はてなキーワード: 力学とは
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の工学部機械工学科に入学するとしよう。基本的に機械工学科に含まれる研究分野は多い。もちろんそれには理由があるのだが、それでもほぼすべての学生が学ぶ共通の内容があり、機械工学科を卒業した学生に企業が期待するのはそれらの基礎知識である。そういう意味で機械工学は非常に実学に近いと言っても良い。
機械工学科の教員は本当に口を酸っぱくして「四力を身につけろ」と何度も何度も授業の度に言ってくる。古いタイプの教員ほどその傾向は強い。いわく、「専門分野の基礎がわかっている人間が社会では強い」、「四力が身についていなければ学科長が許しても俺が卒業させない」、云々。で、その四力というのは以下の4つの「力学」のことを指す。
機械力学というのはいわゆるニュートンの力学でいう「剛体の力学」で、弾性・塑性変形しない対象がどのように運動するかを扱う。振動工学とか解析力学とかはだいたいこの延長線上で学ぶ。高校の力学に微分積分を足した感じだと思えばいい。
熱力学はマクロで見た気体や液体の持つエネルギーを対象にする。これも微分積分やエンタルピー・エントロピーの概念を除けば高校で学べる物理とそう大差はない。次の流体力学と合わせて熱流体力学というジャンルを構成していることもある。統計力学は熱力学の延長線上で学ぶことが多いが、量子力学とともに挫折する学生が非常に多い。
流体力学はその名の通り気体と液体を合わせた流体の運動について学ぶ。航空関係の仕事がやりたいなら必須。多くの近似法を学ぶが現実にはコンピュータ・シミュレーションが用いられるのであまり細かく勉強しても役に立つ場面は少ないかもしれない。下の材料力学とは連続体力学という共通の基礎理論を持つ遠い親戚。
最後の材料力学は、弾性をもつ(=フックの法則に従う)固体の変形が対象。建築学科とか土木工学科だと構造力学という名前で開講されているが、内容はだいたい一緒。これも多くの近似が含まれる体系で、実際にはコンピュータを使った有限要素法でシミュレーションする場面が多い。とはいえ基本を大学学部時代に学んでおくことは非常に重要。
で、これら4つの科目がどう生きてくるかというと、たとえば20世紀における機械工学の結晶であるところのエンジンの設計なんかにはこれら全部が関わってくる。機械にかかる荷重や振動を解析し(機械力学)、エネルギー効率の高いサイクルを実現し(熱力学)、吸気と排気がスムーズに行える仕組みを作り(流体力学)、これらの条件に耐えうる材料を選ぶ(材料力学)。もちろん就職したあとにこれらすべてに関わることはないし、実際に使える高度な知識を教員が授けるわけではないが、機械の設計に際しては必須の基礎知識ばかり。とはいえ後のように四力から直接発展した研究をしているところはまれで、院試のために勉強したのに後はもう使わなくなった、なんてこともままあるわけだが……。
なお高専からの編入生が入ってくるのは2~3回生なのだが、彼らはすでに四力を身につけていることが多く、運が良ければ通常の学部生からは羨望と尊敬のまなざしを勝ち得ることができる(しかし英語ができないので研究室に入ってから苦労することが多いようだ)。
高度な数学や電磁気学であったり、機械加工や金属材料や設計に関する専門的な知識もカリキュラムに含まれることが多い。みんな大好きロボットは制御工学の範疇で、これは四力とは別に学ぶことになる。ロボット=メカトロのもう一つの必須分野である電気電子系の講義はほとんどないので独学で学ぶ羽目になるが、微分方程式が解ければ理解にはさして問題はない。プログラミングや数値計算などの授業は開講されていることもあるしされていないこともある。とはいえ機械工学科を出てガチガチのプログラマになることはほとんどないし、教えてくれてもFORTRANか、せいぜいCが限界である。さすがにBasicを教えているところはない。……ないと信じたい。
実習や実験がドカドカと入ってくるのは理系の宿命なのだが、特徴的なのはCADの実習。おそらく就職したら即使う(可能性がある)ので、研究室に入る前に一度経験しておくといい。もちろん実際にCADで製図するのは専門や工業高校卒だったりするのだが、そいつらをチェックしてダメ出しするのは大卒なり院卒なりの仕事になる。
四力を身につけたらいよいよ研究室に配属されることになるのだが、基本的に四力を応用した分野ならなんでも含まれるので本当に各研究室でやっていることがバラバラ。隣の研究室が何をやっているのかは全くわからない(もちろんこれは機械工学科だけではないとは思うが……)。そのため学科のイメージを統一することが難しく、どうしてもわかりやすいロボットなんかをアピールすることが多くなってしまう。とはいえそういう「わかりやすい」ことをやっている研究室は少数派で、実際は地味なシミュレーションや材料のサンプルをいじくりまわしているところが多数派である。最近は医療工学系の研究をしているところが増えたらしいが、光計測だったり材料物性だったり航空工学だったり、あるいは全然関係ないシステム工学だとか原子力工学の教員が居座っていることもあるようだ。こういう教員を食わすために機械工学第二学科(夜間向けの第二部ではない)が設立されたり、環境とかエネルギーとかが名前につく専攻が設立されたりすることがままある(昔は学科内に新しく講座を作るにはいろいろと制限があったらしい)。そういうところは(上位大学なら)ロンダ先として利用されるのが常で、そうした研究室を選んでしまった学部生はマスターの外部生の多さに面食らうことになる。
とはいえいろいろ選べるならまだマシな方で、大学によっては計測か材料かしか選べなかったり、工業高校ばりの金属加工実験を延々とやらされたりすることもある(ようだ)。やりたいことがあるならそれをやっている大学に行け、とは機械工学科志望の高校生のためにある言葉かもしれない。
そう、就職は非常にいいのだ。「学内推薦が余る」という噂を聞いたことがある人がいるかもしれないが、まぎれもない事実である(とはいえ最近は上位校の推薦でもガンガン落としまくる企業が増えたようで就職担当も頭を抱えているようだが)。機電系なる言葉が広まったのはネットが登場して以降らしいが、機電系=機械工学系と電気電子工学系、というぜんぜん関係ない2つの学科をまとめてこう呼ぶのは、それだけこの国の製造業でこの2学科出身者が必要とされているということだろう。我らが機械工学科の後輩たちのために、これからも経済産業省には「モノづくり立国」なるわかったようでよくわからないスローガンを推進していただきたい。
inspierd by http://anond.hatelabo.jp/20110929232831
追記:あえて上位と下位の大学の事情をごっちゃにして書いているので、受験生諸君はあまり鵜呑みにせず自分でリサーチするようにお勧めする
だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ
まったく意味がないよな。
個人的な経験則は無効だぞ。
まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、
僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明します
あなたもご存知の通り、
風俗がオナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした
いまだに決着していないといってもよいその議論は
とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー的確信に
世界中の科学者、研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、
暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです
著者はサイモン・プライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という
この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、
当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした
そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類の生命誕生における
遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした
それはDNAの2重螺旋構造をセントラル・ドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした
この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文に
たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要な示唆が挿入され
それをあくまで直感的に解釈するプライマーの言葉が短くしるされていました
それが以下、
私はこの等式記号がただちにオナニーの快感を否定するものではないことを承知するが
さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること
でした。
ここに風俗とオナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです。
あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。
しかし、このほんの小さな一陣の風の前に
一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした
意味はわからないかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから
最終的に風俗がオナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで
行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います
ごめん終わらせちゃっていい?
天才だなお前
ちょっと待ってくれ。
>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。
おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。
捏造することもできない。
僕はそれを証明しようとしてるだけだし
それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ
それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと
風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で
モデル化することで余剰次元の素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし
あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化の力学的性質だけで
検出できない微小なプロセスは物理的な効果も無視されるのがふつうだ。
君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う
射精のメカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる
観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか。
間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構と階層性問題の内部対称性が示せない。
超対称性を取り入れた標準モデルの拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナーの
双方から仮想の寄与があるとき、超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正が
実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。
読んでて頭が割れそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイトの感想も翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディア・プラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。
urlは以下の通り。
http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform
7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャル・アイドルの米国デビューを見に行った。彼女は市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。
初音ミクはアニメ・エキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスのノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。
ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバーをクローズアップした映像がスクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして、初音ミクです」。そしてバンド(ギター、ベース、キーボード、ドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女に拍手を送り続けた。
「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性が友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治とポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。
誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバターが存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。
大衆文化は政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界、クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術(ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラ)からなるメディア・プラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。
ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエア・パッケージの声として作られた。ボーカロイドはガレージバンド[音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業、クリプトン・フューチャー・エンターテインメント[ママ]が2007年、漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長、体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp
重要なことに、クリプトンは画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクターが彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?
ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオをオンライン投稿した。以来、日本の動画シェアサイト、ニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントがスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。
今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本のカラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンライン・サイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月、東京・池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループがボーカロイド関連の音楽、ポスター、DVD、イラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。
こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグ・ビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAはProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲームを作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルス・デビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義の世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。
ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入と商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。
だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間のセレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界に存在しているのではない。このウィキ=セレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間のセレブを白物家電のように見せてしまう。
この事実は民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。
クリプトン社長の伊藤博之は2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造性です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツを作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作者グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。
大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化は政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデルも提供してくれる。
アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティーを創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110717063617
それより角川グループ寡占問題ということならば、近年DVD/BD売上げ≒注目率が落ちてるのに相変わらずアニメ化の枠は
縮小せずに寡占しつづけてる、MF文庫JのヒロインをキャハハウフフさせてEDで走せるあの仕組みを何とかしようよ。
MF文庫Jほとんど一年中、オフシーズン(?)までTBSとやらで枠とってるんだぜ。
数年に一度注目されればラッキーなHJ文庫どころの話じゃねーだろまじで。
結としては、マイナーレーベルのアニメ化が少なすぎてイラつくのはわかるけど、ロリコン枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
☆★☆ まったく、小学生は最高だぜ!! ☆★☆
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110716/1310803436
結としては、ツールの報道が少なすぎてイラつくのはわかるけど、報道枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
ニコニコ生放送で有名。ってどれくらいの影響力なんだろう?いわゆるアルファブロガーとか同列?なんていうか影響力が分かるような明確な指標がないからどうにもイメージしにくい。twitterのフォロワー数で数えるのは正確とは言えないし、他にはもっと当てにならないコミュニティ人数とかだけ。
もちろんコミュニティー内から見たら相当なものだろうけど、一歩外側に出たら、なにそれ?ってなるのは確か。でも、そのコミュニティー内では相当な影響力なんだよな。だからなおさら分かりにくい。数なら大したことないけど、質でいうならけっこう影響力は大きいんじゃないか。
ニコニコ生放送には広告というシステムがある。視聴者がお金を支払うことでその放送をその時だけ宣伝できるわけ。だいたい100円から設定できるらしい。で、人気広告(ランキング)を見てみたら万単位の広告がちらほらある。万だよ。万。たった一度きりの宣伝のために万だよ。動画に宣伝するならまだ分かるが。これはちょっと理解不能。まあ、直接お金を支払うのではなくて、お金を還元したポイントでつぎ込んでいるから抵抗感が少ないのかもしれないが、それでもたった一度きりの広告に万単位だよ。総選挙の力学とか働いてるの?俺は大島優子が好きです。
そこで、ためしに人気放送主を色々と見てみたら、視聴者からプレゼントを貰っていてそれを紹介していた放送があった。そんな高価なものではなかったが。ほかの放送では「○○が欲しいです」と題目でウェブマネー募集をしていた。トータルでいくら儲けるかは知らない。なにせ、総体として一時的な広告で万単位で払うようなやつらの集まりだから、きっとそこそこな利益になると予想される。
驚いた話がある。EMIって放送主が「金をくれ」と放送で乞食をした。すると、なぜだか視聴者が東北の震災に募金する流れになり、その放送内だけの募金金額は結果60万になったらしい。すごい。直接的に貢ぐことはせずとも、間接的にはそれほどの貢ぎがあるってわけだ。これはまあレアなケースだと思うが、その短期間で60万の金が動くって驚きだ。放送しているだけなのに!
飽きた。以下、結論。ちょっとだけは影響力ある。お金もちょっとだけは儲けられる。ただし、放送はプライスレス。俺の放送にまったく人来ねえなぜだ。そっちの方が不思議だ。
普通高校には行ってないけれど、高専卒で大学理学部数学科編入、大学一般入試も経験したので、迷った人へのアドバイスを。
このテーマはネットで検索してみると出つくしているようにも思うけれど、できるだけ具体的な物になるようにしました。
僕自身は高専時代反省点も多いながら充実した生活をした一方、今のキャリアを考えればあんまり意味がなかったので、
あと、高専からの大学編入については自分からはあんまり扱いません。
高専に入る前からこういった考え方の人は自分の進路の合理性について考え直した方がいいと思います。
但し、長岡や豊橋技科大学とかなら編入生が多く、それ用のカリキュラムがあるかもしれないので、話は変わるかもしれません。
※以下「普通高校」と言った場合、「普通高校で学ぶ学習内容」を指します。
1.1 一般科目に大差はない?
高専に行っても現代文、古文、漢文、地理、歴史、倫理、経済、英語、第2外国語、芸術、体育、法学…など
一通り勉強します。授業時間は少なめなんでしょうが、こうやって書くと多いでしょう?
大学入試と言う超絶重要な節目のための勉強をしなくてよいだけましですが、試験もあります。
1.2 専門科目に見えても…
機械や電気、建築で学ぶ専門科目には、低学年では工業(構造)力学、電気回路、流体力学、材料力学等がありますが、
これらの大部分(エッセンス的な意味で)は普通高校の物理でも学ぶことができます。
化学工学についても普通高校の生物、化学で学ぶこととかぶってる部分があるでしょう。
したがって3年までの勉強内容はみなさんが思っているほど普通高校(の特に理系)との間に大きな違いはないと思います。
2.違い
2.1 機会費用を考えよう。
これは本人よりも親御さんにとって重要なことかもしれませんが、
高専から働きだすのと、大学からとでは最短で2年。浪人や院に進学するなどすればそれ以上の間、
年収400万として2年で800万の収入、国立の学費で100万(私立なら200万?)、
就職先の福利厚生(飯付き独身寮など)が充実してたらさらに200万位の差がつきます。
もちろん大学進学でそれ以上の収入が得られれば良いのですが、家庭の経済環境が厳しい人は
2.2 数学は進度が早いけれど…
やはり大学受験がないだけあって演習量は少なめです。僕は教科書の例題を解いただけでしたが定期試験はほぼ満点でした。
また、確率や数列、図形分野はあんまり力を入れません。微積分も一般入試向けの解法をやるわけじゃなく、
専門分野に必要な計算力を養えばいいわけです。もちろん大変ですけどね。
個人的には高専で学ぶ数学についていくよりも、黄チャート(大学受験の為の基本問題集)をマスターする方がずっと大変です。
2.3 ちゃんと統一してほしい。
電気回路を専門科目として学ぼうとすると、早い段階で微分が出てきます。
したがって「この式はこういうもんだと思って」(実際に先生に言われた言葉)学ぶ必要があります。
くさび型のカリキュラムにはこういう弊害もあると言うことです。
もっとも、段階をちゃんと踏む普通高校では物理の加速度、速度、距離の概念を積分を使わずに学びます。
直観的で分かりやすいですが、これはこれで気持ち悪い人もいるかもしれません。
3.その他
3.1 いまどき英語は必須
私たちの時代から言われてきていましたが、今はそれ以上に語学力を売りにする必要がある時代です。
実際私の高専の同級生や同僚にも海外出張や、英語で仕事をする人はひとりずついます。
私もベトナム人に試験のやり直しなどの指示を英文ですることがあります。
3人とも別に英語が得意だったわけではありません。僕は学生時代TOEIC300ぐらいでしたし、
他は僕以下の英語成績でした。
エンジニアとして、英語ができないのは数学ができないくらい不自由なことになると思います。
今はTOEICに力を入れている高専も多いようですので、そういった学校の実績をオープンキャンパスで聞いてみてもいいかもしれません。
3.2 シラバスをゲットしよう
高専に限らず、大学の文学部に行くにしても、まず志望学校名とシラバスでググってその学校で使われている専門書を数冊手に入れましょう。
田舎の人はamazonで買えると思います。数日都会の大型書店(ジュンク堂、紀伊国屋など)に入り浸ったり、その分野に関するライトな本を読むのもいいでしょう。
そしてその本を理解するのではなく、ざっと読んでテンションが上がるかどうかを確認します。微分方程式や、精密な図面を見て、こんなことを学べるんだ!と思えればいいんです。
テンションが上がればその学科に進んでも後悔する確率は下がります。
専門書は高いですが、入学して後悔する事に比べたら数100分の1の損失(進学できればそのまま使用可能)で済みます。
ちなみにもし僕の子供が機械、電気系に行きたいと言ったら、まず製図の本を同様に読ませて、それでテンションが上がらなかったら
とりあえずこのくらい。思いつくところがあったらまた書きます。
7/10追記
いまだにこんな↓独りよがりなレポートを課している教員がいるのか。やっぱり高専はおすすめじゃないかも。
title:高専1年生です。情報処理1のレポートで授業で習ってないし教科書にも載ってなくて困っています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1366034508
4歳の娘の通園バッグに付けていたキーホルダーの一部がお友達によってむしり取られるという事件が起きました。
それはそれはカワイイキーホルダーで、リボンから宝石みたいな飾りがいくつもぶら下がっています。その飾りの一つをお友達がポケットに入れて持って帰ってしまい、おうちでお母さんに見とがめられて次の日に返してくれたというのが事実関係の模様。
子ども同士の間では落ちていたのを拾っておいてあげたという話になっていたものの、母親同士が顔を合わせたときに謝罪されて真相が発覚したのだそうです。
その話を聞いた私は反射的に、妻と二人の時間にそんな報告を聞いた私は反射的に、
「そんな魅力的なキーホルダーを付けていたのも悪いよ。」
と言いました。良識派のありがちな見解を何気なく言ったつもりでした。
すると、妻が思いの外、強い調子で反論してきました。
幼稚園ではキーホルダーを一つだけ付けていいことになっていること。
そのきまりを守らずに複数付けている子もいること。
そもそも我が家は長いこと付けさせていなかったが、幼稚園でまわりを見渡すとみんなが付けていて娘がかわいそうだから一つだけ厳選して付けたこと。
上履きは白無地のきまりを我が家は厳格に守っているが、キャラクターがプリントされたものをかなりの子が履いていて、それは参観日に私も見ているはずだということ。
しかし、私にしてみれば、他の子の目を引かないような子どもだましのキーホルダーでお茶を濁しておけばいいとしか思えません。カワイイことにそれほどこだわる必要性を感じないのです。
しばらく平行線の口論が続いた末、妻が放った一言に私は衝撃を受けました。
「みんながうらやむカワイイモノを誰がいち早く持っているかが、女子の力関係を決めるんだからね!」
この一言で私の好奇心のスイッチが入ってしまい、妻もぼんやりしていた考えがシンプルに表現できたことに満足してしまい、口論はどこかへいってしまいました。代わりに、この説を深めていく会話が始まります。
「でもさ、それって俺が東大で出会った同級生の女の子達は、また別だよね?」
久しぶりにガリ勉という言葉を聞きました。東大ではまず聞かない言葉です。でも、このカワイイモノをめぐる女子の力学を語るには、「ガリ勉の人達」という表現は絶妙です。
男子校育ちの私にとって長年の謎だった「女子の力学」の秘密が、やっと見えてきたように思いました。
言われてみれば、ごくごく単純な話で、
なわけです。でも、何だかんだで腕力が権力の源泉となる男子の力学からすると、ファッションなんて取るに足らない(ように思える)ものが権力の源泉になるなんて、なかなか実感が湧かない価値観なのです。
もちろん、このファッションの表す意味の範囲やカワイイの基準はグループごとに違うわけですが、そこに学校の試験の点数がほぼ無関係なのは間違いありません。
ということで、家庭には価値観の振れ幅が出来るだけ大きくあった方がいいと改めて思ったのでした。
「主流派女子のものさし」と「ガリ勉の人達のものさし」とで両親がチャンバラしていれば、子どもも安心して自分のものさしを振りかざせますから。
内閣不信任決議案において、賛成は固より欠席でも造反とみなし除名処分にする。
欠席しても賛成しても、どちらも同じならば、賛成した方が、国民に対しては申し開きが立つ。不信任が通ったら、閣僚を解任してでも解散をぶつと主張しているとなれば、なおさらである。民主党を除名された方が、選挙においては通りが良い。自発的離党者や隠れ民主と言われるくらいならば、不信任案に賛成して除名されたとアピールした方がマシとなる。
賛成者を除名した上で解散したら、民主党の衆議院議員数は一桁台にまで減る。当然、参議院の勢力が民主党の党内力学の主成分となる。
民主党の参議院議員数は106人。小沢派37人、鳩山派10人では、過半数に8人足りない。参議院議員を8人以上抱えているグループのトップは、小沢・鳩山連合に与するという選択肢しか、残っていないとなる。解散総選挙で生き残るには、不信任に賛成して除名された方が有利であるが、除名された後、復党するには、参議院における多数派をキープしておく必用があるからである。民主党の衆議院議員が一桁台にまで落ち込んだとしても、参議院議員の多数派との連携によって、復党できる。一時的に離党する事になったとしても、ここで旧社会党の膿を出し切れた方が、都合が良いとなる。
いちばん困るのは、不信任が通った後で、除名はするが、解散はしないという展開であるが、この場合、除名した以上、民主党は衆議院で多数を取る事ができない。菅元首相は民主党総裁に居残りするだろうから、自民党と民主党の連立はありえない。おそらく、自民党と除名者とが野合した連立政権となる。
ただし、自民党としては、違法子供手当ての鳩山、1億円ザブトン4個の小沢、南鮮人から政治献金を受け取っていた前原・菅が存在する政党とは、連立を組めない。除名レベルの不祥事をしでかしている議員と、同じ釜の飯は食えないのである。鳩山・小沢・前原抜きの、除名者新党というのが最低条件となる。院内会派としてならば組めるから、票読みにおいては計算に入れられるのだが、有権者に対するケジメとして、そういう配慮が必要となる。連立政権においては、解散権に対して拒否権を持つ副首相ポストと、副大臣全部、政務官半分というのが、除名者新党側のポストの落し所となるであろう。
野党に転落した菅民主党は、参議院の勢力に恃む事になるが、ここで、民主党参議院議員団の過半数を支配している事が、意味を持ってくる。総裁任期がくれば、菅総裁は落選となり、次の党代表の下で除名者新党の吸収による民主党の再構成が行われる。除名した議員が大手を振って戻ってくるのを見たら、いかに恥知らずの菅氏と言えども離党するであろう。結果的に、自民と民主の連立という形になるが、このタイミングで、連立政権が解消されて、解散権に対する拒否権が消滅し、解散総選挙となるという可能性が高い。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1739790.html
まず第一に、(ポジショントークは差し置いても)「御用学者」の定義が狭すぎる。
本来「御用学者」ってのは、「特定の利害関係に密接に関わる研究者」なんて極端なものではない。
官僚が実質主導する意思決定過程に体よくビルトインされた学者を指す。
もともとは、厚生省が水俣病問題をつぶすために、意見の似た専門家たちを呼び寄せたのが発端らしいが(http://bit.ly/eP3wvq)
ここで重要なのは利益誘導なんてされなくとも、たとえ本人にその気すらなくても、結果的に「御用学者」とされていることはありうるということだ。
例えば法案の成立について考えてみよう。経済学でも環境学でも都市工学に関連する分野でも何でもいい。
ある分野を研究してきた学者のもとに、役人がやってきて「ぜひ先生のお知恵をお借りしたい」と、「審議会」の参加を呼びかけられるとする。
誘われた学者は、これまでの自分の研究が国のためになると考え、意気揚々で霞が関に向かい、意見を述べるだろう。
最終的には、官僚たちが”取りまとめた”法制度案にOKサインを出した。それだけでも見方によっては「御用」なのである。
なぜだ!
御用だなんていわれる覚えはねえし、そんな言い草は「専門家の発言意欲を奪いかねない!」
公共支出でも減税でも、自分が監督官庁として担当する分野を”活性化”(役人が好んで使う言葉だ)したいと企画する。
しかし、関連法案を通すには、自分たちの考えが専門家の意見でサポートされる必要がある。
そこで役人たちは本屋やインターネットなどを探しまわって、「こいつなんてよさそうじゃね」と、おぼしき学者に白羽の矢を立てて、「審議会」の委員などを依頼するのである。
ここで重要なのは、まず始めに企画が先にあって、それに合うように学者はコーディネートされる、ということだ。
官僚が用意した土俵の上で活動しているに過ぎないことは紛れもない事実ではないか。
翻って、すべての人間が無条件に同意する政策などありえない。
だから、その先生の学問分野では”常識”とされる知識に基づいた政策にも反対する人もいるだろう。
そういう”反対派”は、その法案推進に加担した学者たちをこう訝るのである。
「御用学者」と。
そうやって決め付けた見方をする人はナイーブだろうか。
いや、むしろ逆だと思う。
「御用学者批判」に憤る学者達に共通する点は、政治的な事に対するナイーブさである。
上の記事の例で言えば、「産学官」のプロジェクトに加わるということは、それですら何かしらの政治的ポジションに立つことを意味する。
独立行政法人に所属する学者は、天下り団体の撲滅を目指す人たちの反対運動にさらされ、「御用学者」として批判されるのである。
客観的な議論を心がけてきた学者先生には、なんでこんな人達に絡まれなければならないのか上手く理解できないに違いない。
しかし「御用学者」の定義は幅広く、学者がひとたび政治に足を踏み入れたのならば、反対派のポジションを取る人からしばしばされる類の呼び方だ。
政治的力学の世界とはまあそんなものであり、少なくともそういう風に見られる外部が存在する、ということは理解しておいた方がいいと思う。
実際かなり胡散臭いだろうね。
(詳しくないけど)生体反応回路的に効果があるはずだとか、そういう力学的な裏付けがあるならまだしも
純粋に統計的に効果がありそうという結果になっただけだとしたらかなり怪しいと言っていいと思う。
経済と医学は、複雑系におけるレアイベントの問題だという点では同じだけど、人間の体は物理法則に従っているのは
確実なので、その点において信頼性が全然違うと言えるんだと思う。統計的に有意かどうかはあくまでオマケというか。
経済は法則自体が時々刻々変わってるし、そもそも法則性なんてもんがあるのかすらはっきりしない。
母集団を沢山集めればどうにかなるとかいう問題じゃないと思う。着目しない部分については完全に一致させたサンプル
(統計力学的に言うとアンサンブル)を沢山集めて何か言えたとしても、1日経ったらあんま意味無いということになる。極端に言えば。
ぶっちゃけ、統計学は社会的に需要がある(=金になる)から勉強するけど、科学としては面白くもなんともねーなーというのが個人的な感想。
あなたのほかのすべての書き込みには非常に同意するし、実際にAちゃんはかわいそうな状態だというのもよく分かるが、コレだけはやめて欲しい。
↓
他の子にも,Aちゃんに悪意がなかったことは理解させたい。
二つ理由がある。
一つ目は、それが「大人目線での解決」だからだ。あなたは「大人」の立場から子どもたちを見ているから、彼ら彼女らの「未熟」が目につく。だが、AちゃんのAちゃんなりの在り方があなたから見て「ある意味子どもらしい」からその「子どもらしさ」をもつことが認められるべきであるのと同じように、Aちゃんのわがままを許容できないBちゃんやその他の子どもの「未熟(=子どもらしさ)」もまた認められるべきではないのか。子どもは未熟であり時には残酷な存在だ。だが、大人の立場から、彼らに「成長」を無理強いして「Aちゃんを許してやりなさい」と説くのはやり過ぎだ。もし、Aちゃんの孤立が深刻化するのが心配なら、「Aちゃんの考え方を説明し理解を求める(大人になれと言う)」ようなやり方ではなくて、もっと自然にAちゃんとBちゃんらが和解できるような状況設定をしてあげて欲しい(ほかの子が介在しない状況で、AとBが会話し協力しなければ解決できないような課題を設定するとか)。それこそ「子ども」だからこそ乗り越えられる対立というものもあるわけだから。
二つ目は、(一つ目で大体理解してもらえたのではないかと思うが)「あなたがAちゃんの味方になってみんなに対してAちゃんの代弁者として振る舞う」というのが「Aちゃんを更に孤立させ、Aちゃんから成長の機会を奪う」からだ。集団の中で暮らし、成長するためには集団とどのように対峙するかというその仕方も含めて、人は学ばなければならない。Aちゃんのストレートな(しかし自覚的な)暴力とBちゃんのエレガントな(しかし半ば無自覚な)暴力は、一面から見れば確かに等価な部分もあり、そしていくらエレガントであっても後者もまた暴力であるということは全く否定しない。だからこそ、大人は両者に対し、「言い分」を聞いた後で「暴力を用いたこと」自体は戒める必要があり、そしてそれから先は本人たちに考えさせなくてはならない。答えを教えたり代わりに問題を解いてあげることが教育なのではなく、力をつけ方向を示唆して自分で問題を解くことができるように導くことが教育だ。その過程で、Aちゃんには「暴力をふるう」よりはもっとマシな解決方法を…たとえば「分かってもらうために説明する」ことを、そしてBちゃんには自発的なAちゃんに対する「理解」を持たせることができたらそれはすばらしいことだが、その「説明」をあなたがしてあげたり、「理解」を「こちらから与え」たりすると、すべて台無しだ。最悪の場合、集団の力学を大人が介入して破壊する(そして子どもたちは大人の見えないところで未熟な論理による集団の暴力を発揮し始める→学級崩壊)という結論しかもたらさない。これは特別な話ではない。今まさにさまざまな場所で起こっていることであり、そしてあなたの目の前で起ころうとしていることだ。「Aちゃんを分かってあげるべき」というのは、確かにきれいな結論だ。だが、その結論に納得できない子がいたとして(それは絶対存在する)、ではあなたはその子を受け入れることを拒むのか?大人対子どもという圧倒的な権力関係下において? それは「暴力」ではないのか。
日本は航空産業が非常に低調なため、それに従事する学生を育てる大学の学科もとても少ない。
しかし、航空産業は見た目かっこよく比較的人気があるため、実際に中身を伴っていなくても航空学科を名乗るところも多い。
そのため、実際の中身で比較してみたのでランキングを作ってみる。
*注1:宇宙は別。航空宇宙工学科などの名前は多いけれど、実際は航空と宇宙が分かれている。
*注2:機械、電気、情報などと違い、航空学科は数が少なくかなり貴重で世界も狭い。
A+:名古屋大(機械・航空工学科)、九州大(機械航空工学科)
A:首都大(システムデザイン学科航空宇宙システム工学コース)、大阪府立大(航空宇宙工学科)、日大(航空宇宙工学科)
基準は、
で選んだ。
こう見ると日本で航空宇宙に関して勉強するためにはかなり狭き門である。個人的にはA以上の大学でないと、あまり航空を学んでいる意味がないと思う。ほかのところは名前をそれっぽくしてごまかしているだけのところか、数ある研究室のひとつが航空機に関係する何かをやっている、というくらいのモチベーション。あまりにもしょぼい。
機械と名前がつく学科が多いのも特徴。機械は航空と非常に近い分野、というよりは航空学科でやることは機械の中でも航空機に限ってやることだけをまとめて、特にそれだけやる学科というようなものなのでそういうところが多い。だからと行って、飛行機をやりたいのにミスって機械科で妥協してしまうと流体と言えばポンプのこと、材料といえば鉄のこと、制御といえばロボット、という悲しい世界に入ってしまうことになる。
唐突だけれども、俺は巨乳が大好き。巨乳つーか爆乳か。Hカップとかそういうのね。
AVとかをネットで見る、風俗へ行く、ナンパする、合コンで口説く、
といった手で己の性欲を充たすわけだ。まぁ、キモいっちゃキモいけど、男としては普通だ。
んで、以下本論。
上にあるように自分はAV以外は基本的に目の前に存在する女(のおっぱい)じゃないと意味がないわけで、
いわゆる出会い系サイト、PINKちゃんねるの女神板的なコミュニティ、そういったものにはほとんど関心がなかった。
でも先日、なんとなくmixiのそういう系のコミュニティに気まぐれで入ってみたのだ。
繰り返すがmixiでバカ女をひっかけてハメてやろうなどという意図はまったくなく、
どちらかというとそこのコミュニティに属する男と女の力学的関係性を観察してみたくなったのである。
んで、そういったコミュニティで見つけた、ある巨乳の女の子について語ってみる。
・20代前半
・恐らく典型的なスイーツさん(ちなみに、別に俺は女性がスイーツであること自体は悪いとは思っていない)
・爆乳(結構めずらしい大きさなためカップ数は伏せる)
・恐らく家庭は裕福なほう
・顔は、まぁ年頃の娘が頑張っていまどきのオシャレをすればこれぐらいにはなりますよね、って程度には、十分かわいい
自分の名誉のために言っておくが、別に俺はストーカー行為なぞはしていない。
彼女のマイミクを見てみた。結構多い。数人、見てみる。巨乳であると自己紹介に書いてあるような女性が非常に多かった。
今度はコミュニティを見てみた。「~カップ以上の女性」などといったコミュニティにいくつも入っていた。
同時に、出会い厨を嫌っていることを示すコミュにも入っている。
単純に思うのだが、彼女は少しバカなのかなぁと思う。
巨乳好きの出会い厨ならば、巨乳系コミュに所属している女の子から探していくのは自明である。
しかも自己紹介文に「~カップです」と書いてある。そりゃ男はバカだもん、口説きにくるでしょそりゃ。
巨乳であることについて悩んでいて、その悩みを共有したいのだとしても、
自分が巨乳コミュに所属する必要もないんじゃないですかね。せめて女性限定コミュだけにしておけばよい。
しかもさっき挙げた「巨乳仲間」のマイミクさんのページをよく見ると、彼女がそのコについて紹介文を書いていた。
「~ちゃんは巨乳なのでモテモテ(笑)」みたいなことを書いていた。
同時に、悩んでます系コミュに所属し、自分が巨乳であることを自己紹介文で主張し、
それでいて出会い厨死ねとなると、ちょっと俺は困惑する。
この女の子は何がしたいのだろうか。