの人類は、おそらく地上設備では可能だった冷凍睡眠を実行し、ミッションの成功とともに目覚めるのだろう。
女性はロボットと喧嘩する前、空の絵を見ていた。その次のカットでは引きの絵になるが、反対のページにはほとんどなにも描かれていない。おそらく商業的な画集などではなさそうだが、船内スペースが貴重な中で持ち込まれたものなので、とても大事な、プライベートな冊子だと思われる。
「明日はきっといい天気/青き春もまた そうであれ」
青き春の時代に、白紙の状態から、誰と物語を描いていくのか、考えながら描かれた絵。回想に登場する二人にまつわる品、もっというと青年にとっての「輝く星」である女性を描いたものだろう。流星群を見る前の昼間か、「夜明け前の空」を見たあとの絵だ。そう考えると、右ページに見えるスケッチが回想に出てくる帽子に見えてくる。
そんな思い出の絵なのに、少女は空のみに注目して、暗い星空と見比べる。
ロボットの手を払いのけて、少女は怒りながらなんと言っただろうか。たとえば「こんな空を一体いつになったら見られるのか」。
自分が描かれていることには気づかない……転生しても、記憶は引き継がれないのだ。いま怒っている彼女は、だから青空は見られない。
答えられるわけがない。
ロボットの献身、ふたりの悲哀に残酷ささえ感じるが、それでも困難を乗り越えて互いに照らし続けた二人が、数百年の航海を終えてのちには青空の下で安らかに眠っている。
〜〜〜〜
だいぶ書きたいことは書けた気がする。
ここで明示しておきたいのだが、「公式はこう考えて制作したに違いない!」と当てようとしているわけではない。むしろ、私はここでこう考えたが、全く違う考えで作られていたのならその方が面白い。そうあって欲しい。
残念ながら、設定を徹底的に練りきった上で作られた作品なんて、それこそ恒星間航行でデブリにぶつけられるくらいの低確率で、どんな作品も多かれ少なかれ作りながら決めた・変えたことが無数にあり、特に理由もなく決めたことも無数にある、ということを私は想像してしまう癖がついている(そういうナイーブさはないけど「考えてなかったけど結果的に筋が通って見える」みたいになってる箇所には、謎のかっこよさを感じたりする。このMVにもそういう箇所があったら楽しいなと思う)。このMVの制作期間中には緊急事態宣言とか自粛とか、ままならないことがあったと思うし、その意味でも、隅々に渡って「ここはこういう考えで作られたに違いない」という考察態度でいることは難しい。
いや、そのあたりはなんでもいいけど、とにかく妄想が捗る作品に出会えて嬉しいってことです。
監督の森江康太さんは、ヨルシカやAmazarashiのMVもやってるひとっぽい。探したら観たことあった。
顔を出してない歌い手のMVをよく手がけているのかもしれない。
同じく8/7に公開が始まったドラえもんのポスターにも名前が載ってる。
誰にいうでもなく自前の発表の場があるでもないので、初めて匿名ダイアリー使ってみた。
誤字とか見つけたら直します。
(「地球を滅ぼすようななにか」の所ですが、SFに興味がある方は「天冥の標」(小川一水)を読んで思い浮かべるといいと思います
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
出勤前の時間とちょうど噛み合うので、毎日NHKのピタゴラスイッチを観ている。
番組の最初と最後にピタゴラ装置のコーナーがあって、知らない人のために説明すると、スタート地点でエネルギーを受けた物体①(例えば球体)が転がっていって物体②に触り、そこから③、④と進行していき、最後には小っちゃい旗が立ったり、回転してるプレートの上にマーカーが落ちて、円運動によって「ピ」の○の部分が現れたり、という感じに完結する。
すげーな、と思いながら毎日パンとか食いながら観ているのだが、少し物足りなく感じるところがある。
というのは、ピタゴラ装置の進行が①→②→③…と進んでいく中、役目を果たしたギミックはそこでお役御免になり、①が④のスイッチにもう一度役立ったり、最後の締めにひと役買ったりはしないところだ。
俺がピタゴラ装置を一種の「ストーリー」として見過ぎなのかな、とは思う。
あのとき役目を終えて落下したボールとかヒモとかが、いったんカメラからフェードアウトした後も実は運動していて、最後のギミックのスイッチとして再活躍、というのがあったら面白いよな、と思うのだが、いまのところそういう装置は観たことがない(たぶん)。
ただ、今朝またパンを食いながら観ていて思ったのだが、アルゴリズムというものがそもそもそういう概念だったりするのだろうか(このあたり、俺はまったく、ミリの知識もない)。
途中で分岐するにしても、分岐したらしっぱなしというか、工程④から⑤と⑤'が分岐し、ダッシュ側のルートが最後にもう一方のルートに合流して収束する、みたいな考え方はしないのか…
ってそんなことないか、っていうのは現実の仕事に当ててみて思ったことだが、よくわからない。よくわからないが、落下した玉とかが「おお、こういう風に最後またからんでくるのか」というのをいつか観たいと思ってる。
友川=綾城のような所謂『神絵師、神字書き』ポジションの人物に並々ならぬクソデカ感情を抱く立場のキャラクター
みたいなふわっとした感じで、結構な数の人が私は友川だな…いや友川みたいに頑張れてないけど… といった反応をしていたのをよく見た記憶がある(記憶違いかもしれない)
けれど友川という女は、そんな我々地獄の住人すべての魑魅魍魎を兼ね備えていただろうか もっと清廉として無垢な存在ではなかっただろうか
似ているなどと言うのは自意識過剰も甚だしいお門違い、ちゃんちゃらおかしい集団幻覚であると思う
そもそも貴方が友川なら 元々居る友達と馴れ合うのに忙しくて成長などしないだろう
そもそも貴方が友川なら 綾城を追い求めたい人物ではなく『到底手の届かないコンテンツ』として見るだろう
そもそも貴方が友川なら あそこで誰かしらに焼きマシュマロを送っている、もしくは正論で叩ける素材がないか血眼になって探すだろう
そんな貴方が友川なら、それはもう友川ではないだろう
この話はそんな貴方が友川であると仮定した時、貴方は『友川オルタ』であるだろう と主張する私による熱を出した日に見る夢みたいな話だ
上記の話がいやそうでもないな…という方は普通に純血友川だと思うので読まなくていい話です 他の記事を読んでください
まず友川にとって綾城は「到底手の届かないところにいる、けれど惹かれる人物」だ
そして貴方にとって綾城は「ギリ手の届く範囲にいてなおかつ尊敬に値する人物」だ
この違いは、読めばわかるとは思うが要するに登場人物か、読み手(神視点)かどうかの違いだ
この物語の終わりに友川は綾城に手が届いた それを知っている貴方にとって綾城は、『とてもすごい人だが何らかの奇跡(この場合友川の努力)によってなら手が届く対象』でしかなくなった
そういう対象が現実世界に存在するならどんな人物か、これは絵描きにのみわかりやすい表現になってしまうが『好きな人で片思いフォローをしていて、フォロバは帰ってこないがたまにRTやいいねが飛んでくる絵ウマ人』、または『好きな人で相互だが明らかに実力に差があり、なぜフォローをしてくれているのかわからない けれどたまにいいねはくれるしTwitter外での交流(乱入OKの絵チャとか通話)はおそるおそる行ってみることができる絵ウマ人』といった人物だ
相互である時点で後者の方が当てはまりやすいかもしれない、だが長期的に見れば前者も充分に可能性はある ジャンルが変わった頃にしれっと別垢で繋がれる事もあるのだから
貴方はそういう対象にある日突然スイッチが入って『好き!』になる事があるのだ
勿論貴方の観察眼が鋭いのであれば、ある日と言わずインターネットの海で出会った瞬間に『好き!』となるだろう これが友川に起こった現象に似ている上に混ざることもあるので実にややこしいが 勿論本件の貴方のものと友川のものは全く違う
貴方の『好き!』の瞬間には短時間で実に巧妙で打算的な判断がある それは
「到底手の届かないところにいる」か、
「ギリ手の届く範囲にいる」かどうかだ
もし貴方が前者であると思ったなら、それは相手を「コンテンツ」として見る事が決定した瞬間だ、貴方は昨今創作者に忌み嫌われる「創作者を、創作物を生み出す機械として扱う人でなし」になる ただ人によっては「コンテンツ」に感情移入し優しい言葉をかける奇特な方も居るが、そんな人も大抵暫くしたら飽きてポイしてしまう
それは貴方が『友川オルタ』として、魑魅魍魎の名に恥じない大惨劇を見せてくれることが決定した瞬間だ
好きな人が手の届くところに居る、話しかけたら親切に返事をしてくれる程度に程よい距離に居る、そして心も 手の届くところにあるという 確固たる自信があなたにはあった
その人が好きだ、どうしようもないほど好きになった、何故好きになったのかなんて些事にすぎない、きっかけはその人の作品なのだから その人の作品が何より好きなのだ
頭の中があの人でいっぱいになる なんでも許せる気がする 偶の陰鬱な愚痴も、優しい言葉で包んであげたくなる 不安げに投票機能で皆の反応を伺っていたら 空中リプライで貴方の選択が何より正しいと示してあげたくなる 収入があればある程度であれば貢ぐのもやぶさかではない、勿論感謝なんて必要ない 何かを捧げるだけで嬉しい気持ちでいっぱいになる それだけで十分元は取れているのだから……
さて、ここで相手がどう出るかによっては あなたの目論見は上手くゆかれないことになる その鍵となるのはその相手が「過去貴方のような人間に人生か心をぶち壊された、または危ないところまで行ったか 否か」だ
もし相手の人生が豊富なら 相手は貴方を拒絶するだろう もちろん貴方がそんな相手も騙し通せるほど人心掌握に長けているのなら 落としきることも不可能ではないだろうが
そしてこの相手の判断がその人にとって最後の砦になる 何から守る砦なのかというと、勿論貴方だ その人を頭から食らって骨までしゃぶる準備万端の 化け物から守る砦だ
そしてその砦が破れ、相手が貴方に心を開いた瞬間 それが終わりの始まりになる
何が起こるのか、ここまで読んだ方なら オチも何となく察しがつくだろうと思うが、ヒントは貴方の「到底手の届かないところにいる」相手への反応だ
そう、いずれ飽きるのだ
そこまでして傾倒した相手に飽きる、場合によっては嫌うこともある そうなれば地獄度は増すがちょっとズレるのでそれは置いておいて
なぜ飽きるのか?という話だ そんなに好きだったのに貴方は何故 一瞬にして尊敬すべき相手への興味をなくしてしまったのか 無視、ブロック、垢消しなどで相手を大なり小なり傷つけてでも逃げようとするのか
別の人が好きになったということもあるし、単純にジャンルが変わることもある、時にはSNSすら触らなくなることだってある
だってしょうがないじゃないか、あの人は「貴方に好かれているという立場にあぐらをかいて 特段貴方を繋ぎ止めようとはしていなかった」のだから、引き続き好いていようと、離れようと個人の自由だ
「私がなにかしたの?」と言うその言葉すら鼻で笑えてしまうほどにほとほと興味も尽きてしまった、ただそれだけの話
そうして貴方は、本当に手が届いてしまった「好き」の回数だけ相手に飽きてちいさな地獄を作ってその屍を背に生きていく まるで化け物だ この話のはじめに出した「友川」なんてかわいらしい年端も行かない聖処女のようだ
そんな貴方が「この話に感情移入するなら友川かな……あ!勿論こんなに頑張れるようなすごい人じゃないけどね……」と言っている
もう一度言うが ちゃんちゃらおかしい、自意識過剰も甚だしい、幻覚を見るのならもう少し現実を混ぜた方が幸せになれるというものだ
……ただそれでも貴方が「友川」であると言うのなら まさしく『友川オルタ』の名前が相応しいだろう
政府はこれからはデータを活用して稼ぐ力をと言っているが、統計データを活用するだけでは難しい。
内閣府が運用している「RESAS」という地域の統計データをグラフ化して表示してくれるもので、ハッカソンなども開催されているのだが、
将来の成長分野を示すデータであれば、そこに投資すれば良いということになるのだが、劣勢な立場になっている状態からの戦略が求められる。
衛星データから海洋のクロロフィルa濃度というプランクトンの濃度を測定できるのだが、濃度が高い所には魚が豊富にいることが知られているため、
気象予報のように精度よく予測できれば、不安定な収入の改善、無駄な漁場に移動するための燃料費の削減と労働時間の改善ができる。
海上保安庁が「海しる」という衛星情報や海洋情報を集約したサイトを公開していて、海の安全には役立つが、地方で儲けようと思ったときにデータの種類が異なっていて使いにくい。
他に、例えば、コロナで飲食店の開業が不定期になり地図で探して開店時間を確認しても、実際は閉店していたといった事態が存在した。
逆に開店していても、以前休みだったから閉店していると想像して行かないといったことも考えられる。
都心部と違ってお店が点在しており、車で移動しなければならないし、Twitterやインスタで店名を検索しても開いているかわからない。
これへの対応として、のれんを出すことで開店を示すお店であれば、のれんを出したことを重さや光を遮るといったことでセンシングして、Webの地図上の開店/閉店を切り替えるといったことはできるだろう。
店頭の看板にライトをつけることで開店を示すお店であれば、スイッチをいれたときに地図を書き換えればいいだろう。
上記は筆者が思いついたものなので、実際の商品・サービスがあるか不明だが、こういった課題と解決する手段がセットになった情報が少ない。
もしくは一度報道される程度で、後は口コミ頼りになってしまう。
スマホやパソコン、家電であれば、雑誌やWebサイトが定期的に更新されているが、BtoBは少ない。
プログラミングについて質問・回答できるWebサイトはあるが、BtoB向けの商品やサービスを質問・回答できるサイトや、リコメンドしてくれるサイトは少ない。