はてなキーワード: ライフワークとは
文学者・文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。
そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き・映像監督と政治家で違うけども、根本は文学者だと思う。
文学や新聞がメディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。
石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実
「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影)
DSC_3468『わが人生の時の時』
政界を引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーにヨットにダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派”作家の身体と感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)
この本は不思議なきっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議なウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底は全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。
思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。
《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難や自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優・裕次郎さんとの別れや霊の存在を示唆するような不思議な出来事、戦時の日常も描かれる》
僕は肉体派だからね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷をヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときはコンパスがクルクル回るのが気持ち悪かったね。
ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。
戦時の体験も書きました。横須賀から出航する前、家族と最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争の不条理や残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー元会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうものが潜在意識にあって書いたんです。
《26年、衆議院議員を最後に政界を引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在も文芸誌に小説を連載する》
随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。
ライフワークが一つあってね。仏教徒だから法華経を現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在や時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。
やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。
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『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮社から単行本が刊行され、後に文庫化された。『石原愼太郎の文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。
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〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市生まれ。一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員に当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任。平成11年から24年まで東京都知事を務めた。
その時にオンラインで実施された一次面接で人生初の圧迫面接を体験したので、感想や圧迫面接に対して考えたことをまとめておくことにする。
転職活動中にとあるベンチャー企業の書類選考が通って一次面接を行うことになった。転職エージェントを使用していたので、書類選考や一次面接のやり取りはエージェント経由で連絡を取っており、一次面接で初めて企業の人間と対面した。
一次面接はZoomを使ってのオンライン面接だったのだったのだが、ルームに入った瞬間から不機嫌な感じで「それでは面接を始めます」と。担当者は20代後半らしき男性。
話し終わる度に、強い口調で「それだけですか?」と毎回聞かれる。決して一問一答ではなく聞かれたことに対して的確に回答した。
そして経歴を確認して「あなた年収低いですね」とか、「既存の社員よりも努力して這い上がる覚悟がありますか?」などと今まで面接では経験のないような言葉使いと態度が続いた。
そもそも、面接前に会社の評判について調べていたら、働き方、社内の雰囲気、残業についてネガティブなレビューが並んでおり、面接前から少し不安ではあったのだが、レビューは辞める時に書く人が多いので何かしらの不満が集まりやすい。そのため、面接に行ってみて自分で判断しようと思っていた。
面接の態度からもうこの企業はないかなと思っていたので、逆質問の時に、ネガティブなレビューを見かけたがその辺りはどう思いますか?と聞いてみた。
すると「ライフワークバランスとか気にしちゃう感じですか?」「残業したい人は残業するし、定時で帰る人は帰りますよ」と。その後、若干の焦りとともに言い訳のような業務委託が〜、頑張った人が評価される〜と説明が続いた。
かなり失礼な態度だったので、Googleマイビジネスや会社の評判に今回のことを書いてやろうかと思った。(やらないけど)
ベンチャーの面接が初めてだったのでベンチャー企業ってこんなものなのかと思ったが、今まで複数の面接を受けたことがあるが、それに比べてあきらかに高圧的だと感じたので、いわゆる圧迫面接だったのかなと思った。
よく圧迫面接にはストレス耐性をチェックする目的があると言われる。高圧的な態度や失礼な質問をすることで、求職者の緊急時の対応を見ていると。
しかし、30分やそこら、長くても1時間程度の面接ではストレス耐性は見極められないと思う。
新卒の学生の就職活動であれば「これが社会か」と身を引き締めるために多少は意味があるかもしれないが、社会人として社会経験がある転職を考えている人だと、圧迫面接を行ったところで動じないし、気分が悪いだけで何も意味がないのではないかと思う。ただ嫌な気持ちになるだけ。
今回、人生で始めて高圧的な面接を受けたので、その会社と担当者のことを鮮明に記憶している。求職者は書類選考を通過して会社の人間と直接対面するのは一次面接からなので、一次面接の印象が会社の印象となる。もっと言うと一次面接を担当した人の印象が会社の印象となる。
ということは、実際には社内の雰囲気と一次面接の担当者の雰囲気に相違があったとしても、他に判断する材料がないので、一次面接を通過しなかった場合は一次面接の担当者の印象=会社の印象となる可能性が高い。
正直、私は今回の面接を通して会社に対して悪い印象を持ったし、今後関わりたくないとも思った。また今後どこかでその会社について話す機会があった場合、必ず今回の圧迫面接について話をすることだろう。
圧迫面接は求職者は嫌な思いをするし、会社は悪評価が広まるし、誰も得しない。
あと圧迫面接を行う担当者に言いたいことは、こっちも選んでいるということだ。圧迫面接を行う企業は選ばれているという意識がないのではないかと。
求職者と企業が等しく平等な立場であるとは思わないが、決して一方的に選ぶ、選ばれるという関係ではない。
私は採用担当の経験がないので社内の採用担当者に「圧迫面接を受けたのだが、圧迫面接についてどう思うか?」と聞いてみた。圧迫面接に何か他に明確な目的があって行なっている可能性があるかもしれないと思ったからだ。
すると、「圧迫面接を行なったことはあるが、取り繕った姿しか見れないので入社後に相違が生まれやすい。和やかな雰囲気の面接の方が良い意味でも悪い意味でも相手の素が出やすい。
"その隙に見せる素を見逃さないようにしている"」と。
お手本のような面接官としての答えが返ってきた。そして「圧迫面接しちゃう面接官は面接に慣れてないのかもね」と。
それを聞いてあの圧迫面接をかましてきた担当者は、余裕がなかったのかなと可愛く見えてきた。
圧迫面接の求職者側の唯一のメリットは企業の社風を入社前に見極めれることだと思う。
self-hostedのtodoとかwikiとかbookmarkとかPocketみたいなのをちまちま作って使ってたけど今はやめてる
ドッグフーディングは良いことなんだけど、self-hostedでトラブルがあって作業が止まるのはつらい
そのトラブルが起こる原因のほとんどが自分であり、自分が怠惰だからで、
いつか〜しないとマズいなぁ…、と思ってると自業自得で使えなくなるのつらい
で、今は他人の書いたのをself-hostしてるけど、やっぱり不満がある
端的に言って、なんだかんだ大抵ははてブよりも完成度は低い
あと、ゲーム開発は開発が目的であって、ゲームを楽しむためではないし、
面白いゲームを作ることより、ゲームをどう開発するかばかりに目が言ってしまうので、
ぶっちゃけ、そこを満たすのであればゲームはどうでもいいのである
あと、画像処理のツールをライフワークとして作りたいと思っていたが、
なかなか実現しないというか、理想ばかり追ったり、作って壊してを繰り返したりしてたが、
マジで大病してから余命が少ない気がしているので、なんらかの形にはしたいと思ってる
例えば、画面内にWindowsのスタートボタンの画像と同じ箇所があったらクリックしろみたいなブロックがあって、
そのブロックを実行すれば、スタートボタンがクリックされるみたいな感じである
でも、Power Automationが無償になったりして作る気力がなくなった
最近はその辺の知見を別のことに使おうと思ってる
ただ、ゲーム開発でScratchみたいなのとかローコード、ノーコードはもうレッドオーシャンなので、
なんか変化球を投げたい
たしかに、今の時代は何でもあるので、作り意味がないというか作る気力がなくなるけど、
レッドオーシャンでも変化球が思い付くならば、プログラミングする意義はまだまだあるとは思う
でも、自分の書いたプログラムを生活に役立てるとか重視するのは、
そうやっていくと自分で管理できるキャパシティを越えて破綻するのは目に見えてる
だから、どうしてもこれだけは納得できないとか、身近すぎるとか、
くだらなすぎて世の中にないとか、そういうのに着目するといいような気がする
でも、こんなくだらないアイディア、本当にくだらなすぎて誰も作ってないのでは?
と思ってググると、それも地球のどこかで誰かが作ってたりするので、
まだまだくだらないことを考える能力が足りない、
さも
「自民党支持」
VS
「与党支持」
FIGHT!!!!
みたいに言われてるが。
与党支持者は与党や与党になりそうな政党ならバンドワゴンでどこまでも支持する。
自民党アンチなんて自民党に対してアンチ出来れば何でもよくて一番自民党が嫌がりそうなことすることしか考えてない。
更には野党アンチっていう野党が一番嫌がりそうなこととして与党に投票するっていう捻じくれまくった奴だっている。
この辺見えてない奴ら多すぎるよな。
1,2ヶ月気持ちを外野に持っていって岡目八目で観察してりゃよく見えんじゃん。
自民党が嫌いだから立民や維新に入れてる奴は間違いなくいるし、そういった奴らがなんか気に食わないからで意地になって自民に連投するのがライフワークになってるのもいる。
AKBとは違うんだよ。
結局、何者にもなれなかった。何一つ達成できなかった。
会社の今の上司からの評価はクソ。窓際確定。一度でもこのような評価がついてしまうと仮に能力があったとしても評価されることは難しいとな。
エリートコースからはとうの昔に外れているので未練はないし、知能も人並みに毛が生えた程度だと気づき、検査した結果もそうだったことから何を期待するわけでもない。
会社員にむいていなかった。マルチタスクが向かなかった。これは脳の特性だから恥じることではないけれども、自分にあった仕事を今から始めるのも骨の折れる作業である。
とはいえ、自分の強み・弱みはある程度認識できているので、あとは目ぼしい仕事に着手し実行に移すのみだが。
何をやるにせよ、これからも食べていかないといけない。今の会社にいつまでぶら下がり続けられるかはわからない。
ただ残りの人生も少ないのだから、何かに迎合して調整するのではなく文字通りやりたいことをやってやりつくしてから死にたい。
とはいえ今の仕事(=ライスワーク)を継続しながら新しい仕事(=ライフワーク)の可能性を探るのは用意ではなく、大きな困難が伴うことが予想される。
ここで生活の保証を捨てずに実験・検証する方法が一つだけある。そう、副業である。
副業というと響きが貧乏臭くいのであまりすきではないのだが、生活が保証された現状を維持したまま(=ライスワーク)、自分の可能性をとことん試し追求できるのるって最強じゃないか?
明日どうなるかもわからないフリーランスの場合は、そうもいかないだろう。
うまくいって軌道に乗れば独立を考えてみもいいし、ほどほどのままであれば継続して本業(=ライスワーク)をベースに、細々と副業を継続すればよい。
親が為替をずっとやってて、多分趣味の限界を越えてライフワークになってきた。最近は慣れないオンラインセミナー参加したり、本を買ったりしている。
親はチャートの分析をメインにやってるみたいなんだけど、普通にチャートみて値動き予測するのって倒錯してないか?
何とか波動とかなんとかベルトとか、意味深な用語を持ち出して理論づけしているのが奇妙にしか思えない。
現実の出来事によってチャートが動くわけで、チャートが動いたから日銀が急に経済政策発表するわけじゃないじゃん。
例えば河野太郎がワクチンの接種予測を発表するとして、「あーこれは二次関数の形なので、2か月後には接種人数/日が4倍になりますね」っていったらおかしいでしょ。おめーが接種者増やすんであって、グラフが二次関数の形だから接種者が増えるんじゃねーんだよってはて部でフルボッコになるだろ?みずほはシステムダウンして株価が下がったわけであって、チャートがシステムダウンする波形だったからじゃないだろ?
これと同じことがなぜ為替界隈で適用されないのかわからない。実はみんな雰囲気で投資をしていて、値動きは実体経済を反映していないとかならわかる。あり得そうで怖い。
他には、東日本大震災の時に、親は日本円の価値が落ちると思って円を売ったんだが、実際は保険会社のかき集めによって円高になったらしい(ほんとかどうかしらん)。そういうことじゃん。為替で儲けたいならチャート見るんじゃなくて、そういう波及効果を予測するのが大事なんじゃないのか?
まぁ仮に、仮に過去のチャートの動きが何らかの理由で将来の値動きを予測する手掛かりになったとする。じゃあ十分複雑な機械学習モデルを使えばその値動き予測できますよね?特にディープラーニングなんか相性良さそうだし。
それを世界の金持ちが試していないはずがないし、なんなら公開データとか探せば見つかる。機械学習で為替やったら一生働かなくてよくなったという話は聞いたことないので、機械学習ではだめということなんだろう。ディープラーニングが単純な時系列データの予測で人間より劣るとはとても思えないから、人間以上に高性能なアルゴリズムを使って値動き予測できないんだったら、じゃあチャートには将来の値動きを左右する力はなくて、単純に時系列的な値動きのログ以上の価値はないとならないか?
ホントにみんな雰囲気で投資しているのか?ありえなさそうだけど、それぐらいしか理由なさそうで怖い。それとも親が劣悪な投資論に引っかかってる?
ってもうお昼だけど、
今日はな、な、なんと!
私が前いた会社、
つまり私の今の事務所の隣のフロアからお弁当差し入れいただいちゃったわ。
事務所には遊びに来ないでね!って釘を刺しておいてたのに、
ゴンおまえだったのかー!って思ったら
棚ぼたならぬ棚お弁当ね。
し、しかもよ。
なかなか値打ちのある美味しそうなたぶん1000円は超えてるんじゃないかしら?
ハンバーグが美味しくて、
ふと思ったんだけど
わざわざ肉の塊をミンチにしてまた固めて焼くって
まあ新旧昨今便利な世の中、
諸説有るけど一番有力な説は
肉屋の息子が歯の弱くなったお婆ちゃんのためにミンチにして固めて肉食べさせて上げたって言う、
俵型の大きなハンバーグで
なかなかの食べ応え!
こんなに食べてしまったら、
お昼のお仕事に支障が出てきそうだけど、
テータイムってところよ。
優雅に過ごしたいわよね午後は。
いかにランチを美味しいのを食べていかにテータイムに美味しいお茶を頂く買って事のバランスが大事よ。
今日はもうそろそろお湯が沸いててーを淹れれそうなのでここら辺にしておくわね。
忙しいのか暇なのか
よく分からないけど、
べ、べつに今日覚えた言葉を今日使いたいってワケではないんだかんね!
うふふ。
お昼食べ損なうと思ったけど、
ハンバーグがノドに詰まるところだったわ。
レモンフレーバーの炭酸の方がなんかレモン感があるようなきがして、
フレッシュレモン果汁負けるな!って思っちゃったわ。
こっちの方だ断然フレッシュなのにねっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アストナージ
アピトベール
アメリカーナ
アリエノール
アリギエーリ
アルダシール
アルパチーノ
エルマリート
エングレーブ
エンドノート
カナダグース
キリスパート
キングデール
クセノポーン
クングラード
グレゴワール
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コダクローム
コルコバート
コンジローマ
サンタローズ
サンパギータ
ザミンダーリ
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マキラドーラ
マグコロール
マデサゴーラ
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ミナカトール
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メリンガータ
モンロワール
ヤクトドーガ
ヨクアタール
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レンズフード
ロマンサーズ
ライフワークとして撮影してUPしているおじいちゃんたちいるぞ
blog全盛期はそれに至った背景や地域の歴史(真面目に郷土博物館や貸出禁止の図書から得た知識や写真)を
blogに書いてくれてたりしたがblogがどんどん死んでしまったからね
いまはTwitterに写真をUPと一言二言の世に向けた祈りだけだね
なんか先人(おじいちゃん・おばあちゃんたち)の苦労を無駄にしている気持ちになる
シリアスな場面を切り取ってるだけでどこにでもいる普通のおじいちゃんなはずで
普段はどうしようもないことに笑ったり・怒ったりしてるはずなんだけど