はてなキーワード: エッシャーとは
期せずしてゲーデル、エッシャー、バッハみたいになってしまったがそんなに高尚なことを書くつもりはない。AV、風俗、エロマンガとどれもエロを扱っているという共通点はあるのだが、やはりそれぞれに特徴があるのだなとふと思ったのでメモ的に。
一つ目は、電マの扱いが異なるということ。AVではかなり電マが多用され、電マを主題とした作品も少なからずある。風俗では使えるところが多いがオプション料金としては高めで高い金貰わないとやってられないできれば避けたいものであり、エロマンガでは電マが登場する作品はかなり少なく、タイトルにするくらいの扱いとなると見たことがない。(しーらかんす先生のGood Timeでは表紙の娘が持っているし使っていたけどそれくらい?)これは、AVでは1日あたりの撮影本数が、風俗よりも少なくイキ過ぎて体力的に辛いということが起こりにくいことと、感じ方の強さが強い方がカメラ映えするという理由によるのだろう。エロマンガでは感じ方の強さなど作者次第でどうにでもなるのであえて電マを使う必要がない。
二つ目は、アナルの扱いが異なる。アナルが多用される順は、エロマンガ、AV、風俗の順となる。これは、エロマンガでは前に入れようが後ろに入れようが、絵を描く手間にそれほど大きな違いはない、キャラクターがNGを出すことがない、という理由で気軽に使えるが、AV、風俗では、少なからず体にダメージがあるため気軽には使えないのだろう。それでもAVの方が風俗でよりも見かけることが多いのは電マと同様に撮影本数、営業本数(?)の差ということだろう。
以前から、AVで流行ったプレイは、数年以内に風俗のオプションとして人気になるなどという言い伝えがあったが、そろそろエロマンガから風俗へというルートも出てきているという話はまた次回にしますね。
「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
SFをもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。
「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。
ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔をきっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。
「つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています。
一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月「言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語や言語処理についての本が取り上げられています。
最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界』掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。
ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語に翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。
円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフがモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家」であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳・相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作と翻訳の交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。
最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔の小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚とちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔の小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔の小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。
「一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1
円城塔の小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論を確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。
数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数論 高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当に飛ばしましょう。
『考える人』2009年夏号 特集「日本の科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。
ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラス・ムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。
ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーとモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリーの地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます。
数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。
第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章でモンスターとムーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。
円城塔の小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。
確率微分方程式で有名な伊藤清のエッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。
やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。
本のタイトルを見て「力学系と力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系の歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているから大丈夫でしょう。
『Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔の小説に頻出する素材です。
とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます。読書メーターでは、最近出た『ダーウィンを数学で証明する』に対して「 チャイティンのチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています。
これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジック・ゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデル・エッシャー・バッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理は理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います。
円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月「ゲーデルさんごめんなさい」)。
初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。
『天体力学のパイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります。
別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。
追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思います。リストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学のパイオニアたち』『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブのコメントで言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。
お前もうすうす気付いてると思うんだ。この村は時空のハザマでループしてるって。発生源は村民の中の誰か。プログラミングを身に付けたい、でも身に付かない歯痒い思い。その人物を特定できりゃ早いんだが、虱潰しに探すにはもう人口が増えすぎてる。ループを抜け出す鍵は、村民全員が何でも良い、ひとつ以上の言語の基礎文法を完全マスターすること。でもこれは無理だ。
現実解としては…俺とお前と、やる気のある奴だけでコードを書くことだ。別に完全マスターなんてしなくてもいいんだ。
さて。
①はてな的プログラミング言語人気ランキング - Life like a clown 1144users
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tt_clown/20100202/1265096776
②高速でプログラミング言語をマスターするのに有効な記事まとめ - NAVER まとめ 2650users
http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2129649658966682001
③短期間でプログラミング言語を覚えるのに役に立ちそうなサイトまとめ | ラジック 1615users
http://b.hatena.ne.jp/entry/rajic.2chblog.jp/archives/51811716.html
2.まとめ出現「これはすごい」
3.それを覚えてたやつがVIPPERの質問に回答「しょうがねえな どんどん行くぞ」
4.まとめブログが捕捉
まとめのまとめのまとめ(時々劣化)を有難がるという構造。
VIPPERも村民も中の人は大体同じだろうし言わないよ? お前ら③の元スレの>1以下だなんて。自覚はあると思うし。
情報をまとめるという行為に価値を認めるのはなんというか社会的成熟の表れって感じで嫌いじゃなかった。メタだよね。村なのに現代的。でも水が流れ続ける有名なエッシャーの騙し絵よろしく、同じ空間を無限に下流に向かって流れ続けるのはいかがなものかと。
①と②が同日エントリーっぽいので断定するのもあれだけども、仮にですよ。数日後に③のブクマ数が①や②を完全に凌駕するようなことになったら…記事をまとめ直すだけで元記事より格段に釣られる人数が増えるなんて、どんな釣堀だよと。エントロピーのなんちゃら…は関係ないか。
新年度だし気持ちは分からんでもないけれど、2ヶ月という短期間でループが発生したのを目の当たりにしたので 自戒を込めて指摘
そもそもの各記事のタイトルにあるように「基礎文法」なんだから、皆さんサクっと完全マスターしてもっと上のレベルに進んでくださいよっていう思いもある。皆でbreak;
}
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
普通に、中請が無くなって、元請けと下請けだけになって、いんじゃね?
まともな、中小企業は逆に単価あがるとおもうけど?中請だけじゃ、どうせ造りきれないからw
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元請けにいたことがあるけど、中請がいないと、心配だからという理由だけで、中請を通ささせられる アホみたない、システムがあって、信頼できる下請けに出せなくて、信頼できない中請を通さないと行けなくて、何度泣いたことか。
結局、元請けとして責任取るタイプのリーダーの場合は、中請いらね。
責任取れない丸投げが元請けにいるから、中請通しちゃうんだよね。でも、その場合、おれは、その元請けがいらネーと思う。
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結局、なんつーかなぁ、技術のことを知らない経営者向けの資料を旨く書ける奴が、技術力がなくても、受注できて。
技術的にまっとうなことを書いているけど、経営者が理解できないから、受注できないってケースが多々あってそれを、元請けがちゃんと通訳すれば良いんだけど、通訳できない元請けがいる。それが害悪。
そして、それをわかろうとしない。エッシャーのだまし絵みたいな資料に騙される発注元で、デスマの責任が孫請けだとかいいやがる、責任を弱い物になすりつける、発注元・元請け・中請はいずれも害悪。
これ書いた奴地獄に落ちろ。フリーランスなめんな。偽装請負を仮に厳罰化したら日本の中小企業がどうなると思ってるんだろう。たとえ違法行為でもそれによって成り立っている産業が実際にあるわけだから、それを批判するのはナンセンスだ。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
これは、PSP・PS3用の新作ゲーム「無限回廊」の音楽が生まれるまでのエピソードである。
人生は自分自身から見れば一回きりだ。
しかしそれらの人生を傍から眺めてみよう。
すると、生まれ来て、そして死に行くそのさまは、
まさに無限に繰り返される回廊ではないか。
再び自分に視点を戻すと、人生にはさまざまなアクシデントがある。
気がつけば目に見えない人生のターニングポイントを通り過ぎていたり、
突然のジャンプでまったく別の世界に身をおくことになっていたりする。
ありもしない、理想の自分自身の影を目指して歩き続けながら・・・
そして最後は誰もが同じ死という生のゴールにたどり着いていく。
いくら廻りを見渡しても、私たちが自分自身である限りは
自分の前や後に、同じ回廊をさまよった人生があったのか
それともなかったのかを、わたしたちは知る由もない。
私は人生を繰り返すたびに気づかされている。
まるでこの無限の弦楽の重なりのように。
http://www.noisycroak.co.jp/diary/
「あるあるあるー。」
という異世界に迷い込んでしまった方は、
OLE Coordinate System というありえない徘徊行動を
行うソフトウェアの楽曲について調べてみて欲しい。
そこにはいつか見た来客が待ち受けているはずだ。