2019-12-06

支援の子たちは心が綺麗だから

通っていた小学校には、特別支援学級があった。

今は発達障害のある子もそこそこいるらしいけど、当時は知的障害しかいなかった。

表題は、支援の子たちと私たちの間に何かトラブルがあったとき

増田のいるクラス先生がよく言っていた言葉だ。

この言葉を言われるたびに、「先生から私たちの心は汚いと思ってるんだろうな」と複雑な気持ちになった。

支援の子たちとの交流もしばしばあったけど、先生たちはこちらの理解力だけ要求してくるだけで、

フェアじゃなかった。支援の子たちが教材にされているようで可哀想だったし虚しかった。

大人になると、街で見かける知的障害者は、電車アナウンスの真似をする人ぐらいしか見かけない。

私たち知的障害者の住む世界は分断されていると知った。小学校の時のあの交流は何か意味があったのだろうか。

  • 心が綺麗ってそりゃ単純に四歳児が心が綺麗っていってるのとおんなじや

    • ほんとそれ。純粋もなにも、知的障害だから複雑な思考ができないだけじゃん、と当時思ったけど、 差別だなんだ非難されるのが目に見えていたので言わなかった。

    • ほんとそれ。純粋もなにも、知的障害だから複雑な思考ができないだけじゃん、と当時思ったけど、 差別だなんだ非難されるのが目に見えていたので言わなかった。

  • そういう人が存在しないと思って生活していたら、大人になってからカルチャーショック受けるやろ カルチャーショックは子供のうちの方が教育にええんや トラウマになるぐらいが丁度...

  • 国の方針の転換で大規模な施設が作られなくなったから、今後は日常生活の中でも出会う機会が増えてくるよ 地域移行が進んで施設の代わりに家族が面倒見るようになってる 当時の教育...

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