はてなキーワード: 発症とは
神経内科医だけど、MGは確かに難病だけど今はちゃんと治療法あるから大丈夫。発症1ヶ月で診断にたどりつけてて早期治療できそうだし、今は点滴や内服の免疫治療が複数あって若いなら手術するかもしれないけど、寛解する人も多いからあまり悲観的にならないで。1人で不安をかかえず、周りやDrに相談してね。
小児発症の多い病気であるが、日本国内で本疾病について広く知られるようになったきっかけは、1982年6月に俳優の萬屋錦之介が歌舞伎座での舞台公演中に倒れて入院、その際に本疾病と診断された事であるとされる。
幼い子どもとお出かけがあまり出来ない事が気になるぐらいでコロナ禍の生活も慣れてきた。
最初は物が二重に見えて、車の運転中だったので危なく怖かった。
瞼も下がってきて、ガムやイカなどを噛むとすぐに疲れてしまった。
症状は目にだけのタイプと全身に症状が出るタイプがあるらしい。
最初は目にきて、両手両足、手指、嚥下、咀嚼、呼吸がしにくくなる。
命に関わる症状も出る事があると調べたら出てきた。
出来ていた事が出来ない、これから出来なくなるかも知れない不安に恐怖。
ここ数日悲しくていい歳して1人泣いてしまった。
子どもが成人を迎える、その先結婚するならその時まで、その時の自分のせいで子どもに精神的な負担を与えていないか
うつ病になりかけているのかも知れない。
否定的な両親に育てられ、いわゆる自己肯定感の低い人間でしたが、結構な時間をかけ、わりと努力して、自己肯定感が高くなった者です。
昨今、自己肯定感は高いほうが良いと言われてますが、元低い人間にとっては一概にそう言えないと感じているので共有できれば....。
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低い→高いのデメリット、それはコミュニケーション能力低下という副作用が発症することです。
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自己肯定感が高くなったことで、自分に自信が持てるようになり、人との会話で自分の意見をはっきり言えるようになります。
しかし、悔しいですが無意識のうちに話し方などが親に似ます。子どもの頃にされて嫌だった、否定的・高圧的な話し方に私はなっていたんです。
似るというのは、遺伝子の問題ではなく、親と接した時間が長い=無意識のうちに強い影響を受けるという意味です。
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何度も何度も後から気づいて後悔するのですが、すべて後の祭りです。
とても親しい友人や家族以外、上手く話せなくなってしまいました。仕事も同様です。
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最近は常に「私はダメな人間だ、人様に教えていただいてなんとか生きていける程度のダメな人間なんだ」と言い聞かせて、必死に自己肯定しないように心がけています。
高いところから低くするのは難しく、苦悩の日々です。
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もちろんですが、自己肯定感は高いほうがいいです。
以前の私は、希死念慮に苦しみつつ、生きることも死ぬことも人様に迷惑がかかってしまうからと板挟みで死にそうでした。
何をしても楽しくない、この世の全てが憎く、そのくせ生きている自分を殺したくてしようがなかったです。
あの頃に比べて、現在は仕事以外は全て楽しいので普通の生活なのかもしれません。贅沢な悩みですよね。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ishikawataiga/status/1478664032702054402
ちょっと調べただけで、
って情報がすぐ出てくるのになぜそうしようとしないのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c0363c38ce03c2937d3d0e75e8dc901195b684a
今年2月下旬、品川で起きたクラスターでコロナに感染して以降、体調不良が続くなか、ジャヤンタさんはこの10月、職員による制圧でケガを負った。その後、ようやく仮放免が認められたものの、わずか2週間で再収容された。
今年2月下旬、品川で起きたクラスターでコロナを発症したジャヤンタさん。2カ月で体重が13キロ減少した彼は、その後も体調不良が続き、7月には2度目のコロナを発症した。
8月以降、脚の痺れから歩行が難しくなり、車椅子を利用するようになり、食事を摂っても吐いてしまうため、弁護士や支援者との面会にも、バケツを持参するようになっている。
「一緒の部屋には、熱がある、咳をしている、血圧が上がっているなど、コロナの症状が見られる人がいました。私も熱や喉の痛みがあり、普通の食事を出されても食べられないので、具合が悪いからおかゆにしてもらいたいと頼みましたが、そのときに出されたのはお湯をかけただけで煮てもいない、塩も振っていないごはんでした」
ジャヤンタさんが再収容されたと聞いた石川議員は、11月29日に品川に足を運んでいる。
「車椅子で現れたジャヤンタさんは面会中も、時折バケツに嘔吐していて、再収容によって体調が悪化していることは明らかでした。外にいる間は温野菜やフルーツ、うどんなど、胃に負担の少ない食事をし、リハビリもおこない、少しずつ回復していたけれど、この日の昼食は冷めたハンバーグとあじフライだったそうです。
今の彼はこういうものは食べられないし、食べても吐いてしまう。まずは体力を回復させるべき人を食べられない状態のまま収容し続けている。入管がやっていることは拷問に近いと思います」
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20211129-00270226
今回、筆者の取材に応じたのは、スリランカ人男性のジャヤンタ・マルダケ・スガット・クマラさん(47歳)。2000年に来日し、日本で結婚したが、その後、離婚したために在留資格を失ってしまった。また、母国スリランカ内戦では現在の政府と応戦していた勢力に属していたため、帰国すれば迫害される恐れがあるとして、難民認定申請を行ったが、昨年3月に東京入管の収容施設に収容されてしまった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kanaedoi/20201013-00202884
1983年から26年間続いたスリランカ内戦は2009年、政府軍が「タミルイーラムの解放の虎(LTTE)」を武力制圧させて終結しました。その際、スリランカ国軍は反政府勢力LTTEの戦闘員だとして人びとを次々に拘束して連れ去りました。そうして連れ去られた夫や兄、弟、息子は音信不通となり、多くは二度と戻ってきていません。当時の大統領は、マヒンダ・ラジャパクサ大統領。そしてその弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が国防次官。この兄弟が率いていた当時のスリランカ政府は、国軍が関与した失踪を認めず、失踪者の行方や消息を明らかにすることも拒んだのです。失踪者家族は、恐怖と暗闇の中にいました。
実は2020年現在、希望があった時代は過去のものになってしまいました。失踪者家族はまた絶望の淵に追い込まれているのです。2019年11月、弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が大統領に選出され、兄マヒンダ氏を首相に指名し、再びラジャパクサ兄弟政権が誕生したことがきっかけでした。
第二次ラジャパクサ政権は、前シリセナ政権の国連人権理事会での約束をさっそく破棄。さらに戦争犯罪の疑いがかかる将校たちを出世させ、内戦の中でも特に悲惨な残虐事に対して行われていた国内調査を中断したり、スリランカで有罪を宣告された数少ない国軍兵士の1人(子どもを含む民間人8人を殺害した罪)に恩赦を与えたりしました。
それだけではありません。社会は再び分断されつつあります。現ラジャパクサ政権は、人口の4分の1を占めるタミル人とムスリムへの敵意をむき出しにしています。そして、ジャーナリストや人権活動家、弁護士はもちろん、私が会った失踪者家族さえもが、監視や脅迫を受けるようになりました。第一次ラジャパクサ政権に蔓延していた恐怖の空気が戻ってきてしまったのです。
内戦終盤から内戦終結後も、第一次ラジャパクサ政権は全土で強権的弾圧を続けました。首都コロンボでも、政権に批判的だった著名なジャーナリストたちが路上で暗殺されたり、拉致されて今も行方不明のままになっている事件が起きています。スリランカではかつては表現や結社、集会の自由がおおむね認められていました。しかし第一次ラジャパクサ政権下では、恐怖が社会を支配していました。
ラジャパクサ兄弟が2019年末に政権復帰を果たした結果、スリランカの私の友人たちは、弾圧を避けるために、あらゆることをしなければならなかった時代に戻ってしまったといいます。
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
んふふふwww 久しいですな、はてなー諸氏www
オミクロン株の問題もあり、最近ブコメや増田で「コロナは後遺症がこわい」という意見をよく目にするでござるwww
でも、具体的には知らんようでwww ヌプフォwww
しょうがなかろうなあwww
拙者調べだと、コロナ後遺症についてのTVニュースは全局で11月に9回、12月に4回程度www 新作アニメの本数より少ない始末www
よろしいwww
後遺症界隈の”ホットなトピックス”について拙者がレクチャーするでござるよwww デュフフフフフwww
重症急性呼吸器症候群コロナウイルス-2(SARS-CoV-2)www
呼吸器にとどまらず、症状が全身に広がる。しかも長期にわたる後遺症が残りやすいというのが厄介な点でござるなwww
後遺症が残る仕組みはいまだに未解明。初期に感染して寝たきりのままという人もいるでござる。
で、最近話題になっているのが「COVID-19診療の手引き 罹患後症状のマネジメント」www
12月1日に厚労省から発行され、ようやく後遺症者が適切な医療ケアを受けられるようになると期待されていたwww
だが、この手引きの評判がよろしくないwww
悪影響すらあるのではないかと言われている始末www ニンニンwww
そこで、先日「筋痛性脳脊髄炎の会」が改訂を求める記者会見を開いたんでござるよwww ブフォッwwww
んwww
「筋痛性脳脊髄炎の会」?www
スマヌスマヌwww ついつい拙者の知識レベルで話してしまったwww Format "拙者の知識レベル":\\wwwww
たとえば家事や勉強をしたあと、何日も起き上がる事すら出来ないといった症状が出たりする。寝たきりの人も多いんでござるよwww フゴッwww
疲れやすいだけの症状だと誤解されやすい事もあって、イギリスやカナダでは筋痛性脳脊髄炎(ME)という病名が使われておるらしいぞよwwww
つまり、「筋痛性脳脊髄炎の会」はME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)の患者会という事でござるなwww
んん?www どうして患者会が「罹患後症状のマネジメント」に対する記者会見をするのかって???www
デュフフコポォwww オウフドプフォwww フォカヌポゥwww
それは諸兄らwwwww コロナ後遺症が引き金になって、ME/CFSが発症する可能性があると言われているからでござるwwwwwwwww
患者会は昨年5月から厚労省に研究体制の要望書を出したりwww フル回転でござるよwwwwwwww コポォwww
それではwww 「罹患後症状のマネジメント」は何がよくなかったのかwww
「筋痛性脳脊髄炎の会」は、問題点を6つにまとめたのでござるよwww
1. 診療の手引き編集委員会の中に神経免疫の専門家が一人も入っていない
2. COVID19を契機にME/CFSを発症する可能性が明記されていない
3. 明らかな異常所見がないからといって精神的な問題とすべきではない
4. 罹患後症状が続く人の中には回復しない人がいることが明記されていない
5. 運動によって悪化する患者がいることが詳しく説明されていない
6. WHOの定義では新型コロナへの感染がprobableな(感染の可能性が高い) 症例も含んでいることが書かかれていない。
言い換えるとwww
1. ギョエェェー!? 神経免疫系の難病が発症する可能性があるのにwww その専門家がいないなんて、どうやって詳しく書くつもりでござるかwww
2. ME/CFSや他の難病がどんなものか解説しないと、マネジメントどころじゃないと思うでござるが?www ドプフォッwww
3. 神経免疫系の病気は検査が難しく精神疾患と誤診しやすいのにwww 明らかな異常所見がないからといって、簡単に精神的な問題に切り替えるフローにしてたら見逃しまくるでござるがwww
4. とても少ない割合だけど1年半以上生活困難な当事者が存在するでござるよwww つまり長期の支援(障害者としての支援等)が必要になる人がいる事も書いて欲しいでござるwww
5. リハビリ「
憎悪増悪に注意喚起」とあるでござるが、悪化のみならず寝たきりにすらなる可能性があるのでござるwww より慎重に判別しないとwww6. 貴様は~~~~! だから2ちゃんねるで馬鹿にされるというのだ~~~!! この!!! WHOは「感染疑い」についても書いておったろう!! 日本は特にPCR検査を抑えていた経緯があるわけだから未検査者が多かろう!! だから疑い者も同じように対応する事の明記が必須でござろうが!! デュクシッ!!
どの党の議員も「ただちに改定すべき」「改定するよう訴えるべきだ」と言っている。
いったい誰が止めているのか。
2008年に同じ病気の患者4人が出会って、患者会発足の希望を語った。そして、2010年に前身「CFSをともに考える会」が立ち上がった。
国の動きは遅い。
だが、少しでも前身しているのはコロナ禍以前からの難病の方々、そして協力して下さる医師や研究者の方たちのおかげではないだろうか。
通院した病院が十を超える人も珍しくはない。
理由は様々。
コロナ後遺症ではないと乱暴に断定されたり、知識がないので治療ができないとやむを得ず断られたり。
渋谷のとあるクリニックでは、今でも午前9時頃から午前3時頃まで診断をしているようだ。それでも、すべての患者を診ることができないとのこと。
「コロナ後遺症が恐い」のは、「それを適切に診てもらえない社会」があるからではないだろうか。
当たり前のように地元のクリニックで、しかも適切な形でコロナ後遺症を診てもらえる。
そんな社会が来ることを祈っている。
ME/CFS関連は非常に難しくセンシティブで、いっちょかみの私が書くのもどうかと思いますが……、増田という事で……(敬礼)。
敬礼!出た!敬礼出た!得意技!敬礼出た!敬礼!これ!敬礼出たよ~~!
https://www.asahi.com/articles/DA3S15150594.html
https://www.mhlw.go.jp/content/000860932.pdf
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/p0DAXVbbQR/
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=18723
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3450_01
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
昨晩、中がほぼ生なんじゃないか?ってくらいレアなハンバーグ(牛肉)を食べた。
メニューに写真も無かったし、レアな状態で出てくるとは思わないまま頼んでしまったから後には引けず。
ついてきた焼き石で極力火が通るようにして食べたけど、今になってかなり心配になってきた。
もう食べてしまったものはどうしようもないからこのまま5日間くらい何もせず過ごせることを祈ってるけど、ハンバーグによるカンピロバクターの発症数ってどれくらいなんだろう。
最近自分で焼き加減を調整するタイプのハンバーグ屋(極○や、挽○と米)がやたら流行ってて長蛇の列になってるけど、そういう店から食中毒って出たことないんだろうか。
そもそも社会主義者や共産主義者を牢屋から出したのは、第二次大戦後に日本を占領したGHQなんだが、これがかな~りマズかった。
合衆国は一応、自由を標榜してたし、日本の行き過ぎた軍国主義をどーにかしたかったんだろうが、連中、共産主義を舐めすぎ。
戦前から狂信してるレベルの筋金入り社会主義者たちに、ソ連で抑留・洗脳された人々が加わり、次第に手が付けられない勢力になっていく。
実際、パヨクが日本社会全体に急速に拡がっていったのは、今から半世紀以上前、昭和20年代から30年代にかけての話。
とりわけ若い連中が学生運動とかに取り込まれて行って、ヤバいことになった。
当時は、マンガはごく一部を除きお子様向けという社会的位置づけだったし、大人の鑑賞に耐えられるようなアニメなんて影も形もない時代。
当然、異世界転生も魔法少女も進撃してくる巨人も忍者も現代吸血鬼も世紀末覇者も宇宙世紀も何にも無ぇ。青狸ですら昭和44年連載開始だ。
そんな社会環境で中二病を発症し、こじらせると『オレの右手が』じゃなくて共産主義って島に行き着いたりしたワケだな。
んで社会をより良くしよう、社会革命しようとか本気で考え始めたのはいいが、結論から言うと洗脳された迷惑人間爆誕。
共産主義革命のためなら敵対する相手をポアしてもいいとか、オウム真理教の狂信者あたりとやってることはまったくおんなじ。
頭に洗脳ケーブル自分で刺して歩いているのに気づいてないのは当人のみ。馬鹿なの?死ぬの?生きてて恥ずかしくないの???
その後就職先を無くすという厳しい現実を前に、反省した者もいたが、メディア関係やら共〇党やら教育関係やらに入って更に悪化した奴もまた多い。
パヨク活動に漬かり切った当人たち、もう若くても60代後半とかだ。いまさら半世紀くらい前から自分が間違っていたなんて、とても言えない罠。
そればかりか社会から相手にされないため、今度は自分たちの言いなりにならない社会を憎んだり、壊そうとか考えたりする。
そんな連中に、お隣の儒教国家がはした金を与えて、手先に使っている模様。それで共産主義という島は息してるらしい。
あと家族による洗脳もまた強い。そこらへん、某学会と基本構造は似ており手口はカルトと一緒だ。数は少ないが、そうやって再生産されてるケースもなくはない様子。
ちなみに我々が被る迷惑については、例えば国を売って一儲け企む人間は、確かにパヨク界隈は圧倒的多数だが彼らに限ったことではなく、実は自民系にもそれなりに居たりする。
26歳、OL。
前の部署は終電逃してまでの仕事や休日の稼働もあるようないわゆるブラック部署。
そこでやっていくのはもう無理だと思い、退職したい旨を伝えたのが1年半前。
その時点では慰留に答える形で退職を断念した。
これが間違いだった。なぜなら、こうしてあまりまとまりのない内容を投稿するレベルには、脳が狂っているから。
正常な判断ができなかったり、不安心から通常であれば選ばないような
故に、頭の容量の多くを占めるのは「自分がどう見られているか」で、
目の前の仕事には集中できていない。
異動後、お客さんとの折衝を行う役割として
プロジェクトに参加することもあったが、
この時頭を占めているのは「自分がニセモノ(≒ここに居るに相応しくない人間)であることがバレないだろうか。」という感情ばかりであり、
従来の自分であれば見逃さないであろう会話の糸口を全て聞き逃していた。
私は完全に仕事ができなくなっていた。
辛かった。
「仕事ができる人間でありたい」という感情がもともと強かったので、
自尊心が削られる一方だった。
そして、もう一つ耐え難かったのがかなり暇なことだった。
前述した通り、鬱で異動しているので、
私になかなか案件を与えようとしなかった。
これがとにかくしんどかった。
日々が経過してしまう。
周囲からしたらそうでもないのかもしれないが、
それでも、もっと自分が頑張れば事態は好転するのかもしれないと思い、1年半は頑張った。
でも、変わらなかった。
上司はとても掴みにくいというか、
私が言うのも違うかもしれないが決してセンスが良いタイプではなく、
だから、辞めることにした。
自分的には不満が大きくとも、
周りから見たらそう不満に思うことないんじゃない?って感じの状況なので、
声高にあれが嫌!これが嫌!と指摘することができず、
とにかくムシャクシャしているが、
と思っている。
そういう感情を優先することで、
鬱病で最大限になった「他人を気にする」姿勢が和らいだのではないかと思う。
次の就職先は決めていないので、
でもそれでいい。
仕事、暇過ぎて辛かった。
私にとっては紛れもなく事実。
あと少しの間、会社に通うけど、
もう辞めるのだから時間が過ぎることを気にする必要はないよね。
こんな状況でもよく頑張ったよ、あたし。本当にお疲れ様。
免疫の権威のM教授がコロナワクチンは感染予防、発症予防、重症予防いずれも優れてるって著書で言ってたけど、最近の各国の感染者数グラフ見ると摂取後の方が感染者数増加してる国が多くある。これを未摂取者たちがコロナをばらまいてると考えるのは無理があると思う。ワクチンの感染予防効果はあまりないことは認めないといけない。ちなみに日本は今のところ感染者数抑えられてる。
普段文章を書くようなことはしないので、若干緊張しつつも残すことにする。
朝はいつもよりも少し遅め、7時目が覚めた。最近購入したニトリのNウォーム毛布の温かさに包まれつつ、布団の外の寒さを肩に感じつつ朝を迎えた。1時間ほど何も考えずにYouTubeでレトロゲームの実況やポケモンカードの開封動画を見ていると、妻も起きてきて布団に潜り込んできた。
妻が聴覚過敏を発症してから、2人で寝たことは無い。私が寝る時に足を擦る音が耳障りで寝られなくなるらしかった。多少調子のいい日には「そろそろ一緒に昼寝くらいなら出来そうかな」というが、妊娠がわかってからはさらに難しくなってきた。
10分ほど経つと妻が起き上がり、リビングへと向かう、私はさらに10分ほど布団に拘束されつつも何とか逃れ、リビングへと向かう。2人で冷凍されたベーグルを温め、音のしないプラスチックの皿へとうつし食べた。幸せな日曜日の朝だ。
その後二度寝を挟み、昼食に焼きそばを食べTVerで細かすぎて伝わらないモノマネを見ていると妻が「ぴこちゃんと散歩してくるね」と準備をし始めた。ぴこちゃんとはお腹に赤ちゃんの名前だ。エコーを見ている時にぴこぴこ可愛く動いていたらしい。その日からずっとぴこちゃん。その散歩に、自分が参加しない理由はない。
いそいそと準備を済ませ、2人で買ったワークマンの靴を履き外に出ると12月らしい冷たい空気が頬を冷やす。つい癖でいつもの歩幅で歩く私に何も言わずにゆっくり歩く妻。歩幅を合わせるのも慣れていかなくてはならないと思う。
散歩道では取り留めのない話ばかりだ。鍼治療の先生に教えてもらったカフェはここだとか、この前のプリンはこのお店で買ったんだとか、その辺の人が聞いたところで何も面白くない話。付き合っていた時から変わらない会話。
年末に付き合っていた時よく行っていたちょっと高めのお店みたいなコース料理を2人で作る約束をしながらひとしきり歩いたあと、プリンを買ったお店で洋菓子を買って家に戻った。マンションの1番上にある共有スペースを見に行こうと意気込んで向かうと、2畳くらいしかない謎の空間で2人で苦笑いした。
2人で手を洗い、紅茶を淹れ(最初間違えてハーブティーを入れてしまい、吹き出していた)買ってきた洋菓子を食べながらまた取り留めのない話をする。なんの話をしたのかもう覚えていないくらいだ。
今こうして私が文章を打ち込んでいる間、妻は寝ている。散歩をして疲れてしまったようだ。身重の体では散歩も重労働らしい。その寝顔を見たいと思いつつ、起こしては悪いので今この文章を打っている。
今の自分はこれ以上なく幸せだと思う。学生時代の先輩が最近本を出したので買って読んでいるうちに自分も何かしらを残したくなったのでこれを残すこととした。気分が乗れば妻と子供の話をまたしようと思う。それではまた
自暴自棄になって自分のものを壊したり、逆に人に乱暴ふるったり、突然泣きわめいて混乱したりと言ったことがあった。大学くらいになれば大分落ち着いたが、それでも半年に一つくらいは壁に穴が増えていったし、1年に一回は家族に乱暴ふるってたし、2年に一回は携帯を地面に叩きつけて壊していた。
大人になってパワハラ企業で潰されて、うつを経由して、躁鬱の診断が下って、薬が処方されて以来、感情が爆発することがなくなった。そもそも感情の起伏自体がほとんどなくなった。喜怒哀楽に突き動かされることがない。植物のような穏やかな生活を送っている。人生でこんなに穏やかな気持が長く続いたことはない。
ひょっとして俺は、既に子供の頃から躁鬱を発症していたのだろうか。そうすれば過去の顔を覆いたくなるような数々の失敗も病気のせいにして逃げられるだろうか。
ゴキブリの体内の菌
私たちにもたらす害
ゴキブリが私たちにもたらす害はどんなものだと思いますか?不潔といわれ続 けているゴキブリですが、実害がどんなものか知らない人も多いので、ここでご紹介い たします。まず、ゴキブリはどういった菌を持っていると思いますか?
ゴキブリには、サルモネラ菌という菌があり、この菌の生存率は高くゴキブリの糞の中でも何年間も死なずに生息するほど、かなりつよい菌となっています。このサルモネラ菌は、サルモネラ食中毒という感染型の食中毒の原因となっています。日本でこの食中毒が多く発症されていて、嘔吐、下痢、発熱、消化器系の症状が多くみられます。
サルモネラ菌はとても危険な菌なのです。サルモネラ菌意外にもゴキブリは菌を持っていて、赤痢菌、ピロリ菌など もゴキブリの糞の中にあり、人へ感染していくといわれています。そういった経路をたどると人間は病気になります。菌は、アレルギーの原因ともなる ので注意が必要です。直接人間に触れなければ大丈夫だと思っている人も多いのですが、間接的に人間が触るものにゴキブリが触れるだけで 被害があるのです。
不潔なゴキブリ
不吉で危険な害虫の中にはハエもいますが、その何倍もゴキブリは危険な生物だ ということになります。恐ろしいことだと思いますが、ゴキブリを駆除すること がどれほど重要であるかということを理解していただけると思います。様々な危 険が、あの小さな体の中にはあるのです。
とても恐ろしい生き物
こういった菌のことを考えると、とても恐ろしい生き物だということを理解して頂け ると思います。どれほどゴキブリを駆除することが重要だということを知り、怖い、気持ち悪いといって 放置せずに床を這っている小さいお子さんやペットがいる家庭では注意しなければなりません。 特に赤ちゃんのいるご家庭は対策をしっかりしておきましょう。誤って口に入ったりしたら対処の仕様もないほど 大変なことになるのです。