はてなキーワード: 雑務とは
四年前、就活に失敗した。というと、どこか物事がぼやけて聞こえるから不思議だ。
要はどこからも内定が貰えなかった。そこそこ良い中高に通い、なかなかの大学に入学した私にとって、初めての挫折だった。今はフリーターをしている。
フリーターでも良いと思っていた。働いている。ニートとは違う。
始めこそ半端な気持ちでいたバイトだったが、今は持ちうる限りの力を尽くしている。いずれは、自分の店を持ちたい。
ネットを探せば、同じ意見の人がたくさんいた。今の時代、雇用形態など問題ではない…
と、言い聞かせていた。
普段は忘れている。日々の雑務に追われて。時折、ふと思い出す。私は、フリーターなのだと。
本当は、仕事の話なんてこれっぽっちもしたくないし聞きたくない。だってフリーターに何か言えるはずがない。
なんだその客腹立つわー(お前に何がわかる)
大変だねー(お前よりはな)
でもそんな対応できてすごいよ(お前みたいになりたくないからな)
ありきたりな相槌を打つ。何を言っても、フリーターの戯言にしか聞こえない。社会を知らない、無知で愚かな負け犬の。
ただの被害者妄想だ。彼らには、誰かを蔑む気など全く無い。だからこれは、私が一方的に抱いている劣等感なのだ。
童貞と、そうでない者の差のようなものだ。一度越えるとこんなものかと思うが、知らない者からすれば、その溝は果てしなく深い。
無職でも稼げる、本当に好きなことを仕事に、正社員にこだわらない、日本の雇用が変わる…
耳に優しい言葉を探して、ブックマークする。そう、そうだよな!その通り!間違ってない!これで!これでいいんだ!これで!
ずっと、負け犬気分がつきまとう。この劣等感は、正社員になれば拭えるのだろうか。
【基本情報】
場 所:東京23区内
設 立:2000年
社員数:5人
資本金:約3000万円
業 種:(特定のモノを対象とした)マーケティング・コンサルティング・書籍編集
社員5人の内訳は、社長・取締役(名ばかり)のI女史・平3人(20代筆者含む)。会社的には割とニッチな事業をやっていて、少なからず“他社が動いていない時間も動く”必要がある。加えてこの少人数によって、1人当たりの作業量が多い。“少数精鋭”といえば聞こえはいいが、実際問題、精鋭部隊になっていない。個人にかかる負担は作業・知識ともに多く、結局スペシャリストになれず、中途半端リストになる。
人数的な限界は上司たちも感じているらしく、何度も「人をとる」と口では言うが、1年以上入ってこない(1カ月程度のアルバイトは1人いた)。マイナビ等にも募集を出しているようだけど、やっぱり社名から事業がイメージしにくいし、応募してくる人材もパッとしないのか、または上司たちが会社の身の丈以上の人材を欲しているのか、定かではない。
就業時間は対外的には9:00~17:45が定時になっているが、定時で帰れたのは出勤1日目のみ。「問題1」に起因するかたちで、夜遅くまでの作業がデフォルト。社員の1人(30代)は1週間に5日泊まり込んでいる。それ以外(といっても2人)はほとんど終電で帰る。そのくせ9時出社を強要する。
一度「遅くとも21時退社」を実践したが、結局は会社でやらないことを外でやるだけの話で1カ月も持たなかった。もはやCMとかの制作会社、いや、9時出社という点ではそれ以上に劣悪な環境です。
そんなんだから、ときたま入る新入社員の定着率は非常に悪い。平3人のうち筆者が6年目で最長。それ以外は4年目と2年目。ちなみに2年目社員は社長の娘。
なお、辞めていく社員の大半は精神的・肉体的に追い詰められてやめていく。自分が入ってから現在に至るまで、7人が退職。数だけみると少ないかもだけど、社員数5人前後でこの入れ替わりは異常。7人中2人は「うつ病」と診断され、うち1人は激務に耐えきれず、朝出勤中に何度も救急車で運ばれた挙げ句、胃がボロボロになって辞めていった。こうして書いてみると非常に壮絶。
これは言い訳だけど、正直疲れて報告のメールとかできません。それよりも早く帰りたい。
OJT――やりながら覚えていく――が基本方針。というか、結論としてしっかりと教える時間がとれない。育成に時間がとれなきゃ、まぁ定着率も低いわな。
仕事ごと、作業ごと、そのなかで覚えていくということは、結果として仕事に対して身につく知識は中途半端になる。強引に育てる=どこかしらに抜けが出る=ハンパな社員。
これは余談だけど、社長の娘(20代)が入っていままで、メールでも電話でも自分の名前を名乗らせなていない。このニッチな業界では割と社長の名前が知られている場合もあるので、それを考慮(何を?)したとのこと。また、社長自身も自分の娘がこの会社に入って本格的に働いていくとは考えていなかったんだろうね。その間、ほぼ雑務しかしてない。なのにこの間、「入ってもう1年になるんだから……」みたいな話をしていて「は?」と思った。
自分たちが一からつくってきたからか、上司たちには「業界内では有名」という誤った認識がある。要はその“業界”ってどこまでの範囲? これは、子どもが「学校でみんな持っている」の“みんな”と同義語である。
なんだかんだいって、まだ設立から十数年。ニッチな業界とはいえ、うちの会社を知らない企業は多数存在する。当然の話。
これはしょうがない部分もある。業界内の動き・情報に関して疎いというところもあるけど、それ以上にWebやPC周りの知識が尋常じゃなく不足している(特にI女史)。それでいて、自分からその知識を得ようとせず、「私、わからないから」と開き直る(これもI女史)。ネットでちょっと調べればわかることを、いちいち聞いてくるから仕事が進まないね。
あと、WebサイトのUIがひどい。何年前のだろうと思うほどの外見。そのくせサイトの情報発信力・影響力は高いと思っている(PV数は月に2万程度)。Webのリニューアルの話も出て、外の会社と打ち合わせしているけど、Web開発まわりの知識が不足しているからか、費用感がまったく合わず、進んでいない模様。いやぁ、それいくらいかかるよ、実際。
正直、ほかにも問題はいろいろあるけど、「この会社の問題点は?」と他の社員に聞いて、2人からの返答は「I女史の存在」だった。確かにそうだと思う。
前述のような態度はもちろん、それ以上に、感情をコントロールできないのなか、職場で機嫌がコロコロ変わるし、機嫌の悪いときはこっちからの話もぞんざいになる。「話しかけてくるなオーラ」をバンバン出していて、ぶっちゃけそんな状態じゃ報告・連絡・相談なんてできません。
本当に大人として未成熟。だからまだ独身なのか、独身のために未成熟なのか。彼女の存在(機嫌)によって、会社の雰囲気が変わる。この人の存在が原因となって辞めていく社員がほとんど。
数週間で結婚することになる。
結婚相手に関しては私にとってもったいないぐらいの人間なので不満は何もない。
ただ、私の父親に関しては黒くドロドロした淀みが心中にある。
奴は建築関係の仕事の就いているからかもしれないが、とにかく怒鳴る人間だった。
幼少から怒鳴られ、そして夜は頻繁に飲みに行く。
母は奴が飲みに行くのに車で送らされていた。
それは20年前に引っ越してきた実家となる場所に来ても変わらなかった。
むしろ、母はその家に引っ越してきてから辛そうにしていることが多かった。
実家も奴曰く、
という到底理解できない理由で6LDKの家を福岡の田舎に建てた。
その周辺では私と兄はのびのび育ったが、母はその家を毎日掃除しなくてはならず、そして炊事や草取り等の雑務も来なさなければならなかった。
そして、母は、
「私はこの家の家政婦ではない」
と私にこぼすことが多かった。
そして、相変わらず奴は怒鳴りまくった。
とにかく自分が気に食わなければ、怒鳴りまくった。
怒鳴れば何とかなると思っているのだろう。
奴の中では奴以外の人間は獣かもしれない。
そして、やはり飲みに行くことは頻繁で、時折私や兄が小学生や中学生で必死に貯めた小遣いを借りて飲み代に当てていた。
だが、子供から金を借りて飲み代やパチンコ代に当てることに内心呆れていた。
また、休日も家族でどこかに行くということはほとんどなかった。
それも子供心ながら寂しくも恨んでいた。
深夜に酔っ払って帰ってきて、暴れまわったり大声を出してわけのわからないことを喚く。
挙句の果てには吐瀉物をまき散らす。
しかもその後奴は寝てしまい、その片付けは私達や母にやらせていた。
吐瀉物の件で最も許せなかったのはSFCにぶちまけたことだ。
奇しくも、SFCは綺麗に拭いてなんとか壊れずにすんだ。
不幸中の幸いである。
そして何より、幼少の私達に対して、
「家のローンは俺が死んだらお前たちが払わないとならないんだ」
「金が無い金が無い。あー、きつい」
といった金に関する発言をことあるごとにしていた。
そしてその言葉が重荷になったことを奴は気付いていなかった。
子からの借金や私達兄弟への理解がなく、己の妄執に基づいた「常識」を押し付けてきた。
母は私達をかばってくれ、そして理解しようとしてくれた。
そのため何度も離婚話が出ても、私は母に付いていくことを明言していた。
だが、その母も私が20歳の時に亡くなった。
絶望だった。
兄との仲は良くもなく悪くもなくだ。
だが奴との関係は最悪だ。
話しても理解しようとせず、己の中で凝り固まったものを押し付けることしかできない奴しか親がいなくなることが絶望的だった。
この時、どれだけ母ではなく奴が死ねば良かったと思っただろうか。
いや、この時だけではなく今でもあるが。
母は所謂新興宗教の信者ではあったが、お金を取られるわけではないので私自身は構わないと思っていた。
むしろ、そこは火の車っぽかった。
度が過ぎるのであれば、忌避するべきであるが母は私にそれを押し付けなかったのだ。
私自身としてはやはり信仰心は大切にするべきものとあるという考えがあるので、特に何も言わなかった。
だが、母は所謂仏教の葬式をあげてほしくなかったらしく、その宗教の葬式をあげて欲しい旨を私に伝え、それを私は奴に伝えた。
だが奴はそれを一蹴した。
世間体のためだった。
奴は特に信仰していない仏教の葬式をあげ、おまけ程度に母の宗教の葬式をあげた。
これで満足だろうと言わんばかりにだ。
私は憎んだ。
母の信仰心を汚した奴をとにかく憎んだ。
母が大切にしてきたものを奴は20年以上共に生きていても理解していなかったのだ。
私の大切な母を奴は殺したのだ。
だから、憎んだ。
念のため、学費を払ってもらって就職してからも盆と年末年始は実家に帰省した。
だが、2,3日もすると家の中の空気が息苦しくなる。
そして、帰省しても話す内容は一緒だ。
「住宅ローンや祖母の入院費、それにお前たちを進学させた教育ローンが苦しい」
「あー、金が無い。金が無い」
こればかりである。
また、兄は規制せず、私だけ帰省するので家のことを何でもかんでもさせられる。
この時に思ったのだ。
「私はこの家の、こいつの家政婦ではない」
と。
私は皮肉にも母と同じ心境に辿り着いていた。
そもそもこいつは己の見栄のために無駄に広い家を建てた。
祖母の件もそうだ。
それを子供に言ってどうなる?
苦しめるしか無いのに気付かないのか?
ああ、気付かないだろうね。
お前は己のことしか見えておらず、私たちのことを理解する気もないのだからな。
祖母が飲み屋で働いていたのと重なって哀れになったらしい。
愚かである。
もちろん、そのねーちゃんは雲隠れした。
この事件から数年後、奴は私に対してこう言った。
「母さんの治療費にばーちゃんの葬式代を使ったけど、その金も貯まった」
と。
奴と母親、どちらの話が信用できるかと云えば、どう考えても後者である。
私はこの話を聞いて奴と縁を切りたくなった。
こんなのが身内だと、いつトラブルに巻き込まれるのかがわからないからだ。
社会人になりIT社畜になったら、案の定精神的に追い詰められてしまい、退職した。
だが、それも徐々に良くなり、なんとか私は生きている。
結婚することになったので、色々な準備をしている。
式は近縁の親族のみで執り行うようにしている。
そもそも、私はドレスを着たいだけであって式などどうでも良かったのだ。
だが、奴だけは、
「ここで式を挙げないと、母さんに何言われるかわからん」
と言ってきた。
正直に、自分が式をやってやったということを周りにいいたいがためだと云えば良いのに、母親を引き合いに出す時点で侮蔑の感情が湧いた。
式までも、やはり奴関連でトラブルが多発している。
そもそも、メールをしても返信が来ない。
それで何度もトラブルになったので私は電話をスピーカー状態にし、録音するようにした。
そもそも、結納の件をやるかどうかを訊いても、「やらなくていい」といったと思えば、
「なんでやらないのか!?
と怒鳴り散らしてくる。
そして、いざ結納をやり、食事会を行っても一人だけひたすら飲み、挙句の果てには私の過去の嫌な思い出ばかり相手の両親に話している。
そして、奴の兄弟とは疎遠になる、縁も切ると言っていたのに突然、
「そんなことしなくていい!
それが良識だろうが!
そして、今度はいつ帰ってくるんだ?
俺の兄弟たちとお前の婚約者との顔合わせの食事会をやるからな!」
と言って、電話口で怒鳴り散らしてくる。
これがきっかけだった。
言っていることが論理的ではなく、ころころと内容が変わるので、それに振り回されていた。
振り回されることで、精神的に落ち込み、
と考えることも増えてしまった。
そもそも母方の方には何も連絡していないのに、何故父方のみ会わなければならないのかがわからない。
奴の見栄に付き合わなければいけないのか?
私は奴の所有物なのか?
そもそも、縁を切ると言っていた人間たちに会わなければならない意味がわからない。
そして、私から必ず電話をしなければならないわけでもないだろう。
もし、私の病気の理解があれば負担を減らそうとするだろうが、その素振りもない。
服装に関しても、相手はモーニングを着るというのに、
と言い始めた。
奴は155センチ100kg超なので特殊な体型ではあるが、何もやろうとしない時点で呆れてしまった。
結局は奴はモーニングを探す気も無く、ドレスを借りる衣装店に頭を下げて探してもらえた。
憎悪しかない相手に対して、至れり尽くせりをして疲れてしまった。
実家に帰省したら、家政婦になり、延々と金が無い話をされ、怒鳴られるのだろうか。
そんなに金が無いことを言って私を苦しめたいのなら、私を殺せば良いだろうに。
私を理解する気が毛頭もないのなら、父親面をしなければ良いだろうに。
そんな気持ちになってしまう。
こんな気持ちになるぐらいなら、もう疎遠になろう。
そうしないと、またあの地獄に逆戻りだ。
だから、私は父親と縁を切ろうと思う。
それは婚約者と歩くよ。
まともに英語もできないのに海外駐在になって一年。日本人の労働生産性が悪いということを実感。
・アイディア勝負。実行は他人にやらせる。(実務作業負担を最小限とする)
・上記と絡んで、交渉上手。人を使うのがうまい。意外に人に使われるのもうまく、最小限のリソースで依頼をこなす(不必要なことはやらない)。
・専門知識は浅く広く。難しいことは専門家(他人)にやらせる。実は、意外に文章が書けなかったり、実務が苦手である場合も多い。
・プライベートも充実している。少数のワーカーホリックは休みしらずだが、他人は巻き込まない。
・仕事の回転が速いのは同じ。決断・あきらめは他人に任せる。(責任を逃れるのがうまい)
・段取り勝負。事前調査、他人との事前合意が大事。このような段取りをいかにうまくこなすかが大事。
・基本的に八方美人。人を同調させるのがうまい。他人から同調を求められた場合、簡単には認めず、仕事を増やさない。依頼を受けたらトコトンやる。言われてないことまでやる。
・ケースバイケースだが、専門知識も自らこなせるほうが「できるやつ」と見なされる。実務もそつなくこなせる。
・プライベートも充実しているが、忙しいときは、徹夜だろうが休日返上だろうが、業務が終わるまで止めない。
・仕事の回転は遅いが、往々にして「自分自身が仕事ができない」ということをなんとなく認識している(昇格していかない事実を把握してるから)。判断しない(ボスや他人に言われるまで動かない)。
・仕事ができる人の引き立て役になっている。無理しない。自己主張しない。ジョブディスクリプションの範疇しか仕事しない。
・ボスとのコネクションのみ大事にする(捨てられたくないから)。横のつながりは薄い。
・仕事を守るために、自身にしかできない領域を確保している場合が多い。意外に専門知識を持っているケースも多い。実は大した知識でない場合が多いですが。。これがないと、会社から捨てられちゃう。
・プライベートは充実している。よく休む。
・仕事の回転は遅いのは認識しているが、「自分自身は頑張ってるんだ」という意識で、周りに迷惑かけているのを棚上げしている。判断せずに、自らの案件がいつまでも決着しない。
・同調主義社会の中で、なんでもかんでも請け負ってしまう。余計な仕事を増やして空回りする。
・上司だけでなく、どんな人のいうことも聞いてしまう。断れない。メールの件数だけはやたらと多い。直接交渉を避けたいから。メールを打つとき、やたらとCcを入れる。自ら判断できないから。
・往々にして「仕事ができる日本人」に専門知識すら負けている。仕方がないから、データ/マニュアル管理など、パートさんでも出来そうなことに活路を見出そうとする。
・遅くまで仕事をする。夜間、土日に緊急性の低いメールを発信する。ただし、仕事が好きというわけではない。
[まとめ]
何が言いたいかというと、欧米は、仕事ができる人・仕事ができない人のどちらが欠けても業務が成り立ちません。仕事ができる人がマネージメントをやって、できない人が実務をこなすという棲み分けがはっきりしているから。要するに、仕事ができない人をうまく使っているのが欧米。
日本の場合は、ワーカーホリックが多いこともあって、仕事ができる人だけでも何とか回していける。雑務をこなす人は必要だろうけど、日本のマネージャーは実務をこなすことも多いし。
ただ、欧米であれ、日本であれ、真に仕事ができる人は、一握りの才能ある人だけであって、99%は凡人。その辺をよくわきまえているのが、欧米社会のような気がします。
一方の日本は、「正社員」=「仕事ができる人」と見なして、仕事をさせなければならないような風潮があるような気がします。基本的には終身雇用だし、正社員は何とか役に立たせたいというのが日本のスタイル。仕事ができない正社員にも、将来的になマネージメント/あるいはクリエイティブな仕事をしてほしい。それが会社の願い。
こうなると、俗にいうブラック企業のように、「できない人」には、とことん残業させるなりして仕事をしてもらうしかないという考え方になる。「何とか、役に立ってくれ!」という会社の切なる思いが詰まってるのでしょうが、どう考えても効率という面では弊害になっている。
派遣やパートの問題についても同じで、派遣・パートという枠を作ることで、システム的に、実務を任せれるようにしているが、どう考えても、こんな不安定な立ち位置で、業務に専念できるわけないよね。効率が悪くなる一方。
このような日本の環境の中で、僕らが気を付けなくてはいけないのは、「日本の仕事ができない人」に陥らないようにすることだと思います。
よく売れているビジネス本なんかを見ると、いかにして、日本の「できる人」になるかということが書いてありますが、そんなことが実現できるのはほんの一握りの人だけ。
自分の身の程をわきまえて、欧米の「できない人」たちのように、必死にならずに生きていくことも大事だと思います。それも幸せの一つの形だと思います。
時間拘束がきつくて不満があるという意味で取られたのでしょうが、
「ラボのルールを増田で議論しても愚痴にしかならないのでやめませんか」程度の意味です。
日本にいても他の研究機関の諸事情なんてよっぽどでなければ耳に入りません。
膨れ上がって困るのは元元増田の言う「学内運営」「各方面の政治的調整」でしょうね。
研究に関係ない部分です。雑用というと語弊がありそうなので、雑務くらいでしょうか。
一度決めたら変えにくいのが問題なんでしょうね。
会社に行って、外に見える雑務以外は休むという手を使ってみてはいかがでしょう。
私は休みが取れない時期があるので時々そうやって乗り切っています。
次の日に集中できたりするので意外にも自分の業務はたまりません。
お疲れ様です。
毎日、8割5分くらいの勢いで働いているけど、土日も仕事関係のイベントが詰まっていて休めない。
振替休日も取れない。
休むと、その分仕事が溜まる。
・
就職して10年。気付けば若手社員の肩書きもとれ、部署では古株だ。
有能な人が集められる部署で、上司が快適に仕事が出来るように雑用をこなしながら、日々が過ぎる。
・
休みたい。二ヶ月、休んでいない。
残業は平日だけを数えて月に15日くらいか。雑務をこなしていくと、夕方しか自分の本来の仕事が出来ないのだ。
正直、二三日休んでしまえばいいのだ。それはわかっている。
でも、部署が空になる。お客さんが来る。書類の提出が、委託業者への指示が、提携会社との付き合いが。
職場で便利屋になってしまった。嫌というわけではない。真綿で首を絞められる様に、いつの間にか疲労が蓄積していく。
・
・
ロトでも当たれば、一週間は休もう。それだけ。
正確には、駅のトイレには入ったものの間に合わずぶちまけてしまった。
トイレの中で俺の括約筋は最後の抵抗を見せたが便はそれを意に介さず
床とずり降ろしかけたスラックスに情け容赦のない一撃を加えたのだ。
うんこがついてしまったスラックスをトイレットペーパーで拭う。
しかし下半身裸でその場を出るわけにもいかずうんこくさいスラックスをはくしかなかった。
とにかく臭いをなんとかしたい。
その思いを強くして近くのコンビニに飛び込んだ。
他に代替できそうなものはなかった(パンツを買うという発想もその時はなかった、今思えば買えばよかったかもしれない)ので
スラックスを脱ぎ、念入りにスプレーをかける。
もしやと思ってまたもトイレットペーパーで拭ってみるがシミは取れない。シミの件は諦めるしかないのか。
臭いのほうはというとストロングミントの香りでうまいこと隠ぺいできている?ようではある。だが油断は禁物だ。
オフィスについて朝の雑務を少々こなしたのち、またトイレへ。臭いを確認するためだ。
一応うんこくささはないようだ。念のためさっきのスプレーを再度ふりまいておく。
いまもなおうんこのシミがついたスラックスでオフィスの席についてこれを書いている。
仕事らしい振る舞いはしているが隣の女の子にうんこのにおいが隠し切れず伝わってしまっているのではないかと
気が気ではないので仕事が手につかない。
とるものもとりあえずググっていたら先人が増田にいたので俺もここに書いてみるなむ。
大学の新入生向けのアドバイスはたくさんあるのに浪人生向けのものが少ないので
駿台での体験談を僕の在籍した御茶ノ水のスーパー東大理系クラスを中心に一年間に沿ってアドバイスを、需要あるかはわからんけどまとめてみる。
ちなみに僕は各種模試はうまくいって、早慶受かって、東大本番は失敗して、後期で某国立に受かった者です。
1 校舎決め
ただ自習室を求める人はどこでもいいと思う。しっかりとした授業を求めるなら首都圏なら御茶ノ水が無難。下のクラスでもいい講師がある程度揃うからね。
あとは通学時間と家計と相談。通学が1時間半以上かかるようだとオススメしない。
ちなみに駿台茶水スーパー東大理系クラスの紹介すると、一クラス当たり200人で上からSA,SB,SCの三つに分かれ、
SAの半分くらいが東大に受かって理3に受かる人もいる。SBからは数人受かって、SCからは滅多に受からん、それどころか東大受ける人も少ない。
SAでも半分しか受からんから、クラスが上でも浮かれない方がいい。
講師に関しては
現代文は霜先生は担当しないので注意。数学は大数の編集者など。物理の山本先生はSAのみ(そろそろ引退なさってるかも
各種講師の紹介は
http://www32.atwiki.jp/pchira/
の講師陣を参照に
どんな入学方法でも受けるテスト。これだけで前期のクラスが決まる。このテストの結果は公開されない。そして受験者大半がやる気ない。あまり気を抜くとSCに落ちるので注意。。
とか言うがSAとSCの学力差は余りにも激しいので正直SCになったら東大は諦めた方がいいと思う。英語で発音アクセントがでるからやっといた方がいい。
3 入学前
とにかく駿台の入学は遅い。友達が大学の入学式を迎える頃には自習を始めよう。
個人的には春季講習はおすすめしない。やる気的にも身になんない場合が多いし、今後の授業と被る内容が多い。
自習の内容は通常授業の教材が手に入ったら、ひたすらその予習でいい。それまでは授業についていけるよう抜けを埋めとくといいと思う。
◎自習
A自習室
開放自習室と専用自習室がある。専用のほうが締め切りで暑くて臭い気がする。
どちらかはお好みで。個人的に3号館なら開放の銀杏以外をおすすめする。部屋が開放されてない時もあるけどね
B自習内容
教材の予復習を中心に
駿台の授業で足りないと思うのは
•全体的に問題演習。特に英文は読む量が授業だけだと少ない。
4 入学
オリエンテーションを経て授業。最初の席の周りの人とは一年間を通してなにかと関わることが増えます。
ぼっちになりたくなきゃオリエンテーションで話しかけておきましょう。特に同じ高校の人が同じ校舎にいない場合ははどんどん周りに話しかけて行こう。
◎生活面に関して
春はは大学生のリア充話が鬱。気になる人はFacebookとかは見ないほうがいいかも。
夏はだれる。
冬はまだまだ学力に不安があるものの、早く入試が来て欲しいと思う。
これらが多くの人が通る道だと思う。
5 授業
一週間に一コマだけホームルームがある。ホームルームでは普通に計算演習とかするので出ても損はないと思う。
下のクラスほど沢山の授業を切りがち。あんま切らないことをお勧めするけど、切った人がみんな失敗してるわけでもないので何とも言えない。
一限寝坊するようになるとズルズル二限も寝坊するようになるので注意した方がいい(このパターンは後期に多い
6 各種模試
所詮模試です。判定も目安に過ぎないと受験を終えて気づくというのはよくあることです(僕もですが)
クラス落ちない程度に頑張ってください。SAの目安は1300点くらいと聞いたが真偽は定かではない。
7 各種講習
総じて講習が役に立つことは少ない(特に中だるみやすい夏期講習は)
講習の教材は予習復習が不十分ににりやすく消化不良になりやすいことと授業内容と被りがちなことが原因だろう
東大がつく講座は夏と冬でセットでとった方が内容がしっかり網羅できる場合が多い。
東大現代文はお勧めせず、直前東大現代プレの霜栄だけを取ることをお勧めする(これで現代文は網羅できる
どうしてもとりたい人気講座(現レボとか)があるなら友達にも頼んで何人かに抽選してもらって後にキャンセルするといい
座席はお金を振り込んだ順で講座期間中に席替えするのでどこがいいとも一概に言えない。座席表無視して適当なとこ座ると案外バレて注意される。
夏は講座をあんま取らなかったのに冬はいっぱいとったあなたは不安に駆り立てらている証拠だ
あと駿台の資料に出てくるの合格した人は講座をたくさんとった人ばっかだが、受かる人がみんな講座をとりまくってるわけではないぞ!
8 表彰式
成績優秀者には前期は夏休みの終わりに、後期はセンター後に表彰式がある。選考基準はよくわからん。
表彰状と景品がもらえ、えらい先生からありがたいお話がいただけます。山崎良子の面が拝めるのもこの時だけだろう。
特に優秀な人には奨学金が貰えます(全額免除ってわけではない)
僕の時は
後期は秋山仁先生がお話して、記念にはなるが使い道の全くないクリスタルの置物が貰えた。
9 センター試験
各自で受けます
駿台もセンター会場になったりします。ここで二浪が確定しないよう頑張ってください。
やっは受験終えて思うのは選択肢はいくらあってもいいので早慶は両方受けといた方がいいと思う。自信があるなら理科大とかは受けなくていいと思う。
だいたいの努力した人は合格点当たりの実力でウヨウヨするもので、結局最後は問題が自分にハマることが重要で、運要素は大きいと思う。
負け犬の遠吠えではないが、東大の合格点±20くらいの層は実力はあまり異ならないと思う。
合格した人はおめでとう。駿台3号館で大島先生のお話を聞きに行こう。
喜びすぎてFacebookとかで合格をアピールしないこと。さすがに印象悪い(みんないいねってしてくれるけどね
一方不合格した人は駿台の資料に出てこない不合格した人たちの気持ちを知るのであった。
あと駿台の資料で東大以外の大学の合格者資料は第一志望で受かったわけではない人の場合ということもよくある
13 後期国立
早慶受かってると別に後期対策はいいかな、てのはよくある話。本当に最後なんだし鞭打ってがんばれ、あんま人のこと言えないが
地方大を受ける人は、余力がなくともここで家探しをしておくことを勧める。
14 後期発表
受かってるといいね。どこの大学にしても後期の発表は寂れている気がする。地方大の人は急いで家探しに
15 合格報告
もちろん行くかどうか任意であるが、仲良くなったか別として担任は仕事ではあるが色々雑務をこなしてくれたのだからお礼に行くべきだと思う。
合格報告に行くと、Fランだと知らんが自分の進学する大学のサクセスボイスを書いてくれと頼まれる。あと写真撮影。
これらはどこに受かったとしても君が第一志望に受かったのかのようにあるべき校舎に貼られて行くのであった。
と一年間を振り返らせていただいたが、
浪人は第一志望に受からなくても、努力すれば其れ相応に人生において学べることも多いと思う。
僕の職場に、鬱病になり一年休み、復帰してきた人がいる。闘病して復帰してきた、それも精神病だから、みんな腫れ物を触るようにやさしくやさしく扱っている。病気っていうのは健康な僕にはわからない大変な苦労だと思う。復帰するのは、本人だけでなく家族や周囲の協力あっての大変な努力であり、すごいことだと思う。
だけど。僕はあまり同情したくない。その人(仮にAさん(男)とする)は態度がものすごく傍若無人なのだ。病人だったとは思えないほど元気なのだ。(Aさんのプライベートをしらないから、もしかしたら職場でだけ無理矢理明るく振る舞っているのかもしれないが。。)
僕はみんなのやさしい態度には疑問を感じていたけど、病気から復帰したなんて先輩に聞くまで知らなかった。話を聞けば、うちの会社は母体は大きいが一つ一つの部署の規模は小さく、また専門職のため移動ができず、狭い人間関係と忙しい仕事の中でストレスが溜まり病気になったとのことらしい。
Aさんは頭がいい。みんなが知ってる有名国立大学の院まででている。だけど、人の気持ちに鈍感なところがあって、人を傷つけるようなことを平気でズケズケ言うし、常に自分は一番偉いし間違っていないという感じ。イライラすれば書類を机にたたきつけたり、舌打ちしたり、ドアをガッシャーンと閉めたりする。
ミスをすればなぜミスをし、どういう気持ちで仕事に取り組んでいるのか小一時間問いつめるし、分からないことを聞きに行けば、こんな事も分からないのか、お前は何年目だと叱責する。予定を立てれば批判ばかりして、Aさんの意見を聞けばそうやってすぐ人に頼ろうとするとまた怒鳴られる。あんまりにも理不尽だ、おかしい、とちょっとでも反発しようもんなら、100倍返しでまた怒鳴られる。(ちなみにこれは全部社員から見える場所で行われる)
僕は新入社員だから、何を言われても仕方がないと諦め、どんなひどいことを言われても黙って耐えてきた。だけどAさんは、新入社員のみならず、たとえ上司であろうと社内の人全員にそう言う態度をとる。本人は自分が地雷をドカドカ踏んでいることは気が付いている。しかし病気だった自分に怒るはずがない・意見を言うはずがない・高学歴の自分を切る訳がない。という自負がとっっても見える。
みんな、すっっっっっごいイライラしてる。だけど言えない、「病気だった」から。Aさんは、人から何か言われることに耐性がないから、言ったらすぐまた「病気」になってしまう。以前上司がどうでもいい雑務でAさんに注意したとき、Aさんは顔を真っ赤にして怒りながらたばこを吸いに行き、次の日には体の調子がおかしい・病気が上司のせいで再発したと怒鳴り散らして病院に行ってしまった。それにAさんはちょっとした風邪や、ただ転んですりむいても「鬱病のときみたいに大事になったら大変だ」とすぐ病院に行ってしまう。仕事を投げ出して。
僕はAさんに怒りしか覚えない。仕事ができるからと言って、周囲の人のストレスを考慮せず首を切らない会社にも腹が立つ。結局自分が悪役になりたくないから上司は彼を注意しない。僕がこんなに腹が立つのはAさんが病気になったところを知らないせいだ、復帰したのはすごい努力のたまもの、尊敬すべきことだ、Aさんは先輩だし仕事はとてもできるのだからすこしの言い方ぐらい目をつむろう。と毎日呪文のように言い聞かせているのだけれど、もう我慢の限界だ。Aさんは病気だったという事実を振りかざして、周囲の人を攻撃し怯えさせることで自分の身を守り、ぬくぬくした環境で生きているようにしか感じられない。
せめて自分が傷つきやすいのなら、どうして他の人に優しくできないのか。自分の痛みには必要以上に敏感なのに、どうして人の痛みに無関心でいられるのか。言われて嫌なことをわざわざ言って、言われたその人がどういう気持ちになるのかどうして想像できないのか。ものすごく周りに気をつかえとか、言葉遣い全て直せとか言っているわけではない。ほんのすこしの配慮でいい、考えればわかることだ。
これは病気のせいなんかじゃない、人が生きていく上で最低限持つべき思いやりだ。これができないのなら、社会になどでてこないで、自宅でひとり引きこもっていればいい。死ぬまで自分が一番だと思ってろ。(まあ、Aさんは奥さんも子供もいるのだが…)
いつまでもかわいい対象が自分だけで、他の人には無関心なまま自分を守り続けているようじゃ、永遠にあの人の病気は治らない。はやくあの人をクビにしないと、このままじゃ僕を含め周りの人の方がはやいところ病気になってしまう。
やっと3カ月が過ぎ正社員にしてもらったのに、途端にやめさせて下さいと言うなんて非常識にも程があるけど、辛い。
本当はデザインの仕事に就きたいと考えていたけど、今の会社の業務も興味があるのもだったのと、
もう何社か落ちている自分を、雇ってくれるという言葉が本当に嬉しくて、頑張ろうと決めた。
社長は営業でほぼおらず、もし社長がいたとしても制作内容についてはまったく分からないそうで、
指導は先輩にして頂いている。
ここで私は自分がどれだけ仕事出来ないクズ人間なのか気付かされた。
まず、未経験とは言ってあったけど、先輩にまではその情報が言っていなかったのか、
ある程度受けた説明がまったく理解出来なかった。
まずこれは、どういう意味なのかを尋ねると、思いっきりドン引きされ、信じられない!という顔をされた。
元からビビリのチキンである私は、まずいこと聞いた!やらかした!初日からおわた!と焦りまくる。
結局先輩は丁寧に教えてくれたけど、とにかく恐ろしかった。
なんでこんなこともわからないんだ、という気持ちがにじみ出ている口調で、申し訳なさと恐怖で初日から完全に委縮してしまった。
それでも分からないことばかり出てくる。ので聞かないと作業が進まない。
また時間を取らせてしまう申し訳なさと恐怖を持ちながら聞く。こわい。
またわからん。何を言ってるのかさっぱりわからん。そして超こわい。
ある程度はネットで調べてと言われたので、調べる。
本も貸して頂き、数日その本を読んだり実践したりして、なんとなく基礎の基礎の基礎位は理解することが出来た、と思っていた。
このままじゃ精神的にお互い疲れるだろうし、と思い必死でネットを彷徨い、あまり聞かずに作業する事を目標にした。
ある制作を一人で作り終えた所で、チェックをして頂いた。すさまじくボロクソに言われる。ゲロ吐きそうだった。
いや、普通の注意なのかもしれないけど、必死こいて正解もわからず作ってしまったため
「どこが悪いのか」という問題点をチェックして頂きたかった自分には
「完璧に完成させて、問題がない」と思ったらチェックしてもらうのが常識だ、という言葉に衝撃を受けた。
そうなのか、知らなかった…なんてこった…と思いつつ、
一か月もたたない人間が、完璧にすることなんて無理なんじゃないか、出来るのか、いや私には無理!という気持ちもあった。
完成だと思う前に聞けば良いんだろうけど、まず私はどこが悪いのかすら分からなかった。
聞けば良い場所を理解出来なかった。
本を読んだりネットで調べたりだのは所詮付け焼刃でしかなく、自分はなんて頭が悪いんだ、と思った。
そういう事は、三か月も経てばすこしはマシになるだろうと信じて、ゲロ吐きそうになりながら毎日を過ごした。
社会の常識みたいなものが分からなかった。雑務や事務作業が出来なかった。
親に甘やかされ、前の会社では与えられた作業をもくもくとこなしていただけだった。
いつまでに終わるか、と尋ねられ、頭が真っ白になった。
今日の作業で、どの位進むかすらわからない上に終わりの時間を答えられるはずがなかった。私の中では。
何度か業務をこなせば分かるようになるかもしれない。
でも今の私には分からなかった。答えられない。
言葉に詰まる私に、黙ってちゃ分からない、と怒る先輩。そして説教。
何か言いたいけど、言葉が出てこない。
今までこんな風に怒られた事がなかった自分の弱小メンタルがぐしゃぐしゃに踏みつぶされる。
なぜ何度も注意されるのか、理由考えろと言われても理解が出来なかった。
チェックして頂いて、注意を受ける。注意を受けた所を、またミスして注意される。
先輩は本当に腹が立っているに違いない。本当に申し訳ない。
自分なりに考えても、正解までたどり着けなかった。
考えたくても、もう何が間違ってるのかを考える余裕がなくなっていた。
仕事が終わらなくて、ゴールに向かってがむしゃらに走って、履いてた靴脱げて落っことしちゃった状態。
注意されるとハッと気付いて思い出す。
メモを取るけど、活用出来ていない。
メモを取って見返してない自覚がなかった。そうだったのか。アホすぎる…と思った。
思ったから、机が付箋まみれになった。
見にくくないのかと言われ、邪魔で仕方ないと思いつつ、書かないと忘れるので…覚えてられないので、と言ったら呆れられたように感じる反応。こわい。
メモ取らないで良い!と言われた。
先輩から頂く忠告すら忘れそうで怖いのでメモに取っていたら、そんなこと書かなくても覚えていられる、と注意された。
でも私には無理なんだ、覚えていられないんだ、頭が爆発しそうなくらい混乱していて後半しかまともに覚えていられないんだ!
と思いつつ、怒られそうなタイミングのメモは取るのをやめ、話がひと段落ついた後にこっそりメモを書きだすようにした。
事務作業や一般常識もない。
自分は自分なりに持っていたつもりだった。でも足りないと言われたなら、足りないんだろうと思い業務を通して身につけていきます、と答えた。
後日、注意を受けている時にその話が出た。業務を通して身につけるとか、何言ってんだと思ったと言われた。
電話もろくすっぽ取れなかったので、新卒と変わらない、と言われた。
全部その通りだ。何も成長していないままここまで来てしまった自分が悪い。
とにかく先輩が怖かった。
良い人で、仕事も完璧だし、頭も良いし、観察眼に優れていて、スタイルも良いし、正直尊敬している。
でも怖い。注意させているのは自分なのに、どうしてそんな言い方で注意されなきゃならないんだ…と泣きたくなる糞甘ったれ。
実際毎日トイレで泣いたり帰路で泣いたり風呂で泣いたり寝る前に泣いたり、
この数カ月と赤ちゃん時代は、同じ位泣いてるんじゃないかってくらいバウバウ泣いている。
わかりました→本当に分かってるの?
●●は○○ですよね…?→は?本気で言ってるの?
■■します→本当にやるの?全部薄っぺられに聞こえるけど。
とか言われ続けるんだけど、私がどんだけダメダメのクズなのかよくわかる応答だと、書きながら思った。
ハイ、すらも満足に言えなくて、怖くて、黙って頷くだけになることが増えた。
もうなんか何言っても全部否定されるのが辛い。
時間がないのも辛い。先月も今月も残業が50時間オーバーしたらしく注意受けた。
それでも今の自分は時間内に作業を終わらせられる自信がなかった。
体力面でも精神面でも、もう辛くて、なんでもないのに涙が出てくる。
親は、私が毎日泣いてるのを見て、そんな会社辞めてゆっくり休みな、向いてないんだよ。先輩と合わなくて辛いなら、辞めても構わないよ。と言ってくれる。
甘やかされてるな、と思いつつ、優しい言葉にさらに泣いてしまう。
社長はとても良い人だった。この人の下で働きたいと思えた。
辞めたいんです、と相談をしたのが今月頭と昨日。
もったいないよ。実力はついてきてるよ。成長してるよ。と言われると、もう少し頑張ろうと思える。
今月の頭に、辞めたい、ダメだもう頑張れない、と思ったきっかけの、先輩の一言が
「頑張ってないんじゃないの?」だった。
口先だけで、頑張ってるように見えないと言われた。
自分の中では、ついていこうと必死でもがいてた。辛かったけど、使える人間になれるように、頑張ってた気でいた。
全部頑張ってる「つもり」だったんだと思うと、後頭部がぐっと痛くなって、破裂するんじゃないかと思った。
辞めていいよ、って言われて、本当に自分は辞めたいのかわからなくて、
社長に相談して、出来るようになってきてる、頼りにしてると言ってもらえて、このまま辞めていいのか決められなかった。
全否定され続け、自分の価値や自信がぐしゃぐしゃになってしまい、このままだと立ち上がれなくなりそうで怖かった。
今週辞めるか続けるかの答えを出さなきゃなんだけど、まだ答えが出ないまま。
続けたいけど、この先考えて続ける自信がないなら、逆に迷惑だから今のうちに辞めるべきなんだよなぁ。
悩みを吐き出したら答えが出るかと思ったけど、答えが出せないままだった。残念だ。
うちは某メーカーなんだけどちょっとしたリストラがあってたくさんの方が退職した。
これによる弊害、端的に言うと「いなくなった人の仕事どうすんだ」っていう問題がこれからぼこぼこ出てくると思う。
というかもう既に出てきている。
おそらく本当にできない仕事というのが出てきて、それは圧縮されるのか省略されるのか分からないけれど、それなりに削減されるのだろうと思う。
ただ、感覚的で言うと例えば辞めた人がやっていた仕事が全体の仕事量の20%だとして、削減される仕事量は3%とかそれぐらいだと思う。
つまり大半は今いる人員に割り振られることになる。それなりの立場の人は「そんなことねえよ」って思ってるんだろうけれど、そういう上長は下の人間に雑務が降りかかってきてとんでもなくモチベーションが下がっているだろうことを想像できていないから仕事を削減できないし、残業させないようなマネージメントができない。ブラック企業の始まりですね。
人が減ってるんだからそれだけ売上も下がるわけで、細かいところは切り捨てるべきだと思うのだけれど、なかなかそれを認めてくれない部署だと大変なことになるなと思う。
具体的に年間で数百万しか売れない商品を営業かける必要ないと思う。ナリで売れる物だったらてきとうに問屋に流して放置すればいい。
そのために細かいライセンスの交渉したり、営業資料作って売り込むのって完全に無駄な作業だと思うし、それやっていくといくら残業したって追いつかない。
でも、じゃあこの商品は完全に捨てましょう、うちの部署としてはこの商品で作る売上ナシっていう話になると上長は全然納得しないのね。
たぶん売上ナシって目立つからいろんなところから突っ込まれるのを恐れて体裁を取り繕いたいんだろうって思う。
そのために下っ端がいろいろ動くはめになる。上長に「この仕事やらない」って説得するための資料作っちゃたりして、仕事がどんどん内向きになっていく。
これまでウン年間この会社を見てきて、上にあがっていく人にある傾向が見えてきた。
もちろん仕事ができる人があがっていく事例もあるが、昇進していく人の一定数はあまり周りが見えていない善人だ。
そこにたまたまヒット商品とか上司との相性なんかがのっかるとがんがんあがっていく。
大真面目な顔で「会社がこんなときだからこそ全員がもてる力以上のものを発揮しよう」なんてほざいている。
そんなの無理だろ。
結論からいうと、教授などのポストについてはいないけれど分かりやすく説明ができる人に、授業をさせたり教科書を書いたりさせていいのではないかということ。
おおまかに教科書を執筆するまでの流れとして、「名を成す→執筆依頼→出版」となっている思う。ここで教科書執筆という「教育」活動の前にはその分野で成果を上げるという「研究」活動が前提となっている(これは無論悪いことではないが。)
事実、教科書のほとんどは偉い教授によって書かれている(気がする)
反対の例として受験業界を見てみれば、その分野を最前線で「研究」している人はごく少なくて、もっぱら「教育」をしている。業界自体の規模が大きいのも手伝い、それこそ理解しやすく程度も高い名著な参考書も数多く出版されている。
大学レベルの古典的な名著をハナから読みこなせるに越したことはないが、いきなりそれは難しい。しかもそもそもどれが名著なのかという情報さえ、同級生に物理オリンピックメダリストなどのスーパー同級生がいないとなかなか入ってこない。(この点において東大は恵まれている。)
これらをまとめて紹介するだけでも、理系一年生の必読書が書けると思うのだが。
いまのところ大学生に寄り添った出版社としては、マ〇マのような小ばかにしたようなレベルのところしか知らない。(そしてこれを必要とする層はまた話が違う気がする)
以上で結局何が言いたかったかって、「教育」機関としての大学、とりわけ型を学ぶ学部12年生の勉強に関しては、わざわざ「研究」を本業にする教授の手を煩わすまでもないんじゃないかということ。
それらの授業と教科書作成は専門の教員なり出版社がやれば、もっと学習効率の良い授業ないし教科書ができると思う。
雑務と授業に追われて研究が圧迫される教授の話を聞くたびに、もっと分業のやりようがあるのではないかと妄想してしまう。
ある意味で勉強体力のある「タフな」大学生のふるいとして機能しているわけだが、学部12年の基礎くらいはがっつり身につけてもらっても罰は当たるまい。
おわり。
博士課程の学生が高専助教および大学助教に応募・受験した記録について書く。
この手の情報は少ないので、誰かの役に立てばと思う。
最初に応募し、最終的に内定をいただいたので、内定を承諾した。
博士号未取得の者は3年の任期付きだが、博士号を取得すれば任期は解消される。
高専助教なので、授業はもちろん、クラブ活動や学生寮の指導、学校運営にも関わることになる。
面接内容は以下の通り。
面接では、この手の応募では珍しく、面接の受験者全員(筆者を含めて3名)が同じ時間に招集された。
ライバル達と待合室で顔を合わせることになり、緊張感があった。
余談だが、スライドを印刷した資料を筆者だけが持参しておらず、この時点で「終わった」と思った。
しかし、結果的には内定をいただけたので、諦めないことが重要であると思う。
もしかすると、書類審査の時点である程度決まっていたのかもしれないが。
二番目に応募し、内定をいただいたが、辞退した。
任期は3年で、再任はない。いわゆる情報基盤センターの勤務であり、センターの業務にかなり関わることになる。
面接内容は以下の通り。
いわゆる普通の就活でも同じことだと思うが、基本的には、応募先のことをよく調べ、相手の求める人材像を意識するようにした。
応募書類には、その人材像に対し、自分はこういう経験・実績があり、従ってこれだけ貢献できる、という論調を貫いた。
面接では、話す内容も重要だが、自信を持って、落ち着いてはっきりと話すよう心がけた。
思うに、現場を知らない新卒に、大それた意見や構想はそこまで求められていない。
自分は若造なりにこう思っているが、実際の現場ではいろいろな制限があると思うので、貴学の先生方と一緒に考えていきたい、という論調を心がけた。
基本的には「総合領域 - 情報学」の分野で探したが、時々は他分野もチェックするようにした。
たとえば、先の高専助教の求人は情報学ではなく「工学 - 全て」であった。
幸いにも2つ内定をいただけたのだが、どちらを辞退するか相当迷った。
結局、自分が今後、研究と教育をどういうバランスでやっていきたくて、それにはどちらが向いているか?を客観的に考えて決めた。
また、それぞれの現職や前任者が、実際にどれだけの研究実績と教育実績を積んで、どういうキャリアパスを描いているか?を徹底的に調べた。
さらに、親しい先生方には可能な限り相談に乗ってもらった。実際に教員をされている先生方の意見は本当に参考になる。一生の問題なので、どんどん相談するのが良いと思う。
選択には必ず後悔が伴うので、客観的な事実や意見を並べるだけ並べたら、最後は心の声に従うしかないのだろう。
これらの記事はとても参考になった。
以上。何か思い出したら、また追記するかもしれない。
叫ばせてください。
「研究者」として生きていくのは、いい。自分の好きなことだからがんばれるし、ほぼ実力主義の世界だから男女差別もあまり感じることはない。いわゆるガラスの天井の問題も研究の世界では少なくなってきていると思う。でもそれは常に競争の中を生き残っていかなければならないということでもある。
ここで研究者の人生についてもう一度考えてみたい。高校卒業後、大学進学、研究室に入って学部卒。ここで22歳としよう。まだぺーぺーだ。修士課程の二年間で研究者としての資質を見極められ、認められた場合は博士課程へ。ここで24歳。そしてそれから短くて3年間、文系だと大体5~6年かけて博士号取得。ここには3年で博士号をとれる理系はポスドクで留学、文系は留学してから博士号、という違いがありそうだけれど、いずれにせよ博士号取得&留学で通算5~6年かかるという計算だ。つまりなんとかして研究者の「免許」をとったところで、だいたい三十路前後。
三十路にさしかかった研究者の卵はこれから数年間で、バイトなりポスドクなりしながら、研究の業績を積み、非常勤講師をしながら教育の実績を上げ、一年に一回あればラッキーなアカデミックポストの募集に応募を続けることになる。もちろんその募集には他の優秀な研究者たちが100人単位で応募してくるし選考の条件もさまざまなので、最終的には実力だけじゃなくて運だ。2、3年でアカデミックポストにつけた人は超ラッキー。5,6年以内に常勤の職を見つけられればいいな~というところ。そうすうると30代半ばになる。100人単位の応募者蹴落としてやっと大学の講師になれました。大学側も教員のポスト減らされて困っている時に待望の若手の登場です。雑用、教育、研究に八面六臂の活躍を期待されるわけね。
そうやって仕事がんばって数年がすぎたときふと気づけば、出産のリミットを超えてしまっている。
ものすごく頑張ればこの人生の中でも出産ってできると思う。でも、周りを見てると同年代か少し上で結婚・出産に至っている人は、博士課程かポスドクの時点でキャリアから降りてる。もっと上の世代になると「結婚すべし」「出産すべし」っていう価値観というか社会的プレッシャーがあったから、女性研究者でも子供をもっている人は多い。でもね、話を聞くと壮絶なのね。「女」ということで表立って差別はしないかわりに「母親」ということで差別する。出産したことそのものを隠し通した人もいたとか。
そうやって上の世代ががんばってきたから、我々の世代が男女間のギャップを感じないで研究に打ち込めるっていうのはわかっている。だから研究を口実に結婚出産をしないということに申し訳ない気持ちにもなる。ただ一方で言えることは、上の世代は今よりずっと就職しやすかったということだ。昔は博士号もとらないでよかったし、キャリアが若干出産で遅れても、十分アカデミックポストを見つけることができた。あるいは定職についてもまだ若かったから、仕事が落ち着いてから出産することも可能だった。でも今はそうじゃない。博士号とって研究業績の本数(質じゃなくて)を積み上げないと、スタートラインにすら立てない。言ってみれば「研究者の修業期間」が昔と比べ物にならないくらい長くなっている。それを普通にこなしているだけで、出産リミットはオーバーだ。
博士課程からポスドクにかけてはいろいろな意味で不安定だ。金銭的な面でもそうだし、明日どこで何をしているかもわからない。ポストがあればどこにでもいく、というスタンスでないと就職は難しい。僻地の、小さな大学の任期付講師の職にすら、応募者が殺到する時代だ。「定職ありません」「どこに住むことになるか分かりません」「いつ就職できるかもわかりません」この状態で結婚できるだろうか。いや、できまい。結婚どころか恋人をつくるのも難しい。ただでさえ高学歴(学校歴のほう)で敬遠されるのに。
それでも男性はいいなと思う。30歳代なかばから40歳代にかけてアカポスについたころに結婚して子供持っていいパパになれる。産休とる必要ないしね。出産の予定があるとか、小さな子供がいるということが採用の妨げになることもないし。
でも女性は? まず20歳代後半から30歳代前半にかけての「産みどき」にワープア状態になる。このときに結婚していまどきめずらしい専業主婦しながら研究続ける、といっても実際この激しい競争のなかでそういう人はふるい落とされて消えていく。じゃあアカデミックポストについたときに出産できるかっていったら、それも普通の心臓のひとには難しい。上にも書いたみたいに、待望の若手として研究室の期待と雑務を一身に背負っているのに、就職して1-2年で「じゃあ、産休、育休とりますんでよろしく♪」と言えるだろうか。(言える人もいるらしいよ。そしてそのせいで、その後のアカポス募集のときに女性応募者が敬遠されることに… 大学講師の採用面接で「出産の予定は?」と聞くとかアカハラも甚だしいんだけど、それだけ大学側も厳しい状況にあるということのあらわれでもある)
まとめ
1.「私、研究するから職に就くまで養ってね♡収入ないけど忙しいから、家事育児協力してね。遠距離別居婚になるかもだけど我慢してね」と夫に言える
2.アカポスについた時点ですぐに仕事投げ出して産休とって出産できる
このどちらかができるくらい心臓に毛が生えてないと、女性研究者が結婚というか出産するのは難しい。
なんとか出産に辿りつけたとしてもただでさえ忙しい仕事こなしながら子育てしていくのは難しそうだな~と思う。子供は大好きだし本当に欲しかったけど、自分はたぶん無理だ。それは研究がそれだけ大事だ、ということなので単に自分のわがままなんだと思う。私は研究を犠牲にしてまで子供を持つことはできないということだ。研究者仲間の男性がその両方をやすやすと手に入れていくのをみると、少し悔しいというか悲しい気持ちになるけど。
出産、育児して社会に貢献できなくてごめんなさい。そのかわり一生研究がんばります、教育もがんばります。そういう形で社会に貢献していこうと思うので、子供産めなくても許してください。一応の「研究者」になるまでにどれだけの支援を大学や国や諸々の機関から受けてきたかということを考えると、自分が研究を捨てて家庭を持つということはモラルとして許されない気もするのです……
以上、女性高学歴ワープアの苦悩をお伝えしました。そんなこと言ってないでとっとと論文書けよ、明日の飯もおぼつかないぞ、という悪魔だか天使だかの声が聞こえてきたのでここで筆を置かせていただきます。
フラれた理由を聞いてみると「なんとなくしっくりこない」である。なにそのフワフワした理由。
仕事がクソ忙しい時期にまるで手がつかず有休使って丸一日ボーっとしたり、
酒飲みながら友人に一晩中愚痴ってみたりもした。
というわけでいつまでも腐っていてもしょうがないし、ダメだったところ直して、さっさと次へ行こう、である。
といったあたりが、直接の原因だったのかどうかはともかく改善の余地ありと踏んだ。
まず会話に関する本やウェブサイトをいくつか読みかじり、人と雑談する機会を意識的に増やした。
自分の姿勢と表情に気を配るようにした。相手を観察し、挙動や表情を相手に合わせてみる練習をした。
相手が気持よく話せるように、相槌をうったり、相手の言葉を繰り返してみたり、
普段のちょっとした出来事なんかを、持ちネタとして話せるように整理したりした。
そういう努力が報われるかはわかんないけれど、日頃から意識はしておきたいと思う。
いまだに自分はコミュ力には全く自信がないし友達も少ないながらも、少しずつ会話の舵取りを学んでいきたい。
次に、骨の髄まで身についてしまった優柔不断をなんとかしようと思った。
休日ダラダラとネットなんか見つつ過ごして、気づいたら何もしないまま一日を終えた経験なんか腐るほどある。
そういう「何も考えない時間」を過ごすうちに、僕の決断力と行動力は蒸発し霧散してしまったようなのだ。
仕事では意思決定は常に誰かえらい人が行い、自分はそれに乗っかって手を動かすだけ。
遊びにしても友人から誘われることはあっても自分から誘わないクズやろうである。
ちょっとこれは、なんというか人としてマズイのではないか・・・というレベルであった。
というわけで「今すぐ決めて、今すぐ行動する」ことを徹底することにした。
何も考えずにボーっとする時間を作らないことに決めたのだ。
まず早起きができるようになった。要は気の持ちようである。コツなどない。
夜「今寝るべき」と判断して、寝る前の雑務(食器洗ったり歯磨きしたり)をさっさと片付けて布団に入り、
朝「今起きる」と決断して、布団から出ればいいのだ。ほんとうにそれだけのことなのだ。
無意識に目覚ましを止めてしまわない程度の理性があればできる。
次に遅刻しないようになった。時間ギリギリまで家でボーっとするフェーズが無くなったからだ。
出発時間を決めて、必要な物を準備して、余裕をもって家を出る。
大人ならできて当たり前のことができるようになった。
思えば初めて彼女を部屋に呼んだときも、数年間全然片付かなかった汚部屋が、
前日に奮起してからは数時間で見られるレベルになったのだった。
いつだってそうだ。大事なのは何をすべきか決める力とそれを即実行に移す力だ。
なんだかんだで少しは成長できた感があるので、今更ながら恋愛と失恋を経験できて良かったと思う。
次はうまくやれればいいな。当分ありそうもないけれど。
( 追伸 - 2013/01/22 )
人一倍世間体を気にする実父が早期退職の道を選んで流浪の民に→結果、派遣労働者に。雑務担当の。
→そのストレスからか家族にかなり当り散らしていた。陰湿な感じで。
妹が結婚が駄目になり精神的に病んだ(父の常軌を逸した心配の仕方が追い込んだといってもおかしくない)→自殺未遂
→母から電話があり病院にかけつけた。父はこず。後日病院に行っても医師に何も聞けず。
バカ正直にこうした事情を説明した上で病院に駆けつけた結果…私は、社内ニート状態に追い込まれた。
退院後も、周期的に殺すか殺されるかの勢いで暴れまわったり(近隣の人に警察を呼ばれなかったのは奇跡だと思う)ようやく落ち着いて仕事に戻ったと思ったら実父が仕事で帰りの遅い妹を責め立てる(帰宅が遅いのがおかしいと。寄り道もするなということらしい)
こんな状況が続いていたので…それを言い訳に使っているのかもしれないが、こんな状況で泊りがけの社員旅行になんていけるはずが無いので、いかにもうそ臭い理由をつけて旅行には不参加。今時、社員旅行に参加しないのはおかしいという会社なので、より社内ニート状態に追い込まれる。
そうした状況に追い込まれていることも露知らず、実父と妹は言いたい放題やりたい放題やらかしてますよ。
自分の状況を言えばいいじゃんって?
「恩着せがましいことをいうのか」と言い出すか、
「意味がわからない」「理屈をごねるな」と言い出すので言わないだけです。
生まれ育った環境は関係ないって言うけれども、関係ない事は無いよ。
人生に成功を収めたとしても、生まれ育った環境が必ずネックになる時がある。
実体験からそう思うだけ。仕事がそれなりにやれていないと、人生にも影響が出てくるよ。
それも甘えかね…それも甘えなら好き勝手に言いたい放題やりたい放題やっている連中はなんなんだよ
「僕は…ダメだ。ダメなんですよ…。ヒトを傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗る資格ないんだ。
僕はエヴァにのるしかないと思ってた。でもそんなのごまかしだ。
何もわかってない僕にはエヴァに乗る価値もない。僕にはヒトの為にできる事なんてなにもないんだ。
やさしさなんかかけらもない、ずるくて臆病なだけだ。
僕にはヒトを傷つけることしかできないんだ。
だったら何もしない方がいい!」
ヒトを傷つけたわけじゃないけど、自分がアクションを起こすことで大騒ぎが起きるのなら何もしない方がいい。
あの連中のおかげで人生が狂った…そんな考えに陥ってしまう。これじゃもしまた事件が起きた時、あの時と同じように疑われるよね。世間様に。もちろん悪さをするつもりは無い。こんな連中の為にもう人生をおかしくしたくない。でも、また何か起きたらまた疑われるんだろうね。僕は。
それをこのキチガイたちはわかってない。それが悔しい。