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はてなキーワード: 80年代とは

2016-09-11

スーサイド・スクワッドという映画があるらしい。このタイトル、清く正しく美しい日本語を愛する俺としては非常に遺憾である

あのなあsquadは日本語ではスコードなんだよ。それはもう80年代にスコードリーダーが発売された時に決まってるの。スコードリーダー知らないの?マジ教養ないな。もう論外。教養なさすぎて会話が成立しないわ。

2016-09-10

秒速5センチメートルを観ていて。

栃木県彼女に会いに行くために時刻表線路図にペンを引いている先で、

この映画を当時、映画館で観たときには絶対に気づかなかっただろうことに気づく。

東大宮駅がない!

お隣の土呂駅蓮田駅はあるのに!!

東北本線の長い歴史にあって、東大宮駅は大宮駅の真北なのに、

北大宮駅という三十年上の先輩がいたために"東"にさせられたかわいそうな駅だが、

それでも一昨年50周年を迎えている。

(地名が見沼市、もとい見沼区東大宮に変わったのは駅開業である)

断じて、'80年代開業土呂駅より省いて良い駅ではない。

大宮駅通勤快速に乗り換えたために何度通過したかからないが、

それでも社会人になってから住めば少しは愛着がわくものだ。

名簿に乗る無数の誰かは、皆、今もどこかで生きている。

一触即発地雷マスタを大量のドキュメント誓約書と一緒に触らされて、心苦しさばかり覚えるこの日頃。

郷土史好きの文系として、SF考証に( ´_ゝ`)な顔をしていた自分監督の脇の甘さをこういう形で知らされるとは思わなかった。

2016-08-23

リオ五輪閉会式が大評判だが、俺は認めない。国辱ものだ。

リオオリンピック閉会式での演出が評判だが、俺は認めない。

あんおっさん、おばさんの懐古趣味でまみれたショーなんて見るに耐えない。

マリオキティちゃんドラえもんなんて80年代に全盛だったもはや「懐かしネタ」。

東京夜景などを使った都市イメージなんて、沢田研二TOKIOのもの

Ryu's Barか、ここは? 村上龍坂本龍一がしたり顔で日本を語っていたこから何ら進歩していない。

ショー全体は80年代の景気がよく、技術的にも存在感を示せていた時代を懐古したものしか見えない。

これは日本の文化が停滞しているという敗北宣言だと思う。それを国際的イベントでやるなんて国辱ものだ。

真鍋大度中田ヤスタカMIKIKOといった布陣が最新の才能を取り入れているじゃないか、というかも知れないがこれは全員Perfume陣営Perfumeテクノポップを懐古した企画ユニット。つまり人選からして80年代の「景気のよかった日本」に引きずられているのだ。

全体的にテクノオリエンタリズムイメージ引用した古臭い東京が展開されていた。これが1988年のショーだと言われても、何ら違和感なく受け入れられるだろう。いや、今が1988年だったらよかった。それだったら、この手放しの絶賛も納得できる。だが、今は2016年だ。

ここ30年の文化的な成果が何一つ取り入られていない。それが悲しいし、こんなのが手放しで絶賛されている状況に、絶望を覚える。嫌悪するね、はっきり言って。

2016-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20160821115255

時代時代によって強い時と弱い時がある。

それはたぶん監督選手に恵まれてるかどうかによる。

今だとレスリングが絶好調だけど、吉田沙保里のような強い選手が強い選手を集めている感じ。

で、バスケは知らないけどバレーは前回の東京オリンピックから80年代にかけては強かったんだよ。大林素子の全盛期

2016-07-31

なんで国鉄分割民営化をしたのかっていう

 JR北海道ヤバいということで、分割民営化おかしかったのではみたいな議論が出ているから、分割民営化の経緯の要点を書くぜ。

 まず「民営化」の方。

 そもそも国鉄独立採算制であり、要するに税金運営されていたわけではない(ここ勘違いしてる人がとても多い)。しかし、それでありながら経営の最終決定権は国にあったので、だいたい以下のような具合になった(数字はてきとう)。

 自民党「これを作るように」

 国鉄「これ2兆円かかるけど、うち1兆円しかないんですが」

 自民党「いいから作れ」

 社会党運賃の値上げや人員整理は許さないぞ」

 国鉄「仕方ないので足りない分は借金します」

(数年後)

 国鉄借金の利子が利子を呼んで手がつけられなくなりました」

 「政府が金は出さないが口は出す」というどう考えてもヤバい体制であり、これなら「金は出されないが口も出されない」民営の方がマシやんけ、というわけである。これは国鉄できた当初から予見されてたことであり、産業能率会議(昔そういうシンクタンクがあった)なんかは、50年代60年代に2度にわたって「これ将来絶対破綻するから、分割民営化しないとヤバいって! せめて、公社のままだとしても口を出されないシステム改革しなきゃ!」と政府提言していたのだが、まあガン無視された。

 要するに国鉄民営化は、50~70年代政権与党の無策の尻拭いであり、「中曽根ちんが国労つぶしのためにやった」なんていうのはそれを糊塗するためのおためごかしに過ぎない(早川タダノリとかフジヤマガイチとかの有名なリベラルアルファツイッタラーがこの見解にガン乗りしてるのは謎だが。君ら本当はネトサポなのでは?)。中曽根ちんは確かに国労嫌いマンだけど、第二次中曽根内閣運輸大臣に分割民営化反対派の細田吉蔵を据えるなど、民営化に関して途中まで党内風見鶏に徹してた人でしかないし、国労80年代には主流派社会党右派)・非主流派社会党左派)・反主流派日共)の内部対立がひどくて(その結果が86修善寺大会よ)往年の力なかったから、民営化なくても崩壊しそうだったやないか。分割民営化のせいで国労崩壊したというのは、原爆投下のせいで日本は負けたと言ってるようなもんで、最後のひと押しを過大評価している。スト権ストの大敗北がミッドウェー、マル生粉砕が南部仏印進駐とみるべきじゃないですかね。マル生粉砕の成功が致命的な失敗やでほんと。

 で、もう一つの点、「分割」である

 これは、当時の国鉄が極端な東京中心地方軽視主義だったことへの対策である。いやほんと、国鉄時代時刻表JR後の時刻表と比べてみれば分かるんだけど、国鉄時代地方ダイヤってスッカスカだぞ。あと東北地方とかが本当にスピード遅くてさあ……(国鉄ローカル線用に、うんこみたいな性能でスピード出ない上に排ガスがひどく、排熱管のオーバーヒートが原因で発火しやすいので安全性もクソという、褒めるところのない内製エンジン積んだ車両しか入れなかった。地方民の利便性より内部の論理が優先されていたんであるJRになったら海外メーカーの高性能エンジン積んだ新車積極的に導入したのでめっちゃスピード上がった)。別に今のJRだってそこまで地方大事にしているわけではないが、国鉄との相対評価でいえばめっちゃ大事にしてる(各社でバラつきはあるが)。組織デカくなると、何をやるにも本社の顔色をうかがうようなことにどうしてもなるという話ね。

 というわけで、各JRはある程度小さめに分割しようという話になっており、実際当初は本州を5分割(東北上越東海道山陽の各新幹線沿線関西北陸)した8分割案が有力だったのだが、線路を共有する東北上越分割の難しさなんかがあって、予定よりも会社の規模が大きすぎる本州3分割になったのだった。東海については、名古屋大阪の下につける本州2分割案には名古屋政財界からの非常に強い反発があったため、当初の予定に近い形で割った。

 で、こうしてできたJR各社の経営状態には差があるわけだが、別にここを何も考えていなかったわけではない。本州3社には国鉄債務を渡して利子で苦しんでもらい、3島会社には債務どころか逆に「経営安定化基金」という補助金的なものを渡すことでバランスを取ろうとしたわけである。よく「JR北海道赤字になると分からなかったのか」ということを言う人がいるが、「赤字になることが分かっていたのでその対策もしたのだが、それでもダメになってきた」が正解である

 諸々の詳細については、今では『戦後史の中の国鉄労使』『国鉄最後ダイヤ改正』などいろいろといい参考文献が出ているので、気になる人はそういうのを読んでね。

 ちなみに今後のJR北だが、まあ厳しい。再国有化上下分離を言う人もいるが、国も道も沿線自治体沿線住民も、そこまでしてローカル線を残したいとは思ってないだろうしなあ。交通弱者の話にしたって、「バリアフリーとかにまでは手が回らないローカル鉄道に金を投じることが、その金をバス福祉タクシーなどの補助に全額ベットするよりも交通弱者に優しいと、お前心の底から断言できるの?」という話になる。鉄道交通弱者にも十分優しいのは都会の話であり、みなバスの強さを過小評価している。インフラ税金で維持されるべきだが、いつでも鉄道ベストかは本気で考えなきゃいけないところだぞ。中標津や音更、中札内など、鉄道廃止されてからの方が街が栄えてる例というのも道内にあるしな。

http://anond.hatelabo.jp/20160731075319

古参オタクノスタルジーと思えばよくある(聞き飽きた)述懐なんだが、それを裏返すとそれなりに新鮮に聞こえるという実験か。

もし本気で書いているなら、とりあえず同世代随一の80年代研究者を目指せばいいと思うよ。

2016-07-15

80年代バイバル

何かにつけてインターネットミュージックでも、ファッション?でも、普通音楽でも

80年代(70年代後半〜90年代はじめ?)がリバイバルされてるけど、なんでなんかね

でいつ終わるんだろこれ

TM80年代だし

シャー、シャーって音だよ

80年代っぽい音

80年代っぽいシンセサイザー

小室哲哉みたいなシャー、シャーって感じの音

80年代っぽいドラム

ロマンチックが止まらないみたいなモロなシンセドラム

80年代っぽいギター

安全地帯みたいなフニャーンフニャーンという変な浮遊感のあるギター

ってことでこれこそが80年代っぽい音だって曲があったら教えてくれ

2016-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20160711151618

一概にそういうわけではない。

日本選挙制度がそうなっているだけ。

日本は70〜80年代にかけて、幾度もの自民党単独強行採決と長い成熟時間をかけて、選挙与党自民党に有利になるように、野党に不利になるように、制度を改変してきた。

そのころ野党統一候補という概念はなく、合計では圧倒的多数となる反自民票を四分五裂させ、つねに自民党独裁を許していた。

その結果が今だ。

2016-07-02

昔話

会社の後輩のことをふと思い出したので書く。

思い出したキッカケはなんだったろう、

少なくともこんなことを何年ぶりにでも思い出すのなら、

それなりのキッカケがあったと思うのだけれど、

今しがたご飯を食べた店で80年代洋楽が流れていたせいかもしれないし

たぶん、昨晩、ReLIFE1話を見たせいかもしれない。

ReLIFEには小野屋杏というショートカットメガネキャラが出てくるけど、

の子はそんな風貌だった。

アニメだと他には「境界の彼方」の栗山未来が近いだろうか。

小さめの鼻にずり落ち気味のおおぶりなメガネ

ほぼすっぴんの顔にボサボサのショートカット

せっかくの整った顔立ちが台無しだった。

少なくとも社会人としては通勤するってレベルじゃねーぞという程度には失格ではあった。

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の子自分が4年目の時に新卒として入社してきた。

自分のいた会社は同期が3名いたけれど、3つ上に2人、

1つ下がいなくて、2つ下に2人、そんな人数しか取らない会社で、

の子が2つ下の新人に続き、自分部署に配属されてきた。

同じ部署に2年連続新人が入るなんて、と部のみなが喜んでいた。

新卒はだいたい、自分がそうであったように、他の熟練して余裕のある人につくのだけれど、

それとは別に正式ものとしてではなく、自分が時々声をかけることが求められた。

の子はその飾るという概念の欠落した相貌に似つかわしく、

媚びることも恐れることもなくそして、可愛らしい声を出すでもなく、

ごくごく普通に自分に話しかけてきた。

センパイちょっとからないことがあるんですけど」

センパイ、今ちょっと教えて頂く時間ありますか」

センパイFAX届いてました」

(そう、その頃はFAX普通に使われていた)

と常に先輩、という呼びかけで。

会社内の先輩後輩の関係にすぎないし、色気付いてないような外見のままだし、

から、異性として自分をみていたとは思えないし、単に先輩としてしか接してなかっただろうけれど、

から見ているとほんとうによく懐いていたみたいで、自分がついていた先輩にも

おまえらお似合いだから付き合っちゃえよ」

なんて何度か言われつつも、こちらも風変わりな後輩か、

よくてもせいぜい妹みたいにしか見えていなかった。

センパイ」が「おにーちゃん」だったとしても大して違和感はなかっただろう。

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職場自体は、会社部署も小さくて、みんな仲も良かったから、

オフでも年齢の近い同僚3-4人でスキーに行ったり、20人もいない部員

BBQキャンプに行ったり、というようなこともよくやっていた。

今では考えられないような職場

ある時、同僚の別荘に泊まった時に自分が朝食を調理したものの、

自分は知らなかったその子が食べられない食材が入っていて、

センパイ、私これ食べられないので残していいですか、ごめんなさい」

申し訳なさそうに言ってきたようなことがあった。

その次にそういう機会があった時はもちろんその食材を抜いて

出したわけだけど、その子はちゃんと

センパイ、覚えていてくれたんですね!ありがとうございます!!」

と喜んでくれたなんてこともあったのだった。

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彼女政治学で有名なアメリカ大学を出ていた。

ハーバードMITのように誰もが知る、というわけではないけれど、

多少アメリカへの留学を考えたことがあれば、耳にしないことのない大学だった。

高校の途中からずっと行っていたらしく、その話を聞いて、

ああ、だから普通女の子っぽく飾らないのだなと思ったのだけれど、

そんなだから独特のセンスで、

センパイソニーってあるじゃないですか、あれどういう意味なんですか」

ソニーって見るとSo New Yorkって書いてあるみたいにみえちゃって、ぷはっ」

「なにがそんなにニューヨークなんだろう、おかしくないですか?おかしいですよね!ぷははは」

などと人に話しかけておいて、ひとりで笑っていた。

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そんな彼女の経歴は時に飲み会などで苦労する理由にもなっていた。

ある時、所属していた部署カラオケに行った時に、全員が何か歌うことになった。

順次歌う中で、その子が入れた曲はBanglesの何かだったけれど、

そもそもカラオケなど歌ったことのなさそうなその子は歌えるでもなく、

困っていたので、自分が入っていって一緒に歌ったのだった。

翌日、その子が出社早々に

センパイ、昨日はありがとうございました」

って言いに来てくれたけれど、

それが最高の笑顔だったらドキッとして落ちたのかもしれなかったけど

の子は実に彼女らしい幼い笑顔ニコニコしていて、

自分としても、ああ、自分もあの曲好きなだけだから、という程度の

会話をしただけだった。

本当はそれが最高の笑顔だったんだろう、

思い出はそうやって美化されることでいい思い出たりえる。

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それから間もないある時、

そろそろその子も独り立ちさせようなんて部内が話が出ていた時、

の子も独り立ちするための準備をしていたのだろう、

センパイ、ここちょっと教えてほしいんですけど」

なんて質問が来ることが増えていた。

自分ももう若手としては十分に仕事が振られて忙しかったし、

もともと他人に頼り過ぎない文化のある会社でもあったので、

「あ、いいけど、そろそろ自分でやること覚えたらどうかな」

なんて突き放したことがあった。

の子は一瞬寂しげな顔をして、

「わかりました、センパイ

と言って自席に戻っていった。

の子はそれ以来、仕事に関して何かを自分に聞いてくることは、なくなった。

たぶん、それがその子との会社での最後の会話だったように思う。

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それから間もなく自分転職し、業界内でもトップを誇る会社に移り、

忙しさにかまけているうちに、前の会社とは疎遠になっていった。

そんな中でも、自分が辞めて数ヶ月もしないうちに、その子が辞めて、

同業他社に移るでもなく、国連機関に入ってアフリカにいったのだという話を

風の噂に耳にしたのだった。

その後も前の会社の人たちともたまに飲みに行ったりした時など、

の子話題になっても、誰も行方を知らなかった。

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それから何年も何年もして、mixifacebookが出てきて、

古い友人を探すような時に、思い出してはその子のことも検索していた。

同姓同名で、ぼかされているが似たような経歴のようで、年齢も近い、

でも見た目は全然違うような人も検索結果に出てきたりした。

まさかと思いつつ、「もしや○○年頃に、○○で働いてましたか

もしそうなら同じ頃に会社にいた○○ですけど、覚えてますか?」

と、メッセージを送ったこともあったけれど、返事が来ることはなかった。

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たぶん、これから小野屋杏や栗山未来を見るたびに思い出すような気もするけれど、

ふと思い出す昔話の、このキュンと来る感じは、とても大事ものに思える。

この彼女に関していえば、こういう感じはもうしばらく得ることはないだろう、

と思ってどこかに記しておきたかったのだった。

2016-06-30

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。

泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

2016-06-29

涙で揺れちゃう月の世に

恋は白いブランコ

不思議乙女心



白いは余計な情報ですよね?

こういうの詩的っていうんですか?

ガンダム羽根生やしちゃうんですか?

って、ううきまさみが愚痴ってたけど、

レイバーを空飛ばすのも、十分詩的だと思うけどなあ。


あ、あれ? 犬だ! 犬がいるぞ!

タマネギ食べさせても死なないアニメ監督わんわんがいるぞ!

そばに七味を山ほど入れるぞ! キモい


あ、あれ? 色黒宗教大好きだ! 色黒宗教大好きがいるぞ!

へその緒食べないと死ぬアニメ監督ろくろがいるぞ!

市販野菜ジュースには栄養がないって言うぞ! キモい


あ、あれ? メカ音痴メガネメカデザイナーがいるぞ!

エルフの耳を長くしたアニメ監督めがねめがねがいるぞ!

ハラトモヨサン

ヨナ

って言うぞ! キモい


あ、あれ? 声優を嫁にしたクリスがいるぞ!

映画館ゴティックメードがぶつかり合う、鉄と鉄がぶつかり合う音を収録するために二年間かけたアニメ監督ばんどまんがいるぞ!

おわかれだヨ

達者でな

お前といられて

すんげえ幸せだったぜ

繁代……

って言うぞ! キモい


あ、あれ? ここに10万人の宮崎勤がいます! って言ってないことを証明した漫画家がいるぞ!

この人のことは本当に好きなので揶揄いません。

それじゃあ、みんなも、80年代90年代アニメ漫画関係者をこのテンプレートで弄ってね!

長谷川裕一ハゲに「お赤飯がまだの女性にそういうことするのはよくないですよ」って説教されたエピソードとかを盛り込むのがコツだよ!!!!!

う、うわーーーー! 石田敦子の元にお見合い写真が大量に送られるよーーー! 助けてーーーーーー!

2016-06-28

ロキノン系邦楽ファンに聴いて欲しいヴィジュアル系

La'cryma Christi 初期はプログレっぽい

プラスティックトゥリー 初期はキュアなどニューウェイブに似てたけど、最近シューゲイザーとかオルタナっぽいことやってる。

L'Arc〜en〜Ciel 上のバンドと同じくキュア好きらしい。

LUNA SEA 初期はダークなニューウェイブギターがたまに80年代キングクリムゾンっぽい

deadman このバンドは最高。ニルヴァーナ+ヴィジュアル系ギターの人がラルクサクラ活動

the god and death stars デッドマンギタリストがやってる。ニルヴァーナ+中島みゆきらしい

9goats black out ひたすらダークなアルペジオ

emmureeとmunimuni ポジティブパンク意識してる

カリガリ メンバーニューウェイブマニアベースが上手い

SUGIZO ルナシーギタリスト

2016-06-21

大宅壮一文庫TV版がほしいのに誰も作らない(作れない)クソ社会

大宅壮一文庫」が存続の危機に|NHK NEWS WEB

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2016_0621.html

戦後雑誌を網羅している私設の専門図書館大宅壮一文庫

文化風俗流行・世相を知る上で雑誌はかかせない。

しかし少なくとも80年代後半から日本では、雑誌新聞以上に世相を知るのにかかせないのがテレビだってことには誰も異論は挟まない。

その時から日本ワイドショー情報番組支配された。

80年代まれの者はテレビ洗脳された。

過去文化の広まりを知る上でテレビは欠かせない。

しか過去放送内容を研究者自由に手に入れることはできない。

大昔のフィルムは残ってなくとも、80年代以降の放送内容くらいはテレビ局に残してあるだろうに。

テレビ反省しないのは、放映しっぱなしでアーカイブを残さないからだ。(新聞社でも縮刷版残さないとこあるけど)

放送された全てのテレビ番組が録画され、そこに行けば誰でも自由に視聴し、参照することができる、テレビ大宅壮一文庫のような場所を作るべきだ。

例えば、10年前に「福島瑞穂朝まで生テレビでこんな酷いことを言った」というデマコピペ流行り、検証するのに非常に面倒くさい方法が取られたが(2chの実況ログから検証された)、テレビ文庫があればそこへ行って過去朝生をチェックするだけで、デマだと簡単証明することができた。

例えば、舛添の政治資金問題に多大な放送時間を割いているワイドショーに疑問を抱けば、過去政治家政治資金問題放送時間と比べて、その異常性を調べることができる。

今、非合法的にだいたい全ての番組が一旦はアップロードされるようになっている。しかし、権利者に即座に消され、アーカイブとして残ることはない。

よくネットでは、「○○の言葉はどんなふうに広まった?」みたいな記事が人気になり、新聞雑誌を中心に調査されているが、テレビを調べなくてどうするんだっていつも思ってた。

何かテレビ無視されている。調べられないのは分かるけど、それならそうと言及すべきだろうと。それもこれも、テレビが全くアーカイブを残さない、公開しないからだ。

別にネット自由にさせろというわけじゃない。しかるべき場所しかるべき人がしかるべき手続きを取れば、誰でも視聴し研究できるように保管されてればいいだけなのだ

しかしそういう文化的行為に全く無頓着民放テレビ局広告代理店はほんとクソ

音楽家はもうちょっと大人になるべき

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/989697

このネタ、定期的にやってくるね。見るたびにほんとクソだなって思う、こういうこと平気で言うアーティストって。

結局、世の中の事象を表面的にしか捉えられない極めて残念な頭脳の持ち主だってのが露見するからこういうのはできるだけ見たくない。

CCCDレーベルゲートCD(以下CCCD統一)は、別に必要が無いのに突然作られたわけじゃない。ビジネスとしてそれが必要だと判断されたから作られた。それが成功か失敗かに関わらず、産業を護るための1つの手法として作られた。

当時、音楽世界を猛烈な勢いで襲ってきたのは、「印刷技術陳腐化」と、「それに伴う経済圏破壊」だ。

音楽が、中世パトロン音楽家が養われていた時代から先に進めたのは「印刷」の技術のおかげだ。楽譜印刷し、アナログレコード印刷し、そしてCD印刷することで音楽お金に変えることに成功した。1つのマスターを大量に印刷し複製すること、その「印刷」が特別技術であったからこそ、そこに金銭的な価値が生まれ音楽を金に変えることに成功した。

マネタイズが上手くいった場合恩恵などいまさら語ることではないと思うが、その金がさらなる設備投資を生み、最高峰音楽スタジオを作っただけでなく、作品多様性文化としての多様性をも生んだ。1作品の売上で1度失敗したらすべてが終わる世界ではなく、大衆に広く伝わる音楽から、極めてマニアックでありながらしかし深く深く誰かの胸に突き刺さるような、採算を考えたら許されるはずのない作品さえも許容できる余裕が生まれた。80年代90年代音楽を見ればそれは一目瞭然であり、多様性こそが文化としての豊かさだというのは誰の目にも明らかだ。それもこれも、マネタイズが上手くいっていたか可能になったことだ。

この辺の「ありがたみ」を、元記事音楽家などはきっと理解していないんだろうと思う。もっとも恵まれ時代活動し、勝手に思うがままにできていた世代特有傲慢さ。プラットフォームを築き上げることがどれだけ大変で、それを維持することがどれだけ重要なことか、まったく理解していないんだろう。いい歳こいてるくせに。

それらの恵まれた状況をもっとも大きく変えたのは、「家庭用パソコンCD-ROMドライブが搭載されるようになった」ことに他ならない。その時点で「印刷」の専売特許が失われ、「印刷」が家庭レベルに落ちた。誰でも印刷ができるようになってしまった。ここでいう印刷とは、CD-Rに焼く行為のみならず、HDDデータを取り込む、そのデータコピーする、これらすべてがつまるところ「印刷」だ。誰でも自由印刷ができるようになった時点で、そこに金銭的な価値を維持できるような専売性は無くなった。

それをいち早く察知したのは、アップルグーグルだ。彼らはしきりに「おまえの持っているCDパソコンに取り込め」とけしかけた。とにかく入れろ入れろとしきりに促した。同時に「その取り込んだデータをどうするかはおまえ次第だから知らないけどな」と、極めて狡猾な態度をとり続けた。スティーブジョブズが本当に音楽家を救いたかったのだとしたら、やるべきことは人々にCDパソコンに入れさせコピーさせることでは無いことは彼も気付いていたはずだ。気付いていながら彼は巧みにポジショントークを繰り返し、自社製品を売り、むしろ自社製品音楽を救うとまで言ってのけた。そして、それに音楽家たちはまんまと騙された。

音楽パソコンにさえ入れさせれば、後はユーザー勝手コピーするなり、ネットにアップするなり、金も法も関係なく勝手にやり始めることを彼らは知っていて、それを積極的に促した。

なぜ彼らはそれができたかといったら、それは「彼らは音楽投資をしていなかったから」に他ならない。制作費やスタジオ設備に一銭も出していないからだ。音楽CDプラットフォームを作ると同時に音楽制作も始めたソニーには、ビジネスを通じて音楽文化を育てる気概があった。対してアップル音楽制作には一切触れようとしない。彼らは単に、はちゃめちゃコピーマシンと、投資はせずに回収だけするプラットフォームを作り上げただけだ。

そうやって彼らが「パソコンにじゃんじゃんCDを入れちゃって~」とやり始めた時、当然、それに抗わなくてはならなかったことを想像もできないようなら、もう一度中学生からやり直した方がいい。

コピーコントロールCDという名前が表すように、コピーコントロール、つまり印刷」をコントロールする必要があった。そうしないと、音楽を育むための全ての経済圏破壊されてしまうからだ。指を咥えて待っているわけにはいかない。対策を講じなければならない。

明らかに不利な立場だった。何もしないと責め立てられ、やろうとすると「考えが古い」と叱責される。アップルグーグルが上手かったのは、いかにも「先進的で素晴らしいパラダイスを目指している」ようなイメージアーティストたちへも擦りこむことに成功していたことだ。その先に実際には何もなくても、イメージさせてしまえば勝ちだ。あの頃のみんなに「10年後、音楽アイドル大人ホストサーカスしか残ってないよ」と教えたらどんな顔をするだろうか。

実際にはCCCD技術はあまり褒められるようなものではなかったし、それは作った側も認めている。技術アイデアが足りなかったのだとは思う。しかし同時に、何もしないわけにはいかなかったこともちょっと理解してやったらどうだ。いい大人なんだから

当時、全てのレーベルCCCDを出していたわけではない。人を「犬」呼ばわりするほどCCCDが嫌なのだったら、違うレーベルからリリースすればよかったではないか契約などのせいでリリースせざるを得なかったのだったら、裁判でもやって争えばよかったではないか制作費をしこたま出して貰って、ワガママもできるだけ聞いてもらいながら制作をしていた人間が、気分でボロクソに言うのって本当に程度が低いと思う。

CCCD正式にはコンパクトディスクでは無い。redbookのCD-DA規格に準拠していないからだ。つまり厳密なことを言えば、CCCD対応していないCDプレーヤーCCCDをぶち込むのは、CDドライブにフロップーディスクをぶち込むのと大して変わらない。

ここで「だからプレーヤーが壊れたのは自己責任」などとは言いたくないし、その辺りは確かにソニーエイベックスのやり方や啓蒙の仕方、技術には問題があった。 だが、何かしらの対策をしないといけないのは明白で、それに対して失敗したからといって上から目線でボロクソに言うのはまったく関心しない。

実際、あれからCCCDは多くの非難を浴びた。ほぼ同時期に、アップルiTunesにまったくもってクソみたいに使いにくいDRMを自ら導入し「ほら、使い辛いでしょ?」とお決まりポジションで言ってのける演出をし、そして業界全体が「コピー禁止DRMはやってはいけない」という風潮になり、まんまとIT屋の餌食になった。 すぐ近所でゲーム映画DVDは「私的複製許可するけど、鍵は外したら怒るよ」というクレバーなやり方を開発し、一定の効果を上げコントロールできているというのに、音楽だけは「複製は許さなくてはならない」という空気に飲み込まれた。そんな馬鹿な話はない。それもこれもアップルグーグルの熱心な啓蒙のおかげだ。

そしてレーベルアーティスト制作費が出せなくなった。 自宅で制作したような貧乏臭い音のショボイ作品しか作れず、過去遺産にしがみつくしかなくなった。若いアーティストたちはどんなに才能があろうと、お金を掛けた制作をさせてもらえずバイトをやめることができなくなった。毎晩、叙々苑弁当を食わせてもらってた上の世代がこぞって「音楽をタダで聞かせればファンが増えてもっとカネになる!」とかいうアホみたいなIT屋の理論鵜呑みにし業界をその方向へ誘ったがために、明らかに業界は縮小し、文化は萎縮し、これから先の若い才能は音楽などやらなくなってしまった。

おまえが良識のある音楽家たちを「犬」呼ばわりするなら、おまえはあいつらのポジショントークセールストークを無邪気に信じこんでお花畑を目指してたIT「犬」だろうが。    mn3

2016-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20160616185332

「今現在の傾向」がどうなのかは知らんが

もともとは女性の方が足が長いファンになると言われてた

いつまでも細々と80年代アニメ同人誌を出し続けたりな

現代っ子」の腐女子に移り気な傾向があるかは知らんが

それは「女性」の傾向ではまったくない

しょせん世代論くらいの傾向

2016-06-15

AVの本番行為を潰しても出演強要問題解決しないんじゃないのか?

大手AVプロダクション社長逮捕 女性「出演強要された」 労働者派遣法違反容疑

http://www.sankei.com/affairs/news/160612/afr1606120006-n1.html

ブコメでも多くの人が指摘していますが、女性が出演強要警察相談したのになぜか本番の有無が問題になっています

ヘタをすると自由規制されたのに強要は温存されているということにもなりかねません。

本番行為が無いというのと騙しや出演強要が無いというのは別の話です。

チョコボール向井氏は「いまとなってはかなりクリーン業界で、騙しとかはないんですけどね。」としつつも、次のように語っています

AV歴史をたどると、80年代は騙しが多かったんです。「雑誌取材ちょっと裸になるだけだから」といって、AVのことを知らせずにつれてくるんですよ。そういった子たちはプレイの時も体がひらかないので、こっちとしても辛かったですね。当時の擬似プレイも、これを考慮していたんだと思います。」

教えて、AV業界の裏側!新宿2丁目伝説AV男優に会ってきた - りょーすけネット

http://www.ryosuke-takano.net/entry/2016/05/19/115049

ついでですが、昔(80年代ごろ?)のエロ本については、川本耕次ポルノ雑誌昭和史』(ちくま新書)で次のように書かれています

常識的に考えれば「カメラの前で裸になってくれますか?」と聞いて「はい」と返事をもらってから撮影に入るべきなんだろうが、実はこれではうまく行かない。

 それより、エロ本だという事実を隠してとにかく撮影に入ってしまう。下着の撮影だという事にしておけば良い。」

「みんなの足を引っぱって邪魔しないように懸命なような、まあ、そういったマジメそうな女の子がカモで、それも一人で帰れないような遠くに連れ出してしまえば拒否しづらい」

「よく誤解されるのだが、エロ本出版社というのはヤクザ暴力団がやっているわけではない。ヤクザっぽい人がやってるわけでもなく、ごく普通の人がやっている。」とも書かれてるんですが、カタギの人間結構無茶をするものです。

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