はてなキーワード: 二分の一成人式とは
ただうちの地域はそういうの好きな保護者とか体育教師とか多くてねー。
政府を批判する材料に子供使うの、プロ市民臭くて嫌なんだけどさー
まあオリンピックはやるんだろうよ。
日本に権限はないし投資もしこたましちゃってるしスポンサーはついてるし
中止になったら賠償金を払わなきゃいけないしみんな残業してるし、中止することは不可能なんでしょ?
始まったら始まったで、まあテレビは各局わっしょいわっしょいなるでしょ?
そりゃ選手の人たちはがんばるだろうし、
他の国の選手が日本で練習できてないってアドバンテージもあるからメダルも取れるだろうし、
五輪スポンサーはテレビのスポンサーでもあるから批判的な内容にはしづらいだろうしさ。
去年も夏はコロナ収まってたわけだから、ワンチャン感染者が減ることもありえるし。
んで、感動したら思っちゃう人も出るよね、
危険だって言われてたし問題もあったけど、やってみたら本当に感動的だったからやって良かったんじゃないかって。
それさー、学校現場で横行してるクソ理論なんだってーーーーーーーーー
危険で反対されたとしてもみんなを感動させたら成功なんだよ、っていうメッセージを受け取っちゃった子は、
「教育委員会から組体操はやめるように言われてるけど、あんな感動的な素晴らしいものをなくしていいと思うか?
やりたくないと思うやつは手をあげてくれ」
って体育教師に言われたときに手をあげないと思う。(なお実話)
正論をねじ伏せてでもオリンピックを強行したら感動できたから成功だった、っていう体験をした教師は、
例えば二分の一成人式に関して、
虐待されている子がいるかもしれないのに親への感謝を強要するのはどうか、という意見と、
保護者が感動して喜んでくれるからやるべき、という意見を天秤にかけたらどっちを選ぶんだろうか。
もう四半世紀前に二分の一成人式をやらされた。
公立小学校。10歳の二分の一成人式のために、これまでの自分史をまとめろと言われた。
保育園の時の親と保育士の間の連絡帳を見せてもらった。3歳ぐらいの時に、「この子は言うことを聞かない」「この子はおかしい」みたいな、保育士の罵詈雑言がそのまま書いてあった。
ショックだったが、とにかく自分史を書けと言われたので、「自分は3歳ぐらいのときにこんなに悪い人間だった」「自分は罪人だ」「自分は生きる価値がない」と書いて提出した。
10歳の二分の一成人式のときから、ずっと自分は罪人で、生きていてはいけない人間だと思って生きてきた。
当時、二分の一成人式をすすめる小学校教員たちと同じぐらいの年代になったが、責任をとってほしい。二分の一成人式をすすめる小学校教員は、「私は3歳のときにこんなひどいことをした人間です!生きる価値のない罪人で罰を受けなければなりません!」と全校に宣言しなければならない。そうする義務が彼らにはあるはずだし、そうしなければ小学校教員は誠実ではない。
自分は二分の一成人式のせいで、四半世紀、自分は生きる価値のない罪人だと思いながら生きる事によって適切に罰を受けた。
二分の一成人式をすすめる小学校教員にも、同じことをしてほしい。彼らはそうしなければならない。徹底的に自分を責め、自分は生きる価値のない罪人だと思ってもらわなければ、誠実ではない。
自分にも娘がいる。娘が10歳になるころ、小学校で二分の一成人式をやるようなら、担任の教員には、それなりの責任をとってもらわなければならぬ。
性教育の授業で、命の大切さ、自分がいかに愛されているかを伝えるために、生まれたときのことや成長の様子、気持ちなどを書いてほしいのだと。
あのさ、あなた(先生)にしてみれば、心温まる素敵な授業になるかもしれないけどさ、こっち(生徒と親)にしてみれば、そんな手紙は何回も書いてるの!
幼稚園卒園の時は、まだ難しいことは書かなかったので別としても、
小学4年(10歳なので『二分の一成人式』という行事があった)、小学6年(卒業式)ともなれば、かなり抽象的な概念も理解できるから、
中学1年の今伝えたいことと、ほぼ同じことを、既に書いているんだよ。
誰にも読んでもらえなくてもクソみたいな文章をインターネッツの海原に放流するだけで気持ちは落ち着くので書いておく。
小学三年生の"二分の一成人式"みたいなものには、関数電卓を片手にプログラムを書く自分の絵を書いたことを覚えている。
幸い成績は悪くない方だったので、高専に進学するという目標を持ちつつ中学三年生まで過ごした。
ここで転機が訪れた。三年の六月頃、とあるTwitterユーザーに影響されて車好きになったのである。段々と車にハマっていき、将来は車に関連する職業に就けたらいいなと思い始めた。
あと短波ラジオをよく聴くようになり、無線技術にも興味を持ち始めた。
学科が決められない状態はオープンキャンパスや体験授業まで続き、なんだかなぁと思いながらも毎日を過ごした。
そして十二月の三者面談、思い切って普通校に進学すると伝えた。親は驚いたし、友達にも"あれ?高専じゃなかったの?"みたいなことも言われた。