はてなキーワード: 理想論とは
「自分にとって都合の悪いエンカウントだけは一切排除したい」という女さんの理想論をマジで徹底する気なら
共産主義の是非なんて戦前からずっと検討されているから、良い面も悪い面も出尽くしている。その上で現状があるわけで、今の状況で再検討しても新しいものは出て来ない。
色々な書籍でさんざん検討されているので、まずはそれらの本を読んで欲しい。新書がとっつきやすい。
・共産主義は個人の資産所有を禁止し国家の所有と個人への貸与という形に移行する。これは富の再分配を効率良く行うため。
→所有欲は個人が持つ基本的な欲求だが、それを否定するところから始まっているので既にひずみがある。所有欲が満たされない場合は前向きな動機付けが損なわれ、それを補完するために後ろ向きな動機付け(強制労働や収容所送り)が強化される。
→富の再分配は、分配される前に集約される。この集約時に、抑圧された所有欲が得てして汚職という形で姿を現す。目の前に山ほどの札束が合ったら少しくらい貰ってもばれないって思うでしょ?
→知能については、政府コントロールより市場原理の方が優れている。戦後に証明された。
→強権は相対的に人民の権利を下げることとなる。中国の情報統制等はその一例。結果、個人の利益は低下する。
・主な共産主義国はソビエト連邦、中国、ベトナム、キューバ。共通するのは、劣悪な状況を改善するための方法論として共産主義を標榜したこと。
→劣悪な状況が改善されると、弊害が目立ち、瓦解する。これがソ連。
→未だ劣悪な状況にあるとの立場で引き続き推し進めているのが中国。中華=世界の中心を名乗っていたころに比べたら未だ復権は成っていないとの立場。
→大分良くなったので市場に関しては市場原理に戻したのがベトナム。
→大国アメリカが近くにあり、気を抜いたらまた革命前に戻ると思っているのがキューバ。
※東欧のソ連衛星国は、ソ連のテコ入れで西欧との緩衝地帯として赤化された面が強いので、共産主義国として検討するのはあまり意味がない。
つまり、よほど酷い状況でなければ共産主義という選択肢は出て来ない。特に戦後のドン底を内需拡大で復興してきた経験がある現在の日本では、共産主義を取る必要性が薄い。
マルクスの資本論は「すべてをコントールできる知能が市場も政治もコントロールする」という理論なので、かなりの理想論。
あえてGIDやTSismなどの言葉を使わないで極端にわかりやすく書こうと思う。
話の発端は映画「Disclosure」を見た作者がトランス女性(※心が女性であるが体は男性)を排除することに反対するとTwitterで発言したこと。
しかし実際は自称トランス女性による加害が後を経たず、国内でも海外でも問題になっている現状。私も含め、リアルのレズビアン達にとっては「女性専用車両反対」のような、現状を把握できていない人間による中身のない理想論のように受け止めてしまう。
つく⚪︎べの作者が叩かれるのは全くおかしいことだとは思わない。実際に沢山のレズビアン被害者が存在し、軽くニュースを調べるだけでも女性用トイレでの痴漢や、ビアンバーでの嫌がらせなど、関連する事件や精神的な被害が頻繁に起こっていることがわかるだろう。
少なくとも、多くのレズビアンが目を向ける場でその思想については触れるべきではなかったのではないかと感じる。
しかし無害なトランス女性がいない前提なのがおかしいのではないかという疑問もある。女性に恋愛感情や性的欲求を抱かず、"加害をしない"ヘテロトランス女性(※異性愛者のトランス女性)は存在している筈なのに少数であり、抑圧に負けて誰も声を上げられていないということになる。
もしもいるなら、たとえ小さくても継続して声を上げてほしい。「私は加害者ではないし、女性として生きる権利はあるはずだ」と。レズビアンは今、自らの権利獲得のためにさまざまな分野で奮闘しているが、その多くはあなたの敵にはならないはずだ。
「世界規模のワクチン格差についての話になると左右問わず日本人みんな明らかに興味なくなっちゃうけどなんでなん?」
って話。上の文章で終わりっちゃ終わりなんだけど、色々下に書くわ。
日本のワクチン接種事情について、日本人目線で見ればまだまだ安心できるレベルじゃないし、様々な問題や不満があるけど、とはいえ世界規模で見ればかなり「使ってる」側なのは否定できないと思うんだよね。
もちろん日本含む先進国からの途上国支援のワクチン供与もあるにはあるけど、それ踏まえてもとんでもない格差が生まれたし、COVAXも頓挫したって指摘がされてる。海外メディアでは「ワクチン・ナショナリズム」的な表現で議論がされてる。
その中で日本では、右も左も「遅い」「もっと早くしろ」「まるで後進国」みたいな(もしくはこれらへの反論のような)次元の話ばっかしてて、「たくさん確保できる/する」側としての問題があんまり盛り上がらなかった。
なんでなんだろ。そういう報道も一応あるにはあったけど、国内の話に比べるとやっぱり記事数が全然違うしリアクション数の桁も違って内容によっては無反応に近い。「いっぱい接種してる国すごい日本も早くこうならなければ」って話が圧倒的に多かった。
ワクチン争奪戦に「出遅れた」という批判ももちろん正しいが、争奪戦そのものや争奪戦に参加すること、そこで「勝つ」ことの問題への指摘もありえるはずなのにね。(前者の批判を否定したいわけじゃなく、両立するしだからこそめっちゃ大事じゃねってことね。)
まあ保守の人とかは「他国がどうとかより自国のことだけ考えるべきでしょ」で終わりというかそれで筋が通るのかもしれんが、リベラル知識人みたいな人もあんま話さないよね。
命の格差がどう、救えない命があってはならないからどう、みたいな話もあくまで「日本人の命」のことで、国内限定で線を引いてる。
「世界は一致団結し、全世界の人々がまず平等に1回目の接種ができるような手配をすべき。」みたいな、WHOが言うような理想論を言うつもりはないけどさ。現実的に無理だろうし。
でも残念ながら(あえてこういう言い方をする)地球の裏側の人達にも全く同じように人権がある以上、本来ならば同じように接種が受けられるべきなことが明白な以上、今起きてるような強烈な世界規模のワクチン格差が問題であることは事実だし
現実的に平等に配布できないというのは「だから仕方ない」「だから話をしない」ではなく
それこそこういう文脈での政府批判も含めもっと議論があっていいと思うんだが。
保守もリベラルも、いざ現実に自分たちに火の粉が降りかかりそうになると
「もっと我々日本国民のために早くとってこいや」の声が9割9分になっちゃうのかな。
※
コメントで貼ってくれてる人居たので一例としてワクチン供与へのはてなのリアクション転載。めちゃくちゃボコボコやんけ笑
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210519/k10013038681000.html
※
コメントへの返事。
文中にも書いてるけど日本が「ワクチン供与してない」とか「報道が全くない」とか「国内と国外を完全に同じ比重でケアしろ」とか言ってないからね。
すごく単純に「もっと何十倍も議論されるべきだろ」ってことが言いたいわけ。特にTwitterやはてなみたいなとこで顕著だけど。
「まるで後進国」的な、本来ならもう少し注意しながら言うべき言説をリベラル知識人みたいな人達の多数まで無邪気に叫んでたのが違和感あったわけ。
※
また指摘されてたので一応書いとくけど、筆者はワクチン未接種です。↑の話を踏まえてどうこうってよりあの予約戦争に参加する気力がないんだよね。すごいじゃんあれ。Twitter見てると「ワクチン戦争、勝ちました!」みたいなジョーク飛んでてしんどいんだよ。
職域接種みたいなコネもないし。まあ死んだらしょうがねえなと思ってるよ。
ただまだ30代前半で、比較的リスクは低い方なので、「余裕があるから言えるんだろ」的な批判もまあ当たってるっちゃ当たってるかもね。
中身を見たらああ、経済だけではなくて政治もオワコンだなって。この国の将来はないですね
こんなの氷山の一角だけど例を挙げると
・野党の一貫性の無さ。例えば自衛隊派遣に文句を言って多くの邦人を見殺しにしてたのに、いざ自民や防衛省がこの失態を侵すとなると真逆のことを言い出す。人命軽視だとか与党に散々文句言うけどあんたらも人命軽視してるじゃん。命より支持率と議席か。自民と同じ穴の狢やん。ため息しか無いね。
・過去や目前の問題の追求ばかりに時間を費やして、来たる首都直下型地震、南海トラフ地震、富士山噴火に対する国民への周知と対策、議論がほとんどできていない。
・共に支え、助け合う社会を作る。誰もが政治に参加できるシステム作りには、まず根本からの教育改革始める必要があるが、不思議と話題にもあげようとしない。教育福祉は少子化問題や国民の意識にも影響してくるんだがな。
・少子高齢化対策にやけに消極的。これは国の存亡、国民の生活に関わる重大な問題で、もっと政治家や官僚、国民の間で話題にならなければならない。
・隣国の脅威に対しての認識が甘すぎる。残念ながら日本の国力、軍事力では中国は歯が立たない。アメリカもよっぽどの利益がない限りは助けてはくれないでしょう。仮にアメリカが助けてくれたとしてもアメリカをぶちのめせるレベルで中国軍は強い。既に日本は経済的にも中国に依存しており、中国が指一本動かすだけで日本はどうにでもなる。安倍晋三やネトウヨが言う対中強固姿勢は国を滅ぼす行為他ならないし、だからと言ってネサヨの言う通り日本から自衛隊をなくせだの、防衛費を減らせだの、兵器購入・開発するなだのいうのは「日本を占領してください」同じく国を滅ぼす行為他ならないのに。ロシア、アメリカ、中国、(韓国)といった大国に囲まれてるかつて大国だった日本という小国が独立を維持するには強力な兵器を持つ必要もあるし(北朝鮮の存在そのものが阻止力の根拠。中国が思い通りに北朝鮮を動かせないのも北朝鮮が核で中国を威嚇してるからで)。ネトウヨの言う「弱腰外交」も必要。バランス良くやっていかないと小国は独立を維持できない。
「対中強固姿勢」だの「9条守れ、自衛隊無くせ」だの極端な意見を盲目的に叫び続ける政治家とそれに乗っかる国民が圧倒的に多い時点でこの国はダメだって思う。
彼らの脳内には国の将来や国民の生活のことなど微塵もなく、あるのは常に選挙で勝つこと。変えようとしても利権の問題があり、それがまた難しいそうな。利権があるのはいいとしてもあいつら100%利権で国民は選挙の時以外は眼中にもないからな。
国を愛することを強要するのではなく、愛される国になるべきだけど、遺憾ながら事は真逆の方向に行ってることは言うまでもないでしょうね。絶望しかないですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210910173951
breathemeditatethink 野党支持者って「野党的正論を言っていれば問題は何も起きないんだ」という考えの人が多いなあ。現実的な複雑さについては考えることを放棄してる。「共産党は中国に抗議してる」のくだりも、結果は無視だからな
fellなんとかさんの主張は
「とりあえず現時点ではこう言っておいた方が正論になる」「そういう対応をした結果将来的にどうなるかは知らん」っていう他人事感が凄くて
聞くに堪えない内容、という感想。
んで、なんでだろうと思ったんだけど、この人は多分共産党系だからなんだろうと思う。
自分で言ったことを自分で実行するなんてことを考えたことがそもそもない。
これはこれで必要な役割だと思うから否定はしないけれど、やっぱり混ぜるな危険なのだわ。
立憲民主党系のブログはいつも見てるけど、普段は結構現実的なことを言ってる。実行力がないだけで割とまともよ。
:
この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。
1つは
「これも計算なんでしょ?」
的なもので、
2つめが
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」
みたいな、つまり「本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの。
加えるなら、
「そういう綺麗事なあなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」
みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。
:
1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。
なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、
あるいは意外と、真実の、心からの反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。
でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。
( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )
を含め、彼が繰り返しあちこちの動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、
まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉の負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。
計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。
そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実の反省からあの動画を投稿したのだとしたら……。
これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落の物語として消化できるのかもしれないけれど、
現実の出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。
:
そもそもの発端になった、ホームレスや生活保護受給者に対する発言の時点から、
このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。
……少なくとも筆者はそう思っている。
「本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初の問題の発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。
しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。
■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、
■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪で発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、
世に向けて放つこと。
それが、ホームレスや生活保護受給者の人たちに対する社会の視線を、どんなふうに「操作」(メンタリストを肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。
……問題はそこに集約される。
「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、
どこにも入り込む余地はない。
:
「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」
これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである。
もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。
しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
また、
これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。
そういうことと、
■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会の視線を歪ませるか、セーフティネットというものの存在意義をどんなふうに誤ったイメージにすり替えるか」
批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付をしたことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。
:
----------------------------------------
もうちょっとだけ。
本当のところ、
「特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」
という満足を得たいがための投稿、というのについては、
「炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」
の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。
そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、
それこそ"お花畑な理想論の綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。
要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、
それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものだから。
そして言うまでもなく、
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。