はてなキーワード: 臨界とは
集積の経済を考慮したモデルを用いて説明します。都市の生産関数を以下のように定義します:
Y = A * L^α * K^β * N^γ
ここで、Y は総生産、A は技術水準、L は労働投入、K は資本投入、N は都市の人口規模を表します。α, β, γ はそれぞれの弾力性を示します。
γ > 0 の場合、規模の経済が働きます。人口 N が減少すると、総生産 Y は比例以上に減少し、一人当たり生産性も低下します。
臨界点 N* を下回ると、急激な経済活動の縮小が起こります:
dY/dN = γ * A * L^α * K^β * N^(γ-1)
N < N* のとき、dY/dN が急激に大きくなり、小さな人口減少が大きな経済縮小をもたらします。
不確実性下での投資決定モデルを考えます。企業の期待利潤関数を以下のように定義します:
E[π] = p * f(K) - r * K - C(I)
ここで、p は製品価格、f(K) は資本 K の生産関数、r は資本コスト、C(I) は投資 I のコスト関数です。
不確実性を導入するため、価格 p を確率変数とし、平均 μ、分散 σ^2 の正規分布に従うとします。
リスク回避的な企業の効用関数を U(π) = -e^(-λπ) とすると(λ はリスク回避度)、企業の最適化問題は:
max E[U(π)] = -E[e^(-λπ)]
この問題を解くと、最適投資量 I* は以下の条件を満たします:
f'(K) = r / p + λσ^2 * f(K) / 2
右辺第二項はリスクプレミアムを表し、不確実性 σ^2 が大きいほど、最適投資量 I* は小さくなります。
効率賃金モデルを用いて説明します。労働者の努力関数を e = e(w, u) とし、w は賃金、u は失業率とします。
max π = p * F(e * L) - w * L
一階条件より:
p * F'(e * L) * (∂e/∂w * L + e) = L
これを解くと、最適賃金 w* は市場清算賃金よりも高くなり、非自発的失業が発生します。
非正規雇用を導入するため、労働を正規雇用 L_r と非正規雇用 L_n に分けます:
max π = p * F(e_r * L_r + e_n * L_n) - w_r * L_r - w_n * L_n
ここで、e_r > e_n, w_r > w_n となります。企業は正規雇用と非正規雇用のバランスを調整することで、柔軟な雇用管理を行います。
https://anond.hatelabo.jp/20240118004428
元増田だけど
今の虹キモオタは今何に萌えて、何のグッズを集めて、何で抜いてるの?
と考えるともはやVTuberしか残されていないのでは?という感じがしてしまうね、でもあれってそういう対象でもない気がするから疑問
もちろんウマ娘やブルアカのような大人数が出てくる系のゲーム界隈に住んでる人も居ると思うけど
なんか全然見えないよね
ちょっと気づいたけど、ビジネスのあり方に結構依存してる感じがあるね
平成時代はとにかく萌え豚を客として捉えてたけど、今ってもっと一般層や海外まで見据えてる感じがする
そうするとオタク文脈で受けがいい萌えキャラより、もっと万人受けするキャラが出てくる
ってことじゃないかな
ゲームでは先鋭化してるのでそっちに移ったのか、と思ったけどどうにもゲームのキャラにもピンとこないのは単に俺が年を取ったからか?
最初は意外性あってそういうのもいいじゃんって思ったけど、そういう方が主流になってない?
ヒロイン誰だよ?って
ちなみに自分がどこでキャラの人気を測ってるかというとグッズ量だと思う
人気が臨界点を超えると商業的にバグるんだよね、ゲームセンターが分かりやすい
だからベースとなる人気が変わったのではなくプライズビジネスの方向性が変わっただけの可能性もある
まあでもコミケあたりみてもオリジナル多いから間違いないとは思うんだけどね
思えばコミケのエロ同人の量を見て、逆引きで面白い作品を探してた頃が10年くらいあったと思う
_________
Pixivを調べるというてを思いついた
と思って見てみたけどPixivって先鋭化しすぎてわかんねーなこれw
でもやっぱオリジナル多いよなあ
反原発活動家の言う放射能で鼻血出た大変だ―、というのはどういう話なのだろう。
なんか避難所で鼻血が出たとか原発事故のあった町でインタビュー中にたらっと現地の人の鼻血が出るみたいな描写なんだけど、
私の知っている範囲だと放射線の照射で血が出ると十中八九生存できないんだよね。
デーモンコアを光らせちゃったとか、バケツでウランやって臨界させたとかそういうやつで、その場では歩いたり話したりできていても全身の細胞を健全に更新するという機能が人体から失われていて全身から何となく出血しつつ死んでしまう。一切の手当てというのは不可能。
こういう急性の放射線障害の話だったらわかる。でも反原発活動家は避難所でばたばた人が死んだっていう建付けではしゃべってないんだよな。謎だ。
慢性の障害の話してんのかな。
広島平和記念資料館の展示見たとき、被曝で即死せずとも慢性症状が出た人が白血病になって若いうちに死んでいっちゃうというのはあったけどまあ皮膚のやけど以外で血が出ている人は大体死ぬ感じ。
原発の事故で避難しろってなったときも長期的な避難に関しては、人が大量に住み続けると統計的に考えて癌で死ぬ人が見過ごせない程度には増えるというのを危惧して避難させてるはず。でも反原発活動家は癌患者がこんなに増えた!という切り口はやってこないよな。
なんでだろう。
鼻血が出るけど急いで避難したら生き残る、っていうのは放射線がどう体に働いてるって想定なんだろうか。
どういう根拠で言っているんだろう。
わからない。
定義 1: M理論の基本構造を、完全拡張可能な (∞,∞)-圏 M として定義する。
定理 1 (Lurie-Haugseng): M の完全拡張可能性は、以下の同値関係で特徴付けられる:
M ≃ Ω∞-∞TFT(Bord∞)
ここで、TFT は位相的場の理論を、Bord∞ は∞次元ボルディズム∞-圏を表す。
命題 1: 超弦理論の各タイプは、M の (∞,∞-n)-部分圏として実現され、n は各理論の臨界次元に対応する。
定義 2: 弦の標的空間を、導来 Artin ∞-超スタック X として形式化する。
定理 2 (Toën-Vezzosi): X の変形理論は、接∞-スタック TX の導来大域切断の∞-圏 RΓ(X,TX) によって完全に記述される。
定義 3: 弦場理論の代数構造を、∞-オペラッド O の代数として定式化する。
定理 3 (Kontsevich-Soibelman): 任意の∞-オペラッド O に対して、その変形量子化が存在し、Maurer-Cartan方程式
MC(O) = {x ∈ O | dx + 1/2[x,x] = 0}
の解空間として特徴付けられる。
定義 4: n次元量子場理論を、n-カテゴリ値の局所系 F: Bordn → nCat∞ として定義する。
定理 4 (Costello-Gwilliam-Lurie): 摂動的量子場理論は、因子化∞-代数の∞-圏 FactAlg∞ の対象として完全に特徴付けられる。
定理 5 (Kontsevich-Soibelman-Toën-Vezzosi): カラビ・ヤウ∞-スタック X と Y のミラー対称性は、以下の (∞,2)-圏同値として表現される:
ShvCat(X) ≃ Fuk∞(Y)
ここで、ShvCat(X) は X 上の安定∞-圏の層の (∞,2)-圏、Fuk∞(Y) は Y の深谷 (∞,2)-圏である。
定義 5: M理論のコンパクト化を、E∞-リング スペクトラム R 上の導来スペクトラルスキーム Spec(R) として定式化する。
定理 6 (Lurie-Hopkins): 位相的弦理論は、適切に定義されたスペクトラルスキーム上の擬コヒーレント∞-層の安定∞-圏 QCoh(Spec(R)) の対象として実現される。
定義 6: M理論の C-場を、∞-群対象 B∞U(1) への∞-函手 c: M → B∞U(1) として定義する。
定理 7 (Hopkins-Singer): M理論の量子化整合性条件は、一般化されたコホモロジー理論の枠組みで以下のように表現される:
[G/2π] ∈ TMF(M)
ここで、TMF は位相的モジュラー形式のスペクトラムである。
定義 7: 量子化された時空を、スペクトラル∞-三重項 (A, H, D) として定義する。ここで A は E∞-リングスペクトラム、H は A 上の導来∞-モジュール、D は H 上の自己随伴∞-作用素である。
定理 8 (Connes-Marcolli-Ševera): 量子重力の有効作用は、適切に定義されたスペクトラル∞-作用の臨界点として特徴付けられる。
定義 8: 弦理論の真空構造を、導来∞-モチーフ∞-圏 DM∞(k) の対象として定式化する。
予想 1 (∞-Motivic Mirror Symmetry): カラビ・ヤウ∞-スタック X と Y のミラー対称性は、それらの導来∞-モチーフ M∞(X) と M∞(Y) の間の∞-圏同値として表現される。
定義 9: 完全な量子重力理論を、(∞,∞)-圏値の拡張位相的量子場理論として定式化する:
Z: Bord∞ → (∞,∞)-Cat
定理 9 (Conjectural): M理論は、適切に定義された完全拡張可能な (∞,∞)-TFT として特徴付けられ、その状態空間は量子化された時空の∞-圏を与える。
NHKは全国の人にわかりやすい言葉で放送していて、同時にそのような言葉を共通語だと言っている。
しかし思うのだが、この「わかりやすい言葉」とはどういうものだろう?
どこにいっても伝わるような言い回しというのは江戸以前からもあって、NHKはそれを拾い集めて使っているのだろうか?
それともNHKによってお仕着せ的に放送され続けた言葉が「わかりやすい言葉に『なっていく』」のだろうか?
前者の可能性は否定できないものの、少なくとも後者はおかしい。
よっぽど引きこもりでテレビが自分にとっての世界の全てという人でもないかぎり、テレビから離れればすぐにその地方地方の周囲の人の方言を聞くことで言語感覚は方言人のそれへリセットされる。
言葉を覚え始めの幼児すらテレビの共通語ではなく身の周りの生身の人間が話す方言を使うのはなぜか。
それは幼児ですらどちらの言語にプライオリティを置くべきか理屈以前に脳で区別されるからだろう。
逆に言えば一度覚える対象から外れた言語は比較的触れられる状況下にあったとしてもなかなか吸収されない。
テレビ以外ではその地方の方言だけど、テレビだけはアラビア語しか流れない環境下のあっても、おそらくその子が話すようになるのはもっぱら日本の方言で、アラビア語を使いこなせるようにはならないのと同じだ。
で、言語習得の臨界期を超えて「共通語を学ぼう」と思い立った時には共通語はもはや英語などと同様ただの異言語などで、これまた聞き流しているだけで意味が理解できるようになるという可能性はついえるわけだ。
私の親の実家は東北だが、電話で実家と話している時1文字分すら何言ってるのかわからない言葉を話している。
そんな人でも首都圏で家庭を持つに至っては比較的共通語に近い首都圏方言を話すようになるのは不思議でしょうがない。
私があちらの方言をマスターできる自信がまるでないのと同じように、逆も無理なはずと考えるのが筋だろう。
共通語を使っているテレビは、今使っている共通語がどういう意味か語学番組よろしく逐一解説を挟んでくれることはない。
アラビア語でそれだったら一生アラビア語が何を言ってるかわかるようにならないのと同じように、同じ日本でも東北と共通語ほど違いある言葉を解説なしに垂れ流しにされても一生理解できるようにはならないものではないのか。
首都圏方言と共通語の違いは語尾にじゃんがつくかつかないみたいな瑣末な違いがある程度で、むしろそういう違いをことさら指摘されるか、自力で日本語学の初歩を身につけるでもしなければ、むしろ区別がつかない人がほとんどだろう。
共通語と首都圏方言をごちゃませにした短編を作っても、よもやほとんどの人はこれが二つの言語によって綴られていると気付けないと思われる。
さてそういう共通語は誰にでもわかりやすい前提なので、テレビと同様に学校でも教科書に書かれている共通語について一文節ずつ自分たちの方言との対応をおしえてくれはしないはずだ。
少なくとも首都圏の学校に通っていた俺の場合はそうだった。東北とかでは違うのだろうか?いやそんなはずはない。
で、だからこそどうなるか。言いたいことはここからごくわずかなものだ。
「共通語なんてないからこそ、教科書もろくに読めず落ちこぼれる人の問題が起こっているのではないか?」
つまり訛りの強い地方ほど共通語の教科書を見ても自分達の方言との類似性からの意味の類推も困難になり、だからといって誰もことさら解説しない、しかしそういうものだと諦めて、落ちこぼれるのではないか?
都市伝説によれば、かつてアインシュタインの古典的重力理論「一般相対性理論」を理解していたのは3人だけだったと言われている。
それが真実かどうかは別として、その3人のうちの1人がダフィッド・ヒルベルトである。彼は、今日の初学者でも一般相対性理論を理解できるように、それを数学で明確かつ正確(すなわち厳密)に形式化した。
古典的なアインシュタインの重力は、時空上の擬リーマン計量のモジュライ空間上のスカラー曲率密度汎関数の積分の臨界点の研究にすぎない。
物理学の基本的な理論は数学での基本的な定式化を持つべきだと信じたことで、ヒルベルトは本質的にアインシュタインを先取りすることができた。そのため、この汎関数は現在、アインシュタイン・ヒルベルト作用汎関数と呼ばれている。
ヒルベルトは、1900年の有名なヒルベルトの問題の一環として、この一般的なアイデアを以前から提唱していた。ここでヒルベルトの第6問題は、物理学の理論の公理を見つけることを数学者に求めている。
それ以来、そのような公理化のリストが見つかっている。例えば、
物理学 | 数学 |
力学 | シンプレクティック幾何学 |
重力 | リーマン幾何学 |
ゲージ理論 | チェルン・ヴェイユ理論 |
量子力学 | 作用素代数 |
トポロジカル局所量子場理論 | モノイダル(∞,n)-カテゴリ理論 |
このリストには注目すべき2つの側面がある。一方で、数学の最高の成果が含まれており、他方で、項目が無関係で断片的に見えることだ。
学生時代、ウィリアム・ローヴィアは「合理的熱力学」と呼ばれる熱力学の公理化の提案に触れた。彼は、そのような連続体物理学の基本的な基盤は、まず微分幾何学自体の良い基盤を必要とすることに気づいた。彼の生涯の出版記録を見てみると、彼が次の壮大な計画を追求していたことがわかる。
ローヴィアは、最初の2つの項目(圏論的論理、初等トポス理論、代数理論、SDG)への画期的な貢献で有名になった。なぜか、このすべての動機である3番目の項目は広く認識されていないが、ローヴィアはこの3番目の点を継続的に強調していた。
この計画は壮大だが、現代の基準では各項目において不十分である。
現代数学は自然にトポス理論/型理論ではなく、高次トポス理論/ホモトピー型理論に基づいている。
現代の幾何学は「変数集合」(層)だけでなく、「変数ホモトピー型」、「幾何学的ホモトピー型」、「高次スタック」に関する高次幾何学である。
現代物理学は古典的連続体物理学を超えている。高エネルギー(小さな距離)では、古典物理学は量子物理学、特に量子場理論によって精緻化される。
エドワード・ウィッテンは、幾何学的なラングランズ・プログラムの一部とアイデアとの関係について「電気・磁気の二重性と幾何学的なラングランズ・プログラム」を執筆した。
ラングランズ プログラムに関する背景: 1967 年、ロバート ラングランズは、当時同研究所の教授だったアンドレ ヴェイユに17ページの手書きの手紙を書き、その中で大統一理論を提案した。それは、数論、代数幾何学、保型形式の理論における一見無関係な概念を関連付ける。読みやすくするためにヴェイユの要望で作成されたこの手紙のタイプされたコピーは、1960 年代後半から 1970 年代にかけて数学者の間で広く流通し、数学者たちは 40 年以上にわたり、ラングランズ プログラムとして総称されるその予想に取り組んできた。
弦理論やゲージ理論の双対性の背景を持つ物理学者は、カプースチンとの幾何学的ラングランズに関する論文を理解できるが、ほとんどの物理学者にとって、このトピックは詳細すぎて興味をそそるものではない。
一方で、数学者にとっては興味深いテーマだが、場の量子論や弦理論の背景には馴染みのない部分が多すぎるため、理解するのは困難(厳密に定式化するのは困難)。
短期的にどのような進歩があれば、数学者にとって幾何学的なラングランズのゲージ理論解釈が利用できるようになるのかを見極めるのは、実際には非常に難しい。
ゲージ理論とホバノフホモロジーが数学者によって認識され評価されるのを見られるだろうか。
弦理論の研究者として取り組んでいる物理理論が数論として興味深いものであることを示す多くのことがわかっている。
ここ数年、4 次元の超対称ゲージ理論とその親戚である 6 次元に取り組んでいる物理学者は、臨界レベルでの共形場理論の役割に関わるいくつかの発見を行っているため、この点を解決する時期が来たのかもしれない。
過去20年間、数学と物理学の相互作用は非常に豊かであり続けただけでなく、その多様性が発展したが、私は恥ずかしいことにほとんど理解できていない。
これは今後も続くだろう、それが続く理由は場の量子論と弦理論がどういうわけか豊かな数学的秘密を持っているからだ。
これらの秘密の一部が表面化すると、物理学者にとってはしばしば驚きとなることがよくある。
なぜなら、超弦理論を物理学として正しく理解していないから。つまり、その背後にある核となる考え方を理解していない。
数学者は場の量子論を完全に理解することができていないため、そこから得られる事柄は驚くべきものである。
したがって、生み出される物理学と数学のアイデアは長い間驚くべきものになるだろう。
1990 年代に、さまざまな弦理論が非摂動双対性によって統合されており、弦理論はある意味で本質的に量子力学的なものであることが明らかになり、より広い視野を得ることができた。
あなたは映画を見に行った時、エンドロールを最後まできっちり見るひとだろうか?私は”当然”見るし、なんなら明転してからも謎の余韻に浸って、劇場を最後の方に出ることもある。
私が”当然”といったのは、題名にもある通り、映画のエンドロールで帰る人が理解できないからだ。エンドロールを見ずに帰る人たちは何をそこまで急いでるのだろうか?そんなに忙しいなら、そもそも映画を観に来る時間があること自体不思議だ。
映画館に来るということは、行きかえりの移動含めて、少なくとも2~3時間の余裕を抑えてるはずで、その中のたった5分や10分すら待てないほど忙しいとは、どういうことなんだろう。
その数分をねん出したいほど忙しいということは、そのあとのMTGの資料がまだできていないのだろうか。だとしたら優先順位のつけ方やばすぎだろ!
だいたいそんなに重要な用事をあとに控えて、映画の内容に集中できなくないか。絶対そわそわして楽しめないと思う。だからこそ私は、基本休日か仕事を片付けたあとのレイトショーしか見ないようにしてる。
エンドロールとは映画の感動をじっくりと噛みしめる時間で、映画制作に関わったクリエイターの人たちの努力や才能に敬意を表す瞬間という意味でも映画の重要な一部分だと語る人も多い。正直私はそこまで高尚な考えをもって座れてはいないけれど、それでもその5分を切り上げると切り上げないとでは映画体験の深まり方が違う気がする。
あとなによりマーベル映画に代表されるようにエンドロールの最後にちょっとしたサプライズや続編の予告が含まれていることもたまにあるから、どんな映画であっても「この映画にはないだろうな」と思いながらも、
ちょっと期待して待っているふしもある。あと最近映画料金の値上げも激しい中で、その5分にも値段発生してると考えるとなんか悔しいから消化して帰りたい。
もしかすると、彼らはただ「忙しいフリ」をしているだけなのだろうか。映画が終わった瞬間に席を立つことで、自分がいかにも重要な人物で、やることがたくさんあるというアピールをしているのかもしれない。
あとはお腹or膀胱が決壊寸前の人だろうか。まあこれは仕方がない。人間の尊厳とエンドロールを天秤にかけたら、私だってそうする。
でもエンドロールで帰る人の素振りをみると、大抵は別に急いでいる素振りもなく、さらには「もう映画終わってるからいいっすよね?」といわんばかりに、かがむことすらせず歩いている人すらいる。
臨界状態に至らないように肛門をあえて締め付けながら歩いている可能性もわずかに存在するが、もしそうだったならたぶん最後の30分くらいの内容頭に入ってないだろうしもっと早めに出るべきだと思う。
Yahoo知恵袋で私と同じような疑問をぶつけている質問を見つけた。そこにはこんな回答があった。※それぞれ別の人による回答
「あなた方は駅や電車内での、アナウンスの違いや電車の走行音に興味はあるか?ないだろう。ないのが普通だ。あるやつはマニアとかオタクだ。私もそこまで鉄道キチガイではない。乗るのが好きなだけだ。
あなた方は映画マニアであって、鉄道マニアではないから電車の走行音や道具などには興味がないが、エンドロールに価値を見いだすわけだ。だが興味のないやつにとっては、
なるほど。なんだかこの回答を呼んで妙に納得してしまった。映画を見に行っている人はみんな一律に熱量が高いわけではないのだ。
私は何をここまでイラついていたんだろうか。
[地震][前兆][予知][FM電波][電離層][DEMETER][GPS][だいち2号]
フランスは〇四年、電離層での異常を観測するための小型衛星DEMETERを打ち上げ、
既に九〇〇〇例の世界のM4・8未満の地震について、発生数時間前に電離層内でのVLF帯の電波強度が低下することを見出している。
2010年のM_S7.1ハイチ地震前におけるDEMETER衛星で観察した電離層じょう乱 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター
電離層の変化、東日本大震災でも…予知に有望? : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大地震、5~6日前に「前兆」 上空の電離層乱れる :日本経済新聞
[B! Science] 大地震前兆現象の仕組み解明 上空の電子変化、予知に期待―京都大:時事ドットコム
[B! 災害] 大地震発生直前に観察される電離層異常発生の物理メカニズムを発見―地殻破壊時に粘土質内の水が超臨界状態となることが鍵―
最新の情報をお伝えするわね。
私の今の鍋のベーナーの中身なんだけど、
鶏の水炊きです。
なかなか良いルーシーが育って来ているの。
そんで、
このお鍋の色々なベーナーの中の美味しい出汁が出たルーシーでこれおでんできんじゃね?って思ったのよね。
昨年末の手回し微塵切りきで必殺ワサを修得してタマネギスープにドハマり暮らしていたんだけど、
作るのは良いけれど
大量に出来てしまって食べるのに逆に辛い日々、
結経鍋のベーナーの季節のシーズンになっても
なかなか鍋もできなくそれに伴っておでんももっての他なのよね。
でようやく空いて鍋が空になったところに最後今シーズンラスト鍋のベーナー鶏の水炊きキメようと思っていま実行中であるの。
まだ牛筋買ってないので、
良い牛筋があれば適当に煮る下ごしらえするんだけど何せ手間よね。
まだやってない実行には移せてないのよね。
でさ、
思うんだけど
最近の牛筋って柔らかすぎない?
圧力鍋で下茹でするんだけど、
そして煮るんだけど
そして焼いてさ食ってさ!って
ちょいと木の葉では隠さないけれど
最近の牛筋って煮込めば煮込むほど無くならない?
牛筋の存在感がなくなの!
昔の牛筋はとにかく固くて固くて、
よく祖父とかは牛筋で出来た玄翁で釘打っていたのを覚えているんだけど、
そのぐらい昔の牛筋はそれはそれは牛筋たる所以!
いくら煮ても固くていや逆に充分な食べ応えをかましていたのに、
今の牛筋はゆとりなのかさとりなのか煮すぎなのか、
とにかく柔らかいのよね。
柔らかく仕上がって良いけれどある程度の限度の限界の煮るポイントを超えてしまうと儚く消えていくの。
私がいつも言っている、
バブを握りしめながら湯船に浸かって、
世界を救いきれなかった悔しさで、
儚く消えていく残された無念のその少女のその思いの如く
握りしめたそれは湯船の中で溶けて無くなっていくバブにその少女の思いを重ねて見つめる感じと同様に
鍋の中でベーナーの牛筋は煮過ぎると儚く消えていくのよ。
牛筋みが救いきれなかった穴あきお玉でも影も形も現さない感じで掬うことができないのよ。
煮るということを覚えてから煮れば煮るほどそう言う煮物は美味しくなる
てーてっててー!て
あのねるねるねるねのお婆さんが伝承の煮る術を私に教えてくれたならば、
その煮る煮る煮るね!の煮すぎれば煮すぎるほど食材は無限に旨くなると思っていた時代があったの。
でもある程度の臨界点を超えると
出汁の利いたルーシーのスープの中で溶けて無くなってしまうのよ。
これは衝撃よね。
無限に煮れば煮るほど煮物は美味く美味しくなると思っていたから。
だからある程度の限度を境目にして
つまり
そうよコスモがあるの!
おでんに取り組まなくては!って思ったのよね。
牛筋は煮込みすぎ禁止ステッカーをちゃんとおでこに貼ってから充分に注意して下処理するわ。
でも次マーケット行った際に
良い牛筋がありますように!
そうお星様に願うわ。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の前の商店街の喫茶店だけど和食モーニングもありー
いつもだいたい鮭か鯖かの2つで
その鯖が焼きたては焼きたてでじゅうじゅう皮目が焼き弾けていて
うわ!美味しそうな焼き具合ションテンが爆上がり朝の焼き鯖定食!っていただいてきたところよ!
魚の脂がじゅうじゅう鳴っているのはションテンが上がる美味しい合図よね!
ごちそうさまでした!
御湯沸かして置いたままだったので、
朝の見頃の60℃!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
4人部署で1人産休からの時短、1人が夏の間に退職で実質稼働人員が2.3人になった。
当然ながら仕事量は変わらない、そして新規で人が入るのは年度が変わってから。
そんで働く女性応援ってことで何故か時短してマネジメントもなんもできてない時短ママが昇進&昇給。
問題はその時短ママがなんでか知らんがなんのマネジメントもできない、しない上に今までやってた仕事を管理業務が増えたからしない、できないと言って新人教育も俺等に投げてきた事。
そんで時短ママは発熱でしょっちゅう帰るしslackにも応答ない事が増えた。
勘違いしないでほしいが別に時短ママが帰る事も昇進した事にも文句はない。
3人の中で一番勤務年数も長いしね。
ただ困ったのが俺とAさんで実質4人分の仕事と新人教育を2人でやることになった事だ。
このAさんは漫画が物凄く好きで毎週ジャンプマガジンサンデースペリオールを買ってくる。
今一番おもしろい漫画は呪術廻戦と劇光仮面とトリリオンゲームだそう。
当然、回らん。
といっても上も分かってたからかなりトーンを下げてくれてたがそれでも叱責は叱責。
新人なんて最初は付きっきりというか帯同させないと無理だから仕事量減るのは半年後ぐらいだし。
んでまあ秋にAさんが結構デカ目のミスをして今度は流石にバチクソに怒られた。
このミスの要因は圧倒的なマンパワー不足に大きく起因するものであって普段なら絶対にないものだということは俺が保証する。
怒られたAさんはもう臨界寸前でフロアに戻ってきてこう言った。
流石に辞めるのかな、でもまあしゃあないかなって思ってたら辞めた職員さんが忘れていった孫の手を持ってあれよあれよという間にフロアを出ていった。
しかも行き先が外ではなく偉い人がいるフロアだ、流石にやばいぞとなって遅れてついていくが遅かった。
Aさん、怒った上司の更に上の人に孫の手持ってバチギレしてた。
もう信じられんぐらいキレてた。
机バンバン殴ってたもん。
キレられた上司もあっけに取られてあわあわしてたので俺が間に入って止める、だがAさんは止まらない。
「お前らが管理せんからさんざたいぎー思いをさせちょるんじゃボケ!」
という言葉が強烈に印象に残っている。
「このまま改善されないようであれば彼も俺と一緒に辞める覚悟ができています!」
と言ってきた。
なんで?
と思ったがその頃にはもうギャラリーもできててAさんは信じられんぐらい怖い顔でこっちを見て目が完全にラリってた上に超パワーで肩を掴まれてたおり
その後関係者全員のヒアリングを行った所で俺とAさんの負担の多さが改めて判明した、のだが。
現実は甘くなく人が増える事なかった。
その変わりに給料が額面で1.4倍になりました。
このまま俺とAさんに逃げられると終わってしまう上に時短勤務ママが今の状態ではどうにもならないからせめて給料面だけでも、という事らしい。
序盤でルール提示して、そこから逸脱しすぎない発想で物語を決着させるのは俺も好き。
クラークとかアシモフあたりはそういう作品が多い印象(そうじゃない作品もあるけど)
クラークの『楽園の泉』『渇きの海』『太陽からの風』あたりのアイデア一発勝負な感じはミステリに通じるものがあって好き。
最近のだと伴名練『なめらかな世界と、その敵』、小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』みたいなライトなのも良い。
世界の心理的なものにたどり着く展開は、俺理論なんだけどそこに説得力があると感じれば楽しめるんだと思う。
共感できなかったり、長大すぎて理解を放棄したりしちゃうと辛い。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
インガオーホーだヨ
(一方のジャップランドはジャニーズとビッグモーターで大変だけどネ)
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
9/8 14:24
これはとてもいい記事。 私、人に「努力してます」って見せるのがどっちかと言うと好きじゃないけど…それを「美意識」と表現するのはすごくいいなぁ。「お前、ダイエット経過を毎日あげてたじゃん」 とかツッコまれそうだけど…アレ逆! 本当は納得行くまでやりきった時に「ブログ書いたよ」「こんだけ山登ってきたよ」の方が好きなの! でも、ダイエットだけは逃げ道を断ち切らないとできないと思ったから…もう私生活晒してでも毎日公開してる。他人に応援してもらおうなんて甘えた考えは最初に浮かばなかったよ? むしろ、「他人に太った体重を揶揄されたらやだな?」「痩せない時にグジャグジャ言われたらやだな」ってことばっかり考えてたけど、それでも【一人黙々とダイエットとか絶対成功しなそう】と思ったからインスタに上げてる。まぁ、アレや。 努力公開できるやつってそれだけで強いと俺は思うで? 喜びもツラいのも倍増するし…ツラいのが倍増すると結果を出すのに支障が出かねないから…努力公開できるやつってホンマに強いと思う。 俺できたらやりたくないもん…「うまく行かなかった時の保険」とかじゃないの。 スタイルの問題なの。 一人でコツコツやりたいか、みんなでワイワイやりたいか 結果をドーンと出して一目置かれたいか、結果まで一緒に歩いてきた人達と分かち合いたいか、 その違い。 スタイルの問題を「美意識」と表現するのが美しくて好き
9/9 22:00
結局23キロ歩いたんだけど…歩いてシャワー浴びてる時はそんなに大したことなかったんだけど…今、ご飯食べ始めたら体の節々が一気に痛くなって、咳も出ました。人間って緊張してるとすごい力が出るけど、一度緊張を解くとその瞬間にダメージが来るんやね…。やりたいこと全部できたからいいけど
今日ダイエットしたら覚醒状態で寝れなそう(怖いぐらい目がパッチリしてて、肩が張ってたからさすがにご飯食べた)んだけど…もうね。16キロ歩いてから買い出しまでやって、それを担いで帰ってきたから、もうね…臨界点突破ですよ。逆になんでそんな事できたのか俺が知りたいレベル
ここまでやる気なかったんだよ?ただ、
・近いと思って経由地にしたところが思いの外遠かった
・買い出しにうってつけのスーパーが帰路に出てくる
・日帰り温泉行く予定だったけど、時間が少ないからやめて徒歩で帰宅
俺が115キロから101キロになったことで「よし、こんなダメ人間にもできたんだから俺もダイエットしよう」と思ってた人は…23キロを見てもドン引きしないでね。
私、歩く力は登山でつけてたの。でも、今日のはほとんど事故!ダイエット中の徒歩は7,8キロで食事制限守るのが本当は一番いいの!!
ダイエット中に歩き過ぎるとその日は食べてもいいんだけど、その後のダイエット管理がややこしくなる(体調壊れてるからチートデイにするとか、ダイエットしてもいいのか悩むとか色々あった)
1946年5月21日、ロスアラモス研究所で、カナダ出身の物理学者ルイス・スローティンとその同僚らが、中性子反射体(ベリリウム)と核分裂性物質(デーモン・コア)を接近させて、臨界状態が発生する距離の測定実験を行っていた[12]。スローティンらは球体状にしたベリリウムを分割して二つの半球状にし、その中央にデーモン・コアを組み込んだ。そして、ベリリウムの半球の上半分と下半分との間にマイナスドライバーを挟み込み、ドライバーを動かして上半分の半球をコアに近づけたり離したりしながらシンチレーション検出器で相対的な比放射能を測定していた。挟みこんだドライバーが外れて二つの半球が完全に接触すると、デーモン・コアは即座に臨界に達し、大量の中性子線が放出してしまう大変危険な実験であった。小さなミスも許されない危険性から、リチャード・ファインマンが「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」("tickling the dragon's tail")と批判し、他のほとんどの研究者は実験への参加を拒否したほどであった[13][14]。 しかし、功名心の強いスローティンは皆の先頭に立ってこの実験を実施し、エンリコ・フェルミも「そんな調子では年内に死ぬぞ」と忠告していたと言われる[15]。
そしてこの日、スローティンの手が滑り、挟みこんだドライバーが外れて二つの半球が完全にくっついてしまった。即座にデーモン・コアから青い光が放たれ、スローティンの体を熱波が貫いた。コアが臨界状態に達して大量の中性子線が放出されたことに気づいたスローティンは、あわてて半球の上半分を払いのけ、連鎖反応をストップさせ他の研究者たちの命を守ろうとした。反射体とコアの接触時間が比較的短かったため、最初の事故では反応度が15セント(英語版)[注 4]超過したのに対し、第二の事故では約10セントの超過だったと推定されている[8]。彼は文字通り皆の先頭に立って実験を行っていたため、他の研究者たちへの放射線をさえぎる形で大量の放射線を浴びてしまった。彼はわずか1秒の間に致死量(21シーベルト)の中性子線とガンマ線を浴び、放射線障害のために9日後に死亡した[8]。