はてなキーワード: 表題とは
交際○年だそうで増田たちとオフをしたときにはもう交際していたことになる。
この時点で割と「えっっっ???????」という気持ちである。
この中身は「純粋にびっくりした」ということと「彼氏居るのに二次元の彼氏を持つ夢女名乗ってるのか?」という真喪にとって理解できない感覚だった。
通常夢女とは架空のキャラクターに対して恋人ないし他の関係性を築くことを夢見る女性を指すことが多いが基本的には前者が多い。
増田にとって夢の認識とは(いたことはないが)三次元の彼氏と同等かそれ以上の気持ちで"好き"なことが前提な節がある。それこそマジの彼氏概念だと思っている。
なので彼氏持ちや既婚者が夢女と名乗ってると「何????!!?!???!??不倫か!?!??????!?」とバグる。
どうでもいいが思春期にうるるんクエストと幕末恋華新撰組をプレイしたせいで二股や不倫が地雷になった。
とここまで書いて単に増田が拗らせているだけで世間一般では夢女という人種はもっとライトなのだろうか、と思えてきた。
彼氏がいたことがあるのに一度も彼氏がいたことがない称号である「喪女」(5chの喪女板の定義)を名乗ることと同義である。
言葉が広まるに連れて広義に捉えられていき言葉が持つ意味に対して認識の変化が出てくるのは昨今の「腐女子」と同じだなあと思う。
どちらにせよ増田は三次元で彼氏が出来たらキャラとの妄想はするかもしれないが夢女は名乗らないと思うしそれは増田が夢女という称号に関して勝手に「二次元キャラクター一本で彼氏とする人間」と思っているからだ。
逆に現実でパートナーがいる上で程々にキャラクターを愛することができる夢女達は器用というかむしろ標準的な存在なのかもしれない。
まあ、それでも増田は今年のクリスマスも真喪夢女の友人と(二次元)彼氏からの(キャラが選びそうな)クリスマスプレゼント交換会をするのだが。
「BL夢はどうなるのか」「ガチ恋でなくても夢絵や夢小説を書く人に関してどういう扱いなのか」という声もあったが増田の認識は「夢女というよりも夢創作をしている人」だった。
この矛盾に自分で気付いた時点で増田の夢女への認識というか視野がめちゃくちゃ狭いというか上に記述した"言葉の意味の変化"にお前も影響受けてんじゃねえか!とトイレで頭を抱えた。
夢女という固有名詞自体がTwitter等で流れる強い夢女から連想されるネットミームとなって本来の「夢創作をする人間」から「推しを彼氏として扱う夢見る人間」にシフトしかけている気がする。というか実感した。
増田周りの環境について少し触れると同担拒否推しが(恋愛的な意味でなくても)好きと言った時点でブロック強火夢女や「彼氏がリップ買ってきた」と通販で彼氏からの刻印入りリップを買う強い夢女などが複数いる。彼女らが夢女を名乗ってると「夢女ってこういうのか…」と感覚が麻痺していたのを今感じている。
ちなみに増田は夜中のファミレスで「彼とはこういった部分で価値観が合わない時がある。彼氏と別れたくない。どうしたらいいのか」と同じ真喪夢女に半泣きで相談していたし、12年前にアレルヤ・ハプティズムがマリーと結ばれた時はマジ泣きして2ヶ月ほどリアルで死んでいた。幼稚園時代に銀狼怪奇ファイルおままごとで作中にない耕助の妹ポジをやるなど当時を振り返っても救いようがねえ。
ひとまずまとめると
増田が拗らせすぎている&そもそも夢女という単語自体が広義のものであるので昨今の認識が極端に寄ってきてるのではないか?
ということになりそうなので表題についてはそりゃ固有名詞への前提が違うんだからわからんわ、でもそういうものだと思うしかない。人間それぞれ居れば二次元や三次元への熱量もそれぞれだ。
付き合いの長い女友達がいる。出会いは中学時代で、同じ塾に通っていた女子校の人だった。オタクで暗くて、でもオタクの友達とは楽しそうに笑っていた。部活が同じことに気付いてからは授業が終わった後に軽く話すことも増えた。
頭のいい子だったし、正直言って彼女と話すのは楽しかった。音楽の趣味がほぼ同じだったので、塾帰りに喫茶店で何時間も駄弁ることもあった(流石に親に怒られた)。ただ、自分のことを話しすぎるところと、モテたモテないの話ばっかりは微妙だった。ちなみにその塾は大学受験まで通っていたから、そのうち互いにCDを貸し借りしたり、何回もデートしたりした。
やがてお互い希望の大学に進み、彼女は新宿区の大学へ、僕は青葉区の大学へ進んだ。僕が研究室でド鬱になってるとき、何度も彼女に電話をかけた。彼氏ができたこと、セフレがいること、いろいろな話をしてくれた。あまり女性には縁のない生活だったので、ぼんやりと遠くなっちゃったなと思った。
彼女は文学部から院へ、僕は工学部から院に進んだ。こっちが男どもと酒を飲んだり雪合戦をしている間、彼女は男を取っ替え引っ替えして遊んでいたらしい。お互い研究が忙しく、共通の話題も少なくなった。年に一回電話するくらいの関係になった。
数年前、就職のタイミングで一緒に飯を食った。人生の半分以上を(距離感は絶えず変わったが)過ごした友人はかなり洗練されており、近寄りがたい雰囲気になっていた。最初は今付き合っている芸人の話や家に連れ込んだ後輩の話を延々と聞かされたが、次第に思い出話や音楽の話へと話題は移っていった。人間の核の部分は変わっていないようで嬉しかった。彼女は出身高校の国語教師になるようだった。先生になりたいと何度も聞かされた中学時代を思い出した。彼女とは翌朝まで話し続け、何事もなく解散した。酒とタバコのせいで頭が痛い。どんより曇った新宿駅で、きっともう会うことはないだろうねと話をした。彼女は頷いた。
先週末、彼女から連絡が入った。結婚したことも知らなかったが、どうやら離婚したらしい。日曜に2人で飯を食い、よくあるような話を延々と彼女は話し続けた。どうすればいいかわからなかったのでとにかく僕は聞き続けた。少し懐かしかった。ここからどう思考がジャンプしたかは自分でもわからないんだけど、一旦落ち着いたら彼女に交際を申し込もうと決心した。
表題、全ての企業は落とす口実を探しているように感じます。幸い未だに社会人になることが決まらない身として感じたことを書いていこうと思います。
大手企業の多くは書類選考がしっかり生きているように感じます。無条件に面接に呼ばれません。そのため、すぐにお断わりされる印象がありました。もっともこれは裁量権のない担当が上司を説得するためかもしれませんが。
彼らは人材が足りておらず、そもそも書類選考の時点で規定数に達していないこともあるようでした。そのため、なんとかいい点を見つけて採用に結び付けたいからか、面接では積極的に粗探しをしてくるような印象を受けました。人事が少なく、大手と比較して個人の裁量が大きくある程度自分の気に入った人材をそのまま通過させることが可能からかもしれません。
大手の場合、案外ここでたくさん落とされます。志望者が多いからですね。
ほぼ形だけです
ここに投稿したところで状況は何も変わらないのは百も承知でしたが、以下表題の件について書きます。
早大では図書館のシステムWINE(1)が9月に新しくなったが、これが非常に使いづらい。何がつらいのかというと、
ここで出てくる「読み込み」とは蔵書検索結果の読み込み時間である他に、貸出返却の際のシステムの処理時間も含んでいる者もいた。
実際にどういう声が出ているのかというのは「WINE OR KOSMOS 図書館 OR 早稲田 OR 慶應」等の言葉でTwitter検索をかけてもらいたい。賛成の声も見られるが、不満の声が多く投稿されている。
ことの発端は2017年5月に、早稲田大学図書館と慶應義塾大学メディアセンターが図書館システムの共同運用に向けた覚書締結を行ったことからだった。そして翌年にはEx Libris社のシステムを採用することが決まった。前者に関してはこちら、後者に関してはこちらを参照されたい。
また、サービス開始にあたって早稲田大学図書館報『ふみくら』96号に早慶図書館業務共同化プロジェクト担当調査役の方が新図書館システム「WINE」によるサービス開始」を記しているので、こちらも参照されたい。
実際に使いづらさを体験してもらったほうがわかりやすいので、旧WINEと新WINEで検索してみてほしい。例えば、『文藝春秋』第88巻第1号(2010年1月)を戸山図書館で探していたとする。
「タイトル」
→少々見づらいが、図書館所蔵の欄から当該の号は戸山図書館にはなく「中央 3F雑誌(バックナンバー書庫)」へ行き、請求記号「サヘ 0116」の場所へ行けば良いことがわかる。
これに対して新WINEは、
→戸山図書館の戸山-B1を選択 ※「配架場所の確認」ではない
→Holdingsが2017-2019となっているため、一覧に戻る
→別の図書館を選ぶ(政治経済が戸山からは一番近いが、蔵書で言えば中央のほうが多い、など経験が物を言う)
→Holdingsに69-96(69巻から96巻が欠号なしで所蔵されている)とあるためここの請求記号「サヘ 0116」をメモする。
ここまでクリック/タップ数は6回。もちろん初めから中央図書館のものを探していれば3回でたどり着く。
以上のような行動を早大生はとることになる。
クリック/タップ数は基本的には変化はないが、この検索画面の読み込みの遅さが利用者に負担をかけていると感じる。一冊だけならまだしも、何冊も検索するとなると、相当なストレスを感じるだろう。この例においては、検索結果のトップに出てくるものであったが、例えば夏目漱石『吾輩は猫である』など何回も出版されているものであると、目的のものが出てくるまで「結果をさらに読み込む」を選択する必要がある。
今回の図書館システムの変更は早慶での書誌情報合同運用によるコスト削減という部分に主眼が置かれ、教員と学生の利便性というものが二の次になってしまっているように感じた。読み込みだけでも速くならないだろうか。
(1): なおWINEはWaseda university Information NEtworkの略であるが、ほとんど知るものはいない。
左派が反科学志向、右派が科学志向、みたいな話をネットでちょいちょい聞くじゃん。
まあお偉い人たちは右派もカルトやらEM菌やら親学やらに浸かってるけど、市井のSNSだと、右派が科学を武器に左派と戦ってる分野がちょいちょいあるわけ。
これについて、元々左派の方が革新とか合理性とかで世の中を変えてたはずなのにどうしてだろう、って不思議に思う人もいるだろうけど、理由の一つは浮かぶ。
左派が、合理性や効率の名のもとに切り捨てられた人々を救う方向を選んだ、というのがソレだ。
たとえば「人間を数字として扱うな」というメッセージをパッと見た時、右派の物だと思うだろうか、左派の物だと思うだろうか。
今ではおそらく、左派の主張かな、と感じる人が多いだろう。
大昔は、宗教や迷信や慣習によって物事を進める右派に対して、数字で効率を見て改善していけというのが左派だったはずだが、
今は物事が数字で評価される(少なくともそう装う)ことが標準となり、左派はそれで切り捨てられる個人の感情や物語、弱者や少数者の立場などを守れという立場になりつつある。
海老フェミは、科学的・統計的な調査ではカウントされてなかったり、カウントはされてもリソースを割く必要がないくらい少数の被害であっても、被害は被害としてあるから対処すべきってことなんよな。
西洋科学エビデンス認定からは切り捨てられる部分にも問題があるんだぞ、その「非」西洋科学的なエビデンスが私自身だ、西洋科学を唯一絶対とするな、と。
だから表題の通り、東洋哲学的なニュアンスを帯びつつあるんだよね、今の市井の左派って。
私は東洋哲学にも価値があると思ってるので、必ずしも左派が間違ってるとは言わない。
まあ、そこからニューエイジやヒッピー、代替医療、ベジタリアン、スピリチュアル、カルト、などにいっちゃうルートが色濃くあって、それはかなり左派の危うさだなと思うんだけど。
私は宇崎ちゃんの大きな胸を強調した構図はやはり性的な意味を含んでると感じるしそれを感じる人感じない人の目に触れる場に貼るポスターに起用するのはやっぱりおかしいと思う
そしてそれに反対をしている人達に対しては屁理屈を展開してるなぁって感じ
(胸を大きい人がエロな訳でもないし宇崎ちゃんを悪く言いたいわけじゃなく胸に視線を誘導させる構図じゃなくて1巻の絵の方が該当のポスターには適切じゃないかな)
この考えが「お気持ち」と言われてしまうのは性的の基準が定められていなく個人的基準で測っているから、ってことなんでしょうかね
18禁漫画とレーディングされてるものは性器の描写が基準となるみたいだけれこれを適用させると広告業界がめちゃくちゃになるのでは
個人基準って生きてきたまたは勉強してきた環境で上下ある物だけれどそこで培ってきたもので物事を判断するのはお気持ちなんじゃないかなってお気持ちです
結論は表題の通り。もうこのシステム長く続かねーぞオラ。しょうもないむ省は新しいシステム考えろや。
インターネットを見ればネット広告代理店が今日も男女の分断をはやし立てて、馬鹿な独身男女が互いの悪口を言っていがみ合ってる。
既婚の男女は(僕は地方中小都市にいるのでその範囲内で言えば)、「結婚したら恋愛できないなんて信じられない!!!僕(私)はもっとドキドキしていたい!」・・・と
職場、サークル、合コンなどなどで今日もセックスの相手探し。体感で言えば、働いてる既婚男女の4割は現行不倫しているor過去にしていた感じだと思うな。
とはいえ、不倫は不貞だと司法は判断し、裁判で不利な証拠になる。
自由恋愛主義者が結婚後も恋愛し続けたいというのは、筋が通っている。なぜなら、「社会に恋愛こそ至上の価値」と刷り込まれる90年代を過ごした人間の成れの果てとしては、筋が通る。
そもそも結婚や婚姻とは何なのかといえば、国が体を為すための、戸籍・財産分与・所有を一家で所有する。ただそれだけのシステムである。それを文学や漫画、アニメがロマンチックに騒ぎ立てているだけだ。
生殖の話もあるけど、別に結婚してなくても子供は生まれるし、セックスもできるのであとで新しい方法を教える。
もうさ、この国家維持システム終わってない????夫婦別性だとか、結婚後の自由恋愛の保障、50歳の3人に1人は独身とかさ。
20年後には「そんな時代もあったね」と笑って話してる制度じゃねーのこれ???結婚とか婚姻が過去の因習になってるパティーンだ!
おいそこのお前?お前はどうだ?結婚できると思うか?わがままで理想が高い、同年齢の異性とさ。
俺?俺か?俺は異類婚姻したいお!ロップイヤータンかわいいお!絶対に俺より早く死ぬけど。
で、そこで俺は思ったわけよ!!?!!?「若いうちに自分のクローン育てたい」ってさ!
精子はここにあるから、その辺のブス不細工で低賃金の増田女の卵子でも買ってきて、ズッキューン!培養装置にドォーーーーン!!!おぎゃぁおぎゃぁよ!
虐待の問題とかで僕は心を痛めるんだけど、ひとり親家庭で自分の分身たるクローンなら虐待する気にならないと思う。
大して素晴らしくない家庭で育った僕は頓にそう思う。
で、自分の分身に教育という形で金を掛けるわけよ!!!ポケモンよ!モンスターファームよ!!!!
18:30 色々言われたので追加した。対象は基本的に独断と偏見。札取れなさそうなやつは排除。ダメなとこあったらダメだって思ってて。
1:15 読み札の50音順に並び替えた。手動で。とても苦労した。苦労したので味わって読んでくれ。
うちには、はなちゃん、くーちゃん、みーちゃんという3人のねこがいる。私は彼女たちの下僕である。
初めは、はなちゃんが家にやってきた。はなちゃんは「シャーシャー」ねこであり、撫でるところか、触れさせてもくれない。
触れるばかりか、近寄ることさえできない。
寂しくないといったら強がりになる。精神的に、私はそんなに強くない。
そこで、くーちゃんをお迎えした。くーちゃんのかわいさといったらない。
筆舌に尽くしがたいので、語らずに私は漱石「こころ」の先生のように、ただその美しさを祈って手紙を書き、届いたころにはこの世にいない作法を選ぶ。
みーちゃんはとにかく、独占欲が強い。そして構ってちゃんである。態度だけならまだいいが、手(すなわち柔らかくて少し痛い爪)が出る。
いまも私の足元に香箱を構えて、たまにふくらはぎやひざの表裏に「むー」と喉を鳴らしながら爪を立てる。
私がしばしみーちゃんの尾てい部分をリズミカルに「とんとん」してあげると、収ま…らない。もっとやってくれとせがまれる。
かわいい。
それでも、家に来てくれて初めのころからすると、ずいぶん落ち着いたように思う。
落ち着いたは落ち着いたのだが、私を独占しようとする気持ちが、しっかりと、前面に出てきたこともまた確かだ。
前には、「自分はくーちゃんの次」という意識(?)も見られた。いまは同格か、それ以上のポジションだと自分では思っているだろう。
実に愛おしい。
まず私はADHD診断済でコンサータ飲みながら会社に通ってますが、これはあくまでも私の症状であって、発達障害全般じゃないと思います。どうか主語は小さく見てください。
で、表題ですけど、とりあえず毎回ではないです。普通は堪えれます。薬を飲み忘れたとか、飲んでるけど睡眠時間が2時間切る日が2日続いたとか、そういうのが重なると、やらかす確率が上がる・・・という仕組みです。実際に手すりに足を掛けてよじ登ってしまったのは1回きりで、あと変な叫び声が出てしまったのが2〜3回です。エスカレーターがあと数メートル長かったらいろんな意味で危なかった。
それから別に私は歩きたいとか走りたいわけではないんですよ。そりゃあ急いでいる時もありますが、というか生活習慣が悪くて常に急ぎ気味ですけど、必ずしも歩きたいわけではないです。むしろ立ってることの方が多い。
たぶん閉所恐怖症の1パターンなんじゃないかなあ、と自分では考えています。動こうと思えば動ける、逃げ場がある、という事実によって無意識に救われて生きていて、それがない状況に直面すると、場合によっては壊れてしまう・・・ということなんだと思います。
ほかの逃げられなさそうな状況、たとえばエレベーターとか、階段で二列とも歩いてる時(あたりまえだけど)は問題ないんですよ。エスカレーターでも最初から一列のものに対してはパニックを起こす気配もないです。二列のエスカレーターが二列とも止まって埋まっていると、体が震えたり何か叫びそうになったりします。
表題に「愚痴」と付けたように、誰かに何かを要求するつもりはないです。今後の東京五輪に応じて対応できない者は淘汰されていくでしょうし、そもそも私のような存在がまともな社会人のフリをして社会に籍を置いてること自体が罪なので、要求する資格はありません。それと、こんなエスカレーター閉所恐怖症の人間なんて聞いたこともないので、これを見た皆さんが配慮する必要も99.9%ないと思います。ほんとうにただの愚痴です。
対策としては、今後は「エスカレーター」なる乗り物を頭の中から消去して、そんなものはこの世に存在しないとみなして、階段またはエレベーターで移動するほかにないと思います。上司と外出する場合が恐ろしいですが、その時は近場にエレベーターが見つかるか、片側が空いてくれていることを祈るのみです。
階段オンリーとなると早起きしなきゃいけないでしょうし、睡眠時間は最低でも4時間保ちたいのになあ、という愚痴でした。以上です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191027/k10012152331000.html
ツイッターで、旅乗りライダーがアッサリ自殺した記事を見つけて。
過去のあることを思い出して、この感情は何なのか分らずモヤモヤしたので、この増田を書く。
子供のころから、恐らくは発達障害で他人から嫌われて生きてきた。
他人は恐らく、「当然の摂理」で自分を嫌っているんだろうけど、それはいまだにわからない。
それはそれとして、自分は大学生の頃、自殺を予定して、大阪へ旅行へ行っていた。
「明日、もう死ぬから、このお金あげます」とホボ全部を差し出した。
嬢は、「じゃあ、延長してもう少し話しようか」と言って。延長となった。
親が医者なため医学部に入ったが、他人から嫌われているし医療倫理や医療社会が全く自分に馴染まないもので辛い。他人からいじめられる人生はもう辛い。
と言って、嬢は完全に困っていただろうが。ウンウンと話を聞いてくれて。
最後に、
嬢「自殺しないよね?」と聞かれて、自分は素直に「死にます」と言った。
まあ、その時は、死ななかったというか。車に飛び込んだんだけど、勢いが足りなかったのか、何も怪我しなかった。
その後も、ずーっと虐められまくった。大学や初期研修でも後期研修でも虐められ続けた。
普通のイジメではなく、普通に殺されるレベルのいじめを、幼稚園小中、大学、職場で受け続けた(高校は不登校)。
自分は、一生、他人から嫌われるし虐められるのは理解している。
子供は、作らないだろうと思う。遺伝したら子供も大変だから。子供も、嫌われ続ける人生はまっぴらだろう、僕と同じように産まれてきたくないはずだ。
一応、医療に貢献して、自分の人生はダメだったけど、他人の人生の価値で神様に評価してもらおうかなという気持ちで生きてる。
「他人から虐めあげられるだけの人生を延々送る、自殺した方が生物としては楽な、辛さ」は、どういう感情なんだろう。
自殺した人のブログやSNSを見ると、「そういう人生」を覗いてしまった感覚になる。
自分も、そっち側で早く死んだ方がいいなーと思う。
でも、生きているが。
他人が自分を嫌うのは、「本能」という変えられない部分だと思われる。
本能だと言うのは、それが論理的には全く非合理だから。なんでそんな本能があるのかと恨んだりするが。
人間という生物に産まれた時点で、自分みたいなものが出てしまうから、それはプログラムされた地獄なのかなーとは思う。
人間が人間じゃない存在に産まれたら、狂いそうになるだろう。自分がその人間じゃない存在なんだなーと思っている。
この感情を何というんだろう。
原罪とも違うし。
そのラインを超えたような感じが自殺への感覚に似ていると思う。
このギリギリを超えてしまって、崖から落ちている途中のような。
絶叫マシーンで高いところから落とすやつみたいなのの死ぬレベルの落ち方を体験した時の恐怖のような。
そういう、精神の絶叫みたいな。
この、二つの、人間であることの辛さと、絶叫マシーンの辛さの2つがないまぜになった感情。
これが、ずーっと子供のころから僕を苦しませると言うか、モヤモヤさせる。
度々寝れないし、フト道を歩いていても自殺したくなるし、他人との付き合いも嫌悪感湧くし、未来への感覚も憂鬱になる。
この感情、早く同定して、決着をつけたい。
正直経済的に無理をして東京に住んでいると思っている人間です。
給料上がらないし、税金高いし、ローンやばいしで日々死にたくなる。
・買い占め?ちょっと歩けば別のお店に行けるぞ!
・停電?日本の中心なので、おそらくすぐに復旧するよね(せざるを得ないよね、というバイアス)
・強風被害?うちがだめだったらほかの家もだめでしょうね…ガハハ(すでに諦めている)
・何かあっても頑張って歩けばなんとかなりそうという安心感。
もっとあるけどぱっと思いつくのはこれくらい。
安心・安全をお金で買う(言葉が悪い自覚はある)ってこういうこと。
首都が変わらない限り、この状況は変わらないのではないかと…。
特別な事情がない限り、国の中心付近に住むのがいいと思います。
冷凍食品つかうやつは愛情が足りないだのなんだの言うやつが多くて「馬鹿だなー」と思って見てたんだけど、よく考えるとうちの親も「冷凍食品は栄養価が低い」などと宣っていた。へーそうか、くらいにしか思っていなかったが、周囲からの手作り圧力もさることながら、実は冷凍食品を買うよりも作る方が安いからそう言っていたのではないだろうか。今の冷凍食品コーナー見ても、そっちの方が栄養価低いなんてことはない。昔は冷凍技術が低かったのでラインナップも悪かったのだろうか?分からないが、親の手作り推し実は別な意図があったかも知れないということに考えが至ったのはつい先ほどだ。なお表題の大変な気付きというのはそのこと自体ではない。気付きというのは、愛情足りない云々の輩は恐らく親から教えられたことをそのまま信じているだけなのだと気づいたことだ。何を今更と思うかもしれないが、自分は親から言われたことをふーんそうか、と流しなんとなく常識として刷り込んでいた。きっと愛情派のひとたちもそうなんだろう。親の考えを否定することができない人たちがきっととても多い。親の考えや常識は、論理的思考で打ち砕いて良いものではないからだ。それは小さな頃から叩き込まれる。ラップ音楽でひたすら親に感謝し続けるこの国で、冷凍食品を使う世間的なコンセンサスがとれる日は来ないかもしれない。