はてなキーワード: アウトプットとは
IT会社でエンジニアとして働いてはいるけれど、中学生の時と比べて対して技術があがっていないような気がする。
エンジニアとしの技術力をあげるためには何をしたらいいんだろう。
・とにかくなんか作る
・勉強する
の2つ位。
この2つが大切っていうのは分かるんだけどなんで自分のレベルがあがってないっていうのは、全く足りてないんだと思う。
しかし、この2つをきちんと実行するのっていうのはすごく難しい。
自分は意思が弱くて、忍耐力が全然ないからやろうと思ってもなかなか行動できないし続かない。
なにか作るっていうのは、ある程度進めばできるんだけど、最初の1歩っていうか30歩くらいまでが大変。
しかも、一回やり始めたら一気に終わらせないと飽きる。
この2つをどうやれば、楽しくできるようになるかっていうのを自分の経験から考えてみると
忍耐力に関しては
・誰かと一緒にやる
っていうのが大きかった気がする。
最初の数歩は誰かがひっぱてくれるいうのが無いと考えると自分へのリターンの大きさを考えると少し頑張れるかも。
例えば
・副収入が増える
・俺すげー
・自慢できる!
・自己成長
こうやって書き出してみると、自分一人でやって自分が得するっていう感じだから最初の数歩が進めないのかもしれない。
誰かのために何かを作ろうっていうのを考えれば最初の数歩がいけるかも。
誰かのため+自分のためっていうのを上のに当てはめて考えると
・副収入が増える → その分奢る
・俺すげー → すごいことを伝える
かな。
ただ、これだと数歩いけない気がするので
っていうのが一番いいのかも。
今までは
に変えよう
たしか、医療用の使い捨て手袋もそんな感じで発明されてた気がするし。
そのために好きな人が欲しい物を考えて、誰かを誘って何か作ってみようと思う。
僕が留年するのはこれが初めてではない。現在通う大学に入る前、高専で留年し中退した。
それから、高卒認定試験(昔でいうところの大検)を取り、現役から二年遅れでそこそこの有名私大に入った。
浪人時代もバイトに明け暮れていて受験勉強もろくにせずに気づいたら今の大学に入っていた。大学に入ってから受験勉強の話になると、ガリガリ勉強して入ってきた人間を頭が悪いと見下した。
理系から文系への転向ってこともあって、講義は死ぬほど簡単だったしレポートなんて言っても周りの人間が書いているものははっきり言って小学生の作文並のお粗末なものだった。
有名私大はどれだけ手強いのか考えて入ったものの手応えなんて何一つなかった。
そんなこともあって、僕は大学というものを完全に舐め腐った。大卒という学歴を貰うためだけの通過点と高を括りバイトと酒飲みとサークルばかりの日を過ごした。
たぶん、僕はこの3年間で大学に通った日数は1年分にも満たない。
僕は、どちらかと言えば頭がいい類の人間だと今まで23年間信じて生きてきた。しかし、そんなのは幻想だったようだ。
今更だけど、努力をして入学してきた人間はとても頭が良いってことに気づいたのかもしれない。
どこかで僕はひねくれてしまった。いつしか、努力してやっとそんなものかと他人を見下す人間になっていた。
これから僕は変われるのだろうか。
とにかく、何かアウトプットして今までのことを整理しないといけない気がした。
直接を受けてはこれ。
http://fanfiction-novel.com/archives/544
ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。
http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2
も参考にしてます。
web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます。
で、自分の領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります。
結局のところ独りよがりなチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。
また、ねたばれを平気で入れます。
よござんすか?
よござんすね?
そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。
ぽすてぃぶさんが
としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。
SAO の最初は、ゲームの仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。
そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語の世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています。
ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として
とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になります。ユイのボディを現実につくるためには?など。
そう考えたとき、少なくとも最初のアインクラッドでは、彼らの世界はファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが「世界」です。
ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。
作中のスキルは「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクターは世界にとらわれいることから、ゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。
これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。
しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界」はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります。
このように設定された「世界」であるのではないかと考えています。
となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます。
しかし貴種漂流譚とした場合、物語の類型としては明らかに違うものがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A
VRMMORPGやMMORPGの場合、主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています。
これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話の類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。
となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます。
http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari
これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流譚から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます。
結果残るものは
多くの場合、冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。
ここまで来ると、物語の類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性が微妙に違うので割愛。
さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?
ところがここでも問題が、行きて帰りし物語の場合、冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。
また、「日常に帰ってくる」というのも重要になります。ログホラの場合、ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。
では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります。
個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。
ということでもう一度元に戻り、SAO、ログホラ、.hack で考えてみた場合
という分類になるのではないか……と考えたのであります。
なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて
異界へのギミックや、異界で使う技術は「ゲーム」がベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものがほとんどです。
となると、物語の類型を見る場合にはもっと重要なギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています。
ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。
で、最初の方に戻る。
web 小説や、そこから現実の書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。
個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。
しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE。
で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊をファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。
結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。
そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます。
それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SF のサイバーパンクですね。この場合、マトリクスは現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。
同じくサイバーパンクで電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。
他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もあります。AI が住み、自己増殖する電脳の世界に入り込み、バグ退治を行います。表現は SF 側です。
そして、ゲームといっても電源不要で東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびます。サイバーパンクなTRPG。
一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。
そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚でファンタジー世界で魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界でちょっと冒険してくる代物ですね。
これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界は重要なのですが。
そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります。
個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実の世界の「隣」にあるのとは違っていますが。
ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。
VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。
その中で主人公やプレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります。
となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型からは考慮しないでも済みます。
一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実の世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。
これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます。
このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます。
異世界漂流のファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。
このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要なポイントなのかもしれません。
「無双の理由づけ」です。
VRMMO 、あるいは「ゲーム的ルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます。
どういうことか?
多くの場合、対象となる異世界は、技術的文化水準が現代より低いです。
FPSやSLをベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。
そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー・神話や伝説、英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。
これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝や日本の天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊な存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます。精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。
そして、漫画やアニメやラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。
では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります。
この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。
VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。
ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック。
この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名が全然出てこない。
まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます。
てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。
続きも別に考えてないで投げっぱなし。
感情論でなく反論できる人、いるのかな。
<組織論>
1)大型組織の人材
看板は残る。三菱東京UFJ、みたいに。でも必要となる社員のスキルって30年後代わってるよね。99%ぐらいは。だから定期的に入れ替えた方が良い。つまり、40歳定年制がベースで、1%の幹部以外は
いらなくなるよね。
2)中型組織の人材
中型組織って99%はパーツ型組織だよね。つまり、販売/生産/企画開発の中の、どれかでしかないよね。使われる立場だよね。使われる立場の企業の人間って世の中がどんどんオープンにネットワークしてる以上、世界的な競争とスキルの陳腐化が激しい中で「安い」「頑張れる」ところ以外消えていくよね。というか、ブラック度を極限まで上げた企業がかつよね。
<営業orクリエイティブ論>
1)
営業ってさ、基本的に表現、伝達する事が仕事じゃん。ついでにいえば、伝達、整理、じゃん。
これってさ、インターネットとかネット広告とかメールやウェブ動画のプレゼンとかで、圧倒的に効率化かつ地域性を失ってきてるじゃん。
つまりさ、すごい経営者側がどこの人間採用しても同じようになったわけ。
イコールさ、1人1人の労働のバリューが下がってるわけでさ、中国人の日本語しゃべれるヤツとかスッゲー増えてる訳じゃん。
あるいはさ、すっごい営業職が1人いればさ、そいつに1000人分の仕事をさせやすくなったわけでさ(つまりウェブ動画とかさ)
そうすると、一般営業職というかそいつらってさ、価値がなくなってない?
2)
クリエイティブってさ、基本的にクライアントありきだとおもうんだ。
使ってもらってナンボというかさ。
プロブロガーみたいなのは置いといて(彼らは増えないとおもう。視聴する側の数は代わらないくて参入者は無数に増えるから、今後半端ないレッドオーシャンだよ、ブロガーでくってくの)
バリューってどうなのって話でさ。
エンジニア、デザイナー、あるいはなんかクリエイティブだとか言われてることで、仕事したことある人はわかるだろうけどさ、
「すっごく」代替可能じゃない?実は全然個性とか必要とされなくない?
クライアントの求めるアウトプットを専門性を活かして一つの正解を出す事が仕事だと思うのね。
それでいうとさ、クライアントに可愛がられるスキル命になってしまうわけでさ。
それってつまり、クリエイティブに限らずコンサルもそうなのかもしれないけどさ、
ハンパなく1人1人の意味を求められててさ、結局時間当たり生産性が他の専門職の何倍か?ってことしかパフォーマンス差でないとおもうんだよ。
特殊な価値が出せるっていうよりも、時間当たり生産性が、ってことね。
生産性が今10倍だとするよ、5年後は多分その生産性を素人でも出せるような技術がととのってると思うんだよ。つまりさ、その人の仕事の価値は自然に10分の1になるよ。
それでさ、どうせオマエらは今10倍だったら、その後も磨き続けて10倍以上を維持すんだよ、っていうだろ。
バカかってことでさ。茹でガエルか。
わかるだろ、技術の大幅な変化。技術の変化に伴う開発スタイルの変化。根本的な陳腐化してくんだよ。
デザイナーでも手書きで何度も先輩の絵を真似して書いてたヤツなんか、オナニーだってわかるだろ?
いまフォトショやイラレ使えねーと新人よりも仕事の戦力にならない。
そんな現象が今後も繰り返すんだよ。
「人類の進化!」として。
3)
じゃあ調整力が高くて人を巻き込んで使うような人材が残るのかって?
バカじゃないの?自己啓発セミナーでも行き過ぎて脳味噌とけてんじゃねえの?
アホか。
マネジメントっていうか、ミドルが圧倒的に”いらねー”世の中になってんだよ。
ミドルがなんでいらねーのかって?
「ウェブ会議」「スカイプ」「チャットワーク」「社内用の各種調整ツール」
ミドルなんかいらねーんだよ。
意思決定の擦り合わせ??
4)
金銭的にいったらそうだろね。年収1500万円以上のプレイヤーは増えるよ。
世の中のね。
トップエリート=「かえの効かない人材」になるしかないんだよ。
でもそんなもん、おるか?
いねーだろ?
「中国語と英語と日本語がネイティブ並に話せます。もちろん大卒で経済学とかバッチリです」っていうだろ?
いや、そんな人、台湾で300万円で一生懸命働く人で10万人以上いるけど大丈夫?ってはなしよ。
そいつらより、国際人を売りにしてるオマエら仕事できる?
ちなみに、経済学部って日本で一番たくさんある学部の人間だよ?
でさ、公認会計士になるじゃん。
いま、資格取得のために学習したことが活きる仕事についてるヤツって何割いるんだよ?
3割?
弁護士なんか大量に新人増加させただろ?
新人が仕事できるようになったら大丈夫みんな稼げるって、予備校講師に騙されてるんじゃないの大丈夫?
上の奴らは今の既得権益を死守。そして安い弁護士を雇って拡大を狙う。
つまり、今嬉しいのは事務所の社長だけだね。弁護士だったら弁護士事務所の社長はいいよ。中堅の使えない高給取りをフレッシュで安い若手にチェンジ!するだけ。
そんでひたすら今までのクライアントに頭下げて、ケツの穴なめてりゃいいよ。
東大生って毎年3000人よ。一橋生はよくわからんが1500ぐらいだろ。
で、早稲田慶應でもさ正直採用する側ってどっちでもいいんだよね。東大でも早稲田でもかわんねーんだ。
でもさ、4500人分も毎年新しい高度な仕事が生まれてるなんてだれも思ってねーだろ???
つまりよ、30年かけてそれなりの給与貰ってた一流人材もその辺の一流学生をちゃっちゃと教育したら、3年で使えるようになるからさ、
それで安くて元気な若手をかいこんでんだよ。
いや、ぶっちゃけさ、3年がんばって貰えばさ、30年プレイヤーより下手したらパフォーマンス上だぜ?
で、1%の層はさ、下のこいつらと壮絶に競争し続けんの。
じゃどうなるとおもうってさ、
下を徹底的に潰すだけなんだよ。
あほらしいけどさ。潰すのが正解になっちゃう。
ま、ともかくさ、ほとんどの仕事って、
5)
どうしたらいいのー? by 中川パラダイス of ウーマンラッシュアワー
ってことでさ。
鬱にナンだよ。
「結論、お前は何もんだ??」ってことだよ。
どうキャリア開発していくべきなん?ってことだよ。
いやお前がさ、すでに1500万円を安定的に年収で確保できてて、急に400万以下に転落する怖れがないならさ、しらねーよ。
でも俺は違うからさ。
まだ、この分野の◯◯ですっていっても世間的に認知されてない(狭い業界内評価なんか業界ごと浮き沈みしたら意味ネーンだよ)
で、営業職としてもさ、人脈ってどうってわけ。
いや確かに他社の一部上場企業の役員とも仕事してるし名刺は綺麗だよ。
でもさ、ビジネス上のネットワークってほとんど瞬発的なものじゃない?ちがうっけ?
ばっかじゃない?っていうのが実際なわけ。
俺さ、せっせと仕事してるし、そこそこな評価ではあるよ。
でもさ多分これ以上あがんねーんだろなっておもうんだよ。
仕事以外で何か見出せ?あーそうですかって感じ。
転職?転職したら0からやり直しだよ。ファックユー。ほとんどの転職は年収下がるんだよ。転職エージェントに騙され過ぎだろバカ。
あーくだらね。
あー、死にてー。
独立?バカじゃねーの?起業したら1年毎に30%OFFだよ、つまり10社あったら1年後には7社しか残ってない。2年後は5社。3年後は3~4社。4年後は2~3社。5年後は1~2社。ってことよ。
独立してほとんどの人間は年収が「大幅に」さがるってデータ知らねーのか?
独立して給与あがるのは、400万円以下でこき使われてた人間だが、実際1000万円以上もらう価値のある人間だったって時だけだよ。
実際な、年収高いヤツには高度な仕事させてくれやすいんだよ。年収低いヤツは低レベルな仕事につきやすいんだよ。
仕事の質がほしいんだよ。
ああ。
独立したらいいよってそれでも言うヤツは、
◯◯って欲に満ちたブログ読むといいよ。
投資家が一生懸命若いヤツを焚き付けて、カネにしようと必死だから。
投資家のおもちゃになって起業したみなさん、おつかれさまでした。
そして
投資家のおもちゃにならずに起業したみなさん、5年以内に90%が社会的に死ぬと思いますががんばってください。
そして
おれはエンジニアだ未来が綺麗とかおもってるという方は、中国やバリのエンジニア養成学校の方々と綺麗にバトルしてください。
とくにグローバルっていって社内での英語コミュニケーションが加速してる会社は楽しんでください。
そして
おれは営業だ、永遠のテーマだとか思ってる方は、営業職の役割が今後爽やかに代わっていくことを楽しんでください。
そして
おれは人材業者だ、人をまっちんぐする神の手、あるいは人事さ、と思ってる方。
マッチング業はどんどん安価になりますよ。究極的にはZEROまで収束します。Wantedlyとか、Jobshareみたいにね。
価格破壊は止まらないよ。実態の大した事ない仕事してるわけだから、君らはそのうち消える訳さ。
そして
ここを否定したくて仕方ない。
でもここは最後まで消えない気がするんだ。
でも最低10億円規模以上のファンド持ってたり、機関投資家だって人だけの話だよ?
証券アナリスト持ってますテキな人はさっきのエンジニアとかの専門職と同じ人生だからよろしくね。
そして
うん。◯◯みたいな会社もそうだね。
でも幸せなのかもなっておもうよ。
さて、
どうやれば救われる?
オマエらはほとんどそうだろうが、どうやれば救われる?
ぶっちゃけぬるま湯のカエルは、ぬるま湯に使ってた方が幸せなのか?
思考を止めた方がいいのか?
考え過ぎだというのか?
一定の解を知りたい。
思考停止するのが怖い。
諦めると自分が廃人になりそうだ。
アル中になって
あと30年やそこらの仕事ざかりを過ごして
ああ俺は特に何もなせなかったな、っていって死ぬのは嫌だよ。
ああ、こええんだよ。
ごめん。
一緒に腐っていくのかな、お前らと一緒に。
早いか遅いかだけなのかな。
あとさ、こういう不安を煽ったり一言いったりして稼いでる
から大っ嫌いだよ
あいつらは煽り過ぎでマジな情報を脚色しすぎて本質がズレてる。
こういうのじゃなくてさ、
リアルな匿名の場でさ、リアルな事情含めてさ、今後について語りたいんだよ。
コメントとかつけてくれよ。
それでさ、
一人でも多くさ、
「仕事を諦める」って以外の選択肢をさ、
導ければなって思うんだよ。
うそうそ。
楽観的に生きていけばいいんだよ。
考えたら負け。
どうせ無理なら現状を無駄に肯定して、
おれ幸せ!って毎日100回唱えろ。自己洗脳に掛かって幸せになれるよ。
ソンジャーネ
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25時12時に追記
都合により一部削除しました。
涙目です。
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25日18時に追記
意外とはてぶ付いててビックリ。
ほんの15年前、1999年を考えてみてよ。
Word/Excel/Powerpointほとんどなくてさ?
「コンサルティング」業務やサポートの必要が急速になくなったよね。ググれカスに代わった。
ほんとうの変化が起こるのこれからだよ。
15年後、今の35歳が50歳になんの。
ほぼ全員ネットで「ちゃんとぐぐれる」でしょ?
インターネッツじゃないひといなくなるでしょ。
購買行動かわるよ。
人と人のコラボレーションかわるよ。
当然、営業スタイルかわるよ。
当然、調整業務のスタイルかわるよ。
生き残るのは接客業の方々だね。
ってな。そういう仕事はなくならねえよ。
社長、今日もネクタイいいですね。ってなそういう仕事はなくならねえよ。
電話受付は今もなってるけど、メールフォームとか、チャットとかになって簡素化。
ああ、面白い。
今まで200人は最低必要だったビジネスが、10人で楽に回せるよ!
さしずめ、スーパーエンジニア3人、スーパー営業職3人、激ブラックな雑用3人、ファイナンス担当1人って感じかね。
.........さて、メシ食うわ。
25日21時50分追記---
結論いうとさ、実はハラを決めて、待つしかなくて、良い意味で諦めたほうが安全だぞってことだ。
▼下のような動画に動揺したら生き残れない。リクルートにカモにされるよ!これらをポジティブに受けいれよう!▼
例1:子どもに夢を託すな。
http://www.youtube.com/watch?v=yJhQx1oaAx0
http://www.youtube.com/watch?v=jpC_kJbS3RQ
例3:社内失業、2万人以上の余剰人員。
http://www.youtube.com/watch?v=tdnWgXdILG8
例4:さわやかな上司と部下の意思疎通。
唐突なんだけど、この前、とある女性と飲んでいたときに、「俺ってイケダハヤトのこと、意外と評価しているんだよね」といったら、すごいびっくりされたのね。「シマダさんって、絶対イケダハヤトのこと嫌いだと思っていた!」と。
そういえば、数週間前にも男の後輩にも「シマダ先輩がイケダハヤトのことがアリだって結構びびりました」ともいわれたなあ。
なぜ意外だと思われるのか、と考えてみたんだが、もしかして、イケダハヤト観なるものに差があるのではないかと思った。
そもそも、イケダハヤトのことを、論理的、言語的に見ると、混乱をまねくと思うんだよ。
イケダハヤトは、内容や文章の書き方が、一見、論理を使おうとしているように見えるのは事実だ。だから「論理的におかしい」「イケダハヤトの意見は違う」「言っていることが前と逆だ」という話になってしまう。
でもイケダハヤトがやっているのは論理ではない。言語ではない、文章ですらないかもしれない。そういう表現手法をとっていないんだ。
イケダハヤト、そしてイケダハヤト的なものは、もっと精神的なものなんだと思う。若者の空気といってもいい。私たちの世代だとホイチョイがやってたようなことをイケダハヤトがやっているのではないかと思う。
つまり、若者の空気をただ放出しているだけ。ホイチョイと違うのは、研究して、それをデフォルメして、うまい具合に時代の空気を表現しているわけではなく、イケダハヤトが今の若者そのものだからである。そして、今の若者の一部の部分を切り取って、それをアウトプットしているんだ。
若者と話すときにさ、論理で話の腰を折るおっさんいるじゃん。わからなくもないんだけど、若者がしているのって別に議論じゃなくて、単に感じたことを素直に出してたりするだけだったりするのよ。「本田かっけー」とか「マジだりー」とかと同じなんだ。本田がかっこいいという点に対して論理で反論しないでしょ。それと同じ。
つまりイケダハヤトに対して反論したり、間違いだという人は、そもそものところで噛み合っていない。話しているレイヤーが違う、次元が違う、内容が違う、論点が違う。
たとえばだ、イケダハヤトが「納豆を若者に強要するおっさんは、若者をバカにしている。そもそもマクドナルドを食べたっていいはずだ。世界的チェーン店であるマクドナルドであれば有害物質を使う可能性も低いし、そもそもキャベツやトマトが入っているハンバーグのほうがよほど健康的」みたいなブログを書いたときに「別に若者に納豆を押し付けていない」「そんな押し付けるようなおっさんは本当にいるの?」「マクドナルドが有害物質を使わないとは限らない」「トマトやキャベツだけじゃ野菜として足りない」みたいな反応をするやつがいるけど、全く違う。
イケダハヤトが上記のようにいったら「納豆はねばねばしてるし、なんかくさい。あとマックはうまい。」といっているということ。それなのに「トマトやキャベツだけじゃ野菜として足りない」って言われたら「え、何の話?なにいってるんですか?」となってしまうのは当たり前だ。
イケダハヤトは恐らく、若者が意見や感想、感じたことを発信することは価値があると考えているので、多くの人がそのようにするべきだと考えている。なので、中身がない、という批判もおそらく意味がない。
こう書いているが、別にバカにしているわけじゃない。実は私も、イケダハヤトと同意見で、若者がブログやtwitteでもっと思っていること、感じていることをストレートに書くべきだと思っているからだ。そういう意味では、イケダハヤトの支持者であるし、彼のブログもおもしろく読んでいる。若者が感じていることをストレートに伝えられるってやはりいいことなのではないか?
何かのアウトプットで「常識にとらわれるな」と言うと、「常識にとらわれるな」という言葉にとらわれてしまうのか、「常識なんて面倒なもの考えなくていいとか超楽だー!!」と思うのか、変人ショーみたいなのに走る人が少なからずいる。
別にこっちは変なものを見たくてそんなことを言ってるわけじゃないんだけどな。
なんというか、「型破り」と「形無し」の違いとでも言おうか。
噛み砕いて言うなら「常識にとらわれるな」=「常識を熟知した上で、その常識にとらわれるな」ってこと。
もっと具体的に言うなら「常識を熟知し、そこからどの程度外れてみせるかプランを立て、実行せよ」ということかな。
即ち、表現に臨む者のメンタルは常にニュートラルというか、極めて普通な感覚を備え、これ以上ないくらい常識的であることが大前提。
そういうのをすっ飛ばして変人ショーになった挙句、その表現者の日常に根ざした下品な感性が透けて見えるとか、もう最悪。
カネ払う代わりに石投げてやりたくなる。
要するに、非凡であってもそのままでは使い物になりませんよと。
いわんや只の常識知らずをや。
誰か教えてください…
どうしてみんなアウトプットしないのか。
文章にまとめておくだけで、暗記する時間が省けるし、
次の作業も取り掛かりやすくなると思うのだけど。
どうしてやらんのか考えてみる。
1.頭の中にしか情報が無い状態にすることで、仕事を引きずることができる?
3.文章にする時間がない?
4.文章にする能力がない?
5.俺が率先してwikiを更新しまくるので、俺がやってくれると思って何もやらない?
7.文章にするメリットが感じられない?
特にいまのプロジェクトメンバーとは会話の脚の引っ張り合いが多く負荷が非常に大きいので、
コミュニケーションコストを最小限にするために文章化を進めていたのだけど、
それが裏目にでちゃったのかなあと。
いまではサーバの設定も誰も教えてくれない。
他メンバーに聞いてくれる上司が来る月曜だけ知るチャンスがある。
どうすればしあわせになれるんだ。
まあ、なんていうか、行き過ぎて、少しでも積極的な人を「意識が高い」と言って馬鹿にする風潮があるのは事実だけど、
元々は、口だけばっかで結果を伴わない、事故啓発本とかに毒された様な馬鹿を揶揄する言葉だったんだよね、「意識高い()」って。
そもそも、入社して最初の3年で何らか自分なりに確立して自信を持てるくらいになる、なんてのは口に出すまでもなくアタリマエのことで、
んなことをわざわざ人にまで言っちゃう時点で、「何お前、それ言わないとそんなことも考えられないの?そんなこと、わざわざ口に出して言うようなレベルに思っちゃってるの?」
って話。
だがしかし、本当に意識が高ければ別にそれを人に押し付けたり人に何かを促したりしない。
自然とそれを行うだけ。
自分で自然と出来ないにもかかわらず、人をけしかけたり「アウトプット()」と称して表向きだけ装ってるから「意識高い()」って言われるだけなんだけどね。
先輩の気持ち、分からなくもない。
前職じゃバリバリやってたのに、職場が変わって仕事の進め方も変わって、自分の中でこう進めていったらもっと効率良いのにって考えはあるんだけど、業務をあんまり把握してないから自分が仕切るのも気が引けるって感じになるから、結局アウトプットはイケてなくって、自分の無能感を感じるんだよな。
しかも、自分の思うやり方を展開してたらもっと上手くいってたのにと思いつつ、実績出してない奴がやり方さえ上手く決まってたらっていう考えをするのは負け犬っぽいから、グッと我慢するフラストレーションなんかもたまっていく。
仕事って難しいなぁ。
エロゲレビューサイトめぐりをやってて思ったけど、エロゲをやることが面倒になってやらなくなってから、インプットに応じたアウトプットを行うことすら面倒になってきている感じがする。
だからレビューだけ読んで(自分がプレイしてこういう感想を考えたと錯覚して)満足する。レビューを読むことが趣味になってるレベル?
新作ゲーム買うけど自分でやるのは面倒だから誰かにやってもらうのをただぼーっと眺めるだけ的な。
でも実際そういう人って多い気がするんだよなあ。
日常生活がしんどすぎるのに娯楽が溢れすぎててやりたいのにやる気力がない、時間がないとかそういう。
オートモードもあるけど基本的にボイス待ちで次に進むから、読み終わったらボイス気にせず進める人にとっては基本的に無意味なんだよね。
クリック代行とかでも結局クリックしてもらうっていうアクションの手間>>>自分でクリックする手間だし。。
メッセージ表示終わってから文字数に応じてウェイト時間を決められればいいのか。
あとはあえて言うならエロゲのテンプレ(ツンデレとかハーレムとか中二病アクションものとか)を「そういうもの」として理解する労力も費やしたくなくなってきた。
うーん、、、ノベルゲーをやりたいけど読むのは面倒臭いってところに行き着くのかなあ。。。
なんなんだろうこの矛盾した気持ち。
ダンボール一箱分くらい未プレイのエロゲあるんだけどもうこれやらないまま処分するしかないのかなあ。。。
頭の中ではやりたいって思ってるのにやる気力が出ずに結局やらないままというのは社会人にとっては普通だけど深刻な問題だわ。
とってつけたようでなんだけど、最近の自分が特に史実を調べるでもなく艦これで無造作にレベリングばっかやってるところを見ると、物語を消化するのを避けているのかもしれないとふと思った。
佐村河内しかり大衆は物語を求める云々が最近ホッテントリでよく見かけたテーマだけど、物語を消費することが面倒になってきているのかもしれない。
女「… だったのよー。もうクタクタ〜」
男「で?」女「『で』?」
男「つまり、何が言いたいんだ?(要領が悪い奴だな)」
女「...はぁ... (こいつ、ホント駄目…)」
幼い頃は気にも留めていなかったが、男女は違う生き物だ。だから、コミュニケーションを取るときに、その違いがわかっていないと、いくら頑張ってもひたすらに空回りすることになる。
1日8時間シュートの練習はできる。でもやり方がまちがっていたら、まちがったシュートがうまくなるだけだ。
―― マイケル・ジョーダン
地雷があり、回避するテクニックがあり、そして、おたがいの関係を、適切に推し進めるためのスキルがある。
必要なのは、信じてあげること、それを示すこと。そして彼女自身の「問題を解決する能力」を引き出してあげることだ。
女性は自分が遭遇した理不尽な状況を「アウトプット」することで、スッキリする。
だがあなたがそこに立ち会うことを続けてしまうと、彼女はあなたを見た時に、それらの嫌な記憶を連想するようになってしまう。
つまり女性たちの悩みに近づけば近づくほど、男性たるあなたは、避けられるようになる(そして、そこに都合よく現れた別の男が横からかっさらっていく)。
(それでも、彼女たちのためにそれを続けるというのなら、私は止めない。私はあなたの意思を尊敬する)
街を一緒に歩いていて、恥ずかしくない男、女友達に自慢できる男が、モテる。
イケメンだけでなく、クラスで一目置かれている人、委員長、一本スジの通った男、軸がぶれてない奴、趣味嗜好に没頭するもの(ただし「俺はこれが好きだ!」と誰にでも大真面目に言い張れる奴に限る)、道を踏み外していないオシャレ男子... などなど。
たいてい空回りしている。
自分のことに目を向けられない人間が、他人のことをまっすぐ見れるわけがないからだ。
そのようなタイプは、自分をしっかり持っている人(=魅力的な人)からは、”うわっつらだけの、薄っぺらい人”にみえる。
(このタイプの人間かを簡単にテストする方法がある。「Q.貴方は貴方のことが好き?」という質問を投げかけたときに、返答に0.5秒以上かかる人がこれに該当する。)
この種の人々にとって、恋愛は何より重い――死活問題で、そしてその道は困難を極める。
運良く誰かと彼氏彼女の関係になっても、相手に依存するようになってしまう。
まずは自分に向き合うべきだ。そして余裕ができたら、恋愛を始めよう。
男女の社会的役割が問い直されている現代だが、しかし太古の昔から遺伝子に刷り込まれた性差、はやはりある。
コミュニティーの人間に『頼られた』男が、社会的な強者になる。だからこそ、”きちんと甘えられる”女性がモテる。
(だが、このような女性は、なぜか同じ女性から嫌われる。彼女たちは「ぶりっ子」と呼ばれている。)
彼女たちは生態として、『世話を焼く』のであって、あなた自身に特別の好意を持っている、とは限らない。
男「へえ!私服もいいじゃん。似合ってんじゃん」
女「えへへ~。いいでしょ~」
男「バッグがいいね。カッコイイし、服に合ってる。センスいい」
女「ありがと~」
男「上げ底の靴も、さり気なく背を高く見せている」
女「な/// べつにいいでしょwファッションだし!」
男「似合ってるってw でも何というか、『自分のこと美人だ』って思ってそうw」
女「なによー!違うっていうのーw」
男「別に美人じゃないとは言ってないじゃんw 自覚あんのw?」
女 (ぐぬぬ)
男「ボーっとしてないで、早く行こうぜ」
ホテルやデートに誘うときに、男に付いていく「言い訳」を与える、というテクニックがある。
表情や仕草で、あなたのことを良く思っている、というポーズを示しつつ、
しゃべる内容で、相手にストレスを与える。恥ずかしい気分にさせる。
悪気があるわけではないのだ、という思い、場の雰囲気がシールになって、その気分を彼女自身の中に閉じ込めて、膨らませる。
これが長い間知らなかった(そして多くの人が知らないだろうと思われる)、飛躍的に仲を推し進める技術の骨子だ。
このスキルを使えない人は、相手との関係構築に時間をかける必要がある。
また、このスキルを無自覚に濫用する人は、いわゆる”女ったらし”になる。
なおこれを用いる際は、シールに気を配ること。単なる人格批判や攻撃のようになっては逆効果だ。
こういった知識を学校で教えて欲しかった。青春を返してほしい。
卒業してずいぶん経った今でも、周りを見渡すとわかってない人々が「理不尽だ…」と嘆いている。「ただしイケメンに限る!」と慰めてみても、本質から目を逸らすことはできない。
とても可哀相に思う。
↓こうしてくれ。。
金 土
さいきんのゆとりは、と言われそうなので、三十代半ばと年齢を先に申告しておく。
試験にノートを持ち込めるわけでないし、教科書に書いてあることを黒板に写して、それをノートに写すなんてどうして?と思ってた。
流石に、大学では「データを残すために」紙に記録することにしたけれども、紙に書くことが理解の助けになるとか、記憶の助けになるとは思わない。
忘れてしまうことはノートやメモに残すけど、忘れてしまう前提だから残すのだ。
逆に、アウトプットのために、紙にかくことはとても有用だと思う。
文章を作る前、数式をたてる前、スライドを作る前、出来上がりのイメージを図にしてから始める。
あれをつくるためには、この順番で組み立てて、それぞれの部品はこうやって表現して、そのためにはあれが必要で、ということを考えるためには、紙とペンはとても有用だと思う。
学校教育では、アウトプットのための紙とペンの使い方をもう少し教えた方がいい。
と、ここまで書いておもったのだが、僕の思考は、まずはアウトラインを決めて、そこに合うように部品を嵌めこむ「トップダウン型」だ。
対して、学校教育は往々にして、知の積み重ね、「ボトムアップ型」だ。
たとえば、乗法の交換法則の証明を終えてはじめて、掛け算の順序問題から開放されるというように。
それはある意味では正しいと思うんだけどね。
多分内容を変えても、結局、やるやつはやる、やらないやつはやらない。
大人になっても、勉強できる自由があってもやるやつはやるし、やらないやつはやらない。よって、変更しても、その効果が届くのは一定層。
ただ、内容の変更は必要。
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
プログラミングを追加すべき。
英語→変更の余地あり
(が、語学なので、大人が変わらないとムリ)
社会→変更の余地あり(世界史は現代史に留める/暗記内容は減らす)
共産主義も社会主義も皆衣食足りてない状態、例えば戦時中とか戦後の何も無い時に政府が大きくなって
国民を分配供給の下に養う事で、貧乏から脱してやる助けをするものだ。
いま、わが国には何故共産・社会主義が根付かないのかというと、それは貧乏ではないからだ。
国民一人一人が国が保障する最低限の生活以上を享受しているためでもあるし、分配供給といった考えも経済的に格差が生じてくると
また、これまでは食糧などが分配されるために国民一人一人が働かなくても働いてる人と同じだけ与えられるといった不公平さを感じるようになったり
又、衣食足りて礼節を知るといった古の慣用から見て国民一人一人が国から自立して自ら物事を考え学んでそれをアウトプットしていく力を身に着けるようになった。
そのため、貧困を助けるためだけの共産主義や社会主義が国民から不必要とされ淘汰されていったのが現実である。
すなわちドイツやロシアが共産主義・社会主義から脱したのは豊かな国になった証拠である。
しかしながら、今後格差が大きく開ききってしまう恐れがあり、それが現実になると当然多くの国民が疲弊し貧困化していくだろう。
その手の本かなんかで、その人のマネをしてみるとよいという話を読んで実践したことがある。
とりあえず恰好だけマネてみてわかったのは早さの違いだった。
考えてることはそう遠くにはないはずだけど、さまざまな点で早さがに差がある。
彼らは、場に慣れてペースに乗る早さだったり、頭の切り替えだったり、要点のリスト化、優先順位付け、ちょっとしたたくさんの部分で早い。
クーガーは正しかった。
それは鍛えることができるらしいが、自分もメモを取る練習だったり、音読だったり、n-back課題、単純計算と早く正確なインアウトを目的とした訓練ぽいものをやったりしてみてある程度の効果は実感できたが、多分これは健康に良い以上のものではない。
結局、自分がいちばん実践的で効果があると思うのは、やって反省して改善を考えての繰り返しを細かく早くに意識してやることです。
スタートアップと呼ばれる、自社サービスなどをつくるために起業する人々の特徴
だいたいやりたいことだけあって、自分では作れないので人をあつめるために会社を作る。
ウェブ系が多いので、エンジニアとかデザイナーとかの知識が必要なんだけど、自分で勉強する気は全くない。
しかし口だけは出す。
よく言う「バンドメンバー募集!当方ボーカル!」というやつだ。
その割には歌は上手くなくて、なぜか小学生の図工レベルのポスター作って客寄せを頑張ったりする。
たぶんそこ頑張るところじゃない。
とにかく長く働いた人が偉いと考えている。
エンジニアは作ったサービスがアウトプットとして見えるが、起業家はものを作り出せないので労働時間で測っているという側面もあるようだ。
深夜にメールを送るのを働いた証として誇りに思ってるようだが、誰も評価してないのを気づいていない。
会社に泊まりこむのを美徳としているが、体が臭いのでやめたほうがいいと思う。
徹夜明けっぽい起業家と会うと匂いですぐわかる。人と会うのにそれは普通に失礼だからな。
あと、資料の量などで働いた感をアピールしたりもする。