はてなキーワード: 要出典とは
虐待のニュースとか見てると社会は女性の教育に失敗しているように感じる。
女性特有のルールに基づいた、共感ベースのコミュニケーションは価値観の似通った仲間内では上手くいっても、
価値観の異なる他者に対しての攻撃(悪口など)がさらに共感ベースのコミュニケーションによる一体感に繋がるからである。
そういう集団と上手くやるためには、共感ベースコミュニケーションでは上手くいかないように思う。
客観的事実に基づいた議論が必要だが、一般的に女性が苦手とされている。(*要出典)
事実ベースの議論によって両者の利益を守るという視点が持てない。
へえ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/pokonan.hatenablog.com/entry/2014/12/01/231744
tikani_nemuru_M 制服は個々人の内面性を捨象して記号化する。記号だから、勝手なファンタジーを投影する対象として制服はとても向いているわけだ。
Domino-R 制服は「拘束されてる」「主体性が無い」というメッセージなのよね。それを「許されてる」と信じ込むのは男の思考のいつもの癖w。逆に私服だと反撃されそうで怖いの。
CelestialFire 制服が単にオッサンの欲望の対象でしかないならブルマみたいに時代の流れであっさり消滅しているはず。当事者たる女子たちも制服に何らかの価値を見出しているからこそ、今に至るまで生き残っているのではないか。
gambol 触るやつらは、制服をきたAKBは触れないけど、電車内のJKは触れる。ってことなのかしら。制服で個性が埋められて、中の人の事情なんか考える想像力がないんだと思う。
skgctom 学校制服を校則通り正しく身に付けると「大人しく弱く従順そう」を体現した記号になってしまうからな。子供に無垢で従順でいて欲しい大人の下心が、そのまま異性の下心に転用されているって感じ
ズイショさんが言ってたから、オレの私家版を公開しとくわ。
これに3つ以上引っかかったらブコメ待ち、ビジネス界隈ならやまもとい<検閲されました>さん待ちになる。
「私は」「自分は」でなく、自分を含む某かのグループを持ってくる。
これが「スリランカでは」等の記述者と関係の無い対象に言及していると、間違いや勘違いは指摘されたらそれで終わり。
あくまでもポイントは、「俺はこう思う」を「日本男児はこう思う」と、群衆の一員になろうとするところ。
煽り文は『自分の意見を、誰かの意見だってことにしないと表現できないチキン』
「だと思います」「と定義されています」「と聞きました」でなく、断言する。
ポイントは「俺はこう思う」を「いや、普通そうでしょう」と、自分の感情を共通認識にしようとするところ。
先に謝っておくが殴る。もしくは、殴ったことを無かったことにしようとする。
「オマエはクソだ」「ビッチが」「だから友達居ないんだよ」ではなく、回避したり冗談にしたりする。
さらに高度な応用として「本当だとすればトンデモナイことだ」がある。
これもポイントは、「俺はオマエが嫌いだ」ではなく「口汚く罵るけどレトリックだよ?」と、暴行をじゃれあいと呼ぶところ。
煽り文は『主題は別にあるなら、品のない物言いはお控えになってはいかがでしょうか』
もしくは『本当でなかった場合は、当然本人に土下座して詫び入れますよね?』
「成功できない」「幸せにはなれない」「間違っている」ではなく、語尾を曖昧に濁す。
ポイントは、単なるイヤミや攻撃を、自分の感想として言うところ。
大抵の場合は合わせ技になっているが、相手に直接言及せずに、非難をする。
奉行は「てれすこ」の事を「すてれんきょう」と呼ばない、と暗に読める書き方にする。
江戸ならこんなもん打首ですよ。
(補足:「自分なら児童を保護するが(普通の人は保護しない)」という括弧無しの書き方な)
相手にボールを投げる。細かく相手に同意を求めるので、一々否定していられないようにする。
断定するのではなく、「~ではないでしょうか」「ですよね」「間違っているでしょうか?」
相手に意見を求めているのではなく、同意や追認を求めているのがポイント。
免責入れとけば何言っても良いと思ってて、罵倒してみたり、
俺が俺がではなく、オマエもそう思うよな、な?と絡んでくる感じで、
上から目線でソース無くこれが一般論でござい、とやると、釣果高いイメージ。
大きなポイントは「責任関連を他に押し付けつつ、言いたいことだけ言う」という、
公共空間で気持ち良く排出された時点で周りにとっては負け、みたいな状況かな。
正直「あの人トイレ行かないタイプなんだって奥さん」みたいな吹聴だけが対策かなー
私家版に解説付けただけなんだけど、公開の直接のキッカケはこれね
Rlee1984
大は小を兼ねる、ってこともあるよね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141006214523
んなわけあるかい。
投石はしたいけど逮捕は嫌だから、群衆に紛れて投げます、みたいな卑怯なチキンを許してはイカン。
まあ、増田利用者は呪詛を投げつける存在に過ぎないので犬に噛まれたと思ってもらうしか無いのですが、
前述のブクマのようなクソみたいな意見表明、とまでは言いませんが、あまりにどうでも良いコメントを残していると
はてブ利用者は幸せにはなれないと言う気がしますし、自分は承認欲求の為に生活を切り売りは勿論しませんし、
このエントリを読むのは当然知的レベルの高い高等遊民のみなさんだと思いますので理解できないとは思いませんが、
無名の人だとPVが稼げないので、炎上を狙って釣り針だらけの雑な記事を載せるメディアは死滅した方が良いと考えるのは
私だけでしょうか?
帰省してまとまった時間が取れたから、じゃあ何しようかなって思ってふと、カーチャンのネットに対するセキュリティ意識どうなってるのかなと思ったのです。聞いてみると、丁寧にメモ帳に手書きで残してありました。でも、だんだんと数が増えて面倒になったのか、パスワードの使い回しが散見されていたのです。これはマズイということで、見直しを行いました。その時に考えたことをみんなに共有したくてこの記事を書くに至ったわけです。
LINE乗っ取りの件もあって、ちょくちょくと話題になるけども実際に行動に移していないそこのあなた!
これを期にやってしまいましょう。
なんだかんだで手入力せざるを得ないときはあるため、「頻繁に使うサービス」と「たまに使うサービス」を分けて管理します。
あなたはもう記憶しきれないほどのサービスを使っていることでしょう。だから信頼できるアプリに管理を任せます。
オススメのアプリは世界的に利用されている「1Password」です。ちょっとお高いけど、PCでもiPhoneでも使えるし、ログインを楽に行う機能がいろいろ付いています。Android版もあります。カーチャンに買ってプレゼントしました(父さんは自腹…というのは冗談であんまりネット使わないみたいだから共用)。
たまに使うサービスは、この「1Password」を使って複雑なパスワードを自動生成して、必要なときにここからコピペして認証します。
「1Password」自身にかけるマスターパスワードは、もともと使っていたメモ帳にはっきり書いてもらい、他のは捨てました。代わりに、アプリの使い方や追加/変更するときの手順を書いてあげました。
例えば、Appleのサービスはよく使うため、パスワードを手入力することが多いです(再起動後のStoreとか)。他には、ブラウザのシークレットモードを使ってGmailを他人の端末で一時的にログインして使わせてもらうような場合もあるでしょう。こういう場合のために、自分ルールを作って導き出せるようにします。
ちなみに、Gmailは8文字(警告あり)という条件のみ、Facebookは6文字という条件(最終更新時期の明示あり)のみ、でした。
その中でも大きいのが、「サービスによって記号を使えるかどうかが分かれる点」「入力時には条件がわからない点」「設定できる限界文字数が違う点」です。記号を取り入れることは実はそこまで効果が高いわけではないようなので[要出典]、というか現に「Apple ID」では強制されていないので、記号を使わないことでルール違いの壁を回避します。長いことのほうが重要です。
では具体的にパスワードを決めましょう。例えば、
この例だと具体的には『ma2uda99App1e7yg7yg7』(20文字)となります。しかし、これだと使い回しによる機械的な「パスワードリスト攻撃」を防ぐことができても、人間に見られてしまっては『ma2uda99Goog1e7yg7yg』と推測されてしまいそうです。なので、更に工夫してルールが見えにくいように『Goma2uda99og1e7yg7yg』とします(サービス名の頭2文字を先頭に移動した)。これは例なので、実践する時は自分なりに工夫してくださいね。1年に1度は必ず変更するルールにして、年の情報をうまく混ぜてもいいと思います。
手入力用のパスワードは、多くても5個くらいにとどめておいたほうがいいでしょう。もちろんこのルールで決めたパスワードも「1Password」に登録します。よくわからなくなったら「1Password」を頼ればいいんです。どこぞの航空会社とかでは文字数制限的にこれらのルールが当てはめられなくてどうにもできないんですけどね。。
これを書いていて、やっぱり面倒だな~…と自分でも思いました。そういう場合は全部「1Password」に任せましょう。高くて買えない場合は代替ソフトか、実物のメモまたはiCloudのメモアプリでもいいんです。短くて推測されやすいパスワードを使いまわすよりよっぽどいいです。今はブラウザのパスワード記憶もありますしね。
実際、カーチャンにはさすがにないなと判断してすべて「1Password」に統一してもらいました。
これらを実践すれば、使いまわしていた人は覚えるべきことは増えてしまうかもしれませんが、今までよりも安心して過ごせるはずです。自分の怠惰さとセキュリティリスクを天秤にかけて、どうすべきか選択してください。
また、万が一のために「1Password」に保存した内容のバックアップもしておきましょう。暗号化していないテキスト形式で取り出すこと(エクスポート)ができるので、定期的にそのファイルをZIPにし、マスターパスワードと同じものをつけてローカル保管しておきます。マスターパスワードは、事故に遭ったりしたときに家族に知らせられるようにしておきます。こういった利点もあるんですね。
なお、私自身を特定されたくないのと、もうこれは自分の利益じゃなくて国レベルでちゃんとすべきだと思うのでここに書くことにしました。これじゃダメだ議論をする人やセキュリティにお詳しいあの人やあの人!もっともっと啓蒙してください。あーだこーだ言ってないで、じゃあ具体的にどうするのか優しく提示してあげてください。
この記事よ、広まれ~~!
某巨大実名SNSで、友人がこのサイトのリンクをシェアしていた。はてブでも執筆時点で656のブクマが付いている。
「精神病を"会話"で診断するなんてもう古い!」 83,000個の脳をスキャンしてわかった、精神病の正体 | ログミー[o_O]
最初の見出しは、”「トラウマ」で脳は実際に損傷する”となっている。
確かに、凄く辛い時って頭も痛くなるしな。
と思いたくもなる。
原文の"Traumatic Brain Injury"とは、専ら心理学的な意味で使われる日本語の「トラウマ」とは異なり、「物理的な脳の外傷」を指す。(Wikipedia参照)
英語ではボクシングなど「物理的な脳損傷」の話をしているのに、この訳は何故か「心理的なストレス」の話になってしまっているのである。
以降も、原文を機械翻訳にかけたあと適当に意訳した所為か、全く異なる文脈となってしまったトンデモ訳のワゴンセールである。
残念ながらこのクソ記事を公開した記者の名前は記載されていないが、それよりもこんな記事を無批判に信用してしまう人が多いであろうことが気がかりである。
「外国の偉い人がこう言っていた」と日本語で書くだけで、それを信じる人が沢山出てくる。
かといって、こういう記事に全て査読を付けるわけにも行かないし、デマがある程度広がるのは容認というか仕方ないと思うべきなんだろうか。
せめて、自分の周りだけでも、誤解は解いておこうと思った。
けど、友人のシェアに直接コメントすることは友人の顔を潰すことにもなるので、今回はメッセージで「それトンデモ記事だよ」と伝えることにした。
間違っていることをドヤ顔で流布することほど恥ずかしいことは無いと思う。
2chでは、「それマジで言ったん?ソースあんならすぐ出せ マジなら2ちゃんねら総力を上げて潰すが」というコピペに代表されるように、ソースが重要視される文化がある。
このソースを確認する意識は、非常に重要なことである。2ちゃんねらは一般人よりも科学的な物の見方をするように意識付けされている。
Wikipediaでは[要出典]のマークが過剰であるとしばしば揶揄されるが、出典のない記事などデマと同レベルの情報価値しかないし、[要出典]とされたままで、情報の出所が十分でないことがWikipediaのソースとしての信頼度が低い理由ともなっている。
一般人に「それソースどこなん?」なんて聞こうものなら、「話の種なのに…」とかで空気読めない扱いをされかねない。
間違った知識を得てしまうことに抵抗を感じないのだろうか。などと考えてしまう。
だからといって頑張って啓蒙しようとは考えず、「まーたこいつらソースも見ずに信じてるわw」とか心のなかで思いながら過ごしている。
そんな話に容赦なく[要出典]や[独自研究?]をお付けになるウィキペディアンの皆さんにはいつも感謝しております。
私は読むどころか目にも入れたくありません。
なぜなら、大学生がレポートや論文のソースに使うくらい信用性の高いウィキペディアにそんなデタラメが存在する訳がない、と信頼し閲覧しているからです。
そこで、要出典となっている記述を非表示にしてみようと思いました。
普段私の使っているブラウザには、ページのCSSを一部変えてから表示できるアドオンがあります。
でもここで
「あれ?要出典でも点線のあるのとないのがあるの?」
と気づきました。
そうなんですね。1段落まるごとウソ臭い場合などは、このケースが結構多いみたいですね。知りませんでした。
人間は点線が無くてもそれが分かるので良いですが、私のやり方ではそうはいきません。
[要出典]だけ非表示になり、大学生がコピペしてしまうくらい信用性の高い文章と見た目同じになってしまいます。
これは困りました。
そういうことで、ウィキペディアンの皆さん。
[要出典]や[独自研究?]をお付けになる時には点線を付け、どこがウソ臭いのか常に明示して頂けると、私、嬉しいです。
また、点線の付いてない要出典に点線を付けてくださると、私、嬉しいです。
どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教は神の国に行くし、仏教は輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。
http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...
神道では、人間が死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。
私たちが死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者、若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。
「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことなく霊界へ行くことができるのです。
この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。
霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。
ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。
有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療や科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教の場合も神の試練だと、仏教は功徳が足りないと思っていたのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊の存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの(日本三代実録)である。
仏教的にはどちらかと言うと荒神の信仰に近いものかな。阿修羅とか。
靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である。
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
前進は明治2年にできているので、戊辰戦争の御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。
政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。
こうしてみると、靖国にA級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかちます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。
んで次に気になるのは、別に首相がいかなくてもいいんじゃね?という点である。
多分これは崇徳天皇のせい。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。
[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱で隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である。
しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人の天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇が御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップが御霊慰霊を行うようになった理由だろう。
1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。
しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲、内閣総理大臣を天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである。
ただ天皇は戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である。
このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。
2は前述のとおりグレー。
3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しかも信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ。一般的にキリスト教では参拝は神への信仰、仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体は功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。
したがって、問題の争点は政教分離の観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉の原則に反するが、言うの自体は自由である。
これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。
で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html
私は、2011(平成23)年9月よりハイチの首都ポルトープランスのデルタ・キャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍はチリ、ブラジル、アメリカ、ヨルダン、フィリピン、ハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。
その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存の原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]
と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html
兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成る、UNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站を所掌するJ4はチーフ(オーストラリア陸軍中佐)、副チーフ(オーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。
派遣部隊との業務上の関係については、UNMISSに派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊(インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長(文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集の観点からも自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。
というわけで、日本・韓国の兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには
無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘においてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全が危険となる場合、武力で平和維持軍の武装解除を行おうとする場合、平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合、平和維持軍の資産を武力で侵犯した場合がある[12]。
という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/
これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊は首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。
重武装の反乱軍部隊1000名(しかも戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。
~~~追記~~~
色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国の戦闘員は40~50人という情報も出てきた。
たしかに工兵中隊は文民扱い文民指揮下だから、戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しかし自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。
アメリカは戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…
http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf
一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器は89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。
なお、10月から自衛隊は組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。
~~~追記ここまで~~~
しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナやルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。
なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメントが散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかいう情報は殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴスな日本語と韓国語の応酬だからなw
余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。
なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html
もとは1956年に独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年に南スーダン共和国として独立した。
4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプトが英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスとイギリスの代理戦争の場となる。
一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立の意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。
が、石油が南部で発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年にイスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダンが独立することに住民投票で決定した。
ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源が豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。
で、このスーダンと南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。
スーダンは内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年の福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相のとき。現場はあんまり乗り気でないムード(要出典)だったみたい。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである。自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である。陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機がジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊の南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安に不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである。
政治が、自衛隊派遣の政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コストを自衛隊側ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロールの重要な機能である。
このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。
韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍は工兵中隊なのでPKOでは文民。
日本がいるのは首都のジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません。高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。
で、今月15日に反政府軍がクーデターを企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族の殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙。
http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717
戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。
キール大統領は、マシャール前副大統領がクーデターを企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。
大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。
ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍に寝返り、ヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドとネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍が雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲が基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。
ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。
で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。
本来ならインド・ネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。
現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501
なんかー…
TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…
何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国の人間がなにをいおうとどうでもいいよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131021-00000547-san-soci
### デリカシーが無いのが唯一の利点だからそれが無理なら見るな
誰もいなくなったところで、ここで清教学園の紹介です。大阪の山の上に中学と高校が一緒の敷地にあります。徒歩でくる人もいますし、自転車でくる人もいますが、ほとんどの人は電車で毎日きます。電車を降りたら全員道路の左側を通っていきます。なぜなら道路が糞狭いくせにここを車が普通に通っていくのです。また、定期的に生徒が邪魔で車が通れないとクレーマーが学校に電話してくるのです。いつも思うのですが何で学校に電話するのでしょう?道路が狭いと行政に言うのはまだ理解できる。だが、狭い通路に苦心しているのは生徒も同じで、こっちからしてみれば車が邪魔なんです。そもそも五十年前からこの地に学校があるのです。そんなところに引っ越してきて偉そうな事言うなって話。そして狭い道と狭い橋を渡れば、今度は山です。生徒は毎日この山を山登りするところから学校生活が始まります。糞しんどいです。足腰鍛えられただろうとかいう教師がいますが、まあ、そんな気はします。帰りは当然下山です。
校舎内は複雑です。普通の学校みたいに『コ』みたいな形をした校舎に真ん中に運動場があるとかそういうレベルではありません。多分山の上にあるからいろいろ工夫したんでしょうね。そもそも中高一貫なので、そこが複雑なのもありますが、えーっと階段が多かったり、極め付けは斜面に柱立てて無理やり作った体育館でしょうか。慣れるまではほんと大変だと思います。そもそもなんでこんな大阪の南東にこんなものを立てたのでしょうか。あ、バリアフリーなんて概念はありませんのでご注意を。申し訳程度のエレベーターはありますが、おそらく車いすでこの学校は無理です。そもそも登山が無理です。この学校金しかないのに。
清教学園はキリスト教、プロテスタントを標榜しています。個人的には創価なんとかとか幸福な学校とかみたくあれなと頃ではないと思いますがー。そういうわけですので、週に一回道徳の代わりに聖書という授業があります。そんなのありか!?と思いますが、おそらくありなんでしょう。内容は各教師に大きく任されているようで(要出典)、イエス・キリストやその弟子達の半生を、キリスト教の出で立ち(いわば記憶事項)を教える場合もあれば、聖書の内容に基づきながらも道徳的な内容を教えているところもあります。あと宗教関係で言えば、チャペルがあります。全校生徒が入ります。学年集会で使う事もありますが、おそらく用途として最も多いのは週に一回朝礼で使うときです。いつもなら8:25に朝礼なのですが、その日だけは(何曜日かは学年によって違う)8:20にそのチャペルに着かないと怒られてしまいます。そしてそれまでに着こうと思うと山道が混んでいますので5分前行動とかでは着きません。いや、8:25に始めればいいじゃないか。ええ、私もそう思います。しかし誰も理由を言ってくれません。授業開始が遅れるなら朝礼を短くすればいいだけなのです。ぜったい5分くらいは削れるのになぜかそうしません。理由は謎です。
また宗教とは関係ないでしょうが、文武両道を是としています。代表的なところだと部活動ですね。中学と高校で異なりますが、文化部も運動部もあります。ちなみに帰宅部って言う選択肢もありますので、よかったですね。ひどいところだと運動部しかなくてそれが強制ってところもありますからね。最も大きな部は中学生と高校生が合同で行う吹奏楽部です。生徒は毎年、部活紹介の為に招集されます。高校の場合はその為だけに一日がつぶれます。昼から数時間だけですのでそんなにだるいものではありませんが、特に新入生じゃない人にとっては暇です。ちなみに文武両道という理由でアルバイトが禁止されています。何故かは分かりません。また、他の学校でもそうなんでしょうが、制服の着こなしが厳しいです。シャツが出てるとか、腕をまくるなって事です。私はちゃんとしてた方だと思いますが、個人的には登山させているのにそもそも登山服じゃない方がおかしいと思います。
DQN学校ではないと思います。一応進学校って事らしいので。ただ、かなり個人的な見解ではありますが、高校に限って言えば、中学から清教の人と高校入試で入ってきた生徒で、DQN度が違う気がします。こんなこと言ってる人が言えた事ではないが、圧倒的に高校から入ってきた人たちの方がリテラシー低い。偏差値で言えば、彼らの方が小さい門だったと思うのだが。はてな民ならリテラシー高そうなので、個人的には歓迎です。
で、自殺についてですが、この学校には毎年4月に命と安全を考える日というものがあります。十数年前にどこかの野球部員がボール喰らってなくなった事からこの日があります。で、その数年後同じ日に男子生徒が自殺したと。そして同じ日ではないですが今日女子生徒が自殺。
清教って死者出過ぎじゃねってところ。しかも二人は自殺。一クラスが50人足らずで、10クラスあるから。1年間に五百人。一クラスに五十人いるとしてそれが10クラス。それが五十年中2人でしょ?多くね?いや、昔はもっと少なかったんだろうから、2/20000ってすくないすか?そんなもん?う〜ん。ハシゲさん出番ですよ。
出典元: http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenjisatsu
昭和時代では社内で大卒男子と高卒女子が知り合って結婚という伝統があったが、現在ではそんなものはごく一部の企業でしかない。某大手企業は社員の嫁要員として派遣で事務社員を雇っているみたいな話も聞くが、ドワンゴの技術チームにはそんな人材は不要である。
経営者から見れば、男子社員はさっさと結婚してくれたほうが安定するし生活も規則正しくなるしで好ましいのである。しかし、タダでさえIT企業の開発チームは男子ばかりだ。そのうえ、ドワンゴの社員と言えば国内IT企業のなかでも激しくオタク系・内気男子が多いことでも知られている(要出典)。社内に一般女子が多少いるくらいでは、なかなか化学反応を起こすのは難しい。だが、ラジオ体操で強制的にコミュニケーションの機会が生まれれば、多少はなにかが起こる可能性がある。
多分これ
ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある[要出典]。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が利用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられて、一般的に使われるようになった。
大勢がわーわー楽しんでるけど自分は楽しめないという状況に直面すると、人間ってものは暗い感情がわいて出てくるもんだ
多分これも同じ系統の書き込み
これも追加しとくか