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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2020-08-03

生きづらさすらセクハラおっさんが抱える「新しいキモさ」

若い男性」だけじゃないんだ。「加害性に悩まされている男性」は。いや、若い男だからまだ絵になる。俺みたいなおっさんだと、キモいだけだ。

何の話かというと、これね。

恋心すらセクハラ若い男性が抱える「新しい生きづらさ」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74555

おっさんになると、当然、「役職権力構造」では有利な立場に立つわけで、そういう関係性の中で知り合った女性に対して「恋心」なんて抱こうものなら、かんたんに「深い絶望」を与えちまうことにもなる。その女性に対してね。一方で、男というものが放っておくとそういう「男性性」を表に出してしまうのは避けられない。だからまあ、用心すると。場合よっちゃ、うっかりそういうのをやっちまったときに「自己嫌悪」に陥る。たとえば、職場の先輩的な断りにくい状況の中で、仕事とは関係ないのに、「時間調整でお茶でも飲んでいきましょう」みたいにやって(自分にとって)楽しいひと時を過ごしたときとかね。まあ、もっとドロドロしたのまで、いろいろあるわけだ。

そこで「自らの男性性に悩む」だけなら、そこまでキモいわけではない。おっさん特有キモさは、別に悩もうが悩むまいが、それは変わらんわけでね。

問題は、その「男性性に悩む」ポーズを、実は女性に対するアピールに使おうとしてるんじゃないかってこと。

まり、「俺はキモいおっさんに見えるかもしれないけど、ちゃんとそれに気づいていて、そのことで悩むことができる実は思慮深く優しい男なんだぜ」って、自己陶酔してんじゃないか。いや、自己陶酔だけなら無害だけど、そういう内心を言葉の端々ににじませて、「そのへんのただキモいおっさんよりも、これだけ悩むことができるおっさんのほうがいいだろう?」と、訴えかけようとしてんじゃないかってこと。はっきり言って、これは輪をかけてキモい

から俺は、権力構造を利用してることとか男性の加害性とか、その程度のことで悩むような甘い男じゃない。そうじゃなくて、そこで悩んでることをアピールする自分キモさに悩んでいる。

おっさんのほうが、若い男よりも数段複雑だよ。

2020-08-02

新卒4年目だけど、仕事のやる気がわかなくてつらい

助けて欲しい。

やりたいことやれる会社に2年前転職して、最初は何するのもやりがいあってやる気に満ち溢れてたけど、今は何するにもつらい。

〇原因(なんとなく自分で予想してる部分)

①やりたいことはやれてるが、キャリアが見えない

役職としては固定して決まっておらず、ビジネスサイド業務の広い範囲プレイングマネージャーとして働いている。でも、何かに特化しているわけではないので、所謂器用貧乏になっているように感じる。

自分がこのまま何にも特化できないまま、キャリアを歩んでいくのが怖い。でも責任があるからかに集中させて欲しいなんていえない。

そもそも何に特化したいかもわからない。ただ不安

やっている事業自体自分がやりたいことだけど、自分能力が追いついていない、伸びていないと感じる。そしてそれに対してどう対策すれば良いかからない。

事業成功するイメージがわかない

→これを言ってしまうと元も子もないが、正直こう感じてしまう。自分事業の数値含めた管理を任せられているが、トップダウンで決まった目標が途方もなさ過ぎて達成できる見込みがない。でも数値責任は私にあって、大きく未達する見込みがあると詰められる。つらい。

自分なりに色々考えてはみているけど、どうやっても今の予算だと数値達成できない気がする。

→みんなの前では立場上頑張ろうと鼓舞する側にまわっているが、内心やれるはずないと思いながら苦しんでいる。土日も仕事のことがずっと頭にあって、心から休めない。こわい。

→土日も常に仕事のことで何かインプットなりアウトプットしないと、ダメ人間になっていく感覚が強くて、1日だらけてしまうと強い自己嫌悪に陥る。

自分はこういう仕事に向いていないだけなのか。やりたいことをさせてもらってる分、贅沢な悩みだと思うけど本当に毎日辛くてどうすれば良いかからない。

2020-07-31

変われない

私は落ち着きがないし、声が大きいし、声が甲高いし、人の話を遮ってしまうし、相手の話を聞くのが下手だし、会話を楽しんでもらうのが下手だし、選ぶ話題もよくないし、疲れさせるし、でもでもだってが口癖だし、なにかに誘いすぎるからしつこいだろうし、語尾を伸ばしてしまうし、子供っぽいし、媚を売るような話し方をしてしまうし、うざい話し方をするので、そういうところを変えたくて仕方ない。

これだけ自分の変えたいところが分かっていて、日々意識しては自己嫌悪に苛まれているのに、一向に変わらない。

それでもポジティブでいないとやることやる気力が起きなくて、やることやらないと死んでしまう。なのであんまりこんなこと書くものでもないと思うのだが、一向に変われないストレスはもうとんでもないので、本当にどうすればいいかという感じで…。

早く変わりたいので確実に変われる方法が知りたい。

2020-07-30

努力するのが普通の人なのか~知らなかった~

とある漫画を読んだ。それを読んで引き摺り出された「努力普通」に関する自己嫌悪自己愛を吐き出す。

死にたいけど死ぬための努力もしたくない。なんにもなれないならボタン一つで苦痛なく死にたい。そのための苦労は他人が負ってほしい。この考えはエゴなんだろうか。

ずっと努力していない状態が「普通」で、努力しているのは「がんばっている」だと思っていた。がんばることは辛いからがんばっている人は偉い。偉くなりたくなければ、努力しなくてもいい。

なぜかそんな思考が染み付いている。

でも、成長したら普通になるために努力するのが「普通」だと叩き付けられた。何かにつけて、普通の人との差を見せ付けられるたびに自分の本当の順位を見せられて痛い。

私は現実見方が、受け入れ方がわからない。「こんなはずじゃなかった」といえばいいのか。そういう処世術を誰も教えてくれなかったじゃないか

本当は小さいころから努力のやり方を学ばないといけなかったのだ。小学校ときから努力が大嫌いで、適当にやってもテストで平均点取れてるからみんなの言う「普通学校」に進学できると思っていたんだ。

この普通は100点中、50点だ。本気で私は50点の人間だと信じ込んでいた。競争の真っ只中に放られるまで。

それがどうだ?勉強をすべて投げ、かといって趣味もなく、何にも打ち込まない。コミュニケーション不全を拗らせたぼっちが、どこの世界の50点なんだ?

よく考えてみなくても、友達も実績もどこかからか湧いてくるわけではない。誰かが努力の末に手に入れているものだとという視点は皆無だった。そもそも人への興味を持とうとすらしなかった。

手に入れた人は運が良く才能があって、結果的にそうなった。だから私にも運と才能があれば、他人みたいな普通幸せがやってくる。

そんな夢物語をきっと未だに妄信しているのだ。

だって自分が何もしてこなくて平均以下であることを認めたくない。私は普通だ!まだ人生はやり直せる!ああ、努力する才能さえあれば!

なにをいってる。身の程を知れ。20年間何もしてこなかったツケを今払ってるだけだろ。

でも、こんな文章を書いて自己正当化を図るくらいにはプライドは高くなって、自己愛は素晴らしく自分の性分を肯定する。

ようするに自分のことを理解できている人のふりして長文を書き、気持ちよくなりたいだけだ。何かを実際にしたいわけではないし、本質は目を逸らしたいところにあるので自分への理解さえ十分にできない。匿名世界ですら悲劇のヒロインでいたいんだろうとは思うが。

せめて言い訳ぐらいは上手くなってくれればいいのに、それすら「他人のせい」の一点張り薄っぺらすぎてつまらない。何にもない。

もうだめだ。クズクズのまま許容される社会を真面目に望むし、評価される社会が嫌だ。それって、努力する全ての人を馬鹿にしているだろうか。

だけど今更変われない。変わりたくない。ぬるま湯から脱出しても絶対傷付きたくない。

そんな死ぬことさえがんばれない人間が、死ぬこと以上の努力をできるわけないだろ。

2020-07-28

anond:20200728015148

自分を苦しめた奴を思い出すと呪っている

不幸になれ不幸になれと声に出して呟くこともある

当の本人に伝わらなくてもいい、伝える気もない

自己満足にもならないし自己嫌悪しかならない

ふつうに過ごしていても発作みたいに湧き上がってくる感情がある

25歳 女 彼氏いない歴=年齢

 初恋すら経験しておらず、勿論処女だ。

 そしてこのことは私史上最大の秘密であり、母親すら知らないトップシークレットだ。普通親なら気付くはずだと思われるだろうが、何故か母はいもしない男の気配を私から嗅ぎ取っており、男受けしない娘だが最低限の経験はしていると今も信じ切っている。

 母ですらそう思い込んでいるのだから、友人や同僚ともなると私が魔法使い一歩手前の希少種だとは考えもしないのだろう。それどころか身に覚えのない彼氏話題を振られることさえある。その度適当な嘘をつき、ボロが出る前に別れたことにしてその場を乗り切る。時にはワンナイト相手を登場させたりもしている。今ではすっかり恋人と長続きしない自由気儘な人物像だ。処女のくせにな。

 周囲にそう思われている理由はなんとなく分かっている。単純に遊んでそうな容姿性格なのだ

 濃いメイク身体ラインを強調する強気な服、それからアクセサリーが大好きだ。爪はいつでも長く伸ばし濃い色のジェルネイルをしていないと落ち着かない。着けている指輪の数も多い。服飾にこだわることが当然とされている職場ということもあって、毎朝時間ギリギリまでその日着けるピアスを選んでいる。誰かのためではなく自分の気分を上げる武装のようなものだ。

 そんな見た目に加え、夜遊びも嫌いではない。

 居酒屋バーは勿論、JISのような異性と出会う為だけに存在する店に行くこともある。声をかけられれば会話をするし、とりあえず連絡先も交換する。大学時代に友人とふざけて始めたマッチングアプリで知り合った相手デートの真似事をしたこともある。

 ちなみに初めて男性と手を繋いだのもキスをしたのもその時だ。余りの虚しさに頭の悪い女の笑い話として友人達との飲み会酒の肴にした。実は初めてだったなんて口が裂けても言えない。これも墓まで持っていく。

 ここまで書けば分かると思うが、私は派手な見た目とそれなりに釣り合いの取れた非常に厄介な性格をしている。私自身が見た目にこだわる人間である以上、そこから得る印象の重大さは理解している。誰だって全く逆があり得ると分かってはいても、清楚な格好をした人間からは楚々とした印象を受けるし、派手な格好をした人間からは奔放な印象を受けるだろう。なので人から向けられる目に対して文句はない。

 正真正銘性に奔放な友人もいる中で、私は25になっても未だ男性とお付き合いをしたことがない。それどころかそろそろ26になる。アラサーと呼んで差し支えない年齢だ。

 自分のとっつき難い外見や不誠実な言動学生時代から現在まで異性が殆どいない環境生活していること。言い訳ならいくらでも用意できるが、最大の理由私自身がそれ程他人との関わりを強く求めて生きていないことだろう。

 基本的に私はプライドが高く、ありえない程に気が強い。性格も悪いが、そもそも根本人間性に難があるタイプ人間だ。親しい相手を除いた自分以外の人間に無条件でいつでも害意を抱いている普通ヤバいやつなので当然モテない。もしくは見た目だけがモテる。断っておくがこれは外見が性的対象として見られているだけなので人間として好まれているわけでは決してない。

 そんな中、学生時代からの友人がついに全員既婚者となった。高校大学など出会った時期は違うが全員同じ歳だ。それぞれ卒業後も定期的に連絡を取り、お互いの近況を報告し合っていた。そんな友人達が一人残らず結婚した。相手は私と知り合う以前から付き合っていた彼氏であったりよりを戻した元彼であったりと様々だが、とにかく全員が全員結婚したのだ。

 すでに数年前から母として育児に励んでいる友人もいるが、これから自分の周りには家人として家庭を守って生きる人間ばかりになっていく。何故か旦那さんのお義母さんとまで引き合わせてくれる彼女達とはこれから友達でいられると思っているし、こんな気難しい私を受け入れてくれる奇跡のような友人達幸せちゃんと喜ばしく思えている。

 だが同時にとうとう1人になってしまったと漠然とした虚無感を覚えている。やはり家庭を持つ人間自分1人を生かす為だけに活動している人間との間には価値観において決定的な隔たりがある。

 これから先、私は彼女達の気持ちに寄り添えない瞬間が多くあるのだと思う。旦那さんのことか義実家のことか子供のことかは分からないが、とにかく今まで雑な嘘で取り繕ってきた私では到底慰めきれない何かがきっとある自発的家族を作っていない私では今の時点でもう想像すらできない。

 彼女達の人生幸せだと思うし、私の人生も勿論幸せだ。

 でも赤の他人に大切な相手として想われる人生とは一体どんなものか、知りたくて堪らない瞬間がある。しかしその愛情を受ける為に言動に気を使い、相手を思い遣ることを考えるととてつもなく面倒に思える。つまり私は恋人が欲しいわけではなく、無条件で自分肯定してくれる生きた人形が欲しいだけなのだろう。人はどうか知らないが、私の場合他人に情を割くには体力がいる。

 恋人、あるいは結婚という誰かと共にある形の幸せを手にした人達には私にはないある種の才能がある。

 26歳を目前に自分処女であるという事実は人には言えない重荷になっているが、本当に人に知られたくないのは私が誰かに感情を向けられたことも向けたこともないという現実だ。

 全くの孤独であるか身近に同じような人がいれば気にならないのかもしれないが、残念ながら私はそうではないし、周りにもそうは思われていない。可哀想なくらいプライドが高い私は自分の見た目と現実との乖離をせっせと埋めるしかない。

 それに人が複数集まって会話する時、過去交際経験という経験値がないのは少々脆弱だ。決して色恋の話ばかりしているわけではないが、一度目の人生の転換期になる25歳で彼氏いない暦=年齢の女は少々浮いた存在だろう。当たり前に過去何人もの恋人がいた友人や同僚達にとっては尚更。何より過去経験はそのまま発言力と説得力に直結する。

 現在私には彼氏がいない。最近別れたのだ。そして今は作る予定もない。友人全員の結婚を期に、もういいかと思うようになった。話の流れによってはまた適当な嘘でその場を受け流すだろうが、これからリアルタイム話題必要になる程恋愛経験が会話の中心に上がることはないと思う。友人達はみんな過去の話よりこれからの話をする。きっと今までのような遊び方をすることもなくなるだろう。

 週が明ければ私は26歳になる。仕事だけで終えてしまった25歳の頭を整理したかった。色々考えたが結婚願望や恋愛願望以前の問題で、自己愛自己嫌悪が強過ぎる余り他人に情を向ける余裕がない私は恐らくこのまま歳を重ねていくのだと思う。きっと精神リスクのない無条件の愛情を求めて停滞したままだろう。

 まだ職場では小娘扱いして貰えているが、最近妙に結果を残さなければいけないと思えて気が逸っている。分かりやすきっかけはなかったが、私も友人達と同じように立派な大人になっている。歳取るって大変だわ。

2020-07-25

安楽死言及してる人のほとんどが健常者で現時点では全く安楽死とは関係のないところにいるんだろうな

もし安楽死が認められても私はその制度を使えない健常者だ

なんとなく死にたいってだめなんです?

この先どうせ何もできない、何にもなれない、社会にも貢献しない

いつか一人で死んでく

それならもうおわりたいよ~

自己嫌悪、もう終わらせたいよ

コロナSNS

知り合いが外に出て遊んでたり飲んでたりするのを見るとものすごくジャッジしてしま

マスクしてないのに距離近いな」とか「この人何だかんだ毎日遊んでんな」とか「何も考えてないのかな」とか反射的に考えてしま

そして自己嫌悪する こんな風に思うこと自体が疲れる 自分性格の悪さを直視させられるのはしんどい

もう嫌だ 自分我慢してるのに…とか思うのも嫌だ あくま対策我慢こちらが勝手に(「良識」の名の下に)やってることになってるのが嫌だ 別に褒めてくれってんじゃないけど、もしかして自分けが馬鹿みたいに時間無駄にしてるんじゃないか?と思ってしまうこともある

2020-07-24

育児が嫌い

子はかわいい育児放棄する気はないけど、育児毎日やる気を削がれる。もう育児嫌い。子どもの面倒みるのやだ。

わたし専業主婦で、1歳と3歳の息子がいる。

洗濯をしようと思ってたら次男泣く、トイレに行った隙に兄が弟を叩いてておちおち目を離してはいられないので家事がいっこうに進まない。

授乳も頻繁にするので2人を連れておでかけするのが大変で外に行く気力がなくなる。

扇風機は2人に遊ばれるので電源を抜く。せっかくの家電が使えないのもストレス

片付けしたそばからものを引き出される。部屋をよごされる。掃除が嫌いなのでうんざりする。

最近みつき癖を覚えた次男の真似をして長男な噛みつく。

嫌だといってもすぐにはやめてもらえない。

もう疲れた

わたし自身が短気なので辛抱強く言い聞かせるのも難しい、辛い。

叩きたい衝動我慢してるが、たまに怒鳴って自己嫌悪に苛まれる。

逃げ出したくてたまらない。

夫は休みの日は協力的だけど、愚痴にはあまり共感してもらえない、夫にその役割を期待するのは諦めた。

友達作るのが下手だから、発散できるママ友もいない。

やさしい義母子育て中のできた義妹もいるが、育児嫌いだなんて言えない。

食うには困らず、恵まれ環境の中のはずなのに、育児が嫌いと吐き出せないのが辛い。

逃げ出したい。逃げると子どもを手放すことになるから逃げないけど。

吐き出したので今日も一日頑張ります

※一日にこういう精神状態ときと、子育て最高!ヒャッハー子どもかわいい〜〜!というハイ状態ときが何度も繰り返している。ずっとダウナーなわけではありません。

2020-07-22

引きこもり限界を感じる

コロナ流行り始めてからめっきり外出しなくなった。

大学オンラインになったので、ここ最近外に出るのは週に3回のアルバイトと2回の通院だけだ。

朝起きて、授業を受けて、ダラダラと時間を浪費する。アルバイトに行きたく無いと時間ギリギリまで粘っては急いで支度する。

毎日これの繰り返し。おかしくなってしまいそうだ。

何か趣味に打ち込めればいいんだろうけど、最初は楽しめていたゲームだんだんとつまらなくなってきた。

日常に何の変化もないから、友達通話しても会話が長く続かない。

暇だからTwitterやら増田に入り浸っては自己嫌悪するばかり。

気が付けばもう7月下旬に入っていた。このままいつまで引きこもっていればいいのだろう。

旅行に行けば白い目で見られ、外食すれば親には嫌そうな顔をされる。刺激の無い生活がこんなに辛いものだとは思わなかった。

早く平和日常が戻ってきて欲しい。また友達と食べ歩きしたり、温泉に行ったりしたい。

2020-07-21

困った感想

とある作品二次創作を書くたびに決まってコメントをくれる人がいる。

ありがたいことだ。感謝気持ちは私にもある。けれど、嬉しいか嬉しくないかといわれれば、むしろ、嬉しくないのだ。

感想、もらえるだけでありがたい。そういう空気が、そこかしにあって、ここにしか書けないので吐き出させてほしい。

読んで楽しかったです。面白かったです。

とかなら、ありがとうございます。と返事をして、私もにっこり。で、終われるのだが、その感想はいつもなんと返事をして良いものかわからないのだ。

テレビ見ながら呟く独り言のような。「ギャハハ!!こんなことも知らないなんてまじありえねぇ!!」みたいなコメントが届く。

文面からは楽しんでくれてることはわかるけれど、自己完結してるから返事をどう書けば良いのかわからずに憂鬱な気分になってしまう。

別に返事は絶対書かなくてはいけないものではないので、私も「あぁ、楽しんでくれたんだな」で、終われれば良いんだろう。でも、私も感想を送ったときに返事があると嬉しいタイプなのでなんとか、頭をひねってお礼を伝えようとする。

そして、文面が出てこなくて心が削れてしまう。

でもって今回は、落ち込んだ主人公最後ハッピーになる話を私は書いたつもりだったのに、主人公元気だせ!とコメントいただき主人公、もう元気なんだが?と、ポカンとしてしまった。

私の書き方が拙くて伝わらなかったのかもしれないけど、やっぱり書いてる人になにか伝えたいなら、相手の反応を考えて送ってほしいと思ってしまった。

逆に、自分が私の立場だったら、なんて返すつもりなんだろう。そういうことは想定して書いてくれてるんだろうか。

それが出来ないのならツイッターに呟いていてほしいな~とかモヤモヤしてしまって、そういう自分にも自己嫌悪している。

2020-07-20

日記をつけられない

理由

・字が汚い

・根気がない

・記録することがネガティブなことばかりで滅入る

過去現在自分が恥ずかしくて自己嫌悪が強い

過去手帳につけ始めたら数日も書かないうちに同居人がこっそり覗くのが気持ち悪くて怖くて対策億劫

・なぜならすごいうっかりでしまい忘れや避けるべき時間帯にごそごそしたりで絶対秘密にはできなさそう

・でも記録が必要になるかも

どう工夫したらいいんだろう

好きなシチュエーションがいつも同じ

どんなジャンルにはまっても必ず同じシチュエーションパロディ小説を探してしまう。

どんな原作でも神様パロがないか必死検索してしまう。

どんなにキャラ崩壊しててもそのシチュエーションなら楽しく読めてしまう私は、本当に原作が好きなのだろうかと自己嫌悪してしまう。

でも探すのがやめられない。

作品を愛しているのか、シチュエーションを愛しているのかわからない。

ただ、書いてくださっている方は私にとって神。

リベラルな人って恋愛感情という差別意識とどう折り合いをつけてるんだろう

好きなひとが困っているから手伝う

そうすると、好きでないひとに対する態度との違いで自己嫌悪に陥る

なんだかえこひいきして卑怯な感じがする

平等じゃない気がする

どうすればいいんだろう

対立煽りじゃなくて

切実に

2020-07-18

処女だけどローターが入らなくて困ってる

処女20代

去年ローターを買った。

いかにもTHEちんこみたいな奴ではなく、ねずみみたいなサイズの小さなやつだ。

自分もも20代彼氏を作りたいとは一向に思わないが、しかしながら一方で性的な興味がないかと言うと嘘になる。

からといってワンナイトラブに興じたり、そういう専用のサービスを利用する勇気も起こらなかった。

なのでローターを買った。

まずはモノが中に入るというのがどういう感じなのか、イメージを掴んでみようと考えたのだ。

私はある夜、意を決してこのオモチャ処女を失うことにした。

軽く指をつっこみ、とりあえず指が通る事は確認する。

ローターを入れる。

いや待って、

びっくりするほど

入らない。

ローションの勢いで瞬間的に先に進むことはあるが、すぐに戻ってきてしまう。

ムリに押し進めようとするとめちゃくちゃ痛い。指は平気そうだったのになんで!?

いてえーって手を離すとやっぱり戻ってきてしまう。

入りきらない。

女体で生まれたこ身体、一応生物学的にはこれよりも大きい男のものが入る事が想定されているはずではないか

というかそれを皆やってるらしい。

どうやって?こんな小さなものすら入らないのに?

かくして、私のセルフ初夜は失敗に終わった。

何が悲しくて一人で初夜失敗してるんだ私は。

必要以上の自己嫌悪が私を襲った。

とにかく、何故世の女性たちがそれをこなせるのかを疑問に首を傾げている。

2020-07-17

anond:20200716235955

増田のかつての上司自分みたいでびっくりした。

人とうまくやっていくために相手のことを考えなきゃいけないって思考が拗れすぎて、自分もそんな感じで不安定な事ばっかり言ってた。

自分意見を持てない、意見があっても発言に自信が無かったから、そうやって無意識にまわりにもストレスをまき散らしてたんだよな。

それに気づいた途端に更に自己嫌悪の大波が押し寄せてくるから始末に負えない。

自分休職退職で闘病続行中だけど、上司はその後どうなったのか気になる。

2020-07-16

現実を見られない人は人生をどう見限ればいい

大学課題を提出できなくて、自己嫌悪社会不適合者であることを思い知らされている。

もういやだ、さっさと人生リタイアさせてくれ。終了ボタンがあったら即座に押してる。でも自殺はきっとできない。痛いだろうから

たか課題ときでここまで落ち着きをなくすのは自分でもおかしいし、頭や精神はどうにかしている。

未提出の言い訳できるならしたかったが、どこをどうみても自分が悪かった。簡単なことしかしてないし、前回までは提出できたので自分が悪かった。何も相手側に落ち度はない。

こういう風に完璧自分が悪いことを突き付けられると、いつも何も言えなくなってしまう。なぜなら自分欠点を向き合わなければならないからだ。

それを認めて改善できるのが普通であたりまえなのに、直せずに失敗ばかり繰り返すだけでなく、失敗を認めることそれ自体苦痛人間はやっぱり生きていけないとわかっている。

いつからプライドけが高くなったんだろう。自分の思い通りにならない自分が大嫌いだ。思い通りにならないすべてのものが嫌いだ。そんなことを考える自分に嫌気が差す。

もう嫌だ。

この先そればかりで楽しく生きていけないなら、回って痛みになるなら今のうちに消しておいてくれ。今すぐ消してくれ。

だって大学生活まで失敗し続けている人間が、人生ゲームの総合スコアプラスを取れるなんて、本気で妄信できるのか?

だったら早めに損切りした方がマシで、これ以上の苦しみを知らなくて済むことになる。幸せになれないか死ぬのと、不幸になりたくないか死ぬのは似ているようで違う。この場合後者になるのだろうか。

多額の負債を抱えてしまったら、底で生きていくかギャンブルでもしないと巻き返せない。だけど一般程度の努力さえ苦痛である人間は、そもそもこの人生に巻き返すほどの価値を感じるか?

痛みを越えてまで知りたい幸せが訪れる可能性がほぼなく、もし宝くじに当たっても生活は続いていく。とにかく割に合わない。

これから味わう苦痛幸福を天秤に掛けて、それでも生きていく理由価値ってあると思えない。

そんな未来予想図より、目先の幸福絶対量で計るなら麻酔でも打って眠っている間に逝かせてくれればいい。鎮痛剤で意識が混濁していく人を見て、そう思った。

何も考えなくていいことは、プラスではないがマイナスでもない。人生は生きてるだけでマイナスを記録していく仕様なので、苦痛を覚えないだけでプラスだ。

なのに、そんなささやか希望さえ手に入れるには苦労が必要なんてバランス調整が狂っている。せめて最後演出ぐらいは誰でも自由に選べて、痛覚もカットするべきなのでは?

そのぐらいのサービスしてもバチあたらないだろうに。

自分理想現実がどんどん差を開いていって、苦しい。

痛いのはいやなんだ。

助けてくれ。一生現実見られない。

2020-07-15

私の性格はひねくれている。

自己嫌悪希死念慮ネガティブ思考、見事に厨二な人間

ある日、両親に承認欲求を満たしてもらえなかったことが原因だと気づいた。

アダルトチルドレン、というやつだと自分で気づいてしまったのだ。

同時に、誰にも救ってもらえないのだと絶望した。

今は幸い全肯定マン恋人出会たことで、希死念慮は消えた。ほかのマイナス感情も落ち着いた。

そして、承認されると生きやすいということも知った。

親への恨みはあれど、子育てが下手でそれでも必死に向き合ってたと理解出来る大人になってしまった。

嫌いになりきれない、こんな地獄あるだろうか。

過去の恨みを持ったまま、発散できずにひとつ屋根の下暮らしている。

できれば早く死んでほしいとさえ思ってしまう。

自分価値がないと思っている人へ、アダルトチルドレンという言葉検索してみて。

価値のない人間なんていない。

生きにくい原因が、少しは分かるかもしれないから。

anond:20200714170855

自分収入300万元増田には遠く及ばないけど左右おじよりは高みにいると思っているその自意識が厳しいなとなった。

こういうのもあとで自己嫌悪して自縄自縛ループ入るわけでしょ。

無職向いてないか労働した方がいいよ。

2020-07-14

承認しかされない腐女子として生きてきてしまった

腐女子で、同人作家で、一般誌で漫画も描いています

意識の切り替えのために、捨て書かせてもらう。

結局ここでこんなことを呟かなきゃ気が済まないところがダメなのだけれど、

これが最後だ。


元ネタ

●「承認されすぎてツイッターアカウントを消した」

https://anond.hatelabo.jp/20200706165448

●「32歳腐女子自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなる」

https://anond.hatelabo.jp/20200709170615


事の発端

最近腐女子界隈のtwitterで、上記のようなもの最近よくバズって流れてくる気がする。

色んな人がいるもんだよねと、腐女子で同じくプロ作家でもある友達作業通話をしているときに、この話題を振ったのは私からだった。

そこから話が色々と派生して、創作活動をする側の腐女子SNS運用についての話になって、

最近自分経験した、少し濃厚なフォロワさんの話をした。


その時に友人がふとこう言った。

「でもあなたSNS運用は、構ってちゃん腐女子のものから当然だよね」


衝撃だった。

家族恋人以外で、こういった指摘をしてくれて、けれど、以降も関係が壊れない存在なんて大人になってからいるものだろうか。

少しの自己嫌悪と、それはそうと自分のことを注意されたことにたいするイラつきと、指摘してくれた感謝

何より、意識していなかった自分欠点に気づけたことが嬉しかったので、そのまま自分おかしいところを指摘してもらった。




構ってちゃんが生まれた経緯

10代で同人誌を作り始め、同時にSNSアカウントを作り、活動を始めたその年にコミケスカウトされて商業誌デビューし、同人と両立させつつ今に至った。

いわゆる「神」みたいな圧倒的な才能があったわけじゃない。ただタイミングと運が良いだけだ。

それが誰かにとってはのどから手が出るほど欲しいものなのかもしれないが。

売れっ子作家ではないが、執筆だけでご飯は食べられてるし、

SNSのフォロワ数は、覇権ジャンルばかり通ってきてる中、短期ちょっと集中して絵を連投すれば五桁に届くねって程度。

仕事が好きだし同人活動楽しい。読んだり見たりしてくれる人も好きだし、

腐女子特有の連投ツイート妄想ツイ、思ったことをなんでも呟いてしまう痛い自分に、

付き合ったりスルーしたりしてくれる友人達も大好きだ。



違和感

しか最近萌え語りやジャンル仕事のこと以外に、日常の全てを呟かないと気が済まないくらい、SNS依存していた。

コロナ自粛ムードもあって、外に出たり人に会うこともなくて、人恋しさもあったんだと思う。

自分でもSNSから離れたいと思っていたのだが、意志とは反対にどんどんツイート数が増えていった。

「〇〇萌え中の人ジャンルでどんなキャラ演じてるんだろう」

「また課金しちゃった…もうやめたほうがいいかな…」

「流石に限界だったかテイクアウトスイーツ買ってきた!おいしそうですねおいしいですよ!」

ただの気持ち悪い腐女子の呟きだ。

でも、それに比例するように、フォロワからリプライマシュマロが増えてきた。



SNSにずっといるんだからリアクションを貰えることが増えるのは当然だけど、そんな反応を全部返さなきゃと思うと億劫になってきた。

承認欲求がないわけではないので、呟きや妄想イラストや漫画がふぁぼりつされるのは嬉しい。

でも、こちらのツイート全部にリプライが来たり、全部にふぁぼしてきたり、適当な呟きを本気にして編集部宛にプレゼントが届く。

最初リンクを貼った「承認されすぎてツイッターアカウントを消した」の記事RTして

「確かに困るんだろうな。でも疲弊するほど承認されることに疲れるなんて、やはり神様はすごいね

みたいなことを呟いたら、

「本当にごめんなさい、そんなつもりなかったんです。遠まわしに私に対する注意をしてくれたんですよねしばらく消えます(要約)」

みたいなDMマシュマロが何個か来て、フォロワ数もちょっと減ってた。



前は全部に返事してたんだけど、数も増えてきたし、返したらその倍くらいの返事が来てさらに返さなきゃならなくて、

好意を向けられることは嫌でもないし感謝もしてるけど、時間的にも大変だから、このあいだとうとう「もう全部返事しないことにします」って呟いた。

全部返事しないから、そのかわり好きにDMやリプやマシュマロ送ってくれていいですよって。

好意故に反応してくれてるわけで、それを否定したいわけじゃなかったから。

そういうところに問題があるんだと指摘された。


自認

今日は〇〇食べたんだ~!」

「今度の新刊、〇〇で〇〇な本出そうかな…悩むな~」

「待って…〇〇尊い……嘘でしょ…ねえ…こんな尊いとある…?」

こういう発言全部別に呟かないで一人で考えてりゃいいのに、呟くからフォロワが反応するんじゃんと。

明らかに反応されたがってるんだろうなっていうツイートされたら、フォロワは私の喜ぶようなリプライ

送ろうと思うに決まってるじゃんって。

自分から誘うようなことをしておいて、いざ相手からリアクションが来ると「困る~><」ってやってるの、自覚なかったの?って。

自覚があると思ってたって。

構ってちゃんのくせに、いざ相手にしてもらえたら冷たくする。そういうことをしているんだよ、と。

びっくりした。

言われてみたらほんとにその通りのことをしていた。

私は自分客観視できていなかったのだ。


実はアンチスレも作られていて、

どうも人をいらいらさせる才能があるのはわかっていた。

しかし、叩かれるのは、ツイートから流れる自分性格根本的な悪さや、アンチとの価値観の相性の問題だと思っていた。


違ったんだよ。



結構な人が嫌いな「相手にちやほやされるの待ち」の人間のものだったんだ、私。

私自身もあんまり得意じゃないタイプの人、それが私だった。



再確認改善案

なんでこんなことにと思って、改善策というか、原因を考えてみた。


私は自己肯定感が低くて、描いたものをいつも

「こんなものすみません

とか

「本当に下手だ…なんで上手くなれないんだ…」とかよく呟いていた。

そういう卑屈さゆえにアンチもついたんだろうと思っていたが、どうも話はもう少しややこしいようだった。



これを書くとまたすごい嫌味な人にしかならないんだけど、

どうも自分が思っているより、自分が描いたもの一定基準を超える評価が貰えるようなのだ

それをアホみたいに卑下して自分ダメ人間なんですって言ってるのが嫌味で愛されたがりそのものだったらしい。

本人は本気で自分の至らなさに落ち込んでいるつもりだったのだが、人にはそう見えない。




卑屈になるならひたすら卑屈にしていればいずれアンチに総攻撃して貰えて精神をやられたものの、

残念なことに、自分には他者から承認されまくったり、アンチ精神攻撃嫌がらせを受けたこと 

により疲弊して潰されてしまうような”正常な感覚”がなかった。


「まあアンチって自己主張の強い癖のある奴には絶対ついてしまうから

もっとのびのび絵を描いていたい。なんで我慢しなきゃいけないの。」

自分のこと嫌いな人に配慮して活動するより、嫌われる覚悟を持ったうえで好きにしたい」

「がんばって描いた!下手だ!!つらい!!本当に下手だ!!でも、見てくれる人がいるほうがもっと上手くなれるからふぁぼりつ嬉しい!!こんなへたくそに!!」


こういうことも、考えるまではまだいいかもしれないけど、全部呟いていた。

こんなの、自分の描いたものを好きなフォロワ達がみたら、擁護してくれるのは当然である

よしよしぎゅうぎゅうされるの待ちでしかない呟きだ。



からさらに呟いていた。

「この呟きは自分への戒めのために、感情を整理したくて吐露しています。ほおっておいてくれるのが一番助かります。」



いや、だったら黙ってろよ。

なんて強靭メンタルなんでしょう。

世間ではこれを自分勝手と言う。いやその通り。



猛省

別に自分の考え全部が間違っていたとは思わない。

しかし、考えたことをSNSに吐きだした瞬間、私は私が作家であり同人絵師であるがゆえに、絶対にフォロワに肯定されてしまってきたのだ。

私の痛さに耐えられない人間は去っていくから、フォロワは肯定してくれる人しか残っていない。


それでいてこの間まではそんなこと気付いてなかったから、

貰ったリプライDMマシュマロの全てに

「反応とかいらないのに…申し訳ないな…」

となるべく返事をして感謝を述べていた。

それによって自分気遣い肯定された一部フォロワはますます

肯定してあげなきゃ」

となり、

狭いコミュニティでの気持ち悪いよしよしぎゅうぎゅうちやほや地獄絵図が完成したのである




自分で作った気持ち悪さを自分気持ち悪がっていたんだ。






結論

自分がどれだけ自分に自信がなくても、

あるラインを越えた評価を貰える人間は、卑屈にも自信家にもならない丁度いいバランスSNS運用をしたほうがいいらしい。


当たり障りのない、日常のこともあまり呟かず、萌えまくってやばいときも、呟くより粛々と絵やマンガにぶつけるべきなのだ

貰ったリプライメッセージマシュマロにも過度に感情移入しすぎず、感謝してる事実だけをシンプルにたまに伝えるようにする。

そして、今回指摘してくれた友人のように、正直に言ってくれたほうが有難いことははっきりと言ってくれて、

後に尾を引かない関係でいられるような少数の友人とのみ親しくしていた方が、自分自身の行動への違和感認知のゆがみを阻止できる。


せめてもう少し一本筋の通った腐女子でいたいなと思った。

変わりたいのだ。

今持ってるアカウント気持ち悪さの塊に見えて仕方ないので、少しずつ低浮上になっていってふわっと消そうと思う。


匿名で正体を一切隠した腐女子アカウントを作ろうと思ったが、絵を見た瞬間わかる人には正体がばれてしまうので、

本気で身を隠したいなら絵は上げるなと忠告してもらった。

「ばれないよ!そんな才能も個性もないし!また新しいアカウント作って、呟き方や内容は改めるし、自己卑下日記帳に書く!」

と言ったが、

「この一連のやりとりをした今、あなたと似たキャリア人間以外が、その発言をきいたらどう感じると思う?」

と返されてぐうの音も出なかった。本当に良く今まで付き合ってきてくれたなと友人に感謝した。







もう手遅れだろうけど、また嫌われることを言う。

大手でも、明らかに神枠認定できる程のフォロワがいるわけでもなくても、

描いて、だれかに見てもらいたい限り、私は「神」にならなくてはいけない。

どうしてそこまで描いたものを見てもらおうとするのか、自分エゴの強さに少し呆れたが、

そのことについては

「描いたものを見てもらいたいという欲求は、描き手にとって自然ものだよ。」

と友人は言ってくれた。

過剰な自己卑下の中、描き続けてきたのは見てくれる人が当たり前にいてくれたからだ。

自己嫌悪でいっぱいになって描くのをやめようか悩んだことも沢山ある。

でも、見てくれる人がいたおかげで、あと少しもう少し上手くなりたいと思い続けてこれた。

自分が何を優先したいか自明である

どれだけ恵まれいるか自覚して、次のアカウントからはせいぜい神っぽい存在になることにする。

推しもっとすばらしく描く。一次創作もっと澄んだ個性を磨く。

これを読んでくれた誰かの神として、いつか出会ますように。

2020-07-13

同人活動をやめられない

私は底辺同人作家をやっている。たかが一度サークル参加したことがあるからといって同人作家を名乗るのはおこがましいだろうが、ここでは同人誌を描く腐女子という意味同人作家と名乗らせてほしい。

私はとあるつのジャンル二次創作というものを知り、同人活動を始め、そして現在同人活動を続けている。今年で3年が経ったところだ。

それだけ長く居座っていれば古参としてそこそこの地位が築けているはずなのではと思うこともある。しかし私が未だに底辺を脱していない理由は単純だ。

1.絵に魅力がない

2.病みツイートが多く固定ファンがつかない

そこまで分かっていてなぜ3年も底辺のまま活動できるのだろう。

何度も自己嫌悪に陥ったが同人活動をやめようと思ったことはない。

すべては強すぎる承認欲求に起因している。

以下は承認欲求に囚われた醜い同人女の醜い黒歴史語りである

私は昔から絵を描くのが好きだった。少女漫画を写し絵シートで模写したり、自分でもオリジナルキャラクターを描いたり。誰に見せるわけでもなく素直に絵を描くことを楽しんでいた。

しか学生時代、友人間深夜アニメ流行り出し、アニメキャラクターを描いては友人同士で見せ合う遊びをするようになってから自分の絵に対する姿勢が変わっていく。絵を描けば上手いね可愛いね、と褒められるのが気持ち良い。調子にのった私は自分の絵は人より上手いと思いこんでとにかく絵を描いては友人に見せびらかしまくった。今思えば技術もなければ魅力もない、ひどい絵をよくもまあ堂々と自慢していたものであるシャーペンで描いた迷い線だらけの落書きを親しい友人に見せては上手いねと言わせ、ツイッターに上げてはフォロワー義理いいねをもらい、完全に絵の上手い人枠を勝ち取った気になっていた。(学生時代一度も絵の上手い人枠で修学旅行のしおりや応援旗の作画を任されたことがないことに気付いたのは最近の話である。)

気づけば絵を描くことは自分承認欲求を満たす手段しかなくなっていた。高校卒業し、予定を合わせなくても毎日友人たちと交流できる期間が終わってしまうと、自らの承認欲求を満たすためにその矛先を向けたのがツイッターだった。ひとたび絵を上げればすぐさま反応が数字で表示され、簡単承認欲求を満たせる魅力的なツールであり、また多くの絵描きがその泥沼にハマっては絵描きを辞めていく恐ろしいツールでもある。

私もその泥沼にハマった一人だ。

それまでもツイッターはやっていたのだが、あくまで小規模なコミュニティしか交流しない鍵垢での活動に過ぎなかった。高校卒業を機に私は、推しジャンル専用のアカウントを作った。

クソデカ承認欲求を抱えた女の魂胆はこうだ。

1.イラストを上げてフォローフォロワーの神絵師になる(当時の神絵師定義がこれであった)

2.大手同人作家相互になる

3.オフ活動でもちやほやされる

今思い返して書き並べてみても図々しいにも程がある。私はこの宣言どおり、目をつけた神絵師積極的に声をかけて存在アピールし、見切り発車でサークル参加も申し込んだ。

しかし忘れてはいけないのが、ここで私が底辺同人作家であるということだ。

私は多くの人に認知されることに気を取られるあまり、まったく絵の練習をしてこなかったのである。(ちなみにこのとき繋がりたいタグでかき集めたフォロワーほとんどで、180人ほどだった)

井の中の蛙大海を知る。

自分の絵はデッサン崩壊し放題、配色めちゃくちゃ、おまけに漫画ネタ小学生自作漫画以下というとにかく人様に値をつけて売れるようなものではなかった。イベントが近づくにつれて次々と流れてくるサンプルと自らの原稿を見比べては、完成度の低さに絶望し、ここではじめて自分が絵の上手い人ではないことに気付いた。

病みに病んだ私は「自信がないので新刊の値段を格安します」とツイート。すると当然バッシングの嵐。買い手に失礼だ、自信をもって発行する本がほしかった、などと様々な意見を頂いた。厳しい言葉ながらも私の本がほしかったと言ってくれるフォロワーがいることが嬉しくて、申し訳なくて、このときは本当に反省した。

なんとか無事イベントは終了し、稚拙新刊20部ほど売れた。大手ジャンルの力ではあるが、購入してくれた優しい方々には頭が上がらない。

病み病みまくったアカウントを墓に葬るため、イベント後、すぐに私はアカウント移行した。

しかしこれがさらなるクソ病み女を生み出す原因だったのである

移行後のアカウントで繋がりたいタグをするも、面白いほど伸びない。フォロワーも増えなければ絵も伸びない。どうせ絵が下手。嘆くだけで絵の練習はしない。耐えきれなくなった承認欲求病みツイートを生み出し、少ないフォロワーさらに減っていく。さらにこのアカウント相互トラブルを起こし、ちょっとした騒ぎを起こした後にアカウントを消す羽目になる。災厄がついていたとしか思えない1ヶ月だった。

気持ちを新たにし別名義で新垢を作った。

病みツイートはせず、推し妄想イラストだけを上げるアカウント。これが大変居心地が良い。まず病みツイートがないというだけで相互にブロ解されることがなくなった。またフォロワーに影響されてクロッキー練習をするようになり、いくぶんかイラストが上手くなった。初めて自信作に100いいねがつき、微差だがフォロー数をフォロワー数が超えた。今度こそ絵がうまくなった気がする。

順風満帆とも思えるツイッターライフであったが、ここで承認欲求の鬼がまた顔を出すのである

ある時一人の相互自身の絵のpixivまとめをツイートした。最近自分の界隈にやってきた絵師で自カプが同じということでわりと仲良くしていた人。かなり好みの絵を描く人だけどまだまだフォロワーは多くない方。だから舐めていた。

なにげなくその人の過去ジャンルイラストまとめを開いてみる。1500を超えるブクマ数が。次も、次の作品も。

完全に嫉妬だった。私なんてよくて20ブクマ。こんな神絵師が私みたいな底辺絵師とつるんでたんだ。私の絵を褒めるときどんな気持ちだったんだろう。お世辞?呆れ?ネガティブ妄想ばかりに囚われる。それが2人続いた。

メンタルが壊れた。

はじめてもう絵を描きたくないと思った。

5秒後

でも原稿あるしな、イラスト描かないとフォロワー減るしな

またしても承認欲求によって私は絵を描き続けることになるのであった。正直今のジャンル居座り続けて飽きてきた。けど次行くジャンルもない。絵を描くのをやめたら何が楽しくて生きていくんだろう。私にはつらくても絵を描いて生きていくしかないのかと、そう考えることしかできない自分が憎い。

2020-07-11

時々我が子のいない世界線に飛びたくなる

でもそれは倫理的にも感情的にも無理な話だし

毎日毎日正しく愛情を伝えることは上手くできてないけど、多分世間的には仕事ばっかで冷たい母親に見えるだろうけど、でも自分が生んだ子ども達だからやっぱり可愛いよ、可愛くないはずがない

ただ時々、もし子どもがいなかったら仕事と家庭の両立に負い目を感じたり、自己嫌悪したり愛憎に振り回されたりは今よりずっと少なかっただろうなと思う

孤独だけど自由だったんだよね、人付き合い上手くないから、今の夫や家族やあと僅かな人って感じで愛情を注ぐ対象が限られてた。それでどうにかなってたし、その感情を持つことは少なくとも私の自由だった

今は自分分身かつ別個体存在が持つパワーに引きずられてクタクタで一呼吸の自由もない

愛させられてるっていうか、自分感情安全装置ができたみたいというか、生き延びる理由ができてしまったんだな

子ども存在が私をこの世に繋ぎ止める楔になった

それが凄く幸運幸福で甘受しえるものだと分かってるからこそ、時々息が詰まりそうになる

無性にあの頃の寂しさが恋しいけど、もうあの孤独自由を思い出せない

でもこんなこと書いてるけど子どもを置いて死ぬ死ねない、絶対生き延びてやるって思うのも事実だよ

子ども必要とされてるもの、そうだと信じたいだけかもしれないけど

2020-07-09

自己肯定感がないので自己肯定感について考えてみた

昨今のお気持ち表明から自己肯定感について語られているブログを読んだので自分なりに考えてみた。

昔少し学校勉強はしたけど、概念的な部分のみなので知識が不足していることを前提に、そこから自分なりの考えで述べているので正しくはない。

 

 

自己肯定感とは、ざっくり言うと自分存在価値認知できること。

見えないバリア自分を守れている状態

 

 

自分生きててごめんという思考存在しない状態で、メンタルについてひどく悩まない状態で、人類を滅ぼしたいとか破壊したいという発想にならず、基本生きることに前向きでとても健康精神を指すのだと思う。

   

では自己肯定感がないと

1.褒められても素直に受け取れない

2.人類はほぼ敵

3.他人評価できない

4.よくわからない不安を抱えて生きる

 

多分もっとあるけど思いつくところだけ。

とても生き辛いのではやく尊厳死を認めてほしい。

  

  

1.褒められても素直に受け取れない

可愛いね!と言われても、

いやこれ安かったし。と、なり、何故か自らを貶す方向に走る。

お世辞もわかんねーのかよクズ、と心の中で思われたくないことから防衛反応から言うのだろう。

そこは「ありがとうショップで見つけて一目惚れしたんだー可愛いねこれ!」

と返せば、ハッピー以下にはならないのに…

 

2.人類ほぼ敵

自分以外は敵で自分も敵、信じられるのは猫のみ。

他人自分を傷つけて楽しむ存在で、自分を無い物として扱うか、自身を高める為の踏み台、ヒトではなく物以下、と考えてしまう。

そのため自分を守るために他人を敵として認知するし、仲良くなった人でもいつか裏切る…と信用しきれない。

人を信じることができない自分自身にもドン引きし、自分も敵と認知してとことんメンタル貶める

自分さえ信じることができれば、他人が本当に敵でもワンパンで倒せるのに….

 

3.他人評価できない

他人評価すると自分がショボく感じる、自分順位が下がると思い、素直に評価できない。

見返りがある時はできる、ハイパークズっぷり。

全て自己防衛のため。そして他人自分が同一線上にいると思っているから起きるギミックなのだが、基本的平行線上の話なので褒めたところでこちらが下がるとかはない。しか脳みそ勘違いをするのだ。

大陸から声をかけてるとイメージしながら褒めれば良いのに…

 

4.よくわからない不安を抱えて生きる

以上3つのことで悩まされて心はぐちゃぐちゃ、脳は回線が入り乱れ、次から次へと自己嫌悪が積み重なり、更にはこれを抑えて日常を生きねばならないので、人間の外殻をもった祟り状態

はやく死にたいけど、ハッピーに成らずに死ぬのは悔しいけど、糸口が見つからない…となり救いはゼロ

人を信用して頼ったり気持ち吐露できれば少しは落ち着くのに…

 

 

自己肯定感がないと、人の皮を被った祟り状態で生きねばならないと言うことだと私は思っている。

 

 

じゃあ自己肯定感とやらを高めればいい、努力が足りない と自己責任論者は言うだろう。

うるせぇ。やれたらやってるわ。

 

こんなに苦しいのに自己肯定感を高められないのはなぜか?

 

そもそも自己肯定感はいつ芽生えるのか。自発的なのか。

 

結論から言うと、自発的に芽生えることはない。

幼少期の大人との関わりで自己肯定感が芽生える、というより与えられるのだ。

 

幼少期に安全を感じられる環境、すべてを受け止めてくれる環境があることで、

帰る場所がある!ここなら守ってもらえるから少し怖いけど冒険にいける!

と、世界に一歩踏み出せる。

この行動が自己肯定感の礎となり、成長するごとに積み重なっていき、自己肯定感という言葉すら認知せずとも潜在的自己肯定できる人間になるのだと思う。

 

そう、自己肯定感の正体は、愛。

愛による見えないバリアで守られている状態自己肯定感があるという状態なのではないか

最初は関わる大人から与えられるが、次第に貰った愛を帯電できるようになり、それをエネルギー自家発電ができるようになる。大人からの愛と自家発電した愛で自分を守ることができるようになるのだ。

 

もう簡単なことで、自己肯定感がないということは、上記状態の逆を指すのだろう。

 

愛を帯電したり発電できない状態

愛による基盤がガタガタで、しかも隙間だらけ。

 

幼少期に大人から適切な庇護を受けていない、もらえるべき愛が足りないガス欠で、ガスを入れる器に穴が空いた状態なのだろう。

 

愛のパワーは強いので、自らを守る愛のパワーで相殺しないと、そのエネルギーでふっとばされてしまうので、自己肯定感がない人はシャドーボクシングをするのだろう。

これも動物防衛反応なのだから泣けてくる。

 

 

自己肯定感がある人は燃費の良い車で、しか自家発電まででき、キラキラとした見た目で颯爽と道を走る。

 

自己肯定感がない人は燃費の悪い車で、常にガス欠、ガソリンを足してもタンクに穴が空いてたり故障している状態なので、動きはするけど速度は遅い。

 

というわけで、大人になってから自己肯定感を構築するのはとても大変なのだ。礎がガタガタなのだから。そしてもう方法すらわからない。

 

 

から自己肯定感がない人は、外部の評価依存する。自分で愛を発電できないから、外部で売っている愛に手を出してそれで隙間を埋めようとする。しかしそれは一時的もの燃費も悪く、しかも器に穴が空いているので継ぎ足したことろで零れ落ちる。

 

 

ではどうやってこの惨めで可愛い可哀想生物を救おうか。

もうこれは愛ある人から愛をお裾分けしてもらい、それで穴を埋めていくしかない。

 

これには運と、気づきと、あとちょっとのしたかさが必要だ。

愛ある素晴らしい人に出会えるには運が必要だ。

運は鍛えられるらしいけど、鍛え方は知らんので、もう神頼みをするしかない。

愛ある人に出会えてもそれに気づかなかったら意味がない。ああ、この人はいい人だ。と気づかなければ、愛のパワーすらただのエネルギーの塊として爆弾になる。

褒めてくれるし励ましてくれる、慰めてくれる(でも下心があったりマウント取られてんのかな)とか考えずにアホになって、その人の愛に浸ろう。

最後にしたたかさ。自己肯定感がない人は愛に飢えているからまぁ騙されやすい。それを自覚し、逆に利用してやる、くらいの気概を持つ必要がある。あまり強気すぎると自己愛性の気質が強くなるので、ほどほどに強気に、いつもの自虐意識しながらほどほどに愛ある人の善意を利用する。

 

これで自分の器の穴が塞げるだろう。そうしたらお礼を言う。愛を伝える。優しいよね。素敵だね。いいやつだよ。と、さらっと。

褒めなれてないのに頑張る必要はない。少しずつ、本人を褒めるのが難しいなら持ち物を褒めればいい。そうやって少しずつお礼をしていく。

 

するとなんだか自分がいい人になった気がして気分がいい。そうなるといい循環ができてくるはず。多分。

 

最初自分のために動くように。利用してやる気持ちで。どうせ利用し切れないで潰れる小心者なので悪人になったつもりで愛を持っている人からお裾分けを貰いにいこう。少しくらい貰っても本人にとってはなんのダメージもないだろう。

 

悪人がいい人の心に触れて改心するアレ。まさにそんなベタな展開に持ち込めればうまくいくのではないか

 

自己肯定感がない人がちょっと自己肯定感がある人になるだけで、周りもハッピーになるはず。

周りのために、世界平和のために、できる範囲で愛のお裾分けを拾いに行ってもいいのではないか

 

最後に。ここに書いてあることは持論であり、なんの裏付けもない、ただ一個人言葉しかないです。

自身の考えをまとめる為に利用したり、憂さ晴らし非難することに利用してもいいかもしれません。

それにより少しでも救われる、気分が良くなることがあれば私は嬉しいです。

神をフォローしたら自分が神になった

ここ最近同人女界隈の神や信者のクソデカ感情がTLを賑わせている。

大抵みんな「神を崇める気持ちは分かるけど、気持ちの押しつけは良くない、神だって人なんだから好きに活動していい」って感想とともにRTしてるし、自分も似たような感想を呟いている。

そんなTLに、相互フォローの神フォロワーから自分宛てのリプライが表示された。

「削除されたA×Bの作品を再公開する予定はありますか?」

さっきまで、神作家お気持ち表明に同意したり、別ジャンルにいた時信者暴走して大変だったとか言っていた神フォロワーが、数々のお気持ち表明内でしんどいタイプメッセージとして挙げられる内容を、自分リプライしてきて、私は動揺した。

自分が神だと崇めていた存在にいつの間にか崇められていた、というほんの少しの喜びや、この人今までのクソデカ感情テキストを本当に読んだのかなという困惑、そしてたかリプライ一つで過剰反応し過ぎなのでは、という自己嫌悪など様々な感情が浮かんだ。

でも一番は、面倒くせえーーーーーーーーーーーーーーーーうるせえ私が消したくなったから消すんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという叫びだった。








さて、神フォロワーと私との出会いの話からしよう。

素晴らしいA×Bを生み出す人がいる!と速攻フォローしに行ったのが、神フォロワーと私とのファーストコンタクトだった。

ちなみに、ジャンル自体マイナーだが、A×Bというカップリングジャンル内でマイナー存在である(B受けの殆どがC×Bばかりで、ジャンル覇権カプはB×Cだった)。

ありがたい事に、神フォロワーフォロー返しをしてくれた上、私の作品に対して感想までくれた。

から感想を賜われるとは思っていなかったので、ものすごく舞い上がった。



実を言うと私の本命カプはA×Bではない。

本命はD×Eだ。

推しのDくんはAやBと同じグループ・X所属なので、A×B作品にDくんが登場する事が多い。

それ目当てでA×Bを読み漁っているうちに、神フォロワー作品出会ったのであるマイナージャンルは少しでも推しが出ていそうなカプは全部チェックしないと他人が描く/書く推し出会えない)。

からフォロワー感想をくれたのは、本命カプのD×Eではなく、私が書いたグループ・Xのオールキャラギャグのような作品だった(ちなみにEはグループ・Y所属)。

本命カプの作品でなくても、自分作品感想を頂く経験は稀だった上、あの素晴らしいA×Bを生み出す神から自分作品内のAとBに対する描写を褒められたのは、なんだかお墨付きを貰ったみたいで嬉しかった。



ある日私はお題箱を設置した。

そこには本命カプにまつわるリクエストは一切なく「あなた様のA×Bが読みたいです」「B×Cをお願いします」「D×Cください」等、グループ・X内のカプにまつわるものけが、大量に来た(フォロワーにはB×CクラスタやD×Cクラスタもいた)。

フォロワーには本命カプであるEクラスタもいたが、彼女達は皆『Eくん推しのD×Eクラスタ』なため、Dくん推しの私はいまいちD×Eクラスタには馴染めないでいたので、D×Eのリクエストが来ないのは仕方なかったといえば仕方なかった。

彼女達が私抜きでEくんアンソロを作ったり、スカイプをしていたりしているのは構わなかったが、いくら私が支部にD×Eを投稿しても殆ど反応されないのは正直辛いと感じていたので、この時もちょっとへこんだ。

ただ、D×Eクラスタに反応されないのはいつも通りではあるし、他のフォロワーからビックリするくらいたくさんのリクエストを貰ったので気持ちを切り替え、リクエストを消費する事にした。

今まで私はD×Eしか書いた事が無く、グループ・X内のカプは読み専だった為、クオリティに自信は無かったが、それでも一生懸命グループ・X内の様々な組み合わせを書いた。

解釈違いと罵られないかビクビクしながらプライベッターへアップしていたが、どのカプの作品フォロワーに受け入れられ、ふぁぼもついたし、感想までいただいた。

特に、A×B推しの神フォロワーは長文感想&私の二次創作を元にした三次創作までプレゼントしてくれた。

そして私の作品RTして「天才から読んで!」と自身信者に紹介した。

フォロワー信者達は、私をフォローする事は無かったものの、私の書いたA×Bをふぁぼしてくれた。

また、神フォロワーが「支部にも載せた方が良いと思います」とアドバイスをくれたので、今までD×Eしか支部にアップしていなかったが、リクエストで書いたグループ・X内の様々なカプの作品支部へとアップした。

すると、物凄く反応があった。

D×E作品ブクマ2・閲覧数20程度しかリアクションが得られなかったが、グループ・X内のカプはどれもブクマ10・閲覧数100を超えた(他ジャンルから見れば病むくらいの少なさかもしれないが、マイナージャンルの弱小作からすれば、桁数が1つ増えただけで大騒ぎなのだ)。

今までこのジャンルで満たされて来なかった承認欲求が初めて満たされた。


そこから少しだけ私のツイート作品に、グループ・X全員に関する事やA×B要素が増えた。

今まで全く言及していなかったのが、たまに触れる程度になっただけだが、それだけでも神フォロワーやその他グループ・Xクラスタがが反応してくれるからだ。

特にフォロワーは、私のA×Bにまつわるちょっとした話を褒め称え、三次創作をいっぱいくれた。

私は人間なのでそれが嬉しかったし、神フォロワーは神なので三次創作はそれはそれは読み応えが凄かった。

私が何かを書けば、神フォロワーが新たに何かを生み出してくれる、そんなスパイラルが生まれた。

とはいえ、私の本命カプは変わらずD×Eだったので、ツイートや書く作品のメインはD×Eのままだった。

D×Eツイート作品には殆ど反応を貰えず、たまに触れるグループ・XやA×Bの話に過剰に反応を貰う日々が続いた。


そして、私はふと思い立って支部にアップしていた、リクエストで書いたA×B作品を非公開にした。

改めて読み返すと、自分の中で解釈違いが甚だしく、読むに耐えなかったからだ。

一応プライベッターでは公開したままだったので、リクエスト主に対して不義理ではないだろうと思った。

しかし、A×B作品を非公開にした事に気付いた神フォロワーは、私にもう一度支部で公開して欲しいと言ってきた。

何故かそれがとても嫌だった。

別にフォロワー支部への再公開を強要していた訳ではなく、あくまでも再公開の予定を尋ねただけだ。

ただ急にそれが鬱陶しく感じてしまった。


二次創作に対して三次創作を生み出してくれるくらい反応を貰えるのは素直に嬉しかったが、毎回添えられる「続きを待ってます」「早く支部にもアップしてください」という言葉は、圧のように感じていたのは否めなかった。

私は一つ書き終えると燃え尽きるタイプだったし、他人にアレコレ指図されるのが大嫌いだった。

それがいくらフォロワー相手でも、だ。


私はA×Bの神だと思って相手フォローした。

それなのに、いつの間にか神フォロワーが、私をグループ・XやA×Bを生み出す神として崇めるようになっていたのだ。

今まで神になった事が無い私は戸惑っている。

昨日まで我こそが信者だと思っていたのに、立場が逆転したのだから

何より、本命カプであるD×Eで神になれない事が悔しかった。

A×B推しの神フォロワーに限らず、フォロワーグループ・Xクラスタは、神フォロワーほど熱烈ではないにしろ、皆私の作品を褒め与えてくれた。

グループ・Xにまつわる作品に限って、だが。

グループ・X所属のA×BやB×CやD×BやC×Dは反応が貰えても、本命カプのD×Eには反応が貰えないままなのだ


私が本当に神なら、グループ・Xクラスタが私の影響を受けて、D×Eを嗜むようになるはずだ。

けれども、そうではない。

グループ・Xにまつわる創作に飢えていた人々が、都合よく作品を生み出す、私という存在を見つけただけに過ぎないのだ。


かにグループ・Xの話を書けば承認欲求はエグいくらい満たされる。

それでも私は、誰にも反応されなくても、大好きなD×Eを書き続けたい。

だって原作読んだら誰がどう考えてもD×E結婚してるもん。

Dくんが一番穏やかな顔をしてるのはEくんと一緒の時だもん。

初めて原作を読んだ時から今までずっとそう感じてきた。

私自身のつまらない承認欲求とやらのために、私がD×Eへ抱いた情熱を捨てたくない。

二次創作誰かのためにするものではない。

同人自由だ。

からいくらフォロワーが嘆き悲しんだって作品の公開非公開の権は他人に握らせないし、誰にも反応されなくったって私はD×Eを書くのをやめない。

今日今日とて、D×Eは世界一お似合いなのだから

ああああ、自己嫌悪な時期になってる。答えは出ないし悩んでも何も変わらないのに自分の全てが嫌になる。早く終わってくれぇ

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