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2023-08-15

契約書の袋綴じと和綴じが別のものになったのは結構最近コンピュータプリンタ進化のため

契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369

いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。

そもそも現代契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったかなのだ

なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ

 

和綴じ式法的文書の袋綴じ

契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。

ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。

でもこれちょっと無理やりだと思わない?

実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。

そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。

ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。

なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。

 

戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。

そもそも謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。

 

こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。

 

ラインプリンタとページプリンタ

コンピュータ印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。

この印刷が出来るプリンタはページプリンタという。

だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタラインプリンタが主流だった。ページプリンタDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的OA機器メーカーラインプリンタしか製造していなかった。

ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である

ラインプリンタ場合印刷区切りが一行づつになっていて、プリンタ印刷指示が送られるとそのテキスト印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。

から票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。

また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトパイプ(|)でデバイスファイルlp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。

 

ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POS印刷されるレシートラインプリンタの生き残りだ。

 

プリンタ印刷方法インクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。

からカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。

 

一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段オフィス業務コンピュータドットマトリクス文書の清書はワープロというのが一般的だった。

これで法的文書ワープロ作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。

今でも弁護士文書表題倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。

 

これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネット接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。

その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。

 

和文タイプライター

因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。

https://youtu.be/JHJhah1c-K0

この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士弁護士など気合が入った士業と法務局裁判所など気合が入った役所気合が入った大企業契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。

 

オフィスプリンタ歴史

というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータプリンター史が隠れていたのであります

 

 

ついでなのでオフィスと紙に関するトリビアを置いておくよ

A4が当たり前になったのは1990年代前半

昭和日本ではオフィス用紙も法的文書原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所判決文でも全てB5だ。

だが1990年頃に役所関係書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカアメリカレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。

これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。

今、昔の裁判書類契約書、権利書を見ると実に小さい。

世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。

 

紙質の変遷

今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的場所で使う」紙だった。

先述の手書きワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。

これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。

トレーシングペーパークッキングペーパーと同じだ。

また、請求書類封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。

 

公的書類カレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田羊皮紙代替ではないかと考えている。羊皮紙中世欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV

鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。

これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。

 

こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。

なお、トレーシングペーパークッキングシートは長期間放置するとバラバラ崩壊してしまう。これは硫酸晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。

2020-07-27

好きな作家さんに感想を渡した話

最近SNS感想について色々話題になっていたので、ふと思い出した出来事を書いてみました。

思い出した順に書き出しているので読みづらい文章になっていると思いますが、ただの長い独り言なので流していただけるとありがたいです。

多少フィクションを混じえています

私には長くファンをしている作家さんがいます

私がその作家さんを知ったのは十数年前で、その頃は同人文化もよく知りませんでした。きっかけは、たまたま漫画新刊勘違いして手にとった、その方の個人誌でした。

その本がきっかけで同人世界を知り、自分漫画を描くようになり、そのおかげで趣味友も増えました。その方は、自分にとって人生の楽しみを増やしてくれた恩人であり、絵描きとして尊敬している神様のような人です。その方みたいな絵が描けるようになりたいと、色使いや線の描き方を勉強して、絵の練習をしたりしていました。

そして数年後、同じジャンルにハマり、今度のイベント新刊を出すというミラクルハッピー出来事が起こりました。

転職し、余暇時間が増えイベントに参加できるようになったタイミングだったので、会場で神様に会えて新刊も買えることがもう嬉しすぎて、神様の呟きを仕事の休憩中に見てはイベントのために稼ごう…と日々生きる気力をもらっていました。

調べた中でよく「差し入れでもらって一番嬉しいのはお手紙です!」と話される作家さんが多いので、もし感想が苦手な方でなければ、自分も今までの感謝も込めてお渡ししたいな...と思い、神様の呟きを検索しました。調べた結果、感想はなんでもうれしいタイプだったことが判明し、前日の夜にようやく手紙を渡す覚悟を決めました。

仕事帰りにレターセット3つと差し入れ用のお菓子を買い、ソワソワしながら帰宅手紙を書く準備をしました。

どの本について感想を書くか、色々悩みましたが、今まで集めた本すべてが好きだから選べないな、せっかくお会いできるならと、今までゲットした本すべてについて感想を書くことにしました。

感想同人誌1冊につき少し小さめの便箋1枚に収めるように詰め込みました。(普通レターサイズだとめちゃくちゃ嵩張るし重いし怖いと思われたくなかったので...)(それでも全部で十数枚になっちゃったんですけど)。

そして、元々文章を書くのが苦手なのも相まって、感想手紙はかなり苦戦しました。

うわ、テンション上がるとすぐ右肩上がりに...ああ〜字間詰めすぎた、インクで手が汚れてカードについちゃう...!封筒止めるシールは何が良いんだろう?とワーワー騒ぎながら、神様の本を読み返して、やっぱりこの人の描くお話が好きだなあと改めて再確認し、気合いを入れ直してなんとか最後まで書き上げました。

差出人がわかった方が分厚くても引かれないのでは?という友人のアドバイスを参考に、最後自分ID名を記入し、カード1セット分を犠牲にしてようやくそれなりにまとまった手紙が書けたのは深夜3時。家を出るのは6時。ここでエナジードリンクをキメました。

イベント当日の朝、コンディションは最悪でしたが、見た目を普段の倍以上に時間をかけて整え、手紙差し入れをしっかり確認してドキドキしながら家を飛び出ました。

会場に着くまでに何度も神様のスペースを確認し、地図でスペースまでの行き方をシュミレーションし、手紙を渡すときセリフを何度も練っていました。この段階では神様にお会い出来る嬉しさで眠気吐き気は吹っ飛んでいました。

移動中に見守ってくれた友人にお礼と手紙を無事に書けたことを報告。

枚数を聞いた友人「いや多...くない?引かれないように気をつけてね。」

一気に不安が加速する私、時間通り目的地に着く電車、駅改札に雪崩こむ歴戦の戦士の方々。

もう後には戻れないと覚悟を決め、

「こんな楽しい世界を教えてくれた感謝を伝えたいだけで、読んで合わない感想だったら捨ててくださいって書いたし大丈夫!砕けてくるね!!」

とヤケクソなテンションで返信し、改札を出ました。

完全に憧れの先輩に告白してくるテンションでしたね。今思い返すと。

潮風にセットした髪を乱されつつ会場に入った途端、緊張が高まり耳の近くで鼓動が聞こえるように。落ち着きたいのに、呼吸は完全にあがってました。軽い酸欠状態です。まだ神様にも会えてないのに。何で好意を寄せる人の前だと1番ダメな部分が出てしまうんでしょうか…

どうにか意識を保ってシュミレーション通り、神様のスペース近くまで行き、ついにポスターが見えた瞬間。

神様らしき方がスペースにいらっしゃるのを見て、気持ちが一気に高ぶってしまい頭が真っ白になりました。

あっこの状態で話しかけるの無理!!!!(キモくなる自信しかない)

そう瞬時に判断し、先にイベント参加されているフォロワーさんのスペースを回って気持ちを落ち着かせる作戦に出ました。フォロワーさんの新刊を買い、差し入れを渡し、元気をもらったところで再度神様のスペースへ。

この時点でお昼近い時間帯だったので、スペース前の列もだいぶ落ち着いていました。

他にも差し入れお話をされてる方がちらほらいたので(好きな作家さんが人気で嬉しいな〜とニコニコしつつ)、タイミングを掴めず島を2~3周して新規開拓をしながら様子を伺っていました。

そうしている間に、ついに人の波が途切れたので深呼吸しながらスペース前に向かいました。

新刊をしっかりゲットした後、震える手でバックから手紙差し入れを取り出し、意を決して話しかけました。

「あの、今日感想手紙に書いてきたのでよかったら、いや苦手とかでなければ、その…どうぞもらってください!」

言えた!だいぶどもって挙動不審だし恥ずか死にそうだけど言えた!!手の震えがまだ止まらないしなんか冷や汗も出てるけど言えた!!!

神様「わ、感想嬉しいです〜!お手紙ぜひ読ませていだだきますね!差し入れまでありがとうございます

とても優しくスマート対応神様に、緊張と感動からさらにあわあわとテンパってしま自分(消えてしまいたい)

「あ、あの…じ、字が汚いかと思うので、読みにくかったら捨ててください。あ、あと新刊とっても楽しみにしてたので手に入れられて嬉しいです!!」

まっっったくスマートじゃない言い逃げをぶちかまして会場を脱出し、帰りの新幹線で席に着いた瞬間イベントでの醜態を思い出しては1人反省会死ぬほど悶えてました。アイス駅弁もいつもなら完食するのにこのときは出来なかったな…なんかもう胸も頭もいっぱいいっぱいで…足もいつの間にか盛大に靴擦れしてたし…

イベント会場でその日の体力知力精神力を全て使い果たしたので、家に着いた瞬間力尽きてそのまま床で寝落ちしました。こんなに寝つきがよかったのは人生初くらいに、秒で意識を失いました。

次の日は仕事だったのでバキバキの体でなんとか出勤。仕事中はイベントしかったなぁ…いい思い出になったなぁと思い出を反芻して幸せ気持ちでいっぱいで、クレーム対応も定時間際の理不尽な指示も笑顔でこなせるくらい気持ちが穏やかでした。

クタクタになった仕事帰り、電車に揺られながら友人と作業イプの予定を立てていたら、突然DMの通知が。

フォロワーさんかな?と思いながら開くと神様アイコンが、

周りが気ならない場所で落ち着いて読まなきゃ!という気持ちで急いで駅を出て走って家に帰りました。

震える手で通知を開くと感想についてのお返事が書かれていました。

内容は今まで出した本の感想をこんなにたくさんもらえて嬉しくて泣いてしまたこと、ぜひ楽しく同人を続けて欲しいこと、原稿のお供にお手紙を何度も読んで元気をもらっていることなどとても優しく丁寧なお返事をいただきました。

ずっと好きで尊敬している作家さんから突然お返事をいただいて、とても単純な私は「よかった!作家さんの力になるようなお手紙になれてたならほんとによかった!嬉しい〜〜!!私もこの方みたいな素敵な本をたくさん作りたい!!!」とスマホ片手に狂喜乱舞しました。

それから神様新刊を出す度に既刊の感想をお渡ししたり、自分イベントに参加したりと自分なりに同人活動を楽しんでいたところ、2回目からは顔を覚えてくださって、こちらがお渡しする前にお礼を言われたり、自分投稿した漫画を褒めてくださったりと嬉しい出来事が次々増えました。

名乗る前から名前を言って声をかけてくださるので、沢山の人から感想差し入れをもらっているのに、まさか自分まで覚えていただいているとは思わずとても驚いたのを覚えています

普段手紙差し入れをお渡ししたら、他のファンの方々の邪魔をしないようにすぐに去っていたので、引き止められてめちゃくちゃ動揺してしまい、作家さんのスペースで500円玉をばらまいたあげく、作家さんに拾うのを手伝ってもらったことは叫び出したくなる忘れたい過去です。(お手を煩わせてしまって本当に申し訳ない…)

そんなこんなで少しずつ神様イベントで会話を交わすことが増え、色々あっていまでは相互フォローになりSNS上でもお話したりする関係になりました。

昔、別の作家さんに感想のお手紙を渡した時は、欲しかった感想はこれじゃない自分の描いた内容を違う意味に読み違えていて腹が立ったなどとDMでお叱りを受けたことがあり、感想を渡すのが怖くなった時期もありました。

自分の読解力が不足していたせいで作家さんを不快気持ちにさせて申し訳なかったな…とかなり落ち込んだのですが、ある程度年数がたったらまー合わなかったならしょうがない!そういうこともあるよね!とすっぱり諦められるようになったのでまた図太く手紙を書くようになりました。

まぁ、単純にいつまでも気が合わなかった人の事を考える暇がなくなったので、その分好きな作家さんやコンテンツに割く時間大事にするようになったことが大きいと思います

好きな作家さんに感想を書いて渡すのは、私の場合かなり時間も手間もかかるので、この人の絵が漫画が好きだから応援したい、続きがもっと読みたいという欲望がよっぽど強くないとほんと〜〜〜に気力が続かないくらい、1つ書き終わると消耗して1日中横になったりするほど体力と集中力必要作業です。脱稿直後の感覚が1番近い気がします。

それでも作家さんの次の新刊が読みたい下心が圧倒的に強いので、気力を振り絞って感想を書き続けています

DM感想を送るより、やっぱり手書き手紙の方が個人的に達成感があって相手リアクションが良くも悪くもすぐ分かるので、私は直接お手紙を渡す方が好きです。SNSでは考える時間がある分ためらってしま感想も、会場では勢いで伝えられたりするので、1日も早くリアルイベント参加が気兼ねなく出来るように祈っています



とりあえず、神様にお会いするまでに自粛太りをなんとかしたいので、筋トレも頑張ります

2018-08-31

基地の中、基地の後

私の父は .mil というドメインメールアドレスを持っている。米軍関連で使われるものだが、おそらく大半の日本人はやりとりはおろか目にする機会すらないだろう。持っている理由は、米軍の中で働く軍雇用員だからだ。前は、.army.mil というドメインを使っていたが、何らかの理由で mail.mil に変わったようだ。.mil ドメインは少しかっこいいと思う。

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ところで、大抵の日本人米軍基地の中に入ることはないだろう。米軍基地内で働く父のもとで育った私は小さい頃から職場に連れて行ってもらっていた。基地の中に通勤する場合、ゲートを通らなければならない。車についたステッカーと、ID提示すると入ることができる。基地の中はどこもゆとりがあり広く作られており、まさに広大な土地を持つアメリカ的な土地の使い方と感じられる。まぁ、ここは遥かに狭い沖縄なのであるが…。

基地の中はまさしくアメリカであるPX売店)で売られている砂糖過多なお菓子はもちろん、オフィスで使う付箋、ステープラーシャープペンシルなども見たこともないメーカーだ。居住区域にあるエアコンインバーターなど知ったことかというような古臭いアメリカ製の機械だ。アメリカトイレのドアは下が大きく空いているのだが、それも同様で、小さい頃は下から潜って鍵をロックするいたずらをした。レターサイズという紙をご存知だろうか?A4とはちょっとサイズが違う、アメリカ仕様の紙だ。プリンタにセットして、困った記憶がある。紙も米国製のようだ。今になって思うのだが、米軍基地日本にあっても、ほとんど日本製の製品は使われないようで、この部分における米軍基地による日本への経済効果はないようだ。

基地の中のオフィスで働く父親に聞くと、オフィスPCデュアルモニタらしい。そして部屋も広いので、オフィスパーティションで区切られており、半個室みたいになっている。日本会社ほとんどよりは環境がよさそうだ。土地が広いと、建物も広く作れて環境が良い。

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さて、米軍基地飛行場オフィスだけではない。もちろん娯楽施設もある。沖縄には米軍関連の(泳げる方の)ビーチがあり、日本人雇用員でも使うことができる施設がある。よく家族で連れて行ってもらい泳いだ。基地には厚生施設的なジムもある。米兵が使うのとは別にオフィスワーカーみたいな人もつかえるものだ。設備は万全で、マッチョな人々が汗を流している。もちろん、タダだ。どこから費用が出ているのかは気になる。

先ほど、エアコンのことを書いたが、基地の家庭の電気代はほぼタダである。なので、ノンインバータにもかかわらず一日中エアコンを付けっ放しにしている家庭もある。もちろん、電気代は日本政府持ちだ。辺野古推進派の佐喜眞氏のバックに沖縄電力がいるという理由も、いまならわかる気がする。

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私の家の周辺はここ数年で米国から返還された土地であり、家は新築である。この周辺は観光スポットにも近く、ものすごい勢いで発展し(本当にここ数年だ)、多くの民泊営業している(聞くと、満室らしい)。近くの繁華街アメリカ人よりはるか観光客中国人が多い。他に基地が近いのにもかかわらずだ。ここで、疑問が浮かぶ基地があったときより、ここは発展しているのではないかと。だだっ広い土地に、米国製設備を整えて米国のための仕事をするよりも、基地返還されたことで、明らかに地域経済は潤っているのではないかと。基地による経済効果欺瞞なのではないかと思う。

明らかに、狭い土地に高密度機能を詰め込むのはアメリカより日本のほうが得意だ。 「面積あたりのGDP」をググってみると良い。土地活用からしても、米軍基地は低密度でおそろしく非効率なのだ。狭い沖縄とあっては、なおさらである

 
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