2024-09-09

日本共通語などないのではないか

NHKは全国の人にわかやす言葉放送していて、同時にそのような言葉共通語だと言っている。

しかし思うのだが、この「わかりやす言葉」とはどういうものだろう?

どこにいっても伝わるような言い回しというのは江戸以前からもあって、NHKはそれを拾い集めて使っているのだろうか?

それともNHKによってお仕着せ的に放送され続けた言葉が「わかりやす言葉に『なっていく』」のだろうか?

前者の可能性は否定できないものの、少なくとも後者おかしい。

テレビ個人言語センスに与える影響などたかがしれている。

よっぽど引きこもりテレビ自分にとっての世界の全てという人でもないかぎり、テレビから離れればすぐにその地方地方の周囲の人の方言を聞くことで言語感覚方言人のそれへリセットされる。

言葉を覚え始めの幼児すらテレビ共通語ではなく身の周りの生身の人間が話す方言を使うのはなぜか。

それは幼児ですらどちらの言語プライオリティを置くべきか理屈以前に脳で区別されるからだろう。

所詮テレビで話される言葉幼児生活重要では無い。

から第一言語として覚える対象にならない。

逆に言えば一度覚える対象から外れた言語比較的触れられる状況下にあったとしてもなかなか吸収されない。

テレビ以外ではその地方方言だけど、テレビだけはアラビア語しか流れない環境下のあっても、おそらくその子が話すようになるのはもっぱら日本方言で、アラビア語を使いこなせるようにはならないのと同じだ。

で、言語習得臨界期を超えて「共通語を学ぼう」と思い立った時には共通語はもはや英語などと同様ただの異言語などで、これまた聞き流しているだけで意味理解できるようになるという可能性はついえるわけだ。

私の親の実家東北だが、電話実家と話している時1文字分すら何言ってるのかわからない言葉を話している。

そんな人でも首都圏で家庭を持つに至っては比較共通語に近い首都圏方言を話すようになるのは不思議しょうがない。

私があちらの方言マスターできる自信がまるでないのと同じように、逆も無理なはずと考えるのが筋だろう。

共通語を使っているテレビは、今使っている共通語がどういう意味語学番組よろしく逐一解説を挟んでくれることはない。

アラビア語でそれだったら一生アラビア語が何を言ってるかわかるようにならないのと同じように、同じ日本でも東北共通語ほど違いある言葉解説なしに垂れ流しにされても一生理解できるようにはならないものではないのか。

首都圏方言共通語の違いは語尾にじゃんがつくかつかないみたいな瑣末な違いがある程度で、むしろそういう違いをことさら指摘されるか、自力日本語学の初歩を身につけるでもしなければ、むしろ区別がつかない人がほとんどだろう。

共通語首都圏方言をごちゃませにした短編を作っても、よもやほとんどの人はこれが二つの言語によって綴られていると気付けないと思われる。

さてそういう共通語は誰にでもわかりやすい前提なので、テレビと同様に学校でも教科書に書かれている共通語について一文節ずつ自分たちの方言との対応をおしえてくれはしないはずだ。

少なくとも首都圏学校に通っていた俺の場合はそうだった。東北とかでは違うのだろうか?いやそんなはずはない。

で、だからこそどうなるか。言いたいことはここからごくわずかなものだ。

共通語なんてないからこそ、教科書もろくに読めず落ちこぼれる人の問題が起こっているのではないか?」

地方ほど学力が低いといういう事実とも整合性がとれる。

まり訛りの強い地方ほど共通語教科書を見ても自分達の方言との類似性から意味類推も困難になり、だからといって誰もことさら解説しない、しかしそういうものだと諦めて、落ちこぼれるのではないか

私が東北言葉を全く理解できなかったように。

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