はてなキーワード: 理想論とは
大学生時代に学前のガストでよく駄弁ってたテーマで、大変懐かしく思った。
増田の考えを解き明かす分野としては法哲学に入るのだが、結論が
と、ややトーンダウンした感じで締めくくってる事。そして関連エントリで
どっちの話だ
https://anond.hatelabo.jp/20210616162123
というコメントがある事から、社会科学の視点について議論が浅い部分が見受けられたので、そこについて補足しておきたい。
(なお引用した『社会科学は検証も再現も不可能な占星術的なもの』という理解は何から何まで間違ってる。社会科学とは社会の “関係性" の部分に焦点を当てた学問なので、法律学を社会科学の視点で分析するのは正しいし、数多の論文はもちろん研究や講義も普通にある)……閑話休題。
さて。
という元テーマに回答すると
という回答になる。身も蓋もなくて申し訳ないというか、「そりゃそうだろ」と言われそうだが。
社会の便益と個人の利益。それらが相反するとき、妥協点を定めるのが、法とコミュニティである。
という言葉がありまして。個々人が好き勝手にやった結果、社会に損をもたらしてやばい → だから法で規制/ルール化しよう。ってのが、多くの法が作られる基本的な流れと思って良い。すなわちそもそも法が作られる理由/初動の多くが「誰かが好き勝手やったせいで、他の誰かの利益/権利をおびやかしている」である。大抵の場合において、科学的問題提起から発祥したものではない。
もちろん「この方法は患者の不利益になるから規制すべき」(医事法令)や「この方法を施工主が行うと顧客の安全性を損なうから規制すべき」(建築法規)などもあるが、これらの科学的根拠も 誰かの利益/権利をおびやかしているから、それらを保護/フェアネスにすべき という原則が先であり、科学的根拠はその理由付けに過ぎない。
よく語られる話ではあるが「大麻は規制されてるが、酒は規制されていない。科学的根拠に照らしたときに、矛盾があるではないか。両方似たものだから、両方規制するか両方解禁すべきだ。」という人がいる。この指摘は科学的な視点からは合理的かもしれない。
だが、これは時の権力者が「大麻/酒を規制したとき、社会の便益と個人の利益、どれを重視し、着地点を定めるか」と議論をしたり、賄賂だったりコネだったり、時代の情勢やら経済施策だったり、決めた権力者の気分だったり、そんな事情やあんな情事でアアダコウダして、その結果……今の大麻禁止・酒OKなのであろう。
ひとたび法が作られてしまうと、その後は妄信的に信じる輩が出てくる。コア・コンピタンス経営という本に「猿とシャワー」という寓話がある。有名な話だが、要約するとこうだ
檻の中に、4匹の猿がいた。部屋の中央にはバナナが吊されてある。
当然、猿はバナナを捕ろうと飛びつく。すると天上から冷たいシャワーが降ってくる。猿はバナナを諦めてしまう。
4匹の猿を1匹を入れ替える。新入り猿はもちろんバナナに飛びつこう……とするが、古参猿3匹に「やめておけ」と止められバナナには触れなかった。
猿の交換を繰り返し繰り返し、ついには誰もバナナに見向きもしなくなった。
だがしかし「バナナに飛びついてはならぬ」だけが呪いのように猿を支配し、バナナに飛びつかない理由自体は誰も覚えていない。
とっくにシャワーが噴き出す仕組みも、なくなっていたというのに……。
時代が変化しているのに、過去を妄信的に信じる猿に、僕らはなっているのではないか。
しがらみに囚われなければ、より良い利益(バナナ)を手に入れられるのではないか。この視点/議論は常に必要だと思う。
科学とは、多くの場合において、根拠と再現性ある形で、世の中を照らす。
古くに権力者によって作られた法は、本当は科学的根拠に欠けているのではないか。新しい科学的な発見を取り入れ、検証され、アップデートされてしかるべきではないか。
理想論をいうなら、私もそうであってほしい。しかし過去の法/ルールに縛られ、大抵の場合は喧喧諤諤の議論となってTwitterのつぶやきの藻屑と消えゆく。私の見る
も多くがそんな話をループしているように感じてしまう。増田のような科学的知見から疑問を呈する者が、確固たる根拠を述べ、社会にとっての新たな利益をアピールし、歪んだ法を叩き直してほしい。そう願う。
自粛や気の緩みという言葉が、時に不当に批判的な意味を持ってしまうのは、確かにその通りだと思います。わたしも、以前の記事では感染者数の前週比のことを「緊張のバロメーター」と表現しましたが、自粛度よりも緊張度のほうが、いくらか印象はよいかもしれません。手洗いしない人や、たまに「まぁいっか」と思ってしまう人を、自粛度が足りないと表現するよりも、緊張度が足りない・自衛が足りないと表現する方が的確ですね。
わたし自身、あくまで理想論ですが、マスクの着用と適切な消毒、黙食の3点さえ100%徹底できれば、そのほかの日常生活や外出、娯楽(カラオケなどの例外を除く)や旅行に何の制限もいらないと思っています。または少なくとも、限りある人々のストレスや経済の負担は、効果の高いものだけに集中して投入した方が、人々のストレスもワクチンの普及まで持ちこたえやすいし、経済への負担も低く抑えられると考えます。
ふだんのマスクの着用はすでにかなりできていますが、問題は黙食です。おそらくあなたと同意見だと思いますが、大変残念なことに、政府や都は、「黙食」という感染対策の根源をあきらめて、そもそもの外食機会を減らすべく「自粛」を要請しているというのが実態だと思います。この点で、本来不要なはずの「自粛」というキャンペーン用語にわたしも乗っかってしまったのは、よくない言葉選びだったかもしれません。
とはいえ、人々の行動が、感染者の増加や減少に影響しているという点は、わたしもあなたも合意できるのではないかと思います。ひょっとするとそこに合意できないというのがあなたの主張かもしれないという懸念もありますが、もしそうであれば、なかなかわかり合えない壁があるかもしれません。
もしも「シェークスピア、バイロン、シェリー、ブレイク、コールリッジ、ワーズワース、テニスンの詩なんか学校教育で教えるのは無意味」とか言う英国人がいたとして、それを見たら、英国人じゃない自分でも「うわ……」と感じるだろう。上の例でピンとこない人は、ホメロスなり、ダンテなり、ゲーテなり何なり、適当な人名に入れ替えて下さい。
実際は、欧米の政府首脳や政治家は、演説で聖書の一節、ギリシャ/ローマの古典、有名な詩人の詩から引用することが珍しく無い。そういう場面を見ていると「風雪に耐えて残った古典」の価値を見抜ける/理解できるような頭の持ち主でなければ、国家百年の計と云う長期的なプランを建てる重職を任せられないと云うコンセンサスが、政治家や有権者の間に有るように見える。
また、古典は宗教その他の思想的バックボーンを反映しているものなので、良かれ悪しかれ国民性を反映している。政(まつりごと)をするには民の心を理解して掴まねばならない。したがって、為政者は和漢の古典を読み、よく人の心を学ぶべしと云う旨を、江戸の学者は説いていた。昔の中国でも、知識人は同じ旨を説いていたと思う。それらは理想論に過ぎなかったのかもしれないけれど、理想を失くしたら人間は御仕舞だと私は思う。
自民党の政治家もそうだし野党の政治家もそうだけど、日本の政治家は古典を引用した演説をしない(できない)。それを見ると、この人たちは、行き当たりばったりで長期的に物事を見る能力に欠けている、その場凌ぎ思考の人間ばかりなんだなと私は思う。五十年〜百年経ったら、後は野となれ山となれと云う考え方の持ち主なのだろう。
虚偽答弁をする政治家に対して、対立政治家が「いつはりの無き世なりせば如何ばかり人の言の葉嬉しからまし」とか知的で洒落た皮肉を言えたら、グッとくると思う。しかし、現実の日本の政治家は、バラエティ番組的な物言いをする人間ばかりである。
古典に関する教養は、即物的な意味で役立つ訳ではないのは確かである。けれども、頭の中身や心が貧しい人間か否かを見抜くためのバロメーターにはなり得ると思う。心が貧しい人間が政治家をすると、人間に対して酷薄な政治をすると思う。例えば、麻生太郎の言動を見ると、そう思わないだろうか?まあ、野党の政治家も五十歩百歩なのだけれども。
少なくとも、口先だけは愛国心を説くくせに日本の古典に対する教養を持たないような政治家を、私は信用できない。そして、それを国民が見抜ける状態でいるためには、やはり古典に対する教育は必要なのだと私は思う。
風俗のことにいくら理解を示そうと努力しても、いろんな意見を見て納得しようとしても、考えるほどどうしても傷ついてしまう。
行ってないと嘘つかないでほしい、私のために我慢なんてしなくていい、行きたいなら行けばいい、私は傷つくしあなたを嫌いになっていくけれど、それは仕方ないことだ。
日常の中にある性産業は、誰かを救っているんだろう。あなたも何かを救われて、癒されているんだろう。わかるけれど、理解できない、したくないのかもしれない。
理想論が過ぎるのだろうけれど、頭の中にあなたを責める言葉はいくらでも浮かぶ。
私を横に置いてなお、欲だけを切り離して解消するトレーニングを未だに積み続けるあなたに失望する。
どうしてその欲に、感情を、愛を、連動させることを試みないのか。特別な関係の証として開示するような快楽の追及を、他人とできるのか。関係性を構築して、お互いの身体を知り合って気遣って、心も身体も深めて初めて辿り着く場所に、私といきたいと思ってくれないことに落胆する。
女と妻と母と、勝手にあなたの頭の中で役割を分けることで私を引きちぎらないでほしい。
私が他の男としたら、絶対に許せないくせに。
とかと一緒で、理想論なのよね。
私は、ほとんどの偽科学には騙されないと自覚してるぐらいのリテラシーや知識はあるつもりだけど、複数分野の詳細や根本の理論とかがわかってるか? と言われたらわかってない。
そんで、身の回りには考えることを放棄してる人達がいっぱいいる。
結局自身の専門分野ですら、完璧に理解できてる人っていないわけで、本質から少し離れたところで判断してると思う。
実際問題、本質から少し離れようが本質を捉えて意識してたら騙されるリスクはかなり減るんだろうけど。
そっから少し外れた人は、実際頭が弱いし、人類にひとりとして頭が弱くない人が居ないってのが事実だよ。
ジャンルが違うから変な例えだけど、ABC予想みたいなのがコロナに効くとかってつながった時に何人がそれをジャッジできるのさ? って
これが差別と言われたら差別なんだへーという感じなんだけど現実として大多数が思ってることだと思う。
LGBは性的指向の話だ、だれを好きになろうと構わないと思うけどわざわざ話してほしいなんて言ってないのに自ら話して場の空気を悪くし人間関係がこじれる。
周りの人の理解が足りないからとか言っちゃう人は普通に考えてほしいんだけど、いきなり俺は女性/男性が好きです、と言ってくる人間に対して
お、おぅ、以外の言葉と何だコイツという脳内セリフ以外が出てくる人間が果たしているのかという。
認めろ!理解を示せ!というのもそもそもが少数派なのだから、あなた方は多数派よりも圧倒的にクリーンに真っ当に、或いはそういった人たち以上に社会に対して貢献しないと認められないものだ。それをいきなり「差別」という都合のいい武器を振りかざしてぶん回す、正直一部がそんなんでは現実を見据えそういったところをオープンにする場所を選んで生活してる人たちに対して糞迷惑な話である。
Tの人たちは性自認の話、ただ私は女性の心を持った男性の体を持つ人間或いはその逆というのをどう実生活で周りが即把握できるというのか。
スポーツの話でもそうだ、これは前々から言っていた人がいた。スポーツ全般本当に平等に競うなら性別という括りを取っ払い、格闘技なら重量、陸上なら距離というように性別以外の区別はつければいいと。こうすればどの性別を主張しようとパフォーマンスの良し悪しはそのアスリート個人の努力と成果によるようになる。これは競うことの機会そのものを奪ってはいないし、なんならTの人たちにも機会をきちんと与えている時点で1番平等と言えそう、その代わり上位を完全に男性が占めようともだ。これは現実世界仕事の話でも言えるのだがスポーツにこれを持ち込むと途端に差別という人が出てくる。仕事でもポストは誰にでも法律によって開かれている、だが妊娠して長期離脱するかもわからない、生理で月に何日かは或いは半分以上が絶好調からは程遠いパフォーマンスになるという女性やTの人たちに対して、妊娠しないし産休とはいってもたかが知れてる、生理というものがない、元々体力的には女性より優れている場合が多い、この条件で同じ位の仕事を任せる話になったら誰を選ぶよという話。
こういう差別を訴える人は現場における適材適所、敵者生存という話をかなぐり捨てて理想論を掲げる、ただのロマンチストだ。
そんなんで世界がうまくいくならとっくに上手く言ってる。
変えたいならまっとうな方法で帰るしか無い、社会活動とは名ばかりのデモをやったり、講演会をしたり、SNSでロマンを垂れ流す暇があったら金を稼ぎ自分の思想に呼応してくれるかもしれない政治家を見つけて献金しまくって議席を取りそしてそれを繰り返す。そうやって根幹の部分を変えるしか無い。
性別を超えた全体のための声なら政治家も献金せんでも声をあげるだろうけど、特定思想の人たちはきちんとそうやって戦略を練って自分らを犠牲してでも成し遂げようとせんと変わらんよ。
昔、と言っても大昔のことではなく9.11同時多発テロの記憶が生々しい頃だけど、「戦いよりも対話を」とか「処罰感情を満たすことよりも教育による更生と再犯防止を」とか「過度な自己責任論は止めて、社会的セーフティネットを」とか、そういったことをリベラルの人たちは言っていたと思う。
たとえ綺麗事とか理想論とか揶揄されても、あの頃は言っていたように記憶している。あくまでも、傍から見ていた者としての勝手な記憶だが。
私自身は自分のことをリベラルとは思わない(と言うか、己の思想的立場がいかなるものなのか、自分でもよく判らない)のだが、それでもリベラルの人たちからは学ぶことが多々有った(有る)と今でも思っている。人間、誰か一人だけが全て正しいという盲信を捨てれば、大多数の人間は誰でも大なり小なり正しい部分を持っており、したがって同様に学ぶべきところも有るものである。
しかし近年では、リベラルを自認する人たちの中に、自分と意見や思想が異なる人間に対して「あいつ(ら)は『あんな風』だから、口汚く罵られても構わない」「あいつ(ら)が『あんな風』なのはあいつ(ら)自身の責任だから、攻撃されても仕方がない」という態度や言動をあからさまに取る人が珍しくなくなってしまった。そういえば、まだ「ネトウヨなんかやっているのは、現実の生活が上手くいっていない人間が憂さ晴らしに暴れているだけ」という意見の方が主流だった頃、リベラルの人に「ネトウヨ的な人たちが暴走しないようにするためにも、社会的セーフティネットを構築する必要が有りますね」と提言したら「あんな奴らを救済する必要なんか無い!」と強い口調で言われて驚いたことがある。
他者との対話の可能性や、過ちを犯した人に対する教育による更生の可能性といった理想を、もはやリベラルの人たちは信じなくなった、或いは信じなくなりつつあるのだろうか?
リベラルの人たち自身が自ら掲げる理想を信じていないのだとしたら、これに非リベラルの人が耳を貸さないのも当然だろう。薬売り自身は「薬に効き目が無い」と思っているのに、それを売りつけてこようとしたら、売り込まれる側の人間は信用するだろうか?
n=1の話ではない。いやn=1の積み重ねではあるんだけど。直接的に話を聞けるのが10人くらいで、その人ら伝手でその数倍のサンプル。
東京ではないがまあまあ栄えてる都府県の政令指定都市とかその近郊での話やで。
学がないから(学歴、判断力、知識、社会経験)、というのもあるし、交友範囲がそっちの人に偏ってるというのもあって、日銭で暮らす。すぐ辞める。それが日常の世界。
実家が細い。両親が離婚してる、再婚してる率が高い。再婚相手も頼りない。
その子供は高卒、よくて専門。勉強しないでも入れて勉強しないでも出れるところ。自頭いい子も多いが、やる気がない、中退も多い。
高卒同士で、水商売とかで付き合い出す。避妊への意識が低い。特に男。それに従ってしまう女。
子供ができやすい。結婚するが、旦那が働かないか定期的に転職する。あるいはヒモ化する。あるいは、結婚しない、離婚に至る。生活力もないのに。
将来設計が全くできてない。年金も保険も払ってない。負担してくれないところでしか働けない。自分で払う余裕がない。
家賃もスマホ代も光熱費も滞納したりギリギリだったり、ギリギリアウトだったり。
貯金処ではない。
地域の相談員さんとかが親身に相談に乗ってくれて保育所みつかったりもするが、毎日通わせることができない。
とにかく、安定というか頑張って生活を向上という方向に行く人が少ない。なのに服とかゲームに課金とかはバンバンする。
そりゃ負はスパイラルする。
クズ男も多いし、それに引っ掛かる女も悪い。が、毎年毎年別れただのくっついただの、いい人が見つかった(だいたいそのいい人は金借りて逃げる)だの。
どっかの地域に固まってるわけではなく、元そういう地域に住んでた人らがちょっと離れたところで、目立たず生きてる。ギリギリ。
そこまでやれとはいわない。
上澄みを綺麗にすることはできるだろうが、下の方でまた違った文化が継続していく。
もちろん若い夫婦にもシンママにもしっかりした人は居る。生活保護でなんとかやりくりしてる人も。
30代とかになって、ちょっとマシな旦那見つける人も、実家が太くて立て直せる人も。
けど、ほとんどのケースで教育が負けてる。言い方悪いけど、底辺家族に育てられて、底辺学校行って、底辺友人と付き合っててまともに生きていけるわけない。
増田は、どっちも見たから余計にその差がわかる。たまたま中流家庭が途中で崩壊して、上の方の兄弟は進学校で下の妹はいじめにもあって底辺学校行ってメンヘラシンママなってしまったから。
国策としての立て直しには相当かかるから、これ以上不幸(っていうと上からの押し付けになるのだろうが)を生まないために、よっぽどのケースでないと、20代前半とかで子を作るべきではない。
共産主義とか社会主義とはちょっと違うけど、かなり管理社会にするか100ねんぐらい頑張ってなんとかしないとこの構造は無くならない。
出来る範囲で出来ることをちょっとずつやってくしかない。その中では反発を食らう極端な意見も出るだろう。
けど、じゃあどうすんの? ってなった時に、喜んで税金上がって払う人なんていないよね。
少ない費用では場当たり的にしか対処できなくて、更生っていうとこれまた酷い言葉だけど、本人が更生する気ないので手当てが行き届かないんだわー。
このコロナ禍の中で、国会議員たちの政治資金パーティなど何度も行っている。
ただ、ほとんどの議員はパーティとは名ばかりで、”ありがたい講演”を聞く会であり、よくある飲み会でどんちゃん騒ぎなんてものはない。
強いて言うならば帰りがけにご挨拶をする接触をするが、マスクもするし、長い時間話し込むことはしない。
もちろん、大きな会場にソーシャルディスタンスを保ちながらもたくさん集まることには変わりないが…。
昨今のニュースでは"政治資金パーティ"というワードが独り歩きして、飲み会して…というイメージを世間は持っているようだが、少なくともコロナ禍以降は上記のような体裁を取っている。
じゃあなぜ高い金を払ってまで政治資金パーティに我々は参加すると、我々の業界の意見を進言することで政策的に反映させてもらうためである。
はっきり言ってどの業界も同じだろう、メーカー、金融、建設、医師会…、各々が意見を進言するために、仕事を回してもらうために、日々政治資金パーティに参加し、顔を売り、15分という短い時間でもアポ取って議員会館でご挨拶させていただくために日夜ゴマをすっている。
例えば、仮想通貨がこれだけ浸透しているのに、法外な税率だったり不利なままであることや、IT業界がこれだけ議員に理解されず制作的反映されないのは、こうした業界のゴマすりが足りないのではないかと思慮する。主観だが。
こんなやり方腐っているともちろん思う。いや正直、本当に糞だと思う。
でもそれってはっきり言って、デモを起こさない我慢強い国民で、若者は選挙にも行かないし、選挙に出る尖った若者(政治的地盤のない者)の足を引っ張る風潮やマスコミのリテラシーの低さが、いまの与党議員たちを生んでいると思うんだよね。
マスコミっていう話で言うと、例えば、山本太郎の意見は正直過激で理想論もあるかもしれないが、ああいうことをいう議員が与党を脅かす存在として一定数いない限り与党は腐敗していく。マスコミはこうした野党をメディアなりに呼んで、単純接触で増やしていかないと本当に与党独裁体制になる。
他には、吉村さんがあんだけテレビに出ていること、それ自体の行為に批判あるかもしれない。しかし、事実日本国民は維新の会という政党を全国民にしっかり知らせることができ、何も考えないようなピュアな人たちは「吉村さん頑張っている…!応援しなきゃ!」という人種を生み出してくれているのだ。与党への脅威である。
まぁ立憲民主党という野党もいるが、、、足を引っ張る主張や批判よりも、もっと理想を並べて、メディア露出を増やせばうまくいくはず。所属議員が軒並みアホすぎるので無理だとは思うが…。
一方で、議員も議員サイドで、政治資金パーティで金を集めない限り、活動が厳しいらしいのだ。
もちろん、その集められたお金の中には無駄遣いも往々にしてあるだろう。
議員特権というやつで、私腹を肥やしている議員もいるに違いない。そういうやつはぜひマスコミや世論が糾弾してほしい。
まとまりがない感じになってしまったが、この国の政治システムは腐敗している。
みんな選挙に行け!現状に不満なら与党以外で一番マシだと思う政党に投票しろ!
(追記)
「仮想通貨が浸透している」ってのはまぁ確かに安い表現でした、すみません。ちなみに、やり取りしてるのは元増田ではなく、別の方ですので悪しからず。。
・米国などでは仮想通貨を原資産とするデリバティブ等の金融商品がある
などの理由からです。「浸透している」自体主観的な考えですので、意見が分かれることは致し方ない部分だと思います。
個人的には、投機的な仮想通貨自体はあまり褒められるべきものではないと考えていますが、ブロックチェーンの技術(パブリックチェーンではなく、プライベートチェーンで)としてはまだ展望可能性があると思っています。この辺りは日銀のレポートあたりもご覧になるといいと思います。
(追記2)
・お弁当が置いてある(立食なし)
・隣と1〜2m空いてる
・会場はホテルの広間みたいなところ
というものでした。
(追記3)
思ったより反応があってびっくりした。いくつか追記しておきます。
→まさにその通り。オンラインでいいことも対面でやるのが議員たちです。試しに議員のTwitterとか見てほしい。
官僚呼びつけて、ソーシャルディスタンスなしで、密集状態で「●●議員連盟の会合をやってやったぜ!」「●●の検討会やってやったぜ!」とやったった感をアピールして写真付きで投稿しているような、バランス感のない議員がちらほらいるから。
ZOOMでセキュリティが…とかいう意見もわかる。じゃあteamsは?webexは?それも全部ダメ?もう知らんと言いたくなる。一生集まることで仕事した感を出しておいてください。
・なぜそんなやつら議員になるのか?
→特に高齢議員たちは先生、先生と言われて介護されてるような人が多いです。っていうか70,80歳の人たちはもう人間のスペックとして仕方ないと思った方がいい。定年制を導入してください。
会社でも65歳定年で、頭脳労働をその年までそもそもできている人って僅かだと思う。
ただ、問題なのは40〜60歳でもテクノロジーや新しい物事について疎い議員が一定数いること。この辺は…正直悲しい。よほど、TikTokやYouTubeに投稿チャレンジしてみいる好奇心旺盛な爺さんとかの方が話通じると思う。極論だが。
大矛盾してるだろ、延期もなし
オリンピックはバッサリやめて、改憲して、厳密なロックダウンやって、行動の自由を制限して、国民に金を配れよ
国民に行動の自由を制限しておきながら、政府がスポーツの祭典という不要不急を優先するなんてアホだろw
でも、オリンピックどうせやりたいんだろうし、延期してもやるとか言い出すんだろうし、
だったらやっぱり改憲はなしだ
というか、こんな国や政治家や軍隊でこの国の主権を守っていけるとは完全にもう思えない
国難になったら仮病で逃げる首相とか、同じ島国の英国でもそんなアホなことはない
そもそも、メイ○マは出羽守になったのに英国への愛国心、忠誠心が足らない
ティーカップを持ちながらドイツやロシアと血みどろで塹壕で戦えよ
そもそも、メイ○マは夫の影響なのか知らんがメタル好きだろ、Iron Maden大好きなはずだろ
Trooperだよ!
(Aces Highのチャーチル演説は作為的なところでカットしてるから良くない
日本にもクイーン・エリザベスのような空母が必要に思うが、あと最長6年でそんな知見は集められない
実戦に近い訓練を繰り返して、思わぬ事態への対応を塗り潰していく必要がある
そうやって集めた知見、教訓をこれからの米国に対応しうる巨大艦隊の運用に活かしていく目論見がある
オカルトに染まった右、理想論の平和主義という中身は事なかれ主義の左、
foxconみたいに台湾企業でありながら中国企業になる方が企業としては正しいんじゃないか?
いずれにせよ、理系とか科学技術に少しでも携われる仕事なら自分は政治信条はないんで、
自分は基本的にはフォン・ブラウンやロックスミス側の人間なんで、どうでもいいといえばどうでもいいんだけど、
まあ、でも、あそこまでサイコパスでも天才でも自分はないんでな
戦争であれ外交であれ、最後はガッツが勝つと俺は信じたいんでな
今の状況だと中国の方がどんなに卑劣な手段だろうがチートだろうが、
国民でさえ過労死が当たり前の過酷な独自の資本主義を国内に形成した
いやパクリでは勝てないと独創的な製品を打ち出して投資を回収できず失敗し自殺する起業家、経営者、
そんな蠱毒な市場を作り出した中国という国家に勝てる気がまったくしなくなった
クリーンアーキテクチャとはソフトウェアアーキテクチャの1つだ。
Robert C. Martin氏により考案され、ここ最近また日本のプログラマ界隈で人気が出ているように思う。
ただ、英語圏において、Martin氏に対して実はかなりアンチが多い。
Redditでは彼についての記事は(批判以外は)軒並み低評価が付く。
理由として以下のものが挙げられる。(本業についての批判と政治信条の批判が混ざっている事に注意。)
実際、クリーンアーキテクチャのアイデア自体は、盲目的に信仰してはいけないがガイドラインとしてはまぁ有用とされているように見える。
ただ、上記経緯により、例えば先日Martin氏の著書であるClean Codeをゴミ箱に入れた写真をツイートしている人を見かけ、彼への風当たりは今も強い事をうかがい知れた。
俺自身、Clean Codeには昔お世話になった覚えがあり、そのパフォーマンスは流石にキャンセルカルチャーではと思う。
しかし一方で、Null許容型批判の件や、開発した代表的なソフトウェアがない事から、この人からプログラミングの何たるを学んだと公言するのを躊躇する気持ちも分かり、複雑な気分でもある。
とりあえず俺が自信を持って言えるのは、ボブに近い名前でもないのにボブおじさんを名乗って良いのはT-800だけだということ。
主義主張の全てを支持できるわけじゃないが、彼らの存在は評価していた
与党も野党もダメとなればあいつらの議席が増えるぞ、と他にプレッシャーを与える役割が彼らにはあり、それだけでも存在意義があったはずだ
もしかしたら本当に秘密党員とやらがいるのかもしれないし、そうだとすればもちろん手放しに誉められたもんじゃないが、まあ毒を以て毒を制す的に考えていた
一定以上力を持たせるとヤバいが誰とも安易に組むことはない、少なくともその点については信頼していた
しかし最近の共産党はちょっと民主に近づきすぎじゃないだろうか
今回の補選の統一候補は推薦ではなく自主支援という形になっていたが、どうも共産党はのけ者にされたことが不満らしい
野党連立にもやたらと色気を出しているし、「政権入りしたら今までの主張は引っ込めます」なんて堂々と言ってしまっているのにはさすがに呆れてしまった
自衛隊にしろ憲法にしろ、あとは中国にしてもそうだけど、いい意味で現実無視というか空気を読まないというか、時流に流されず理想論を押し通すところにこそ、彼らの存在意義があると思っていたんだが
どうして自民アンチは自民を普通に商人右翼と考えずに「詐欺師の極右」と思ってしまうんだろう。
自分としては暴力で市民の行動を制限したりしないうちは、極右とか極左とかいう言葉は絶対使いたくないけどな。極ではないだろ、全然。
それで、こういう立憲支持者たちがまるでわかっていない、与党として一番必要とされる政権担当能力は「利害がぶつかる複数の立場の調整すること」なんだよ。
Gotoトラベルだって感染被害と旅行関連業のそれぞれが小ダメージを受けることで、いずれか一方が大ダメージを受けるのを阻止した。
それぞれ相反するものを調整するから、結果的にどちらも100%満足することはない。