はてなキーワード: 帰国子女とは
[追記]
思ったより伸びて驚いた。子なしに関する増田でタイトルみたいなブコメされているのを見て、昔のことを思い出して怒りが再燃して書いてしまった。バカバカ書いてしまって申し訳ない。
私にこう言ってきたのは東大より偏差値高い学校出た賢い帰国子女の人だったので、そういう意味では私より頭いいと思います。日本の制度を知らなかった可能性は0.1%くらいあるかもしれない。
なんていうか、めちゃくちゃ勉強できるのにこれかー!と思ってよけいに腹立った記憶があります。私に子どもはいないけど相手の子の出産祝いとかはしてきたし、子ども可愛がってきたのに、こんなこと言われるんだって思ってしまって。
勉強できるのに地頭悪い→バカとか言って溜飲を下げたかったのかも。失礼な物言いだったなと一晩たって少し反省しています。ブコメでも言われていたけど、次(そんなんあったら嫌だけど)はちゃんと当人にその場で言ってしまうようにします。増田でバカ呼ばわりするよりはずっと健全だね。
じゃあ今あなたの子に使われている私の税金返してくれるってことですか。妊婦検診や◯歳児検診みたいなやつ、子ども手当て、あなたや子供は何も納めてないのに3割負担になる医療費、子が将来受ける公教育にかかる費用、あなたが何も払ってないのに将来もらえる3号年金、全部返してください。それがフリーライドじゃなくて私の未来の福祉だけがフリーライドと言われるのはなぜ?国が保障する福祉って、本来お互い様なものではないですか。そんなん言うなら近世以前に戻ってすべて自分で賄ったらいい。あなたが言ってるのはそういうこと。
そう思ったけど結局口には出せなかった。そんなこと言い出してしまう人が、そもそも反論されたところで理解できると思えなかったから。
バカはなんでも思いつくままバカなこと言えるのに、少し頭が回る側が目の前のバカに恐れをなして結局口つぐむこの状況って何なんですか。明らかに世の中バカのほうが生きやすいじゃん。バカにわからせる労力がとてつもなくて疲れる。みんなもっとカジュアルにバカにバカって言おうよ。そしたら世の中のバカに物事分からせるコストもっと下がると思う。
ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。
私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。
私はしがない字書きの大学生である。中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクターを架空の世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。
高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。
とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員と一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かばず空虚な日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量で部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。
恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクである。とはいえ、二次創作をイラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNSに投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。
そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。
端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女は高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)
Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才だから」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋に尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートやボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校の赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。
思うに、Aはオープンな性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才だから(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポートの画像)」などなど。活きの良い大学生である。
さて、本題から離れてしまったが、私がお話したかったのはAの創作についての話である。
実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作のゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。
なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。
彼女はゲームのシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。
Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。
そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターのイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクターの個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つのも自然だろう。
最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらのファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。
Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。
Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。
そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。
なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分の創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。
四の五の言わずに書けよ。
一発当てたいなら本気で完成させろよ。
甘えてんのか。
もちろん私は今の文壇をリードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。
「わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分の好きな物上手く書けなそうじゃない?」
私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。
オープンな彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである。
「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」
子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。
また、数日後にはこんなツイートもあった。
「承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」
私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。
今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。
SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである。
さほど苦ではない。しかし確実に自分がストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。
結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから。
(例によって今回も分割しています。両方載りたいとかそういうわけではなく、単純にやべー増田を挙げていくと文字数が足りないだけなのです。→【今回の幕内】)
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味はない。
プロテインの「ザバス」をなぜか「サバス」であるとしつこく主張する、高速道路逆走系増田。一応おすすめのプロテインとして挙げてはいるのだが……。この他にもパリコレや「ADHD」を「AC/DC」に訂正しようとする増田など、増田には同様のしょうもないネタが多すぎる。
(こちらも「GSOMIA」ではなく「GOSMIA」が正しいと主張する逆走増田。増田によれば新聞社も政府高官もみな間違えているらしい。んなわけあるかい。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田のダブスタを暴こうとする、やたら血の気の多い増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
「ヤベーブクマカ」の動向をウォッチし、増田にレポートを投下している増田。↑とはたぶん別人。増田ブクマカ以外もカバーしており勉強になるが、やはりidをモロに出しており、いつ消えるか不安になる。
こちらも文字通り変な増田を挙げている増田。せいぜい数行の説明に留まる当番付に比べると、内容は概ねあちらの方が充実している。特にパリコレ増田のヤバい自分語りを押さえていたのはポイントが高い!
標準語に親を殺されたらしき関西弁派増田。標準語は「ジークジオン弁」みたいなものらしい。他に武士道批判なども行っているが、よく見ると同じ内容を何度も投稿している。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。超長文だが日に二度以上の連投は行わず、概ね無害で愉快な存在。しかしあの文体とテンションは別の意味でヤバい。
車を負債とみなし叩く増田。出現頻度は低いが、一度出てくるとしつこく連投するのが特徴。これも同じ主張のidおよび同名のツイ垢があるが活動停止中。🍏
「40歳以上はインターネットを使うな」と主張する増田。趣味は盆栽やゲートボールや登山、ボランティアしか許されないらしい。意図が謎だが、本人らしき投稿によると、なんと過去の性被害が原因らしい。えぇ……?
『友達とバンドをやってる』というタイトルの釣り増田。何度も何度もしつこく再放送されている、この手のネタの代表的な存在。
ただ初出は相当前らしく、元の作者がやっているのかそれとも別人なのかは不明。同様の釣りネタとしては、他に「ゲーセン増田」や「ゲームキューブ増田」などがある。
帰り際に「今日はブクマやトラバがつきませんでした」と報告してくる増田。ただしこの増田自体はブクマカからタグつきでウォッチされており、3桁ブクマを集めたこともある。これ以外の投稿については不明。
「そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が~」という定型長文トラバを投下していた、今時珍しくノリが反日極左な増田。いつの間にか失踪し、いつの間にか復活した。
同カテゴリー参照。独特の用語を使いまくっているが要するに猫が嫌いな増田。1年以上の休場からまさかの復帰を果たす。ここから照ノ富士関のような復活劇を見せることになるのだろうか。
注目エントリには だいたい顔を出し すぐに消して逃げるという ピンポンダッシュで遊ぶ キッズじみた 自己顕示欲を 発揮していたが このところ 投稿が 確認されていない。
なお 人力検索はてなに 同様の書き方をする idが存在し 本人の可能性が 指摘されていたが 当該idが 前回の番付に対し 一時的に同じノリのブコメを 書いていたため 自ら答え合わせをする 形となった。
これも「うんち」同様、オリジナルの手を離れ増田ミームと化したワードのひとつ。彼(ら)の涙ぐましい努力にも関わらず、増田に毒親叩きの種が尽きることはない。
かつてはオリジナルの増田が存在し、「今日も女は○○」という、毒親ネタ以外にもTwitterの男女ネタなども拾うセルフパロディ的な何かを投下していたが、こちらは最近あまり見かけない。
再投稿警察に対して毎回粘着していた増田。しかしその執念深さから「お前の方がよほど人を刺しそう」と突っ込まれることも。4月を最後に登場せず。
e-Sportsの話題になるとやってくる、個人攻撃が大好きな御仁。言わばeスポ版低能先生。界隈の有名人「バカボット(Bakabot)」と同一人物説がある。現在は主にヤフコメなどで活動している模様。
うんちトラバへの抗議として「そうだね。うんちだね。💩」とトラバしていた粘着系増田。しかしこのポジションを新参のミソジニー連呼増田に取られてからは精彩を欠き、そのまま姿を消す。
同カテゴリー参照。名前からすると、消えそう・消しそうな増田を狙ってコピペしているのだろうか? ただ消えていない増田の方が多い。今のところ5月の投稿が最後。
同カテゴリー参照。「小説家になろう」の某作者。ここには進捗しか書かないが、その進捗から特定は可能で、タイトルのせいで他の増田にも捕捉されていた。5/11を最後に、連載もこちらの投稿も途絶えている。
「おーん?」という語尾を使い、他人を論破しようとする増田。語尾は「ぱおーん」になることも。これもどちらかというと増田ミームの一種である。
第一に、まぁ説教したい人が多いんだなと感じた。私は自分のやりたいことが見つからなかった学生時代に、某知恵袋でいろいろな職について質問や意見を聞くことを繰り返していたが、どれも「キツイからお前にはできない」「お前みたいな〇〇な短所がある人間にはなれない」「お前の長所は〇〇でも社会に出たらそんな事できる人間は当たり前にいる」みたいな感じだった。ここでも一緒だった。しかも、知恵袋民もここも自称高学歴が多く地方旧帝大や早慶上智出身であることをさも当たり前かのように扱う人間ばかりだった。その上、私自身が何者かもわからないくせに、まるで人生をすべて見てきたかのように上から目線。言葉遣いだって悪い。
あたかも自分はできる・天才・エリートだと豪語し「〇〇な悩みがある」という質問に対し、「全ては自己責任、お前が悪い!俺は違う!」みたいな聞いてもいない絶対聞きたくないような「あえて厳しい言葉」を書けてくる人間だっている。(しかも、出身大学や経歴、職を自慢しておきながらプロフィールを見ると全く違うこともある)
大学は早慶上智・旧帝大出身で、海外の院を出てたり、帰国子女だったり、大企業で仕事がバリバリにできるエリートだったり、高収入だったり、それは本当なのだろうか?
上から目線で私の人生を全否定してきた人たちは、本当に受験やバイトでも失敗することなく、過ちを犯すことがなく、周りに迷惑もかけず、生まれてから今まで年表にすると輝かしい経歴ばかりなのだろうか?
国産のグミより割高だけど、小袋が20個くらい入ったやつをストックしておいて、
っていう私もね、小学校低学年くらいまで、ハリボー含め洋物とは無縁で育ったのですよ。
ご飯のおかずは大体きんぴらごぼうか、ひじきの煮物で、ししゃもは頭を残してよく怒られた。
家の中も日本的な感じで、居間の箪笥の側面には自分と妹の身長が記されてたり(普通は柱に傷をつけるのかと思うが家には丁度いい柱がなかった)、古風な母親の化粧机や仏壇がドーンと置かれてたりした。
ハリボーショックを受けたのは、近所に引っ越してきた帰国子女のお家にお邪魔したときです。
クリスマスの近い日だった。
家に入ると、中がえらく洋風で高級感あって驚いたな。
壁面いっぱいのTVラックには、家族写真や洋本が飾ってあって。自分の身長より高いツリーがあって、綺麗にデコレーションされてて。
それで、いつも優しく微笑んでる、絶対に声を荒げない聖母みたいなお母さんがいるんですよ。
で、その聖母が、オヤツどきにハリボーと温かいココアをくれたんです。
小学生の自分にとっては、もう海外のドラマとか映画とかの世界に入っちゃったみたいでさ。
小学生の私は、その家の非日常感と幸福感と安心感に包まれてしまったよね┐(´∀`)┌
夢の空間だったわけですよ┐(´∀`)┌
で、それから時が経ち、帰国子女はまた引っ越していき、聖母の顔も忘れた頃...
私は高校生になって小銭を持ち、市街地をたむろするようになった。
寒くて人肌恋しいときとか、試験勉強辛いときとか、オカンの機嫌が悪いときとか
ドイツ在住フリーライターの雨宮さんの記事は以前から読んでいて、いつも楽しませてもらっている。彼女の文章はいろいろ突っ込みどころが多くて、普通の人が日常生活では出さないようにしている部分とかがもろに出てたりして、刺激的だ。その刺激ゆえに読むのをやめられない。いままでどういう突っ込みどころがあったかはこちらの増田に詳しいのでご覧いただきたい。この増田を書いた方も相当読み込んでいるようなので、私と同じように彼女の文章の刺激に魅せられたのだと思う。
さて、最近彼女が現代ビジネスに寄稿した記事が相変わらず素晴らしいクオリティだったので紹介したい。
「海外在住なら外国語ペラペラでしょ」に声を大にして反論したいこと
彼女の文章の素晴らしい点の一つは、論旨の基本的なところは納得できることが多いところにある。たとえば、
住んでいるだけでネイティブ並みになれるのであれば、こんなに海外で苦労なんかしない。「言葉の壁」なんて言葉も存在しないだろうし、それに泣かされたりもしない。言いたいことが伝わらない孤独感に耐え、自分だけが会話を理解できない劣等感に耐え、いくら勉強してもネイティブとは並べない虚無感に耐え、それでも継続的に勉強した結果の「語学力」だ。
私もいま米国に住んでいて、語学で苦労しているのでよく分かる。多少は英語ができるつもりで来たのが、全然相手の言っていることがわからないし、自分の発音は簡単な単語ですら(あるいはだからこそ)伝わらない。彼女の言う通り、孤独感と劣等感に耐えながら地道に努力してこそ得られる語学力、コミュニケーション能力なのは私も実感するところだ。
しかしこれだけで終わらないのが彼女の文章の醍醐味だ。論旨は「海外にいるだけで語学が身につくわけではない」という一言に尽きるのだが、それを伝えるために色々エキサイティングな装飾が付く。
これは、海外に住んだことがある人10人中9.9999……人がうなずいてくれるだろう。「海外に住んでたんだ〜。じゃあ英語ペラペラ?」という質問に、何度イラっとしたことか(そもそもドイツの公用語はドイツ語である)。
先日帰国した際に、私も知人からほぼ全く同じことを言われたが、別にイラっとはしません。自分も海外に住めば英語ができるようになると思っていたところがあるから、来てみないと分からないこともあるよね、で済む話である。しかしここで彼女はイラっとせざるを得ないのである。しかもこの文章が引き立つのは、その前に彼女自身が、
わたし自身も「海外生活」に強い憧れをもっていたし、「海外在住者」や「帰国子女」を特別な存在としていろいろと勝手なイメージを抱いていた。
と書いていることにある。読者はここでドキドキするはずだ。自分も勝手なイメージを抱いていたのに、立場が逆転したらイラっとするってどうなの、と。こうなるともう次のページボタンを押さずにはいられない。
加えて、そこここに散りばめられたマウント感もスパイスとして有効に機能している。
「今日ドイツ人の友だちと飲むけど来る?」と誘ってみたけれど、「日本人ほかに来ないの? その人たちは日本語話せないんでしょ? じゃあやめとく」と言われたことも記憶に残っている。
現地の学校に通ってはいるが、現地の友人とはほとんど会話をせず、日本の受験に向けた日本の勉強にもっとも時間を割き、日本人で固まって行動している。これで英語がまともに話せるはずもない。帰国して「帰国子女だから話せるよね?」と言われたとき、その子たちはどんな気持ちになるんだろうと心配していた。
語学を習得しようとする者の大敵は引っ込み思案、羞恥心であるのは間違いない。とにかく外に出てその言語を使うのが大切なのは、誰でも(おそらく彼女が言及している人達も)理解しているだろう。しかしそれができない人もいる。こういった例示からは「自分はそこを乗り越えて語学を身に着けたんだ、あいつらとは違うんだ」という自尊心がちらついて、何とも言えず良い。
また、ドイツでも「management」や「Game Boy」といった英語は英語の発音そのままで使うし、Brad PittやLeonardo DiCaprioもしっかり発音する。それに慣れていると、「ブラピ」やら「レオナルド・ディカプリオ」やら、カタカナとして発音するのがなんだか気恥ずかしくなってくる(わたしだけだろうか?)。
彼女だけかどうかは分からないが、私は恥ずかしくはならない。日本語には余りに外国語から輸入した言葉が多いので、いちいち米国式の発音するわけにはいかない。さらに言うと、私は日本由来の単語を米国人との会話で出すとき、米国式の発音にする(SushiとかRamenとかね)。そのほうが伝わりやすいからだ。雨宮さんはドイツ人に日本の単語を紹介するとき、「気恥ずかしくなるから」日本語そのままの発音で言うのだろうか。私はその場の雰囲気と伝わりやすさを重視して発音を切り替えるし、周りの日本人も大体そのようにしている。外国語→日本人との会話のときだけこの現象が発生する(気恥ずかしくなる)のだとしたら、その理由が興味深いところだ。
2.しかしその表現には自己矛盾やマウント感が含まれており、読者を刺激する
ということになる。2だけではただの煽り記事になるし、1だけだと読み続けるには刺激が足りない。絶妙なバランスでこれらを調整することで、読者に「この人は素でこんな人なのかもしれない」とハラハラさせ、リピート読者として取り込んでいるのだ。自分にこんな高度な芸当ができるとも思わないが、文章を書く時に覚えておくと役に立つかもしれない。
進学校から普通の大学に進んだ。オタクの友人の殆どは上位国立大に、残りの数少ない友人も早慶に行った中、クラスでダントツ最下位の私大(偏差値50くらい)に進むことになった時は流石に泣いた。
大学在学中、母校の名に恥じぬように勉強そっちのけで趣味とバイトに打ち込み、人並みに恋と失恋をし、ゼミとサークルの中ではただ一人一部上場企業に入り、入ってからも仕事と趣味に打ち込んだ。法学部卒だけど機械系のメーカーに入ったから機械工学と材料科学を勉強し、今ではちょっとしたフィールドエンジニア的な仕事ができるようになった。給料は少しずつ、けど着実に増えていった。
やがて恋人ができ、たまの休日には旅に出た。見た目にも気を使うようになり、背は高くないけどある程度見られる姿になったと思う。個人的な資格試験の勉強も重ね、国家試験を二つ取得し、海外営業できるくらいの英語力は身につけた。
ちょうどその頃、東大大学院から某英国大へ研究員として渡ることになった同期と飲んだ。政治家の卵として日々身を削っている同期とも飯を食った。早稲田を出てベンチャーに入り、子会社へ出向してマネージャーやってる同期とも酒を飲んだ。自分はまだまだだと思った。
そこからまた仕事を覚え、IT系の国家資格も(仕事に関係ないけれど)取ることができた。プライベートではとあるフェスに出演者として招かれ、断続的にではあるけれど音楽に今まで以上に打ち込む必要が出てきた。その辺りで結婚し、互いの合意の下に結婚式は挙げずに海外へ旅へ出た。一年の後、娘が生まれた。
娘が生まれても音楽は続け、転勤後もすぐに音楽仲間を見つけてそれなりに活動できるようになった。給料は年齢の割に貰えるようになった。今では娘を保育園からピックアップするために週に2回くらい早めに仕事を終えるようになった。育児にもそれなりに参加して、士業をしている嫁ともうまくやっている。
つい先日、所用で地元に帰った。そのタイミングでオタクの同窓会をやろうという話が持ち上がり、すぐに参加を決めた。久しぶりに会った彼らはあの当時の雰囲気のままだった。一瞬で関係性は昔に戻り、今ではすっかりご無沙汰な二次元トークに花を咲かせた。
その場でうっすらと気づいたけど、彼らの多くは旧帝国大学を出てはいたが仕事はうまくいかず、もしくは世間に順応できずに辛い日々を生きているらしい。恐らく恋人はおらずに日々をスマホのゲームに費やし、仕事の愚痴ばかりツイートしている。
もちろんそれなりに成功している友人もいて、パイロットや国の研究機関勤務の研究員、財閥系の商社マン、銀行員、国家公務員と挙げればキリがない。ただ、底辺だった自分がそれなりの暮らしができているのは驚きだった。追いつけ追い越せと自分に言い聞かせて過ごした、ここ10年以上の月日を思い出した。
同じような話ができた彼らとも、今ではあまり共通の話題がない。少し悲しくなった。もっと俺を嫉妬させて欲しかった。
いろいろ誤字してスマソ。通勤時間で焦ってたんや。昔は音楽の腕も駿台模試の成績も、友人同士でオタク知識まで競い合ってたんだよね。分野は違えど各々得意があって、無限にエロい話続けられる奴、帰国子女で英語で無双する奴、英語以外全国トップの奴、理系のオリンピックで金メダルとる奴、色んな人がいた。今でも自分の得意を極め続けていて欲しかった。
もちろんゲームだって一つの立派な趣味だけど、昔はもっといろいろ持ってた人達なんだ。この10年以上追い求めた理想のOB像は彼らに大きく影響されたんだ。その彼らと仕事だったり趣味だったり、高校生並の話を今でも続けていたかったんだ。。
多分呼び出されたところまでが本当松
ちょっと衝撃的な出来事があったので書きますね。昔、先輩から呼び出されて「スカート短けーんだよ、調子のってんじゃねーよ」と言われたことがありまして、そのときに「私のスカートの長さが先輩の人生に悪影響を及ぼしているなら改めますけど、そうでないなら私の人生に口を出さないでください」って— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019
言ったんですよ。その先輩からね、今日、連絡が来たんですよ。当時、帰国子女として日本で苦しんでたときに、日本に馴染もうとしてああやって振るまっていたけど、息苦しさの正体は人の人生に口を出されることだった、と。— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019
そして、私の一言でそれを思い知り、今まで人の人生に口を出されない国にいて心地よかったのに、なぜ日本に帰国したからって人の人生に口を出してしまうんだろうと考えたと。間違いなくあのときの一言が人生を変えたと。とても遅くなったけど、ごめんなさいそしてありがとう、と。— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019