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はてなキーワード: 謝罪文とは

2021-07-21

anond:20210721013325

悪魔の証明とか言ってごまかすなよ。

わたしは原文を読まずに拡散されている過激テキストだけ見て怒り狂ってます、許せないんです、って正直に言えばいいじゃん。

しか当事者たちが話さない限り真実はわからないよ?

ただ、小山田謝罪文の中で、

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、」と答えている点、

ロキノンクイックジャパン記事中で言ってることが食い違っている点

ロキノンでは「自分アイディア」と言っているが、クイックジャパンでは先輩がやっていて「ヤバい」と語ってるし、ウンコ食わせる描写はどこにも出てこない)

を考えると、ロキノン編集サイドが過激さを演出するためにネタ的に盛っている可能だって否定できないよね?なんでここを都合よくスルーするんだよ。

もし仮にウンコ食わせた事実があるのなら、いじめを詳細に語っているクイックジャパンでそのエピソードが語られていないはおかしいのだけど?

あんたらが求めているとっておきの鬼畜の部分なんだからさ。

少なくとも、クイックジャパンを読んだ限りにおいては、小山田障害者ウンコ食わせてオナニーさせてその上でバックドロップはしていない。

怒り狂う前に、事実なのかを本人たちに徹底的に追求するべきだろ。

あん事実確認もできていないネタみたいなセリフだけでよくここまで炎上させて、正義マンもいいところだよ。

2021-07-20

anond:20210720224953

冒頭のセリフしか出てこないか編集者サイドによる過剰演出可能性がある。

本人が謝罪文で「誤った内容や誇張」と言ってたのそこかもね。

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

2021-07-19

辞任に反対した組織委員は誰?

オリンピック組織委員の誰かが「今辞任させる必要ある?謝罪文だけで十分じゃない?」みたいな事を言ってたようだが、組織委員会はこの人物公表すべきでは?

かにこのタイミング!?って感じではあるものの、政府と戦える発言力を持つ人物っぽいし、これがもし教育に関わってる人物だと余計マズイだろ

とにかく発言気をつけてくれや…ホント

小山田圭吾氏に対する社会的制裁は見ていてキツかった

自分小山田氏の音楽についてはフリッパーズギターの頃から聴いているファンだ。

ファンとはいえ音楽を聴いているだけで、彼の人間性などはあまり知らないし

障がいのある方への虐待行為に関しても、今回の件で認識した。

もしくは以前炎上した時に見かけたかもしれないが記憶には残ってなかった。

今回の件に関して明らかな人選ミスだと思うが、辞任するのはスケジュール的に難しいだろうからクレジットから名前を消すなどの対応になるのかと思っていた。

結果的に辞任するということになったが、本人が決めたことなので特に感想はない。

彼が行ったとされる行為醜悪もので、許されることではないと自分も思う。

彼の謝罪文にも許しを乞うことは書いてなかったので、読んだ人が許さなければならない理由もない。

ただ今回の件でキツかったのは、小山田氏に対する暴言を多く見てしまたことだ。

自分ツイッターフォローしている、顔も知っているような人たちが

彼に対して敬称もつけずに批判とも暴言ともとれるような、建設的な意見には見えないものを多くみてしまった。

人の尊厳を踏み躙った過去があり、それに対して謝罪をしてこなかった人間であるというのは事実だが

そうであればその人物尊厳は踏み躙ってもいいのだろうか?

であれば彼の尊厳を踏み躙った人たちの尊厳もまた同様に踏み躙ってもいいのだろうか?

自分も今まで気づかないうちに同じようなことをしていたのかもしれないと気づいて、とても怖くなった。

小山田圭吾と"正義の拳"

私はコーネリアスこと小山田圭吾熱狂的なファンだ。中学生の時、たまたまフリッパーズギターの「シングルス」を手に取ってからそれからずっと小山田圭吾が好きだ。彼の曲も、佇まいも、ファッションも、生き様も、ずっと尊敬し、参考にしてきた。ツアーも幾度となく参加した。好きすぎてメールアドレスにもしていたし、待ち受けも「POINT」のアー写だった。

もちろん今回の大炎上元ネタになっているQJも知っている。というか、15年以上前に件の記事を知って、本当にこんなこと書いてるのか?とあちこち古本屋を巡って手に入れた。現物実家の棚にある。

そんな彼が東京オリンピックという"失敗が約束された"イベント音楽担当すると聴いた時は心躍った。ようやくオリンピックを(一部だけでも)肯定することが出来る!見るという動機が出来る!と、とても嬉しく思った。

彼のイジメについての記事2chの古くからコピペとしても存在していた。彼のスレッドが立つたびに連投され、また、いじめについてのスレッドが立つたびに書き込まれていた。誰の執念かは知らないが、そんな書き込みが広がるにつれ、「ウンコーネリアス」と呼ばれていたことも知っている。熱心なアンチの賜物。しかし、そんな揶揄など、まだ可愛いものだった。

東京オリンピックの「失敗」を心のどこかで願う人々が、政治家運営者ではなく、彼を次のターゲットにした。そして、火がついた。

このオリンピックをどうにかして失敗させたい人、イジメに対してどうしても許せない感情を持つ人、コーネリアスアンチ運営に女がいないと叫ぶフェミニスト菅政権反対派、反自民自分が参加予定のイベントが潰された人達自称人権派の方々、話題に乗っかりたいだけのご意見発信人、ガヤツイッタラーストレス発散したいだけの暇人などなど、SNSの標的が彼になった。色々な理由を付け、「イジメ反対」という大義名分を掲げると、1番叩きやすいのが小山田圭吾だった。

私は、ネット上で燃え盛っていく炎を見て「なぜ?」と思った。なぜ彼が40年も前に行ったイジメでこんなに叩かれなければならないのか。贖罪をしてない、謝ってない、気分が悪い、嫌な気持ちになった、という意見散見された。いやいや一体何様のつもりなんだ?と。知る必要もない情報を得て勝手に嫌な気分になる。嫌な気分になったらその当人匿名で叩く。いじめられた当人でもなく、その場にいたわけでもなく、30年前に雑誌に語った40年前のいじめの話をぶり返され、人格否定され、そして作品をも否定される。

叩いてる人達がやっていることは彼が過去個人に行ったイジメ以上のリンチだ。

謝罪文を載せると「辞任しろ」の嵐。謝っても許されないSNSリンチ。「イジメ反対」という大義名分を盾にしていとも簡単に行われるハラスメントの数々。海外メディアへのチクリ。

日本中の人々が叩いてる相手は、ただ1人の日本人だよ。ただ1人のアーティストだ。正論論破は1番簡単暴力だと誰も気付かず、いや、気付いてないフリをして自分意見を通すために叩き続けた。正義感という名の拳で何万という人達が1人の男を殴り続けた。

そして先ほど、小山田圭吾オリンピック音楽担当を辞任した。

良かったね。

もう誰も正直に生きることの出来ない世の中が、オリンピックの後に待っているよ

ペライチの謝罪文により、反省している、これまでに貢献がある、(更迭しても作り直す時間がない)、などなど、様々な理由をつけて続投させるのと

「彼の行為オリパラにふさわしくない、作り直す時間は無いので音楽なしで行う」と表明すること

どちらが日本評価に繋がるかは明らかだと思うんだよね

後者であれば日本イジメという名の犯罪行為絶対に認めない安心安全な国を目指すという強烈なメッセージ世界に放つことになると思うが

組織委は何のため誰のために続投という判断をしているんだろう

更迭は起用決定者のミスということになるから起用決定者に迷惑がかかるということなのかな

anond:20210719090508

https://twitter.com/kiyohara3_5_114

清原Twitter見てきたけど、泣けた。

今でも薬物依存症に苦しみながら、自分の弱さを認めてそれを詳らかに開示しながら乗り越えようとしている。

時には彼を逮捕し取調べをした刑事を縋ったりもする。

彼は5年間この苦しみと向き合ってきたし、今後も向き合う覚悟が見て取れた。

20数年放置し、騒がれてからやっと誰が書いたかも分からないような謝罪文ペラ一枚出したきりの小山田氏とはまるで違う。

小山田被害者もいるのだから、これ以上の覚悟をもち、周りがそれを認めるまでは信頼回復は難しいだろうな。

いじめを許すべきだし許すべきでない

五輪開会式作曲担当の方が過去いじめを行い、その上武勇伝のように語ったとして炎上している。

これについて叩いている意見をよく見るが、いい加減許してはどうだろうか?

いじめは良くない」という意見は完全な正論であるし私も同意である

が、その正論という武器で人を攻撃するのは「いじめ」と何も違わない。

既に作曲担当の方は謝罪文も表明したのだ。

幸い被害者の方が自殺したというわけでもない。

もう許すべきである

とはいえ正論で人を叩くのは気持ちの良いものである

私がこんな所でしか匿名で何を書いた所で変わらないのだ。

いじめをした人間を許すべきではない。

いじめをした人間は何故かいじめを終わらせる権利を持つ。

「ごめん」

たった3文字いじめは終わる。

された側がどう思うかは重要ではない。

少なくともいじめをした人間、そして第三者からは終わってしまうのだ。

そんなモノ絶対に許せない。

いじめをした人間は一生その罪を背負うべきだ。

そもそもいじめに対する罰は軽すぎる。

殺人は犯せば実刑となる。

よほど倫理観崩壊してなければ罪の意識もあるはずだ。

しかいじめは全くそんなことはない。

やっても精々が少し怒られるくらい。

罪の意識なんてものも全く無いし、被害者自殺したとしても実刑までいくのは非常に稀だ。

いじめ被害者の心を殺す。

いじめをした人間犯罪者だ。

そんな犯罪者を一生許すべきではない。

ニュースを見てからずっと、過去いじめを受けた経験のある私はこの2つの感情が渦巻いている。

私は善良な人間でいたいと常日頃から考えているし、他の人間を叩くような事もしたくない。

だが当時の経験が、記憶が私を善良でなくしてしまうのだ。

ずっと悩んでいたが、被害者の方が何か表明するまではこれ以上何も言わないでおこうと思う。

結局のところ作曲担当を許す権利も、許さな権利も全て被害者の方にあるのだ。

私は同じいじめを受けた人間として、その権利までは奪いたくない。










願わくば

さないと言ってほしい。

辞任前に小山田圭吾問題を扱ったテレビ番組追記

各局の報道傾向を知るためにまとめました。バッシングクレーム等への利用は望んでいません。

本日18:55頃辞任の報道がありました。以下はそれぞれ辞任決定前の番組についてです。辞任後は全社で報道されました(2021/07/20改題)

時系列報道できる事例中心)

7月15日深夜1時 開会式音楽スタッフ発表  その後SNS等で炎上

7月16日18時 Twitter上でコーネリアス小山田圭吾謝罪組織委続投の意。

7月18日12時 ロッキンオンジャパン編集長謝罪

7月19日   クイックジャパン編集部謝罪

7月19日19時 辞任発表

確認方法

パナソニックブルーレイレコーダーのシーン一覧機能7月19日放送確認

10秒足らずのニュースでも見出しが作られているので精度は高いはずですが、見逃し等間違いあったらご指摘ください。

追記 18:30】

スッキリ」での報道確認しました。見出し作成の精度にムラがあることがわかったので、時間がとれしだい目視での確認を行います

ブコメでのご指摘ありがとうございます

【取り上げている番組

フジテレビ系列めざまし8」「バイキングMORE

特にめざまし8はEXITが出演していて、とても見応えがあった。

テレビ朝日系列グッドモーニング

日本テレビ系列スッキリ

【一覧に関連ニュース見出しがない・報道していない可能性が高い番組

フジテレビ系列めざましテレビ」

開会式リハーサル映像のみ、6時台開会式関連で報道なし。

NHKおはよう日本」 開会式リハーサル映像のみ、5時~8時代報道なし(確認済)

日本テレビ系列ZIP!」スッキリ 「スッキリ」内、開会式関連のニュースとして報道ありました。申し訳ないです。

テレビ朝日系列羽鳥慎一モーニングショー

時間の割に見出しが少なかった印象なので抜けてるかも。

TBS系列「はやドキ」「あさチャン

あさチャン内で開会式リハーサル映像。ただしTBS系列は前日の「サンデー・ジャポン」「アッコにおまかせ!」で取り上げている。

個人的NHK報道なしは残念です。ブコメにて土日に報道があった可能性があるということなので、NHKについては15日・16日分も確認したいと思います



増田を書くきっかけになった「めざまし8」について。

EXITは当初よりネット炎上批判側としての発信が目立っていたので、本人のいる場で批判されている理由をしっかり解説報道したこと評価したいです。

番組での発言内容はおおむね下記の通りです。

永島優美アナ小山田圭吾いじめ問題に「楽しげに自慢げに話している所に、ものすごくショックを受けた」

https://news.yahoo.co.jp/articles/02170eb2d16fb14b5dc73b5399391bf8928351f4

橋下徹氏、小山田圭吾いじめ問題で「この楽曲世界に発信したら、日本の恥

https://hochi.news/articles/20210719-OHT1T51031.html

XIT兼近 小山田圭吾擁護者への〝人格攻撃〟に警鐘いじめ一種になるんじゃないか

https://news.yahoo.co.jp/articles/5961da0210de9e251d6308f9a948308c8a04bf61

XIりんたろー。 小山田圭吾いじめ問題実体験もとに語る「全然比じゃないけど想像を絶するもの

https://news.yahoo.co.jp/articles/007c71581e58df71f2233109aecb33eda51605f5

谷原章介小山田圭吾いじめ謝罪文に「本来ならこの話が来た時点で謝罪をしておくべきだった」

https://news.yahoo.co.jp/articles/73d52fdf6a254df3e63197a3197a85872a26ac26


スポーツ報知で取り上げられていないところだと、「許すチカラ」著者のコメントが印象的でした。

前置きをした上で、「許すにしても限度がある」と明言したことは、組織から理解を求められている中で非常に心強かったです。

anond:20210718190345

小山田某の謝罪文とやらを受け入れられない理由は(自分の中では)明らかで、それは彼が現在の罪を認めていないからだ。

彼本人も彼を擁護する者たちの言い分も一貫して「現在の彼は正しい倫理観を持ち過去を十分反省している」というものだが、要するにそこが納得できない。

"深い後悔と責任を感じおります" なんて軽々しすぎないか

いじめ被害者未来(=つまり現在)を破壊した事を本当に後悔し、責任を感じているなら、言葉では何の取り返しもつかない事はすぐに解るはずだ。

"過去の私は未熟で~" と過去過去というが、今の自分はどうなんだ。

責任を感じるといいつつ言葉謝罪によってその責任反故にしようとしている自分は?

あまつさえ "長らく罪悪感を感じてきた" などと半ば被害者面じゃないか

パラリンピックに関わることに決めた経緯にしても、まるで炎上から自分の罪に向き合ってきたかのような書きぶり。"愚かな自己保身でスルーし続けた" にもかかわらず。

いじめ被害者過去に埋められた地雷撤去しないまま現在に至っている事、その地雷過去だけでなく現在も、未来破壊しうる事に対して "責任を感じる" などという言葉で何が救われるというのか?

"自らの言葉で経緯の説明謝罪をしてこなかった"事を保身だと言う割には謝罪だけして経緯の説明をしないのはなぜか?

結局彼が現在自分に認めている罪は「自己保身」「ファンへの不誠実」だけで、しか自己保身については舌の根も乾かない謝罪文の上ですでに保身に走っているようにしか見えない。

何度読んで納得できない事だらけで、この謝罪をもって禊、なんて到底受け入れる気にはなれなかった。

2021-07-18

下記の感じだと思うよ

なんj メゾット(本人殴るより周囲を殴った方がダメージが入るので殴る)

   +

倫理が高ければ赦される(JOC謝罪文に対する意表返し)

   +

過去のことは謝れば赦される。30年後に謝ればOK (JOC謝罪文に対する意表返し)

 

あと、海外フォーラムでも『彼の子どもや孫も同じ目にあうべきだ(そうすれば痛みを理解できるようになるのでは?)』って投稿があったよ

だけど、『無関係な人を同じ目に合わせろだなんてあなたはどうかしてる』と総叩きだったよ

 

日本もみんなそういう感覚だと思うぞ

無関係家族Twitterアタックしてるのは粛々と通報すればいい

餃子事件の時も粛々と通報したけど嫌がらせ行為をしていた泡沫アカウント通報したらちゃんと停止になったぞ

増田粛々と通報するといい

 

 

anond:20210718203127 anond:20210718213123 anond:20210718234942 anond:20210719022257

本棚探したらQJの例の号出てきたよ

からどうするってわけじゃないけど。

渋谷系終焉期に高円寺とか中央線由来のエログロ文化と謎の融合を始めた時期があって、その流れでQJとかの悪趣味を売りにする媒体が出てきた

フリッパーズ解体後に迷走する中で小山田がデス渋谷系とか言い出した時は本当に嫌で、NHKホールツノつけて棺桶から出てきたあたりで一度見切りをつけた。

例のインタビューはそういうプロモーションの一環だったから、キャラ立てのために露悪的な発言をしてるんだと受け取ってた。

フカシだといいけど本当かもしれない、どっちにしてもこういうこと公言して許されると思ってんなら調子乗りすぎだろ…ぐらいの温度感だった。

媒体に苦情を言うとかそういう発想はなかった。やるべきだったんだろうか。

でも今みたいに「不快感→すぐSNS投稿」みたいな文化はなかったし、嫌なことがあっても、友達と「なにあれ最悪」と言い合って終わりにする以外の対応なんてしたことなかった。

その頃まで一応ファンだった人間として、甘やかしていたと言われてしまうのか、どうしたらよかったのか、と毎日グズグズ悩んでる。

あの時なんかしたらこんなことにならなかったのかな。

例えば苦情の投書をすれば、謝罪文が載るとかして、後年の騒がれ方を少しは和らげられたかもしれない。

具体的に悪いことしたわけじゃないか反省はしようがないけど、後悔はしてる。

こうなることを少しでも止められるところにいたのにって。

ただやったことの落とし前は本人にしかつけられないから、小山田さんには具体的に何か考えてほしい。学校に問い合わせれば連絡先ぐらいわかるだろう。

この文を書いたことに意図はない。批判はされるべきだし謝罪文出したのも「怒られたから謝りますレベルで褒められた話じゃないし、今からでもクレジットから名前を削るぐらいはされるべきだろう、みんなの言う通り。

ただ黙って見てるのが辛くなっただけです。体調まで悪くなってきた。普段はてブTwitterで喋り過ぎだから

anond:20210718141016 anond:20210718183337 anond:20210718214038

少なくともロッキング・オン・ジャパンねつ造だとは表明してないな

 山崎氏謝罪文https://rockinon.com/blog/yamazaki/199668)は以下の通り

 

ロッキング・オン・ジャパン94年1月小山田圭吾インタビュー記事に関して

 小山田圭吾氏が東京オリンピックパラリンピッククリエイティブチームの一員に選出されたことを受け、94年1月号のロッキング・オン・ジャパン掲載されたインタビューで氏が話された中学時代いじめエピソードが各方面引用議論されています

 

 その時のインタビュアーは私であり編集長担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観真摯さに欠ける間違った行為であると思います

 

 27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています

 

 傷つけてしまった被害者の方およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます

 

 犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全メディア活動を目指し努力して参ります

 

 

そもそも、誇張ねつ造であっても障害者恐喝虐待した記事を平気で載せたままにしていたのだから

障がい者スポーツ大会であるパラリンピックは辞退する』って因果応報とか持ち出す前に当たり前のことだから

平然と受けるとかガチサイコパスソシオパスだなとは思った

まぁ氏を採用し続けた連中も悪い、同罪

 

けど、民間イベントではこれからも頑張って欲しいです

anond:20210718051310

俺も元増田感覚に近い。ついでに言うと、この増田に対する返答として「いじめると将来こういう目に遭うというモデルとして、社会的制裁抑止力になる」っていうのはスジが悪いと思う。

だって、どこのガキが「自分は将来オリンピックパラリンピック作曲者になるかもしれないから、こいつ(同級生)をいじめるのは止めておこう」なんて考えるんだよ?

そんな大ごとの話じゃねえだろ、って言われるかもしれないけど、いじめ本質って想像力の欠陥の問題だと思うんだわ。

相手が今どれぐらい傷ついてるか、それを今後何十年にわたって引きずることになるのか、たとえ被害者本人には自覚がないとしても、周囲の人がどれだけ悲しむか、そういうことに関する想像力が欠けてるからいじめができるんであって、「社会的制裁になるから~」って主張はそういう能力がないはずの相手好意的に見れば未発達)に対してそれを期待する点で、矛盾してると思う。

もっと言ったら、元増田がそこまで想定してたかはわからないけど、今回の話っていじめに対する批判として結成された論陣が、徐々に属性が違うだけのあたらしいいじめとして再生産されつつある、ってことだと思うんだわ。

一応ことわっておくけど、批判するな、って言ってるんじゃないよ。俺もはらわた煮えくり返る内容だと思うよ。当事者家族だったら殺意だって抱くと思う。

でも、これは俺の主観だけど、批判暴力境界って限りなくあいまいだし、社会的問題に関する議論でそこの区分可能だとしたら、批判する側が落としどころをはじめから明示して、その見解批判サイドが統一されてる場合だけじゃないのか? だって、「許されたかったらどうしたらいいかはテメエで考えな」ってクレーマーだし、「同じ批判側のあいつは謝罪で良いって言ったけど、俺はそれで許すつもりはねえ」って、責められてる側からしたら意味わかんなくねえ?

少なくとも、俺なら意味わかんねえ。厳密に言ったら、日常生活の中ではいくらでもある話だけど、国際的イベントの規模で責めてる側の要求統一されない、個々の優先順位もわからないまま提示されるんじゃ、かなりどうしようもねえ。それとも、このどうしようもなさも罰の一環だろうか? たぶんそれは違うよな?

じゃあ、現実的批判要望がまとまるか、って言ったらまとまんねえよな。被害者の中にもトーンの違いはあるし、周縁から論戦に加わってる人もいるし、そりゃほぼ無理だろう。

でも、これは極論かもしんないけど、それをまとめるのが個人に大きな責任を問うことの条件なんじゃないか? それが統一されてることを、はじめて社会的制裁を科すって言うんじゃないだろうか。

なんで被害者の側、正義の側がそんなことしなくちゃいけねえんだよ、って言ったら、それは正当な批判暴力区別するためだと思うんだわ。俺はね。

いまの状況は全然正義」に見えねえよ。

直接の被害者いじめ経験者も外野自分意見を言ってて、それは言論権利ではあるだろうけど等しくフラットで(言ってる側は自分発言もっとも重きをおかれるべきなんて思ってないかもしれないが、言われてる側にその区別がどうやってつく?)、言われた側だって苦悩するだろう。クリア要求に対してどう反応するか、どう贖罪を表すか悩ませるのはまっとうだけど、そもそも何を求めてるのかを悩ませるのはまっとうじゃねえと思う。俺はね。

ちなみに俺は当該の謝罪文でいいんじゃないの、と思ったよ。五輪に参画する時点の本人の加害者としての自覚がぼかされてるように読めるあたりと、今回の職務自分がどうしたいのかよくわかんないところは気に入らなかったけどね。

でも少なくとも、俺はあれでいい。一方で、直接被害に遭われた方々があれじゃ駄目だ、こうして欲しい、って言うなら、それがもちろん一番いいよ。

いまの混沌とした論陣形成自然だとしたら、それをまとめろってのはものすごく不自然作業で、俺も自分で最低だと思うよ。だって、「誰の(どの)要望が一番正当か、当事者も周囲も有象無象も加わってまず議論して、それが決まってから持ってこい。できるわけねえけどな」って言ってるのと同じなんだから。こんな卑怯な話ないよ。

でも、俺はそれが正義に求められることだと思うし、いまの批判全体の雰囲気は、個々は別として、すげえ不気味だと思う。いまのこれが社会的制裁モデルとはとても思えないわ。

anond:20210718051310

社会的制裁目的として考えると

そのような行為をして

そのような発言をして

何度指摘されても省みることな

土壇場になって紙ペラ一枚の謝罪文を出すようでは

名誉ある職にはつけませんよ

ということを社会共通理解にすること、かなあ。俺の認識としては。

過去障害者暴行性犯罪を犯しても(いじめなんてレベルじゃないよね)

能力コネさえあればなんの咎めを受ける必要もなく謝罪必要もなく

障害者の祭典であるバラリンビックに対して責任のある役職についても良い

というのが関係者認識らしいので。それが社会スタンダードであってほしくない。

それは現在進行系で他者を虐げている者への牽制でもある

立場とのバランスであって、音楽やめろとか死んで詫びろと言ってるわけじゃなし

その役職につくのなら、せめて贖罪を済ませたうえでついてくれませんか。というのがいじめだとは思わないな

[]2021年7月17日土曜日増田

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2021-07-17

anond:20210717080715

まあそうだよな。あんなきちんとした謝罪文章を用意できるようになったのも、自分はいじめられず誰にも邪魔されずにスキルを高めていって社会的成功した結果だしな。

あれは他人に書かせた謝罪文とも言われているので、ぜひとも記者会見を開いてゴーストライターに頼れない状況でクズ人間本質を見せてほしい。

anond:20210717080715

ファンの人がすっきりしたという話で、ファンは今まで好きな音楽を人として許せない奴が作ってることに苦しんでいたんだろ。

小山田本人は(世間から)許されてはないし謝罪文で火に油を注いだように見える。

anond:20210716223902

あれってどの謝罪文

「アラいいですねー」も「喧嘩両成敗ということでここは一つ水に流してもらいたい」も入ってなかったぞ

やり直し

小山田圭吾を「謝ったから」と許す者は強姦魔も許さなければならない

なぜならいじめは魂の殺人であるからだ。

ここ最近になって「いじめ犯罪行為」 という当然の認識は広く共有されるようになったが、

どうも万引きスリなどの窃盗器物損壊、 或いは不良同士の喧嘩のような「若気の至り」とされやすい類の犯罪と同一視されているような印象を受ける。

見当違いもいいところだ。 いじめと同一視されるべきは性犯罪である

長期にわたるいじめは、 被害者メンタルに大きなダメージを与え、 その後の人生に多大な悪影響を及ぼす。

多くの被害者は対人恐怖症となり、 社会生活に支障をきたすし、 運良く社会復帰した被害者もささいな切っ掛けでフラッシュバックを起こし苦しんでいる。

メンタルを不可逆的に破壊するという点において、いじめ性犯罪には多数の共通点がある。小山田圭吾実質的に「強姦に等しい罪」を犯した人物なのだ

さて、仮に小山田雑誌インタビューで「高校時代障害を持った女子生徒を強姦した」と自慢げに告白し、

その後今回の様な謝罪文が公開されたとして、 それを読んだあなた小山田を許せるだろうか?

許せるのならばそれでいい。 それ以上私からは何も言う事はない。

しかし、過去いじめをした小山田が出した謝罪文は許せるが、

過去性犯罪を犯した小山田が出した謝罪文は許せない、 と感じた人は深く考えてほしい。

なぜ、メンタルに深い傷を負わせるいじめは許せるのに、 同じようにメンタル破壊する性犯罪は許せないのか。

いじめメンタルに負う傷なんて大したことない」とたかをくくっているのか。

同じように「性犯罪メンタルに負う傷なんて大したことない」と言われたらどう思うのか。

両者に差をつけようとするのであれば、 深く考えてみてほしい。

他人が出した謝罪文気持ちが楽になったとか意味不明すぎる。

叩きたいけど自制心で留まってて、「謝罪文出たしもう叩けねえや」ってなっただけだろ。

いじめで叩かれてるクリエーターが許される方法

考えようよ

ガチな話やってしまたことは、覆水盆に帰らずなんだよ

どんなにきれいな謝罪文を乗せようとそれが消えてなくなることはない

被害者の失ったものは帰ってこない

法的に罪を償うことも出来ない

じゃあ、何が出来るかと言うと被害者と同じ傷を背負って生きていくことだと思う

そこで提案なんだが、加害者が嫌いな相手食糞させられバックドロップ毎日してもらうというのはどうだろうか?

毎日そんなことさせられると大人でも気が滅入るし生きていくのがつらくなるだろう

しかし、それを子供相手にやっていたのだから大人になった今それくらいは耐えてもらって同じ傷を自分に刻み付けていく

許される方法というのは、結局そういうことしかないと思う

どう考えてもあの謝罪文を書いた人間とあのインタビューに答えた人間は別人なんだよな。

年月の問題じゃなく、あんなおぞましい鬼畜所業を嬉々として語れる人間が、あんな美しい謝罪文を書けるようになるには、よほど人生観が変わる奇跡経験するしかない。

もしもそれがあるとすれば、「音楽家デビュー」のタイミング以外にありえないだろうが、どちらの時期もデビュー済みなのだからこの説は却下される。

まり、少なくともどちらかが嘘なんだよな。(両方嘘かもしれないが。)

現時点では「あの謝罪文は嘘だ」と言うことも、「あのインタビューは嘘だ」と言うことも出来ないけど、とりあえず、あの謝罪文はかつてネットの誰かがNHKに抗議した時のNHKからの回答と矛盾はしない。

anond:20210717122053

反省」は具体の大きさなどより、精神を求める。

ほんとにそうかなあ。

日本でも他のアジア諸国でもだけど求められているのは反省可視化するための手続きだと思うよ。

精神の部分に異常にこだわるのは悪目立ちする活動家みたいな人だけ。

小山田が初めて謝罪文を出したことで禊と見做す人もいる。

パラに関わるわけではないとわかって落ち着く人もいる。

実際に精神の部分は関係ないよね。反省手続きが行われたかどうか。

その手続きが的はずれであれば手続きに対する批判が起こる。

元増田の「許す」についてだけど。

手続きとしての禊が済んだと見做すとか武士の情けとして温情をかけるとか「許す」とは関係のない受容がいくつもあるので、社会的には形式が重視されているんだと思うよ。

当然その形式を逆手に取る人は出てくるわけだけど、そこを追求しすぎても社会的利益がないという判断をするのが一般的な考え方だよ。これは形式的なものを受容することで、社会が罪を共有したとか内面化したとかというスタンスだろう。

ただし、直接の被害者は別。直接の被害者が心の中を整理する過程社会とは距離ができるのが当たり前。

被害者に過剰に感情移入する人は、社会に対する形式手続きを受容する性質がない。想像上の被害感情に基づいているのだから、追求することを延々と止められない。

加害者被害者に対してする手続き社会に対しての手続きは別のもの

被害者に対しての手続きは、社会に対する形式手続きを受容するかどうかの判断材料にもなる。

今回の小山田の件は被害者の声がまったく聞こえてこないので材料にならない。

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