はてなキーワード: 製造業とは
「価値がある」と「戦争してまで得る価値がある」というのは別物ですから。
そもそも、昔戦争バカバカしてたのは製造業、サービス業が今ほど盛んじゃなくて、農業、鉱業、水産業が主体で、それには価値ある領土が必要だったから。
戦争してまで農業、水産業ができる領土がほしいなんてメリットの国がなくなってきてる。
今の戦争は鉱業(石油、ダイヤモンド、レアメタル)が実はバックにあるのが多い。
戦後日本の経済を牽引したのは「とにかく奴隷を低賃金で雇って、物を作りまくって売れば勝てる」というスキームだった。これは「とにかくガムシャラに働く」という昭和の価値観そのもので、何しろ頭脳労働でなく、体を動かせばいいだけだった労働者たちはとにかく働いた。昭和の労働者たちは、家族のために、未来のために、バカ丸出しの精神論を振りかざしてガムシャラに働いたんだ。しかしそれはうまくいった。考えてこのやり方を選んだのか、それともただ“今まで通り”やっていただけなのか。このやり方というのは「欲しがりません勝つまでは」という戦時体制をそっくりそのまま引き継いだだけだった。しかし偶然にしろ何にしろ、これがその時代の勝ちパターンだったので、うまくいったんだ。日本は高度経済成長を迎えた。そしてこの黄金の勝ちパターンに乗っかって世界を席巻した最も代表的な企業といえばTOYOTAだろう。自動車産業はずっと日本の花形だった。今までは。
今、2017年になってまで、ほとんど同じやり方しかできない日本に本当にヤバさを感じる。製造業からサービス業に至るまで、戦時体制をそのまま引き継いだかのような奴隷労働の名残りが未だに色濃く残っている。いわゆるブラック企業だ。“それしか知らない”んだ。日本人はそれしかできない。
もはや物を作って売れば良い時代は終わった。より品質の良い“物”を、より安い値段で大量に売ればよかった時代は、終わった。ではこれから先「価値」となるものとは一体何だろうか。
一つ例を挙げよう。今、googleなど世界有数の企業が自動運転カーの開発をしている。自動で動く車は世界を変えるだろう。都市計画を丸ごとひっくり返し、遊びから仕事まで個々人の生活スタイルに重大な変革をもたらす。電話の登場のように、ラジオの登場のように、スマートフォンの登場のように。自動運転カーは世界を変えるだろう。
これから先、人類の間で求められる「価値」とはこのようなものだ。物を情報化できれば、今まで以上に圧倒的な活用ができる。ここにはまだまだ開拓の余地がある。ほとんど全てのものはインターネットに接続させることができる(が、まだされていない)。ここに伸びしろがある。付加価値を与える余地がある。機械学習が有効な分野であれば、それによって大変な革新が得られるかも知れない。ただ物を作って売れば良い時代は終わった。しかしただネットに繋げば良いというわけでもない。物を“どのように”情報化できるか、だ。或いは有形物でなくとも、コミュニケーションや、異性との出会いや、他人からの承認など、元々無形物であるものを、どのように高度に情報化し活用できるか、だと思う。これから先、求められる価値とはこのようなものだ。
TOYOTAは車を作れる。しかしその車に(これからの時代それが当然になるであろう“自動運転”という)付加価値を加えることは、できない。これが先進国であった日本の象徴的かつ決定的な終わりとなるだろう。
ブラック企業の組織構造・組織体質は「ただ物を作れば良かった時代」には最適なものだった。憎まれようが嫌われようが、昭和の時代にはあれが最適解だった、という事実は認めなければならない。しかしこれからの時代はそうではない、ということだ。俺は日本人をとりわけ優秀だとも無能だとも思わない。問題は組織の体質、社会の構造にある。これを変えるのにあと何十年かかるだろうか。それまでに一体、どれほど落ちぶれるだろうか。
まず初めに言うが、私自身は過去にコミケにも、その他の同人誌即売会にも行ったことがある。
その上で、最近の会場問題や権利問題含めて思うことを書いていきたいと思う。
単に同人誌を不特定多数の人に見てもらいたいのであれば、ネットで無料公開するなり、電子版を委託すればいい話だ。
でも、そうでない何かを求めているから人は同人誌即売会に行く。
そうでない何かっていうのは何なんだろう。
コミケに行く人に、なぜコミケが好きなのかと聞くと、毎回のように決まった答えが返ってくる。
それはそうだろう。でも、それって、コミケでなくてはならないの?
例えば、コミケが晴海で開催されていた時期から参加しているような、古参の人ならば何らかの思い入れのある場として重要だろう。
でも、そうでない人にとっては?他の、地方で開催されているような同人誌即売会では充足感を得られない理由はなんだろう。
確かに、コミケは年に2回のお祭りであり、特別な非日常というブランドはある。
では、コミ1(一応書いておくが、コミ1の会場がビッグサイトなのは承知している。あくまでその他の例)やサンクリではいけないのだろうか?
私はそうは思わない。コミケの役割は、他でも十分に代替可能だと思ってる。
日本の知的財産権や著作権の基準を、国際的なものと照らし合わせたときに、仮にコミケが不適当なものだと判断されたとしても、私は仕方がないと思ってる。
とは言え、コミケ参加者のほとんどは赤字で回しているからこそのグレー。
しかし、コミケは近年目覚ましい変貌を遂げている。企業ブースが極端に注目されたり、芸能人が同人ブースを開いたりとだ。
単に、"ファン"アートの場として一括りにするのは難しいと思う。
中小零細の多い印刷業者、展示会として使う製造業者にとっては、会社自体の存続問題に関わることだ。
その点に関して言えば、ビッグサイトの利用について明確な答えを出すべきだと思う。
(壊れてないとか言うやつは近年の音楽に注がれる様々なリソースのスケールダウンを把握してない。スタジオは軒並み潰れて技術レベルは低下し人的リソースも金銭的リソースも激減、まったく儲からない世界に嫌気がさして才能が枯渇し新人発掘もままならずデビューするのはその先に“芸能人”になって地方営業で小銭を稼ぐようになる素養のある人間のみ、純粋な音楽家はバイト暮らしかゲームアニメに嫌でも関わらないと生きていけない、ライブで物販が売れない音楽家には存在価値がないも同義、多様性の失われた画一的なBGM製造業界になってしまった現状を本当に望んでいたのか)
じゃあ映画界はゲーム界はユーザーのことを考えてないのか?DVDの複製を私的複製とは別の角度で封じている映画界ゲーム界はユーザーのことを考えていないのか?
ユーザーのことを考えるというのは何も日常的な利便性の部分だけに拠るものではない。いかにしてその先の投資を見据え利益を確保し次の製作に生かすかまでを考えなくてはならない。毎日シャンパンを開ける為ではなく、次の作品、次の才能に最高級の技術を投入するために利益が必要なんだ。それが文化を富でブーストするために築かれた効率的なシステムだった。より広い多様性を確保しつつ、より高い技術を注ぎこまれた高級な文化を目指すために先人たちが作り上げたシステムだった。
それが、自分で製作もしない第三者のオサレIT企業にぶち壊されてしまった。
おまえらマジコンはボロクソに叩くくせになんでiPodはOKなんだ。マジコンが消えたのはゲームやDVDが利益を確保するために禁じている部分を無視しているからだ。それは当然の対策だろう。そこをガードしないと業界が死ぬのは明らかだからだ。もちろん私的複製権というものは存在するが、それを重視するあまり製作のためにかけた投資が無駄になるような構造が許される訳がない。
そのマジコンはボロクソに叩くクセにiPodに関しては手放しで喜んでいる姿が納得が行かない。マジコンとiPodの違いは複製する際にその時点で違法な操作が含まれていたか否かというだけだ。メディアに鍵がかかっていたかどうか、それをリッピングの際に解除する必要があるかどうかそれだけだ。ゲームと映画はたまたまメディアに鍵をかけていたから無事だった。(とは言っても今でも常に複製とは闘ってはいるだろうが。映画館でみるあのダサいCMでも毎回流せば一定の効果はあるだろうしその努力をしている)
ほぼすべてのユーザーが法的な事など何も知らず結局はただただ「自分が得をできればよい」という理由でiPodを賞賛する。
確かに音楽はその部分の対策が遅すぎた。法的に複製に制限をかけるための行動が遅すぎた。だからといって他人のビジネスをぶち壊しにするような夢のマシン(笑)を本当に作って売り始めるとは思っていなかったのだろう。どう考えても、それまでCDというメディアを“印刷”する事で成り立っていたビジネスの中では、こんなにデタラメ無限コピーが可能なデバイスが世に出回ったらすべてが壊れることくらい賢明な人間ならすぐ気づくことだ。そして、アップルもそれを分かっていながら、しかし自分の腹は痛まないのをいいことに詭弁に詭弁を重ねて売り上げそしてのし上がった。
俺が気にくわないのはそのアップルの詭弁っぷりだ。「音楽のために」などとうそぶいてすべての音楽家を騙し、その利便性の先には破滅しかないのを知った上で覚せい剤を売りさばく売人さながら、世の中に「便利は正義」という恐ろしい価値観を植え付けた。そのドラッグハイは音楽に留まらず、様々なコンテンツは無限に複製しデタラメに享受できて当たり前という価値観を世に定着させてしまった。複製を制限するとユーザーの事を考えない傍若無人なクソ企業であるなどという極めて愚かな意識が世に広く浸透してしまった。
農業・製造業者の票を取られ、公明もかなり支持離れが起きるなか
都市部の若年層に支持が多いことを念頭に「政治はHIPHOP」と呼び、初々しい女子の写真を使って軽い神輿にしたい下心(そして県連の構造的問題である衆議院議員に足腰が弱く不祥事の多い2期生が多いというドツボ)がすごくよく出たチラシだ。
オトコらしさ、女子らしさを(おそらく、若者にとって非常に嫌なおっさん臭さで)課している。っていうか、長島忠美氏以下の皆さんにとって、政治は「嗜み」程度のことなんすか、と言いたくもなる。
一方鷲尾英一郎の民進党は他党の党員でも政治塾に参加でき(応募は閉め切ったしあんな代表なので講師陣はタカ派・再稼働派が中心だけど)、民進党の政治家はテレビで目立ちたがりたいだけ、それでは駄目だと思って国軸の会の立ち上げにも参加したという(著書による)。
しかし、長島昭久の言動は売名行為にしか見えないし、鷲尾がうんざりした小沢を軸にした政治闘争の結末と同じく、長島は離党してしまった。
それはともかく。
最後に、ご友人らしき方が制作会社を通じて、自民党にどう使われるかまで被写体の人物は把握しておらず、余り中傷されるのは心外だったと答えている。
まあ、政治に関わることを甘く見てしまったという後悔もあるだろうが、民進党の政治塾に彼が出てきたら面白いなあと考えてしまった。他党の党籍があっても参加できる塾に、ポスター程度を引き受けた人間が参加しても別に問題はないだろう。
女と話していて、会話のゴールが見えない。いまこの会話は何のためにしてるかがわからない。
話にオチがないことは許す。俺だって話術がないから、オチのあるような面白い話はできない。
だが、なにか質問してきて、それにこっちが答えたらガッカリされる感じが意味不明。
「一番むかつくのは、話を途中で終わらせようとする人。
『で、どうなったの?』とか結論を求めるような口を挟まれると、一気に会話が盛り上がらなくなって終了しちゃうので」(20代女性・製造業)
こういうの、俺としては最短で会話のゴールに到達したいからやってるんだよな。
ウダウダ会話をするのが耐えられない。
あと、よくある話だが、女が服Aと服Bで迷っていて、どっちがいいか聞かれたから、
「どっちも似合ってるよ」と返すと「テキトー」だと言われるし、
「Aのほうがいいよ」と返すと「うーん」と悩まれる。
一体俺に何を求めているのかね。どう返答しても正解無いのかね。
工場での製造業の仕事は、誰でも出来る単純労働であるという話があるが実際にはどうでしょうか。
まず、歴史的に見ると、産業の発達により職業の専門分化が進み、技術者やホワイトカラー職を中心に高学歴者の雇用が増えました。
生産現場ではオートメーションの導入により、仕事の責任水準が上昇し、労働者に対しても高度の認知的能力が必要になっていると指摘されています。
この古典的議論はクラーク・カー著「インダストリアリズム」(翻訳…川田 寿 東洋経済新報社 1963)に見ることが出来るそうです(私はこの資料は未読)。
落ち着くところに落ち着いた感はあるのだが、半導体屋さんからすると残念だった。
Googleが興味を示しているというところから、製造業からサービス業へ変わっていくのを期待していた。
TPUやPixelをGoogleがやっていることもあって、海外から見たら価値高いのにという論調も見かけたように思う。
Googleとしては物理限界を自分たちの課題としたくないというのは想像できた。
あくまで規模の問題に落とし込み、半導体単体の販売には落とし込まず、サービスで稼ぐ。
あとは社内システムが時代についていけていないし、それを刷新することもできない。
変わると思っていたが残念だ。
詳しく知らない仕事が多いので、例として挙げている仕事はあくまで一例として考えて欲しい。
A・頭と体をかなり使う仕事(知識には専門性が必要で、体力的にもそこそこハード)
B・体は使わないが頭をかなり使う仕事(ある程度の知識と頭の回転がないと仕事にならない)
C・頭も体もそこそこ使う仕事(BやDほどではないが、頭と体の両方を使う)
D・頭は使わないけど体はかなり使う仕事(体が商売道具というような、健康体であり体力がないと務まらない仕事)
E・頭も体も使わない仕事
というような順だと思うのだが(一例に書けていない仕事の方が多いが、これが載っていないという指摘は論点とは違うので勘弁して欲しい。また、所属する組織によってはBとCが同じぐらいの給料の場合もある)、頭だけを使う仕事と体だけ使う仕事の給料の差が、おかしいのでは…?と、感じる。
頭にしろ体にしろ、必要とされるリソースが多いことは同じなのだから、BとDは同じぐらいの給料の方が自然なのでは?と。
必要なリソースの多さでいうなら、A>B・D>C>E といった給料の順が、自然なのではないだろうか。
この、体だけを使うDの仕事の価値が頭だけを使うBの仕事より低いとされる背景として、それらの仕事に就く人は低学歴の人が多いから、低学歴は低賃金でも仕方ないといった差別意識の表れなのでは、と思った。
意図的なのか無意識なのかわからないけど、低学歴なんだから給料安くていいよねという雇用主側と、それを支える社会の差別意識が、不当に給料を下げているのかもしれない、と感じる。
それは低学歴が就く仕事だけではなく、女性が就くことが多い仕事にも言えることで、低学歴は低賃金でも仕方ないとか、女性のする仕事は低賃金でもいいとかっていう社会的な差別意識があるせいで、不当に給料が低い業界があるのでは、と感じる。
女性が多いからという理由で賃金が不当に低いと感じるのは、事務や介護や保育などの仕事。
(現在問題とされる、介護や保育の人手不足を解消するためには、女性の就く仕事は低賃金でも良いという、社会的な差別意識の解消が必要だと思う)
私は、体を使うことにも頭を使うことと同じぐらい価値があると思うのだが(怪我をする危険性とかもあるし)、私が理解していないだけで、体だけを使う仕事と頭だけを使う仕事の価値の差は明白だと言うなら、教えて欲しい。低学歴への差別意識ではなく、正当な差で給与差があるというのなら、理由を説明して欲しい。
頭を使う仕事に就くための教育には投資がいるから、高い給料をもらえて当然という意見がありそうだが、体を使う仕事に就くための体力を有することも投資が必要だと思うのは、間違いなんだろうか。
教育への投資は給料として還元されるべきだけど、体力への投資はそこまでの価値がない、ということ…?
子供の頃から、体だけを使う仕事は頭だけを使う仕事に劣るといった(ホワイトカラーの方が偉いという意識)社会的な意識に触れて育ってきて、疑問を感じることがなかったが、よく考えるとおかしいのでは?と思ったので、書いてみた。
Sublime Textの記事を書こうとしたところ、こんな記事があったのでmacユーザーとして書いてみます。
読んだ記事
http://diary.netank.net/entry/2017/06/07/202630
==
>なぜコスパ最悪な"Mac"を使っているの?Windowsサイコーじゃん
>MacBook Proの価格を調べてみると、Appleストアで一番安いTouch BarとTouch IDなしの13インチモデルで税込15万4224円です。
>Intel Core i5(デュアルコア 2.3GHz)
>です。性能的には、Windowsのベーシックモデル(普及帯モデル)と同程度。
>皆さんが欲しいであろうTouch Bar(Fキーの部分がディスプレイ)と
>Touch ID(指紋認証)機能付きモデルはもっと高くて、税込214,704円~となりま>す。
>Intel Core i5(デュアルコア 3.1GHz)
>この性能でこの価格。あなたはどう思いますか?しかも、Macって家電量販店での値引きもほぼ不可能です。
⇨同感です。10年選手ですが、macのおかげで散財させられています。
>
>最新のMacBookProやMacBook無印には普通のUSB端子がありません。スマホなどでも使われ始めている小型のUSBタイプCにすべて置き換わってい
>USBタイプCから普通のUSBに変換するケーブルも売られていますが、わざわざ使うのが面倒です。USBタイプCを採用する機器も登場していますが、>需要が少ないためか滅茶苦茶高いです。
>Windows機であれば、超薄型なモデルでも従来のUSB端子が付いている場合がほとんど。
>普通のUSB端子を廃止するとか頭おかしいです。どう考えたって不便でしょ。
⇨同感です。それまで仲良くしてた仕様をいきなり切ったり困りものですよ。
>Macを使う人の多くが、本体デザインの美しさが理由じゃないでしょうか?確かにカッコよくて、美しいデザインであることは僕も否定しません。
>(最近では群馬でもMacBookをスタバで使う人が登場してます。恥ずかしくないのって思ってます。)
>重たくないですか?
>美しいアルミボディーを採用したためか、MacBookPro13インチで1.37kgもあります。Windowsノートなら、ほぼ同程度のスペックで1kgを切って
>いるモデルも沢山あります。13インチなのにモバイル向きではないのが残念すぎます。
>性能の低いMacBook無印なら0.92kgですが、性能のわりに価格が高いので個人的にありえない選択です。
>Windowsノートはデザインがカッコ悪いと批判するMacユーザーも多いですが、Windows機の良いところは種類が豊富なところです。
>デザイン優先のカッコいいモデルから、低価格で実用性重視のモデル、頑丈で軽量なモデルまで様々です。
>デザインが美しいWindows機なんていくらでもありますよ。ちゃんと探しましたか?
⇨同感です。macは美しいですが、確かにwinでもキレイなものはいくらでもありますよね。
>MacOSのすばらしさを主張する人もいますが、それはないですね。MACにできてWindowsにできないことなんてほぼないと思います。
>足りない機能はフリーソフトでいくらでも拡張できます。
>ソフトの豊富さではWindowsが圧勝です。MAC向けにしかなかった一部のプロ向けソフトも、現在ではウィンドウズ版もちゃんとあります。
⇨同感です。過去はそうだったかもしれませんが、winも同様に素晴らしいものを持っています。
>一部の業界を除いて、ほぼすべての会社のPCはWindowsです。あなたの会社のPCもWindowsだと思います。
>僕が製造業で仕事をしていたころは、自社や取引先を含めて、MACを使っている人なんて一人もいませんでした。全員Windowsです。
>どんなことでも同じですが、全く操作性の違うものを2つ併用して使うのは辛いです。会社はWindows、自宅はMACというのはイライラするはずです。
>実は僕も2年位前にMacBookProを使っていたことがあるのですが、やはり共通性という面で苦労しました。
>結局、会社に合わせる形でMacBookProは売却してWindows機を買いなおしました。
⇨同感です。二兎追うものは一兎をも得ずです。
>会社がWindowsなので、大学生は絶対にWindowsを選ぶべきです。会社に入ってから、「Windows触ったことありません」なんて
>就職後のことも考えれば、圧倒的にシェアが高いWindowsを選ぶべきだと僕は思います。
>まぁ、フリーランスとかデザイン業を目指しているのであれば、MACでも良いかもしれませんが。
⇨同感です。入社という未来があるのに今がよければという考えはもってのほかです。
>MACはウイルスに感染しにくいことを自慢する人も多いですが、それも間違いです。MAC向けのウイルスなんて大量に存在しています。
>Windowsよりユーザー数が少ないから、あまり話題にならないだけです。
>ちゃんと、MAC向けのウイルス対策ソフトだって売られてますよ。安全だという思い込みによって、セキュリティー意識が低下する方が怖いです。
>ちなみに、Windows10ならOS自体にウイルス対策機能が搭載されています。家庭利用なら別途ウイルス対策ソフトを入れなくてもウイルスに
⇨同感です。意識が低下して感染する可能性は大いにありますね。
>MACはソフトもハードもAppleが作っています。そのため、安定性が高いとか、ソフトの最適化が進んでいるとか、主張する人も多いです。
>でも、僕がMacBookProを使っていた時は、特別なソフトをインストールしていないにも関わらず、結構フリーズしてましたよ。
>頻繁に動作不良問題も発生しているので、大して安定しているとも言い難いと思います。
>そもそも、MAC OSって、BSD系UNIXベースなので、Appleが一からOSを作っているわけではないです。
>最近のWindowsはほぼブルースクリーンやフリーズが発生しないですし・・・MAC OSがWindowsより安定しているという主張は納得いきません。
⇨同感です。急な不調を訴えて働くなったりでは困りますよね。
>MACユーザーはよくWindowsのフォントが酷いとか、UIがダサいとか、批判します。でも、それって本当でしょうか?
>僕はWindowsのUIやフォントは好きですよ。むしろMACのようにデザイン重視ではなく、実用性も考慮しているので、使いやすいと思います。
>正直言って、Macのフォントは無駄にアンチエイリアスを利かせすぎていて、綺麗だけど見やすくはないと思うんですよね。
⇨同感です。外見だけでなく実用性も備えているべきですよね。
>たしかにMacのトラックパッドは使いやすいと思いますが、最近のWindows機もかなり改善されています。
>激安モデルはあまり良いさわり心地とは言えませんが、MACと同価格帯の高級機であれば、凄く使いやすいと思います。
>そもそも、僕はMacBookのような大きなトラックパッドが嫌いです。キーボード入力時に誤動作する可能性が高いので、僕はレッツノートの様な小型タイプが好みです。
⇨同感です。昔はそうだったかもしれませんが他を探せばいくらでもいいものはありますよね。
==
winにはとても素晴らしいPCがたくさんあります、価格も申し分ない。
それに比べてmacはコスパ良くないですし急にフリーズだってします。さっきもしました。
本気で苛立つことだって1度や2度ではありません。
そう認めてもなお、どうしてmacを使い続けるのか。
それは。
そう言えば、Sublime Textは「恋に落ちるエディター」と呼ばれています。
よかった、最後に元々書きたいことが書けました。
経産省が発表したペーパー「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」( http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf )において
「Aというのはもう現実的には無理で、Bとして社会を再構築するしか無い」という視点が提示されて、それに対して「まあそうやね」「やっとその視点が一般化したか」というようなコメントが多くつけられた。たぶんこの「Aはもう無理でBにいくしかない」ってことそのものは、大きな合意が得られたのだろうと思う……んだが、じゃあ「Aは無理ってどういうことか?」ってのが、実はちっともイメージされてないのだと感じる。
解雇規制緩和は正しいのか
「Aは無理」ってのはどういうことかというと、端的に言えば「正社員制度もう無理」って話だ。正社員制度ってのはいろんな側面があるんだけど、すくなくとも能力とは無関係な昇給制度とか終身雇用とかはもう無理。諦めて別の道探そうね、ということだ。にも関わらず、正社員になりたいってのは時代に逆行している。
時代からして、もう、労働者は全員経営者になるしか無いのだ。この経営者っていうのは、よくブラック企業が言うような「経営者視点を持て(そして経営者の苦悩を理解して唯々諾々と従え)」という意味のそれではなくて、労働者全員が「自らの労働(時間)」という自分自身の商品を手にもって、それを企業に売るなり自分で運用するなり、とにかく、自分自身の主として主体的に労働市場と関わっていかなければならないという意味だ。
何だそれ当たり前だろ。いままででもそうだっただろ? と言える人は幸いで、その種の人はもうすでにそのルールのゲームに移住しているのでショックは少ない。しかし、そうではないルールで生きてきたひともいる。そういう人も新しいルールに移行すべきだ。そのために解雇規制緩和が必要なのだ。
考えてみると、派遣社員というシステムは「Aはもう無理でBにいくしかない」という過渡期である現在に生まれた、おそらく一時的なシステムだ。
派遣社員というシステムは「主体的に動きたくはないが職を求めたい個人」と「解雇規制にはばまれて正規雇用を増やしたくない企業」の合作として現在活躍している。
Bの社会において、離職して職を求める個人がすべきなのは自分のスキルや時間を新しい企業に売り込むことであって(そして契約を結び一定期間、あるいはプロジェクト単位で仕事をすることであって)、「通うべき職場を指示してくれるご主人様を探す」ことではない。
Bの社会において、スキルをもった労働者を雇用したい企業がすべきなのは、適正な人材を見極めて(もしその能力に欠けるならエージェントを雇用してでも見極めて)適切な契約を結び労働してもらうことであって、「あたりが出るまで派遣ガチャで人材をとっかえひっかえする」ことではない。
もちろんこの話と、福祉は別にあってそれはそれで必要だ。この話は自己責任の話とかマッチョの話ではなくて、どちらかというと「誰もあなたの人生をあなたの代わりに生きることはできない」という話に近い。日本の終身雇用は、長い間、人生の丸投げに近かった。その黄昏が来ただけの話だと思う。
発達障害だADHDだと取沙汰されているのは、AI(単純作業の自動化)の影響もあるのではないかという話。
ADHDだったりってのは、大抵「いつも通りじゃない予定」に弱いわけ。
今日はどこどこに行って明日はどこどこに行ってその後新しい仕事の打ち合わせ…とか
これまではそんなことしなくても定型作業の仕事に溢れていたから定型作業が得意なADHDは特に困らず能力を発揮できた。
(スーパーのレジ打ちとかだけでなく、頭を使う分析や製造業務だって変化がなければ定型作業だ。)
でもIT化自動化AI化が進むこの今、同じ事をすることが無くなってきている。
それで変化の激しい環境に立たされたADHDは(定型作業では優秀だった人ですら)付いていけず無能の烙印を押されてしまう。
もともとどこにいても無能と自覚している人ならまだしも、これまでは優秀とされていた人が環境によっては無能と烙印が推されてしまうので、そのギャップにやられて鬱病が加速してしまう。
大学では工学部ではない理系だったので右も左も分からないなりにがんばってみようと思っていた。
悪く言えば自分の能力に絶望して夢を諦めることになり都落ちした気分での就職だったのでやぶれかぶれだったというほうが近いかもしれない。
相性というか、背景の差とか常識の差みたいなものがあって、自分から見ると無駄の多い職場だなあと感じて研修期間が終わり本配属された。
本来の業務はいわゆる故障解析で、歩留まりを上げていくのが使命だった。
せっかくだから色んな所に首を突っ込み改善できそうなところは提案をしたり、自動化したり、それらのドキュメンテーションを書いてみたりした。
プログラミングの経験は皆無だったが、理論系卒が工学部に負けられんという謎のプライドでVBAから、Rやら自社製品の解析用環境の割と珍しいタイプのスクリプト言語など(特定されそうだからぼかすけど。)
とりあえず手が出せそうなものは何でも調べてみてありものを改造してみたり勝手に作ってみたりして提案していた。
物怖じしない新人がぎゃーぎゃー騒いでいるぐらいのものだったと思うが、何にせよいくつかの改善が上手く実務にハマって成果として認められたりしだしたのが1年目。
この辺で気付いたことだが、製造業のITリテラシーは驚くほど低い。製造業と一般化するのはフェアじゃないかもしれないから厳密に言えば弊社の、という意味だが。
なんせまともにプログラムを書いたことが無い新人が半年で身に着けた程度のスキルで書いたプログラムで、1日かかってた仕事が1時間で終わったりするのだ。
ようするにMS officeの達人みたいなのがいっぱいいて、Ctrl+CとCtrl+Vが機能のすべてだと思っているということだ。
(そして彼らの口癖は「忙しい」だ、会議中も左手はCtrl+CとCtrl+Vを叩き続けている。)
2年目に気付いたのは、弊社エンジニアのITリテラシーが低くとどまっている要員のひとつに、実はITインフラチームがことのほかマトモだということがある、ということだ。
製造中のセンサーデータやらテストデータやらETL的にはおそらくえげつない部分で、かなり優秀な人間が居て上手くぶん回し切っている様子だった。
無骨だが使いやすいイントラ上のwebページが用意されて、グロテスクな部分を気にせずクリックだけで上述のデータを整ったものとして引っ張ることができた。
だから逆に言えば下々の人間はコピペでなんとか恰好を整えられるのだった。
彼らはモダンな発想があって、あるいはお偉いさんが「ビッグデータ」とか言い出したのかもしれないが、ともかく、HadoopやらAWSやらそういったものを導入しようと試みているらしかった。
私はそれに感動した。なんせWebスクレイピングみたいな方法で他人が社内プラットフォームや社内WIKIに上げた報告をまとめたり、製造時データと紐づけたり、それからグラフ描いたりみたいな業務が増えていたからだ。
それっぽく表現すればデータ分析屋さんということになるのだろうが、どぶをさらっているという表現のほうが近かったかもしれない。
何にせよそういったものを一気通貫、自動化できるポテンシャルがあると感じられた。
SQLもjavaも書いたことなんて無かったが、1年前やっていたことを考えれば同じことだ。何にせよ歓迎だった。しかも管理はIT持ちだ。餅は餅屋に頼むべきだ。それもできれば美味い餅屋に。
ところがその「ビッグデータ」プロジェクトは人手不足か、資金不足か、あるいは生みの苦しみか、ことのほか時間がかかっていた。(あとで聞いた話、外部コンサルで外れを引いたらしい)
自分もドメインの知識からの助言とか想定される使い方についての意見を伝えていったし(有難迷惑だった可能性は否定できないが)、もう少し待てばモノになると信じていたし、実際そうなった。
具体的な話ができないのだが、客先で起こった不良の原因をつきとめ、その改善効果の確認の為に数十億行のデータが活用された。彼らの力が無ければ常識的な時間では終わらなかった仕事だった。
残念だったのは彼らの優秀さの割に一般のエンジニアのスキルがあまりに低かったということだ。つまりそのプラットフォームを使いこなせる人間が著しく少なかったのだ。
そして上述の足踏みをしていた期間に心象を悪くしていたという問題もあった。とっかかりが難しい割に不安定だというレッテルを張られてしまっていた。
もうすこし悪いことに、同時期に企業買収が起こった。我々は黒字を出していたが同業他社(厳密にはその親会社に)に買われることになった。
そういう時に起ることは不要な冗長性の削減だ。子会社として存続する場合は知らないが、競合他社に吸収合併ということは、多くの部署にとってそのカウンターとなる部署が相手側にも存在するということだ。
つまりどちらにもある部署は統合するか一方を無くすかという戦争が始まるのだ。ITも例外ではない。(ITインフラ部署の無い会社はさすがに無いはずだ)
一方で製造業の本懐である「製品を作り、売る」という部分は比較的守られる。それこそが根源的な資源であり、利益を生む仕組みであり、既存の顧客への説明が必要だからだ。
そして私の仕事は歩留まり改善であり、故障解析であり、データ分析だ。何が起こったか。
(ここで簡単のために旧弊社を(旧)A社、買収した側の競合他社を(旧)B社と呼ぶことにする。)
今の旧A社から引き続いている業務をB社のプラットフォームで行えるように転換せよという下命である。
旧B社の製造データに対するアプローチはA社とまったく異なっていた。Web UIは美しく整っており、それっぽいグラフが簡単に表示され、A社側のお偉いさんからも好評を得ていた。
だがそのバックエンドは控えめに言って酷いモノだった。いくつもの情報を正常に保存できておらず、「それっぽい何か」を素早く返答することを第一義としているように見えた。
そして上述のように器用貧乏街道を歩んできた私に投げられたのは次の言葉だ
「増田くん、B社のプラットフォーム使うことは決定事項だから、君が自動化してたやつ全部そっちで動くようにしといて。よくわかんないけどプログラムとかてきとうにできるでしょ?」
もちろんhtmlもjavascriptもphpもRoRも一行も書いたことが無いのが当時の私である。
果たして旧A社のプラットフォームはB社のプラットフォームのデータソースのような扱いを受ける羽目になり、私はjavascript本格入門を片手にB社の事業所に出向くことになった。
そこで散々「旧A社のプラットフォームは遅い・使いづらい・不安定」と貶されながらチマチマとグラフを表示するページを書いている。
クオリティの低いバックエンドを作る集団が書いているサーバーサイドphpの酷さは素人目にも分かるレベルで筆舌に尽くしがたいものがあるが、
反面教師だと思って耐える日々だ。
最近分かったことは旧B社のバックエンドスクリプトがデータを引っ張るついでに意図的に旧A社のプラットフォームを攻撃しているということだ。DDoSとまでは言わないが、悪意100%である。
いわく旧A社のプラットフォームを畳むためには旧B社のプラットフォームが優秀であることを示す必要があるとのことである。(つまり旧A社プラットフォームが不安定かつ重くなることを意図しているらしい)
旧A社から継続されてる業務はまだそこ使ってるんですけど・・・
それはもちろん旧A社の上司に報告したが「見て見ぬふりをしろ」とのことだった。旧A社のITで何度もお世話になったひとに伝えると「知ってるけどね・・・」と悲しい目をして苦笑いしていた。
旧A社ITはその優秀さでそれらの攻撃をいなしつつあるようにも見える(私も素人に毛が生えたレベルだが、ソフトウェアエンジニアリングのレベルが二回りぐらい違うように見える)