はてなキーワード: 真鍋大度とは
あんなおっさん、おばさんの懐古趣味でまみれたショーなんて見るに耐えない。
マリオ、キティちゃん、ドラえもんなんて80年代に全盛だったもはや「懐かしネタ」。
東京の夜景などを使った都市のイメージなんて、沢田研二のTOKIOそのもの。
Ryu's Barか、ここは? 村上龍と坂本龍一がしたり顔で日本を語っていたころから何ら進歩していない。
ショー全体は80年代の景気がよく、技術的にも存在感を示せていた時代を懐古したものにしか見えない。
これは日本の文化が停滞しているという敗北宣言だと思う。それを国際的なイベントでやるなんて国辱ものだ。
真鍋大度、中田ヤスタカ、MIKIKOといった布陣が最新の才能を取り入れているじゃないか、というかも知れないがこれは全員Perfume陣営。Perfumeはテクノポップを懐古した企画ユニット。つまり人選からして80年代の「景気のよかった日本」に引きずられているのだ。
全体的にテクノオリエンタリズムなイメージを引用した古臭い東京が展開されていた。これが1988年のショーだと言われても、何ら違和感なく受け入れられるだろう。いや、今が1988年だったらよかった。それだったら、この手放しの絶賛も納得できる。だが、今は2016年だ。
ここ30年の文化的な成果が何一つ取り入られていない。それが悲しいし、こんなのが手放しで絶賛されている状況に、絶望を覚える。嫌悪するね、はっきり言って。
私はもうメーラーを開いてはいられなかった。私は電話の電源を切らざるを得なかった。
私は割と優秀な人間だった。
しかし私はしばしば人間として扱われなかった。汐留とか赤坂の会社の人間に、そのクライアントに、その下請けに。
私に会った時、彼らは侮蔑語をさも素晴らしい冗談かのように、場を和ませるアイスブレイクかのように私に浴びせた。私は都議会で産めないのかとの罵声を浴びた女性議員のように苦笑いした。私は彼らのあまりの時代錯誤な態度に、もはやなにも言えなかった。汐留の社員は未だに、営業での心労を武勇伝として語ってくる。それが偉いことのように。彼らはそれがもはや昭和の汚物だと言うことを知らない。
別のある時、私は彼らの要求にしたがって仕事を進めた。私は彼らからの連絡を四六時中受け取ることになった。彼らは深夜に労働することがさも偉いかのように深夜にメールを、メッセージを五月雨式に投げてきた。私は枕元のスマートフォンでそれを見た。私は疲れ果てた。
真鍋大度も今の若者はメディアアーティストにはならず、スタートアップに行くと言っていた((http://togetter.com/li/812920))。私はそこまで若者ではないが、私もまたそれに同意する。私は、スタートアップで人間扱いされたことがある。
私の理性は、広告の人間すべてが上記のような人間ではないと言ってくる。そのような判断は私が感情に負け、理性を諦める証拠になると理性が囁く。私はまともな広告の人間を知っている。私はメーラーのフィルタの設定方法を知っている。私の心は昨日壊れた。私はもう広告を信じない。