はてなキーワード: 腎不全とは
飼い猫が腎不全で亡くなった
2年くらい前から別の病気などで病院にかかっていて、その頃から、腎臓の数値が少し高いと言われていたのだが
去年の11月、ご飯を全く食べなくなってしまったので病院に連れて行くと重度の腎不全と言われ、今日明日で死んじゃうかもということだった
最初は毎日通い、ある程度体調が安定してくると1日おきになり、2日おきになり、最終的には3日おきの通院となったが
毎回針を刺して点滴して痛い思いをさせて、家では嫌がる猫に錠剤を無理やり飲ませるという日々が続いた
猫に負担になっているのではないかと思いながらも猫のためと思って続けてきた。
で、1月中旬くらいに血液検査をしてみたら腎臓の数値が少しよくなってたりしていい方向に進んでいると思われていたが
2月に入ると再び餌を余り食べなくなったり口臭が酷くなったりして、口臭は尿毒症の症状だったようで、最終的には涎を垂らすようになっていって
あっという間に亡くなってしまった
終わってみれば、わずか3ヶ月ほどで死んでしまい、猫にとってはただ辛い治療をさせてしまっただけなのではないかと思ってしまう
猫用の腎臓病のエサも全く食べなくて、普通のエサは少し食べてたけど、今思えば食べたいものを食べさせてあげればよかったなって思ってしまう
食べたいものを食べて、食べられなくなったら死ぬ。それでよかったのではないかと
うちの猫はもともと野良猫で、うちに来た時、去勢手術をした際に猫エイズをもっているのがわかったのと
歯で大体の年齢が分かるということで5~6歳くらいではないかといわれてて
そこから5年ほどが経っていたので今は推定10歳以上くらいではないかと思われて
だから、野良猫で、猫エイズをもっていて10歳以上まで生きれたということは、まあ寿命だったのかなと思ったりしている
それがよかったのか悪かったのかわからないし、11月の時点で治療を全くしないという選択肢はなかなか考えられなかった思うし仕方なかったのかなと思う
ただこの猫との5年間の生活はあっという間だったけど、本当に僕の心の支えとか癒やしになってくれていて、かけがえのない時間だったなって思う
症状って、肥満以外で?
尿に糖が出てる時点で尿から甘い匂いがしたりもするんだけど、自覚症状が出るレベルだと手足の指の壊死、目が見えなくなる、とかですかね……。
あと腎不全(からの透析)もあるけど、こっちも自覚症状はそんなにないらしい。
あとは動悸息切れ疲れが取れない的なやつ。
まー正直知ってる範囲の人間で糖尿になるレベルの奴は炭水化物の制限とか無理でした。自分で使えるお金と出かけられる自由があれば外ですぐ買い食いしてしまう(大抵家族に目撃されている)(そのたまたまの1回を目撃してしまう訳ではなく、いつ目撃しても大抵買い食いをしているという頻度)(本人に合わせて周りも炭水化物少なめに、それでも美味しく健康的な食卓を、とかやってるとバカバカしさで昇天する)
という訳で本人が思い直さないことにはどうしようもないので、そいつがいつ死んでもいいように葬式と相続の準備進めとけ。
なお本人に伝わる方が良い。
いつか、もしかしたら。今の悲しい気持ちが消えてしまうんじゃないかと思うとゾッとするので、どこかに悲しかった証拠を残したかった。
私は27歳。職業はある国家資格を使う仕事。手前味噌だが世間的にはまあまあ立派な職業だと思う。
猫を飼っていた。先月死んでしまった。17歳だった。人生の半分以上をこの猫と過ごした。
毛先が黒色だけど根本が白い、不思議な色をした雑種の猫だった。誰よりも私のことを考え、誰よりも私を愛してくれたと思う。
祖母の実家の地域でやっていたお祭りで、ドブに捨てられていた子猫がいたって騒ぎがあった。実は祭りの一年くらい前に母が飼っていた猫が亡くなっていた。直感で飼った方がいいと思った。まだ小学生で金がなかったため、祖母と母に土下座して飼いたいとお願いした。
今までで土下座したのはあの一回だけだし、やってよかったと思う土下座ももうあの一回だけなんだろうなって思う。
実を言うと親とは仲良くない。親は兄弟を殴ったし、作る料理はまずい。
猫がいなかったらとっくの昔に私は死んでいたし、家には帰っていなかったと思う。
中学時代は本当に幸せだった。友達も多く、学校が楽しかった。そのこともあり学業は非常に伸びた。しかし高校では吹奏楽部というブラックな部活に入ってしまい、週7日部活だった。先生は怒鳴るわ、洗脳じみたことはするわ、テスト近くても大会があれば部活するわで最悪だった。びっくりするぐらい成績が落ちた。今思うとあれは鬱症状だったんだと思う。泣きながら登校し、血尿を流し、声が出なくなるときもあった。あの時は猫の世話を疎かにしてしまうこともあった。本当に申し訳なかった。それでも猫がいたから首を括らずに済んだと思う。
偏差値は低めな大学だが、なんとかして特待生として合格することになった。引っ越しにも猫を連れて行った。実はこの猫5回も引っ越しに付き合ってくれた。猫は犬と違い、基本慣れない場所にストレスを感じる。それでも連れて行かさせてくれて感謝しかない。
大学では成績は上位をキープすることができた。勉強する私の膝には大体猫がいた。猫と一緒に1人暮らしする時もあり、本当に幸せだった。この時点でまあまあ猫はおじいちゃんである。尿路結石になった。まだ車を持っていなかったがなんとか獣医に連れて行った。食事もちゃんと選んで買った。
国家試験が近づくたびに、お願いだから国家試験の時には死なないでくれとお願いした。叶えてくれた。そして無事に留年することもなく一度の試験で合格することができた。
就職した。今も同じ職場にいる。就職も見守ってくれたことに感謝しかなかった。自由に使えるお金が手に入り、猫にはおもちゃを買ったり少しお高めの餌を買ったりした。
帰宅すると猫が待ってくれていて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。
朝起きると猫が腕の中にいるか、近くに座っている。平日は私を叩き起こすのに、休日はそっと寝かせてくれた。本当に優しかった。
お昼寝する時は額を寄せ合って寝た。
食い意地が張っている猫なので、私のご飯を欲しがった。味が薄めで猫が食べられるものは少し分けたりもした。
尿路結石は食事に気をつけたり、水飲み場を工夫したりした成果か、死ぬまでの5、6年再発しなかった。だから油断していた。
就職から一年たった。仕事も覚えて来て、後輩指導を任され、大変なことも多いが順風満帆だと思った。思っていた。
猫が食事を食べなくなった。といっても全く食べないわけではなかった。通常猫は貰った食事を少し残すが、食い意地のはっているうちの猫は毎回すぐに完食していた。
この時点でおかしいから病院に行こうと思って、平日なんとか定時で帰って病院に連れて行った。末期慢性腎不全だった。もう年齢のせいだろうと、無理に治療するより看取りに入った方がいいだろうと言われた。獣医によると、これから吐き気が出てご飯が食べられなくなるから無理に食べさせないこと、水はたっぷり用意すること、いつもと違う匂いがし始めたらそろそろだということ、死ぬときは苦しまないで高カリウム血症でぱたっと亡くなることを聞いた。
家に帰って泣いた。ものすごく泣いた。鼻水めっちゃ出た。ご飯は食べられなかった。でもそんな私を見て、猫は私を心配そうに私を見ていた。どうしたの?って顔で私のそばにいた。猫自身の方がしんどいくせに。
次の日、猫は箪笥の奥に入るようになった。死ぬ前の猫は普段行かないような暗くて狭い所でじっとする。共倒れだけは避けないといけないと、無理矢理ご飯を食べた。それでも私は2週間で4キロほど痩せた。猫はいつもの餌を食べなくなり、死ぬ2日前にはちゃおちゅーるも食べなくなった。ちゃおちゅーるの封を切って差し出す私に悲しそうな様子を見せていた。
猫としてのプライドを守ろうとした。猫本人の意思でもある。ふらふらになりながらも出来るだけ粗相したくないと自分のトイレに自分の足でいこうとしていた。水飲み場は、すぐ飲めるように引きこもる箪笥の入り口付近にも作ったが、それよりも遠いいつもの水飲み場で水を飲んでいた。
なんとか歩けるようにとペットシーツを部屋全部に敷き詰め、持っていたヨガマットはこけた時のクッションになるだろうと、切ってよく通るところに並べた。お気に入りのヨガマットに爪研ぎされた時にはあんなにショックだったのにおかしい話だ。
獣医に行ってから2週間後。早朝に亡くなった。有給を取っていた朝だった。猫は死ぬ日まで気を遣ってくれた。徹夜してそばにいようと思ったが、看取られたくない、そっとしてほしいという猫の様子に任せた。
その日のうちに火葬した。昼ごろに火葬の予約を入れて、その時間まで久しぶりに猫と添い寝した。葬儀屋の人には、こんなに骨が太く残っていて、腸あたりに食べ物の跡が残っているということは、飼い主と猫本人が最後まで頑張った証だと言ってくれた。会ったばかりの葬儀屋の人の前でもドン引きレベルで泣いた。
火葬して遺骨は粉骨にし、手元供養しようと考えていた。2週間も猶予をくれた猫のおかげで考えはまとまっていた。
もう少しで月命日。一か月毎日泣いている。四十九日が悲しみの折り合いらしいが、四十九日が過ぎても泣いていると思う。100か日が四十九日の次の目安だ。この間に猫はこんなに立派でしたと閻魔様に証明する必要がある。猫のお陰で取れた資格で仕事をし、泣いたり偲んだりすることで証明できるのではないかと思って、今生活している。100か日を過ぎたら猫を追いかけようか悩んでいるところだ。ぐちゃぐちゃの文章だが、記録を残せて良かったと思う。
まだ悲しみが癒えないので、経過とポイントだけ書いていく。
猫の腎臓病/腎不全の看取りのブログはたくさん拝読したが、自分の記録もここに残しておきたい。
猫の情報
経過
(腎不全の最期はかなり辛い症状と聞いていたので、本人が辛くなさそうなのは唯一幸いだった)
食事面
2. ロイヤルカナン 腎臓サポート セレクション(粒大きいのでハサミでカット)
3日後、似合う色の花を沢山敷き詰めて、見送る予定。
去年18歳の猫を見送った時に利用した移動火葬のサービスがとても丁寧で良かったので、今回もそちらに依頼する。
見送りは飼い主の自己満足だが、気持ちにけじめをつける為の大切な時間だと思っている。
悔いのないよう見送りたい。
ということで
その愛犬がずーっとお世話になってた動物病院があったんだよね。
まぁ動物を飼うにあたって、動物病院は絶対に関わる施設だとは思うんだけど。
うちは県内をちょこちょこ引越ししてて、お世話になった動物病院っていうのは、犬にとって3件目?とか4件目にあたる病院だった。
引っ越した先で適当に入った動物病院だったんだけど、先生がすごく丁寧で、治療費が安かったんだよね。
その土地から引っ越して、別の動物病院も行ってみたけど、結局お世話になった動物病院に戻った。
下道走って1時間半。高速乗ったら30分とか40分ぐらいだったかなぁ。遠方に住んでる時は2時間半ぐらいかかったこともあったけど。
高速に乗って動物病院に行くとき、いっつも家族と「高速代金払っても、近所の動物病院行くより安いわww」って笑いながら行ってたのをよく覚えてる。
最初は安いから、という理由だったかもしれないけど、私はそこでドクターに対する信頼を教えてもらったんだよね。
自由診療でいくらでもお金儲けができる仕事のなかで、本当に丁寧でさぁ。
動物にも飼い主にも寄り添ってくれる病院って、たくさんあるようでそう多くはないんじゃないかなと思う。
言葉の通じない生き物と生活するうえで、信頼できる動物病院がどれだけ重要なのか、それがどれぐらい安心感を与えてくれるのか。
尿管結石の手術、歯茎が膿んだ時、夏バテによる食欲不振、足ひきずって痛いふりしてる時も先生に診てもらった。
肉球の間までしっかり見て、さわって、診察台からうちの犬下ろしてさ。院内の奥に歩いて消えて、戻ってきて「折れてないですね」って。
「もしかしたら家に帰ったら「あっおれ足痛かったんや!」って思い出して足ひきずるかもしれないですけど、折れてないです。大丈夫です」って。
めんどくさくても、レントゲン取ったら金額上乗せできただろうに。
確かその日の会計680円。高速代金の方が高くて母親と一緒に大笑い。
老衰による腎不全で、最後のほうに元気がないからって連れて行ったときも、うちの犬の顔見てすぐ体調悪いの察してくれた。
先生たちが「もって一週間です」って行ったら本当にぴったり一週間で死んじゃった。老衰だからね。仕方ないんだけどね。
本格的な介護はその一週間だけ。痙攣一回、あっさりぽっくり一瞬で。苦しみ少なく、わが愛犬ながらよい最後でした。
愛犬が死んだのは数年前で、私は今は動物と生活をしていないので、ついさっきたまたまホームページを見て知ったんだけど。
先生の挨拶の最後には、救えなかった動物達、ごめんなさい。って書いててさ。
いやいやいや、救った命の方が多いでしょ。どう考えても多いでしょ。どんなに低く見積もっても救った命の方が多いでしょ!
おれはすごい医者だぞ!!いっぱい命を救ったぞ!!ってえばっていいでしょって思った。
犬を飼う上で、「先生のところに行ったら大丈夫」と思えるドクターに出会えたこと、本当に幸運だったと思っています。
愛犬を最後まで先生に診てもらえたことはもちろんですが、先生の作った病院は、飼い主にとってもよりどころで、安心できる場所で、信頼できる場所で、動物に対する不安を取り除いてくれる場所でした。
こんなところで言っても届かないだろうけれど、先生の丁寧な説明はいつも不安を軽くしてくれました。
胸張ってください。動物の命だけじゃなくて、ユーザーの心まで救ってくれる、本当に素敵な先生でした。
私またいつか犬を飼ったら、先生に診てもらうつもりだったのになぁ!笑
長い間お疲れ様でした。
救ってくれてありがとね。
(これを書き始めた7月8日はこう書いていたのですが結果的にこの3週間後亡くなります)(ネタバレ)
トイレ掃除してる際、そういえばここ2、3日💩ないな、いかんのでは!?
と同居人に心配しすぎじゃないのみたいな空気だされつつ病院につれていく。
早い段階で連れてきてくれてよかった、と先生にいわれ飼い主として自信をつける。
その間に点滴の練習も受け自宅で皮下点滴ができるようになる。これでひとまずプロに打ってもらう技術料が浮いた。
1週間の短期間で先生から合格を貰ったのは私が初めてだそうだ。やったぜ。
ちなみに同居人は点滴の準備と輸液の注入(結構力がいる)、私はねこをなだめ動かないようにし注射針を挿すという役割分担をしている。
家では1日おきの点滴。
最初は経過をみる為、5日おきくらい通院したかな。その度に血液検査をする。
翌月からは月1通院。
血液検査 5,000円
ひと月分の輸液セット 5,000~6,000円
慢性腎不全用の療養食が3,000円(元々少食なのもあって1袋4kg = 1.5ヶ月分くらい)
約15,000~18,000円、が毎月かかる。
ちょっと検査項目を増やすと2~3,000円くらい上乗せになる。
我が家では月1万ずつ出し合い猫財布を作ってそこから出すようにした。
2人じゃなかったら詰んでたと常々思う。
飼い始めた時に入ったペット保険は2011年1月~毎年1回約2万円
2020年12月で契約更新不可になって、まあそれはそうだね預けた分は使い切ったしねという感じで2021年からは保険なし。
そんな感じで約2年、合間にクシャミが止まらなくなり風邪のような症状がでたり目やにが酷くなって点鼻が増えたりとたまに2万こえてうちのお嬢はお金がかかるわね……などと言い合う。
ねこの皮下点滴について。
うちのねこは50ccのシリンジで3本を1日おきにしてました。
初めのうちは、ギチギチのところに液体注入するので肩がムキムキになって強そうになりますが
中期後期になると腹水になりやすいので4本を2日おきに。
普段たるたるに2日くらいは輸液溜まってるのに、減り早くない?となったのが始まり。
食べてすぐに吐くことが増え、食べ直しては水を飲みすぎ(これは腎不全による多飲)を繰り返していくうちにご飯を食べなくなってしまう。
カリカリをふやかしたり大好きなおやつを目の前に持っていったり手を尽くすが、ちゅ~るもそっぽを向かれた時はもうだめだと思った。
調べたら「猫は36時間絶食すると肝臓への影響が急激に出る」とあり、これはやばいと定期検診の予定日前に病院へ。
病院に行くと凶暴になるねこ、抵抗する力もないのか唸るだけでされるがまま。
結果は卵巣のコネコチャンが入る管の部分に膿が溜まっていた。
犬猫の子宮図で解説してもらったんだけど人間とまるで違う形状なのでへー!となった。
で、その膿を除くための手術という手段があるのだけど、この子には麻酔に耐えられる体力がないからお勧めできないと言われテレビでよく見るやつだ……!!などと思っていた。
今この診察のイライラでお家帰ったらごはん食べ始めるかもしれないので見ててね、と言われアハハなどと言っていたらマジで帰った途端ごはん食べに行ったのでめちゃくちゃ笑った。ご飯食べたやったーーー!!!
錠剤を粉砕し、ちゅ~るに混ぜて食べさせようとしたら察しがいいのでちゅ~るまで警戒するようになる。直接口に突っ込む「投薬器」を買った。
結果、数値は戻りこちらの件はなんとか乗り越えました。
そう、腎臓です。
腎臓が悪化すると、腎臓から脊髄に「血つくって!」の信号が送られずひどい貧血に。
造血を促す注射を受ける。元は人用らしい。
赤血球の数値が上がるかを一週間くらいで見るとのことで翌週も通院。
の予定が何を察したのか隠れてまっったく出てこなくなったので薬だけもらいに行く。
「逃げる元気があるなら効果は出てるとおもうので、ねこも人間もお互いストレスないよう診れる時に診ましょう」と言ってもらえて泣きそうになってしまった。だいぶ焦りがあった。
月末、改めて病院。赤血球の数値はちょっと上がったけど、今までの残りが働いてこの後減るかもしれない、とこの日も注射する。注射をしても食事が出来ていないと血の素材が足りないのでご飯食べさせるのに必死。
以前はカリカリしか食べずウェットごはんに見向きもしなかったのにウェットじゃないと食べなくなる。
更に翌週、赤血球の数値が19→21でほぼ変わらず、効いていれば30台まではあがるとのことで、造血注射は諦めて食事を頑張る方向に。
カリカリを食べなくなってからはウェットごはんを小皿に入れて与えていたのだけど、ニンゲンが口元までごはん小皿持っていかないと口にしなくなる。
この頃まだ吐くし、寝ててもえづく音で起きてしまう。元々そばでひと鳴きするだけで起きて「ネコチャンどうした」するタイプではあったけど。
貧血で棚の上を歩いて足を踏み外すことも多くなり、フラフラしてるので心配で目が離せなくなる。
我が家は1階・2階のメゾネットタイプなのだけど、途中で動けなくなったら困るのでできるだけエアコンの効く1階にいてもらうようにする。ねこの拠点が棚の上だったので、床にダンボールを横にして置いたらすんなり寝転んでくれたのは助かった。まだ2階に逃げる元気がある。
食事量も減るのでトイレに💩あるとやったーーー!!!💩あるぞーーー!!と宝を見つけたかのようになるニンゲン、ねこに引かれてたと思う。
相変わらずごはんの摂取量が少ないので、リン数値を気にするよりもなんとか食べてもらおうと好きな味のちゅ~るとウェットのごはん混ぜては、昨日は食べたのに今日は嫌なんですか!?こっちに変えますね!!!!など試行錯誤。気まぐれが凄い。
空腹になると胃酸で吐いてしまうので、家にいる時は2~3時間おきにちゅ~る半分やウェットごはんを与える。2ペロで終わるときもある。食え。
🐱7月17日
2階で寝ていたのを1階の座椅子で寝るようになる。どこでも寝られるのが特技なのが役立つ。
これ以降、急激に痩せていくのがわかるようになる。
軽い。
骨と皮だけじゃんやだーーー!!!もっと食え!!4キロくらいに肥えてくれ!!
実際は2.5kg
しっぽの付け根あたり、骨盤部分が骨の形がわかるほどで、褥瘡が怖くて私の枕をあげた。
顔は元々ほっそりしてたので殆ど変わらないのが救いだった。
🐱7月22~25日
4連休の間、久々にネコチャンが「窓の外を見る」ことを思い出したようす。
が、この時にはいつも通り道にしていた30cm程度のテレビ台にも上がれなくなっている。
窓の前にある棚が定位置だけど、いつも前脚を肘置きのようにしてた窓辺の段差7cmが、ガリガリすぎて高くなってしまっていた。
厚めのクッションを置いたり、窓のサッシをタオルで埋める。窓辺に行くために棚を渡っていたので、窓まで緩やかな階段を作る。
窓辺に行きたそうな時は直接連れて行ったので、1回しか使ってもらう機会がなかった。
寝返りや体勢を変えるのもしんどそうにしているので褥瘡怖いしひっくり返すんだけど、一定の方向が落ち着くのかすぐに戻ってしまう。なんでや。
あまりに食べないので、1日1回注射のシリンジで強制給餌を始める。
とうとうこの時が来たかという感じ。
連休中、ちっちゃい💩1回みただけ。
強制給餌で食べてるのに出てないのまずいな、と思う。
🐱7月26日
🐱7月27日
ネコチャンの首輪に「Catlog」を利用しているのだが、昼から「データなし」になっている。受信機が1階で、2階にいると記録しないのは常なのだけど今回ばかりは話が違ってくる。気が気でない。最短時間で帰宅する。
こんなに緊張しながら家帰ったこと無い。
1階の引き戸が開いていた。最悪のパターン、1階にいながらデータなしは回避した。
2階、少し前までよく引きこもっていた押入れの奥で横になっているのを発見する。
生きてた。安心して泣いたけど、ねこはキョトン顔だった。おまえのせいだよ!!
気が気でない。
帰ったらねこはダンボール寝床で寝ていた。ちょっとくったりしている。
というかよくそんな状態で昨日、重めの引き戸開けて脱走したな!?!??
すっかりトイレには行けなくなってしまい、シートが濡れてないかを確認する回数が増える。
横になるのが嫌なのか、近くの隙間にはまって香箱座りになりきれてない体勢でじっとしている。
連休中、横になっていると前脚の先だけ曲げて上半身起こしてて、変な体勢するようになったと思っていたのだけど、あれは香箱座りしたくても内側に前脚をひっこめる筋力も無くなってたんだな、と前脚を伸ばしたままのねこを見て思い至る。
🐱7月29日
少し仮眠、と朝4時~5時半まで寝る。
ちゃんと息してるのを確認して安心するも、完全に横たわり、呼吸が浅い。
内蔵に負担がかからないよう抱いて、しばらく撫でていると急にむせ始める。
慌てて横に寝かせ、顔と体を撫でながら声をかけていると、一度大きくむせて、そのままねこは止まってしまった。
この間30秒もなかったと思う。
こんな急に動かなくなるんだ。ねこの目と口を閉じる。
直後に同居人が起きてきた。
あと1分早く降りてきてたら……と言っていたが見なくて良かったんじゃないかな。
私も抱かなければよかったのかなと思ったけど、この後どのみち強制給餌だったので抱いて撫でてる時で良かったのかもな、と思うようにしている。
ねこを抱き上げると、首がすわってない赤ん坊よりすわってないので完全脱力したねこは液体だった。
まだ6時にもなっていない早朝、ねこは亡くなりました。
こういう時ってどうるすん?市役所?という同居人に「こんなこともあろうかと、私は事前に頼むところを決めていました」とペット葬儀社のURLを送る。
勝手に決めるのも気が引けたんだけど、卵巣炎症の時点でもう夏保つかどうかの覚悟を決めていたし、それくらいのことを考えてて欲しかったのもあったので。あと夏だし。
春先に実家のねこが無くなった時は、母がお寺でお坊さんにお願いしてたけど、
午前中にいけるかと思っていたら、19:30の予約になったのでびっくり。
直前に同居人がもうひとりの人が休みだから休めない……などと言い出し
「なる……」
と半休だけでももぎ取るという話をした後だったので、全然余裕で仕事して帰ってこられる時間じゃん、と出勤していく同居人。そりゃ電車でカメラロール眺めてたら急に泣き出す不審者にもなろうよ。
その頃私は家で思う存分泣きたくねーー!!と叫びながらひとり号泣していた。
ネコチャンが拠点にしていたダンボールに10時間保つアイスノンを敷き、この時のために事前にストックを増やしていた保冷剤をペットシーツに包み、ねこのそばに入れていく。
片付けるか、と猫砂や爪とぎをゴミ袋に入れ、ねこのごはん皿や水皿、それを置く台を洗う。
いきなり全部片付けるのはネコチャンも「急になんで!?」ってなるかもしれないなと思って、袋に少し余ってた猫砂をトイレに入れ、水皿に水をいれて台に置いた。
ねこにも適応されるかは知らんが四十九日くらいまでは置いときたいな。
冷たくなっていくねこ撫でながらゲームしてた気がする。冷たくなっても毛艶が良い。さすがうちのねこ。
鼻や口から体液が漏れ出てくるのでキッチンペーパーをあてがい、汚れに気づいたら変えてあげた。
動物病院に電話したな。話してるうちに先生も涙声になってて、そりゃ動物好きじゃなかったら獣医なんてならないか~って
考えてるうちに話せなくなったので、また挨拶に伺いますと切ってしまった。
予約時間、葬儀社のスタッフが棺替わりの籐かごを持ってやってくる。ちゃんと絹みたいなきれいな布で、薄手の布団みたいな敷物もセットされてた。
小型犬くらい入りそうな大きさだったのででかい。ねこ横たわらせても半分くらい余る。お花もっと買っておけばよかったな、と笑ってしまう。
お清めや小さい数珠も用意されてて、スタッフが作業するのかと思ったらこちらがやるらしくて、あ、やっていいんだと思いながら体を拭いたり、前脚に数珠を通した。
抱けるのは最期なので、と言われ固くなったねこを抱く。冷たい。
カゴに戻し、お花やカリカリを入れていく。一番好きなおもちゃが「レシート丸めたボール」という超絶安上がりねこだったけどさすがに入れるのはやめた。
ワゴン車に備え付けられた火葬炉にカゴを置き、扉が閉じられる。
ねこの写真をAirDropでスタッフさんに渡したのでこの間に事務所戻ってメモリアルカード作ってくれてた。
生まれ日、没日、四十九日の日付入りのラミネートされたカード。
四十九日あとで調べようと思っていたので助かる。
小さい骨壷で帰ってきたねこ。
遺骨カプセルのキーホルダーもプランに入ってたようで用意してくれていた。
一層ちっちゃくなっちゃったねえ。
🐱8月6日
今受け持ってる中でも一番コントロールが難しい子だったので、本当によく頑張ってたと思います。って言われてそっか、頑張ってたのか。
朝6時半には出勤するので朝の投薬のために毎日5時台に起きたり、は意外と苦じゃなかったなあ。ごはん食べてくれない方がしんどかったしな。
写真を見せたり色々話してるうちに、今こんなこというのも何なんですけど……
といつかまたねこを迎えたくなったら保護猫検討してくださいね、うちも「子猫リレー」っていって預かってる場合があるので、と教えてもらった。
いつか機会があれば今度は多頭飼いしたいな。
🐈💨💨 💨 🐾 🐾 🐾 💸 💸 💸
6/10 ¥6,820 隠れて病院行けなかった日(2週間分の輸液セット)
6/30 ¥19,360 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/7 ¥14,960 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/23 ¥18,400 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
検査内容が増減したり、輸液セットが1週間分だったり2週間分だったりで幅がでてる。
2ヶ月で¥74,698か……頑張ったな…
6/10はセミントラもあったんだけど、病院の先生が「1回うちのねこに使ったやつだけどあげますねー」ってくれたのでめちゃくちゃ助かった。30ml・6,000円するので(輸入品なので病院によって値段違うと思う)
病院に最後の挨拶行った時に余ってた輸液セット持っていったら返金してくれたんだけど1万5千円返ってきて笑った。多すぎ。
普段から失敗した時用に注射針の予備ももらうんだけど、私失敗しないので予備が減らなかったり、最後頻繁に行ってた時の差分が管理出来てなくてわちゃわちゃですよ。
ねこ財布に入れたままにして、今後は月5,000円づつ入れてってそろそろヤバそうな洗濯機や冷蔵庫やコンロがいつ壊れてもいいようにするんだ……。
まあこれだけかかるので、話題になった東大の「腎臓病の治療法を開発」は全てのねこ飼いにとって大きいんですよ。
この記事読んだからこれだけお金絡ませた日記書こうと思ったくらいなので。
「ネコの宿命」腎臓病の治療法を開発 寿命が2倍、最長30年にも 東大大学院・宮崎徹教授インタビュー
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070800906&g=soc
ねこの腎不全は高齢猫は高確率で発病すると言われているので、飼おうとしてる人は
きちんと保険に入るなり金銭面を盤石にしてから挑んでくれよな。
https://note.com/hiroshi_arakawa/n/na8399fa5fe4c
で触れらてている
First case of postmortem study in a patient vaccinated against SARS-CoV-2, Torsten Hansen et al., Int j infec t. dis, 2021 Jun;107:172-175
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1201971221003647
86歳男性が接種後18日より増悪する下痢があり、大腸内視鏡の結果虚血性腸炎と診断された。
支持療法を主体とした治療が行われたが腎不全の発生有り体調が悪化したため入院を続けていた。
25日目に リアルタイムPCRによりコロナ陽性と判明。その後発熱・呼吸苦・ラ音聴取があり、酸素投与・抗生剤の投与が行われたが、翌日腎不全・呼吸不全により死亡。
死亡前日の血清検査によりスパイクタンパクに対するIgG抗体は十分であったが、NCPに対するIgG/IgMは見られなかったことから接種により十分な免疫応答があったことがわかる。
剖検では両側広範囲の気管支肺炎・膿瘍形成・球菌の存在が認められた。コロナ肺炎で見られるようなび漫性肺胞障害は認められなかった。
分子マッピングでは肝・嗅球以外のほとんどすべての臓器でコロナウィルスRNAが検出された。
接種後数週前から死亡する直前までコロナ感染の典型的症状がなく、通常発症後7-14日で上昇する IgMの上昇がなかった。咽頭スワブ・剖検検体からは十分なウィルス量つまりは
感染性が示唆される。これらのことより、分子マッピングの結果は感染早期の状態を反映したものと思われる。
これらの所見は特に肺に関して、ワクチン接種は重篤な病態を起こすのを減少させるという動物実験モデルの結果や咽頭スワブでウィルスRNAが持続するという結果と合致するものである。
”Our findings are in line with previous evidence from animal models that immunization against SARS-CoV-2 by vaccination appeared to reduce the severity of pathogenesis, especially with regard to severe lung disease, while viral RNA persisted in nasal swabs ( Van Doremalen et al., 2020;Vogel et al., 2021 )”
今回の結果は、一回のワクチン接種でも免疫応答を引き起こすが、無菌免疫の成立には至らないという従来の説と合致するものである。
感想)少なくともこの結果で"それどころかむしろウィルスが抗体を利用して全身に感染を蔓延させたように見えます。"といえない。論文のポイントとしてはコロナワクチン接種後患者でのコロナ感染早期像についての病理学的知見が得られた、ということでしょう。
疑問に思うのは、不凍液の入った猫缶を猫は食べるのだろうか?
「不凍液を飲むのは危険」でググってみて驚いた。
少量の飲用でも毒性は診られ、死に至ることもある。 エチレングリコールは無色無臭の甘味のある液体であり、一般的に不凍液に使用される。 偶発的な誤飲または意図的な自殺行為により飲用されることがある。 体内で分解されるとグリコール酸とシュウ酸となり中毒を起こす原因となる。
原因:エチレングリコールの飲用
「無色無臭の甘味のある液体」となってるけど、不凍液は緑色に着色されてるよね。
猫には色は関係ないんだろし、無臭で甘みがあるなら食べちゃうのかなー。
それにしてもそのおばはん、こんな知識が有ったとしたら、怖い。
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。