はてなキーワード: トレーシングペーパーとは
青焼きができなくなる。
https://www.amazon.co.jp/dp/4408454583/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_DGymEbWNRZJJ1
トレーシングペーパーと合わせて贈ったことある。
年齢にもよるけど。
https://www.amazon.co.jp/dp/475624937X/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_pTymEb0PNAZYJ
世界一周なぞり描き-ときめきを紡ぐ旅- Tracing around the world
他に、少しずつ段階を踏んで仕上げていく本があったが、結構前の本で検索しても、すぐには出てこずすまんです。
天才型は、こういうのいらない。けど
自分の才能を当たり前(絵がうまいことを簡単なもの、特別とは感じない)に思いすぎて、
違う分野にいってしまうこともある。
退屈で。
毎回使った後に洗って乾かしてトレーシングペーパーに包んでからジップロックに入れたらいいよ
しばらくして声をかけられ、商業誌の片隅で短期連載をさせてもらう事になった。所謂よくある二次同人からの引き抜きってやつである。
先週最終話を描き終えた。
自分はADHDのケがあるのだが、周りの人間に恵まれラッキーが重なりうまい具合に生きてこられた。
しかし運と根性だけのゴミ人間だという自覚があるので、ずっと自己肯定感が低い。だいたい明日死んでも良いと思っている(推しのイベントの前以外は)
一次創作をはじめるとそれがさらにひどくなってしまった。そんな事予想していなかった。
描けば描くほど、自分のトレーシングペーパーより薄っぺらい内面を直視することになり、締め切りに遅れがちな無能さに失望し続け、何よりゴミのような自分から生まれたキャラクターを愛することができなかったのである。
読んでくださった方に申し訳ない。面白いとゴーサインを出してくださった編集さんにも申し訳ない。いただいた数少ない手紙も嬉しいメッセージも、何故か怖くて読み返すことが出来ない。まだ作業が残っているのに描いたものを読み返すのが辛い。
覚悟も、才能も足りないのは分かっている。
けれどそれをやめる理由にはしたくない。まだ正しい努力や工夫をしきっていない。
流れで始めた事だが、このままでは終われないという意地が出来てしまった。
解決を試みることにした。
自分を肯定することが出来れば、キャラクターを愛せるのではないか、という事でカウンセリングを受けてみる事にした。
キャラクターを愛せずどうやって自分が面白いと思うものを描けるというのだ。
別の悩みも複数重なってもう立ってられないというのもある。
心療内科なんてはじめて行く。そもそも「自分を愛せるようになりたいです」なんていう理由で行って良いんだろうか。
でもお金を払い、仕事として話をしてもらうわけだし。プロですし。
やらない後悔よりやる後悔。
これでもしウン十年辛く感じていたものが解決に近づくなら、ラッキーである。
きっと世の中には自分を肯定できずにいながら創作をしている人ゴマンというと思う。
幼少期から壊滅的に美術のセンスがなく模写もまともにできず授業で怒られ放課後まで居残りさせられて育ったためにオタクになっても自分で絵を描くという発想はトラウマレベルで思い浮かばなかったのだが、SNSの発展で趣味としてイラストを描くことは自分の想像するほど特殊な技能ではないことを知り、特にコミケ熱でTLが浮かれるこの時期は、自分もどうにか絵を描く技術を習得したいと思わされる。
特にPCを用いたデジ絵が発展した今なら補正とやり直しがしやすく自分のようなド下手くそでもどうにかしやすいのではないか?と甘い考えが頭をよぎる。
しかしいくらでも時間があった大学生時代に心の重石を外せていればよかったのだが、今は金があれど暇はなく、イラストは金より時間を求められる趣味に思われ、そもそも既にたくさんの美麗なイラストが溢れている現代に今更自分が上達の見込みのないことに時間を割くのは、ただでさえアニメやゲームの時間も足りていないのだから、それらを楽しむことだってオタクとして、創作できない者は劣等民であるなんて強迫観念に縛られることはないだろう、など延々と先延ばしを続けてきたのだけど、
トレーシングペーパーを使った模写ですら上手に出来ない程度の下手くそが基礎の基礎からイラストを学ぶのに参考になる物は何かないでしょうか?
本当は対面の教室にでも通いたいのだが、鉛筆・水彩・油彩のアナログ絵しかなく、そもそもある程度、学校の授業で困ったことがないような人を対象にしてるようだし、デジ絵の教室なんて都心に行けばあるのだろうか?
最近は宝くじを当てて退職し、得た時間で専門学校に入り毎日学ぶ妄想をよくするが、それだけ強制力が働かないと自発的に動かないと自分に自信を持っているのだなと。
http://anond.hatelabo.jp/20131218192932
元増田さんの文章を何回か読んでいると、元増田さんの言う「好き」ってのはプロの人達がよく言う「好き」なのかなぁと予測する。「何か」をやっていて楽しかろうが辛かろうが、それでもつい考えたりやったりしてしまう「何か」。人生における血肉のような存在。
ほら、長嶋茂雄さんとか学生時代から「素振りしないと気持ち悪くて寝れない」とかって言ってたけど、そういう感覚なのかなぁと。単純な「快楽があって楽しい」ではなく。
今ってちょうどコミケに同人誌出すために、印刷所の締め切りに向けて同人サークルさん達が阿鼻叫喚の様相をあちこちのSNS(Twitterやブログ)やライブストリーミング配信(ニコ生やUstream)を通して呈している時期なんだけどww
その同人作家さんたちの抱いている「それでも同人誌を作るのが好き」という感情が、ここの元増田さんの言っている「好き」と同義なのかなぁと。
毎年毎年、締め切りに向かって超苦しいことはわかりきってるのに、それでもコミケといった同人誌即売会・同人イベントに参加し続ける同人サークルさんたち。モンスターエナジーやらレッドブルやらユンケルやらを煽りながら深夜まで原稿に手を入れる作業+出勤という生活を何日も何週間も続ける猛者たち。
時々「毎年こんなことやっててマゾすぎワロタwww」って同人作家さんたちに(ちょっと捻くれた)心配の声をかける人が後を絶たないんだけど、どのサークルさんも大体声を同じくして言うんだよね「だって同人作るの好きだから辞められないんですww」って。
もちろん同人誌づくりの原点は人によって異なる。特定の作品が好きだったり、キャラが好きだったり、同人コミュニティそのものが好きだったり、単純に絵を描くことやモノを作ることや小説を書くことが好きだったり。
でも結局、同人サークルさんたちは同人誌(や同人CD、ガレキと呼ばれる立体作品等)を作って同人イベントに出店し、色々な人達と交流するという点では変わらない。
そんな酸いも甘いもある事を毎年毎年続けていく。
なぜなら「同人が"好き"だから」。(正確には、同人イベントで出す○○に関することが"好き"だから)
こんな風に、酸いも甘いも含めて全部愛するというか、親しみを持って接するというか、そういう感情が元増田さんの言う「好き」なのかなぁとこちらは感じ取った次第。
だとしたら、これは簡単なようで難しいかもねぇ。自分の気質に触れる部分に気づけるかどうかというお話だもの。「快」も「不快」もひっくるめて好きな、自分の心身の一体となっている対象を探すのは中々どうして難しい。鏡なしで自分の顔体を把握しようとするものというか…
だからこそ後半の「コレクション」の例が出てきたんだろうけどねー。鏡の代わり。自分自身を写しとるトレーシングペーパー。デスマスクのような粘土か何かで体のどっかの型を取るもの。
案外、「人に自分自身について聞いてみる」ってのもありかもわからないですね~。僕最近就活界で流行りの自己分析ってちょっと嫌いなんですけど、「友人や家族に自分の事について、経験等に基づいて聞いてみよう!」ってのは自分自身について気づいてないことについても知ることができる、って面ではいい気がしますね~。