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2023-04-27

オカルトにハマりつつあるお客さん

ちょっと前に「井戸を埋めるときパイプを通しておかないと祟りが起こる」みたいなオカルトまとめがちょっと話題になってたけど、それに関連して今の仕事で悩んでいることがある。

リフォーム会社に勤めているんだが、やや高齢のお客さんが「電磁波有害説」を最近信じ始めてしまったようで、オール電化の予定だったが急遽ガスに変更したり、炊飯器もガス炊飯器にしたいとかの変更がでた。

今のところ変更自体別にいいんだけど、この前打ち合わせにお家に行ったら珍妙機械説明が難しいんだけどでっかい円錐形の金属上下についてるオブジェみたいなやつから線が出ていて、白い陶器製?っぽい丸いなにかに繋がってる)が置いてあって、嫌な予感がして調べたらやっぱり高価な電磁波対策機器だった。

そこのホームページには要領を得ない説明と、電磁場測定器を使っても変化が無いことへの言い訳が赤文字で書かれているようなもうカスカス詐欺商品だ。

で、最近また壁に電線を埋め込まないで欲しい(これは普通に無理)とか、コンセント全部にアースを付けてほしいとかのリクエストが増えてきた。

ちょっとずつコストが上がるような要望が出るにつれ、自分詐欺に加担しているような嫌な気分になる(実際、工事費が上がれば比例して儲けも増えるわけだし)

でも風水に従って変な位置トイレ付けて余計に工事費がかかるくらいのことな普通にあるわけで、それと何が違うのか?それで施主が満足するなら別にいいじゃないか。とも思う。

俺はべつに電磁波専門家でもないし、お客さんを安心させられるような化学的に正しい説明も出来ない。

そんな中途半端人間がお客さんの信心中途半端否定しても悲劇しか起きないだろうということもわかっている。

でも同時に目の前で明らかな詐欺に引っかかろうとしている人を放っておくのは人倫に悖るとも思う。

もし騙されているのが自分の親なら徹底的に調べて言葉を尽くして説明して止めると思う。

どうしたらいいだろう。いや、どうすることも出来ないんだけど。

元々電磁波有害説にハマってる人として出会っていたらこんなに葛藤しなかったと思う。

知り合ってから徐々にハマり始めたのを目撃しているからこんなに嫌な気持ちになるんだな。

打合せに行くたびに野菜とかお菓子を持たせてくれるようなひとなんだよな。

底なし沼に沈んて行く人を黙ってみているような気分だ。

2023-04-10

お前らの深夜コンビニで買える歩き飲みに最適なツマミ推しを書いて

から少し離れ街灯も疎らになった大通りの先に、一際明るく佇むコンビニエンスストアが見える。

灯りに吸い寄せられる羽虫の如く、私はフラフラとその明るさに導かれてゆく。

ほんの10分ほど前に別のチェーンのコンビニで買ったストロングゼロの缶を一息に飲み干し、ぐしゃりと潰して入り口横のゴミ箱に放り込む。

冷たい夜風に曝された身体に冷たい液体が満たされる、全てが冷えきった肉体の中で胃の腑だけが少しの熱を感じていた。

軽快な入店音と共にガラスの扉が開いて、より一層の明るさが飛び込んできて私の目を眩ませる。

同時に熱気とも形容できそうな空気が私の身を包む、この居心地の良さに慣れてしまうと再度外に出るのが嫌になりそうで、私は早々に買い物を終えることを決意した。

先程と同じストロングゼロ、今度はレモンではなくグレープフルーツの500ml缶を手にしつつ、レジの前のガラスケースを遠目で見る。

何か暖かいものが食べたいという私の思惑を打ち砕くように、普段オレンジスポットライトで揚げ物たちを輝かせるホットケースも、水滴に満たされて白くキラキラ光る蒸し器も役目を終え、電気が消されたがらんどうの中身が寂しそうで、明るい店内で一番暗い場所のように感じた。

空っぽで寂しげな真っ暗い部屋、私がこれから帰る部屋みたいだと自嘲する、まだ酔うには早いはずなのだけれど。

売れ残ったお弁当おにぎりブリトーを眺めて、あれも違う、これも違うと迷っていると、目の前に大きなソーセージが飛び込んできた。

シャウエッセン史上最大!」そんな呼び文句の横に「レンジOK!」の文字を見つけ、思わず手に取った。

ストロングゼロの缶と同じぐらいの長さのソーセージレジに並べる、私の「あたためお願いします」の言葉レジ留学生とおぼしき若い外国人男性は少し戸惑っていたようだったが、「開けて温めるみたい」と私が言うと恐る恐る封を開け、レンジに掛ける。

「オマタセシマシタ」

はいらないといった私に一つずつ商品が手渡され、左手ストロングゼロ右手に巨大ソーセージという珍妙な格好で、ダンジョンに潜り込む勇者が如く、再度暗く寒い夜道へと切り進んでいく。

ソーセージを一齧り、追い掛けるようにストロングゼロをごくりごくりと飲み込む。

あぁ、思っていたよりもずっと美味しいじゃないか、吐いた息が白くなって夜空へと昇ってゆく。

生きてて良いことなんて無いけど、死ぬほど悪いことも無いな、そう思いながら私は家までの残り15分ほどの帰り道、恐らく途中にある最後コンビニでもう1本お酒を買うだろう、などと考えつつソーセージをもう一齧り、またストロングゼロを飲み、また歩き出すのだった。

オカルトにハマりつつあるお客さん

何日か前に「井戸を埋めるときパイプを通しておかないと祟りが起こる」みたいなオカルトまとめがちょっと話題になってたけど、それに関連して今の仕事で悩んでいることがある。

リフォーム会社に勤めているんだが、やや高齢のお客さんが「電磁波有害説」を最近信じ始めてしまったようで、オール電化の予定だったが急遽ガスに変更したり、炊飯器もガス炊飯器にしたいとかの変更がでた。

今のところ変更自体別にいいんだけど、この前打ち合わせにお家に行ったら珍妙機械説明が難しいんだけどでっかい円錐形の金属上下についてるオブジェみたいなやつから線が出ていて、外付けハードディスクみたいな白い四角い箱に繋がってる)が置いてあって、嫌な予感がして調べたらやっぱり高価な電磁波対策機器だった。

そこのホームページには要領を得ない説明と、電磁場測定器を使っても変化が無いことへの言い訳が赤文字で書かれているようなもうカスカス詐欺商品だ。

で、最近また壁に電線を埋め込まないで欲しい(これは普通に無理)とか、コンセント全部にアースを付けてほしいとかのリクエストが増えてきた。

ちょっとずつコストが上がるような要望が出るにつれ、自分詐欺に加担しているような嫌な気分になる(実際、工事費が上がれば比例して儲けも増えるわけだし)

でも風水に従って変な位置トイレ付けて余計に工事費がかかるくらいのことな普通にあるわけで、それと何が違うのか?それで施主が満足するなら別にいいじゃないか。とも思う。

俺はべつに電磁波専門家でもないし、お客さんを安心させられるような化学的に正しい説明も出来ない。

そんな中途半端人間がお客さんの信心中途半端否定しても悲劇しか起きないだろうということもわかっている。

でも同時に目の前で明らかな詐欺に引っかかろうとしている人を放っておくのは人倫に悖るとも思う。

もし騙されているのが自分の親なら徹底的に調べて言葉を尽くして説明して止めると思う。

どうしたらいいだろう。いや、どうすることも出来ないんだけど。

元々電磁波有害説にハマってる人として出会っていたらこんなに葛藤しなかったと思う。

知り合ってから徐々にハマり始めたのを目撃しているからこんなに嫌な気持ちになるんだな。

底なし沼に沈んて行く人を黙ってみているような気分だ。

2023-04-06

ひとはなぜつまらないことでへそをまげるのか

時間無駄なので怒っているひとに向き合ってはいけない。その怒りは早ければ1時間後、遅くとも1ヵ月以内にはなくなっている。

怒りを忘れた頃、怒りをぶつけたひとはもう生きていないかもしれない。

リスク特定する、というアプローチよりも脆弱性特定する、という入り方のほうがよい。

似た概念だが、蓋然性確率ニュアンスの強いリスクよりも、脆弱性のほうがより【原因】のニュアンスが強く、原因を因数分解やすい。つまり問題解決志向から

脆弱性には定量化ができないものがある。

それなのにリスクという視点でとらえた瞬間、定量化できるのかのような錯覚に陥る、

それは事業を行うために割り切るからに過ぎないことを忘れているのだ。

ハザード脆弱性がともに暴露される、としてリスク定義する珍妙さは、定量化できるものだけを見える化しているにすぎない。

落としどころは重要だけど、今そういう話をしていたわけじゃないよね。

2023-03-30

モザイクとは何だったのか?その変態性に就いて

新宿モザイク坂が先週で営業終了との事で話題になっていたが、知る人は少なかろうがあそこは実は高架道路なんである

斜路の高架道路階段設えたりタイル貼ったりしたのがモザイク坂だったのだな。

じゃあなんでこうなったのかというのには経緯があるのでちょいと書いてみたい。

 

西口歩道橋時代に空中駐車場への通路として開通

モザイク坂は京王デパート小田急デパートに挟まれているように見えるが、実は小田急の駅上の京王デパートに隣接した所を通っている。

例えば小田急の降車ホームをよく観察すると

1.南側が狭くなっている

2.南側天井が斜めに低い

という事に気付くはずだ。https://goo.gl/maps/LoyBvgAkdnU7oubeA

この斜めは何かと言えば、そう、モザイク坂の高架道路斜路が上にあるんである

 

1966年に今の地下広場を擁する西口の立体ロータリーが完成するのだが、その前には大歩道橋があった。今のモザイク坂登り口横の京王入口付近から丸の内線入口付近まで続く広くて大きい歩道橋があり、国鉄駅や小田急駅に接続していた。

これは小田急京王←→国鉄←→地下鉄国鉄←→バスの乗換客がぶつかる事を避けて分離するためだったと思われる。ペデストリアンデッキの走りだね。

国鉄商売下手&流通事業基本的に認められていない為に市街活性化の為に駅ビル民間が建てて運用する事になり、小田急は自社改札~地下鉄までの権利を獲た。

さてそこで困ったのが駐車場をどうするか。当時はモータリゼーションの途上だったが、自動車は富裕の象徴でもあった。ならば百貨店の高級イメージの為にも駐車場は欠かせない。

そこで小田急線のホームの上に高架式の駐車場を作る事にしたのである

まずは丸の内線上にビルを建て(現小田急ハルク)、そのビルから小田急線改札までに本館を建てる。

更にホームの真ん中辺りの上空に鉄骨を組んだ人工地盤建設して地上4階の駐車場にする。

改札上空にも鉄骨を組み建て本館と連結させる。その拡張本館と空中駐車場を繋ぐ。

そして本館横の京王デパートとの隙間を登り口とする高架斜路で駐車場に繋ぐ。また、線路を大きく跨ぐ甲州街道に出れるようにこっちにも高架道路を作る。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.690359&lng=139.699506&zoom=18&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_nlii1&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

なんでこんな凝ったデザインにしたの?と言ったらあれですよ。当時完成供用開始された首都高速道路。あの「未来っぽさ」を模す為にわざとビルの隙間を縫う高架道路にしたんだと思われる。

それに小田急本館の横に入口を設けられるからアピールやすい。更に完成した時は歩行者デッキがあるからそこに車入口を作っても歩行者の妨げにならない。

近未来感&利便性ですな。

 

西口ロータリー改修で廃止の憂き目に

ところが空中駐車場が出来て数年後には西口の立体ロータリー工事が行われ、地上+歩行デッキの二重構造で歩者分離していた交通が地上+地下の二重構造になってしまう。

更に京王デパート開業すると歩行者の通行も増えて車が歩道を斜めに渡って斜路登り口に行くのが危険になってしまう。

しかも登り口横に京王デパート入口が出来てしまった。更に小田急線の一階改札出口の横でもあってバス乗り場にも近く、更に更に地下への階段も出来てしまった。

そんな人とバスタクシーがひしめく所に車で斜めに入っていくなんてとんでもない。

という事でこの登り口は廃止するしかなくなってしまう。後には歩道ガードレールでも塞がれてしまい、プチ首都高の高架斜路はトマソン化してしまった。

大きい電鉄デパートの間に錆びたゲートで塞がれた寂れた廃道があるという光景である。この状態10年以上放置されていた。

空中駐車場の方は甲州街道から入れるからそのまま供用されていた。また、空中駐車場は二層構造になってて一階降りると荷捌き場があったようである

ロード

小田急としても始発駅のデパートのすぐ横に「廃」なものがある状態いつまでも放っておくことは出来ない。

そこにミロード建設の話が持ち上がった。ホーム上空で開いている空間甲州街道側に連結するビルを建てようという計画だ。因みに当時南口はかなり寂れており、古い跨線橋に改札があるだけで、しか甲州街道の陸橋の真ん中に出てしまう上に小田急にも京王にも乗り換えが出来ずに不便であり通行する人も余りいないような状態だった。

そこに敢えて出店するとともに小田急線の改札も設けて人流を作ろうという計画だ。

そして放置プレイ状態の廃高架道路通路として活用する事になったんである

からモザイク坂は1990年代の中頃まで「モザイク坂」とは一般には呼ばれずにミロードと呼ばれていた。

 

当初のモザイク坂は今の様に斜路+階段半々ではなくて全域が緩い階段になっており、坂の途中にはキヨスク形式の店というかスタンドが途中に2軒程度あるだけだった。

坂を上がった先は広くなっているがここが元の空中駐車場で、駐車場としては廃止。でも西口地下に駐車場が出来ているか問題がない。

ここの空中広場は大きなサンシェード的なテントが掛かっていたのだが、テントが掛からない切れ目が斜めに通るようにしていた。またイベントスペースとステージがあって芸能人が来たりラジオスタジオがあったりした。

この広場は明らかにフランス欧州古都にある都市中庭を模していると思われる。アパート群に囲まれた地上数階の場所広場があってマルシェバザールが開かれている、あの宮崎アニメ的なイメージだ。

また階段途中に平べったいキヨスク的な店舗が点在するのなんかはモンマルトル的だ。多分デザイナーフランスあたりの都市構造を知っている人物なんじゃないかと思う。

ただ80年代という事もあって店舗の方がダサかった。

 

こうしてミロードの付帯物件だったので2000年くらいまで駅南口の方に抜ける事は出来なかった。

広場の左の方にミロードへの入口があるのだが売り場に入ってしまい、更に階が違うのでエスカレータ下り必要があった。電車に乗る時に売り場を通過するのは結構ストレスになる。

 

構造珍妙

駐車場廃止できたが、デパートでは重要搬入口は廃止出来ない。そこでモザイク坂上広場結構複雑な事になっている。

広場の左側(東側)には店舗があるが、じつはこの上は荷捌き場と搬入車駐車場になっている。

最後は通り抜け出来るようになっていたドン付きの上はよく見ると面台のようにミロード躯体との間に何やらスペースがあった。

https://goo.gl/maps/aYLf6WuWewEhw2bd8

実はこれは搬入車用の道路で、甲州街道から急坂で登ってきてここでクランクを曲がって左側店舗の上で荷卸しをするんであった。

このクランク甲州街道搬入入口間は急坂になっているが、この区間は高架道路である。つまりロードの下の方は駅ホームでその上の方の端っこには高架道路があるというスカスカ構造だ。ビッグサンダーマウンテンみたいである。

2000年頃?開通したミロード通り抜け通路は登ったり下ったり構造が複雑で、特に変な出っ張りがあった。

https://goo.gl/maps/Wqd4ZQC9qPdAnWof9

こりゃなんだ?

右には高架道路が急坂で下って来ていてその真ん中へんなのだ。つまりはこれは高架道路の橋脚が出っ張ってるのを避けてるって事である

 

また、旧駐車場のミロード広場が鉄骨の人地盤モザイク坂が高架道路という構造の為にジョイント存在する。

広場と坂の接続部と、高架道路の橋脚の上の各橋桁間に一見排水路メンテナンスリッドのようなものがある。

https://goo.gl/maps/LBz4QRy4tYHpZkCd7

これらはジョイントカバーで、大地震の際は各構造物の揺れ方が違うのではじけ飛んでしまうので危ない。地震の際には離れるべき…もう立ち入りできないけど。

たこジョイントカバー階段途中の店舗の中にも存在し、坂に対して直交だけでなく、それにT字に交わるものもあった。

T字になっているのは店舗の奥の方が小田急本館躯体に支持されているからと考えられる。明らかに本館に食い込んでいる店舗もあった。

また、高架道路には両側に腰くらいのコンクリ壁があるが、京王側にはそれが残っていたが

https://goo.gl/maps/dTeGpTE7c3S3KeLv6

小田急本館側は店舗の奥行きが拡大されており、撤去して本館躯体まで床を拡大する工事が途中で為されたと思われる。

 

利用していた人らやここで働いていた人らもここが高架道路の上とは思ってなかったんじゃないだろうか?

 

耐震工事してあったのかな?

阪神大震災で数多の高速道路鉄道高架橋が落下してしまい、急遽全国的に落下防止装置、橋桁を巨大チェーンやワイヤで橋脚と繋げるあれの工事をしたのだが、モザイク坂はやってあったのだろうか?疑問である

モザイク坂とミロード、一度下から見てみたかった。

みんな気が付かなかっただろうけど相当な変態構造物だったんだよ、というお話でありました。

youtubeコメントにある価値観アピール

おっさんが飯食ってる動画に「ちゃんと口閉じて咀嚼してえらい」とか「周りの人に配慮した画角で素敵」みたいなわざわざ言わなくてもいいような当たり前のことをあえて表明することで「私はこのように倫理的感覚を持ち合わせています」とアピールしているコメント観測範囲マジで多い。「人を殺さなくてえらい」とか言ってるレベル珍妙に見える。

俺はおっさんだが、おっさんが飯食ってる動画好きだから見るのでコメントが目に入らないように気をつけていて面倒なんだよな。

2023-03-19

治安悪くしている人達は何を考えているのか

増田とかで珍妙発言ヘイト行動、嵐行為を続けている人達

彼らは自分達が迷惑行為をしている自覚あるのか?あらならなんでそういうことしているのか

2023-03-02

コスプレお断り喫茶店かい記事見たけど、自分コスプレしたいとも思わんし周りにやってる知り合いも1人もいないが、街中でコスプレしてるやつがいたら珍妙だなと思うけど、「公共の場コスプレタブーなのに」みたいなこと言ってる喫茶店もなんか変な認識だなと思った

裸とか水着とかはともかくただのコスプレはただの珍妙な格好したやつなだけでその格好でジロジロ見られようがなんだろうがそいつ勝手なんでは

うちの喫茶店では変な格好するな、不気味な小道具を出すな、ならまあドレスコード一種か?とも思うしオーナー勝手しわかるが、街中をコスプレして歩くやつは許せないマナー破りだみたいな話はよくわからん

原宿で珍奇な格好してる人みたいなもんじゃないの

2023-02-21

高齢者集団自決の前にやまゆり園があるんだと思う」ってさあ、

まあ全く間違いではないだろうけれど、

発想として高齢者集団自決もっと近いのは、保育園落ちたぞ日本死ね子育て罰とかという言葉流行る状況だと思うよ?

子育て世代」なる珍妙言葉流行り、生産性のない高齢者に金を使うなという声が盛り上がってきた矢先の成田発言だろうに

そこから自分達の責任を切り離すのが実に卑怯だな

2023-02-11

もと共産党員から見る今回の騒動

俺は共産党の元下っ端党員だ。だいたい10年ぐらい在籍していたにすぎない。そんな元下っ端の立場から見た今回の騒動を取り上げる。

まず外部の人間から見て、なぜ日本共産党が今回の騒動に対してここまで強硬的で排他的なのか気になるところだろう。

党首選を導入したら?」という意見に対して「攻撃だ!」と騒ぎ立てて除名までやるのは独裁的に見える。

とはいえ、外部の人間共産党言動に対して珍妙に感じているとはいえ党員からすればこれが共産党の「普通」だ。

共産党内では議論が許されているし、異論を言うことも許されている。だが、それは「上の決定」の範囲内の話だ。

というのも、意見が「上の決定に触れる」のと「外部から揉めているのを見られる」の2つを達成すると晴れて「要注意人物」ということになる。

要注意人物になると村八分……というか党八分のような状態になって、非常に肩身が狭い思いをするのだ。お偉いさんから注意されるし、あまりに行き過ぎているとやんわりと「出て行け」ということになる。

日本共産党では「上の決定」が絶対であるのは当たり前だが、もちろん人間である限り個人意見はある。

だが「個人意見尊重しすぎると党がバラバラなっちゃうから控えなきゃ」みたいな忖度というか全体的な雰囲気があって、個人意見と上の決定が矛盾していても、党員はなんとなく「2つの思考共存」させながら活動しているのだ。

日本共産党では「党内で十分に議論されているか民主的だ」としている。しかしこれは内部の人間から見れば形だけのものに過ぎないとわかっている。

というのも、共産党内では3ヶ月前ぐらいから決議が降りてくる。

そうすると決議案を各支部で「討議」するわけだが、実際のところ「決議案をちゃん学習して実践しよう」みたいな雰囲気で終わることが多い。

外部の人間からすれば「それは議論なのか?」というところだろうが、実際のところ議論ではない。

ここまで読んでいただいてわかっただろうが、共産党は「雰囲気」で動いている党なのだ

そして「雰囲気」を極度に乱すものが現れると強力な権力を持った「上」が現れて排除される。

今回、共産党世論から久しく離れたような意味不明言動を繰り返しているのもそれが原因だ。

共産党は外部にもこの「雰囲気」が共有できると思っている節がある。

でも実際のところこんな「雰囲気」は共産党外では異常だし、意味不明だ。

俺も共産党内にいる時にはこの雰囲気に飲まれていた。でもシャバに出てみるといかにそれが異常かがわかるというものだ。

普通の党ならば選挙党首選などによって上が入れ替わり、「雰囲気」が変わることもあるだろう。だが共産党は違う。60年にもわたってこの雰囲気が維持され続けているのだ。

今回の騒動はこの「雰囲気」を外部に少し見せただけにすぎないのだ。

2023-01-13

anond:20230113104930解像度」の転用に関してはてブをさかのぼってみると

2017年には解像度本来意味から転用してコメントするブクマカが見られる。もっと以前に遡れそうだが大量の普通用法に埋もれていて面倒くさい。

言われてみれば、反実仮想仮定条件が同じ構文って、物事表現する言語として解像度粗くなってるな。完了形過去形も、確かに言語として別の関数をあてるべき事象だわ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/344398133/comment/mcgomez

2017/09/05 20:11

文体アトピー増田? 解像度が荒い感じ。コンシューマーに近いゲームもあるのにスマホゲーって一緒くたにするのも雑だし、ガチャゲーにも無料分で満足しやすものそうでないものグラデーション状にある

https://b.hatena.ne.jp/entry/345268345/comment/summoned

2017/09/24 22:38

記事としてはここらへんが古そう。鳥飼茜へのインタビュー。「鳥飼茜が言っていた解像度」というような言及もあったがインタビュアーのほうが「解像度」という言い方で話を振っている。

——これは男性に失礼なのかもしれませんが、男性の見ている世界ってもしかして解像度がかなり低いのでは?と感じてしまいました。

鳥飼 たしかに男の社会解像度を低くしないと生きづらい。男性側もおそらく直感的にそれを察していて、物事をわざとラフに読み込んでいる感じがします。でもだからこそ色々な意味で寛容なんですよね。ちょっと腹立つことを言われても、すぐに気持ちを切り替えてなかったことにしてくれたりするから

https://wezz-y.com/archives/51063/2

2017.12.15

インタビュアー 餅井アンナ

これもほぼ同時期。島国氏の言った「解像度」を対談相手理解できていない。今のように普及していなかったと思われる。

島国氏:

 さっきまで楽しそうにキャンプしていたのに(笑)ドット絵のころの「FF」だったら、そんなところはゲームのもの解像度の粗さの中に隠れていくんだけど。

hamatsu氏&TAITAI:

 解像度

岩崎氏:

 この人はシステム物語を含め、ゲーム表現しているものトータルなレベルや細かさを、解像度という言いかたをするんですよ。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/171229

2017年12月29日

発言者 島国大和

はてなで人気のふろむだ氏

「原因特定解像度」とは

原因特定解像度とは、「マーケ施策成功・失敗の原因を、どれだけはっきり特定できるか?」ということ。

https://fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2018/11/21/091002

2018-11-21

これも「大森靖子が言っていた解像度」といった言及が見られ、普及に一役買ったと思われる。

大森 それ解像度ですよ。ミスiD見てると解像度が上がる。解像度が低い人は全部同じメンヘラに見えるからそんなことが言えちゃう。こんなに色とりどりなのにね。

この前、あるトップユーチューバーの男の会話を聞いていたら、「男で”こういう自分を認めて”ってのはいいけど、女が見せる自己顕示欲は引く」みたいなことを言ってて、結構げんなりしたんだけど、男は「こういう自分を愛して」って言えるのに女の子評価ってまだそうなってないのかって、その人を見て思ったんですよね。そいつは「オレも大森靖子フォローされたかメンヘラの仲間入りかなぁ」とかも言ってて。まだまだ世界地獄だなって思った。こんな時代まだ続いてるのかって。フェミっぽいこと言うわけじゃないけど、女の子もっと解像度高いし、もっと自分から」でいいじゃん。男女じゃなくて自分からで戦えるように、かわいい底上げしていきたい。

https://friday.kodansha.co.jp/article/26827

2019年01月03日

発言者 大森靖子

−−−追記

現存する増田での初出。その後も年1回くらい書かれている。2014年に「価値観解像度」という言葉をひねり出した増田珍妙言葉を使うなとつっこまれていた。

実際の世界は複雑なのですから、単純で一軸の評価で終わることなく、沢山の見方、そしてそれぞれの関係性にも思いを馳せて下さい。

そうやって解像度を高めて行きましょう。モノクロモザイク世界に留まる理由など無いのですから

https://anond.hatelabo.jp/20100326095144

2010-03-26

2023-01-05

暴走族車両デザインの源流を説明する(2/2)

https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き

 

60年代カフェレーサー

カフェレーサーというのは1960年代イギリス流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである

カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。

このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。

すると、カウルハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。

そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。

珍奇とは他と違うという事だから所属を表す象徴作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である

これはバックミラー鬼のように付けたモッズベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前祭り山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。

 

一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用問題が絡んでいる。

カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。

から更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である

あんな高い所にカウルヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである

 

コルク帽(ヘルメット

車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。

これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明エントリがあったはずだが忘れてしまった。

ここで説明したいのはコルク帽の由来だ。

もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。

次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代60年代バイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。

これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。

次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイス進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。

まりコルクとは半帽ヘルの事を指していた。

現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである

1968年富士重工ラビットスクーターディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年ディスコンになるとスクーターベスパ以外製造されない時期が続いた。

ホンダはここにバイクと無縁な主婦市場があると見抜き、1976年ラッタッタでお馴染みのソフトバイクロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンリリースする。

この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れますバイクとは違うものですってイメージにならない。

そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。

http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html

歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデル小川ローザだ。

それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所スーパー自転車屋であってバイク屋ではない。内装ナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。

ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。

1986年原付ヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。

こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族ヤンキーしかいない。なのでまた所属象徴である。それで90年代にはヤンキー暴走族象徴するアイテムになった。

 

からロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ

更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称60年代を借用して実体オリジナル70年代にある、という錯綜した現象なんである

 

族ヘル

ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。

70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイス暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。

このタイプデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。

 

「○○レーシング」「スペクター」のようなチーム名

暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字名前と分かれている。

これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナ名前を使う。

一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフ漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値問題である

 

街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分エンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。

 

世界に広がる暴走族の輪

こういう風に族車デザインは当初はスピード象徴であったもの文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体価値を持つという現象である

特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。

カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーロケットカウル組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である

 

こんな珍奇な族車だが、実は日本キッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。

試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?

日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツフェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこち大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本キッチュ大好き国民なんじゃないかな?

更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku

結構な人気ジャンルなのだ

出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本暴走族ファッション中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディース特攻服着物特に人気のようだ。

 

そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。

2023-01-04

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

わたしを離さないで」(2005)

臓器移植のために育てられた人間の子どもから大人になるまでの記憶を綴る。

かに美しい小説だ。子供から大人になるにつれて、見える世界は広がっていく。たとえそれがどれほど酷なものであろうとも、子供たちはそれを受け入れねばならない。語り手は振り返り、ひとつ出来事を大切に手の中で壊れやすい卵を計るように並べている。

読者も少しずつ、まるで語り手と一緒に育っていったかのように、事の真相を知らされていく。細やかな、性格を端的に示すエピソードミルフィーユのように繊細に重ね、誰もが持つ幼いころの記憶登場人物シンクロさせる手際は見事と言っていい。主役三人の性格の違いとそれによっておこる対立の見事さは、この小説SFというよりも性格劇に分類したくなるほどだ。夢中になってはまる本とは違うけれど、読む価値はとてもある。

しかしながら、感情描写文章リズムがうますぎるあまり、根幹のSF的設定が、ふと荒っぽい夾雑物にまで見えてきてしまう瞬間がないでもない。細密な建造物を支える、太すぎる柱にたとえればいいのだろうか。

そもそも臓器移植のためだったら、人間を育てるんじゃなくて臓器だけ培養すればいい。

どうも舞台となっている世界技術水準や、テクノロジー社会に与えるインパクトの細部の詰め方が幾分甘い。

日の名残り」(1989)

かつて仕えた主人が第二次世界大戦中に対独協力者で、それを理由戦後に没落したため、その屋敷を買った米国人に仕えることになった執事の話だ。カズオ・イシグロ本領である、決定的な本音事実意図的にあるいは無意識に隠したまま語り続ける居心地の悪さ、気持ちの悪さがいかんなく発揮されている。

熟読すると面白いが、何があったかは作中では基本的には明確に語られているのもいい。

かつてはほのかな思いを寄せていた同僚であった女中からも、今となっては過去の人とみなされており、最後自分人生って何だったんだという悔恨にさいなまれるシーンは最高だ。

かつての美しいイギリス風土と、失われた執事美徳悪徳について。感情に蓋をしがちで、行動原理自分の「したいこと」ではなく「なさなければならないこと」になっているひとにおすすめしたい。面白かったので英国メイド執事の本を何冊か読んだ。

遠い山なみの光」(1982)

長崎出身現在イギリスの片田舎に住む悦子(語り手)の所へ娘のニキがロンドンから訪ねてくるところから始まる。ニキが言及する悦子の生涯を、ニキからのまた聞きや、写真の印象だけから詩にしようとする詩人が出てくるのだけれども、なんだか作者自身創作する自分のことを批判的に見ている姿が透けてみえる。全体として、シングルマザーとしての苦しみが複数語られている。

これは褒め言葉としていうのだけれど、読んでいてずっと不穏な感覚をぬぐうことができず、いいようのない気持ちの悪さがある。たぶんその正体は登場人物の会話が互いの自己主張に終わっていて、基本的相手の話を全然聞いていないところにあるのだろう。会話の形をしているのに、対話になっていない。むしろ並行する独白だ。映画脚本のお手本的でもある。

最初のうちは、この違和感終戦直後日本人ならこんなあからさまな会話なんてしないだろうからにも思われた。しかし、明治文豪の名作だって、会話が人工的であることも少なくはない。ただ、この作品ほどのひどい噛み合わなさはまれな気がする。少なくともあちらでは噛み合わせようという努力はしている。

台詞説明したり議論したりする手法は、大抵は粗削りというか不器用な印象を与えるので好まないのだが、この場合コミュニケーション不全というか、相互理解の失敗の雰囲気をよく伝えていて、効果的だった。

浮世の画家」(1986)

情けないかつての画家の話。老い第一線を退いた後も、自分はまだ影響力があると思いこんではいたが、世間自分存在などすっかり忘れている。自分のしてきたことなど、大したことではなかったのではないか、それどころか完全な誤りだったのでは。歴史によってそう裁かれることに怯えている。老人にとって、今までのお前の人生は何だったのか、と問うことほど残酷なことはあるまい。

そのくせ、隠しようのない自己満足防衛がどこまでも続いており、かつては地位のあった老人はどこまでのその虚飾から自由になれない。計算したうえでのことかどうかわからないが、この翻訳日本経済新聞の「私の履歴書」の文体そっくりだと思ってしまうのは、私のやっかみであろうか。

やはりカズオ・イシグロ真骨頂は情けのない自己弁護にある。

充たされざる者」(1995)

よく、入り組んだ官僚機構カフカ的というけれども、どっちかといえばこの作品みたいなのがカフカ的な気がする。過去というか記憶曖昧で、自分そもそも何をしたいのかわからず、その場の判断だけで物語全体が動いており、映画なんかでは必須の究極の目的・ゴールも曖昧だ。「夜想曲集」所収の旅する芸術家あるある話がベースになった作品と同じにおいがする(この短篇集は切り口の優れた良き英国短編集といった趣だ)。

すべての事件が宙ぶらりんのままにされて進み、星新一ショートショートでその場限りの対応しかしない軽薄な男を主役としたこんな作品があった覚えがあったことを思い出したが、読んだときにはどうしてもタイトルが思い出せなかった。それは結局「未来そっぷ」に収録された「熱中」であるとわかるんだが、一番満たされていないのはきっと読者だ。

カズオ・イシグロテーマひとつコミュニケーション不全が前面に出ているだけでなく、筒井康隆虚人たち」を思わせるような、自分が何者であるかわかっていないのにさほど気にしていない空疎さがあり、何かを風刺しただけではないのだろうが、それはまだ読み取れず。

奇妙だ。自分他人記憶の壁が溶けて無くなってしまったみたいな語りであり、語り手は身内だと感じるとちょっとしたことですぐに激昂したりすすり泣いたりして、いったいどういう人物なのかとらえどころがない。すべてが宙づりで半端なまま物語が終わる。語り手はどの街を訪れても、延々と同じことを繰り返すのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ」(2000)

両親に置いていかれたのはなぜか、そして母はどこに行ったのか。著者の中では一番残酷な話かもしれない。物理的な暴力よりもその結末が。地獄の寝取らせ小説であり、真理に近づこうとして全員が不幸になる。それでも、なお、愛そうと試みたし、愛されてはいたのだ。

息子が親父と同じ道ならぬ愛という過ちを犯しかけるのは残酷ユーモアがあふれているようでいて、ある種の試練であったのだろう。試練に打ち勝ったからと言って直接幸福になるわけではないのが皮肉でいい。

追記】目の前に日本軍軍艦が停泊してるのにのんきにパーティーしている租界の人々って嫌なリアリティがあった。

忘れられた巨人」(2015)

忘却テーマだが、P・K・ディックのようにアイデンティティ曖昧になっていく離人感よりも倫理的な面を問うているようだ。つまり戦争責任とか政治的意図的隠蔽とか。

国家組織的に目を背ける行為と、個人がつらい過去を忘れることによって救われることの両方が描かれている。ファンタジーもある程度は書けるのがすごい一方で、見たくないものを見ようとしない描写や、自分のことばかりで会話が成り立たない場面は健在。

ファンタジーにしては「危険度」とか「スタミナ」の訳文がちょっといかなとも思ったけれども(別に嫌だと感じるレベルではない)、これは現代日本語としては普通に受け入れられてるのかな。

あと、サクソン人の穴を掘った(ホビットみたいな)家の描写があるんだけれど、これって実際にそうだったのかな? サクソン人の家とググっても出てこなかった。

ちなみにル・グインはこの作品を好まないらしく、ウィキペディアには両者の対話引用されている。

のしようとしたことには敬意を払いますが、私には効き目がありませんでした。うまくいくはずがありません。どの作家文学ジャンルの表層だけをうまく使えません。その深みはなおさらです。そのジャンルと同一化することを恐れるほど軽蔑している限りは。読んでいて痛ましく感じられました。まるで、高いロープから落下しながら聴衆にこんな風に叫んでいるみたいでした。「私は綱渡り芸人と呼んでもらえるのかな?」と。

ル・グインには私の本が好きか嫌いかを決める資格がありますが、私に関する限りは誤ったほうの肩を持っているようです。私は(註:作中では不可解で不気味な存在として現れた)妖精や竜の側に立っています

シグロ氏のご意見をうかがえてうれしく思います。同氏の「私の作品ファンタジーだと人々は思うでしょうか?」という質問に対する、私の明らかな早急な返答に傷つけるような内容があったことをお詫びします。

クララとお日さま」(2021)

人工知能太陽光病気回復させる効果があると思い込むことで起きる珍妙な話だ。

どう考えても不合理で奇妙な信念に従い、偶然によって祈りが叶えられる話で、しか最後はただゴミ捨て場で朽ちていく。これは無神論者による宗教パロディではないか? と勘ぐってしまう。無神論者からすれば、いかなるかたちであれ神を信じる人々は、誤った信念にすがり、存在しない相手効果のない祈りをささげる哀れな人々だ。

カズオ・イシグロSFは、SF主食人間からすると、不合理か古い知識に基づくように感じられる設定が多く感動すべきシーンもそこが気になってしまう。

たとえば、明らかに危険能力向上処置子どもにするような社会は、現代から相当な価値観の変遷があったはずだし、かなりの時間を経ていないと起こりえないだろうが、長い時間経過に伴うテクノロジーの発達については述べられていない。スマホさえ出てこない。

カズオ・イシグロSF設定がときどきザルなのはリアリティレベル小説よりSF風の映画テレビドラマくらいにまで下げていて(下手をすれば寓話絵本レベルまで)、それは脚本家でもあったからなんじゃないかって考えたんだけど、そこまでたくさん脚本を書いていたかまではわからなかった。

かに技術的細部に立ち入らないので古くなりにくい一方で、そこが物足りなく感じられる。新しい技術だけをポンと現代に放り込んだ感じで、今と地続きな感じがして生活感があるのはいいけれど、技術によって完全に変容してしまった人類の心性がもっと欲しいと感じる。未来を描く意味はそこにあるんじゃないだろうか。

だいたい、フレーム問題解決というか一般常識インストールされてないスタンドアローン親友ロボットなんて危険すぎるだろう。誰もアップデートされないスマホなんて使っていない。SFはどこまでリアリティのある技術を出すべきかという問題もないではないが、短編ならともかく長編でこのネタをこれをやるのは、平均的理系知識を持つ読者にとってはかなりしんどい

結論

以上。読んだ順。

私が好きなのはカズオ・イシグロではなく「日の名残り」だった。

追記

わたしを離さないで」だけ既読、似た感想。この小説SFというより寓話に近いと思う(増田も書いてた)。ドナー人権周りの描写も臓器を貰う側の葛藤も削ぎ落とし、搾取される者の命の輝きのみに焦点を絞ってる感じ

こちらのブコメがとても素敵だったので引用させていただきました。不都合がありましたらお知らせください。

2022-12-27

「月が綺麗ですね」警察です

夏目漱石I love youを月が綺麗ですねと訳した、とする珍妙な話は完全に頭の悪い人間発言です

まずそもそもこの発言は後世の創作ですが、その創作意図すら理解できていません

小説の一部のシーンで”I love you”という発言の訳として「日本人はそんなこと言わない」と言うのが正しい訳になります

例えば日本人は家に帰ると「ただいま」と言います米国人特にまり文句がありません

なので場面によって発言は様々で、例えば「ママアイスクリームまだある?」って言うこともあるでしょう

この訳を1つだけ見て「”ただいま”の英語訳は”ママアイスクリームまだある?”なんだな」という勘違いをしている、というのが

いわゆるI love youの訳として「月が綺麗ですね」を使っている状況になります

大変恥ずかしいですし月が綺麗なときに「月が綺麗ですね」を言いにくくしているので、今すぐこの誤用をやめて頂きたいと思います

2022-11-30

anond:20180204210257

その手の人はオタクから珍妙な格好で目立つだけで、オタクをしていなくてもメイクやらファッションやらに気を遣わないのは変わらないと思うよ

そして、メイクやらファッションやらに気を遣わない人はオタク以外でも一定数いる

2022-11-01

ぼっち2022年渋谷ハロウイーン観察日記

昨日10月31日渋谷に行ってきた。

理由としては今年から渋谷近辺で働くことになったのだから

話題になっているスポットを少し見て見ようって物見遊山気分だ。

仕事終わり渋谷駅近辺まで歩いていくと、あまり混んでいる様子はない。

たぶんハチ公あたりかなと行ってみると

関東以外ではお目にかからない若者という名の承認欲求モンスターが群れをなしていた。

バニーガールスクリームスパイダーマンといったメジャークラスから

ただカチューシャをつけた人、コスプレ帽子かぶっているだけの人といった

珍妙人達がいて、私の心もキャッキャしていた。

そのなかで目立っていたのは動画配信者。

軽く見つけただけて2桁は見かけた。

概ね棒にスマホを吊り下げ、渋谷の乱痴気騒ぎを写していた。

外国人配信者もいた。

白人の方と中国人の方が半々ぐらいだった。

欧米ではコロナ無視する方向に走ったが、中国ではまだゼロコロナを続けるので

この光景はもはや珍しいのだろうか

せっかく来たので承認欲求の群れに乗ってみた。

交差点を一往復しただけだが、割りと疲労した。

理由としては双方向の列が交わる箇所があり、そこからポロロッカした人が流れてきたこととそれと列は動いているのにも関わらず、交差点を渡ることの出来ない精神的苦痛だと思う。目の前に食べることの出来ない食べ物を置かれると、人間披露するのだな。

なんにせよ、警察官奮戦もあり、特に目立った問題は起きてないように思われた。

少なくとも交差点の近辺では。それが韓国事件日本人性質か、警察の奮闘かは判断できないが大規模転倒事故はたぶん起こらないなと判断して帰途についた。

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-10-08

anond:20221008230731

ゴッホだのモネだのも既にある絵(浮世絵とかエジプト壁画とか)やある風景や虫を見たりしてインスピレーションを得てその画風に行きついたわけだ

んで同じようにAIに既にある絵や風景や虫の写真を食わせてちょろちょろっと重みをいじったら同様に今まで見たことのないようなあるような珍妙な画風で描きだすわけだな

しかほとんどの場合ただ珍妙で全く箸にも棒にもかからない

今でもAIは体が溶けたような意味不明物体を描くな

ここで気づいて欲しいのはそのAIは今まで世間に知られず死んだ「食えない画家」とイコールであるということだ

その中から極々レアレア0.001%未満の確率で人の心を揺さぶる絵を描くAIが現れる

それがゴッホだのモネだのとイコールになるんだな

2022-10-06

anond:20221006134437

ドイツ語不定人称代名詞manとか面白いことになっとる

はっきりした意味上の主語をもたない一般論を語るときに多用される代名詞で、

書き言葉ではフェミニストなんかがman/frauとかがんばって言い換えようとしているもの

短縮するために代名詞を使っているのに口頭言語としてこんな珍妙表現が定着するわけもなく……

2022-09-19

完成形が「草」理由わからん

ボンヌ・キボンヌwktk・ムクリ・オワタorz禿同なう

有りとあらゆるスラングが忘れ去られてきた。

言葉言葉が表す感覚を道連れに死んでいく。

我々はもう、オワタorz が息づいていた時代ほどには「終わった」「挫折した」感覚を持っていない。

いつか「忖度」も忘れられるだろう。

倍返しだ!」「今でしょ」、すべて思い出の中にある。

「てぇてぇ」も恐らく長くはない。

でも、いくつかは生き残った。それも、奇妙なかたちで。

思われ → 知らんけど。

に取って代わられたのがまず意味不明だ。新型の方がよほど下品に思える。

しかしより珍妙なのは「草」顛末だ。

(笑 → 藁 → ワロタ → 草 → w → 草

w の方が打ちやすいし、重ねやすいのに。なぜ一旦古いスタイルに戻ってから定着したのか。

どうして完成形に収束して以降、発展の兆しがないのか。さっぱり解らない。

2022-08-09

[] そのさんびゃくはちじゅうよん

ユウコウーッス

 

本日トーべ・ヤンソン誕生日であることからムーミンの日にもなっております

あと長崎原爆が落とされた日ですね。

リトルボーイ広島ファットマン長崎の方でしたか

なんだか珍妙名前なのですが、そんなものが沢山の人間を殺したのですから恐ろしい話です。

まぁ勿論、戦争という状態はそれ以上の犠牲者を出していますけれど。

まぁなんにせよ極力、言葉だけでなんとか収めたいものですね。そういう揉め事を起こさないようにするのが先決ではあるのですが。

 

ということで本日は【円滑なコミュニケーションいか】でいきたいと思います

円滑なコミュニケーションいか!円滑なコミュニケーションヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-07-19

https://anond.hatelabo.jp/20220719140540

想像の五倍長くて草

読めんわw

同級生単独ヲチスレを立てられていた話

全く関係ない検索をしていてふと目に留まった

とあるスレッドの過去ログ

読み進めるとどうも見覚えのある顔が貼られている。

名前こそフルネーム本名ではないけれど既視感しかない。

これ、学生時代同級生じゃね???

文明の利器たるインターネットは日々進化

今日に至るまでに様々な個人や団から

コミュニケーション等のサービス提供されてきた。

それらは自己表現ツールとしても非常に有用であり

現代を生きる人々は通信機器さえ持っていれば

いとも容易く『発信者』となり得る時代が到来した。

しかし誰でも利用できる簡便性の一方で

リテラシーを持たぬ者には容赦ない現実が待っている。

何かしらの犯罪を犯したり、あるいは失言や失態、

燻りすぎて焦げ付いた自己承認欲求を爆発させたり…

そういった『イタい』事を『やらかして』しまえば

あっという間に食い物にされてしまうのだ。

増田から言える事だが、私は某クソ溜りを巡回しては

ニヤニヤとROMに耽る程度には性格趣味が悪い。

検索結果から冒頭のページを表示したのも

ちょっとしたゲス好奇心からだ。

そんな私にとって通称ヲチられる人』なんてもの

ネットしか見られないすこしふしぎな珍しい生き物

くらいの位置付けだったので

(※もちろん彼らが血の通った人間である事は

  理解しているが、現実身の回りにそんな風に

  香ばしさを丸出しにする人間がいなかったため

  ネット上でしか観測できないもの認識していた)

まさか自分リアルで知っている人が……

となかなかの衝撃を受けた。

しか思い当たる節はある。

私本人は彼女とそこまで親しくはなかったが

ただパンチの効いた人だった事はよく覚えている。

恐らく成長してさら破壊力が増したのだろう。

彼女暴走を諫めてくれる人は誰もいなかったんだなあ

と一瞬気の毒な気分にもなったが、

彼女と疎遠にしている、あるいは喧嘩し絶縁状態

という友人らの数はもはや片手では足りないため

起こるべくして起きた事だな……

と最終的には納得してしまった。

きっと彼女を諭す事ができる人間など存在しない。

彼女自分の見たいものしか見ない。

それくらい強烈な人物だったのだ。

友人からの伝聞ではあるが

思い出せる中で一番印象的だったエピソード

教室友達他愛のない話をしている最中急に

「ね、いま後ろの男子達……ウチらの事を噂してたよ」

男子ってホント、しょーがないよねぇ」

フゥヤレヤレクスクスと気怠げに小声で呟いてきた

という話。

その『噂』というのは要するに容姿や体型やそういう……

お年頃の男子のするフヮ〜オな話だったそうだが

正直言って、「エッ????」としか言いようがない。

この話を聞いた当時も今も全く意味が分からないし、

もしその『後ろの男子達』の耳に入ったならば

おそらく同じ感想を抱いた事だろう。

しかも後ろといっても彼らが話していたのは

教室の最奥のロッカー周辺だったそうで

彼女からロッカーまでは結構距離があり

休み時間でガヤガヤうるさい中でそれが聞こえたと……

そんな下卑た話を大声でするだろうか?

言いにくいけどそれたぶん何かの勘違いじゃないかな……

とは誰も言えなかったので華麗にスルーしたそうだ。

多感な年頃だったので無用対立を避けたのもあろう。

彼女はどうやら異性の一挙手一投足に

「この人は自分好意を持っている」

という熱を見つける特殊能力があったようだ。

グループ内に

大人しいけど実は美人なので密かにモテている子』

がいたので、その子に影響されてしまったのだろうか?

自分は異性からかに思われているタイプから

と自負しているらしき発言をしていた(要約)

と聞いたときは、言葉にこそ出さなかったが正直

「へえ、おめでたい思考してんね」

と思ったものだ。

というのも、彼女男子に人気があるとか

彼女の事を好きな男子がいるとかいう話は

ついぞ耳にする事がなかったし、

学校卒業するまでの間に

彼氏ができたとか告白されたとか

ういういわゆる浮いた話も一切なかったからだ。

容姿についての言及は避けるが

まあ……お察しいただければと思う。

ゆえに傍から見ればその

自分は異性からかに思われているタイプ

とやらは完全に見当違いか妄想の類か認知の歪み

といった所であろうが

そんな事はお構いなしに彼女は自信に満ち溢れていた。

当時のクラスメイト牧歌的人間が多かったのか

イジメ無視などの陰湿かつ重大な事態には

至っていなかったように記憶しているものの、

度重なる奇行珍妙発言によって

グループ内の友人らにすらやや一線を引かれ

ちょっとした腫れ物状態と化していたが

やっぱりそんな事はお構いなしに彼女以下略

「私って高嶺の花」くらいに思っていたのだろう。

実態が伴っていたかどうかはさておき

自己主張の強い人間文明の利器を手にしたのである

結果は言わずもがな

惜しげもなく大公開される癖の強い自画自賛の持論と

「我が辞書に包み隠すという言葉はない」

と言わんばかりの大量のキメ顔の自撮り

インターネットリテラシーisどこ……

こんな風に常に自信満々で大胆不敵な彼女だが

家庭環境はあまり良いとは言えないものだったらしい。

友人からの伝聞かつプライバシーに関わる事なので

詳細は伏せるが、私は確実にまともではないと感じたし

話を聞いた当時(卒業後)はそれなりに胸も痛んだ。

まあ彼女自身自分境遇に対して

(防御反応から正当化本心からかはわからないが)

全く悲嘆してはいないようだったので

ただの杞憂お節介なのかもしれないが。

そんな複雑な環境で育つ事になった彼女

今はもう立派な大人なわけで。

今の彼女の状況は自分で作り出したもの

呪縛から逃れた人を私自身何人も見てきた。

全てを家庭環境責任にしてしまうのは無理があろう。

だが思うところがないわけではない。

心理学世界ではアドラー博士

トラウマなど存在しない」と断言したが

私は

子供の頃の経験によって人格形成が歪む』

事は起こり得るんじゃないかと考えている。

そう、それは例えば深い怪我をした場所

そこだけもう毛が生えてこなかったり

逆に普通より濃い毛が生えてきたりするのと同じように。

本人曰く

自分は人並み以上の幸せを手に入れた勝ち組

らしいが

彼女のそれらの不遜な言動の数々はまるで

自分幸せだー!!!!」

と大声で叫ぶ事で、自分自身や周りに対して

無理矢理言い聞かせているようにも見えるのだ。

ヲチ物件としてはかなり優秀なプリマドンナだった。

なにしろ発言がいちいち面白すぎた。

「私が人から嫌われるのは、あまりに魅力的すぎて

 相手劣等感を知らぬ間に刺激してしまうせい」

やら

「その気がなくてもなぜか男性を虜にしてしまう」

やら

それはもう枚挙にいとまがない。

味わい深すぎて思わずスマホを握っているのと

反対の手で膝を打って唸ってしまった。

だがしかし、これらのイタい発言の数々が

前述の家庭環境と紐付いてしまうせいで

彼女の『痛々しさ』が別の意味に感じてしまう。

私自身はルッキストではないし

容姿が万人受けでなくとも魅力的な人がいる事や

これらの発言をなんの忌憚もなく堂々と発言してなお、

魅力的だと思える人も存在する事は理解している。

ただ、彼女はそれだけでは終わらなかった。

これらの自画自賛発言には必ずと言っていいほど

他人こき下ろす(本人曰くサバサバ毒舌)』

がセットとしてご一緒についてくる。

発言している本人だけが多幸感を味える

地獄ハッピーセットである

まるで今まで自分が受けた傷への復讐とも思えるまでの

苛烈言葉で過剰に罵るので、

そりゃ反発も起こるだろう事が容易に推察された。

お前さぁ……嫉妬とかじゃなくてそういうとこやぞ。

癖の強さは家庭環境のせいかもしれないにしても、

他者を貶めつつ自分を称賛するような言説をかましたり

自身ステイタスやあれこれを下品にひけらかしたり

していては人に嫌われるのは自明である

こんな事は教えられずとも自分で気付くべきだ。

私は心理学の分野に精通しているわけではないけれど

彼女自己肯定感や自己信頼感というもの

履き違えてしまっている事だけはなんとなくわかる。

ただ独善的刹那的快楽のために

何もかもに目を瞑って、自分で作り出した

夢の世界の中に閉じ籠っているだけに見えるのだ。

今のままじゃ何度ネット上で転生しようとも

永遠に滑稽な踊り子だろう。

私は心優しい人間とは程遠い

人の醜い所を煮凝りにしたみたいな性格をしているので

彼女が笑い者になっている事自体には

少しも心を痛めていない。

でもヲチられている事を正当化はしない。

あそこにたむろしているのは自分含め

碌でもない人間だという自覚は一応持ち合わせている。

革靴で丸一日歩き回った後の汗まみれの靴下

数日貼り続けた絆創膏ガーゼ部分のにおいが

臭くて不愉快だと分かっているのに嗅ぎたくなる、

そして「クッセェェェwww」と仲間内で騒ぐのに似た、

人を玩具嗜好品にする事に歪んだ快感を感じる集団

臭ければ臭い程、喜ばれて遊ばれる。

それが嫌なのであれば、言論統制よりもまず

原因となるにおいを洗い流すしか対抗手段はない。

これはあくまでも

ヲチられるのが嫌なのであれば』

の話であって、ヲチャ側としての意見ではない。

ヲチャで弗に改心しろとか糾弾せねばならないとか

そんな事を思っている人がいるとしたら少数派だろう。

多くは娯楽として消費しているだけだ。

中には言葉が過ぎる者もいたりするが

そういう輩は迷惑なので自重してほしいと思っているし

お触り厳禁を守れない者はひたすらに迷惑しかない。

ただ、彼女に限らず全てのヲチ対象に言える事だが

いつまでも踊り狂う姿を見ていたい気持ちの反面、

いつか自分自身の心と正面から向き合い

己の攻撃性や認知の歪みの根源に気付き

心が真に求めているモノは何なのかを知り

それを手に入れて心身に安寧が訪れればいいね

とも思う。

何様目線かと思われるかもしれないが、

別に綺麗事を言いたいからではなくて

物理的に彼女らの周囲にいる人間を気の毒に思うからだ。

彼女から受けた被害への批判や、忠告の類を全て

嫉妬で片付けられては堪らないだろうと思うし、

そんな人と毎日顔を合わせ続けなければいけないなんて

ただただ苦痛しかないだろう。

いまでこそこんなゲスの極みクズになってしまったが

子供の頃はまだ純真であった私、

当時は『こういう人種』を『面白がる』という

発想や嗜好がなかったため

弗の原石に気付かなかった事を

一瞬もったいなく感じてしまったが、

ヲチは身近すぎるリアル人間関係でやってしまうと

余程タフでもない限り精神衛生に支障をきたしそうだ

という事に気付き早々に認識を改めた。

ここに彼女が誰であるかを示すつもりもないし

当該スレはもうdat落ちしているため

燃料を撒きに行く術もない。

卒アルや友人からもらったプリなども残っているが

ウケ狙いでただの嫌がらせをするメリットもない。

超えちゃいけないラインを助走つけてどころか

ホップステップジェットパックで飛び越えてるまである

また、スレッドの内容等々を

彼女の元友人らと共有する気もない。

元々ヲチROMメインなのだ

ヲチ対象のアレコレを見てモヤモヤを溜めたところで

米を読んでカタルシスを得るタイプクズから私は。





こんなん内容が内容だけにリアル友人にも言えないし

増田に吐き散らして気持ちを整理したかったんだけど

恐ろしく長い上自分でも言語化が難しい感情だった。

別に悲しいとかは一切ない。

衝撃と面白さとほんの少しの哀れみと

アレとコレとソレが混ざって混乱してはいる。

ヲチの話なのにオチも何もない文章になってしまったが

彼女未来に幸あれ。

https://archive.ph/2022.07.19-044423/https://anond.hatelabo.jp/20220719103756

anond:20220719135226

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