はてなキーワード: 次元とは
競馬ってヨーロッパが本場なんだけど、1990年代くらいまでは、
「やっぱりヨーロッパには勝てないよね」というムードがあったんだよね。
もうひとつが「サンデーサイレンス」という種牡馬を輸入したことだった。
そのサンデーサイレンスの最高傑作として登場したのがディープインパクトだったの。
ディープって父親も牧場も厩舎も騎手も当時のトップが携わった超エリートなんだよね。
ハイセイコーやオグリキャップみたいな「雑草がエリートを倒す」っていうのとは違う。
テンポイントやミスターシービーのような「格上のライバルに立ち向かう」っていうのとも違う。
愛情とか好意というより「こいつ凄すぎるだろ」「いったいどこまでいくんだよ」という果てしない期待だったんだと思う。
あるアナウンサーはこんな実況をした。
こんな馬が存在していいのか?
敗北など考えられない戦いに、人はどこまでも夢を見た。
まさに夢を見たんだよ。
いまだに夢を見続けている人も多いんだよね。
サンデーサイレンスに勝るとも劣らない破格の種牡馬成績を叩き出してるんだよね。
それで欧州に輸出したディープ産駒が大レースを勝ったりもしている。
まだ第一部終わっていないけど、近作での不満点がすべて解消されたことに感動したので書く。
FEは暁の女神を最後に十年以上ずっと携帯機でリリースされてきた。その評価は概ね、SLGパートは練りこまれており携帯機の狭い画面でも遊びやすいUI、プレイをじゃ生しないゲームリズムではあるが、絵(グラフィック)とストーリーがいまいちというものであった。携帯機のスペック上どうしてもキャラクターモデルを用いたシーンは人形劇のようにチープになり、結果的に没入感が得られなかったのが原因だと思う。おそらくハードウェアの性能が足かせとなって製作陣が表現したい品質に達していないかったのだろう。しかし今、ようやくハードウェアの足かせが外れて携帯機で培ってきた遊びやすさと据え置き機のスペックを十分に生かしたストーリー表現を手に入れたのだ。
まだストーリの先、いつものFEのように悪竜を倒すのかトラキアのように人間の戦争になるのか、は分からないけどゲームの節々から作り込みが伝わってきて期待大である。つまるところついにストーリーに期待できるぞということだ。
FEというと歯ごたえのある難易度、パーマネントデス、そしてそれらの要素を盛り上げる魅力的な登場人物という評価であった。
古くは、話すコマンドによる会話とボスとの掛け合い、支援システム以後は支援レベル毎の仲間内での会話。このコミュニケーションスタイルは代を重ねる毎にキャラクターを掘り下げる方向へ発展していった。ただ、if(Echoesやっていない)あたりになると、コミュニケーション有りきの幕間パートとなっており、王道シリアスなストーリーとその幕間が乖離していた。例えばifではストーリーでどんな衝撃的な展開があっても(次元の間という設定の)拠点は平和そのものであり、仲間達も遊んだり風呂を楽しんだりしており呑気なものであった(個人的にこのマイキャッスルおよび子供世代による外伝というフォーマットは失敗していたと思う)。
つまりストーリー展開に対してキャラクターコミュニケーションの側面が機能不全を起こしていた。
だがしかし本作では学園という箱庭を極めて精密に作り上げることで、この不整合を完璧に解消したように感じる。主人公はクラスの担任であり、仲間は生徒や同僚である。彼らが週末の時間を各々好きなように過ごしているのは当然であり、話をしたり、お茶に誘うのも普通の学園生活で不自然さはない。例えばある食いしん坊筋肉バカは食堂や訓練場におり、動物好きで信仰にすがる少女は厩舎や聖堂で見かける(どのクラスを選んだのかバレバレの例)。キャラクターが自由に動ける空間を用意したことはキャラクターの掘り下げの面で素晴らしい決断だと思う。
個人的にハードウェアの性能向上により一番恩恵を受けた部分は世界観だと思う。今までFEはSLGパートがメインで、章の合間にストーリーが挟まるという感覚であった。魅力的なキャラクター達による群像劇というストーリーは一定の面白さはあったのだが、やはり世界は語られるものであり読むものであった。
しかし、学園という箱庭世界を用意し、プレイヤー自らその世界の要素へインタラクションをすることで、世界観に対する理解をぐんと深めることができるようになった。例えば今まで設定資料はメニューからただ読むだけであったが、本作では書庫まで足を運んでプレイヤーの分身が本を手に取る必要がある。例えば学園の様々なところで生徒や先生達が己が時間を過ごしているのを近くから遠くから眺め、話しかけることができる。世界観への没入度の深化により、魅力的なキャラクター達とストーリーの間を埋めることに成功したのが一番の改善点だと感じている。
実はこの路線はifのマイキャッスルですでにチャレンジされていた。しかしハードの制約があり中途半端なものになってしまっていた(自室に招くとか恥ずかしいしハラスメントだし…)。学園というしっかりとストーリーに裏付けされた舞台を与え、ハードウェアの性能を生かしてリッチな箱庭体験を用意する。それができて初めてストーリーとキャラクターの両輪が回り始めたのだ。
共同開発のコーエーの力かは分からないが、本作はとにかくテキストの語彙が格調高い。貴女、貴君などいわゆる古風(田舎風やロココ風の風)な言葉遣いではなく、本当に古い言い回しを多用する。三十年近く生きてきてそれなりに言葉を知っているつもりだったが「疾(と)く」はフルボイスで読まれるまで分からなかった。また言葉の使い分けも見事で、例えば三人の学級長だと歴史ある帝国の次期皇帝である皇女はそれはそれは帝王学を納めた口調であり、騎士の国の次期国王は力強く青年らしいが高潔な言葉遣いで、つかみ所のない同盟連邦の嫡子はくだけた話ぶりである。(歴史ゲームとか昔の小説でしかないような単語や読みが多くて、声優さん大変だったんだろうなーって思った。)
この確かな語彙に裏付けされた会話は、普段はテキスト速度をノーウェイにしてばしばし読み飛ばす自分も、つい自動送りで全部聞いてしまう魅力がある。
いまのところ全てのピースが完全に合致しているFEだと感じている。気になる点としては釣り用の餌が全然手に入らないところ。散策する毎に駆けずり回って餌を集めている。釣りがしたいよ。
お気に入りのキャラクターは、鼻持ちならない貴族で行動言動すべてが面白い愛されキャラのローレンツくん(ウォッチ対象)と青い長髪を持ちペガサスナイトまったなしの薄幸少女マリアンヌ(推し)です。
昔から憤りを感じるんだけど、
三次元の恋人や子孫については職場などのパブリックな場面で話題に出して良いのに、
二次元の恋人や"嫁"や"ウチの子"についてはパブリックな場面で話題に出さない、出せないんだよね。一般的な業界では。(オタ業界なら別かもしれんけど)
https://arxiv.org/abs/1907.09725
8個こ気象データ変数(気温、降水量、、、Table.1に書いてある)を入手している。
最大3変数を選択し、RGBにそれぞれの変数の値を入れ、画像に変換。
画像をCNNに食わせて学習している。気温・降水量の変化を5種類に分類。
気象データの増減は、他の変数と強く相関しているはずなので、8変数も考慮に入れる理由がわからない。
画像データにする理由もよくわからない。数値データを直接CNNに入れたほうがいいのではないだろうか?
decadal teleconnection patterns(10年単位での気象の相関)を知りたいということだが、これを知ることに意味はあるのか?
目的と意義が書かれていない。
5行目、何がHoweverなのだろう。まえでは、CNNで何ができているのかを言っている。次の行ではそのデータの扱いについて語っている(Howeverを使うべき?)。
各行で何を主張しようとしているのかがよくわからないので、全体としてこの段落の機能がよくわからない。
VARENNつまり、2次元データを学習機に投げることは、CNNを使う際には普通のことなので主張すべきではない。
8 climatic variablesは具体的になに?
classify decadal interaction patterns of climatic variablesこれはよくわからない。画像データを分類することが目的?なにがしたいの?
temperature(温度)、precipitation(降水量)のrises,fallsを判別したい。Introductionにかくべきでは?
8 spatiotemporal climatic variables はなんの変数?Tableに書くだけではなく、本文に書くべきだろう。
climatic variablesを0-1の値にした方法は?割り算?
1段目で言っている上下の分類ではなく新たな分類基準が出現する。
T1についてここで言い換えておく。
T1は、学習データ30年間での平均値mu30,後10年の正解データでの平均値mu10
mu10-mu30が5よりおおきい、10年後の気温が5度上昇している。
To quantify the similarity among variables, we calculated the Euclidean distances from each target variable to the input variable.
よくわからない。
we examine the effects of the relationships among the variables that were assigned to R, G, and B to the model performance.
どういうこと?
よんでない
よくわからない
よくわからない。
どういう意味だろうか?
提案手法で、RGBに変数を入れ込んだことが斬新だと主張しているが、
これを数値データだけにしてCNNに読み込ませた場合はどうなるのか?
同程度の精度を出すのか?
本提案では、2次元の配列データを画像にしてCNNに読ませている。
statistical methods including AI はよくわからない。何が言いたいのだろう
気象パターンを分類することに成功したとは言い難い。せいぜい複値分類とかなにか他に良い言い方があるはず。
We selected以下時間windowについての説明かと思われるが、何を言いたいのかよくわからない。
By comparing以下 意味不明。物理simulationと統計モデルを比較することで、accuracyとprecisionを比較できる。なぜ?
Objective以下
よくわからない。
We believe以下
前期だと見るタイツ。今期でいえば手品先輩やダンベル何キロ持てる?とかかな。
20代後半~30代前半までは割と真剣に「かわいい」と本気で思っていたが、
驚くほどに何も感じなくなってしまった。
悲しい。
逆にこういうアニメには興味が無かったのに。
追記2
まちカドまぞく1話をまた見ている。
そうか。これだわ。萌えアニメが見れなくなったんではなく、3次元では直視できないエロい構図を2次元に焼き直したようなアニメが
見れなくなったんだ(暴論でごめんね。仕事終わりかつ酒を飲んでいるのでまとめ方が凄い雑)。
萌えアニメの定義は人それぞれなので割愛するけど、まちカドまぞくは久しぶりに見た正統派萌えアニメだわ。これよこれ。
追記3
しかし逆にいえば萌えアニメ(元増田が定義するやつ)のあざとさが嫌いっていう人もいるだろうしね。
うんうん。
42歳11ヵ月、東京在住、既婚、子なし、年収950万、そんな俺の戯れ言。
地方に帰省するたびに、誰々に孫ができたという報告を耳にする。
晩婚化な昨今でも結婚しても当たり前になっている年齢とはいえ、40代で孫ってなんだよ?いや物理的にはありうるけどさ、そんな話を聞くと別次元の事に感じてしまう。
「盛りのついた猿が産み散らかした子供が、親同様に好き放題産み散らかしてる」それくらい別次元で、自分とは無縁の感覚。
別段、それを咎める訳では無いけど、こいつら人生計画あるのか?計画的な俺ならストレスになるだろう。
子供産まなきゃという焦りでは無く、「あいつヤりたい放題やって、少子化対策に貢献して…凄いな…。それでオラついたミニバン乗り回してるのかよ。自分には無理だ…」という呆れを通り越して、おかしな劣等感を抱いてしまうほど。いや、劣等感なんてないんだけどさ。
そして友人から「30〜40歳過ぎて子供がいない。いても小学校行ってない。しかも車も持っていないのは、こちらでは今だにおかしいと思われる。」という言葉を聞く。
これも、子供がいない事に焦りを覚えるわけでは無く、「40過ぎて、DINKSで、過剰な仕事あってこそ優雅な暮らし」を謳歌している自分が地元に住んだら、自分が望んでいない将来を想像され、出来ない自分に低評価が下される世界が恐ろしくて仕方が無い。
地方住民の曲解というか思い込みなのか、年々恐ろしくなっている事の一つ。
あとは仕事の話。
何事も無かったように就職してドラッグストアの店員とかで、仕事に必死にしがみつくことなく年収300万の正社員で安住している地元の人間。
終身雇用制度が崩壊しつつあることに備えて、しっかりスキルアップして、転職を繰り返す度に年収アップして、自分の稼ぐ力をつけてきた俺からしたら、ぬるま湯な地方とは何なのか意味がわからなくなる。
地元でそこそこの学校出て、地元でそこそこの仕事をして、地元で子育てしていく中流家庭とか遠い昔の話なのだと再確認。
親に対しても「金がない」と口にしていたら、冗談だと思っていた様子。いや、冗談だが。
400万くらい稼いでいるのに、謙遜して言っているとか思い込んでいた感じかなあれは。
「あちこち仕事を転々としてるようだけど幾ら稼いでいるんだ?」と聞かれたから、「もうすぐ年収1000万くらいだよ」って返した。
両親とも驚いていた。「お前どうやってそんな金額稼いでいるんだ!?闇営業でもやってるのか?」みたいな感覚で接された。
自分の中では「あ〜あ、やっぱりこういう感覚なのか」と周囲との温度差を痛感する。
だからこそ、安堵というか自分も低所得者になったつもりで、激しく同意するような意見を書き込んだりしていた。
けれど、現実でその話をすると、あからさまに自分が異端であると気付かされてしまう。ネットに入り浸って低所得者になりきるなんて時間の無駄だと。
いや、単に自分が暇すぎるだけ…?
嫌なことから脱却すべく行動して努力してきた結果だし、望んで自己を優先してきた結果だけど、生活環境自体を、楽しんでしまっている自分。
その癖、後ろめたさではないが、地元の連中これでいいのかよと勝手に鼻で笑う。
そう思い東京に住んでいると、他者の中で薄まる存在感があるからか、やっぱりナンバーワンになり、もっともっと特別なオンリーワンにならなければと思える。
(続き)
これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観の理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性が家長、新しい!女性は子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫の育児なんてドタバタでダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識/無意識ですね。
まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解だからサイコ父ちゃんが無慈悲な既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車の練習のとき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親のイメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観やキャラクターの知能レベルがガタガタなんです。
さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機、ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観が昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??
ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児のときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。
良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんのクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!
でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。
擁護派の中には、「アニメーションリテラシーがちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生が卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家のアニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルはクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品や高畑監督作品の批評でアニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠の作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品、片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います。
しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃんと作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。
極端なこと言えばリアルなアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーでウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。
その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築の設計を発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃんが仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインにしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。
あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)、未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコ母ちゃんのアルバム(唐突に出てくる、結婚式のスライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンのミライちゃんの説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。
特にアナルプラグのクダリなんて完全に大人側の欲望の目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。
ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。
物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。
ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブーを説明するんですが、その数十分後にはたやすくタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。
そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!
BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自のタブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?
どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画『グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督の出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。
この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブーを説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後の最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。
世界観の設定自体もね、これ、実は初見のとき、クソガキちゃんのインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃんや東京駅のクダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップのルールからも明らかにはみ出している。
あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想があいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話や寓話、不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作としか思えません!
細田さん、クレヨンしんちゃん、映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児が主人公であること、ギャグマンガであることを世界観の言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児の幼児性、第一子と第二子の関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦が夫婦であること、家族が家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人も子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。
クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出、はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレになっちゃいますが、クレしんの某・大名作映画。監督・脚本は原恵一。ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフで説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!
あと一つ、これだけは言わせてください。
僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー”問題でございます。
クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。
なおかつ、それ以外のギャグもアナルプラグでしょ!?単に下ネタがダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。
さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママやサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)!
うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。
そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足のセリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれた収入でハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!
これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!
はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?
これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体は全然いいんですよ。
さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語の構造上、観客が知らないことを「知っている」から、タイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですか。ちゃんと時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。
このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。
たとえばこれ僕からの一つの稚拙な提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。
あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視?問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画のテーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?
「ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁を自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人の価値観を尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。
このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識/無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本から何から全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。
というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまいますけれども。
あー時間がない!声優のお話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。
結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌を劇場の音響で聴きたい方、幼児がアナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!
(終)
29歳11ヵ月、東京在住、年収200万、そんな低所得者の戯れ言。
結婚しても当たり前になっている年齢のハズなのに、そんな話を聞くと別次元の事に感じてしまう。
「宇宙飛行士が宇宙に行った」それくらい別次元で、自分とは無縁の感覚。
別段、それを周囲に咎められている訳では無いけど、曲解してストレスになっている。
結婚しなきゃという焦りでは無く、「あの人も宇宙に行ったんだ…凄いな…自分には無理だ…」という自身のおかしな劣等感を抱いている。
そして友人から「30〜40歳過ぎて結婚出来ていないのは、こちらでは今だにおかしいと思われる。」という言葉を聞く。
これも、結婚していない事に焦りを覚えるわけでは無く、「30〜40過ぎても、宇宙に行けない、行きたくない」と思っている自分が地元に住んだら、自分が望んでいない将来を想像され、出来ない自分に低評価が下される世界が恐ろしくて仕方が無い。
自身の曲解というか思い込みなのか、年々恐ろしくなっている事の一つ。
あとは仕事の話。
何事も無く就職して、必死に正社員を目指しながらバイトしている自分を軽々と超えて稼ぐ地元の人間。
自分の稼ぐ力の無さを痛感するのと同時に、都会とは何なのか意味がわからなくなる。
親に対しても「金がない」と口にしていたら、冗談だと思っていた様子。
400万くらい稼いでいるのに、謙遜して言っているとか思い込んでいた感じかなあれは。
「幾ら稼いでいるんだ?」と聞かれたから、「年収200万くらいだよ」って返した。
両親とも驚いていた。「本当にそんな金額で生きているのか!?」みたいな感覚で接された。
自分の中では「あ〜あ、やっぱりこういう感覚なのか」と周囲との温度差を痛感する。
だからこそ、安堵というか同じ人は居るんだなとか、勝手に思っていた。
けれど、現実でその話をすると、あからさまに自分が異端であると気付かされてしまう。
嫌なら行動すれば良いし、望むなら自己を優先すれば良いのだろうけど。
その癖、後ろめたさを感じて、これでいいのかと勝手に葛藤を抱える。
そう思い東京に住んでいると、他者の中で薄まる存在感があるからか、多少気楽になれる。それがマズいのか。
ツイッターで話題の例のnoteは、正直5%くらいしか読んでいない。
ので、これは私の独り言です。
誰が、いつ、どういう文脈で言ったかは割愛するけど、知っている人は知っていると思う。
記憶があいまいでニュアンスしか覚えていないところを、更に特定されないように改変している。
その当時、そういう声が、お互いに届きやすい関係だった、とだけ言っておく。
当事者にとって、腐とアンチは同列で語られる存在なんだと、痛感した。
でも、考えてみれば当たり前。
だの
「それお揃い?さっすが~ラブラブだね~~」
だの、
そんな風に言われたらいやになるし、それが続けば気持ちが悪くなる。
nmmnで、実在する人物で、今、同じ時間を生きて、過ごして、同じように感情を持っている一個人のことを、
好き勝手に妄想して、人物像を作り上げて、言動を、趣味趣向を、人間関係をいじり倒すことは、
どれほど失礼で、気持ちが悪くて、マナーもモラルもあったもんじゃない行動なんだろうと思う。
偶然二人で歩いていたところを写真に撮って、スクープをでっち上げてあることないこと吹聴するクソ週刊誌と同レベルだ。
いや、nmmnを垂れ流している人はないことないこと吹聴してるから、それ以下かも。
hnnmだろうとnmmnだろうと、
腐だろうと百合だろうとノマだろうと夢だろうとガチ恋だろうとでっち上げだろうと、
「今、この瞬間も実在している人物のことを、勝手に妄想して、勝手に作り上げている」ことは確かだ。
nmmnやhnnmで妄想するのは、クラスメイトや会社の同僚の関係を勝手に妄想しているのと同じだ。
それを、関係者や本人も目にできるところに晒し上げるのが、どれだけ非常識なことか。
そんなことを平気でやってのける人を、同じファンだと言いたくない、アンチと同列に扱いたい、
……まぁ、こうして書いても、なんだかんだと反論されるんでしょうね、きっと。
どこに入れたかは言わないけど、アホ界の世界王者率いる自民党ではない。だって愛国心あるからね。
これ以上あの安倍のゴミカスに日本を破壊され続けるのはまじで黙っておれん。
自民はもうダメッダメだ。捏造しても何もかも乗り切れる未開な土人国家だからそれがまかり通ることを覚えてしまった。もう保身にしかこいつら誰一人興味がないだろう。
あんなに何言ってるかわからん討論しかできねーでよく立候補しようと思ったな。あれ全世界で馬鹿にされてるんだけど、恥って言葉って日本にないんだっけ?
なんかどこの議員もしょうもない事を掲げてるけど本当お前ら日本社会が直面してる問題わかってる?
社会に持続可能性がないんだよ。車だってガソリン入れなきゃ走れない。いつまでも補充しないで走れるって思ってるのが今の日本国民だ。
なんで持続可能性がないって、そりゃそうだ、税金を未来に使わねーもん。子育ては無視、教育も無視。未来が加速度的にヤバくなっていくんだ。どれだけヤバイかまじわかってる?じゃあ何に金使ってるって?利権だよ、利権。税金投入しなきゃ生き残れねー無益な業界に無駄に注ぎ込んでるんだ、血税をな。増税も未来のためじゃねーんだよ。
少子高齢化は完全な意図的な政策の結果だ。もうまじで詰んでる。
過剰医療やら過剰延命で税金つぎ込んでまで老人増産しまくってりゃ社会保障費爆上げで俺の子供なんてまったく未来ねーじゃねーか。俺もねーよ。一番やっちゃいけねーことを平気でやりやがるけど、国民も馬鹿すぎてそれが当たり前だと思ってる。
今なんとかみんな生きてるから文句言う程度で済んでる気でいるけど、これ以上老人を意図的に増やしたら年金でないだけじゃ済まされないぜ、死ぬまで税金を払うはめになるんだ。日本はもうホームレスだらけの破綻国家になるのはそんな遠い未来じゃねーよ。
立候補する議員なんてどいつもこいつも表面的な上っ面の問題掲げてなんとかしますって言ってるけど、もうそういう次元じゃねーんだよ。なんで超低学歴の中卒やら高卒しか立候補しねー?