ツイッターで、旅乗りライダーがアッサリ自殺した記事を見つけて。
過去のあることを思い出して、この感情は何なのか分らずモヤモヤしたので、この増田を書く。
子供のころから、恐らくは発達障害で他人から嫌われて生きてきた。
他人は恐らく、「当然の摂理」で自分を嫌っているんだろうけど、それはいまだにわからない。
それはそれとして、自分は大学生の頃、自殺を予定して、大阪へ旅行へ行っていた。
「明日、もう死ぬから、このお金あげます」とホボ全部を差し出した。
嬢は、「じゃあ、延長してもう少し話しようか」と言って。延長となった。
親が医者なため医学部に入ったが、他人から嫌われているし医療倫理や医療社会が全く自分に馴染まないもので辛い。他人からいじめられる人生はもう辛い。
と言って、嬢は完全に困っていただろうが。ウンウンと話を聞いてくれて。
最後に、
嬢「自殺しないよね?」と聞かれて、自分は素直に「死にます」と言った。
まあ、その時は、死ななかったというか。車に飛び込んだんだけど、勢いが足りなかったのか、何も怪我しなかった。
その後も、ずーっと虐められまくった。大学や初期研修でも後期研修でも虐められ続けた。
普通のイジメではなく、普通に殺されるレベルのいじめを、幼稚園小中、大学、職場で受け続けた(高校は不登校)。
自分は、一生、他人から嫌われるし虐められるのは理解している。
子供は、作らないだろうと思う。遺伝したら子供も大変だから。子供も、嫌われ続ける人生はまっぴらだろう、僕と同じように産まれてきたくないはずだ。
一応、医療に貢献して、自分の人生はダメだったけど、他人の人生の価値で神様に評価してもらおうかなという気持ちで生きてる。
「他人から虐めあげられるだけの人生を延々送る、自殺した方が生物としては楽な、辛さ」は、どういう感情なんだろう。
自殺した人のブログやSNSを見ると、「そういう人生」を覗いてしまった感覚になる。
自分も、そっち側で早く死んだ方がいいなーと思う。
でも、生きているが。
他人が自分を嫌うのは、「本能」という変えられない部分だと思われる。
本能だと言うのは、それが論理的には全く非合理だから。なんでそんな本能があるのかと恨んだりするが。
人間という生物に産まれた時点で、自分みたいなものが出てしまうから、それはプログラムされた地獄なのかなーとは思う。
人間が人間じゃない存在に産まれたら、狂いそうになるだろう。自分がその人間じゃない存在なんだなーと思っている。
この感情を何というんだろう。
原罪とも違うし。
そのラインを超えたような感じが自殺への感覚に似ていると思う。
このギリギリを超えてしまって、崖から落ちている途中のような。
絶叫マシーンで高いところから落とすやつみたいなのの死ぬレベルの落ち方を体験した時の恐怖のような。
そういう、精神の絶叫みたいな。
この、二つの、人間であることの辛さと、絶叫マシーンの辛さの2つがないまぜになった感情。
これが、ずーっと子供のころから僕を苦しませると言うか、モヤモヤさせる。
度々寝れないし、フト道を歩いていても自殺したくなるし、他人との付き合いも嫌悪感湧くし、未来への感覚も憂鬱になる。
この感情、早く同定して、決着をつけたい。