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はてなキーワード: ライフワークとは

2021-06-15

anond:20210614194406

何者かになりたいという想いに罪はないね

思うに、何者かになりたいという高い目標に対して、どうも完全達成が難しそうだという時に、どうやって軟着陸するかが大事なんだと思う。

フリーイラストレーターが無理そう、ならイラストディレクション側にまわれるか?とか、発注側にまわって関わらないか?とか、直接関係はないけれども安定した職について、ライフワークと割り切って続けられないか?とか。

2021-06-12

テレワーク導入せず」5割超 導入に反対する年代は?

経営者方針テレワーク不可な企業

 転職支援メディア運営するネクストレベル横浜市)が948人のビジネスパーソン対象に「テレワークリモートワークの現状」を調査した。2020年4月以前と比較して「テレワークは導入されず、以前と働き方は変わらない」と回答した割合が5割超で最多となった。政府新型コロナウイルス感染防止策として掲げる「出社7割減」にはほど遠い。

日本テレワークが定着する日は来るのだろうか(画像提供ゲッティイメージズ

 「204月以前と比較して、働き方は変わったか」と尋ねたところ、「週に3回以上テレワークになった」と在宅中心の働き方ができている人は14.0%にとどまった。

 緊急事態宣言下で一時的テレワークを導入したが、「現時点では以前と同じ働き方」(13.6%)と在宅勤務のデメリットを解消しきれず出社中心に戻ってしまっている企業もあるようだ。

出社を推奨する企業が多い(ネクストレベル調べ)

 テレワークを導入できなかった理由としては「個人情報や機密書類を扱うため、社外に持ち出せない」「会社のペーパーレス化が進んでいない」「個人用にパソコンが貸与されない」などが挙がった。

 テレワークを導入しない理由として「会社方針」や「アナログ作業が多いため」と回答した人は40~50代が多く、出社が当たり前だった層がテレワークの浸透を遅らせている可能性が高い。

進まないデジタル化がテレワークを阻害している(画像提供:)

 テレワークを導入したタイミングに関しては第1回緊急事態宣言が発令された「204月ごろから」が最多で58.9%となった。早期の段階でテレワークに移行できた人が多かった職種は「事務職」(30%)、「営業職」(17%)、「エンジニア」(11%)だった。

第1回目の緊急事態宣言下でテレワークを導入(ネクストレベル調べ)

 現在テレワークをしている人の8~9割がメリットとして「通勤時間の減少」を挙げた。余暇時間趣味副業にあてるなどライフワークバランスのとりやすさや仕事効率向上、食費の節約につながるとの声もある。

 デメリットとしては、コミュニケーション面で問題を抱えている人が特に多く見られた。簡単質問雑談をすることにハードルを感じているようだ。

 パーソル総合研究所203月に行った調査によると、テレワークの頻度が増えるほど孤独感も増す傾向があるという結果が出ている。今後、コミュニケーション不足が社員孤独感を深めたり、会社への帰属意識に影響を与えたりするかもしれない。

テレワーク孤独は連動している(パーソル研究所調べ)

 一部の企業では既にテレワークが定着し、転勤の廃止ワーケーションの推進などにより働きやす環境整備が進んでいる。しかし、システム面の問題会社方針として出社を義務付けている企業も依然多く、二極化しているのが現状だ。

 テレワークデメリットを解消することや企業デジタル化を推し進めることが、今後テレワーク率を高めていくカギになるだろう。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2106/11/news131.html

逆に言うと25%つまり4社に1社がテレワークを導入していることになる

労働者の4人に1人はすでに働き方改革によって抜本的に生活が変わったことになる

たった1年でここまで進んだのはすごいことだと思う

しろ良いことではないのだろうか

2021-05-29

anond:20210529131610

はてブ媒介にしてブログで長文を書き、金にはならない(そういう意味では無益な)論争が繰り広げられていたのはもう10年は昔と思うが、ああいうのは基本的に体力×時間が揃わないとできないのかもしれない。増田の長文も同様。30代くらいまでは長文を書き連ねてやり取りする余裕があるが、体力は下り坂に向かうにもかかわらず仕事子供介護忙殺される40代以降は、物書きが飯の種だとか、物書きがライフワークみたいな人以外は長文族から脱落していく。

はてブを介したブログでの論争遊びはユーザー高齢化と他媒体の発展によって衰退したが、増田への長文投稿には辛うじて新陳代謝がある。また、比較高齢となったユーザーはてブコメントする程度の体力や時間はある。現状はこんなところではないだろうか。

2021-05-09

本当の人殺し自粛しないで遊び歩いている奴ら

会社員スポーツ選手も、それが仕事だったりライフワークだったりするわけだが

ろくに自粛もしないで騒いで遊んで感染広げてる奴ら、こいつらの方がよっぽど人殺しだと思う

2021-04-30

anond:20210429224659

私もあの記事を単なる美談として良いものか、複雑な気持ちになったけど、そこじゃないな。

それは、医者ライフワークバランス

あれが美談になっているとすれば、それが犠牲になっている点だと思うのよ。

どんなに患者に寄り添った仕事をしていても、定時に帰っているとされれば、誰も心を動かさなかっただろう。

医者の勤務が、通常のライフワークバランスと同列に語れないのは分かる。

別にそれ自体が悪いと思っている訳じゃなくて、この医療従事者の過重労働こそが、日本医療体制欧米のそれなんかと大きく異なる点なんだろうなあって。コロナ以前からパンパンなのよ。

加えて国民皆保険で、まさに「早い・安い・旨い」。

おそらく、政府コロナ対策が後手になっても死亡者がある程度抑えられているのもそのお陰だし、

その裏面は、医療体制の再編の難しさにも繋がっている。

まさにあの話を美談として受け止める国民性によって、日本医療制度は支えられているのだよね。

2021-03-17

エンジニアだが、趣味仕事になったことに負い目を感じるときがある

中学生の頃からパソコンいじりが趣味になった。高校生の時はかなりの劣等生で、趣味に没頭しまくったせいで成績も最悪だった。成績不振すぎて退学を打診されたこともある。半ばお情けでギリギリ回避したけど。

それから大学に進学したが、改心して勉強に打ち込んだわけでもなく、PC関連に没頭する生活が続いていた。少なくとも進学の時点ではPCはただの趣味で、特にエンジニアになる気はなかったので情報系の学部でもなんでもないところにいた。

大学高校よりも単位を取るのが楽だったこともあり、幸い留年レベルにはならなかったが、成績は悪い方だった。

それでも紆余曲折あり、今はいわゆる"ホワイト"な職場エンジニア職をしている。待遇も良いし、コロナ禍ではもちろんテレワークが出来ており、ハンコ出社なんてのもない。細かい不満は多少あるが、総合的に見れば良いところで働けていると思う。

この自分語りを見てもわかるが、Twitterでよく見る「でも私には理解のある彼くんが……」状態になってるんじゃないのかと思うことがよくある。「学業を放り投げて遊びまくっていた。でも幸い俺には理解のあるプログラミングくんが……」とでも言おうか。

学生が打ち込む趣味は色々あると思う。たとえば部活として存在するものだけでもスポーツ囲碁将棋演劇美術などがあるだろう。だが、これらに没頭していた場合はそれが進路・就職転職に結びつくかというと難しい気がしている。

もちろんこれらの中のトップ選手がそれをライフワークにした例だってある。ただ、それらは一握りじゃないか。仮に将棋で食っていくと言ったって、藤井聡太レベルじゃないと食っていけない。スポーツ演劇美術などでも同様だろう。

結果的に、大半の学生趣味我慢して勉強を真面目にやることで、ちゃんとした進路を確保する羽目になるんだと思う。医者になるために高校時代から死にものぐるいで受験勉強に打ち込むケースなんかもそうだろう。


一方でPC関係はどうだ。もちろん全員とは言わないが、趣味が高じてこの仕事に就いている連中が比較的多いように思う。

それに待遇も他の職種と比べると良い事が多い。最近話題になっていただけでもアニメーターのように、やりがい搾取批判される構造職種もあるが、それと比べるとエンジニア幸運な方なんだと思う。

更に、DXだのプログラミング時代だの、世間的にもエンジニアが良い職種として評価されているようである

「汚い手段で金を稼いでいる」みたいな批判に晒されるわけでもなく、これからの「デジタル社会」とやらでの理想像として捉えられている節すらある。

ただパソコンオタクやっていただけで、向いている仕事がこれしかないというのに。自分も「○○さんはどうしてエンジニアになられたんですか?どうやって技術を身に着けたんですか?」と聞かれることが偶にあるが、結構しんどくなる。

当に趣味をやっていたらそれが偶然社会需要合致しただけで、全部運のおかげなんじゃないか

こう書くと運が良かった自慢みたいなんだよな、そうじゃないんだよ。まあどう思われてもいいけどさ。

一方でTwitterを見れば「趣味でもプログラミングできないやつはダメ」という、どちらかというと偉そうなエンジニアが多い気がする。

もちろん、趣味プログラミングの人のほうが習得理解は早いと思うし、総じてそういう人のほうが優秀であることについては同意する。採用面接なんかでもだいたいそう。

でも趣味がそうじゃないやつはダメとまで言えるか?自分境遇理解してないというか、偉そうじゃないか

自分プログラミング趣味にできたことは偶然である趣味仕事にしている、自分同類エンジニアもそうじゃないのか。

もし同じタイミングで別の趣味に打ち込んでいれば、自分は今頃どんな生活になっていたんだろうか。良い給料を貰えるレベル仕事できていたとは思えないし、メンタルも体もボロボロだったと思う。

でもエンジニア以外、あるいは趣味じゃないけどエンジニアをやっている人を見ると、そんな人のほうが多いかもしれないわけで。どう捉えればいいんだろうな。

趣味仕事エンジニアの連中はみんな「俺らの趣味は偉い」と思っているのか?同じ気持ちになったエンジニアはいないのだろうか。

2021-03-12

プロコントロラー増田買ったよタッカ出すマーラーロトン頃富(回文

おはようございます

あのさ、

ついについに、

Switchプロコントロラー買ったわよ。

4つ独立ボタン十字キーじゃない左の方の操作ボタン

独立した4つのボタンからなんとなく精度が出せなくて

って言い方をするともの凄くプロっぽく聞こえるでしょ?

プロコントロラーは左の操作キー十字キーなので、

微妙操作可能とすることが可能なのよ。

あと残りの3月スーパーマリオ35プレイしまくって

やり込み度を極限までマックスに最高に上げなくてはいけないのよ。

ランク数字の横にも星つけたいしね!

星2つとか付いてる人とか、

もの凄くやり込み達人なんじゃないかしら?って星の理由を知って驚愕してしまって顎がガクガクなったわよ!

いや~でも快適快適!

懸念していた、

コントローラーをいちいち無線のを接続し直す手間が大変なのかしら?って思ったけど、

常にどのコントローラーでも遊べるようになってて、

違うコントローラーを障ったら、

バーボンハウスへようこそ!ところでどっちコントローラーで遊ぶんだい?ってマスターが聞いてくれる親切設計仕立てなのよ!

これには感動の嵐を覚えるとともに、

私の桜前線音速貴公子よりも早く北上するほど一気に満開になりそうなりよ。

ここで急にコロ助が出てくるほど、

接続の手間もなく、

世の中にあった線というかケーブルというのがなくなったらどんだけ快適な世界になるかってことなのよね。

あとさ、

もうこの際に言うけど、

パソコンの電源と画面の線もなくなったら、

もっとハッピーになると思うセットを私はハッピー抜きでっ!って

ハッピーセットをハッピー抜きで発注するお友だちとしては

あくま

おまけ目当てじゃなくて、

食べるのがメインなんだよ!って

大人対応したいわ。

寿司は格好付けて、

わさびは抜かないで

しろバラエティタイプの大盛りを頼んで

カウンターが一盛り上がりするぐらいの量にしておくと

ああこの人はバラエティーが分かってるな!って思われるからデキる!って寿司屋で思われるのよ。

あなたもお寿司屋さんに行ったら

わさびの量を大将に訊ねられたら「多目で」といか野暮なこと言わないで「バラエティタイプの量で!」って

うそれはとにかくスゴい自信で言って欲しいの!

隣の紳士もしかして

わさびの量を大将に訊ねられたとき

バラエティーの量をロシアンルーレットタイプで」っておっしゃってたら、

うそれはそれはスゴいことになるわよ。

寿司屋のカウンターは!

賭けのない寿司なんてつまらないじゃない!

いつもハラハラキドキしたいのよ、

その紳士は。

からそう言う時は遠慮無く

わさびバラエティーの量をロシアンルーレットタイプのお寿司を私も1つよろしいでしょうか?っていただく方がむしろ礼儀ね。

きっと紳士も喜んでお一つどうぞ!って言ってくれるはずだから

カウンター大将も思わずニッコリ!

そんで女将さんが、

あらあら盛り上がってるわね」って言って赤出汁を出してくれるところまでがワンセットだから

女将さんも思わずニッコリよ!

そうこうしている間に、

今日は私はスイッチコントローラープロデビューしたんだけど、

依然としてプロ増田にはなれなくて

でもここが我慢のしどころよね!って

きっと神様トイレにいるんやでの歌でお馴染みではないけど、

神様は越えられない越えられるモノなんて与えないのよ!

きっと乗り越えてみせるわ!って

言葉意味はよく分からないけど

とにかくスゴい自信でおおくりしたいの!

毎日毎日これはこれでもうすっかりライフワークでお馴染みよね。

やめてあげて!

もう私のライフはゼロよ!ってところまで頑張るつもり!

から

私は旅に出たいので愛車のデ・トマソパンテーラで

トミカ峠を攻めてくるわ!

パンテーラよ

パンチーラじゃないわよ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドよ。

タマゴだけじゃ物足りないけど、

なにか物足りるものを食べたときに丁度いいわね。

わず私もニッコリ!

デトックスウォーター

また少し寒くなってきてないかしら?

ホッツ白湯ウォーラーイン梅干しよ。

ホッツ白湯ウォーラーのなかで梅干しは潰してもいいし潰さなくてもいいわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-03-05

anond:20210305120338

ね。IT業界WEB制作プログラマーなんかは特にクリエイティブへの遠い憧れを持ちながら辿り着かなかった人たちが多い気がする。

ライフワークライスワーク、切り分けて生きていける人間でまだよかった、賢い選択をしたんだ。

と頭で分りながら、どこか心が満たされない。

そんな気分が続いているのかな。

2021-02-28

anond:20210228123242

無能に囲まれ正気自分は有能だと勘違いしちゃった人の臭いがプンプン漂うわな

で、転職したらしたで想像と違ったとか言って延々と文句言うのがライフワークになる人

例外はない

2021-02-18

書きたいネタを整理する

令和3年から突然の増田デビューだけど、とりあえず他で書けなくてモヤモヤしていたことを文章にしていきたいと思う。

今まではツイッターに何でも書けていたのだけど、リアルの知り合いが増えてしまったので無茶苦茶なことが書けなくなってしまったのと、

離婚時の相手不貞内容といったおおっぴらにするとこちらが訴えられる話とかも特定されないようフェイクを混ぜて書いていきたい。

書きたいこと一覧

県内トップ高校に進学するも3年間をパチンカス生活で潰した話

高卒ニートから一部上場企業入社するまでの話

新人歓迎会で先輩に酒で潰され、仕方なく朝帰りしたら彼女荷物全部玄関にぶちまけられてた話

新婚旅行ドバイに行くも英語が何もわからず、ずっと「Yes」「No」「OK」でやり過ごした話

結婚4年目にして嫁と上手くいかずに休日パチンカス生活をしていた話

・ある日家に帰ったら玄関のチェーンが閉まってて家の中で男がカレーを食べていた話

・1回目の離婚をした話

会社の後輩にもらったバレンタインプレゼントで盛り上がってしま気持ち悪い行動をした話

・結果その後輩と再婚した話

新婚旅行の数日後に別れを切り出され、色々調査したら不倫されていやがった話

探偵弁護士コンボにより、証拠を押さえられていない状況から自白を取り慰謝料請求できた話

・2回目の離婚をした話

・2バツになり恋愛を諦めて推しに走る話

・同時にアル中まっしぐら生活となった話

・久しぶりに好きな人ができてしまい、ガチ恋モンスターになった話

・同時期に、同じ推しが好きな友達ガチ恋モンスターになってしまった話

思ってた以上に量があるので、ライフワークとして自分勝手に少しずつ書いていくように頑張る。

2021-02-08

森さんってなんであの年になってあんな大変そうな仕事してるんだろ

自分ならすでに権力最上位に上り詰めた後なんだし、ゆっくりしたいって思うわ。

ラグビー協会顧問みたいなまあライフワーク的な仕事はともかく、オリンピックのしごとするとか明らかに引退後の老人には大きすぎるような

2021-01-25

ライフワークというか趣味で考えてるソフトウェアがあるのだけど

さっき偶然見つけたGitHubリポジトリに驚嘆というか感動というか色々驚いてる

あー、これ全部書いたんかー

まあ、10人近いメンバーで分担して書いてるみたいだから一人の自分が勝てないのも納得だけど

日本語対応完璧

自分がやりたかたことをここまでやってのけたのは凄い

パクりたい、いや、読みたい

しかし、ゴールはこのソフトウェアとは違うのでそれはそれでまた別の話なのだけど、

そっちはそっちで別の注目しているリポジトリがあったりする

で、基本的GitHubときどきBitbucketだったりもするけど、オープンソースから無償だし、

自分が作りたいものも仮に作れたとしてもやっぱり金にならないんだろうなあと思ったり

何の動画だったか忘れたけど、

ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズIBM社長さんだったかが同席していて、

ジョブズIBMの人が、将来はソフトウェアの方が無償になる、と語ってるのを見たビル・ゲイツが非常に嫌な顔をするのだけど、

ある意味では当たってたのかなあとも思えてきて、

それが分かってるから今のMicrosoftアプリケーションサブスクリプションにするし、

軸足OfficeOSよりもAzureかに移っていて、GitHubの買収やGitHub上で以前よりは積極的情報公開に乗り出した

WSLなどLinux側を取り込もうともしている

Edge独自実装をやめ、Chromiumベースになってしまった

コードを書くより、車輪の再発明より、クラウドコンピューティングAppleのようなCPU独自設計にも乗り出し、

それを搭載したSurface、そういったこれまでとこれからの広範囲製品群の複合技になろうとしている

やはり単なるプログラミング斜陽なのだろう

AIだのMLだのも、最先端を生み出す人材は優れている必要があるが、使うだけなら簡単に使えるもの提供されてしま

なぜそれを提供するのかというと、それを活用してiOSAndroidアプリを開発してほしいとか、そういう意図もある

オリジナルを開発した人は論文が書けて偉業が残せるだけでホクホクであり、

それを使う底辺の我々はそれらが生み出すコモデティの泥沼のなかで醜い相撲をするしかないのだろう

というわけで、単なるプログラマーとかプロジェクトマネジメントとか開発とか、

そういった一般的キャリアとは異なるものを描かなければならないとずっと考えてきたのだが、

未だに何の答えも見つからないのだった

2021-01-18

anond:20210118094345

内容は今のライフワークから頭に入ってるだろうし、引っ張ってきてる資料公的で使いやすものだし、そんな何時間もかけて書く文章ではなさそうだよね。

2020-12-17

anond:20201217161437

罪悪感は一切ないよ

仕事中さぼっていくこともあるし

自分にとってはライフワークなので妻が自殺してもいく

しろ妻が自殺したら足枷がなくなるからいく回数増えると思う

2020-12-02

IT(?)に立ち向かうための心構えとか考え方

anond:20201130214610

いろいろ面白かったので、適当に回答する。

> 1.具体的な事が分からない

プログラミングで主にやる事は下記の2つ。

①IFでAかBを選択させてどっちかの設定を実行

②Whileで決められた回数分繰り返す

これでやりたいことは分かる。分かるけれどこれでどうやって動画音楽エンコードをしたり

画像処理をしたりするソフトウェアになるのかというのがよく分からない。

とてつもなく複雑で冗長な処理によって実行されている。

複雑すぎて人間直感理解することは不可能だ。

わかりやすいので画像処理でいうと、数十万から数百万の画素(RGBAの24bitで表される数値)を小さなブロックに分解し、数学的に周波数の重なりとして計算して変換、含まれる頻出パターンテーブルにして圧縮伸張を行なう。みたいなことが瞬間的に行われている。

まさかそんな事できるわけないだろ」というレベルの処理が実際に行われており、これまた直感的でない。

適当リンクを挙げる。

からそれをどう書くんだよ。という答えはコレ。有名なjpeg実装だ。


フレームワークだとかよく分からないものを持ってきて使ってくださいってなっている。

libjpeg というライブラリを書くことはできるだろうか?画像圧縮理論から考え始めることはできるか?

正直無理だ。自分プログラマだがそんなに数学が得意ではなく、頑張ったとしても下手するとコレを作るのがライフワークになってしまい、他のことができなくなる。

例えばブラウザを0から作るとして、jpegの処理以外にも画像だけでpngとかgifとかwebpとか、その他もろもろとてつもない作業必要になる。

「とてつもなくて想像もできないので流石に無理だろう?」

いや、でも、実際動いてるのよ。ここ何十年、コツコツと積み重ねて実現している。

「積み重ね」とはライブラリであったりフレームワークであったりOSであったりする。

からそのフレームワークがどういう風になっているのかって説明からして欲しいって思う。

「どういう風になっているのか」

多くの場合、內部の実装に関しては詳しく知る必要はない。

外部に向けたインターフェイスがどうなっているのかは理解する必要がある。「使う」ために必要からだ。

この2つは分けて考えなければならない。

これでどうやってゲームを作ったり、検索エンジンを作ったりするんだとなってくる。

ちなみに、たとえばChromeのコアであるChromiumはのコードはコレだ。


まり言いたいことは、実際に動くアプリケーションというのを作りたいのにも関わらず

プログラミング入門書は、これで判定と繰り返しという基礎ができますと言うだけ。

これがもう滅茶苦茶イライラする。

「これで判定と繰り返しという基礎ができます」というのが基本的理論定理的なもの)で、その他に必然的だが唯一無二ではないベストプラクティスというものがある(法則的なもの)。

後者をうまく説明する入門書出会っていないんだろうな。という印象。イライラはやめよう。つかれる。

ベストプラクティスはいろいろあるのだが「層の構造にする・レイヤーに分ける」というのは重要アイデアだ。

libjpegというのはjpegの処理を行う「ライブラリ」だ。他のアプリケーション...たとえばブラウザはこのライブラリを「使う」。

ブラウザではjpeg画像圧縮展開というとてつもなく難しい処理を「libjpegの使い方」の理解までで済ませ、過去の蓄積であるlibjpegコードを利用することで真の意味で0から実装しないようにしている。

この場合、libjpegが「低レベル・低レイヤー」の存在であり、中身については「使い方」つまり仕様」の理解までしか行わないことで、実際に作りたいものを作れるようにしているわけだ。

巨人肩に乗る」とよく言われる。

まり完成しているプログラムを参考にしようと思っているにも関わらずそれがないのでよく分からない。

完成しているプログラムは二例ほど挙げたがどうですかね?

複雑なことをする、特にレイヤーコードはとてつもなく難しい。

でも、とりあえずこんな感じのコードなら解るよね?

こういうレベルから理解して、ちょっとずつ難しい処理を学んでいくしかない。

から木材を渡されてこれで家を作れと言われるくらいハードルが高い。

ハードルは高いんですよ。実際。

なので、木材からだと難しいかプレハブのキット的なものを探すとか、ログハウスカタログを読むとか、あるいは100人乗れる物置を買うのがいいかもしれない。そういうところから始める。

それらがフレームワークであったりライブラリであったりする。目的に合うものを探して、自分がやりたいことをどう実現するかとにかく考える。

「テキシコーhttps://www.nhk.or.jp/school/sougou/texico/ で言われる通り、「小さく分けて考える」「手順の組み合わせを考える」「パターンを見つける」「大事ものだけ抜き出して考える」「頭の中で手順をたどる」をひたすら実行する。

ゲーム作りにはそういうアプリを使えば楽だからそれを使えという人もいる。Unity?だっけ。

でもそれはそれ。そうじゃなくてプログラミングでどうやってそれが作られているのかが分からない。

unityコードが公開されているので、本当に読みたいなら。。


なぜそこでオブジェクト指向になるのかが分からない。

オブジェクト指向は内部構造を知らなくても直感的に利用できる素晴らしいものだとは思う。

オブジェクト指向は一旦忘れよう。

オブジェクト指向の「隠蔽」というのは層の構造が持っている重要な要素ではあるけど、「低いレイヤーについて考えない」のが基本的作戦だという理解の方が重要だ。

が、プログラミングでは、その内部構造を作らなきゃいけないのだからそれを知る必要がある。

前述の通り「できる限り作らない」んですよ。「使う」だけ。知るべきことを最小化する。

巨人肩に乗り、車輪の再発明基本的に避ける。

そして本当に作るべきものに関しては、利用する下のレイヤーライブラリなりを探して・仕様理解して、どう組み合わせてfor, if, あるいは計算させれば実現できるのかをひたすら考える。

じゃあ具体的に何を作りたいのかというと、英語フリーソフト言語表示を日本語翻訳するソフト

単に翻訳がしたいのか?表示に割り込む方法を知りたい?日本語翻訳するのは実行時なのか開発時なのか?

要求される表示エリア言語によって異なるために、デザイン調整が必要になる問題をどうするか?

解決したい問題もっと分解したほうがいい。

分解が甘いので何をしたらいいか調べることができないんだと思う。

たまに便利なフリーソフト海外版の時があるんだけれど、日本語化が出来ない事があるので、自分自由

日本語化できるようにできれば凄くストレスが減る。だからやりたいのだけれどそういうのがよく分からない。

ちなみに、アプリ内の文言というのはアプリの外部から変更できないように実装されている事が多いので、利用者が上書きする仕組みはかなり難しい。

AndroidなりiOS仕様にもそのへんに割り込める機能はないはずなので、OSの開発に入っていく必要がある。結構大変だとおもう。

アプリ開発者が、そういう機能を備えた多言語化のためのライブラリを使うようになれば実現可能ではあるので、そっちの方向で頑張るのがおすすめだが、英語圏の開発者には多言語化のモチベーションが低いという基本的問題はあるのよね。

この辺の「できる・できない・むずかしい」の判断は、いろいろな勉強をすると常識としてある程度みえてくる...気がする。

ついでに。ウェブサイトウェブサービス翻訳だとこういうサービスがあったりする。

ブラウザはページの描画処理のなかに割り込む余地が大きく取ってあるので、ブラウザのExtensionとかならできることがいくらかあるかもしれない。

> 2.説明が出来ても説明が出来ない

個人的に気に入らない話はOSアップデートは使いやすくなるからとてもいい事だからすぐにやった方がいいと宣伝されている事。

セキュリティが高まりますというのが宣伝文句だけれど、これで大体老人たちやIT知識に疎い人は躓く。

まあ、半分は嘘だよね。古いものが残っていると先に進めないんだよ...。

現在クライアントOSは、巨大なプラットフォームのパーツの一部として理解したほうが正しくて、古いパーツが残っているとツライんですよ。

そして「サービスを受けるための道具であって、あなたが何でも好きにできる機械ではないです」みたいな世界になりつつあって、ちょっと問題と言われてもいる。

これはかなり困った傾向なんだけど、全体としての流れはあんまり変わりそうにない。

たここでオブジェクト指向が出てくる。

オブジェクト指向好きですな...。ここではオブジェクト指向特に気にしなくていいですよ。

からパソコンはたまに不具合を引き起こすんですという説明が着地点になる。

とてつもなく複雑なことをやっているために、すべてのバグを潰すことはコストが高すぎてできないんですよね。

それよりバグ未来を先取りするコストと考えて、本質的価値のある機能を増やしていくというのが基本的な方向になっている。

からパソコンはたまに不具合を引き起こすんです。しゃーない。

しか中途半端理解している老人などは、そんなことじゃ分からん自分に分かるように説明しろと言い出す。

説明は出来る。しか相手イライラするし理解されない。よって説明をしてはいけないという状況に追い込まれる。

ここでどうすればいいのだと理解不能に陥る。

まあ、説明って得てして難しいよ。しゃーない。

何故なら自分OSアップデート不具合の原因というのが分からいから。

Microsoftが、Appleが、Googleがそうしているんですとしか言えない。

そのとおりです。

プログラムソースコードのどこかにエラーがあるのだろうけれど、どこにあるのかなんて当然知らない。

そもそもソースコードを調べるのは違法なのでやれないし。

オープンソースプロダクトなら原理的には調べられるけどね。Androidとかはオープンになってる。


だけどみんなそんなものを使っているし自分も使っている。正直こんなんでいいのか人類と思う事がある。

それを許容することで先に進んできているという事実は受け入れたほうがいいと思う。

「把握・理解可能範囲」に留めていたら、数十年前のコンピュータ世界から抜け出せなかった。

deep learning世界ではそれがより一層進むかも。この辺は詳しくないけど。

当然仕組みを理解している人はいるし、そんな人にとってみれば当然のことであっても、全ての中身を知っているわけではない。

どれだけ知っていても知らない事があるのがIT理解しがたい。理解が出来ない。

ここでの「理解」についてはそのとおり。これはもう諦めるしかない。

> 3.自分頭が悪い

これが常にある。IT関連は常に新しい情報が出てくるのでそれに送れると無知になってしまう。

なんでこんなことも分からないんだとか言われ放題で、IT系の企業に努めている人は常に新しい知識を入れられる

面倒くさがらない人が向いている。

「面倒くさがり」の方が問題に気づいて「頑張って面倒じゃなくする」ことができるので、プログラマにとっては美徳なんて言われますけどね。

同時にくじけないとか諦めない、しつこいみたいな素養必要かも。

表計算ならいけるんじゃないかと思ったときがあるのだけれど「射影」とかいきなり意味不明な言葉が出てきて、

勉強しろ

それから受験していない。だから持っているのはITパスポートだけ。情けない。

応用まではとろうな。がんばれ。

> 4.最後

USB-TypeCをTypeAに変換してはいけないとか最近まで知らなかった。

このへん自分も知らんですよ。べつに全部知っている必要はない。

面白いからたまに調べたりもするけど。

追記: はてな記法引用すらもさっきまで知らなかったしな!そんなもん)

更にレガシー、すなわち過去遺産なるものについても理解ができない。古い物がずっと使われ続けているIT環境

もう誰もメンテナンスが出来ないものが延々と使われているという事実

層の構造をとっているということと関係があるんですが、仕様が変わると、その上に乗っているものを全部なおさないといけないんですよね。

なので「互換性」というのが非常に重要なのです。

でも革新のために互換性を捨てなければいけないケースも多い。このへんはハードでもソフトでも同じ。

そして、メンテコストが上がっても使い続けたほうがトータルで安上がりという場合は、古いものが残ってしまう。

あるいは「(多少の問題はあっても)動いているものは変えるな」という経験則から意図的に残す場合もある。

西暦2020年にもなって、プログラミング簡単には出来ないし、ハードウェアの規格も完全に統一はされていない。

というかプログラミング言語自体多すぎる。ソフトウェアデファクトスタンダードのモノ程度は知っているが、

いまは原始時代にいると思ってもらって構わないと思いますよ。

ぜんぜん完成していない荒っぽいものを目にしているのだと理解したほうが的確。

それなのに毎日理解のできないパソコンスマートフォンを使っている。

オブジェクト指向のおかげ様だがオブジェクト指向に対して無性に腹が立つ。

自分の全く知らない場所いけしゃあしゃあ演算を行い、そして結果を出す。それも大半が正しい結果で

利便性が抜群だ。些細なミス(バグなど)はあるが圧倒的に利便性が勝っている。

そんな道具に踊らされている自分が滑稽だ。理解できない愚かな自分は正に機械奴隷のようだ。

本当に理解できない。辛い。

勘違いしてはいけないのは、それらはすべて先人の努力の蓄積によって成り立っているということ。

「よくわからないけど存在している道具」ではなくて、信じられないほど複雑だけど、多くの人々の行動によってなんとかかんとか実現した道具なんですよ。

オブジェクト指向のおかげ様」じゃないんです。(もちろんオブジェクト指向というのも大きな発明の一つですが)

そしてブラックボックスとして使うのは多くの場合正しいです。そこは諦めましょう。

でもエンジニアとしての立場からは、その裏に隠れているとてつもない技術思考の蓄積に感動してほしいなと思う。

なので、ちょっとずつがんばって勉強してください。

人類がこんなもん作れたのって、かなりすごいよ?

2020-11-29

anond:20201129042259

すんごい立派な誰も見たことないようなお墓、自分で作れば良いのに

作るのに時間めちゃくちゃかけてライフワークにしたら人生の暇も潰れるし、出来上がったら安心して死ねるし

神道の人なら別だけど、神社に祀られたいの謎

2020-11-20

高卒大卒か論争

今の時代大卒が当たり前、ホワイトカラー勝ち組みたいな風潮があるけど自分見解を言わせてもらう。

学生時代からやりたいことがある人はさっさとその仕事についてどうぞ。議論するレベルではない。

ここでは意識が低い人たち向けに解説したいと思う。

学力(学歴)が高くやりたいことがない→大卒大企業を目指したほうがいい。中小とは基本給、ボーナス福利厚生が段違い。

学力(学歴)が低くやりたいことがない→中小であまり給料の低さに絶望して転職を繰り返す。転職先も似たようなところでループ。または、激務で周りが見えなくなり現状を普通だと思って思考停止してその仕事をずっと続けることになる。

この2つに共通して言えることは、ホワイトカラーといえど所詮自分のやりたいことではないことをしている点。スーツを着る=社外の人と接する機会が多いため、業務内容によるが「頭を下げる仕事」をすることが多いように思える。

「なんでやりたくもない、興味もない仕事なのに頭下げてまでやらなきゃならないのか。」こういった思考に陥る。ここで大企業で高給なら話は別だが、中小ではもれなく低賃金なため「こんな仕事やってられるか」となり退職転職を繰り返す羽目になる。

専門卒でブルーカラーホワイトカラー経験し、今はブルーカラーで働いている私の立場から言わせてもらうと、

大卒なら極力大企業に入る。Fラン高卒ならなんとしてでもやりたい仕事、興味が持てる仕事を見つけるしかない。

仕事内容によるストレス、それに対する賃金

これらはものすごく重要で、どちらかが偏っていても結局辞めることになるか、傍から見て頭おかしいとしか思えないような状態になることがはっきりしている。

私の場合運転が好き、体を動かすことが好きでホワイトカラー仕事をしているとき免許を取りに行き、現在トラックドライバーをしている。

前職はカスタマーエンジニア的なことをしていたが、相当なストレス低賃金で常にイライラしていたが今は全くストレスを感じないし、給料休みも増えた。

まり何が言いたいのかと言うと「嫌な思いをしてまで仕事をするなら辞めろ。とっととやりたい仕事を見つけてそれをやれ。」

ということである

ライフワークバランスなどと言われているが、結局のところ仕事というのは一日の大半を占めて一月のほとんど、つまり人生の大半を占めることになる。

それが楽しいと思えるか、つまらない、辛いとしか思えないかでは人生幸福度か天と地の差になる。

就活生にはなんとしても失敗しない仕事選びをしてもらいたい。

文才が無いので伝わったかどうかは疑問だが、少しの参考になればいいと思う。。

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

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