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2016-09-29

庵野秀明って嫉妬されるタイプだよなあ

最近の色々を見て、改めて思ってたのだけど、その一因が先ほどふと分かった気がする。

というのも、「庵野秀明新海誠への嫉妬燃えているに違いない」というどこぞで見かけた馬の骨因縁ツイートがあまりにも自分イメージと違うことで、何かそこにメンタルヘルス用語で言うところの投射があることに気づいたからだ。

 

まず、このツイート根本的に見誤っている事実として、庵野秀明という人物は、あの業界人間にしては極端に他人に対する競争意識というのが低い。

少なくとも、表立ってはそれを感じさせない人物だ。

今までそれと意識した事はなかったが、改めて探してみると、他人への嫉妬妄執が感じ取れる言動というものが本当に少ない。

自分以外のクリエイター作品はまず肯定的に評するし、作品比較して善し悪しを語るということにも熱心ではない。

富野由悠季の『そういう部分』をリスペクトしている割には、本人は驚くほど『競う』とか『順位を争う』とかという発想とは無縁の人物だ。

 

その代わりに顕著なのが、強い自意識だ。

ここで用いる言葉は、自尊心ではなく自意識、というのが妥当であるように思える。

ある種、究極のナルシストとでも言うべきか、他のクリエイター自分との力関係などまるで我関せず、ただ自分がどれだけ自分を見てる人に印象的に映るかということだけを考えている感じだ。

自分自分の客』だけが世界の全てであると言っても良い人なのだ

そういう意味で、セカイ系かいう古くさい言葉で語られる彼の作品類型は、彼に見えている世界観のものであるという事が改めてよくわかる。

 

当然の帰結として、庵野秀明が強い悪感情を抱くのはただ一つ、『悪い客』だけになる。

庵野にとっては同じ業界人などライバルでもなんでもない。ただ客だけが自分の戦うべき敵であり、「自分を分かってくれない」悪い客だけが究極の憎悪対象なのだ

幼稚と言えば幼稚なのかも知れないが、庵野にあるのは「なんで必死にがんばってる僕をわかってくれないんだ」という承認欲求だけで、それ以外の事は良くも悪くも何も考えていないのだ。

エヴァンゲリオンの、俗にいう『旧劇』は、庵野の強い憎悪ルサンチマン産物であるという事実は有名だが、それはあくまで『悪い客』に向けられたものだ。

庵野は、気に食わない批評家もっと有り体に言えば『オタク』に負けるもんかと闘志を燃やす事はあっても、かつて一度たりと同じ業界人に対する『対抗意識』で燃えた事などはないのだ。

 

しかるに、庵野がことさら嫉妬されがちな人物で、また冒頭に書いたような「若手を嫉妬しているに違いない」などという頓珍漢な言いがかりをつけられまでするという事実は、非常に興味深い。

庵野という人物は、常に競うという事とは無縁で、ただ『自分』を分かって欲しいという自意識だけでここまで来たクリエイターだ。

その事実は、取りも直さず、庵野秀明オンリーワンであり、別の言い方をするなら「自分トップに立てる土俵でだけ戦って来た人物であることを意味する。

だがそれこそが、自分土俵を作れず、他人と競う、オンリーワンナンバーワンとして嫉妬するということしか出来ない種類の人間には、もっと攻撃されやす属性なのではないだろうか。

 

究極のナンバーワンであるオンリーワン庵野は、彼らの目には常に妬ましいものとして映るだろう。

なんとかして、自分たちと同じ『競争』のルサンチマン庵野を引きずり込みたい。

庵野が気にした事もないような『軸』で、庵野ナンバーワンでなくなる軸で、庵野嫉妬して欲しい。

そんな願望が、このツイートのような、あまりにも庵野キャラクター齟齬を来す『勘ぐり』として現れるのではないだろうか。

 

彼らは往々にして、実際には自分で戦う事の出来ないただのオタク、つまり『観客』だ。

庵野秀明新海誠嫉妬して闘争心を燃やす事はまずないだろうが、このような、新海誠出汁にして、庵野いちゃもんをつけたがる『観客』がいる事実は、まだまだこれから庵野を奮起させ続ける可能性が、まあ、確かにある。

2016-09-28

君の名は。性的描写男性恋愛物を作る難しさ

君の名は。」で口噛み酒のシーンが気持ち悪いと言う話になっている。

http://togetter.com/li/1029154


口噛み酒自体は新海監督のある種のフェティシズムの発露であるというのはインタビューでも言っていたのでまぁ気持ち悪く感じる人がいるのもわからなくはない。

本来性癖は人によって千差万別でかなり慎重に扱うべきものからだ。

一方でエロは万人にほぼほぼ普遍的存在するものなのである程度の公約数的な部分を確保してしまえば多くの人間にフックするという強みもある。


新海誠監督は今まで過去作においてエロティックな場面をほとんど描いてこなかった。

その理由は私にはわからないがある種の特徴の一つでもあったと思う。

そういった点がこじらせた「童貞」臭さと言われる一端でもあった。


※ちなみに新海監督は童貞臭いと言われることを一定程度評価している旨をラジオ番組発言している。

おそらく童貞臭いという評価に内在する純粋さ・ピュアさが新海監督がターゲットにしている思春期の男女にまさにクリティカルにHITする部分だと思っているからだろう。


今回はそこから一歩踏み出し、フェティシズム一定程度健全エロさを作中に含ませようと考えたのは恐らく言の葉の庭の足フェチ描写が観客に評価されたかであると思う。

「意外と若い男女ってエロティック描写に寛容じゃん?」

ということに気づいたのだと思われる。

東宝に出した最初企画書の時点で三葉の胸を揉む描写が既にあったことが見て取れる。

ベタベタ描写、みたいなことが注釈で書いてある。


一方で性欲を丸出しにしてしまうと下品すぎて観客が引いてしまうことは恐らく既に把握していて、言の葉の庭では足を触る描写エロティックだが徹底的に崇高かつ審美的に描き下品さをかき消すと言う手法を使った。

それに対して今回使った手法ベタベタと言っているように定型的で既に出来上がった文脈手法をそのまま持ってきた形だ。

まり笑いを使うことでエロさに健全さをくっ付けることで観客が引くことを回避させようと言う手法である

まり観客にこのシーンを見て笑ってもいいんだぜ?

という言い訳をつくることで安心させようと言うわけだ。

そこまでエロくないですよ、健全ですよ。

というわけだ。


最近エロ手法を取り入れたにしてはこの辺の技巧に非常にしびれたし、単純にうまいなと思わされた。

なんとなくこの辺で瀧君を「ちょっとエッチ東京から来たイケメン」という卑近さを生み出すの成功しているような気がする。

股間に手を出すのはアウトだが、胸ならギリギリという非常に危ういラインだ(瀧が三葉の状態トイレに行く描写がないのはそういうことだろう。三葉in瀧ではあるのに)。

その他こまごました部分を含めてその辺の舵取りはかなりきっちり詰めたのだろう。

お見事でした。


しかし、この入れ替わりシーンは置いておくとして問題になっているのは口噛み酒のシーンである

特に四葉が三葉に口噛み酒を販売すれば売れる!

と言うシーンである


ここにオタク男性感性をどうしても感じてしまうと言う点である

四葉女性性的価値少女でありながら感じていることに違和感を感じると言うことだろう。

しかし、正直この点に男性性をいきなり感じてしまうというのは少々飛躍しすぎではないだろうか。

実は作中に少女向けのファッション雑誌が部屋に転がっていると言うカット存在する。

まり四葉はそういう点にわりと自覚的であるのではないかというエクスキューズをわざわざ用意してあるのだ。

あるいは三葉の言うとおり「思春期前のお子様」であるのでそういった視線知識はあるもの無頓着である

という解釈もできるかもしれない。

いずれせよ、安易一方的男性性を見出すには少々待ったをかける必要はあるはずだ。


ネット上の論評をいくつか見て回って、少し思ったことがある。

思ったのは新海誠男性であるからといった点が論評において強く作用しているのではないかという点だ。


もちろん秒速5センチメートルが強い男性目線から作品であったのは事実だと思うし、実際作中のモノローグの量はタカキの物が大半だ。その様な作品男性性を強く見出すのはわかる。

しかし、だからといって一足飛びに「君の名は。」をすぐに男性であると決め付けすぎるのはすこし早すぎる気がする。

もちろん過去作の文脈をまるごと無視するというのはさすがに無理があると思うが、言の葉の庭における雪野の描写彼女と彼女の猫女性主人公であるという点を無視しすぎである

海外では新海誠映画は男女比率がわりと均衡しているという。

一方で日本では従来の男性ファンがあまりにも多すぎた気来がある。

そのせいかどうも、評論すら男性目線から見たものが多すぎる気がする(特に上白石萌音が秒速でどちらかというとコスモナウトに感情移入したというのは示唆的だ。ネット上であまりその視点から言及した記事を見たことがない。)


女性自分性的価値認識していないというのは少々一方的過ぎるだろう。

でなければ女子中高生アイドルがいることの説明がつかない。

女性受けを狙ってアイドルをやっている人もいるという説明もまぁそういう人もいるだろうが、皆男性から目線意識していないなどというのは少し純粋性を女性に求めすぎだ。

特に三葉が口噛み酒販売に対して斜め上の回答をしたのはまともに回答するのが恥ずかしいからであり、それは三葉に対するジェンダー的抑圧の強さを示している部分でもあると思うし、「イケメン男子にしてください」という台詞もつながる。

わりと重要な部分だと思うので安易監督男性性に固執するのは危険だと思う。


勅使河原の口噛み酒の部分もあれは作品メッセージではなく勅使河原認識とみなすのが相応だろう。

同じ縁故に縛られた立場として土着にまつわる行為否定されることにある種のシンパシーから擁護であるとも取れる。

※つまり必死こいて神事を行ってるのに友人まで否定するのは酷ではないかという同情的心理。縛られていることに息苦しさを覚えていながら糸守に愛着があるという描写を事前に行っているのはその辺の示唆なのではないか。三葉がどう思うかは別である

[]映画言の葉の庭

よーやく見た

40分しかないはずなのに妙に長く感じた

あらすじ

雨の日に公園学校サボる職人を夢見る男子高校生が、自分と同じように仕事さぼってるおねーさん出会って、それから雨の日に示し合わせたように公園で会って話をするようになる

男子高校生女性に惹かれていくがその正体は・・・

という感じ

新海誠らしさ炸裂でやたら情景描写が多い

あと電車

そのせいでやけに間延びして感じたんだと思う

あと下から上にパンするいつものカメラワークと、

BGMに合わせたフレーム単位描写切り替えね タタタンって一枚絵?が変わる感じの

さすがにマンネリだなあと

あとラスト登場人物が走るのもこないだ君の名はみたばっかだからちょっと胸焼けがした

見慣れたビルだと思ったら新宿だった

新宿住んでたのに一度も新宿御苑いかなかったな、いっとけばよかったな

君の名はでも同じパークタワーエンパイアステートビルっぽい建物でてたきがするなあ

しっかし君の名はに比べるとまだまだ童貞くささが残ってて見ててイライラした

特にラスト

おっかけてそれで抱き合ってハッピーエンドでいいのに逆張りの長台詞ダラダラ言わせたりしてうざかった

でも君の名はと違うよかったところもあった

歌とセリフをかぶせなかったところ

劇伴ピアノがきれいだったこと

(でもEDの入りとかぶってたとはいえ、ラストの一番いいところで安っぽいJPOPのイントロ劇伴っぽく入ってたのは残念だった)

高校生大人のどっちに感情移入するかでも見方変わるんだろうな

一部はてな民新海誠につらく当たりすぎてて笑う

なんか痛烈に批判してる人が結構いて笑う。

ネット特番とか見てると異様に腰が低くてめちゃくちゃ常識人臭がするけどあっちこちで叩いてる人いるのが面白い


オタク相手だと常識人の方が感情を逆なでされるのかも。

あるいは今時アニメじゃ珍しい、ド直球の恋愛映画を描いたからだろうか。

ここまで明確に恋愛を中心にすえたアニメ映画って珍しいよね。

テレビアニメとかだとラノベ原作とかあるんだけど。それこそ新海誠の好きなとらドラ!とか。

http://anond.hatelabo.jp/20160928063552

あれはエロゲOP作ってた頃から知ってるんだぜ、って自慢でしょ

新海誠は俺が育てた、みたいな気持ちでも持ってるんじゃない?

2016-09-26

【「君の名は。ネタバレ感想】壮大にしないで欲しかった

君の名は。」、感動できなくてモヤモヤした派。

新海作品は一通り見てきたから、冒頭のCG合成したキラキラから、時空越え、引き戸カット不思議メールアプリ)と「新海誠の引き出しってこれしかないのかな」って心配になりつつも、

辻褄が合わないとか性差別的とか釣針モロバレとか野暮なことは呑み込んで、それなりにキュンキュンながら見てたんだけど、

夕焼けバックでめっちゃ綺麗な初対面シーンなのに「まだやることがある!」とか言った瞬間に冷めた。

"ある日男女が入れ替わる"だけなら「何かの偶然が重なってひょっとしたらあるかも」だけど、

"その2人が時空も超えてて、協力して歴史を変える!"までになると「そんな偶然とご都合主義はどんな並行宇宙にもありえんだろ」と。

安い正義感なんて混ぜず、思春期らしく「人命より私たちの恋の方が価値がある」とか思い込んでたらついでに村も救ってた、ならまだ良かったのに。

なぜかキーパーソン祭り上げられてる頑固な村長を説得するくだりとか、爆破やら放送ジャックやらの犯罪行為描写する時間で、もっと普通日常を紐解いてたら「いつかどこかでありえたかもしれない神秘」感も高まっただろうに。

言ってしまえば「秒速5センチメートル」が良かった。

わかりやすいヤマがない、オチハッピーじゃない、イミがあったかもわからない。

でも日常ってそういうもんだし、だから感情移入できて、そういう日常をがんばろう、と思える。

君の名は。」を楽しく観れた人が「俺もどこかの女子高生と入れ替わらないかな」って言うけど、さすがに「入れ替わったら俺も村救うんだ!」って思わないよね?

2016-09-25

君の名は。」そんな辻褄合わないか

物語的に辻褄合ってない(理解不能)っていう批判が多いが、

これとか https://note.mu/akiko_saito/n/n3c3d6b264f7e

まじで?そんなわかんないもんなの? 俺はリアルタイムで見ながら普通に解消していったけど...

一個一個答えてみると、

  • 毎日持ってくるお弁当は父と息子どっちが作ってるの?!
    • 父じゃない?場合によっては息子...えそこ関係あるの?作らなそうに見えたってこと?
  • 男のほうは車に乗せていってもらってたけど、帰りはどうすんの?!凍死するんじゃないの?!
  • あの飛騨についてきた友達はいったいなんの意味があったの?!
    • 友達心配からついてきたんでしょ?なんか頭おかしくなってそうって思ったから。あと男友達の方はあの女の人に惚れてそうだったし下心もあったんじゃない?
    • シナリオ的な意味としては、一人でいったら映画としてつまんないでしょ。賑やかしだよー。多分。
  • なんでスマホの中身がいきなり消えるの?!

あと村上春樹だけど、初期の頃の作品集に「タイトル書いてみてから想起される物語さらっと書いてみるというやり方を取っている」とか書いてあったし、普通にシチュエーションだと思う。あとで物語意味的なものをどんどん入れていったと思うけど、新海誠もそんな風に成長すれば良いんじゃないかと思うけど。村上春樹も初めの作品評価割れ芥川賞とか取れてないしね。

この他よくある疑問

  • 日記書く前に連絡取ればいいよね。
    • 最初になんども試したけど繋がらんかったんでしょ。
    • そして最後ダメ押しでもっかい試したと。「えー!?なんで繋がんねーんだよ!?」っていう描写なかったしそうなんじゃない?
  • 時間遡行に気づかないはずがない!
    • いやいや、気づいてから記憶がどんどん消えてったよね?あとスマホの中身もびゃーって消えたよね?
    • あれはつまり、入れ替わりを起こさせた「何がしかの力」は時間遡行を気づかせないような力が働いているってことでしょ。因果律を守るとかそれ系の。
    • 記憶がどんどん消えるんだし、入れ替わり時に気づけない事象があっても物語的には不思議じゃないと思うんだけど。
あと他にあるー?

[]映画君の名は。

パンツが見えたので★5つです(前置き)

前半1/3はい意味新海誠っぽさがなくて面白かった

コマガイジンのYEAH!!!!って方の感じで見てた

でも中盤から最後にかけては2コマガイジンのシーンって方の感じになった

悪い意味新海誠っぽさが出てしまってて首を傾げる出来になっちゃってた

最後は秒速5cmの焼き直し、もといバタフライエフェクトシュタゲでさんざんみた演出の焼き直しだし

RADの歌は邪魔なだけだし

唯一氷菓できる部分は10年かけて秒速5cmの鬱屈を晴らしてくれたことに尽きると感じた

ありきたりでもバタフライエフェクトでもシュタゲでもなんでもいいか最後気持ちよく見る人間を帰らせてくれるような終わり方

それをやってくれたからすっきりした

秒速はあまりにも救われなさすぎたか

フィクションでくらい都合よくていいよね

でもRADはいらんかった

そいやバンプテイルズやったりしてたっけ

スピッツハチクロに使われてたっけ

閑話休題

Z会PVの続き見てるようにも感じた

結局このパターンか、みたいな

今はまだいいけど、これしか引き出しないってみんながわかったらソッコー見捨てられそう

しろ最初からそれをやりつづけてここまでこれてるから今後も問題なくやれてくのかな新海誠

あーあほんと最初1/3はよかったのになあ

君の名は。』で、新海誠監督はそれまでの作品性を捨てたの?

君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、

この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所個人的ちょっと気になることを目にしてる。

しかもそこそこな頻度で。



海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。



いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。

作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。

君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、

大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛喪失だとかは、

何にも変わってないよね。

ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、

ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。

なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、

あいものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、

ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。

でも新海監督を昔から追ってる一個人妄想としてはさ、

海監督は「わかる人だけが自分作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、

「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場自己顕示欲や願望のほうが、

からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。

大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、

『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監自身も言ってたし。

過去だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。

ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的志向して制作していたわけでなくてさ、

たぶん、単に個人制作・小規模制作視野が狭かったり、監督個人スキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、

結果的にああいものばっかになってたんじゃないかな?

(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)

決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。

君の名は。』はわかりやすエンタメ目標にしたわけだけど、

そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ作品志向してたわけじゃないんだから

描きたいこだわりを省いた、作品性作家性を捨てた、と言うより、

周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。

川村元気Pから新海誠ベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。

ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、

個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。

優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、

逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しかワンパターン思春期男女の話を作ったとしても、

その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。

ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、

それはブランドになるし、ある意味もう勝ちなんだよね。

思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、

次回作が仮にワンパターンものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫

それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、

とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから

2016-09-24

アニオタ非オタ彼女新海誠アニメ世界を軽く紹介するための10

元ネタアニオタ非オタ彼女アニメ世界を軽く紹介するための10

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しか自分のオタ趣味肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない新海アニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメ布教するのではなく 相互コミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。

あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ほしのこえ(2002)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいタスクだろうと思う。

信濃毎日新聞(2007)、クロスロード(2014)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」

のものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

雲のむこう、約束の場所(2004)

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠

童貞的なださカッコよさ」を体現する藤沢浩紀

童貞的に好みな女」を体現する沢渡佐由理

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

星を追う子ども(2011)

たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜作品新海誠フィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、

アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

猫の集会(2007)

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

「猫の集会」の長さを俺自身冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、

一方でこれが宮崎富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

はるのあしおと(2002)

今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ作品エロゲOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、

別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、

劇場アニメしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

彼女と彼女の猫 (2000)

新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

からこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化するでもないささやか日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

秒速5センチメートル(2007)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

言の葉の庭(2013)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。

ほしのこえから始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

否定的な人って肯定的記事コメントしないんだな

と思ったよ。

http://www.tenohirakuru.info/?url=http%3A%2F%2Fwww.waka-macha.com%2Fentry%2F2016%2F08%2F14%2F190000%2Chttp%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Farticles%2FASJ9R41DJJ9RUCVL00J.html

新海誠イカ臭童貞が喜びそうなアニメ」っていうひとことが言いたくて言えなくて震えていた件 - カプリスのかたちをしたアラベスク

http://www.waka-macha.com/entry/2016/08/14/190000

こっちに映画に対して否定的コメントしてた人は朝日記事ほとんどコメントしていない。なんかうける。

2016-09-23

新海誠作品次回作への不安

君の名は。」の興行収入が100億円を突破した。

この成功の要因については様々な説明がなされており、どの説明面白いものばかりだった。

海自身は、この100億円突破について、かつてインタビューで「怖い」と述べており、

次回作へのプレッシャー懸念されるところである

これまでの新海誠作品を振り返ると、反省改善を繰り返しつつ、自らの作家性を活かして新作の制作を行っていることがわかる。

今回は、多くの人々が指摘するように、物語プロット脚本作成第三者の目を強く意識したことが、功を奏したといえるであろう。

特に客観的意見を募るも最終的には監督のやりたいことを重視させた東宝川村元気の功績は大きかったのではないだろうか。

さて、ここから表題の件について述べる。

新海誠という監督は、作家性の強いクリエイターではあるが、今回の一件からわかるように第三者意見を柔軟に取り入れることのできる監督である

そして、観客が自分に何を期待しているのかについても自覚的である(これは、「星を追う子ども」の経験から得たものであると思う)。

したがって、物語の内容に関しては、面白いかは別にして、下手なものは作らないだろうと思うのである

さて、では私は何を不安視しているのか。

新海誠作品は、その物語に特徴がある一方で、美しい映像編集評価されている。

今作も、これまでの新海作品同様、美しい風景描写が惜しげもなく用いられていた。

そして、今作では、これまで新海誠作品の弱点とも言われていた「人物」の描写に関して、スタジオジブリ出身安藤雅司作画監督として参加し、もはや敵なしといった布陣になっている。

しかし、である

前回の増田にも書いたが、どうもアニメ業界保守本流たる安藤と新海は相性が良くなかった。

それは、新海の出自経験不足に起因するところであり、仕方のないことでもある。

安藤インタビューからは、アニメーターとしてのこだわりが強く感じられるが、新海はそのこだわりが理解できていない。

もちろん安藤も新海の価値は認めている。

しかし、「次回作は観客として」、「次回作若い人と」などの発言から、今作での苦労が垣間見えるのだ。

今作で、新海誠アニメ業界保守本流あいみえることとなった。

新海誠作画に関する多くを安藤に任せる形にしていたようである

アニメーターとして確固たる地位を築いている安藤を、畑違いの新海がコントロールするのは難しい(前回の増田に対するブコメでも指摘があった)。

新海が、安藤を信頼して任せたというのもわからないではない。

そして、新海誠次回作に対する不安はここにある。

おそらく次回作でも、安藤とは限らないが、アニメ業界のいわゆる大物と組むことになる可能性は高い。

新海は、今作の反省をどのように活かすことができようか。

物語については、「星を追う子ども」で多くの批判を受けた。そして改善した。

私は、「星を追う子ども」で起きたことが、絵作りや編集に関して生じるのではないか危惧している。

アニメーターに任せすぎることで、新海の良さを殺してしまうのではないかという不安がある。

安藤の「次は若い人と」という発言は、このままでは絵作りの点で新海が安藤アニメーター)の作家性に喰われてしまうという意味もあったのではないか

随分と適当なことを書き散らしてきたが、私は新海誠の大ファンだ。

中学生の時に、「雲のむこう、約束の場所」の予告を死ぬほど見て、本編が公開されてからは小遣いをやりくりして何回も見た。

それ以前から新海誠に注目していて、毎度マウンティングしてくる友達が、「君の名は。」のヒットに泣いている。

「俺の新海誠が~」とか言ってるので本当にどうしようもない。でも気持ちはすげー分かる。

遥か遠いところへ行ってしまった。

うれしいような。哀しいような。

セカイ系の彼方へと、ゼロ年代を引き連れて、あずまん宇野が決裂する以前、あの震災の影響のない世界線に旅立ちたい。

でもね、奇跡はおきないんだ。

あずまん宇野は変わってしまった。ネット世界も変わってしまった。

震災が起きなかった、なんて有りえないんだよ。

震災は起きたんだ。

から、やっぱり、瀧君と三葉は出会っちゃいけないんだ。

かといって、秒速みたいじゃ駄目なんだ。

秒速のその先は、奇跡じゃダメなんだよ。

奇跡運命じゃなく、ましてや決断主義でもシンゴジでもない。

よくわからんが、そんな物語を期待していたんだよ、俺は。

以上

追記:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます

追記2:「前回の増田」とはhttp://anond.hatelabo.jp/20160921161913です。

追記3:誤りを訂正しました。ブコメにてご指摘ありがとうございます

君の名は。公開記念『秒速5センチメートルカップル限定鑑賞会

新海誠は「君の名は。」で「秒速5センチメートル」を見た人に向けて、ファンサービスまたはSMプレイをした。

今も弄ばれた傷は消えないし、ハラハラもドキドキも「君の名は。」の後ろに見えた「秒速5センチメートル」のせいだ。

いつRADWIMPS山崎まさよしに変化するのか、というのも見ものだった。

桜の花びらが秒速5センチ(遅い)で散る瞬間を、今か今かと見守った。

新海誠ポスト駿と言われているらしい。本人もピンと来てないだろう。

しかしだ。

新海誠宮崎駿と同じことをやったのだ。

1992年7月18日公開の映画紅の豚』この映画ラストシーンを思い出してほしい。

「あれ、結局人間に戻ったっけ?豚のまんまだっけ?」となるだろう。

その9年後2001年7月20日に公開された『千と千尋の神隠し

ラストの展開を思い出してほしい。

きっと当時生粋ジブリファンは途中まで思ってたはずなのだ

「豚…豚のまま終わる…!」

奇しくも『君の名は。』は『秒速5センチメートル』の9年後に発表されている。

君の名は。」にはまだ、過去作を見た人をいたぶる仕組みがある。

この映画には雪野百香里というキャラクターが出てくるのだ。

君の名は。で雪野に気付いたときハッとしてうれしく思うのだが、それがどんどんと不安かられていく。

雪野、やっと幸せになれてたかもしれなかったのに!ああああ!!

てな具合でファンサービスに溢れることこそが、監督には必要なんだと思います

タイトルのやつ、どこか悪意のある映画館はしていただきたい。

君の名はがヒットしている理由は、「夏恒例の細田守映画ポジション」というのもありそう、と思った

新海誠オナニーである背景、情景描写がいい意味ですっごい少なくて人物ドラマがめちゃんこ多くてすごく見やすいし見てて飽きない

だんだん展開のスピードが上がっていくのもサービス精神旺盛で楽しく感じさせる

こまけえことだし別に君の名はに限った話じゃねーけど、歌にセリフかぶせるのやめてくんねーかな・・・

いくら歌のボリューム下げても言葉がかぶってすっげー聞き取りづらくなるんだお

2016-09-22

なぜ富野宮崎駿になれなかったのかこれで分かったよね

宮崎駿

細田守

新海誠

やっぱ三字じゃないとダメなんだよ。

庵野が実写に逃避したのも

吾郎ちゃんイマイチだったのも

これで説明がつく。

新海誠は雲にこだわるってのは割りと有名だと思う

一方で聲の形山田尚子は雲が邪魔だと言っている

映画「聲の形」公開記念特番 ~映画「聲の形」ができるまで~ ロングバージョン - YouTube

これの10:10くらいか

ショウヤ自分自分を閉じ込めてしまっているから、それを取り巻く世界までがふさぎこんでみえるのは嫌だと考えたから、とのこと。

アニメ作りにかぎらずマンガでもドラマでもそうだけど、何気ない風景ひとつにも演出意図があるって面白いなあと改めて思った

アニメドラママンガだと、ある描写をしてもそれをどう解釈するか、そもそも気に留めるかすらも受け手自由があるんだなあと

2016-09-21

勝手イメージ

シンゴジラおじさん: 元・ガルパンおじさん 兼 元・マッドマックスおじさん

君の名はおじさん: 元・秒速おじさん(というか、新海誠おじさん)

聲の形おじさん: 京アニおじさん

アニメ映画あんまり見ないから、はてブとかTwitterとかで話題にしてる人たちのイメージ


【審議中】

Perfumeおじさん→ももクロおじさん→ベビメタおじさん→次は?

わたし新海誠

君の名は。」に関連した本や雑誌が数多く出版されている。

その中のインタビュー記事を読んでいて、ふと感じたことがあるので増田に書き残しておきたい。

新海誠は、アニメ業界出身監督ではない。手探りでアニメ製作してきた人間である

これまでの作品スタッフに、アニメ業界出身者がいないわけではない。

しかし、今回の「君の名は。」では、作画監督安藤雅司が起用されている。

彼は、スタジオジブリ出身アニメーターで、いわばアニメ業界保守本流に属している人間だ。

安藤に対するインタビューの中では、「インディーズ」という単語が度々登場する。

曰く、「君の名は。」は、新海誠インディーズからメジャーに至る転換点である

安藤自身は、「君の名は。」の持つインディーメジャー二面性に、クリエイターとしての面白さを見出していたようである

しかし、インタビューの端々に、新海誠アニメ業界出身ではないことに起因する苦労が見えていた。

新海誠は、アニメ業界保守本流メジャー対峙して、どんな気分だったのだろうか。

私は、安藤田中インタビューから、彼らの新海誠に対する「上から目線」みたいなものを感じてしまった。

こいつはアニメがわかってない、みたいな。

それは新海誠出自を見れば当たり前であり、単純に経験不足であるから仕方がないものでもある。

もちろん、そのことが新海誠価値を下げるものではないと、安藤田中は述べている。

しかしなぜだろう、「君の名は。」において、新海誠だけ、一人浮いて見えてしまうのだ。

日本代表するアニメーター軍団は、新海誠を遠巻きにして眺めている。

旧知のスタッフは、その後ろで新海誠不安そうに見つめている。

神木きゅんは、狂信者のように新海作品の魅力を語り続け、川村元気が無言で頷く。

前前前世RADWIMPSスパークる。

興行収入が増えれば増えるほど、なぜか切ない気持ちになってしまうのだ。

私の中の「新海誠」は、この狂騒の中、寄る辺なく漂うしかないのであろうか。

唯一の安息は、雲のむこう、約束の場所しかないのかもしれない。

追記:

id:cider_kondoさん。確かにそうですよね…。なんというか、新海さんもまさか安藤さん作画監督をやってくれるとは思っていなかったのではないかとも思ったり。

id:fusanosuke_nさん。安藤さんから見たら確かにそうなんですが、新海ファンとしてはなんか悔しくなっちゃうんですよね。

id:sgtnkさん。それはすごいですね……。

id:ustamさん。星を追う子供も嫌いじゃないんですけどね……

id:liatris5さん。新海さんも新海さんなりに苦労しているので、本職の方に悪く言われるのは悲しいところですよね。

id:mementm0riさん。そうなんですよね。これまでの新海さんを見てるので余計に。細田さんも素敵ですよね。

どうして『君の名は。』はヒットしてるんですか?

ヲタどもが新海誠好きなのは分かったんですが、

それだけでは興行収入100億も行かないですよね?

ラッドウィンプスですか?

2016-09-20

日本アニメロリコン需要はいい加減にしろ

友人にどうしてもと誘われて「君の名は。」を見に行ったが激しく嫌悪感に襲われた。

ネタバレがあるから読みたくなければそっ閉じだ。

言いたいことは山ほどあるがそれぞれ大体言及されているから改めて言わないとして、とにかくもういい加減にしてほしいのはロリコン教育アニメはもうやめろということだ。

宮﨑駿が散々に使い潰した、思春期女子による性の目覚めを繊細な心理描写と褒めそやす文化にはもううんざりだ。

それでいて皆が美しいと褒めるのは性に目覚める前の純粋である

大人の女性を引き合いに出して、まるで汚物のように描くのはほんとうにどうかしている。

これだから日本人女性が性に目覚めることを汚らわしいことだと信じて、いつまでたっても処女性が重宝されてしまうのだ。

江川達也が宮﨑駿に対して鳴らした警鐘意味理解していないとは言わせない。

宮﨑駿が去った後、庵野があれほどまでに処女神話を打ち砕いてくれたと言うのに新海誠なんぞという空気読めない男がまたしてもやらかしやがった。

まさか新海作品に巧妙かつ山ほど詰め込まれていたエロバイオレンスを見逃したはずはないだろうな。

異性への興味、性器への接触、三角関係と略奪愛、BL百合大人への憧れ、大人同士のワンナイトラブ、口噛み酒の白濁とした変態性、よつはへのペド性、数え上げればキリがないが、断言して言えることは純愛は一つとしてなかったということだ。

主人公同士の恋愛吊り橋効果だと断言して良い。少しネタバレだが、彼らの恋愛が目覚めたのは会えなくなったことが直接の要因になっているからだ。)

これは深読みでも思い込みでもない。

でなければ途中からみつはがブラを付け始める書き分けはいらなかったはずだ。

あれは女性心理的変化や成長を描くための演出ではない。お前らを落胆させるためだよ。このド腐れロリコン野郎どもが。

つうかそもそも評価の高い映像だってどちらかというとadobeの功績だろ。

レンズブラーとか後付手ブレとかこちとらユーフォニアムでもうお腹いっぱいなんだよ。ばかやろう。

2016-09-19

映画 君はゴジラの聲

みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想

君の名は。

良いところ

・くっついた

新海誠は、恋愛映画最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。

・人以外の絵が綺麗

彗星とか。ご神体盆地の外縁から景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。

悪いところ

・隣の席のカップルおっさんの方

上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。

・手の動き

金麦の生まれ変わりが板書してるところ超キモい

主題歌

前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議

シン・ゴジラ

良いところ

行政機関の内部描写

実態に即しているか不明だがリアリティを感じた。各人物無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートあんまりにも面白かったので、特別事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存作品を教えて欲しい。

自分東京在住

各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。

ゴジラが怖い

今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程作品リアリティレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。

悪いところ

石原さとみ

石原さとみ別に悪くない。通勤中東メトロ看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。

聲の形

良いところ

OP

冒頭は石田カレンダーカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田島田島田じゃないやつの関係性をモンタージュ表現しながら右から左ジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。

・永束

一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使

・結絃

みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス

・取捨選択

この映画石田主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者恋愛ジャンル標榜していないが、映画さらにその手の描写オミットしている。例えば植野石田に対する感情原作と変わりないのだが露骨表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマフォーカスすることに成功していると思う。恋愛コミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態しか過ぎないので。石田西宮の行動についても、原作では読者が意図解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプ映画川井描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。

悪いところ

・鯉

パンを食べさせ過ぎて怒られそう。

http://anond.hatelabo.jp/20160917020921

麻枝准といい新海誠といい、なんで春樹チルドレンって情緒過多なんだろうか。

いくら複雑な世界観にしても、やってることは単純なメロドラマなんだよな。

2016-09-18

口調が安定しない

最近自分の口調がどうも一定でない事に気がついた。

同僚や、有名人などの影響を受けて変化してしまうようだ。

同僚の、大振りのジェスチャーと豪快な笑い方を。

宮崎駿ドキュメンタリーをひたすら見ていた時期は、

険しい顔で朗々と話し、時にくしゃっとした笑顔を見せる感じを。

今は君の名はに嵌り、新海誠映像をよく見るが、

やや力が抜けつつも、しかし一つ一つ丁寧にささやくように話す感じを。

とにかく、その時の自分が聴いているもの、観ているものの影響を直に受けているようだ。

人は、関わる相手にそれぞれ一定イメージを求める。

いわゆるキャラというものだ。

これが定まっていない相手は、行動が予測できず、対応に難儀するし、

不安定な印象、言ってしまえば一種気持ち悪さを覚えるだろう。

口調はキャラを作る要素の大きな一つである以上、これが安定しないのは、

コミュニケーションにとって障害なのではと思い、今更ながら悩んでいる。

当然同僚も気づいていると思うが、

もはや、本来自分自身の口調がどうだったかもわからなくなってしまった。

自身の無さの表れなのかもしれない。

医者プリント案件なのかも。

私と同じような状態の方、いませんでしょうか。

秒速5センチメートル』は皆が思っているような作品じゃないんです

大ヒット公開中の『君の名は。』、スゴイ人気なので僕も観に行ってボロクソに批評してやろう!と思い、バンダイチャンネル配信中の新海誠作品を観ています

言の葉の庭』は面白かったです。『ほしのこえ』も、これぞセカイ系新海誠はこういうのが好きなんだな!って感じでした。

次は何を観ようと考えていたところで、アタマに浮かんできたのは『秒速5センチメートル』でした。

この作品は以前にも視聴していて、その時は半分寝ながら観ていたので殆ど内容を覚えていませんでした。

クソ作品だった気がするな~絶対クソ作品だよな~僕はこういう雰囲気だけアニメが嫌いなんだよな~とモヤモヤしていたので、もう一回ちゃんと観てみるか~、と視聴を開始しました。

そして最後まで観てみたら思っていたよりずっと良い作品で、モヤモヤしていたものが全部スッキリしたので少し語りたくなりました。

「切ない」「バッドエンド」「男は~女は~」、そんな文脈で語られることが多い本作ですが、この作品で描かれているモノはもっとポジティブなモノなのではと思います

ラスト踏切のシーンでの遠野君の表情がそれを物語っています

彼らはお互いに過去のことは子供時代の思い出として完全に吹っ切れているんですよ。

「あぁ思い返してみれば若かったなァ」、そんな感じなんです。

結婚して幸せな日々を過ごしている明里は言わずもがなですが、

明里への思いが完全に消えていることに気づき会社を辞めて寂しい日々を過ごしている遠野君も何だかんだで未来に目を向けているんですよ。

作品テーマとしては、「子供の時に考えていたほど人生は思うようにはいかなかったけれど、それでも、僕らはこれからも生きていくんだぜ」みたいな感じが近いと思います

過去を思い出して鬱になった!」っていうのは単純に自分らが引きずっているだけです。

バッドエンド!鬱作品!って煽るのは違うと思います

特にオチは無いのですが、そういう事を思いましたという話です。

あと今回語りたかったコトと直接の関係はないのですが、

遠距離手紙(メール)、時間子供時代宇宙

ほしのこえ』、というかセカイ系のような感じもしましたね。

新海誠ホントにそういうのが大好きなんでしょうね。

君の名は。』も後で観てきます。なんかこれもセカイ系エッセンスが入っていそうな感じするので楽しみです。

 

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