はてなキーワード: 紅葉とは
以前、「創価学会員だった彼氏と別れた話」というタイトルで匿名ダイアリーに長文を書きました。
あれは火曜日に書いたんですけど、次の日になってから色んな人の目にとまったみたいで、色々なコメントをいただけました。
「はてなブックマークを読みました。
そこまで苦しんでるとは思わなかった。
◻︎◻︎(私の名前)の気持ちに応えてあげられなくてごめん。」
これ水曜の夜にきたんです。
あんまり寝つきがよくなくて、寝てたけど目を覚ましたらね、これが来てました。(文章は少し変えてます。)
正直ね、よく読んだなって思いました。
だって時期的に私が書いたって察しはついたと思うんですよ。
それに、もしかしたら自分のことボロカスに書かれてるかもしれない。
あとむっっちゃくちゃ長い。長いって色んな人に言われたし、私自身長すぎて文字数制限引っかかるんじゃないかって気にしたレベルで長い。
そんな文を読んだわけです!元彼は!
絶対彼の身バレはしたらいけないから気をつけましたが、書くことに許可も得てないし、何よりクソポエムだし…。
そのことを謝ったら、いや、そこは別に気にしてないよ。と返ってきました。強いな。
ただ、そこまで辛い思いをさせてるとは思わなかったんだ。
傷つけてごめんなさい。
と、書かれてました。
私は彼のことを恨んだりしてません。
傷つけてごめんって書いてあるけど、私は彼に一方的に傷つけられたわけではないです。
私もかなり微妙なリアクションしたし、創価学会を受け入れないようなラインしか送ってません。
生まれた時から創価学会と共に生きてきた彼にとって、そういう態度を取られるのは傷つくことだったと思います。
お互い傷つけあったんです。
私は二連休のことは私が言ってないだけだし、傷つけたのは私もだと。
電話番号分かったのは書いた通りだから携帯勝手に触ったり、どこかから情報が漏れてるわけではないことを書いて送りました。
そしたら、少しでも落ち着いたなら良かった。
ラインブロックした僕が100%悪いんだけど、電話が鳴った時は死ぬほどびっくりした笑と返ってきました。
この感じがね、付き合ってた頃を少し思い出させます。
この後私が彼のことを疑ったりして、私の疑念通りならわざわざ連絡くれないよね、疑ってすみません、と送ったら、気にしないで。◻︎◻︎(私の名前)の気が済むまで付き合うよ。と言われました。
前の日記読んだ人なら分かると思うんですけどね、私、すごく粘着質なんですよ。
コメントでも何人か言われましたが。
(これに関してはもっと言われると思ってたので、言ってる人があまりいなくて驚きました)
そんな粘着質な元カノの相手って、むちゃくちゃ面倒だと思うんですよ!!
なんでや…?と思って聞いたら、
どんな理由であれ、女性を泣かせたなら悪いのは男だと思ってる。
泣き止むまでは、話くらい聞くよ。
と言われました。
いやもうほんとね、別れてやり直すつもりもないのにね、こういうこと言ってくるんですよ。
それに、その考え方だととにかく泣いて貴方を悪者にする女もいると思うんです。
彼はこういう考えで動いてるだけで、私だったから、じゃないんです。
私が泣いてたから連絡してきたんじゃなくて、そういう考えの元生きてるから連絡してきたんです。
それが分かってるのに、嬉しいんです。
彼は自分の言葉がどれだけ私の心を動かすのか分かってないのでしょうか?
でも、泣き止むまで、だから、やっぱりやり直す道はないんだなって思いました。
そもそも最初に私の気持ちに応えられなくてごめんって書いてあるんですけど。余計ね。
そのことと、個人的に聞きたかったこと(創価学会関連のこと)を聞きました。
そしたら、質問に関してははぐらかされました。
「しかし、あまりやりとりを続けるのもお互いの為にもならないし、これぐらいにしておこう。
それじゃ、バイバイ。」
ときました。
え、さっきまでの優しさどこ行ったん?
寒暖差が凄まじい。このあっさりさが寂しい。
この会話で終わりなら、日記に色々書いたけど何か言いたいことはないかとか、学会外の人と付き合って、それが原因で別れるのは辛くないのかとか、入信の譲歩案はやっぱりだめだったのかとか聞くべきでした。
この話をしたら友人に、どうした元彼、生理か?って言われました。笑いました。笑っちゃいけないんだろうけど。
でも、彼の言う通り、このままやりとりを続けても忘れられなくなるだけなんですよね。
もしかしたら彼も、私と連絡を取り続けると後々辛くなるから早々に離れたのかもしれません。
お互いにって言葉が出てきたから、彼もまだ私への思いを持っていてくれたのでしょうか。
私は一回落ち着いたつもりでした。
でも、落ち着いてなかったみたいです。
彼と別れたことが辛かったし、もっと好きになったことも辛かったし、創価学会に入れば一緒にいられるなら入ろうかと、また悩み始めたし。
昨日だけで三回泣いたし、今日も泣きそうでした。出先じゃなかったら泣いてた。
あ、でも創価学会には入りません!
前にも書きましたけど、同じだけの気持ちで信仰しなかったらお互い嫌な思いするんですよ。ちなみにこれお母さんの言葉じゃなくて私の言葉です!褒めるなら私を褒めて欲しい!
仮に私が試しに…で会合?座談会?とか参加して、信仰できなかったら別れなきゃいけなくなるから、それもまたお互い傷つくんですよね。
友人にも、信仰できるようになるまで彼がずっと側にいるとは限らないと思うって言われました。
そうだったら本末転倒ですからね。この言葉のおかげで落ち着きました。
そうそう、コメントでね、思ったより彼が批判されててね、申し訳なくなりました。
勘違いされてる部分もあるので訂正すると、私が名前だけ入ってもいいとか言ってたのを彼が知ったのはおそらく前の日記を読んでからだと思います。
私はこれで最後だな、読んでくれるかは分からないけど、って気持ちで送ったメールにこのことを書いてたので、ラインしてる段階では完全に入る気がない女としか映ってないと思います。このあたりは私の書き方が悪かったです。
でも、それを知っても彼は先日のメールのような感じだったので、それではだめなんでしょうね。
ラインブロックに関しても、話したら辛くなるだけ、って思ってブロックしたのかもしれないし、不誠実だとかは思ってないです。
もっと早く言うべきだろと言うのは、まあ私も分からなくはないです。
今までそれで別れてきたわけからそのことを思い出すと言いづらくなった、その気持ちは分かります。
私達は半年前にアニメ好きの婚活パーティー的なもの(終了後顔合わせできるのはマッチングした人とのみ、連絡先は教えたいと思った人に主催を通じて送るシステム、みたいなやつ)で出会いました。
彼の今までの経験則ではこのタイミングで言えば傷が浅く済んだのかもしれないですね。
まだ深く関わりすぎてない状態で、ってことで。
ただ今回は、私があまりにも彼のことを好きになりすぎたからこんな結果になったのかもしれません。
私たちもあまり好き好き言い合うカップルではなかったですし、かっこいいとか好きとか、言わなかったです。思ってはいたけど。
顔が好きすぎて、ファッションにまともに目がいくのが会ってから一時間後とかよくありましたからね。
だから、こんな熱量で好かれてるなんて思ってなかったんでしょう。
そこまで苦しんでるとは思わなかった、というのはそういうことだと思います。
あと言われててこれはちゃんと言っておきたいなって思ったのは、他の宗教だった場合どうしたの、って話。
私の答えとしては、その人が敬虔な信者であり、私にもそれを求めるならどの宗教でも結果は変わらないと思います。悩んだ上に一緒になるかもしれないし、今回みたいに相手から別れを告げられるかもしれないし。
だって、自分の心の支えとか、そういう大事なものに一切敬いの気持ちがない伴侶って、人にもよるだろうけど嫌なんじゃないかな…。
あと、他の宗教にしても、結構色々やらなきゃいけないことがあったりするでしょ。
自分がそれをできるか、っていうのは、敬虔な信者の人と結婚するとか、そういう職種(と言っていいのか)に就いてる人と結婚する場合はきっちり考えなきゃいけないと思います。
やっぱり結婚って家の繋がりでもあるし、その家の人間になる以上私だけ知りません関係ありませんは難しいんですよ。
仕事も手伝わなきゃいけないだろうし。
私が読んでた漫画にさんすくみっていう漫画がありまして、この作品の主人公の家、それぞれ神社とお寺と教会なんですよ。
彼らね、家業が原因で振られたりするんです。重たく感じられるんですよね。
無信心な人がそういう家の人と家族になるって、やっぱり同じ無信心の人と付き合うよりハードル高いんじゃないかなと思います。
私はまだ彼のことが好きです。
もし彼が他の女の人と仲よさそうに歩いてるのを見たら泣いてしまうかもしれません。
彼のこれからの人生を隣で見ていたかったし、彼を幸せにする要因の1つが私でありたかったし。
でも、私が彼を幸せにする要因の1つを受け入れられませんでした。だからこの関係は終わりました。
彼がなぜ学会外で相手を探してるのかは分かりません。趣味を分かってくれる人がいいと考えてるのかもしれません。
もし学会外の人と付き合って相手家族にも布教しなさい、という指示の下相手を探してるなら、私はとても悲しいです。
傷つけた私が言えることではないのですが、彼にはもう傷ついてほしくないのです。
どうか幸せになってほしい。
私はそろそろいい人いないの?って言われるような歳で、彼は私より5歳以上上なので、学会とかからも急かされてるのでしょうか…。
二人で出かけた時に撮った写真とかを見返すのも、ラインを読み返すのも辛い。
彼とのことで後悔してるのがね、私、彼の写真、一枚も撮ってないんです。
あんまり写真撮るタイプじゃないし、インカメで撮るのも下手で。全然撮ってませんでした。
でもツーショットの写真ほしいなって思って、練習して、紅葉観に行ったときに綺麗な景色と共に撮ろうと思ってました。
もっと早めに撮っておくべきでしたね。
撮ってたら撮ってたで、これがあると余計辛いとか言ってた気もしますが。
前の日記では創価学会に入ればやり直せるんじゃないか、やり直したいという気持ちが強くて愛してます、と言ってました。
今は、愛してました。にできるかな。
まだ未練がまったくない訳ではないけれど。
もし彼が、創価学会を捨てて私を選んでくれたなら…とか思っちゃいますね。
元彼さんへ
前の時点で地雷臭しかしないタイトルの日記をよく読んだと思います。今回の日記はもう読まないとは思いますが、一応書いておきます。
私が泣き止まなくても、もう連絡はしてこなくて大丈夫ですよ。バイバイって言ってたから、貴方もする気はないと思いますが。
貴方が連絡してくるなら、創価学会より私を選んだ時にして下さい。
私はこうやって気持ちを日記に吐き出したけど、貴方はどうしてるのだろう?
前の日記にも文句言わず、謝って、私の気持ちを気にしてくれたけど、貴方の気持ちはどうなんだろう?辛くなってないだろうか?それが気がかりです。
今回は前より短く済ませられるだろって思ってたけどクソ長文になってしまった!!
もう辛くても、創価がどうたらのタイトルで書かないと思います。
つい先日、彼氏と別れた。
私はほぼ無信心、彼氏は創価二世…かどうかは分からないが、少なくとも親が創価学会に入っており、彼氏自身も信者であった。
その後、彼から
「今日は創価学会の会合があるんだった。休めないので、申し訳ないけど今日は行けない」という連絡が来た。
色んなことがショックだった。
しかし彼はどちらか一日のデートだと思っていたようで、二連休の二日目は予定が入ってると言われた。
きちんとお泊りデートしよ♡と言ってなかった私が悪いのだが、家で少し泣くくらいにはショックだった。
まあでもデートできるし!と気を取り直して楽しみにしていたところに、デートのドタキャンと創価学会員だった、ということを知らされたわけである。
衝撃だった。
ただ、以前デートの約束をする時に、彼に予定を調整してもらって私が指定した日を空けてもらったことがある。
何か予定ずらしてくれたんだよね、迷惑かけてごめんね、というようなことがいったら、いや…。と言葉を濁していた。
今思い返せばこれも会合か何かに出席する予定を変えたのかもしれない。
なので、常に私より創価学会を優先していたわけではない…と信じたい。
色々なことがショックだった私は、
「そうなんですね、ではまた今度会いましょう。」と返した。
ショックではあったが、創価学会員だったというだけで別れを選べなかったのだ。
そのあと、彼からざっくりとではあるが、今日の会合の内容と、創価学会に興味があるか、と聞かれた。
私はなんて返していいか分からず、熱心なんですね、創価学会に興味はないです、今まで予定があると言っていたのは会合だったんですか?と返した。
しばらく時間があき、夕方頃に彼から、そうそう。○○(今日行く予定だった地域)にも会館があるから時間があれば一緒に行きたかったけど残念。と返ってきた。
ずっとどうしようどうしようと思ってた。唯一本当に何でも話せる友人に相談した。当たり前だが、あまりお勧めはできないと言われた。
母親にも自分のことだと言わず聞いてみたら、どんな宗教でも一家で信じているようなお家ならやめたほうがいいよ、と言われた。
たとえ新興宗教でなくとも、信心深い家の人間と付き合う、後に結婚するとなると相手の宗教を相手の家族と同じ熱量をもって信じなければいけなくなる。
学ばなければいけないことも多くなるし、信仰の気持ちがなければお互いが嫌な思いをする。
分かっているのだ。それでも私は彼と別れたくなかった。
その後、彼を質問責めにした。
誰かに勧められて入ったのか、
友達はこのことを知っているのか、
創価学会員には見えなかった、ということも伝えた。
彼からは、
・両親が入っていたから入っていること
・今までの彼女には創価の話をしたら連絡がとれなくなった、というケースがほとんどであること
・友人には知らせてないこと
・言わなかったのは、今までの例と、直接は言いにくかった
と言われた。創価っぽい素振りがなかったことに関しては、そりゃあ外では出さないよ。と言われた。
私はこの返事を聞いて、
基本勧誘はしてないのか、
私のことが好きかどうか、
を聞いた。
この時、色々考えていた。
友達に知られていなくても活動できるなら、勧誘もノルマもないのでは?そのくらいなら私は構わない。
でも私は創価学会に入りたいとは思えず、譲歩しても名前だけの入会か、月一レベルで会合に参加する、というのがおそらく精一杯だろう。ということ。
もし、私と付き合ったのが、入信を狙ってのことだったら嫌だと。
創価学会に入らなくても、やっていけてるカップルや夫婦もいる。私たちもそうなれないかと。色々考えた。
彼から来た返事は、「ごめん」だった。
彼にとって、創価学会に入信し、本当に信者になってくれることは譲れない条件だったのだろう。
創価学会を忌避していたのに、彼と共にいられるなら心からの信者とはなれずとも、入信してもいいと思うほど愛していた。
一目惚れだった。誰にも取られたくなくて、自分からデートに誘った。その後もどんどん好きになっていった。全てが好きだった。
全てが好きだったから、創価学会員であることも受け入れられた。
でも、もしかしたら他の信者や彼の家族は私の家族にも入信しろと言ってくるかもしれない。
信仰の自由がある以上、私は彼に創価をやめろとは言わなかったが、こちらにも信仰の自由がほしかった。
その後、彼に電話をかけた。以前映画を観に行く際、彼がチケットを予約してくれた時のスクショに電話番号が載っていたので、その番号にかけた。
普通に考えて気持ち悪いし、下手したらストーカーで訴えられる。
それでも、あのごめんだけで終わるのが辛かった。お互い無理だね、ってなるまで話し合いたかった。
電話は繋がらなかった。彼は私の電話番号を知らないが、たまたま出れなかったのか、意図的に出なかったのかは分からない。
私は後者だと思っている。
その後友人に慰められながら、それでも辛かったし、次の日が仕事だったので眠りについた。何回も目が覚めて、ラインや通知を見てしまった。彼からの連絡はなかった。
朝起きてから仕事に行く前に、電話番号で送れるメール、ショートメール(SMS)を送った。
返事ももらえないだろう、でも彼を諦めるために、彼に宛てて送りたかった。
まあ、返事が欲しい気持ちもあったけど。
お互い折衷案を見つけてこの関係を続けていきたいくらい愛していたこと、貴方も私を好きだったかどうかを聞きたかったこと。ごめんなさい。さようなら。と。
私が好きだから付き合ったと、信じたかったから。ラインで答えてもらえなかったけど、これだけは聞きたかった。
メールを送ってから家を出て、バスを降りてスマホを見たら彼から返事が来ていた。
僕も□□(私のこと)を愛してた。でもこれ以上関係を続けることはできない、ごめん。
やっぱり、別れの言葉だった。
しかし、返事が貰えたこと、愛してたということで、やっぱり話し合いたいという気持ちが湧いてしまった私は、今日の夜電話できますか?と送ってしまった。
これ以上関係を続けるつもりはないから、電話は出ない。ごめん。と返ってきた。
当たり前の返事だし、自分が悪いのだけれどショックだった。
でも、そもそもラインもブロックして明確に別れの意志を伝えてたにも関わらず諦めも悪くメールを送ってきた女にちゃんと返事をくれたこと自体優しいだろう。
その後、彼が読まないとは思うけど、またメールを打った。
この状態から電話をかけたら言い逃れできないくらいストーカーだし、それをしたらいよいよ未練を断ち切れなくなりそうで。
私がこうしたら付き合い続けられるんじゃないか、と都合よく考えていたこと、話し合ってから別れたいと思っていたこと、それが我儘であることの謝罪。
メールの返事をくれたことに対する感謝、貴方の事を頑張って諦めるけど、しばらく泣くということ。一目惚れしたこと。
それらを書いて送った。もう返事はないだろう。
別れを告げられた次の日はボロボロだった。元々風邪を引いており、だるかった、熱が出ていたこともあるが、輪にかけて食事が喉を通らず、体は重く、ずっと彼の事を考えていた。
今は少し食欲が出てきたが、あまり食べたいという気持ちは起きないし、自分が彼を愛していたことを考えると泣いてしまう。
メールでは愛してました。と言ったけど、本当は今でも愛している。
初めて行ったデートでお茶漬けを食べたこと、その次のデートで手を繋いだこと、水族館で私がカワウソの写真を撮りまくっていっぱい撮るね、って苦笑いしてたこと、次のデートで風邪が治らず、咳をするたびに背中をさすってくれたこと、映画を観に行った後、次の関係へ行ったこと。ちゃんと彼女にしてくれるんだよね?と聞いたら、もちろん、先に言うべきだったごめん、と言ってたこと。
彼の好きな漫画家の展示会に誘ってたら喜んでたこと。犬猫カフェに行ったこと。
今まで会ったときのこと、恋人らしいことをしていたこと、ラインでの会話を思い出して、泣いてしまう。
もう会わなくなると分かってたら、もっと色んなことしたのに。恥ずかしがって顔を反らしたりしなかったのに。
なんで彼は創価を信じてるのだろう。
なんで私は創価を信じていないのだろう。
なんでこんなに好きになってしまったんだろう。
こんなに好きじゃなければ、愛してなければ、こんなにも辛くなることはなかったのに。
付き合って長い年月が経っているわけではないので、今言ってくれたことは彼の優しさだろう。
結婚直前まで教えてもらえなかった、という話を聞くとそう思う。
私は今回の一回だけど、彼は何回も経験してるとなると怒りの言葉も出てこない。
どちらにしても非常に辛いことだと思う。
それでも創価を辞めないということは、やはり彼を形成するものなのだろう。
それを受け入れられない相手とは付き合えないよね。
彼と過ごした日、彼とラインした日、彼のことを想って過ごした日、全てがまだ愛おしい。
私は落ち着いたり泣いたり疑ったりと情緒不安定ですが、彼はどうしてるかな。
彼も泣いたかな。泣いてくれたなら嬉しい気持ちもあるけど、可哀想だとも思ってしまう。
一目惚れって一番冷めない愛らしいですね。
私、彼以上に誰かを愛せるかな。
でも、忘れるために、結婚して愛する人と幸せに暮らすために、誰か他の人を見つけないといけない。
彼も、創価を信じてくれる誰かを見つけるため頑張るだろう。
貴方は私を傷つけたし、私も貴方を傷つけた。お互い別の相手と幸せになりましょう。
好きなら創価やめてよ、って言いたくならなくなくもない…が、向こうからしたら好きなら創価を信じてくれ。
お互いがお互いを譲れなかった話。
多分この話は当事者である私と彼と、相談した友人一人、合計三人しか分からないはず。身バレは省いたはずだし…。
もし彼氏がみたらこんな未練タラタラの女でごめんとしか言いようがない。あとストーカーチックな女でごめん。別れたいから創価って嘘ついてるんじゃない?って疑ったこともごめん。ネットに書き込んでごめん。気持ちの整理というか、記録とか、そういうので必要だったと思う。あとずっと彼氏って書いちゃってるわ。それもごめん。愛してるよ。
もしこれを見た人、こんなキモキモな文を見せて申し訳ない。本当はもっとアレないちゃいちゃの話も記録として書きたかったけど、気持ち悪く思う人、そして万が一彼氏がこれを見たときのことを考えると書けない。
忘れずとも、この気持ちにケリをつけたい。彼のことを本当に諦められますように。
こないだ紅葉見に成田山行ったんだけど、絵馬が奉納してあったからちょっと眺めてたんだわ。
〇〇高校合格!とか医師国家試験合格!とか病気治りますようにとかあるんだけど。みんな立派だなと思って。
土地柄か外国人が書いたものも多くて、その中でも香港に平和が訪れますように、ってのが目にとまったのよ。
遠い国の問題だと思ってたけど、実際戦ってる人がそこにいて寺にお祈りしたくなる程の問題なんだな、と身近に感じる事ができました。
しかもさ、香港の問題とかわりと若い人らが中心になってるじゃん。
立派だよね。
我々おじさん達はさ、やっぱりちょっと難しいじゃん、家庭とかあるし。
なんかおじさん達のデモとか我々小さい頃によく見てきたけど、イメージ悪いし。
まあ自分らがしてこなかったのもあれだけどさ、こういうのは若い人らに頑張ってもらって、おじさん達は裏でお金出して支援するみたいのがいいんだろうな、なんて思うんだよな。
※訪れる際は時期外れ、移動距離の長さ、ガソリンスタンドの少なさ、渋滞、雪、アイスバーン、狭い山道、公共交通の少なさ、畑や牧場への不法侵入、ヒグマなどに注意する。
※それぞれリンクを貼ろうとしたがスパムと見做されたのか弾かれたので諦めた。
※残念ながらどこのステマでもない。25万円欲しい。
https://www.google.co.jp/imghp?hl=ja
《留萌振興局》
《宗谷総合振興局》
礼文町 澄海岬
《根室振興局》
《釧路総合振興局》
釧路市 幣舞橋 夕日
《十勝総合振興局》
帯広市 紫竹ガーデン
《日高振興局》
《上川総合振興局》
旭川市 就実の丘
士別市 羊と雲の丘
中富良野町 彩香の里
美瑛町 ぜるぶの丘
《空知総合振興局》
由仁町 ゆにガーデン
《胆振総合振興局》
《石狩振興局》
千歳市 苔の回廊
《後志総合振興局》
《檜山振興局》
《渡島総合振興局》
今年も早いところでもう十月だ。とは言え今年は九月も暑い日が続いて、十月入ってからも何回かめっちゃ暑い日があった。正直今日も昼間なら半袖でいける。でも朝晩はめちゃくちゃ寒い。
春と秋って、昼間はすごく過ごしやすいんだけど寒暖差がきつい。昼間あったけ〜〜と思って油断してると朝起きた時とか寒くて震える。
面倒くせえストーカーにこれ以上付き合いきれないというメッセージを送ったが一切反応がなくて逆に怖い。もう本当に嫌なので今日アカウントを消す予定だ。
まさか自分がネトストされるなんて思ってもみなかったから珍しい経験ではあったと思う。二度と嫌だしそもそもしたくもなかったが。
作品を作りたいのに作りたくない、作りたいけど作っても思い通りにいかずただ時間が過ぎていく。昔書いたものを越えることばかり意識してうまくいかない。何もかもうまくいかない。創作に対するスタンスが狂いすぎてもう何をどこからどう手をつければいいか分からない。健康に創作出来てた時期が懐かしい。
これも全部台風前の低気圧と寒暖差の影響だと思っておくことにする。心が疲れた。
創作にはこう向き合うべき!みたいな話聞きすぎて見失ってる感はある。かと言って我流すぎるのも問題?なのかなと。ああもうどうしたらいいんだ。
疲れたなあ。子供の頃は山に行くのとかクッッソつまんねえなと思ってたけど、この年になると人生や仕事に疲れた時、ふと「あ〜なんもねえ山行ってリセットしたい」とか思うようになった。
旅行に行きたいけど旅行先でまで人に気を使いたくないから一人旅行きたい。秋の京都とかいいなあと思ってる。今年は暖冬というか今のところ暖秋?だから紅葉の状況とかどうなんだろう。
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
悪役のシャーがセイラを捕まえてエヘエヘしててアムロをぶん殴って、ピンチになったらちびっ子たちの声援に応えて正義のガンダムが登場する。
これ以上ない正義の味方じゃん。
ガンダムの着ぐるみはスーツアクターが竹馬乗らないと演技できないタイプのやつ。
ちなみに、冒頭のシャー少佐と一般兵士の語りで、過去何度もガンダムに酷い目に遭わされたトラウマで「あのにっくきガ…ガ…ガッちゃん?」と名前が思い出せないくだりは涙無しでは見れない名シーンでした。
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