はてなキーワード: 自己嫌悪とは
だからツイッターでは推しに一度でもリプしたやつは全員ブロックしている。
でも、誰もブロックできないコニュニティがあり、推しはそっちでの活動がとても盛んだ。
最初は死にたくなった。どうして推しの発信をみんなで共有しないといけないのか。
同担がどう思おうと私は見たくない。
けれど、最近はちょっと慣れてきて日常的に 同担死ね。とは思わなくなってきた
まあこいつも悪い奴ではないんだろうなと見直したり、痛々しいなと嘲笑する事で鬱憤を晴らす事ができるから。
しかしタイトルの奴だけは別だ。こいつだけはひたすら無理。嫌い。大嫌いだ。
自意識過剰で、よく分からない行動をして、推しにも一度とある事で迷惑をかけている。
推しに大したお金も落とせないくせに、事ある度に担降りしたいと喚き、そのまま降りれば良いのに結局居座ってやがる。
嫉妬が混ざっている事は認める。
私は推しより割と年上なのにガチ恋をしている。気持ち悪い犯罪者予備軍の自覚がある。
で、向こうも推しにガチ恋。でも向こうは推しより少しだけ年下。
しかも地方住みのくせに芸能関係のレッスンを受けているらしく、上京できるチャンスがある。
私はいくつも年の離れたガキを本気で嫌っているのだ。
しかもブロックしておきながら時々ツイートを見にいっては胸中を黒い感情で満たして帰ってくる。
どうせブスなんでしょ。上京したら推しの事なんてどうでもよくなるに決まってる。
推しに必要なのはお前みたいな乞食じゃなくて、今お金を落として知名度を上げてくれるファンだから。
私の心も、時間も、嫌いな奴に割く隙間などないのに。
前述のブロックができないコミュニティに、もうすぐあいつが入ってくる。
コロナ自粛の春休みはゲームしたりアニメ見たり趣味をやったりまあまあ暇はつぶせていたりしたけど、オンライン授業始まってからスマホ依存がやばい
まず授業が全部期間内に見ろっていう動画形式だから溜まってしまう、課題も溜まる
ゲームやアニメ、趣味をやる事って空き時間にやるんじゃなくてガッツリやりたい派で、時間が取れないと出来ないものと考えていて、空き時間に見るのはSNSや動画サイト、ネットサーフィン
溜まった授業と課題が終わるまではゲーム&アニメは出来ない/見れないな→終わらないと見れないけど、やる気起きないな→やらなきゃなと思いつつダラダラとSNSや動画見る→1日終わって自己嫌悪、とりあえず提出ギリギリの課題をする→繰り返し
というここ2週間スマホのスクリーンタイム(使用していた時間)が毎日15時間超えるという負の連鎖をしている
さらに最悪なのが実家暮らしで今はバイトもしてないから飯とトイレ、風呂、課題か授業の時以外ベッドの上で過ごすというクソニートぶり 今日も何も出来なかったという毎日の虚無感に鬱になるかと思ったし逆にヒキニートの人のメンタルを尊敬した
一人暮らしならまだ良かったかもしれないけど、自粛やオンライン授業きっかけで堕落してしまった大学生自分以外にもいるかもしれない
今週こそスマホ断ちできるように頑張りたい
完全な私怨です。
私には彼女がいました。付き合って半年ぐらいでしょうか、コロナからのストレス、PMSの影響で「冷静に男と付き合う意味が分からなくなった」とフラれました。
そしてフラれた後、私の親友と元カノがよく遊ぶようになりました。私と付き合ってた時から「〇〇君(←私の親友)は好きだけど、アイドルに対する好意みたいなモノだし、彼と付き合う女は私じゃない」と言っていました。
元カノと親友が仲良くしているストーリーを見ると「そんな曖昧な表現で好意を誤魔化すんじゃなくて早く付き合えよ」って感じます。
又、親友に対して「容姿やスペックは俺の方が高いのに何でお前が元カノと仲良くやってるん?」というどす黒い感情も湧いてきてしまい、自己嫌悪です。
自分が全くコントロールできない部分でストレスを貯めているのが本当に馬鹿らしいのですが、どうすればいいのかもよくわかりません。
恋愛って難しいですね…
ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。
久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。
今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。
しかも捻くれたことに、(自分は美人だからおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。
その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿な下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり、小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。
しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動で自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。
毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服のスカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。
写真にはとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真は高校の卒業アルバムの個人写真1枚のみである。(中学の卒業アルバムは、受け取った瞬間自分の写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)
その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あいつ不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工の自覚をアピールすることに必死だったのだ。
ただ一つ恵まれていたことは、私の母校は穏やかな私立の中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工だから〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである。
自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学に入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死に自分磨きをした。
詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代のオタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)
しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子校時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である。特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。
このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工な自分が不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。
大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分が根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれてしまったのだ。
その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルをいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工が調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。
この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに、自分は不細工の自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分は醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。
自分の感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。
初カキコ失礼します。ほぼ一年間のもやもやを衝動に任せて詰め込んだので支離滅裂です
私は一次創作と言う物をしてました。そこで自分のキャラの話や設定を話す、所謂「世界観や設定だけ作ってる人」でした。もちろんたまに絵も描いてましたが、いつの間にか月に一度しか絵が描けなくなりました
でもそれじゃダメだと気付いて、何度か本編を書きましたが公開しては消してました
それで去年の夏あたりにそれっぽい本編(一話だけですが)が完成しましたがまだ何か物足りず、身内のグループチャットにのみ公開してました
ストーリーとしてはよくあるファンタジー物に専門知識を足した物だったのですが、後日ネットサーフィンをしてたら商業で既にやってる方(しかもその専門知識ガチ勢!)がいて自信を失ったのと、その創作での敵の名称が「鬼」だった(その時鬼滅の存在は知らなかったです)と言う事もあり、自分はパクリしか作れないんだなぁ。と思いました
その後なかなか創作が煮詰まらず、私は【人に嫌われやすい設定や描写】が気になるようになりました。その時は確か、青い鳥でそういうタグが流行ってる時期で、元々自分の好きな物があまりよく思われてない事をいつも経験してきたので「世間の需要」を考えてみようと思いました
私はそれ以降自分の創作にて、出来る限りあまりよく思われなさそうな設定や描写は重要でない所のみ消すように心がけました。でもなんか、楽しくなったんですよね「人の嫌いな物を知る事」が。そこで暇人だった私は、元うちの子厨(今もですが……)だったのもあり、自身を戒めるためにアンチスレを定期的に覗くようになりました
昔の自分にも心当たりのある事だらけで、気をつけなきゃなぁと思いながらROMってました。それで「いつの間にか自分のいる界隈は(迷惑行為してないとしても)厨だらけなのでは?」と思うようになりました
本編書くかーと言って身内のキャラ借りて世界観がよくわからん事になってたり、軽率にうちよそ()してたり、なりチャしてたり、タグやテンプレで自キャラ語りしたり、呟きでカギカッコ使って創作なりしてたり
いくつか自分のしてきた事もありましたが、だんだんとそれらに嫌悪感を覚えました。そしていつの間にか「キャラ属性で推しを語るオタク」までもに嫌悪感を覚え「どうして属性で説明するんだ。そんな事してると嫌われてしまうぞ」とも思いました
けれど、私はあまりストーリーを読むのが好きではないんですよね。低レア帯のキャラばかり推す人なので、ストーリー見ても「どうしてあの子を好きになったんだろう」と自己嫌悪してしまうんです
幼少期から自身の悪趣味さは自覚してたので、どうして世間一般の供給に不満を吐く悪趣味な奴が創作なんてやっているんだろう? どうして世間一般の需要に合わせられないんだろう? とずっと考えてました
それである時、私は気付いてしまいました。所謂ソシャゲが元凶なのでは? と
ストーリーがあるから厨じゃないと厨はよく言いますし、プロとアマ比較するのも間違いだとは思います。けれど一部のソシャゲはキャラを作るだけ作って、属性や声優でゴリ押ししているじゃないですか。創作者もどきがそれ(声優ゴリ押しは不可能ですが……)をしてたら明らかに距離を置かれるじゃないですか
そして所謂なろう系(一部除く)も問題だと思いました。あれは最強設定文化を語る上で外せませんし、当然だろうとは思いました。空っぽな世界観、空っぽな設定、空っぽな登場人物、そんな中にとりあえず入れとけばいいと思ってる世界観無視の媚び描写。想像するだけで嫌になる。それが世間の需要と分かっていても、私はあれに嫌悪感を持ってました
商業だから許されるけど同人ではやっていけない創作があると私は思ってます。なぜそれを人はまとめて記事にしないのかといつも思ってます
最近のアニメにすら「明るすぎてつらい、ストーリーが長すぎて見れない」と思うようになってる。唯一まともに見れてる作品すら途中から酷評の嵐でしんどい
前の話に戻るが、私は本当に趣味が悪すぎる。幼少期好きだった作品も酷評が多かった。趣味の悪い奴が創作してはいけないと、自治厨でもいいからそういうまとめを作って欲しい
私は何度か「本編無い方が幸せなのでは」とも思った。けれど「書かないと人権が無くなる」とも思っていた。だから本編を書いた、一話書きあげた程度で満足してはいけないと思った。ちゃんと完結させなきゃ、ちゃんと書かなきゃ。もう厨だと思われたくない、馬鹿にされたくない、厨創作だと言われたくない
でも筆は動かなかった。やる気がほぼ消えてると言うべきだろうか。今まで創作サボってやってたゲームすらめんどくさくなっていた
それではダメだと思っていた。今まで自分より絵の上手い、それか文章力のあるフォロワーを見下してたんだから、ちゃんと書かないといけない。妄想をつぶやこうとする度に本編を思い出さないといけない
そう言い続けてたらフォロワーに怒られた
でも私は「そんなに嫌だと思うなら本編書けば? 学校忙しいのはわかるけど、馬鹿にされたくないでしょ? ゲームするくらいなら本編書けば?(まぁでもセンスが無ければ人権も無いけどさ……)」と思った。本編書けばいいだけの事なのにみんなどうしてそれをやらないんだろう、でも本編書いてるアピールしてる私みたいな厨もうざいんだろうな
やっぱ厨は死ぬまで厨なんだろうな
あと最後に、どうでもいいけど「敷居が高い」をハードルが高いって意味で使われるとすごくもやもやするんですよね。あれって確か「無礼をしてしまったために申し訳なくなってる」とかそう言う意味だったはずですし
一生できなくていいよ。その代わり二度と創作者名乗るなよ
以上、私が一年間で感じたもやもやでした。支離滅裂ですいません
ここではソシャゲと言いましたが、キャラゲーや恋愛ゲームの類も一部説明で含んでいました。申し訳ございません。そしてコメントありがとうございます。実際これ書いた時「これ書く時のコストを本編に使えばよかったのになぁ」って自己嫌悪してたので、励ましの言葉嬉しいです。もやもやが吐き出せて少し満足したのでゆっくり休もうと思います
新婚で同居を始めたばかりなんだけど奥さんが毎晩夕飯を作ってくれる。
毎日栄養バランスを考えて手の込んだものを作ってくれるので正直感謝しかないし
美味しく頂いている。言葉に出した方がいいかとも思いいつも「美味しい、美味しい」と言いながら食べている。
手の込んだものがあれば何で味付けしたのかとか何がはいってるのか、なんかも聞くように心がけていた。
そんな折、妻から「あなたはいつも美味しいが一定でどれが好きなのかわからない」と苛立ちながら言われて
思ってもみなかった方向からの不満を受けて途方にくれてしまった。もともとテンションの高い性格でもなく
しゃべり方に抑揚がないので、あんまり嬉しそうに見えなかったのかもしれない。
正直な話夕飯を食べるときに昨日と比べて美味しいかどうか、とかいうことを考えたことがなく、単純にその日食べて
美味しい、と思うから美味しい、感謝も込めて言っていたんだけどそれが妻の不満を買ってしまっていた。
きっと誰も読まないだろうけど、読んで気持ちのいいものじゃないと思います。
だけど、誰かが読んでくれる可能性があるところに投げておきたいからここに。
こんな暗くてじめっとした自分語りをもしも読んでくれた人がいたなら、罵倒でも何でも構わないので何か反応をくれたら嬉しいです。
ぶっちゃけ別にウイルスにかかって死ぬのはどうだってよかったけど、休めるならばと休暇を申し出た。
何もしなくてもいい一か月半の中でいろんなことを考えすぎたのか、常に死にたい。
自分の仕事が本当に自分に合ってるのかとか、このまま生きてても何もいいことないんじゃないか、普段底辺だと思って見下している人たちと同じようになってしまうんじゃないか、自分はなんでこんなにひねくれているんだろう、とか。
世の中の人たちが嫌だと言いながらも耐えられていることが私にはどうしようもなく耐え難い。
人が苦手なのに接客業を選んでしまったが故に、興味のない他人のために働く日々。
ストレス発散のために仕事終わりの夜中に大量の食べ物を胃袋に詰め込んで、また我慢できなかったと自己嫌悪に陥りながら眠る夜。
やりたいことはたくさんあるはずなのに休みの日はすべてを遮断したくて寝続けるだけ。
夕方に目覚めて何もできなかった自分に嫌気がさして、何もできずに布団から天井を見つめる。
そうやってどんどん自分を嫌いになって、自分の未来に希望を持てなくなって、死にたくなる。
とにかく人と会いたくない。他人がすべて敵に見える。
人に自分を認識されることが怖い。なるべく視界に入れてほしくないし、入れたくない。
知らない人に批判されたくないし、下に見られたくない。
10代のころから何一つ変わらない。重ねた歳の数だけ自分を嫌いになってきた。
そうやって生きてきてもう23歳。若さだけで必要とされる年齢ももうそろそろ終わってしまう。
仕事も、自分も、環境も、何もかも変えてしまいたいのに、それをするのは容易じゃない。
世間や他人からの評価を気にする必要はないと自分に何度言い聞かせても気にしてしまう。
そう思っては両親への申し訳なさで涙が出る。
私は人から、世間から到底必要としてもらえるような人間じゃないのに、生まれてしまったから生きるしかないことがただつらい。
私なんかが死んだことを誰にも悲しんでほしくないから、最初からいなかったことになればいい。
そうすれば私は「若くして死んでしまったかわいそうな人」になれるし、自分の死に責任を持たなくて済む。
そんなことを考えてまた一日が終わる。何も成さぬまま、何も動かぬまま。
そうしてベッドの中で、身の丈に余る野望とプライドを持ち合わせてしまった自分を恨みながら眠る。
いつになったら私は救われますか。
酒の入った状態で書いているため乱文乱筆です。
1.1.先日、行きつけの居酒屋で女の子と知り合った。酒の勢いでLINEを交換し、その日は店の床にゲロをぶちまけて帰った。
後日、LINEでその女の子にサシ飲みに誘われ、同じ居酒屋に行った。(と言っても、その居酒屋の店主と顔見知りだったり常連の知り合いなんかが来たのもあってサシ飲みという感じではなくなったけど)
2.1.ここで少し、自分のことについて記しておこうかな。
タイトルの通り、彼女いない歴=年齢の童貞。21歳大学生。自他共に認めるブサイク。ついでにオタク。
とは言っても、実の所容姿に関しては疑問を挟む余地がある気がしている。というのも、気のおける友人達は自分の容姿が並外れて劣っていないと言ってくれているからだ。
まあ、友人の言葉を信じるだけの根拠を持っている自分が何を言ったところで「そんなのは気を使われていだけだ」と言われてしまえばどうしようもないのは確かだ。
だが、この話の本質はそこにはない。
結局のところ自分は、「自分がブサイクでありそれが故に異性に好かれるわけが無い」と信じきっていて、信頼している友人の言葉を信じきれていないという自己嫌悪がこの段落で伝えたいことだ。
3.1.前述の通り、俺は大学生であり、大学には一定数の友人がいる。もちろんそのほとんどが男で、非童貞で、下らないことで笑い合える気のいい連中だ。
その中に1人、よくサシで酒を飲んだりパチンコに行ったりする奴がいる。
そいつの家で酒を飲んでいる時、俺はいつも「彼女が欲しい」「セックスがしたい」「つまるところ、異性とゼロ距離の心で触れ合いたい」ということをボヤき続けている。PCでCRF戦姫絶唱シンフォギアを眺めながら。
そして友人はそれに「お前はそもそも努力をする気がない」「性風俗にでも行けばいい」「まずもってお前は本気でそう思っていない」と言ったようなことを言ってくる。俺は、その言葉に救われ続けている。
1.2.一緒に飲みに行った女の子から翌日、LINEが来た。解散したあとはどうしたのかといったような他愛のない内容だ。
確かその女の子は、連絡が帰ってこないことに極度に不安を覚えると言っていた事を言っていた気がする。
大きく間を開けて送ったLINEには、笑えるほどに簡素な返事が帰ってきた。そのまま会話は途切れた。
俺は、なんの理由もなく異性との繋がりを手放したのだ。
自分が本気で異性との繋がりを求めていないのだと実感した。
3.2.それでも俺は酒を飲めば彼女が欲しいのなんのとボヤき続けるのは変わらない。寂しさの解消を異性に求め、劣等感の解消を異性に求め、でもそれは21年間叶っていないと突きつけられる。相変わらず自己完結し続け、矛盾し続ける。
2.2.夜の道を歩くのが好きだ。見慣れぬ光景に心奪われ、いずれそんな光景も既知になり、飽いて、思考は自分の内面へ向かう。
内面に向いた思考は、概ね上記のコンプレックスと矛盾、自己嫌悪を想起する。
4.自虐的な思考が好きだ。自分は極端に劣っているのだと実感する時間が好きだ。異性の温もりを求めながらそれらを遠ざける矛盾を責める思考が好きだ。
自分を嫌う自分の内面に気がついてから、夜の散歩が楽しくなった。
夜の風を浴びながら自分の矛盾と向き合い、自己嫌悪に沈む時間が最高の快楽になった。
思えば自分は、精神的にマゾヒズムの素質があるのかもしれない。
こうしてまた矛盾する。
童貞(魔法使い予備軍) 15万円ほどのラブドール所有(125cm)
2年ほど前からメインのツイッター垢以外にサブ垢として「ジャップオス」「クソオス」とかの用語を使うフェミニストなりすまし垢を所有してる。
フォロワーは大体2000-5000の間くらいだと思って欲しい。
ツイフェミとしての設定は「港区在住 名門私立大卒 大企業勤務 30代独身 年収およそ700万」 というもの
いわゆるツイフェミの皆さんをフォローし、RTし、日頃「日本はクソ」「男は死ね」「男は生まれた時点で性犯罪者」「生きてるだけで男は女を加害してる」「子供型のラブドールを規制しろ」といった内容を書き込んでる。突撃とかはしてないけど、攻撃性の強いアカウントを見かけたら「そのとおりだと思います!」「男は本当に死ぬべきですよね!」みたいな同意のリプライをしてる。
原因になったのは反出生主義と自己嫌悪と鬱。普通の同級生より遥かに低い給料で将来性のない仕事をしてる上恋愛経験ゼロ童貞で彼女ができる見込みもない。
性欲だけは強いのに女体好きの女嫌い。
マッチングアプリもやってみたけど全然マッチングしないし会えないしで女嫌いと鬱拗らせて止めた。
最近は自傷行為もやるようになって服の上から隠れる太ももとか肩あたりが赤色のバーコードになってる。
自殺も試みてみたけど首吊も怖くて結局途中で止めてしまう。最近は「死にたい」とか「隕石落ちてくれ」と願うだけ。
生まれてこなけりゃよかったみたいな感情を、「男」という属性を攻撃することで発散してるんだと思う。
自分みたいなクソ人間が生きてるだけで他人に不快感を与えてることへの罪悪感もある。
私は認識負荷が高い容姿と軽度の吃音持ち。小中学生のときは肥満が追加される。小中学生のとき散々キモいキモいと女性から言われてきた。男でも言うやつはいたが、徒党を組んで「増田を嫌う会」レベルのことをやってくるのは女だった。母親からも(兄と比べて)嫌われてたので、女と関わったら不幸になる、と15歳まで刷り込まれて育ってきた。
高校に入って、直接的な容姿に対する悪口を全く聞かなくなった。親からの距離もいい感じに離れ、女性が別に敵ではないと気づいてしまった。当然ながら恋もしたが、どうやってアプローチしたものかわからんから、凄く下手糞な距離の詰め方したなと反省しきりである。当然うまく行かない。誰かと喋るときに「キモい」で返ってこなくなっただけで吃音はかなり軽くなったし、肥満も解消したが、まあ頭蓋骨まわりの皮と肉は個性的な造形をしてる。大学以降もまあうまく行かない。ああ、私は恋愛事に向いてねえんだな、っていうことを自覚して、あんまり関わらんようにしてる。
で、なんで恨みが消えないか、だ。簡単だよ、「非モテはキモい」「キモいは容姿じゃなくて言動」「だから非モテでキモいんだよ」「キモいのは加害」「普通の感覚持ってたら非モテにならない」これだよ。散々容姿と吃音でキモいキモい言ってくれてたのに、これ?
いや、別人だよ、分かってるよ。散々キモいキモい言った奴らと、「非モテは言動がキモい加害者」族は別人だよ。でもこれは本当にキツイ。何がキツいかって、何やっても「キモいお前が悪い」とされてきた「増田を嫌う会」と凄くソックリなのよ。徒党を組んで「キモいと言う」「無視されても反応されても馬鹿にする」「賢しらにキモいお前が悪いと言う」「賢しらに悪口に反応するのがキモいと言う」「そういうとこだぞ、でとどめを刺す」、完全に相似形なのよ。
今までやり返したことなかったから、もしかしたら呪いが解けるかもしれない。増田だし、1回やり返してみるか。
男から一方的被害を受けてると思い込んでる被害妄想女、そういうとこだぞ。被害妄想じゃない?お前が加害されるのはキモいからだよ。容姿じゃなくて言動がキモいの。加害者なの。それを批判されたからって「女だから攻撃された」って思い込んでるんだろ?そういうとこだぞ。
全然スッキリしねえな。自己嫌悪が深まるばかりだ。死ぬしかねえのかな。
筋トレ万能論者、ホントどこにでも湧くな。どうせ筋トレ社長のバカ信じてるんだろ。あれスピリチュアルだぞ。適度な運動が肉体的にも精神的にも良いのはたしかだが、それだけだよ。スピリチュアルで幸せになりたいならご自由に。他人に筋トレすれば世界が変わる!筋トレこそ解決策!ってそのヒョロガリボディで勧めてなよ。小島瑠璃子にでもキレてろよ。私は世界なんか変わらなくてもウェイトトレしてるから。
私とBloodborneの話がしたい。
これはただそれだけの記事です。
Bloodborneとは2015年3月に発売されたPlayStation 4用アクションRPGです。開発元はSCEとフロムソフトウェア。
フロムソフトウェアのことは知らないけど
→アーマードコアが売れる
(アーマードコアの新作が出る)」
のコピペは見たことがある人も多いと思います。まあそもそも「フロムソフトウェアも知らん奴はインターネットニワカ」みたいに言われるかもしれませんが、少なくとも私は「コピペは知っているけどフロムソフトウェアのことは知らない」オタクでした。すみません。
そもそも自分で遊んだゲームと言えばゲームボーイSPの鋼の錬金術師やマリオ、後は3DSのどうぶつの森とブレイブリーデフォルト、モンハン、PSvitaで海賊無双、ゴッドイーター、パソコンでpso2を少し齧った程度のもので、恐らく世間一般の"オタク"にしては随分と経験が少ない方だと思います。
メインはアニメや漫画、あとはSound Horizonの緩オタクだったので、あまり自らゲームが欲しい!ゲームがしたい!と言うタイプでもありませんでした。
バリバリの世代なのにポケモンすらプレイしたことはなく、人がやっているのにもそんなに興味がない。
先に挙げたゲームも、ほとんどは「友達がやってたから」あるいは「推しコンテンツが関わっているから」始めたのであって、「そのゲームがしたいから!」と始めた訳ではありませんでした。
自分にとってゲームジャンル自体はそれほど縁のない存在だったので、当然フロムソフトウェアも知らず、PS4も「弟が中古で買ってきたBDも見られる新しいやつ」程度の認識だったのです。
数年前。
詳細は省きますが、一年と半年ほどで私はロクに眠れない、職場のトイレで吐くほど泣く、休みも仕事を緩慢としてまた辛くなり、人に優しくされたくて必要でもない買い物をし、帰り道に無駄遣いした自己嫌悪で泣き出す、自殺未遂をはかると言った典型的な"メンタルをやらかした"状態に。
もっと辛い人は世の中に沢山おられるとは思いますが、私の場合はまず眠れなくて仕事にならないので病院に駆け込み、結果休職→退職コースとなりました。
実家に戻って療養を始めましたが、当時は「自分はただズル休みをしたいだけだ」「怠けて人に迷惑をかけて、私は社会のクズだ」「あの時死んでいればよかった」の言葉が頭を巡り、薬を飲んで寝て起きてもまた実家の居間にあるソファで天井を見上げることしかできませんでした。
このままではよくない、とテレビを見ても観客の笑い声やコメンテーターの笑い声を聞いているのが辛い。そもそもテレビ番組を作っているような"社会"に己が参画していないことを思い知らされて辛い。
映画やアニメでも見て"インプット"しなくては、と思い見始めた作品でまた吐くほど泣き、トイレの中で便器を抱えたまま自己嫌悪で死にたくなる、の繰り返し。
この辺りでようやく「ああ、今自分はマトモではない」と認められたような気がします。
その後はなるべく気を紛らわすために(そして実家で働きもせず休んでいる罪悪感を払拭するために)家事をしたり頼まれた雑事をこなしたりしていました。なるべく社会やコンテンツから離れたほうがいい、と思って。
それでも相変わらずTwitterは続けていましたが。
そんな時、趣味があうフォロワーさんの動画付きツイートが目に入りました。
薄暗いヴィクトリアンゴシック調の街で、トップハットにロングコートのキャラクターが、ステッキを鞭に変形させ、またステッキに戻す。
たったそれだけの動画でした。
私あてのリプライでもなく、ただタイムラインに流れたツイート、たった一つ。
それだけなのに、私はその瞬間
「このゲームには私の好きな"全て"がある」
と感じました。
思い上がりもいいところですが、本当にそう感じたのです。
「フロムソフトウェアのゲーム」が如何なるものか知りも調べもせずに。
ゲームに触れた経験も浅ければそもそも得意ですらない、マリオの1面のノコノコにすら何度も殺されるような人間には、Bloodborneは厳しすぎました。
そもそも先へ進めない。"キャンプファイヤー"にも辿りつけない。レベルアップもどうやらできない。マップがないのでどこからどこへ繋がるのかも分からず、迷子になっている内に殺される。
これはイカン……とフォロワーさんなどの手を借り、なんとか進めました。
それが、とても楽しかった。
厳密には"楽しかった"と言うよりは"必死だった"、"無我夢中だった"と言う方が正しいのかもしれません。
朝一番で掃除をし、洗濯物を干してPS4の電源を入れる。家族が帰ってくる前に洗濯物を取り込んで晩御飯の支度をしなければならないので、夕方には電源を切らなければならない。朝から晩まで没頭する、という感じではありませんでした。
ですが、それが良かったのだと思います。
限られた時間の中で必死にコントローラーに齧りついて、死んでは進み、進んでは死ぬ。
その間は、自己嫌悪も職場での思い出を反芻することもなく過ごせました。
「ゲームとしての難易度が高過ぎて"他のこと"なんて考えている"暇"がない」。
これが何より大切だったんだと思います。
どうにかこうにか迎えたラスボス戦は、涙の出るほど美しかった。
ゲームを終えてスタッフロールを眺めながら泣き、私が次にしたことは自分用のPS4proと、DARK SOULS3を買うことでした。
いつの間にか薬なしでも眠れるようになり、今は元のように、とは行きませんが外に出て働いています。
今では「血の医療はメンタルにも効く」とフォロワーさんと冗談めかして話していますが、これは過言ではないのです。
少なくとも、私にとっては。
実はBloodborneの存在自体は別のフォロワーさんの呟きや絵を通じて前々から知っていたのですが、私にとってBloodborneをプレイする"タイミング"は正にあの時しかなかったのだと思います。
あの時Twitterを覗いていなければ。あの動画を見ていなければ。
流石に過言かもしれませんが、私が働きに出られるようになるのはもう少し遅かったかもしれません。
そう思うと、やはり私にとってはBloodborneが、血の医療が救いになったのだと思います。
私とBloodborneの話はこれで終わりです。
ビビリ散らしてガスコイン神父や血に渇いた獣を火炎瓶で燃やして片付けたがためにパリィを習得せず進み、ローゲリウス師戦で苦しんだ話やNPCイベントを見損ねて歯噛みした話、ギミックに気付かずミコラーシュと延々と追いかけっこをした話など色々とありますがその辺りは割愛します。
長文、乱文、失礼いたしました。
大学一年生(女子)の父です。娘は高3のときに、生理で受験勉強が継続できない様子でした。生理で数日だらだらしてしまう→終わったら今度はだらだらしてしまった日々を思い出して自己嫌悪して勉強に手がつかない、というプロセスで月に1週間以上ロスが生じていました。
私がまず先に妻に相談し、妻が娘を婦人科に連れていき、結局ピルを飲むことになりました。娘が今飲んでいるかどうかは知りません。
自分は男で、何も悩まずに受験勉強していました。女だと大変、というかそもそも性別に関わらず、「何も悩まずに」というのが実は大きなアドバンテージだったのだと、今更気づきました。
小学生のころは習い事をサボる方法ばかり考えていた。このころから学校に馴染めず私は欠席がちで、中学生になると体育の長距離走がつらく風邪をひいたことにし何度も休んだ。親のお金で通った塾も頻繁にサボった。
高校受験の勉強にうんざりし、入るのが簡単な私立高校に入学することを決めた。(結果的にその高校生活は充実し大切な思い出になったのだが)
大学受験も、好きな教科の勉強はよく頑張った気がするが、嫌いな教科からはとことん逃げた。
こんなふうに、嫌な何かから逃げたりズルをしたエピソードを山ほどもっている。
私はクズだ。昔からズルくてかっこわるい出来ない奴だった。一方で、厄介なことに自己愛やプライドだけは人一倍高く…そんな自分がめちゃくちゃ嫌いで最近また悩んでいる。
自己愛やプライドが高いといえる私の性質をいくつか並べてみよう。
私に非があるのに少し叱られただけでかなり凹む。叱られたことは、環境が変わるまで(その人と関係が切れるまで)何度も何度も思い出してしまう。
他人からよく思われようと振る舞う。人の顔色を伺う。嘘をつくこともある。
怒られる、呆れられる、恥をかくのが怖くて、ひとに対して不誠実でズルい対応をしてしまう。
私が他人を傷つけたことは何度もあるはずなのにさっぱり覚えていない。代わりに傷つけられた意識だけが強く残っている。
こんな性質をもつ私は、今までどうにか生き残れたものの、社会で通用しないのは目に見えていた。
犯罪をおかした訳じゃないんだし別にいいじゃんって開き直るのも一つの手だけど、周りの目を気にする自分には出来ない。
実はこんな自分でも、最近まで「私は優しい人間である」と自惚れていた。
コンビニのレジ係の人に必ずありがとうございますと言う。他人に過剰に親切にする。社会の犯罪者を批判することはなく、彼らなりの事情があったのだろうと慮る。
馬鹿みたいでしょ。それは優しさじゃなくて、自己保身とただの無関心だっつーの。中身のない自分を「優しさ」で武装していた。
ほとんどの人間は意識せずして正直に生きているのだと思うけど、それってすごいよ。嘘をついている自覚がないだけなら、せめてすこしは気持ちが救われるのに。
いつか本当に痛い目に遭う前に、誰かに迷惑をかける前に、治さなくてはいけない。
相談先は心療内科でいいのだろうか。こんな人生相談をするために、心療内科なんて行って迷惑にならないかな。
あ
生きるのってちょっと大変だ