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はてなキーワード: 理想論とは

2021-04-10

車イス騒動自民党選挙で勝つ理由がわかった

社民党車イス障害者パフォーマンス無人駅を狙い撃ちして

駅員をいじめ事前連絡はしないくせにマスコミには手際よく連絡して叩かせようとしてたけど

そんな中ではてなの連中が嫌ってる自民党議員たちが働きかけて無人駅バリアフリー化を成し遂げてることを知った。

なんだかんだで自民党ってこうやって陳情すれば動いてくれるんだよな

理想論で凝り固まって意味のない綺麗事しか言わない社民みたいな連中とはこういうところが違う

から選挙で勝てるんだろうね

2021-04-08

車椅子の件でなんで野党左翼が負け続けるのかよくわかった

理想論綺麗事を説いてるくせにそれがどういう形で実装されるかというと現場労働者に詰め寄っていちゃもんをつけ

できなければ即座にメディアを読んで袋叩き

これ見てお前らのお仲間以外誰が支持すんの?

そりゃ世論じゃ現場側に同情するよな

だってそうする

から君たちは勝てないんだよ

理想論語るなら、選挙に出て政治家になって、同志集めて自民党潰せよ

それ以外解決法は無いんだから

2021-04-06

JR車いす乗車拒否された女性からするプロ市民

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

リベラルな人からは絶賛されているが、ネトウヨ自分から見ると

最初から問題提起ありきの行動というか、プロ市民っぽい行動でどうも好きになれない

プロ市民っぽいムーブ

チェリーピッキングした)法律に基づく指摘が出来たり、新聞社数件に自分から連絡したりはプロじゃない市民はできんのよ

来宮駅階段のみ。バリアフリー(笑)」みたいな愚痴記事で終わるか、せいぜい携帯での撮影くらいまでなんよ

この話題は「車いす利用者全体の意見」として広げるのではなく、「1人のプロ市民意見」として扱うべきである

実際、車いす利用者でも「事前に確認を取る」「そもそも車で移動する」みたいな意見は出ているっぽいし

活動方向性あんまし良くない

ブログ記事からは以下の目的があってこのような活動情報発信をしたと読み取れる

  1. 公共交通機関バリアフリーが進んでいないことの周知
  2. 声を上げてくれる仲間を募集
  3. 誰でも安心して使えるように、施設等の改修を要求
1. 公共交通機関バリアフリーが進んでいないことの周知

これは周知できたので成功だとは思うが、どの程度バリアフリー化が進んでいるかくらいも併せて周知してほしい。

以下はブログ記事投稿後のニュースだが、バリアフリー推進活動をしてきたなら大まかな整備状況は把握していたはず

何も知らずに感覚だけで「バリアフリーって全然進んでいない」とツイートはしないだろうし…

https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371


改正バリアフリー法施地方の駅やバスターミナル 整備に課題

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210404/k10012955911000.html

国はこの10年間、1日平均3000人以上が利用する鉄道や、バス、船などの施設エレベータースロープの整備を重点的に進め、鉄道の駅では、去年3月時点で全国3580か所のうち92%で移動の妨げとなる段差が解消されたということです。

一方、5885か所ある1日平均の利用客が3000人未満の駅で段差が解消されたのは23%にとどまっています

2. 声を上げてくれる仲間を募集

実際に行った行動が攻撃的すぎて批判が集まっている現状を見ると「広く浅い」仲間を募集することに関しては失敗だと思う

ただ、本人のTwitterを見ると「リプ欄が地獄」みたいなツイートをどんどんRTしているので

自分思想100%賛同してくれる「狭く深い」仲間を募集する方針っぽい

3. 誰でも安心して使えるように、施設等の改修を要求

これに関してはネットであの記事炎上させたのは危険だと思う。数多くの人がコメントしているが

「各公共交通機関に多数抗議」→「改修が不可能なため、駅を廃止」→「問題のものが無くなったので解決

という危険性がありうる。改修にはコストがかかるし、今回問題になった来宮駅無人駅なのでそこまで利益も上げていないだろう。

なので、改修を要求するのはJR等の公共交通機関ではなく、その駅がある各市区町村都道府県議会に訴えて予算をもぎ取る方向性ベターなのではないだろうか。

「健常者も障碍者自由に行動できる」という理想論理想しかないので、プロ市民なら現実的な落としどころまで提示まで頑張ってほしい


JR乗車拒否された」車イス利用者ブログ賛否 駅員の対応問題だったのか、国交省に聞いた

https://news.yahoo.co.jp/articles/735e41744a2eb47c169a5e03b290b474a8dd23aa

政治活動の一環ではなく、あくまでも個人的体験から発言だとしたが、今後党として取り組む必要はある課題だそうだ。

社民党としては今後取り組む予定の課題だそうなので今後に期待。

複数の駅にバリアフリー設備を設置した実績を重ね、国会議員に1-2人程度、現在の各地方バリアフリー状況を詳しくいる議員が出たら

特定話題に強い議員 / その議員がいる党」としてええ感じになるんでないでしょうか

社民党にそんな体力も議員数も無い、と言われたらそこでおしまいだが…)

余談

2020年11月に既に似たような案件訴訟を起こしているケースがあるのを今日知った

コスト面に関しては全く触れていないので本当に解決する気はある? というお気持ち

無人駅バリアフリー関係性「好きに乗り降りしたい」

https://www.asahi.com/articles/ASNCP7DBYNCJPTFC001.html


ブログ内で来宮神社バリアフリーが進んでいます! みたいな一言があってもよかったのでは?

公共交通機関への問題提議がブレるので書いてないだけかもしれないが…

https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298122-d1646877-r428061173-Kinomiya_Shrine-Atami_Shizuoka_Prefecture_Tokai_Chubu.html

2021-04-05

向上心がなく怠惰人間を救うべきと思う?

これの模範解答はもちろん「救うべき」で、理由人間社会多様性担保だとか、ボトムをしっかり保障することで安定社会が構築されるとか、そういう結論になるだろう。

でもこれリソースが多量に、あるいは無限にある場合ですよね。

こんな夜には若干邪悪気持ちになる。如上の話は理想論ですよね。「お勉強」したとおりの「ご回答」ですね、とか言いたくなってしまう。

やる気や能力がなく、何らかの取り組みもしないでtwitter文句ばかり言っている人間を取り除きたくなる。

もちろん彼ら彼女らを取り除くことはできないし、そうやって人間を仮初めの優秀さで選別していくことの歴史的帰結理解している。

でも段々社会に余裕がなくなってくると、例えばバイトでどちらか2人の雇用を打ち切らないといけない時に怠惰能力のない方を切る様な、そんな社会になるような(すでになっているような)気がする。

弱者というよりは怠惰向上心のない人に、正直イライラする。

ここまで書いて思うのだが、これはきっと私自身に余裕がないからだ。

こんな夜はさっさと寝てすっきりして、書いてきたことなんか考えずに自分のできることを自分なりに判断して少しづつでもやっていこうと思う。

2021-03-28

anond:20210328110112

なんか微妙コメントついてて笑った

雑に書き散らしてて申し訳いからせめて追記しておくわよ

grdgs そうやって自分が高みから見下したつもりで冷笑的に言論の萎縮を図るのって気持ちいいみたいですね。一部の人にとって。普段言論の自由が何より優先って言っている人はよくそういう態度とりますよね。

言うほど高みか?どちらかというと、人間認知能力なんて良くて生活圏の把握くらいしかできないんだから自分も含めた99%の人間はその場の感情に振り回されながら殴り合うしかないという前提は共有されるべき、的なことを言いたかったんだけどね。

実際、元増田はかなり高度なことを要求していて、まず『一枚岩ではないアンチフェミに対し解像度を上げて理解』しつつ『アンチフェミの根幹にあるフェミニストへの不満を掬い上げ』『フェミニズムへの反感を無くす(=アンチフェミを無くす)』ことが必要だと説いている。非常に建設的な提案だと思うが、同時に非常に非現実的理想論でもある。なぜかというと、まず一度敵である認識した相手、ここでいうアンチフェミ(もしくはフェミニスト)を、感情度外視して冷静に理解することはスーパーマンでないと成しえない特殊技能からだ。ほとんどの人間自分と相反する意見を見ると強い嫌悪感を催して攻撃か逃避に走るしかなくなる。

からさまな攻撃に見えなくても多くはこれに当てはまる。例えば、はてなで定期的に行われる「ブクマカ属性当てはめゲームをしているだけで差別のものには興味がない」みたいな指摘はわかりやすい。より正確に言うなら、ゲームを楽しんでいるというよりは「自分感情に任せた攻撃」という体裁の悪い行為既存反差別の枠組みを使って自他から覆い隠した結果生じた矛盾、ということになるのかも。要は社会的正しさや合理性経済性、伝統etcといった既存第三者的理論研究権威を掲げているからといって、イコール冷静な議論を試みていることにはならないのだ。

ともあれ、活発に活動する動機を持ったほとんどの人間が、普段生活過去経験から強い問題意識をもって活動を始めている以上、こうした攻撃からは逃れられないと言っていいと思う。

でも、それを否定したいわけではない。ほかのブコメにもあるように、「それでも何か意味がある」と信じて殴り合いの仲裁に入るのも泥沼でもがき続けるのも、自分は決してやめるべきではないと思うし、そうした人間のおかげでこれまでも社会が変わってきたんだろうという実感がある。

ただ、だからこそ元増田が求める冷静さはあまりナイーブで、ともすればちょっとした出来事大衆失望して理想を全て投げ捨てかねない不安定さを感じてしまって、つい口をはさみたくなってしまう。結局のところ考え方の好みの問題なんだが、これも『冷笑的に言論の萎縮を図る』ことになっちゃうんかね。

anond:20210328104318

社会理想論じゃなく現実論として

会社側が望まない途中退社のリスク頻度で考えると

結婚育児や鬱休業が多いのは間違いないし

自分会社女性社員

その人が結婚した他の会社男性社員

どっちが育休取るかって言ったら女だろ

育児休暇は男性がとってもいいんだしね。」

とか馬鹿すぎない?

犯罪者がいなければ警察必要ないレベルの事言ってるぞ。

そういうメインファクター誤魔化してどうするの?

他の因子持ち出しても重要因子が消えるわけじゃないぞ。

2021-03-19

anond:20210319174437

それあった

実際の入力データにたいして最適化してあるクエリ

理想論理想データに対して最適化して

偶然子のケースではと外部に発表する人はい

2021-03-14

anond:20210314045521

象牙の塔での議論なら前知識が並んでないこと自体批判するのは分かるよ。

でもここ増田だし、そもそもあなたの主張を通したい人が自発的あなたと同じ位置に並んでくれるのを期待するの?

それは理想論すぎて無理筋でしょう。

ここで取るべき戦略自分の主張をちゃんと書いて、それを相手理解するのを期待することでしょう。

それすらしないで自分意見は当たり前のことみたいな態度を取ってるのが突っ込まれ続けてるってこと、解ってるの?

2021-03-12

anond:20210312122959

政治も同じで、極端な理想論現実的妥協案と的外れだけど実は先進性のある未来を見据えた考えとが混在していた方がいいのだけど、フェミニズムは極論しかないよね。

「逃げるか、逃げられないおまえを恨め」しか選択肢を与えないってのは確かにそうだ。

ツイッターフェミニズム

強い女じゃないとダメ、それができない女は男尊女卑を存続させている!みたいな雰囲気で、

女性の権利を考えるんじゃなくて、

「こういう女こそ理想」「こういう強い女以外認めない」って、

フェミニストの考える理想から外れた女を名誉男性と呼んでいて、

本来フェミニズムから外れてきている気がする。

今困っていない女性は確かにフェミニストの考える「救わないといけない層」にいないのは間違いないのだけど、

それを徹底的に排除しようとするのはフェミニズムなのかな。

私は女性就労支援をしたり保護したりする公的機関(身バレしないように曖昧にしてます)で働いてるんだけど、

旦那DVされているから逃げたいけど困っている女性が来たら、

就職してその家から出よう!強い女になろう!」

責任の持てないことは言ってはいけなくて、

旦那職業、繋がっている共通の友人、DVの内容、総合的に考えて指導をする。

その結果、週一のパートから始めることもあるし、就職しない遠回りな方法から生活を落ち着かせることもある。

一発で解決できる理想方法はない。

DVされたらすぐ逃げろ

毒親から逃げろ(これはフェミニズムではないか)

子供虐待されたらすぐ逃げろ

コンドームつけない男とはすぐ別れろ

田舎風習にはNOを突きつけろ

それはその通りで全て正しい、正論なんだけど、

正論理想論の通りの行動をとったところでうまく行くことばかりじゃないんだよね。

だけど、

https://twitter.com/cyokotaro/status/1369834857665163267

これの引用リツイートとか

https://girlschannel.net/comment/3266027/790/

こういう意見とか

女性の権利への意識が高い人は、とても極端な意見しかなくて、グレーゾーンで過ごしている女性を認めない。

「余計なこと言わないで!お前みたいな女がいるから変わらないんだよ!」っていう雰囲気が怖い。

今のフェミニズム目的はどこにあるんだろう。

もちろん今までのルールを変える気のない態度では永遠に女性地位が変わらないのはわかるけど、

理想論「だけ」でうまくいかないことだってある。

どう折り合いをつけて変えていく気なんだろう。

2021-03-07

anond:20210307123433

?よくわからん、なぜそれをこの流れで言うのか。

世界平和」も「多様性」も、みんなが合意できる方向性としての理想論なんだから現実問題解決しない。解決方向性は示すことがあるかもしれないが。

現実社会問題は、思想的な立ち位置関係なく、それぞれに打開案を持ち寄って議論すればいい。

問題の切り分けをちゃんとしてほしい。

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想

この記事が注目を浴び、多くのブコメが集まっている。

"カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ"

https://toyokeizai.net/articles/-/414929?display=b

まず、私は自分が大別すれば「左翼」かつ「リベラル」の立場にあることを自覚している。左翼定義リベラル定義の困難さ、特に現在日本で「リベラル」が「左翼」の言い換えのように使われて混乱が生じていることは十分承知しているが、そのあたりに触れるといくら前置きをしても足りなくなるので、要するにここを見るような人間たちがイメージする「左翼」であり「リベラルであると考えてもらえばいい。ただし、左翼かつリベラル、というように私はこの両者は区別している。区別した上でどちらでもあるということだ。参考までに、最近やってみた下記サイトポリティカルコンパスでは、

https://www.idrlabs.com/jp/political-coordinates/test.php

61.1% 左派, 72.2% 自由主義者

という結果だった。これを見てもわかるように「左派」と「自由主義」(リベラル)は別軸である混同している人は気をつけてほしい。

そういう一人の人間として、件のイシグロ氏の発言への感想や疑問を書いてみる。

まず、社会制度の大枠を議論したり決定したりする際に、感情より科学的なデータエビデンスが重視されるべきだというイシグロ氏の意見には私も異論がない。陰謀論フェイクニュース似非科学歴史改竄代表されるような事実軽視は、それが誰によるものであれ批判したいと思う。私は左派だが、左派の中にこの種の問題がないとも言わない。

たとえば近年では、日本共産党などがHPVワクチン副反応被害者立場に寄り添うあまり、反ワクチン的な言説を許してしまっている(自分で言わないとしても、運動内部のそういう言説をはっきり否定しない)ことを歯がゆく思っている。誤解している人もいるようだが、日本共産党本来ワクチン否定的ではない。HPVワクチンについても、むしろ導入を行政要求したりしてきた。しか副反応被害を訴える声が上がり、裁判になってその原告支援する立場となると、原告側の科学的根拠が弱い言説に対しても必要以上に寛容になっているように見える。それが被害を訴える原告の「感情」を優先したためなのか、あるいは裁判運動を進める上での利害を計算したためなのかはわからない。そのあたりは人によっても違うだろう。しか現在出ている科学検証の結果が原告側に有利ではない以上、主張はデータを軽視しつつ苦痛の強調など感情に訴えるものになりやすい。イシグロ氏が言う「科学エビデンスより感情が優先される」問題として私が連想したのはこのような例だ。

この件で一応私の意見を言っておくと、副反応を訴える人にはなるべく広く補償適用しつつ、HPVワクチン自体は普及を進めるべきだと思っている。副反応裁判原告団体については、補償範囲を広げる運動としては支持するが、同時にHPVワクチンの勧奨再開に反対したり、さらには反ワクチン的な主張をする人物が混じっているのが支持できない。また便宜的に日本共産党名前を出したが、私は共産党員ではなく関係も薄い。共産党に限らずHPVワクチン訴訟原告支援する左派政党や団体に共通する問題として挙げた。

しかし多くの部分で、私はイシグロ氏の発言同意できず疑問を感じる。そもそも現状認識が私とは大きく違うように思うからだ。たとえば次のような部分だ。

"小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思いますリベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快ものかもしれません。

しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。"

ここは私には非常に疑問が湧くところだ。何よりわからないのは、いったいいつどこの世界で「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」になったのかということだ。

シグロ氏が住むイギリスのどこかにはそういう特殊場所もあるのだろうか。まあおそらく、イシグロ氏が属するコミュニティの大半が教養ある「リベラル」で、そこでは「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」はほとんど目につかず、その声が抑圧され死に瀕しているかのように錯覚してしまったのだろう。しかしイシグロ氏自身が言っているように、アメリカでは半数近くの人が一時的にであれトランプを支持し、イギリスではブレグジット派が不正ではない投票で多数を占めてしまったのだ。「リベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声」は十分に力を持ち、各国の舵取りに影響を与えている。

語ることがリベラル専売特許に見える世界とは、イシグロ氏を取り巻く知的文学芸術を愛する少数のインテリ世界のことでしかないだろう。イシグロ氏もそれを自覚はしているようで、だからこそ「縦の旅行」というようなことを言う。しかしその狭いインテリ業界での経験一般化し、世界全体がそうなっているかのように語ることこそがまさにインテリ傲慢であり、相変わらずその狭さに無自覚発言だとは気づいているのだろうか。

シグロ氏と違い、私は左翼でありリベラルである自分のような立場日本社会で主流になり、語る権利を独占しているなどと錯覚できたことは一瞬たりともない。たしかに近い考えを持つ人の集まる場所というものはある。しかしそういう場に足を運びながら、その場を一歩踏み出せば「世間」は全く違うのだと常に意識している。「縦の旅行」などするまでもなく、日本社会で「普通に」暮らせば、全くリベラルでない人、左翼蛇蝎の如く嫌っている人、そもそもそういう言葉も、そういう違いがあることも知らない人などに電柱並みの頻度で出会うのである

たとえば私は天皇制廃止すべきだと考えているが、世論調査では天皇制に反対する人はずっと一割を切っている。周囲の人間ランダムに選べば十人中九人以上はこの点で私と考えが違うわけである。まあ日常生活でいきなり天皇制の話をする機会は少ないが、先日の代替わりだの改元だのの騒ぎの時には、自分が少数派であることをあらためて意識させられた。特に天皇問題については、過去右翼の襲撃のような直接的暴力による脅迫があり、言論の自由が大きく損なわれたことを知っておくべきだろう。「じゃあこっちはどうなんだ」をあまり振り回したくはないが、ポリティカルコレクトネスなどによる言論不自由懸念するのであれば、日本社会にはびこる天皇をめぐる言論不自由にも一通りの知識と関心は持ってほしいと思う。

自由民主主義」の社会享受してきたと語るイシグロ氏は、部屋で文章を書くだけでなく、デモに参加し、街頭で語ったりビラを撒いたりしたことがあるのだろうか。それは自由民主主義を維持するための不可欠な活動の一つなのだが。やってみるとわかるが、街頭では温かく応援してくれる人だけでなく、口汚く罵ってくる人にも出会う。私の知人の中には、突然殴りかかられてけがをした人さえいた。手渡したビラを一目見るなり舌打ちして破り捨てる人もいる。私たちはその断片を拾う。それでも受け取ってくれるだけましとも言え、多くの人は避けるように通り過ぎていく。「自分とは違う世界がある」どころか、周囲の人の大半は自分とは違う考えだが、それでも少数者として声を上げていくことは無意味ではないはずだ、と私は自由民主主義社会で日々自分に言い聞かせている。

日本左翼をやっていると、自分投票した候補者当選することも少ない。民族的性的、その他さまざまなマイノリティ権利擁護運動に関わっていると、そもそも多数決に任せれば無視されるのが当然、そういう世界いか存在認識させ、主張を届けるかというのがあらゆる活動第一歩になる。言うまでもない前提だ。

上記のイシグロ氏の発言で何度読んでもわからないのは、「多様性」についてわざわざ「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味多様性ではなく」と言っていることだ。これは何なのだろう。イシグロ氏はここで、「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」と「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」をあえて対立させ、前者より後者多様性重要であるように言う。前者の多様性と同時に、それに加えて後者多様性も、というならまだわかる。しかし、少なくとも多数決投票勝利したことのあるような「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人」の声を「さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人」の声より優先して聞こうというような提案が現状の「多様性」をどれだけ高めるというのだろうか。

また、「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語る」という記述を読んで私が疑問に感じるのは、これはいったい誰が、どの立場から語るのだろうか、ということだ。翻訳問題などもあるのかもしれないが、これを読むと、その人々の世界を外の人間が「誠実に」語ることのように読める。たとえばイシグロ氏のような作家ブレグジット支持者の内面世界を誠実に想像して描くというようなことなのだろうか。

しかしそれは、その傍で言われている「誰もが語る権利」と矛盾する。「語る権利」と言う時、マイノリティ運動の中などでは特に当事者が自ら語ることを重視する。当事者心中を非当事者想像して代弁することは推奨されず、場合によっては本人の言葉を奪う行為として非難される。トランプ支持者やブレグジット支持者にしても、たとえばイシグロ氏のようにもともと思想立場の違う作家いかにも理解ありげに、「あなたはこんなふうに思っているのでしょう」とばかりにその思いを代弁したら多くは反発するのではないか。だから原則としては、その声に耳を傾けたいなら、非リベラルと言われる人々に語る場を保障し、自ら直接語ってもらうのが正しい。

その上でイシグロ氏は、そうして語る場を提供して耳を傾けた時に飛び出してくる言葉が、「○○○人はゴキブリ、この国から出ていけ」や「同性愛者は天罰を受けて死ね」だったり、静かな口調で確信に満ちて語られる「あなたがたは皆ディープステート洗脳されているのです、ぜひこの資料を見てください」だったりした時にどういう反応をすべきか、どこまで現実感をもって考えているのだろう。この発言が単なる綺麗事に見え、それゆえ面白くないのはこのあたりの現実に何も触れていないからだ。

シグロ氏は「誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と言うが、これは理想論原則としては全くその通りであるしか現在問題になっているのは、その「誰もが語る権利」を尊重した結果次々と湧き出してくる陰謀論ヘイトスピーチへの対処現実的にどうするかということなのではないか。先日話題になったツイッター社のトランプアカウント凍結なども、この原則現実の間で行われた苦渋の選択だった。こういうリベラル原則現実とのジレンマは、「寛容は不寛容に対して寛容になるべきか」といった形で長く議論されてきたテーマでもある。それで言えば、トランプ陰謀論支持者に向き合いつつ、あえて寛容の原則に立とうと語る下の記事の方に私は感銘を受けた。

"「トランプ陰謀論」が今なお5000万人を魅了するワケ。『白人ナショナリズム』著者、渡辺靖に訊く"

https://finders.me/articles.php?id=2529

私はリベラルだが、この問題についてはここまではっきりと「寛容」に立つとは言い切れない。ヘイトスピーチ規制にも慎重派でありつつ、現実的にやむを得ないとも思っている。各国の法規制方針を見ても、それぞれの背景に基づく大きな違いがある。現時点で何が妥当判断しにくい難しい問題なのだ。「私たちはお互いに耳を傾けなければいけない」と書斎で言い放つだけでいいならそんなに楽なことはない。

また、いくつかのブコメが触れていたが、たとえばトランプ支持者が陰謀論を信じるのはそもそもシグロ氏が言うような「感情優先」のせいなのかというのも疑わしい。選挙の敗北を認めたくないという感情陰謀論を信じさせているのだ、というのはあくまでも外から解釈で、本当に信じている人にとっては陰謀論は「事実」そのものだ。実際、陰謀論を広めている人はしばしば「まずは事実を知ってください」と言う。誤情報さらされ、修正機会がないまま信じ込んでしまうという現象特に感情からまなくも起きる。平凡な思想感情的に主張する人もいれば、陰謀論を冷静に信じる人もいるのだ。トランプ支持のような現象を「感情優先」として批判するのは、陰謀論フェイクニュースのような誤情報の浸透をどう制御していくかという問題に対してあまり有効でないように思う。

ちなみに、トランプ支持者やブレグジット支持者に向き合ってその声を聞こうとした研究取材はすでに数多く行われていて、下の記事のように日本記者によるものさえある。

"トランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由"

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210208.html

シグロ氏が自宅でなぜリベラルは非リベラルの声を聞かないのかとぼんやり嘆いている間にも、実際にトランプ支持者の家を訪ねて話を聞こうとしているリベラル寄りの人間は山ほどいるのだ。イシグロ氏は「リベラルが」ではなく「自分が」ご近所の非リベラルの声さえ聞いてこなかった、と言うべきだろう。主語を大きくしすぎてはいけない。

続きはこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213813

2021-03-03

anond:20210303140051

いままでその運用で数十年大丈夫だったからそのままだったってだけでしょ

「後々問題になることは全て不正解」なんてそんな理想論バカ教育できないよ

バカに身の振り方を教えるという大義名分ルール運用し続けた結果の安定した治安なわけ

時代が変わって問題になったからって、今までもずっとやり方が間違ってたとは言えないよね

文章を送るのに郵便電子メールを使うのが「正しい」とされてるけど、それによって昔は飛脚を使ってたことが「間違ってる」となるか?

ならないよな、それはわかるか?

実際問題そんな考えられた教育体制ちゃんとした教育してる高校に通った人ばかりじゃないのが現実でしょ。

望ましい教育がそれぞれの学校で行われている前提ってのは相当な理想論のようなものと思う

学校で十分な教育を受けられなかった結果「バカ」になったひとをひたすら罵るのはそんなに正しいのか?

ある種の被害者と見るべきでしょ・・

2021-03-02

anond:20210302112759

>「嫌い」であることを言えない世の中より、お互いの「嫌い」という意見を許容しあえる世の中のほうが自由だと思います

これは互いの関係性によって決まってくることでは?

(多くの人は、親しい人からでも見知らぬ人からでも「嫌い」と言われたら、不快を覚えると思う。)

もっともと言えばもっともな意見に聞こえるが、ちょっと実際的ではないと思うな。

 

コメントでもいくつか見られるように「嫌いと言われるのはかまわないけど、言われたら反撃する」という考えが許容されていることにどうしても疑問が残ります

疑問を敷衍した方が良いぞ。

「反撃」の定義についても述べてほしいな。

 

社会的多数派に対してであれば「嫌い」と公言する自由は制約されないのでしょうか。

誰に対しても、法令等に違反しない限り、または判例に示されない限りは制約されないと思うが。

 

>究極を言えば、差別的イメージによって「嫌い」と言われることも許されるべきだと思うんです。

>もちろん、表明するだけで、それによって不利益が生じることは良しとしないとした上で。

それは無理だと思うよ。それって、ある意味コミュニケーション放棄してるのではないかな?

お前の考えが、他人に何ら批判されたくない、何ら反撃されたくないとする考えであるならば、それは、俺は間違ってると思うよ。

  

わたしがいいたかたことは、どちらの立場であっても、お互い心理的安全約束した上で、「嫌い」という言葉を堂々と言い合える世の中のほうがいいよねということです。

それは、記事の冒頭に掲げるべきことだったな。

あと、先にも述べたが、理想論としては結構だが、実際的ではないと思うよ。

「嫌い」という言葉意味が変わるか、人間同士の関係性が変わらないと、それは多分実現しない。

 

>お互いにどこが「嫌い」なのかを素直に言い合うことによって、はじめて異なる存在自体が歩み寄れると考えているからです。

それは、お互いの関係性が深まって、親密になった先にある段階じゃないのかな?

 

2021-02-26

anond:20210226224618

他の人にも理想論って言われてるようにほとんどの人はその理想像分かってるって

一方それを適用できない馬鹿社会に溢れててそれどうしようかって話なの

ドヤってるけどあなたみたいなのいるとスタート地点いつまでもぐるぐるしてるだけなの

anond:20210226224618

理想論はいいんだよ

刑事ガイジだから無罪だし

現実民事差し押さえ財産がないなんて枚挙に遑がない

そもそもガイジの家は基本貧乏である

金を稼ぐ時間ガイジに費やしたからだ

2021-02-24

anond:20210224101537

賞味期限 25歳

消費期限 35歳

   

廃棄処分 40歳

女をディスってるわけじゃなくてガチからな?

同じ顔、同じ性格の二人の女性

体型は歳相応 二人とも処女

Aは22歳 Bは37歳 

どっちを選ぶ?

95割が "A"を選択する。 これが現実

35歳過ぎたら"女性"として見るのではなく、肉便器程度しか価値はない

「愛があればお金はいらない」って理想論と同じよ?

現実受け止めろよ? 女ども

2021-02-23

ジャップランド人種差別大国

少し前まで、

ジャップランドには

外国人差別はあるが、

人種差別はそんな無いと

思っていたのだが、

単一民族国家

人種差別問題になる程

人種がいないことに気がついた

ハーフは虐められるし

遺伝子殆ど同じ

アジアンの中で細かい

違いを叩き合っている

昔、八紘一宇とか言って

人種差別撤廃を訴えていた

そうだが、こんな実態

伴っていない理想論

受け入れられるわけないよなぁ

石油止められて当然だわ

2021-02-19

間接民主主義から直接民主主義に移行すべきなの?

民主主義理念からすると、直接民主主義がさいつよじゃん。でも現実的には不可能から間接民主主義してるって習うじゃん。

でも今や技術的には直接民主主義不可能ではないわけじゃん?たとえば「夫婦別姓、賛成?反対?」とかネット使って全国民投票させることはできるじゃん。

でも、そういうことしようとしたら「民衆判断がいつも正しいとは限らない」みたいな批判が出るでしょ。あーたしかに、「民衆は愚かだもんなあ」って思いもするけどさ、「だから今の間接民主主義肯定します」っつたらさ、現状の間接民主主義民主主義理念に基づかない賢人政治ってことになっちゃわない?それって民主主義のものへの否定だよね。国民一人一人が自由平等有権者、って言う前提自体否定してるよね?それって許されていいの?

そもそも現代政治制度って、国民教育情報インフラもめちゃくちゃ乏しい時代制度じゃん。それをいつまでも使い続けるって変だと思うんだよね。いつかは変えなくちゃならないでしょ。いつまで今の制度で行くんだろう?100年?200年?1000年?

もちろん今すぐ変えなくていいと思うけど、変える予定は念頭において考えていかなくちゃいけないと思うんだよね。政治制度の在り方はもっと問われていいんじゃないかな。今だって投票率の低下とか問題はある訳だし……。

で、「間接民主主義から直接民主主義に移行すべきなのか?」って俺は悩むわけよ。理想論的には関接<直接なわけだけど、実行したらどっちがいい結果を生むかはわからないじゃん。この場合の「いい結果」の定義もただの価値観なわけだけど、まあここでは「最大多数の最大幸福」とでもしておくとしてさ。ソ連崩壊社会主義は見放されたみたいに、結局全ては結果論なのかもしれないよね。

まあ、それじゃあ最大多数の最大幸福が達成できるなら、人民参政権はいらないのか?とか……考え始めるとわからなくなるんだけど。

民主主義理念ってどれだけ大事にすればいいんだろう。何より優先させて、何より優先させないのが正しいんだろう。理念大事にして、政治を直接的にしていく努力って必要じゃないのかなあ。間接民主主義直接民主主義へ移行するべきなんだろうか?

anond:20210219034056

そりゃはてなー見てたらわかるだろ

女性差別は許さないし黒人差別も許さないが、田舎バカにしていいし公立学校動物園

みんな自分に都合のいいマルバツリストを作りたいだけなのだから理想論なんか唱えたって空しいだけ

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