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2024-04-21

anond:20240421200430

表現の自由根本的に分かってないバカはこいつ自身という罠

世間に悪常識を広めるというのは表現の自由の名の下に簡単否定などされてはおりません

バカ解像度

anond:20240421195953

予防のためにこの表現規制しますって表現の自由を根本的に分かってないな

その理屈が通るならまずテロやらかしまくった共産主義規制しなきゃいけなくなる

受け入れられたいって気持ち

自分気質もだし、人との関わり方も何もかもよくわからなくなってきてしまった。

自分に対して、人と関わることや、その先の恋愛関係も向いていないのかなって思う出来事があった。

その原因の根本的なものは考えてみると、自分気質からくる自己肯定感の低さみたいなものが来るのかなって。

ここでの気質とは、ADHDとかその手のものを指している。

おそらくは、自分自身ADHDみたいな感じなんだろうが、診断がついているわけでもないので気質と呼ぶことにしたい。

自分自身の行動から多動が出てしまっているなと感じたり、集中が全然違う方向にいっているなってことはしばしばある気がする。

これまでの人生の中でも、集中が違う方向にいってしまっていて、トンチンカンなことを言ってしまったり落ち着きのなさから”変な人”として扱われて関わりを避けられていると思うこともしばしばあった。

高校生から大学生くらいにかけて、少しは常人擬態しようという努力をしたつもりだった。

特に不用発言をできるだけ控えるように心がけていたような気がする。

発達障害処世術として目にしたもの自分の中で少しだけしっくりきているような気もする。

https://anond.hatelabo.jp/20151101094059

ここで言うところの「沈黙は金以上なり」ということ。

この努力方向性が間違っていたのかもしれないとも思う。

これでは、人と深い関係になるなんてことは無理なのかな、本当に最近になって気がついた。

これまでは、「無難であること」を使って「人に受け入れてもらう」ように生きてきた気がする。

この手の話の中でそれでも受け入れてくれている人がいる、という話をされることがある。

でも、その具体例の話の当事者はみんな女性であることにモヤモヤする部分がある。

男だとか女だとかってことを考えたくはないんだけど、人との関係の中で男性としての振る舞いが求められている中では、誰かが自分のことを受け入れてくれることなんてないのかな、と思ってしまう。

ここ数日自分の中でもがきながらいろんなことを考えたつもりになっているのだけれども、堂々回りになってしまって何もわからなくなってしまった。

結局最初の「人並みの幸せは諦める」を実践できていないからなのかなと思わないでもない。

人並みの幸せってなんだっけ。

かに「受け入れられたい」ってのが自分が思っている「人並みの幸せ」なのかな。

2024-04-20

ビール広告気持ち悪い

4月20日

この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定文化精通している増田ならお分かりだろう。

そう、それは「大麻の日」であるしかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。

一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。

一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。

アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。

な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸依存症が僻みで書いている」

アルコール大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)

とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。

私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。

初めて大麻体験した時……場所は伏す

ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、

私はその安全性ポジティブ効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。

この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知破壊を促したい。

アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、

飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、

アルコール広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直し必要だと感じている。

そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された

若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひととき自然や開放感のある場所飲酒する広告が否応なしに流れる

さも健全であるかのように。

では大麻はどうだ。ラッパーニット帽を被った子供路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。

そう一人で悪態をつきながら私は安倍晋三のおかげで安くなった発泡酒の蓋を開けた。

もう終わりだよこの国

ビール広告気持ち悪い

4月20日

この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定文化精通している増田ならお分かりだろう。

そう、それは「大麻の日」であるしかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。

一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。

一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。

アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。

な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸依存症が僻みで書いている」

アルコール大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)

とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。

私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。

初めて大麻体験した時……場所は伏す

ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、

私はその安全性ポジティブ効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。

この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知破壊を促したい。

アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、

飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、

アルコール広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直し必要だと感じている。

そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された

若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひととき自然や開放感のある場所飲酒する広告が否応なしに流れる

さも健全であるかのように。

では大麻はどうだ。ラッパーニット帽を被った子供路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。

そう一人で悪態をつきながら私は安い発泡酒の蓋を開けた。

もう終わりだよこの国

AI『ブルシット・ジョブ』についてお尋ねですね

「ブルシット・ジョブ概念提唱

人類学であるデヴィッド・グレーバー氏は、現代社会において多くの仕事無意味であり、社会にとって価値を生み出していないと主張しています2018年出版された著書『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事理論』の中で、彼はこのような「ブルシット・ジョブ」の存在について論じています

 

 

ブルシット・ジョブの特徴と分類

グレーバー氏は、以下の特徴を持つ仕事が「ブルシット・ジョブである提案しています


○ 具体的な例
  1. 取り巻き: 上司経営者などの権威を誇示するために存在する仕事
  2. 脅し屋: 雇用主の利益のために、他人脅迫したり欺いたりする仕事
  3. 尻拭い: 本来発生すべきではない問題を処理・修正する仕事
  4. 書類穴埋め: 実際には何も成果を生み出していないことを示すために作成される書類作成などの仕事
  5. タスクマスター: 必要のない仕事を次々と作り出し、部下に割り当てる仕事

具体的なブルシット・ジョブ職業

企業法務、テレマーケティング広報、一部の管理職などが、「ブルシット・ジョブ」に該当する可能性があります。これらの職業は、必ずしも社会に貢献していないと断言することはできませんが、その価値が明確に見えにくい場合が多いと言えます

 

 

○ 粗雑なコード修正するプログラマー

粗雑なコード修正するプログラマーは、「尻拭い」のカテゴリーに分類される可能性があり、以下のような問題に直面しがちです。

 


○ 具体的な例

 

このような状況下でプログラマーは、本来創造的な活動であるはずの新しい価値を生み出す作業ではなく、過去の過ちの修正に追われることになります。これは、ソフトウェア開発プロセス全体に大きな問題があることを示唆しています

anond:20240418115605

根本的に人間に興味なくて、でもヤレる女は必要から女を騙すテクニックさえあれば上手く行くはず、それを教えろ

と思ってるんだろうが、根本的に人間に興味ない人間円満結婚生活(に限らず人間関係)を築くのは無理だと思う

エクストリーム衆院議員東京15区補欠選挙

エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツ一種である

過去の開催

横浜市長2021 https://anond.hatelabo.jp/20210720210047

東京都知事2020 https://anond.hatelabo.jp/20200612200441

例年は多くの候補者が集まる東京都知事選挙競技実施するが、今回の衆院議員補欠選挙東京15区都知事選挙並の熱戦となったため特別開催となった。

ルール

当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。

東京15区2021年当選柿沢未途江東区挑戦選挙違反)、2017年当選秋元司IR汚職)が連続逮捕されており、2回連続特別ルールによる逆転優勝となっている。

競技の特徴

東京都知事選挙以外は競技としての面白さがないためこれまで行われてこなかったが、前職と前々職の相次ぐ逮捕ということにより、衆議院小選挙区補選としては異例の開催となった。

2024年補選の主な選手

順番は届け出順

福永活也(NHK党)△

もはや選挙風物詩となったNHK党。しょっちゅう政党名が変わるため正式政党名を調べるのもバカバカしい。いまはみんなでつくる党というらしい。オーナー立花有罪判決を受けたり東谷義和逮捕されたり党が破産したりしている。民主主義への挑戦とも言える政党で、こんなのに投票するような人はもう選挙に行かないでほしいとすら思う。

色物としての存在感以外はもはや無いので、供託金は戻ってこないだろう。

乙武洋匡無所属都民ファースト国民民主推薦)

当初は自民党から擁立も取りざたせれていたが、過去不倫の影響で無所属での立候補となる。意外なことにリベラル的な主張(九条改憲反対、夫婦別姓賛成)にもかかわらず、度々自民党から擁立が取り沙汰されるのは、単なる権力指向客寄せパンダ的ねらいだろうか。当選したらおそらく自民入りするだろうが、2022年参院選の結果を考えると当選微妙か。小野泰輔ポジション

吉川里奈参政党)△

近年勢力を拡大しつつある極右政党参政党。ただし日本極右的民族主義者の多くは自民党特に清和会)や維新の会投票するため、影響力は限定的供託金も戻ってこないだろう。

秋元司無所属自民党元職)▲

2019年逮捕された元職。全てはここから始まった。現在裁判中で何かが間違って当選しても高い確率で失職して公民権停止となるだろう。そもそも当選どころか供託金が戻ってきた時点で東京15区選挙民の恥である。ただしエクストリーム競技の優勝候補ではある。

金澤結衣(日本維新の会)◯

日本維新の会公認候補。近年参院選東京選挙区議席を確保したり、衆院選でも比例区東京ブロック議席を確保している維新の会だが、近畿ブロック以外での衆議院小選挙区での議席獲得には至っていない。今回の選挙万博で逆風が吹いており当選微妙馬場伸幸は威勢の良いことを言っているが、選挙への影響はないだろう。小野泰輔ポジションその2。

根本良輔(つばさの党)☆

選挙序盤からいきなり他の候補への選挙妨害を行うというS難度演技を披露し、特別賞による優勝候補となる。供託金は戻ってこないだろうし選挙違反による公民権停止もあり得る。へずまりゅう以来の逸材かもしれない。

酒井菜摘(立憲民主党

立憲民主党所属の前江東区議。看護師。対抗馬らしい対抗馬もいないため本来本命候補として扱うべきなのだが、立憲民主党存在感はなく選挙自体世紀の凡戦感が漂う。エクストリーム競技とは無縁。

飯山陽(日本保守党)△

麗澤大学客員教授日本保守党百田尚樹により設立された極右政党。党幹部河村たかし有本香北村晴男竹田恒泰がなお連ねる銀河系軍団(褒めてません)。参政党が反ワクチン反グローバリズム右翼れい新選組の趣なのに対し、日本保守党安倍晋三名誉大宰相を御本尊とするカルト宗教と言った趣。当たり前だが供託金は戻ってこないだろう。

須藤元気(無所属・前参院議員)◎

参院議員立憲民主党)。須藤参院比例区のため辞職により、当選者の元モー娘。市井紗耶香繰り上げ当選となったが辞退したためRAG FAIR奥村繰り上げ当選となる。この名前の並びだけで非拘束式名簿の悪いところが全部出ている。

主張といいキャラクターといい、れい新選組にぴったりな人物だが何故か今回は無所属での立候補知名度の割に集票は厳しそうで家入一真枠となりそう。エクストリーム競技優勝最有力候補

寸評

ガチカルト極右候補✗2、N国、収賄事件裁判中の元職、反ワク、極めつけは他の候補への選挙妨害を撮影して自慢気にSNSに流す輩。思えば又吉イエス羽柴誠三秀吉マック赤坂がいた頃のほうがよっぽど平和だった。乙武洋匡がまともに見えるという惨状は本邦の民主主義の末路なのだろうか。東京都知事選や大阪市長選ではこういう光景はよく見られたが、補選とはいえ衆院小選挙区でこの内容は非常に珍しい。外れしかないガチャ感強いが、東京15区選挙民の皆様は是非懸命な選択をしていただきたい。

2024-04-19

AIイラストを作ってる

作っては度々投稿している。

それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーター作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。

そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。

こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。

だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。

疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題根本的な原因があるように感じたんだ。

結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。

そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質ものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。

からこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。

このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。

そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。

だって差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから

しかし現状、そうはなっていない。

それは結論で述べたように、「見る側」の問題だ。

安易AIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定クオリティで満足してしまう。

なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々投稿し続ける。

そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。

この負のスパイラルを止めるには安易AIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。

結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラスト存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。

息子の同級生の4歳児を恫喝したら暴力が止んだ話

半年前位から息子が同級生発達障害っぽいガキに頻繁に怪我させられてたんだけど、この前息子を突き飛ばしてるのを現行犯で見つけたからドス利かせた声で恫喝したら、それ以降怪我して帰ってくることがなくなった。

うちの息子は担任いわく他の子になにかをされても滅多に怒ったりやり返したりはせず唇噛みしめて我慢しているタイプらしいので標的にされたのかなと思ってる。

保育園としてもやれることはやってくれてるんだろうけど根本的な対策は取れないだろうし、相手の親にしたってそれなりに悩んでいるはずでどうしたもんかと思ってたんだよね。

とりあえずビビらせるのは効果あるっぽいから今後は見かけるたびに睨んで効果を持続させる予定。

暴力的であまりいい方法ではないし相手の子教育にはよくないのかもしれないけどうちの息子が我慢させられる必要もないと思うので仕方がないかなー。

チームでやるゲームドラマ……それはゲーム部分ではなく、チーム部分に描写がおかれる。

ゲームというのは基本的に、見ていて楽しいモノではない。純粋に見ていて楽しいゲームは、少ない。

それはスタジアム体験や、動画での漫才や、カメラワークダイナミズムなど……

でもそれは、ゲームの楽しみ、ゲームプレイヤーが得ているものとは根本から異なるではないか

ゲームを行うことと、見ることは、決定的に異なる。当然だ。

翻ってゲーム描写する物語においては、それが、プレイヤー内面の得ているもの如実におもしろく、写せる媒体と手腕がない限り、ゲームを通した人生描写されることに重きをおかれるのは、当然なのだろう。

逆に言えば、もしゲーム"で"創作を行うなら、そうしなければ、大抵は何をやっているかからない、つまらないものになりガチである

『The video game with no name』は、結構すごいんだな。

男性性の、種の存続の以外の根本的な役割ってなんなんだろう

我ながらめんどくさいこと考えてると思いつつ考えてる

他人一方的愛情を向けることの気持ちよさと恐ろしさについて

一方的愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元キャラクター」だとか、そのあたりのことだ。

から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。

近日、「蛙化現象」という言葉があたかミームのように流行った。流行ったそれ自体誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。

あるとき自分分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。

これが、適当意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすとき根底にあるんだろう。

己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である

から、「自分いちばん近くで自分理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。

ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。

から、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。

本題。

私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。

特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである

ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。

私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。

元々はAの紡ぐ言葉けが大好きだった。

世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズ自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。

そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。

要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。

から凄く辛い。

自身尺度他人の持つポテンシャル性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。

なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。

Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空人物言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。

ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。

自分特に好きなAの言葉は、主に後者だ。

とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路バックグラウンド空想してしまう。

まあ、ただ考察するくらいなら至って個人自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。

どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライド自分性質がそれを許してくれない。

薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。

私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。

だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。

私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。

拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察事実であろうと、他人が私の秘めたる感情時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。

Aの言葉は、結構これに類するものが多い。

自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。

そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉自分の中で大事大事仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。

あくまでも自伝であるのに、その言葉共感したり感銘を受けている私が。

だけど、好きなのである。どうしても。

人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉性格に惹かれる。

けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。

から絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。

私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。

乱雑でこんがらがったままだけれど、自分感情を推察する余地他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。

最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである

他人一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとから好意を受け入れたい。自身根本を推察されることを拒絶したくない。

とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。

このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います

anond:20240419001618

スロープ程度でどうにかなるとは思えない

映画館階段って狭くて急だし、あれにスロープつけても車椅子で登れるわけなくね?

どうにかするなら根本的にイオンシネマ建て直すしかないんじゃないか

でもそこまでするわけがない

2024-04-18

いろんな物事に恨み言を言いたい気分だ

ネガティブな気分の元となった出来事を辿る

芋羊羹の6個入りが売り切れてた

しかたないので大きい箱を買った

バンスクリップ、買おうと思ってたシルバーが売り切れてた

電車タイミング悪く、ちょっと待った

駅についたらまたタイミング悪く、バスが30分後だった

30分待っても良かったが、ゴミを出さなきゃと30分歩いて帰ることにした

歩いているうちに雨が降り出した

帰宅するとやたらと荷物が届いている

不在票も入っている

5〜6個ある荷物は全て夫あてで、自分が2週間前に頼んだもの今日も来ていない

体に良い夕食にしたかったのに、疲れと腹減りに負けて芋羊羹2切れとちくわ1袋5本入りが夕食になった

なんかもうなんもしたくない

何に腹を立てているのかと省みる

ちょっとしたことがいちいち期待はずれ、みたいなことが続いたのが不満感を強めていった気はする

あとはとにかく疲れてる

朝5時半起き片道2時間通勤根本的な原因か

雁琳先生北村紗衣に訴えられた発言全然したことがなかった

以下、抜粋

社会的強者の癖に気分はシンデレラか何か知らんがお嬢様気分でいやがるの、端的に恥ずかしいと思わんのか?」

根本原因は、北村紗衣の異常性格。裏アカ批判されただけの話を大騒ぎ」

「何でああもただ取り巻き承認されたい欲求の塊なんだと思いますが、まぁ、ああいう地味顔のフェミスターみたいな人は人文系ではチヤホヤされるので、という闇」

北村さえぼうみたいな気が狂った連中に関しては業界として「粛学」レベルの痛烈なる批判が是非共必要だと思う」

あんだけ頭が『ミサンドリーという名のミソジニー』というか他罰性にハマり切って狂ってたら考察の方はやっぱり狂ってそうだが」

北村さえぼう、小宮友根など、Twitterでこいつクソやなと思うポリコレリベサヨうんこ学者の本を読んでみる会というのをやってみたいな」

「買わせて頂きました!!!!!!!」(北村著作に向けて中指を突き立てている画像)」

「さえぼうセンセは今まで三十ウン年それでやってきたんだし、今更変えられねンだな卑怯者が!生きてて恥ずかしくないのかよ!」

広告ブロッカーが問いかける、インターネット広告理想現実

インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告情報流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。

広告本来目的は、広告主の商品サービスについて、ユーザー有益情報提供することにある。それは、ユーザー広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Win関係を築くことが理想とされる。しか現実には、多くの広告本来目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。

特にブログアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり本末転倒な状況に陥っているのだ。

特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービス誘導したりする。健全広告というよりは、もはやサイバー犯罪一種と言っても過言ではない。プラットフォーム信頼性根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。

こうした状況下で、広告ブロッカー存在無視できない。ユーザー立場に立てば、質の低い広告ブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか

さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザー距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれしまう。広告主側も、自社広告配信状況を十分に把握できていない可能性がある。

結局のところ、問題本質利権問題に行き着く。質の低い広告詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺広告や質の低い広告自主的制限可能なのは提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界ルールメイカーとしての立場にある。

ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。

この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネット公共の場であり、現実ビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望真摯対応してこなかったのは問題だ。

この状況を打開するには、消費者広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。

まず、プラットフォーム運営者は、消費者からフィードバック積極的活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AI活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認厳格化し、広告内容の事前審査義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。

広告主側にも、自社広告配信状況を適切に管理し、質の高い広告提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制ガイドライン作りを進めることも有効だろう。

そして消費者は、問題のある広告積極的通報し、健全広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。

プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界リードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制表現の自由市場健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者広告主、プラットフォーム経営者三者が対等な立場議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。

ここで、インターネット本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネット社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースヘイトスピーチプライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。

こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットイノベーション表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制バランスいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である

今こそ、従来の広告依存ビジネスモデル見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。

また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォーム収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。

健全広告業界の発展は、ひいては健全インターネットの発展につながる。広告主、メディアユーザー三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。

インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全インターネット未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネット未来を切り拓く鍵となるだろう。

2024-04-17

anond:20240417204935

最初から下記の3点しか話してないぞ

 

  • ITでもアニメでも漫画でも才能がある上に生活の殆んどをブチ込んでずっと書き続けている人たちがいる。それに勝てると思ってる奴はあたおか
  • 才能に勝るものはないので殆んどの分野で時間関係しない
  • 才能がある上に生活の殆んどをブチ込んでやり続けている奴、必ずしもやり続けているわけではないが人よりも得意な奴、
    それらと戦ってもどうせ負けるので、勝ち負け関係なく好きでたまらないことを探して欲しい

 

で、増田はその段階の話の位置にいないと思ったから下記の増田書いたわけだけど、★の位置の人向けの増田なのよ、これはね→ https://anond.hatelabo.jp/20240417180143#

お仕事って人によって段階が違うから本当に噛み合わないよなこの話

いちばん最初の段階、いろいろ怖くて働くことができない・採用されないって人は、

 

そこをクリアした次の段階からは、

  • 就職はできたけど転職できないとか言ってるヤツを見ると、『まともに仕事してなきゃそりゃそうなるよ』って思う
  • 朝夜勉強しないと仕事についていけない・転職することもできないってヤツは、根本的にその仕事向いてないから辞めた方がいいぞ★← ここ

 

さらにそこをクリアした次の段階からは、

anond:20240417200535

現実的な話しかしてないですね。キミもまずは社会人ってこんなテキトーでいいんだが必要な段階の人なのかもな

お仕事って人によって段階が違うから本当に噛み合わないよなこの話

 

いちばん最初の段階、いろいろ怖くて働くことができない・採用されないって人は、

 

そこをクリアした次の段階からは、

  • 就職はできたけど転職できないとか言ってるヤツを見ると、『まともに仕事してなきゃそりゃそうなるよ』って思う
  • 朝夜勉強しないと仕事についていけない・転職することもできないってヤツは、根本的にその仕事向いてないから辞めた方がいいぞ

 

さらにそこをクリアした次の段階からは、

anond:20240417190940

どこ読んだらそうなるんだろうね

 

まぁ、SADの人は世の中ってこんなに適当でいいんだをまずは目標にしてください

お仕事って人によって段階が違うから本当に噛み合わないよなこの話

 

いちばん最初の段階、いろいろ怖くて働くことができない・採用されないって人は、

 

そこをクリアした次の段階からは、

  • 就職はできたけど転職できないとか言ってるヤツを見ると、『まともに仕事してなきゃそりゃそうなるよ』って思う
  • 朝夜勉強しないと仕事についていけない・転職することもできないってヤツは、根本的にその仕事向いてないから辞めた方がいいぞ

 

さらにそこをクリアした次の段階からは、

anond:20240105203944

私は増田ほどではないけれどもわりと似た境遇かつ同世代

増田父も私の父も背景に自閉症スペクトラムがあり、自分の予想外のことが起きるとパニックになってしまうのだと思う。それに、人の気持ちというもの根本的に分からない。

私は専攻の都合上親子を見ることがあり、その度にボロボロ泣いてしまう。優しそうな親なら「なぜ私は愛されなかったのだろう」、虐待の気配がある親なら自分体験フラッシュバック

私は自閉症スペクトラム遺伝してしまい、私自身もパニックを起こしがち、かつ人の気持ちがなかなか分からない。増田はどうか分からないけれども。

親子関係トラウマというのはなかなか難しいことを実感する日々だが、お互い穏やかに過ごせるようにがんばろう。

anond:20240414224825

/r/teslamotorsで工作員発狂させて遊んでた増田として言えば、あれは恐らく肉入りで、母語話者じゃないと違和感激しすぎて人間と映らない日本の文化発狂してるだけ。

英語圏の連中は言語が全世界共通じゃないことやネット文化言語ごとに独立してることを認められず、英語圏流行ってるネタは全地球的に流行ってると考えたがり、観測範囲の全てつまり主観的世界でバズりまくり北米話題投稿すれば話題操作できると考える。奴らは2ch文化日本の高度に発達したメディア文化免疫が無いため、全く知名度の無い海外ミームテンプレを持ち込んで滑りまくり叩かれ放題の機械的対応を繰り返し、対応する術を持たず無防備のまま叩きに屈して病み、ああなるキリスト教的な原理主義にのめり込んでいるため過ちや現実を認める能力を欠き、身勝手な己の宗教原理を貫徹すれば現実が伴うと考えて消耗し続ける傾向がある。仮に根本的な間違いを認めた所で、外資系の奴らはその知を展開すれば人間を辞めた動物認定されるので周囲に明かす事は出来ず余計に病んでいく。

ブコメで一律に知能が無いAI扱いされてるのが本当に可哀想だと思うわ。ネタでな、本気でなく。N1取るの大変だったよねえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwって感じ。

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